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2021年05月18日

視聴率は奮わず・・・朝ドラ「おちょやん」が陥った“暗さ志向”の落とし穴



 
 視聴率は奮わず・・・朝ドラ「おちょやん」が陥った“暗さ志向”の落とし穴


  5-18-1.png 5/17(月) 11:00配信



    5-18-2.jpg

      「おちょやん」のヒロイン・杉咲花(C)朝日新聞社 5-18-2


 NHKの連続テレビ小説「おちょやん」が幕を閉じた。5月14日放送の最終回では、ヒロインが離婚した夫と共に鶴亀新喜劇の舞台に立ち喝采を浴びる。実人生と芝居を巧みに絡めて来たこの作品らしい締め括りだ。
 杉咲花が演じたヒロインのモデルは喜劇女優・浪花千栄子で、鶴亀新喜劇のモデルは松竹新喜劇。それ故、全編を通して劇中劇が好いアクセントに為って居た。又、ラスト2週は苦労続きだったヒロインが公私共に幸せに為る姿が描かれたので、安らかな満足を感じた人も多いだろう。

 重苦しく暗い展開も目立った作品の最後に、ヒロインが晴れた空を見上げ「今日もええお天気や」と呟(つぶや)く場面には、多くのファンが感動した筈である。 只、この作品、数字的には振るわ無かった。
 全115回の平均視聴率は17%台の前半。20%超えが珍しく無い朝ドラとしては物足り無い数字で「失敗作」とも云われる「純と愛」(2012年後期)と同レベルだ。 勿論、数字が全てでは無いし記録より記憶に残る傑作と云うものもある。

 実際、SNS等での反響を見る限り「純と愛」の時の様な不満の声は余り目立た無かった。 それでも矢張り、朝ドラとしてこれで大丈夫なのかと云う気持ちには為る。朝ドラ及び大河ドラマは「国民的」と云う形容もされるドラマ枠であり、或る程度の数字は維持していないと枠の存続に関わって來るからだ。  
 一昨年の大河「いだてん〜東京オリムピック噺〜」が一部で熱狂的な支持を集めながらも、ひとケタ台と云う歴史的低視聴率に終わった時がそうだった。翌年の「麒麟がくる」が数字的にも盛り返した事でホッとさせられたものだ。  

 朝ドラに付いても、2003年後期から8年半、10%台の作品が続き、不要論が囁かれた冬の時代がある。その再来を危惧してしまうのである。 ちなみに、吉本興業の創業者を描いた事で「おちょやん」と似て居たのが「わろてんか」
 笑いがテーマで大阪制作と云うのも同じだ。この作品の平均視聴率が20.1%なので「おちょやん」も工夫次第でそれ位まで行けたのではないか。

 では、どんな工夫が有効だったかと云えば・・・先ず、画面の暗さを何とかして欲しかった。全編を通して、都会の屋内でのシーンが多く、自然の美しさ、特に明るい緑が足り無かったのだ。100作記念の朝ドラ「なつぞら」でも北海道パートが人気で、東京編は今ひとつ盛り上がら無かった様に、画面の暗さが数字にも響いた気がする。 その分、物語が明るければ好いが寧ろ逆だった。

 朝ドラ史上最悪と評された父親による虐待、再会したかと思えばヤクザ者に為って居た弟による妨害、挙句は公私に渉るパートナーだった夫が若い後輩女優を孕ませた為、離婚して家を出るハメに。
 その都度、救いと為る展開も用意されて居たものの、そこに到達する迄に暗さに耐え切れず離脱した人も居るだろう。 秦基博の歌う主題歌のタイトルは「泣き笑いのエピソード」それはまさに、この作品のテーマでもあったが「泣き」「笑い」のバランスが前者に偏り勝ちだった。

 しかも、泣かせようとする気合が強過ぎて、返って泣け無かったりもしたのである。実はこの背景には、或る先行作品が影響して居る。同じく大阪制作の「カーネーション」(2011年後期)だ。熱烈なファンも生んだが、古くからの朝ドラファンには不評で、視聴率も20%には届か無かった。 その原因は矢張り画面と物語の暗さだ。

 前年の大河「龍馬伝」で注目されたプログレッシブカメラによる映画風の映像は、朝ドラにはヤヤそぐわ無いもので違和感をもたらした。又、ヒロイン達の荒っぽい言葉遣い、柄の悪いキャラクターも、朝から余り爽やかな気持ちにさせて呉れ無かった。
 ドラマとしての出来自体はマズマズだったから、夜の枠なら好かったのにと思ったものだ。 最も、今や朝ドラは朝に見るものとは限ら無いと言いたい人も居るだろう。実際、昼や夜、或いは土曜の一挙放送でとか、録画したものを好きなタイミングでと云う見方も増えて来て居る筈だ。

 それでも矢張り、朝に見る人は多い。出掛ける前の「時計替わり」に見て居る人も居れば、家事をしながらと云う人も居て、ボーっと見て居ても面白いとか、橋田壽賀子が生前好く口にして居た様に、耳で聞くだけで判ると云う処も大事なのだ。  
 その点「おちょやん」はチョット不親切だったかも知れない。深い世界を描こうとする余り、役者の表情等をジックリ見ていないと入って来ないのではと感じる時が多々あった。

