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2019年02月13日

「日本が失敗するパターン」とは? 歴史家・磯田道史さんと近現代史をひも解く  



  




 「日本が失敗するパターン」とは?
 

 歴史家・磯田道史さんと近現代史をひも解く



 聞き手 吉川慧氏


 太平洋戦争の終結から70年以上を迎えた。しかしながら、私達日本人は未だに、アノ戦争と向き合うことに苦労している。
 戦前、日本は太平洋戦争に至る迄の間に多くの過ちを犯した。そして、破滅の道を回避する選択肢をミスミス逃し、多くの尊い命が犠牲と為った。同じ失敗を繰り返さ無い為に、私達は何を「反省」すべきなのか。

 一方で、近代史に目をやれば、日本は幕末〜明治期に列強諸国の圧力がある中で、国家の独立を維持しつつ、開化期を迎える事が出来た。この時代の「成功」を知ることは、グローバル化が進んだ今の時代、日本の強みを知る上で役に立つかも知れ無い。
 「反省」と「成功」どちらから学ぶにしても、「左だ」「右だ」とレッテルを張るのを避け「歴史に対して真摯に向き合わ無いといけない」と、歴史学者の磯田道史さん(国際日本文化研究センター准教授)は語る。私達はこれからアノ戦争とどう向き合い、どうやって前に進めば良いのだろうか。その為の「歴史を学ぶ作法」を磯田さんに聞いた。



       2-14-1.jpg

               磯田道史さん


  




 「日本を良くしよう」と考えるなら、バランスの採れた歴史的な検証が必要


 ・・・戦後の体制が変わりつつある中で、これ迄の歴史をどう振り返れば好いのでしょうか?


 今年(2017年の8月15日)で戦争から72年が経ちます。終戦が1945年ですから72年が経つ訳ですよね。終戦時に8歳だった人がもう80歳に為ると云う事です。終戦時に徴兵検査を受けていた人は92歳に為る。もう一線は退いていますよね。成人した人でアノ戦争を体験した人は日本から少しずつ少なく為って居る状況です。
 戦後の世界は米ソと云う2つの争いの冷戦構造があった。戦後、昭和の日本はアメリカの傘の下に入りました。冷戦下では、勿論ソビエトや中国の核に日本は脅威を感じて居ましたね。冷戦が終わり、暫く、日本から核脅威が遠のいていたが、平成も四半世紀が経った2017年に為って、今度は北朝鮮のミサイルの問題が深刻化して来た。
 アメリカと北朝鮮が衝突した場合、北が発射して来るかも知れ無いミサイルを、日本が必ず迎撃出来るかと云う事に、ここ数年で疑問符がついて来た。



 ・・・非常に不安定な世界情勢の中、日本は今後の将来像を描か無いといけないですか?


 そうです。アメリカの傘の下にあった日本の防衛にも穴が開いて来た。アメリカは北朝鮮を「実際に核を発射する可能性がある」と云う風に見ています。それなのに、それを確実に撃ち落とせるか判ら無い。更に、アメリカのトランプ大統領は、世界のお世話をするよりは「アメリカが第一だ」と云う事を掲げて当選した。世界の警察官の座から降りて居る訳です。
 作家で元東京都知事の猪瀬直樹さんが面白いことを言っていました。「戦後の日本と云うのはディズニーランドに近い」と。これ迄の日本は、或る種フィクションの「夢の国」の中で非常に楽しく暮らして来た訳です。周囲はアメリカに守って貰ってね。
 でも、日本の防衛に穴が開き、アメリカも自分達の国のことだけを考える様に為った。2017年、日本は歴史から学びつつ、これからどう世界で生きていかないといけないかと、自分で考え無くては為らない時代に入りました。



  



   
 「2017年、日本は自分で考えなくてはならない時代に入った」


 ・・・先ずは歴史から学ぶことが大事なのでしょうか?


