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2019年03月11日

日本の当たり前は、世界には通用しない?



 少しは為(ため)に為りそうな話をと考え「日本の常識は世界の非常識」をテーマに取り上げたいと存じます。実際に経験された貴重な女性のレポートです。ご参考にして頂きたい・・・


  




   世界50か国を旅して判った!

  「日本の常識は世界の非常識」


   【日本の不思議 10選】


 Posted by  春奈  掲載日: Oct 26th, 2017 より引用します


 




 日本と海外の文化ギャップは、TABIZINEでも長く人気を誇るテーマ。そのギャップを楽しめるのは、日本と云う国の独特の文化や風土あってコソです。
 そこで今回は、日本発祥の世界で愛されるもの、実は日本が世界一と云う意外なトピックや日本独特の興味深い文化ナドナド・・・知られざる日本の面白い部分を「日本の不思議」と題し特集したいと思います!
 「日本の常識は世界の非常識」と云う言葉がある様に、日本では当たり前と思われて居ることでも、ひとたび海外に出てしまえば「全然当たり前では無かったんだ!」と気付くことがあります。世界50か国以上を旅し、現在はドイツで暮らす筆者が気付いた「日本の常識は世界の非常識」をご紹介します。




 その1「お客様」はスタッフよりも立場が上


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 日本ではホテルやレストラン、ショップ等の客は「お客様」と呼ばれ、大切に扱われます。その日本独自の価値観は「お客様は神様です」と云う言葉に端的に表れていると言って好いでしょう。
 そんな背景から、日本では「お客様」はそこで働くスタッフよりも立場が上で、丁重に扱われて当然と云う意識があります。しかし、この考えは海外では殆ど通用し無い処か「売って挙げている」と言わんばかりの態度を取られることさえあります。
 筆者が暮らすドイツでは「スタッフと客はあくまでも対等」と云う考え方で、お店に入る時は客側から挨拶をするのが普通。日本の様に、スタッフに挨拶をされても返事をしないなんて以(もっ)ての外です。



〈そうかな?・・・でも、お店ってお客さんに来て貰ってナンボのものでしょう?「好くおいで下さいました、ありがとう・・・」と、自然に心から出て来るものだと思う。有難いのは店のオナーだけで無くそこで働く人にとっても同じ。
 外資系だと思うが、東京ディズニーランドなんかの接客は日本以上だ、心から楽しく接客するもの(その様に感じるだけ?)。嫌々な笑顔よりは普通に接して呉れた方が有難い時もあるけど・・・俺と客は同等なのだから無視してヤレ・・・何て喧嘩しに来た訳じゃ無いのだから互いに簡単な挨拶か会釈は最低のマナーだよね。そこを訪れ気持ち好く過ごしたいもの〉




 その2 自分に非が無くても組織を代表して謝る

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 日本では、ホテルやレストランにお店等で何か不手際があれば、スタッフはそれが自分の責任かどうかに関わらず、組織を代表して謝罪したり対応に当たったりするのが当たり前と思われています。処が、海外ではそうで無いことが多々あります。
 その不手際が応対したスタッフ個人の責任で無い場合「それは残念でしたね」で済まされることが少なくありませんし、解決する必要があるトラブルが残っている場合は、本来その責任を負うべき人が対処するのが普通。「私達が何とかします」では無く「同僚が対応します」と自分の責任では無いことを示されることが好くあります。



 〈これは納得しますが・・・しかし、何となく引っ掛かるなア。好くあるTVでの企業の謝罪会見で〈担当者が悪いのに、何故社長の俺が謝罪して頭を下げるんだ!〉と不満ミエミエな会見を見ると非常に見苦しいものです。部下の失敗を謝罪し庇(かば)え無い様な責任者は、それこそ経営者としても人間としても失格です。
 その為の栄(は)えある責任者に為ったのですから、そんな責任ある自分の立場を認識た上で、指導・監督が悪かったのだと素直に反省し謝罪し、再発防止を約束したら好いのです。演技が下手過ぎるのか責任者としての自覚が根ッから無いのですネ。

 ソモソモお客さんに対する担当者とは、その店(企業)が決めた内輪の話であり、お客様に対しては店(企業)を代表して対応するのが当たり前(例え新入りの従業員であっても)その自覚が欲しい。だから「自分は担当が違う」と逃げるのは可笑しいのです。アンタ達の事情を客に持って来るな!と言いたい。
 例えば飲食店でのクレームは、第一にフロアー担当者が対応すべきで、その為のフロアーマン(ウーマン)なのです。腐ってるとかメニューと違うものが出たとかでその人が説明出来なければ、その時こそ、その原因の担当者と話し合って対処すべきです。あくまでも客にはフロアーマンが窓口と為りますよ。
 それでも解決出来なければ、次はフロアーの責任者店の責任者と、店としての責任ある客への対応と為るでしょうね。これは世界共通の客商売では?