 ちなみに「カーネーション」に付いて、従来の朝ドラには無かった深さを評価する声が上がったが、そう云う深さを求め過ぎて、暗さや重苦しさと云ったものに走るのは朝ドラとしては寧ろ後退することだろう。  
 例えば、前作の「エール」でも、矢鱈(やたら)と暗く重苦しい戦争描写が話題に為った。そう云うものを遣ってみたい気持ちも判ら無いでも無いが、朝からゲンナリした視聴者も多かった筈だ。  

 朝からゲンナリと云えば「おちょやん」では別の意味で引っ掛かるシーンがあった。もう芝居は遣ら無いと云うヒロインを口説き落とす為、塚地武雅扮する芸人が自分の失敗談で和ませ様とするのだが、それが「ウンの悪い話」と云う「おもらし」ネタだったのだ。
 朝食をとりながら見て居る人も居るだろうにと、これは流石に笑え無かった。 また、ヒロインの父が死んだ後、皆で忍ぶ場面では「アノ人、堪らん臭さやったナァ」と云う冗談が飛び出した。ホームレス同然と為って居たのでそれはそうだが、これも朝食時には聊かそぐわ無かったのではないか。  

 筆者が朝ドラ有数の傑作と考える「純情きらり」等はその辺りも行き届いて居た。原案の小説ではヒロインが腸結核で早世する為、下痢の描写が出て來るが、只の結核と云う事にしてボカス等した。朝ドラにはこう云うエチケットが必要だ。  
 そして、朝ドラに何より大切なものを感じさせて呉れるのが、現在アーカイブ枠で再放送中の「あぐり」である。「おちょやん」ファンからはお気楽過ぎると云う声も上がる程、ヒロインも周囲の人々も明るく、不幸な事が起きてもアッと云う間に立ち直り前向きな展開に切り替わる。

 かと云って、感情の機微の描き方が疎かな訳でも無い。喜怒哀楽を確り見せつつ、せりふだけ聞いていても為る程と判らせる面白さがあるのだ。
 朝ドラには、こう云う突き抜けた明るさや長閑(のどか)さ・緩(ゆる)さが似合う。その点「カーネーション」的な重苦しい暗さが目立った「おちょやん」を救って居たのが劇中劇だ。フィクション性が強調される事で、物語の本筋の生々しさが緩和されて居た。

 離婚した夫婦が共演してお互い前に進もうとすると云う最終回の劇中劇はまさに、そんな「おちょやん」ならではの見事なフィナーレと云える。 こう云う工夫も出来るのだから、他にもひと工夫ふた工夫することで、後数%上げることは可能だっただろう。
 朝ドラに携わる人達にはその辺りも頭の隅に置いて貰って、記憶は元ョ記録にも残る作品作りを期待したいものだ。  

 尚「おちょやん」「カーネーション」コソが最高の朝ドラだと云う人には、この記事はストレスの貯まるものだったかも知れない。筆者に取っても「おちょやん」には9割方満足したが、ここでは残り1割の不満を書いてみた。  
 只、もうひとつ付け加えて置くと、世の中にはSNSにもネットニュースにも興味の無い人がマダマダ居る。「おちょやん」が取り逃がした数%は、そう云う視聴者層と可成り重なる様に思えて為ら無い。

 朝ドラを大ヒットさせたいなら、そんな声なき視聴者層こそ重視すべきなのである。 新たに始まる「おかえりモネ」は予告編などを見る限り、画面上も緑が明るく物語も明るく為りそうだ。
 ヒロインが気象予報士を目指すと云う話でもあるし「おちょやん」最終週のタイトル「今日もええ天気や」はその辺りも意識したものだろう。冬の時代がまた来たらどうしようと云う一抹の不安の雲を吹き飛ばす様な、晴れやかな朝ドラを楽しみにしたい。




   5-18-3.jpg  5-18-3

 宝泉薫(ほうせん・かおる)1964年生まれ 早稲田大学第一文学部除籍後 ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など



 〜管理人のひとこと〜

 管理人は朝ドラを視聴してないのでトヤカク云う資格は無いのだが、本文でも指摘している様に、何故何度も似た様な主人公設定で企画するのだろうか。前作は吉本新喜劇の吉本はな氏、今度は松竹新喜劇の浪花千栄子氏・・・無論、興行会社の創業者と喜劇役者との違いもあるのだが、大阪のお笑い芸人・役者を中心とした物語なのだ。大阪の元気な源は無論「お笑い」なのは承知しているがそれだけでも無い筈だ。
 前首相・安倍氏が吉本を溺愛し、破格な待遇で予算を付けて人気保持の為に色々と吉本を利用した。その名残で最近は吉本を中心とした芸人が東京のTV局を席巻している。確かに軽快で話も面白く座が賑やかに為るのだが、吉本一色では飽きてしまわないか。それも、民放もNHKも含めてなのだから遣る瀬無い。大阪の笑いも必要なのだが、全てが吉本では適わない・・・これがマンネリとなるのだ。余りに出過ぎると直ぐに飽きてしまう。余りに早く賞味期限が過ぎてし舞わないか。考えてセーブすべきだろう。消耗品の様な下手なタレントの使い方だろう。


                 以上













 




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