 そうですね。「これからの日本を良くしよう」と考えると、日本と云う国の歴史的な検証が必要です。只、検証すると、日本は何時も成功して来た訳では無いので、失敗した事例も検証せざるを得ない。
 私は日本の良い面も沢山知っています。只、上手く行かなかったこともキチンと言います。しかしながら、失敗の検証をすると「自虐史観」「反日」と言う人もい無くは無い。一方、日本を褒めると「右翼」「歴史修正主義」と云う人も居無くは無い。

 日本は島国なので、自国に耳障りの好い事だけで話を進めてしまう部分がありますね。それで「ドツボ」にハマり、本当に失敗しちゃう例と云うのは過去に好くありました。必要以上に日本を悪く云う必要は無い。けれど、日本が明らかに後世から見て失敗したことは、キチンと検証して、次はし無い様にすると云う事が肝心です。
 一方で、日本が非常に上手く行った事例をもう1回見て、どうして上手く行ったのかも将来の参考にする。島国なので他国には無い良いものが、育ち、維持されて来た面もある。自国の良い点を普通に評価することが出来ない様でもいけない。この両方をバランス良くやると云う事が非常に重要だと思います。




 





「明治十四年の政変」「統帥権」 病魔の元は、明治時代に植え付けられて居た
   

 ・・・作家の司馬遼太郎さんは、「日比谷焼打事件」を「魔の季節への出発点」と捉えています。日露戦争はポーツマス条約(1905年)で講和が成立しますが、ロシアから賠償金が取れ無かった事を不服に思った大衆が暴動を起こした事件です。

 大体の場合、日本が失敗するパターンと云うのは、感情的に皆で同調して盛り上がる時です。皆が「感情の渦」に乗っかってしまう。日比谷焼打事件を冷静に振り返れば、日露戦争はもうギリギリの戦いだった為、例え日本が「勝った」にせよ、客観的に見てロシアからお金を取れる様な状況に無かった。だけど、国民は判ら無い訳ですね。
 当時の新聞も「講和条約を破棄せよ」「戦争を継続せよ」と煽り、ロシアに勝ったのだから、日本が賠償金貰うべきだと主張しました。日本は島国なので、屡々(しばしば)対外的に勢いの強い論調が大衆の感情論になって、責任ある外交を脅かす場合があります。



 ・・・磯田さんは日比谷焼打事件の前の「明治十四年の政変」こそ、病魔の元と為る菌が植え付けられたと指摘されました。自由民権運動の流れの中、イギリス型の議院内閣制を重んじる憲法制定を急いだ大隈重信等を、伊藤博文等が追放した事件です。

 「明治十四年の政変」等に見られたのは、「部分利益」「部分最適」を追求した事でした。これは怖い。明治維新も、最初はもう一寸理想があった筈なのに、やっている内に薩摩・長州の人達が既得権益と為り、自分達の部分利益を達成しようとし始めます。藩閥政府を固めて自分達が華族に為った。    

 明治維新の中心人物、革命のオーナー的な人達が生きて居て、軍の「統帥権」をチャンと治めて居る内は大丈夫でした。だけど、次の世代に為って行くと、自由民権運動などの「下からの突き上げ」に対して、時の政府は自分達で国家の方向性を持って行こうとした。そこでドイツ・プロイセンに国の仕組みを学んだ。学び過ぎたと言って好い。強めに作った「統帥権」の仕組みの弊害が後で後遺症として出て来る訳です。
 陸軍を抑えるだけの人的な支配がある分には大丈夫だった。明治維新の中心人物達は、外交と軍事の両方をバランス好く熟(こな)した。処が、最後の元老である西園寺公望が死ぬ段になって来ると・・・無理筋の戦=日米開戦です。

 明治天皇が生きている時だったら人治でビシっと抑えられたでしょう。けれど、昭和天皇は人治より法治の立憲君主を目指して居ましたから、下から法と手続きに基づいて言って来たことは基本的には追認する法治主義の天皇陛下だった訳です。
 法治の官僚主義に為ると、セクショナリズムの弊害が出ます。陸軍は陸軍のことだけ、海軍は海軍のことだけ、外交は外交のことだけを担う・・・と為って来る訳です。全体をゼネラリストとして統括する人が居なかった。そう為ると、国家全体を考えるより個別の省や軍の利益を求める方に向かい易い。
    