 ガンコオヤジのコ汚い店、不愛想な接客で油がベトベトした様な不潔な印象・・・こんな店のラーメンが特別に旨いと行列の出来る店なので、その評判でTVの取材も多い・・・と何時までも踏ん反り返っていると痛い目に遭う。そんなに客は甘くは無い。そんな嫌な思いまでして誰が食いに行くか・・・何時かはシッペ返しが来るのがオチ。
 評判を宛(あて)にし長い時間並んで待って頂いた客に、心の中では涙を流して《こんな汚い店にワザワザ・・・・ありがとう》と感謝の気持ちで接しなくては為りません。その気持ちが、より美味しく客が満足できるラーメンへと為るのです。全てがお客様への感謝の心が無くては出来るものでは無いのです〉



  




 その3 飲食店で無料の水とおしぼりが出て来る  


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 無料の水とおしぼり、これは日本の外食文化の最も素晴らしい部分のひとつではないでしょうか。日本では、レストランやカフェに入ると無料の水やおしぼりが出て来ますが、世界的に見ればそんな国は殆どありません。
 オーストリアのカフェの様に無料で水を出して呉れる所も無い訳ではありませんが、それはレアケース。水は有料で注文するのが世界の常識です。レストランではワイン等他の飲み物を注文すれば無料で水道水を出して呉れるお店もありますが、それも頼めば貰えるかも知れないと云う程度。頼んでいないのに気を利かせて持って来て呉れる様な事は殆どありません。
 おしぼりに至っては、日本以外で出されることはホボ無く、筆者の経験では日本人のツアー客が好く利用するタイのレストランで出て来た事がある位です。



 〈確かに、飲みたくも無いのに水を黙ってサービスで出されても嬉しくもありません。ビールを頼んで水と一緒に出されても邪魔なだけ。しかし、おしぼりは食事する前の手を清潔にする目的もあります。それなら洗面所に行って手を洗えよと云うことでしょうが、食べ終わった時に口や手の汚れを落としたいものですからとても重宝(ちょうほう)するのも事実。イチイチ洗面所へ行く手間が省けますし、自分の持ってるハンカチを汚すのも何だしね。
 日本のおしぼり文化を、外国の人はどの様に感じて居るのでしょう?要ら無いし不潔なものとでも思っているのでしょうか?

 日本では、おしぼりを出されると先ずは顔を拭(ぬぐ)い汗を拭きとり、次は裏返すかして、徐(おもむろに)に手の汚れを丁寧に拭(ぬぐ)うのが普通です。おしぼりで顔を拭うと《オヤジだ!》《礼儀知らずだ!》と宣(のたま)う人も居る様だけど気にすることはありません。
 おしぼりは通常、工場で清潔にクリーニングされ、残った汚れや破(やぶ)けをチェックし店に運ばれて来るのでとても清潔なのです。この日本の文化は大変にお勧めなのです。顔と手の為に二つ位出す店が多く為ると好いよね〉



  




 その4 国民がホボ同じ民族で、ホボ同じ言語を話す      

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 「何を今さら」と思われるかも知れませんが、日本の様に国民の殆どが同じ民族で、同じ言語を話すと云う国は世界的に見れば少数派です。アジアを見ても中国やインド、マレーシアを初め、多民族国家だらけですし、ヨーロッパでは移民を多数受け入れた結果、多民族国家に為っている国が少なくありません。
 例えば移民大国であるイギリスやドイツ等では、一見しただけではその人が「イギリス人」或は「ドイツ人」なのかが判りません。外見がアジア系やアフリカ系で明らかにヨーロッパにルーツを持た無いであろうと思われても、実は移民の子孫でそこで生まれ育った「イギリス人」や「ドイツ人」かも知れないからです。
 日本では見た目や言葉が違う人が居れば即座に「外国人」と判断されますが、世界的に見ればそう単純には行かない国が多いのです。



 〈ご指摘の様に、同じ民族・同じ言葉が当たり前なので、偶に耳にする《方言》を私達は奇異に感じてしまい、時には理解出来ず時には笑ってしまう傾向が強いと思います。

 私達東日本の人間が大阪に行くと、普通の会話なのに、まるで漫才を見ている様に受け取ってしまいます。二人のやり取りを傍(はた)から聞いていると〈会話で何時も笑いを取ら無くては為ら無く、心底疲れるだろうな?〉と気の毒に思ったりします。
 しかし、彼等はそれが生まれながらの常識であり日常の会話ですから、その様に心配して聞くと《全然疲れない!》と宣言します。《あアーァ、大阪に住まないで好かった・・・》と胸を撫で下ろすのですが、逆に東北などに行くと、全く理解出来ず《何処の国に来てしまったのか?》と途方に暮れたりしますが、可愛らしい娘が《オレ》等と云うと《素朴で可愛い!》と胸がキューッと為りますよね?


