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2019年05月06日

「八紘一宇」避けるには 天皇制と民主主義 中島岳志




 





 「八紘一宇」避けるには 天皇制と民主主義 中島岳志



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 2019年4月24日記事より引用します


 




 天皇の代替わりを前にして、論壇誌やWEB、書籍で多くの天皇論が出された。大澤真幸は『ジャーナリズム』4月号(朝日新聞出版)に掲載した「天皇制の謎と民主主義『基盤装置』の危うい未来」の中で、天皇制こそ民主主義が可能と為る最小限の条件を整えたと指摘する。

 「民主制は、人々が選挙結果に縛られると云う前提を共有し無れば為ら無い。民主的な選挙は、最も基本的なレベルで合意がある者の間でのみ、例えば基本的な信念や価値観を共有して居る者の間でのみ上手く働く」

 世界中で国民の分断が深刻化し、民主主義の前提と為る基本的な合意が崩壊しつつある中、

 「日本は、ここ迄深刻な民主主義の危機に至らずに済んで居る。その有力な原因の一つは天皇制である。天皇を承認し天皇制を維持して居ると云う事が、日本国民の基本的な合意を構成して居る。天皇制とは、何か積極的な理念やイデオロギーへの合意では無く、何であれ我々が既に合意して居ると云う事への合意、合意が可能であることへの合意である」

 確かに、日本の民主制は初期段階から天皇の存在が基礎的要件と為って来た。明治国家の国体は「一君万民」とされ、天皇の超越的地位を認めることによって国民の平等性を定位して来た。天皇以外は只の人間と云う前提が、将軍や大名のレジティマシー(正統性)を剥奪し、疑似的な民主制を作り上げる事に寄与した。但しこの戦前的な民主制は、天皇に与えられた「大権」が軍部に利用される事で崩壊する。
 戦後民主主義は、天皇から政治的「大権」を剥奪し象徴と云う地位を付与した。これによって、天皇の存在はネイション(国民)と云う想像上の共同体が共有する物語と為り、民主制の基盤を構成するメタ合意(合意して居ると云う事への合意)と為った。


 




 しかし、この「合意」は、今後大きな限界にブツカルと大澤は指摘する。それは移民問題である。私達は、様々な出自の人達を日本人として受け入れる必要性に迫られる。その時、天皇はこの国の新たな民主制の「障害物」に為り得る。
 純血の日本人と云うフィクションを共有し無い人達に取って天皇制は、日本人と云う枠組みから締め出す力学として機能する。「天皇制は連帯の為の装置では無く、亀裂を確認する為の装置と為り得る」

 戦前期の日本は、多民族を包摂する「八紘一宇(はっこういちう)」と云う理念を振り翳(かざ)した。天皇に民族を超えた普遍的位置付けを与え、天皇による世界統一を目指した。この二の舞いは何としても避け無ければ為ら無い。
 明仁天皇は、その思慮深さと弱者への温かい眼差しによって国民からの絶大な支持を獲得して来た。明仁天皇による「象徴天皇」の有り方の模索(もさく)は、時に被災地で跪(ひざまず)く姿と為って表れ、不安に苦しむ人達に力を与えた。この様な姿がエスニシティ(民族性)や人種を乗り越える可能性は大いにある。

 しかし、天皇個人の能力に依存する有り方には大きな限界がある。半藤一利・保阪正康・井上亮(まこと)の鼎談(ていだん)『平成と天皇』(大和書房)の中で、井上は世襲制の問題を指摘し「物凄く能力がある天皇が居て、それが賞賛され、こう云う天皇であるべきだと云う意見が支配的に為って行く事は、或る意味では危うい」と言う。その通りだろう。

 天皇及び皇室に対して、常に高潔な人物である事を強いる制度にも問題がある。大塚英志が『感情天皇論』(ちくま新書)で指摘する様に、天皇の仕事は究極の「感情労働」である。天皇は常に感情をコントロールし、適切な態度を採り続け無ければ為ら無い。
 旅客機の客室乗務員や看護師等の「感情労働」によるメンタルヘルスの不調が社会問題化する中、皇室に掛かるストレスの問題にも目を向け無ければなら無い。私達は、次の時代の天皇制の有り方を、常に模索し続け無ければ為ら無い。時代と呼応しながら、永遠の微調整を続けて行く意思こそが、天皇制を維持する最大の基盤と為るのだろう。又、新しい時代が始まる。


 (なかじま・たけし=東京工業大教授)


                   以上



 





 
 【管理人のひとこと】


 天皇の代替わりは、多くの国民の賛意の下で無事に行われた。中島教授は、ここで新たな天皇像への危惧を指摘して居る。氏は将来、嫌が上でも日本に移民問題が発生すると予想し、その様な時代にも日本固有の天皇制がどの様に機能するのか、又は、どの様な天皇像が求められるのかの問題を挙げて居る。
 それは、日本人(国民)と一括(ひとくぐ)りに表わす旧来の国民と、新たに移住する移民(国民)との間に生まれるであろう目に見え無い(或は目に見える)溝だ。姿・言葉・生活習慣等の違いを克服して、果たして天皇を象徴と崇(あが)める同一国民と為り得るのだろうか・・・と。

 もしかしたら、天皇の存在がそれを拒む様な事に為ら無ければ好いのだが・・・と危惧して居る。確かに、日本固有の天皇制を新たな移民の人達に強制する一面も有るからだが。
 それと、天皇の能力や個人的才能に頼ってはダメなのでは無いかとも。アノ天皇は遣って呉れたけど、コノ天皇はダメだ・・・と為っては為ら無いのだ。確かに、国民の批判は自由だけど、それを元に天皇を批判する様に為っては天皇制が揺らいでしまう。民主主義と天皇制が今までは互いに良い効果を挙げたが、それを国民の一方的目線で天皇に求めては為ら無いのでは無かろうか・・・と。

 中島教授は、次の天皇、次の次の天皇の問題も含めての天皇制の有り方を、今から十分時間を掛けて国民の同意を得る様な措置を政府が講じる様に求めて居る。












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