 ・・・専門エリアを熟知した「スペシャリスト」が居ると云う事は良い事の様にも見えますが。


 エエ、素晴らしいスペシャリストが居るのは日本の強みです。これが上手く統御されている時は好い。日本の勝ちパターンです。処が、スペシャリストを統御する良きゼネラリストを欠くと、日本は負けパターンに入ります。明治時代は、専門だけのことを遣って居られる状況ではありませんでした(笑)。

 私は『武士の家計簿』で加賀藩の下級藩士で御算用者(会計係)を務めた猪山成之について書きました。彼は戊辰戦争の中、壊れた軍艦の修理を、応急ドックを作ってこなした。ソロバン侍が、何故応急で軍艦のドックを作って軍艦の修理をやらざるを得無かったのかと云うと、未だ初期の荒削りな国家の場合はスペシャリストの職員も含め、皆がゼネラリストに為らざるを得ない訳です。
 しかし、ある程度国家の平和が続いて整って来ると、制度が出来上がって居るので、自分の所属する小さな部署や組織のことを考える様に為る。

 この点では、我々も平和な時代が72年間続く一方で、経済成長率が落ちてイノベーションが起き難く、社会全体に停滞感がある事と似ているかも知れません。ナカナカ「時代を突き破る」様なことが出来無いでしょう。


 
  




 「自学自習」に熱意を持った時、日本人は発展して来た


 ・・・明治は「ベンチャー企業型」今の日本は「大企業型」なのでしょうか?


 まさにベンチャー企業と大企業なんです。大きく為って老朽化して来ると、その企業の中で出来上がったルールの中で大人しく暮らす人が出世し易く為る訳です。霞が関だって、終戦直後は廊下で七輪つかってサンマを焼いてました。でも、そう云う荒削りな時代は元気が好いんです。皆が色んな発想をする。

 今は大企業型に為って居ますが、それでもなお、私は日本人が好きです。日本人が発展する時に見られる特徴は、皆が真面目で自分で自分を教育すること。自学自習に対して熱意を持った瞬間ですね。
 特に江戸の幕末から明治への勢いって云うのは大したものです。知識を外に広く求める時もそうですね。外国の知識や、一見すると自分の専門で無い様なことに対し興味を持って勉強し始める、と云う動きは幕末から明治の日本人は凄かった。    

 それと日本人は、自分勝手な事は余り好きでは無い人間ですね。日本と云うのは、本気で公益を考え始めた時、これは立派なものです。日本人は部署の利益は考えるんですけど、最終的には余り金銭を目的にしない傾向が世界的にあると思うんです。お金目的でやったとは思え無い歴史的発展が一杯あるでしょう。
 実業家の渋沢栄一を初め、明治期に多くの産業を作った人達と云うのは日本社会なり国家なりの公益を考えていました。今の東芝の元を作った「からくり儀右衛門(田中久重)」にしたって、自分の利益のことだけを考えていたとは到底思えません。 

 日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を破った参謀・秋山真之だって、アレだけ頭が好いなら商人に為ったら大金持ちに為ったと思います。だけど、そうはしない訳です。
 夏目漱石にしても、朝早く熊本五高に行って、正規の授業の前に勉強したい学生達を集めて勉強を教える訳です。あの時代は「先生」と言われる人達が立派でした。日本に、本当に公のことを考えられるエリート集団が居たと云う事が、日本が発展した時期の1つの特徴だと思います。
 又、日本と云うのは、エリートの凄さよりも一般の人のレベルが高かったと云う事が底力の背景にあると思います。こうした強みに気づけば、もう一度「ベンチャー型」に戻れる筈です。



 ・・・市井の人々が立派だったと云う事ですね?