  




 私の妻は11歳下の島根県の松江の生まれです。ここも地域によっては物凄く方言がキツイ。松本清張の「砂の器」の映画に出て来た様に、出雲弁は《酷(ひど)いズーズー弁》なのです。《ダンダン(ありがとう)》なんて言葉は、知る人も少ないでしょうネ。
 妻は今は殆ど使いませんが、偶(たま)に松江に帰ったり故郷との電話の時は、方言丸出しで嬉しそうに活き活きと話します。対面して私に話し掛けられると妻が通訳しますので何とか為りますが、ご老人で訛(なま)りの強い人との会話は成立しません。
 これは、青森や秋田の人も同じ。仙台弁は今でも到頭覚えられませんで、車を運転することを何故か《引っ張る》と云うのです。馬で畑を耕す時に馬を畑へ連れて行く・・・引っ張って行く・・・から来ていそうです。

 最近は、大阪弁(関西弁)が日常的にTVに出て来ますが《本当に疲れる》思いで直ぐにチャンネルを変えます。妻は、明石家さんま師匠が出て来ると《うるさい!消して!》と叫びますので、お蔭で彼の番組は観られません。この言葉は決して日本語の標準には為ら無いだろうと思います。ドギツク・汚く・直截的(ちょくさいてき)で優しさが全く感じられ無い。
 関西弁は柔らかい・・・と言われますが、イントネーションが強く女性的な響きがするからで、本場の関西弁(河内弁など)は聞くに堪え無い荒い言葉なのです。楠正成(くすのきまさしげ)が河内弁で天皇に忠誠を語ったかと思うと現実味がナカナカ感じられ無いものです。
 その点東北弁は〈優しさと可愛らしさ〉が感じられるのは何故でしょう?会津若松弁の丁寧な言葉は、理解出来ずとも雅(みやび)やかで優しい思いやりの心が素直に伝わって来ます。大阪に12年は住んで居たのですが「おおきに」位しか使えませんでした。私は、言語の才能が無い様です・・・〉



  




 その5 色白の女性は美しい

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 「色の白いは七難隠す」と云う表現がある様に、日本では昔から「色白」は美人の代名詞の様に言われて来ました。デパートやドラッグストアに行けば、美白効果をうたう化粧品が溢れ、いかに日本の女性が「美白」に執念を燃やしているかが判ります。
 しかし、実際に白人が多いヨーロッパでは「色白」は敬遠されることがあります。夏にはコンガリと日焼けした小麦肌が憧れの的で、夏の間も白い肌を保っている人は「不健康で夏をエンジョイしていない可哀想な人」と思われてしまうことすらあります。
 そんなこともあって、ヨーロッパでは美白化粧品を見かけることは余り無く、それ処か日焼けサロンで肌を焼く女性も珍しくありません。
 筆者が見て来た限り美白信仰が強いのは、韓国・タイ・インドネシア・インド等アジア諸国が中心。近年はアフリカでも美白ブームが起こっているとか。元々色白の人は小麦肌に憧れ、そうで無い人は美白に憧れる。人間は無いもの強請(ねだ)りをする生き物なのだと云うことが分かりますね。



 〈私も色白の美人に憧れてしまいます。例え目鼻立ちが整って無くとも、色白の繊細(せんさい)な肌に接すると〇○〇〇の欲求が高まりますし、加えて豊満な姿態であればなおのことです。確かに美人とは顔の造作やバランスで決めるのでしょうが、顔以外の雰囲気であったり身のこなしに声・・・色々な要素から導き出せる、その人の持つ個性であったり人間性の話だと思います。愛嬌のある優しい色白・豊満な女性なら押しなべて美人に見えてしまうのがオヤジなのです・・・〉

  




 その6 「小顔」は誉め言葉?


   3-12-6.jpg 小顔美人?