 江戸時代の末期、ロシアから遣って機て、松前藩に一時捕まっていたロシア人が居た。牢番の足軽がお茶碗をヒックリ返して「貴方は此処から来て、今この辺に居る」と、サンクトペテルブルクと松前の位置を指差した。
 社会的地位が高く無い人でも、世界地図が頭の中に入って居る事にロシア人は驚く訳ですよ。「将来この国の民は、ヒョッとしてロシア海軍を遣っ付けちゃうんじゃないか」と。事実そうなった訳です。

 一般人の日本人の知識欲や好奇心の強さ、これは世界に冠たるレベルだと思います。礼儀正しいし知識欲もあるし努力家です。周りが見て居様が見て居まいが好くルールを守ります。リーダーはこう言ったものを、国民の生活が良く成る風に確りと向けられる様に誘導して行かないといけないですね。
 だけど真面目なので、或る制度が出来てしまうとその中でだけ真面目に遣る様に為って、新しい発展の方向へ向かわ無くなる場合がある。江戸時代の終わり頃もそうでした。何とか制度のしがらみの紐を解いて挙げて、日本人が本来持っている一般の人の民度の強さとか、好奇心の高さ、学習意欲の強さ、勤勉さと云う様なものを上手く活かして行ける様にした方が好いだろうと思います。



  




 江戸時代から持ち越して来た「しがらみ」が残っている


 ・・・市井の人々の良さをどう伸ばせば好いのでしょうか?


 端的に云うと、日本人と云うのは、持ち場を与えられて、その範囲で努力することは非常に得意な人達です。
 例えば、僕がスーパーで働いているとして「もっと頑張れ」って言われたらスーパーの床掃除を2倍するとかは平気で遣ります。或いは「品物のチェックを2倍やれ」って言われたら直ぐやる。しかしその努力が、お客さんが入って来る数に還元され無いと利益には繋がら無いですよね。好く働くけれど、それが収益や結果に繋がる方向へ向けられて居ないと、労働生産性は低く為る。
 そこで「何故労働生産性が低くなるのか?」を、確り考えないといけない。そうじゃ無いと、日本の発展は無い様に思うんです。

 江戸時代から、日本人は一つの組織に対してひたすら忠誠を尽くすと云う事が美徳とされて数百年来ている。このネットの社会に、兼業や副業をしたり自ら起業したりして、GDPを膨らませると云う様な事は余り得意では無い訳です。
 例えば、銀行員が何か凄い才能を他に持っていて、ネットのお店で2500万の収入を上げて居る事が職場にバレたら、先ず銀行の中での立場は拙く為るでしょう。副業で儲けることは日本のGDPを膨らませる貢献をしている。けれど、そう云う人を良いとする考えがマダマダ少ない。江戸時代から持ち越して来た成長を妨げている発想が未だあるのでしょうね。

 日本人は本来もっと幸せに為れるのに、これ迄日本を良くする為に働いて来た仕組みの中で、足を引っ張ったり、しがらみに為ったりしているものを早く見つけることが必要じゃないでしょうか。これは経営者だとか先生だとかリーダーとされる人が早く処方箋を書いて、しがらみを解いて挙げる。それが過去の歴史が示す処です。
 日本人の市井の人の民度は高いですが、自分達が囚(とら)われているしがらみを指摘し、引っ張って行くのは、ヤッパリ少数のエリートやリーダーです。明治維新の時もそうでした。「これからは火縄銃の時代じゃ無いよ」「西洋列強と云う国々はこう云う事を考えている」と気付いて確りと国の方向を持って行ったのは、少数のエリート達でした。

     

 ・・・とは言え、人口が減り続け経済も大きく成長出来ると云う期待は少ない。社会全体で自信を失っている面もあります。


 いきなり全部は変えられ無いので、小さな成功事例を作ることが第一歩です。例えば、新しい新規事業なんかをやる場合、本社そのものが大改革をして変わる場合って云うのは少ない。寧(むし)ろ子会社みたいなものを横に1個作ってみて、そこでこれ迄遣ったことが無い様な新しい試みをやって、そこが大成功すると真似するんですよ。

 江戸幕府もそうでした。幕末に武士組織が火縄銃の軍隊から海軍を作り西洋式の歩兵も作った。その場合、依然として火縄銃隊も槍隊も弓隊もあったけど、その「母屋」の横に「はなれ」のように、徴集した農民で西洋型の最新式歩兵を作ってみる訳ですよ。
 そして、母屋(旧制度)より新しく作った、はなれ(新制度)の方が好いって実証されたら、皆移って来る。このパターンなんですね。日本の成功事例でみられるのは。

 従来のスタイルの横に最新型の革新的な成功事例を作って、それを見せつけると、ヤッパリ日本人は賢いので移って来るんですよね。効率は悪いんですけれど、そう云う方法を取らざるを得無いんじゃないかな。そう云う事をドンドン言って差し上げると云うのが必要なのかなと思いますね。


 例えば、労働生産性を上げると云って、大和ハウス工業みたいに勤務時間外にパソコンが落ちるように出来る会社は凄い。こう云うのは成長率も早い。でも、全ての会社で全社的にこう云う事は出来無いでしょう。
 それなら、先ずは小さな支社とかで実験すると良い。パソコンの電源がいきなり定時に為ったら落ちる様な部署を作って、先ず遣ってみる。実験して、そうした方が実は利益が上がることを見せつける訳ですよ。もし上手く行って利益が上がる様に為ったら、それを拡大して行く。そう云う部分的な実験をしてみて、全面的に拡大する。こう云う改革方法が日本は非常に向いているような気がします。

 日本人は、真似をすることがとても得意です。上手く行った例が見つかって、一度そっちに流れ始めると、皆乗り遅れ無い様にする。
 それと、日本をもっと良くするには、未だ起きていないことに対して察知する能力である「レーダー機能」を強くしないといけない。考えたく無い事を考える事です。日本はこれが弱い。日本人に必要なのは「深く考えること」
 


 ・・・司馬遼太郎も「ノモンハン事件」(1939年)等を例に、当時の日本陸軍にあった様な「深く考え無い」と云う日本的な習慣を分析していました。


 日本人は、作られた型を自分のものにすると云う事は非常に得意です。でも、生真面目な人達なので、新しい型そのものを作るのは難しい。これはコインの表裏なんですよ。良い面と悪い面がある。真面目なので、危険な事に手を出すと云う事への躊躇が強いですよね。だけど、皆が遣り始めたらアッと云う間に出来る。良い面と悪い面、両方あります。


 ・・・深く考える為に、今の日本人が必要なことは。どうすれば「考えられる」様に為るでしょうか?


 1つは、空間を飛び越えて同種の事例が無いかどうか、参考に為る事例が無いかを見渡すことでしょう。「他所にもっと好いものが無いか」と考える空間跳躍力です。これは語学力や広い国際知識が無いと無理ですよね。
 自分がやろうとしている事例で、過去一番良いものは何かを世界中から探す能力です。これを吉田松陰は「飛耳長目」と言った。『管子』が出典です。耳を飛ばす、長い目を持つ。

 次に、因果関係を知ること。これは「歴史」ですね。「アレを遣ったら、こう為る」と云う過去の事例です。「昔にもっと好いやり方が無かったかな?」と、時間軸を飛び越す能力です。物凄く遠くまで過去の歴史を見通す目のことです。「飛耳長目」が肝腎です。
 そして3つめが、時間・空間共に起きてもいない可能性を想像する力、反実仮想力です。「もしAならば、Bと云う結果を導くにはどうするか」と考えること。これが一番重要かも知れない。この反実仮想を常に遣って居たのが薩摩藩でした。薩摩は「郷中教育(ごじゅうきょういく)」における「詮議」でこう云う事を学んでいた。

:「殿様と一緒に乗っていた船が難破した。向こうから一艘の助け船が来たが、乗っているのは自分の親の仇だった。どうするか?」「道で侮辱されたら、どうするか?」など)