 日本では「小顔だね」は、一般に誉め言葉として認識されていて、言われた人は「そんなこと無いよ」と謙遜する場面が好くあります。しかし、外国人に誉め言葉の積りで「顔が小さいですね」と言っても、誉め言葉だと認識され無いばかりか、その発言の意図が理解出来ずに不審に思われたり、下手をすれば「私の脳味噌が少ないみたいじゃない!」と不快にさせてしまったりする恐れすらあります。
 特にヨーロッパでは他人の身体的特徴を指摘することに慎重な人が多く、安易に身体的特徴を持ち出すことは差別的と受け止められかね無いので注意が必要です。



 〈フンふん・・・女性に身体的な話をするのはダメなのですね?私だって女性から《不細工・チンチクリン・役立たずのフノー・・・》等貶(けな)されたらショックで寝込んでしまいます。かと言って見え見えのオセジはもっと嫌《男前では無いけど背も高過ぎず、ビンビンのヤリチン!》と褒められて?も嬉しくも何ともありませんしね。
 持って生まれた自分だけの責任で無いものを、シツコク指摘されても《ジャアどうしたら好いのよ!》と開き直られるのがオチです。人間何処か褒める処はある筈、そこを上手く見つけ出すのも才能です。目がアチコチ向いてて色っぽいよ!(ヤブニラミが癖な乙女に)、女らしい母性を感じるな!(小太りな娘に)、ファンキーな感じで好いよ!(典型的なブスの娘へ)、又直ぐに会いたく為るよ!(身体だけが魅力的な娘)・・・探せば何処かに何かはあるのです〉




 その7 野菜や果物は一個売りかパック売り


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 日本のスーパーマーケットでは、野菜や果物は通常1個単位かパック単位の値段が表示されて居ます。処が、海外ではキロ売りが主流。食材によっては1個単位或は1パック単位で売られているものもありますが、基本的には欲しいだけ袋に入れて、重さに応じて値段が決まります。
 パック売りだと、自分が欲しい量よりも多かったり少なかったりして困ることがありますが、キロ売りなら自分の好きなだけ買えるので合理的。キロ単位の値段表示とは言え、勿論1キロに満た無くても購入出来ます。
 日本では世界でも稀に見る便利な国でありながら、何故世界的には多数派の合理的なキロ売りを採用していないのか不思議です。




 その8 ホテルの料金は一人当たりで提示される

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 海外のホテルを個人で予約すると気付くのがこれ。日本ではホテルの宿泊費は一人当たりの料金が設定されていますが、世界の多くの国では部屋単位での料金設定が基本です。
 日本の場合、一部屋を2人で利用すると、シングルルームの2倍よりも多少割安に為る程度の料金設定をしているホテルが多く、1名での宿泊料金と2名での宿泊料金は大きく異なります。
 しかし、部屋単位で料金が設定されていることが多い海外では、1人で泊まっても2人で泊まっても料金は大差無いか同額と云う事が多く、海外のホテルに1人で泊まると少々損した様な気分に為ることも。一方、2人で一部屋をシェアすれば、日本より随分割安に感じられることもあります。


 〈部屋を貸し出す方にしたら部屋単位で料金を取りたいけど、ルームサービス係だとしたら二人分の負担が掛かる。どうせ、儲かる方で遣ってるのでしょうが、小父さんは何れにしても安い方がええわな。法律で決まってないの?〉


 その9 全国津々浦々に観光名所がある



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 日本は47都道府県の何処に行っても津々浦々に観光名所があります。日本人は意外と気づいていませんが、日本は実は膨大な観光資源を秘めている国なのです。
 イタリアやスペイン等、世界でも有数の観光大国なら、日本と同様に国じゅうが観光地と言っても過言では無い国がありますが、世界的に見ればそれは驚くべきこと。
 筆者がそれを実感したのは中央アジアの国のウズベキスタンに行った時のことです。ウズベキスタンにはサマルカンドを初め素晴らしい観光地がありますが、車で走ると何時間もの間都市と都市の間に殆ど何も無い荒涼とした大地が広がっている場所があります。
 ウズベキスタンに限らず、殆ど街らしい街が無い土地が延々と続いている地域がある国は珍しく無く、47と云う比較的細かい単位でもアチコチに観光名所がある日本の様な国は少数派であると言えるでしょう。/span>


 〈全国津々浦々が観光地・・・観光立国日本ならのお話です。過疎地や無人部落が拡がる地方の街でも何処かに何かがあります。


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 地方の寂(さび)れた街の廃墟(はいきょ)に為った外科病院の跡(あと)・・・夜な夜な恐ろしい悲鳴とピアノが鳴り続ける・・・この噂が評判に為り近隣の都市や東京からでも客は絶え無い。そのうち周りに駐車場が出来、夜店も何軒か出る様に。実際、幽霊風のものを見た人も何人も居るのです。
 町役場では専任の担当者を任命し新たな客寄せを企画します。何せこの町に観光企画課が出来たのですから、町内の物知りに集まって貰い会議すること3か月。隣に「大人の博物館」を作ることにした。これも廃校になった小学校の跡です。そして次に、町営のラブホテル風の宿泊施設が中学校の廃墟に建ちました。
 男女カップルが殆どの客達は、怖さに震えてから大人の博物館で色っぽい刺激を受け、それは好いことだと薫陶(くんとう)を受け実行しようとホテルに宿泊。担当者は観光企画課の係長から課長に昇進してしまった。