 だから、薩摩は戦争に強かった。僕がもしも会社を経営するとしたら「もしもこう為ったら・・・」を考える部署を作りますね。「将来こう云う技術開発が起きたり、環境の変化が起きて、うちの会社ではこれが通用しなく為る可能性がある」と云う事を、ひたすら毎日それだけ考えさせる部署とか。
 経営に携わるような係長や課長以上には全員宿題として、例えば「お金の制約が余りないとして、新規事業を展開するとしたら、何処にお金を投資したら好いか?」とか考えて貰うのも良いでしょう。

 夢物語でも笑い話でも好いんです。取締役会なり課長会議なりで、皆で発表し合う。急に何か事業に参入すると云う事でも良いんです。いきなり「どじょうの養殖をしてはどうか」とか、笑い話のようなものでも好い訳ですよ。常に提案することが大切です。


  




 あの戦争の背景にあった「資源コンプレックス」と「ドイツの幻惑」


 ・・・磯田先生は歴史家の目で見て、太平洋戦争に至った理由をどう考えますか?


 太平洋戦争は分解すると、英・米に対する戦争とその前の日中戦争もありますよね。そして最後に参戦して来たソ連との戦争。3つの戦争の複合体である訳です。
 満州事変以後の15年間が本格的な連続戦争ですけれど、日中戦争も含めて考えるとするならば「アジア・太平洋戦争」と云う言い方をする学者さんもいらっしゃいます。戦争に至った理由の一つとして、資源コンプレックスと云うのがありますよね?



 ・・・日本は「持たざる国」だった、と?


 日本は、実は自由貿易体制で友好的な時の方が過去の歴史を見ると常に発展している。にも関わらず、島国なものだから「資源を確保する処を、軍事を使ってでも持た無いと国の発展は無い」と過剰に思い込んでしまった。これが危険だった。
 日本は海洋国家ですので「国際協調と貿易体制と云うものが日本の発展の根幹である」と云う事を見誤ってしまった。基本的な国作りの方針としては、矢張りそこに問題があったと思います。     

 それと、日本は常に世界でナンバーワンの国と組みたがる傾向があります。日英同盟(1902年)なんか特にそうですよね。もっと言えば、遣隋使あたりからそうですよね。隋・唐もそうだし、その後も、スペイン、ポルトガルが7つの海へ出た時には、そこと付き合った。
 それがオランダになり明治維新の時は英国に為った。やがてナチス・ドイツがヨーロッパを席巻した時にはそれに乗ってしまった。そう云う外交方針を執るんですよね。その時に、屡々(しばしば)飛び着く国を間違えることがある。

 維新後に越後や東北から出て来た新しい陸軍の官僚の人達は、日英同盟を結んだ旧薩長側の人達に対抗した。彼等は真新しく世界を制覇すると見たドイツに幻惑されたと云う点もあると思います。世界史には、基本潮流と云うのが何時もあります。「世界はどの様な方向に流れているか?」と云う潮流。これを見誤って軍事や外交をやってはいけない。

 これは中曽根康弘さんにインタビューをしていて教わりました。僕等が好む好まざるに関わらず、世界史がそっちの方にどうも流れて行くだろうと云う事は絶対に踏み外しちゃいけません。
 21世紀、中国やインドは大国化しますよね。人口が大きく為ると同時に経済規模も大きく為って行く。アメリカ・ロシアも依然として大国で、これとの関係は勿論重要ですが、今後は好むと好まざるとに関わらず、唐(中国)・天竺(インド)が大きく為ると云う事を前提に外交を行わないといけない。



 ・・・明治維新後、日本はドイツ(プロイセン)に学ぼうとしました。普仏(プロイセン=フランス)戦争(1870年〜71年)後、プロイセンはドイツ帝国を成立させました。君主権が強いドイツの憲法は、当時の日本の指導者達には日本に適していると考えた。