  3-12-5.jpg 「次はこれだ!」


 この様な人の流れを作り出せたらもう成功です。国道の外れに道の駅を建て、名産や名物を販売し食事して貰いお帰り願う。ここも廃校になった高校の跡地です。この様に何百人かの雇用も増えて事業税や所得税も増収し、町長は連続当選の左団扇(ひだりうちわ)。それは足ったひとつ、病院の廃墟から出る恐ろしい悲鳴と鳴り止まぬピアノの音が発端(ほったん)でした。
 この悲鳴は病院跡地の裏に建つアパートに住む夫婦の、終始喧嘩の絶え無いヒステリーな奥さんが上げる悲鳴であり、時には仲直りした夫婦の醸(かも)し出す音色でした。ピアノの音は、奥さんが腹いせに鳴らす壊れたカセットデッキのピアノ協奏曲なのです・・・何が当たるか判ったもんじゃ無い、意図的で無いのが救いです。この課長は、隣町へと通ずる古いトンネルに何かの仕掛けをしようと日夜考えています・・・〉



  その10 あらゆる町にご当地グルメや名物がある


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 全国津々浦々に観光名所があると思えば、あらゆる町にご当地グルメや名物があるのが日本。勿論海外にもその地域にしか無いご当地グルメや名物がありますが、日本程に細分化された単位で存在している訳では無いことが殆どです。
 例えば筆者の暮らすドイツでは、ビールを除きご当地グルメと言えば州の名物であったり、ミュンヘンやケルンと言った大都市の名物であることが多く、ご当地グルメのある小さな町はそれ程多くありません。
 日本にこれだけご当地グルメや名物が発達したのは、元々郷土色豊かで様々な地場の食材があったことに加え、日本人が食に拘(こだわ)る国民であること、更に日本ならではのお土産需要に応える為、各自治体が様々な名物の開発に努力して来たからなのでしょう。 


 〈日本は、どの地方のどんなものでも地方の名物と称して自慢し宣伝する。農作業のシーズンで多忙の為に手を抜いた家庭料理が、これは珍しいと名物に為ったり。古くなり固くなった饅頭の始末に困り、仕方なく油で揚げたものを名物だと出したのは福島は会津若松のお店。これは妙に家庭的な味が出て「舌に残る味」と評判の揚げ饅頭(まんじゅう)に。
 小さなお重にソバと具を数種類入れて積み重ねて出すのが割り子ソバ・・・出雲ソバ自体が美味しいので松江に行くと必ず食べる。具の違いでソバの味が変化し飽き無いのです。この具は、ほうれん草のお浸しであったり刻んだネギであったり、タコだったり数の子だったりイクラだったり、ナマス(紅白の人参と大根を千切にして酢で和えたもの)だったり何でも好いのです。具によってソバの味が微妙に変化します。ヒットさせて儲けてやろうとの下心では成功しない、偶然の産物が人を喜ばすのですナ・・・〉

   

 海外に出ると、その国や地域のことを知るだけで無く、日本に居る時は当たり前だと思っていたことが日本ならではの特性だったと気付くことがあります。外国を知ることは、実は自国を知ることにも繋がるのですね。



  筆者 春奈 Haruna ライター

 和歌山出身。東京での会社員時代に、旅先でドイツ人夫と出会う。5か月間のアジア横断旅行の後ドイツに移住し、ライターに転身。約2年半のドイツ生活を経て、現在は日本在住。「歴史地区」や「旧市街」と名の付く場所に目が無く、古い町を歩き尽くすのが大好き。世界のリアルな「ワクワク」を多くの人に伝えたい。


 blog:http://harubobo.com


  





 【管理人のひとこと】


 勝手に引用させて頂きました。ありがとうございます。矢張り、この様な身近で具体的な指摘は、女性らしい心配りと優しさに溢れたレポートだと感心し敬意を表します。
 この様な指摘は、具体的な海外旅行の際には無くてはなら無い知識であり気を付けるべきものだと存じます。飲食店に入り「アレ?おしぼり無いの?」「お水は出ないの?」と聞か無いで好かった!恥かか無いで好かった!と皆さんが感じることでしょう。
 


 



 



 

 


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