 そこまでは、陸軍大国としては誤って無かったと思います。それで植民地化を避ける処か、或る程度の強国に為った訳ですから。 


 ・・・その後、日清・日露戦争に勝利し、第一次世界大戦も日英同盟に乗っかって戦勝国となった。


 問題はその後でした。ドイツと英・米の経済規模・工業力や海軍力とを比較してみれば、とてもじゃ無いがドイツが勝てる様なもんじゃ無い訳ですよ。GDPの経済規模や科学技術の開発力を考えてみると、ドイツがそう簡単に英・米を凌駕することは無い訳です。そこをヤッパリ見誤っていたと思いますね。
 ジャアどうして見誤ったんだろうと思ったら、それは旧薩長派が居座っている英米派よりはドイツと新しく遣った方が好い・・・と云う薩長に負けた藩、或いは薩長に出遅れた地方の出身の軍人や官僚達の、薩長=英米派への反感から来る立場はあったと思いますね。これも「部分最適」と云うのでしょうか。



 ・・・司馬遼太郎も「昭和の高級軍人は、あたかもドイツ人に為ったかの様な自己中心で、独楽(コマ)の様に論理だけが旋回し、廻りに目を向けることをしなかった」と指摘して居ます。ドイツへの傾斜は、昭和の頃にも影響を与えていた。


 もう1つ重要なのは、将来予測や物量と云うものを考えずに、精神力と云うものを重視すると云う処があります。勢いの好い議論が感情的に空気が支配して抑えてしまうと云う事がしばしばあるので。冷静に数字で考えると云う事がとても大事だと云う様な教訓がありますよね。
 そう云う処でやっぱり、本来だったら英・米と組んでいる状況は外しちゃいけないのに、独・伊と組む様な外交や国内政治の方針を執ってしまった。そもそも日中戦争だって上手く行ってなかったのに、それを直視しなかった。


 
 「破滅の道」を繰り返さ無い為に、歴史から学べることは?


 ・・・日中戦争での政府の無策は、当時の衆院議員だった斎藤隆夫が国会の演説(いわゆる「反軍演説」)で指摘しました。

 「一体、支那事変(日中戦争)はどう為るのであるか?何時までこれは続くのであるか?政府は支那事変を処理すると声明しているが如何にこれを処理せんとするのであるか?

 国民は聴かんと欲して聴くことが出来ず、この議会を通じて聴くことが出来得ると期待しない者は恐らく一人も無いであろうと思う。(中略)只徒に聖戦の美名に隠れて国民的犠牲を閑却し、曰く国際主義・曰く道義外交・曰く共存共栄・曰く世界の平和・・・かくの如き雲を掴む様な文字を列べ建てて、そうして千載一遇の機会を逸し国家百年の大計を誤るようなことがありますならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない」
 (1940年2月2日 斎藤隆夫 「支那事変処理に関する質問演説」)

 そうですね。あの大国の中国と泥沼に為った状態で、人口で言ったら一番大きい国ですよ。インドよりも大きい訳です。世界最大の人口大国と泥沼の戦争をしながら、GDPで極めて大きな比重を持っている英・米と同時に開戦すると云う。そんな政治や外交は正気では無いですよ。
 だけど、日本は、そう云う失敗をしてしまった。これは理屈では無いんです。後年考えてみても、それはヤッパリ何処か可笑しい訳ですよ。

 世界最大規模の人口を持つ国と戦争して泥沼に為って、経済規模や工業力でもって世界最大規模の処と同時に戦争を遣った。更に元気に為りつつあるロシア(ソ連)との国境が危うく為っても未だ続けようとした。履いたら死ぬまで踊り続ける「赤い靴」を履いてしまったに近い。
 だから、陸軍と海軍と云う両足を、斧で切り落とす迄踊り続けました。結局、日本は陸海軍と云う両足を失った。そして戦後暫く、軍事についてタブーの国に為った。チャンと直視し無くなってしまった。

 これは日本が発展する時に機能した官僚制にも通じます。急速にキャッチアップをやったり、経済成長を進めたり、一糸乱れず成長をするには非常に素晴らしい力を発揮する。一方で、1回踊り出したら絶対に止まら無い。これが官僚制の恐ろしさです。
 官僚制度って云うのは、大きな組織だったら会社の中にもあります。国に限ったことではありません。日本人がやる官僚システムは効率好く動きますが、一回始めたら止められ無い、そう云う危険をもって居る事を予め、自覚しておかなければなりません。

 僕はこれを「日本人の経路依存性」と呼んでいます。これまで来た経路、道筋、これに依存してナカナカそこから脱却出来ないと云う性質。これは自覚した方が好いですよね。
 組織を統御する立場の人は、自分の会社で「これ迄の行きがかりで変えられず、損をしている部分は何か?」を是非研究して欲しいと思います。取締役なり専用の部署を作って、常に研究して見直す必要がある。「これまでもやってきたから」と云う理由だけでやっていることは見直したほうが良い。



 ・・・「太平洋戦争」に至った様な破滅の道を繰り返さ無い為に、僕等は歴史からなにを学べば好いのでしょうか?改めて考えを聞かせてください。


 それは矢張り、自分達が持っている制度や自分の思想を絶対視し無い事ですよね。事実に基づいて冷静に客観的に判断する。「自分はどういうものに囚われているのか」を考えることです。
 後は、自分と考えが違う者や、自分が一見腹が立つ様なものに対して寛容な気持ちを持つこと。この習慣が極めて重要ですね。その頭の柔らかさ、広い目、こだわらない心。それを養うのが僕は歴史だと思うんです。
曲がりなりにも、こんな島国でありながら長いことGDP世界第2位であり続けた国です。財布を落としても返って来る国ですから。日本は良い国です。

 日本の外の世界を見ると、そうじゃ無い人達が増えて来てますよね。日本人は比較的未だ確かな民度を持っていると思います。敗戦の時代には確かに国が偏った時もありましたが、同じ様な失敗を繰り返さ無い様にするには、未だ間に合います。
 現在、日本は周辺国に国力で追い越されつつあります。GDPのシェア、一人当たりGDPもそうですし。自然科学論文数も、中国・韓国は急増、過つてアメリカと日本は1位2位でしたが、日本はドイツ以下の4位に転落してしまいました。
 しかし、私達が、歴史と向き合い、原因を分析して改善する習慣を着ければ道は開けると思っています。

 以上



 磯田道史(いそだみちふみ)

 1970年、岡山市生まれ。2002年、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。専攻は日本近世社会経済史・歴史社会学・日本古文書学。現在、国際日本文化研究センター准教授。『武士の家計簿』『殿様の通信簿』『日本人の叡智』『龍馬史』『歴史の愉しみ方』『無私の日本人』『天災から日本史を読みなおす』など著書多数。



 【管理人のひとこと】


 磯田道史氏は、現在、テレビの歴史ものやバラエティーもので好く目にする売れっ子の歴史学者です。イデオロギーに関せず、判り易く何処かアッケラカンと解説する姿が如何にも若き歴史学者だと感心します。日本が軍閥に押されて戦争への道を選択したのは、ひとえに「天皇の統帥権」を盾にした軍部の独り善(よ)がりだった・・・には、感服します。
 弱って居ても世界の大国であった中国と戦争をしてしまう・・・その決着も着かずに、又、新たに米英に宣戦布告する・・・これには、ハッキリと「狂って居た」と云っても過言では無い。単に軍部だけで無く一般民衆も、その熱に浮かされて居たのです。
 氏は、日本中が一つに纏(まと)まって熱に浮かされたらろくなことは無いと言い切って居ます。まさにその通りでした。

 日本は、この何十年の間にその蓄えていたものを消費し尽くしたと云う状況にあります。経済は一向に回復せず、社会保障費や税金と公共料金は着実に値上げされ、賃金や年金は差し置かれたままです。この苦しい中で何故経済活動が活発に為るのだろうか?
 少子高齢化で空き家が増加し取り壊しも出来ない。ドンドン過疎化が拡がるのに、一つも効果的な政策が打てないのは何故なのでしょう?GDPの伸びも国際的にも底辺をうろついていますし、学術的な面でも遅れを取って居ます。何とか為らないものでしょうか?



  



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