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2021年05月12日

ベストセラーで読むアメリカ 東京大空襲は必要だったのか?




 ベストセラーで読むアメリカ

 東京大空襲は必要だったのか?  虐殺の司令官は日本から勲章を贈られた



5-12-6.png 5/12(水) 12:21配信 5-12-6


  

      5-12-7.jpg

             『The Bomber Mafia』5-12-7

 今回の一冊は「 The Bomber Mafia 」 筆者 Malcolm Gladwell  出版 Little Brown  アメリカ軍による第2次世界大戦末期の東京大空襲は必要だったのか? 

 女性や子供を含む民間人を無差別に殺した東京大空襲を検証した歴史ノンフィクションだ。虐殺とも云える空襲を指揮したアメリカ軍の司令官は戦後、日本から勲章を贈られた。そんな日本人も忘れた史実も伝える。
 広島や長崎への原爆投下に比べ、東京大空襲に対する日本国民の関心の低さを指摘するなど、日本人が読んでも多くの気付きがある良質の作品だ。本書はニューヨーク・タイムズ紙の週間ベストセラーの5月16日付ランキング(単行本ノンフィクション部門)において第2位で初登場した。

 アメリカでは好く、第2次世界大戦に題材を取る歴史ノンフィクションがベストセラーと為る。こうした類書に共通する主張は「戦争を早く終わらせるには他に選択肢は無かった」と云うものだ。
 日本への原爆投下等アメリカ軍による非人道的な軍事行動は全て、この論理で正当化するのがアメリカのベストセラーのお決まりと云える。が、本書は違う。アメリカ軍が日本本土での無差別な空爆に踏み切った経緯を丁寧に描く。アメリカ軍の中にも、戦争による犠牲を最小限に抑える為に、空爆のターゲットを軍需工場等に限るべきだと考える一派があった。

 こうした良識派の司令官やパイロット達はBomber Mafiaと呼ばれた。これが本書のタイトルである。  
 しかし、第2次世界大戦当時は、爆撃機にレーダーも装備せず、増してや現代の様なGPSで位置情報が簡単に判る訳も無い。爆撃の対象を特定の軍需工場に絞り込んでも、アメリカ軍の航空部隊には標的に正確に爆弾を投下する能力が乏しかった。オマケに、限られた標的を正確に爆撃するには、或る程度は目視に頼らざるを得ず、明るい日中に低い高度で爆撃機は飛ば無ければ為らない。敵からの攻撃に晒され易く為りアメリカ軍の被害が多く為る。  

 実際、アメリカ軍はヨーロッパ戦線で、軍需工場だけを空爆しドイツの兵器生産能力を落とす作戦を実行した。その結果は、悪天候も重なり狙った空爆の成果が出無かった上に、アメリカ軍の多くの戦闘機が撃墜され失敗に終わった。  
 本書は当時のテクノロジーの限界等も抑えながら、アメリカ軍が日本本土で無差別な空襲にシフトした経緯を辿る。

 類書であれば、目的は手段を正当化すると云う理屈で、憎き日本を早期に降伏させて戦争を終わらせるには、東京大空襲が必要だったと結論付けるだろう。しかし、本書はその点に突いて、敢えて明確な結論を出さ無い。空爆は必要最小限にすべきだと考える軍人達の理想を紹介しつつ、それを許さ無いテクノロジーや戦場の現実を描きながら、無差別な空襲に踏み切った経緯を客観的に描く。その評価を読者に委ねて居るのだ。
 本書の筆者であるマルコム・グラッドウェルはアメリカのジャーナリストで、社会現象の背後に在る法則などを鋭く切り出すベストセラーを何冊も上梓している。日本でも翻訳紹介されている人気作家のひとりだ。その人気作家は本書を執筆する為の取材で来日し、東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)を訪れた時の驚きを次の様に記す。

 So when Jacob and I got in our taxi in Tokyo, I assumed that we would be going toward the area where the museums are―the center of town, near the Imperial Palace. But we didn't. We went in the opposite direction, away from the business districts and tourists.

 「アシスタントのジェイコブと一緒に東京でタクシーに乗った時、色んな博物館が在る東京の中心部・皇居の周辺辺りに車は向かうのだとばかり思っていた。しかし、違った。タクシーはそれとは逆の方向に向けて走り、ビジネス街や観光名所からは遠ざかった」

 東京大空襲に関して無関心な日本人
 
 筆者のグラッドウェルは世界各地で、戦争に関する立派な博物館を幾つも見て来ている。それと比べて、日本における東京大空襲の扱いが余りにも軽い事に驚いた訳だ。特に、日本人が広島や長崎に比べ、東京大空襲に関して無関心なことに疑問を持つ。次の様に補足している。

 Despite the incalculable loss of life, there remains no government-sanctioned memorial in Japan to the March 9 attack. Survivors of that night, who call themselves “memory activists,” have struggled to commemorate the Tokyo raid in the face of political and public apathy. Eventually they funded their own memorial―the Center of the Tokyo Raids and War Damage.

 「多くの人命が失われたにも関らず、3月10日(米国時間で3月9日)の東京大空襲に関する公的な博物館が日本には無い。東京大空襲の被災者達は、自らを”記憶の語り部”と称して居るものの、東京大空襲の記録を残し追悼するのに苦労して来た。政治や社会が無関心なのだ。結局、自分達で資金を集めて、東京大空襲・戦災資料センターを設立したのだ」  

 アメリカ人の人気作家に、日本人が東京大空襲に対して無関心であることを指摘されるのは何とも恥ずかしい。オマケに、取材した歴史研究者が語ったと云う次の体験談には日本人として愕然とした。

 The historian Conrad Crane told me: I actually gave a presentation in Tokyo about the incendiary bombing of Tokyo to a Japanese audience, and at the end of the presentation, one of the senior Japanese historians there stood up and said, “In the end, we must thank you, Americans, for the firebombing and the atomic bombs.” That kind of took me aback. And then he explained: “We would have surrendered eventually anyway, but the impact of the massive firebombing campaign and the atomic bombs was that we surrendered in August.” In other words,
 this Japanese historian believed: no firebombs and no atomic bombs, and the Japanese don't surrender. And if they don't surrender, the Soviets invade, and then the Americans invade, and Japan gets carved up, just as Germany and the Korean peninsula eventually were.


 「歴史家のコンラッド・クレーンは次の様な話をして呉れた・・・東京で日本人向けに焼夷弾による東京大空襲に付いて講演したことがある。講演の終わりに、日本人の高齢の歴史家が集まっていた中で1人が席を立って次の様に言った。
 『結局、日本人はアメリカによる空襲と原爆投下に感謝すべきだ』と。この発言にはチョット驚いた。その男性は続けてこう説明した。
 『日本は何れにせよ降伏するしか無かった。しかし、焼夷弾による大空襲と原爆投下の衝撃のお陰で日本は8月に降伏したのだ』  
 別の言葉で言えば、この日本人はこう思って居る訳だ。焼夷弾や原爆が無かったら日本は降伏し無かった。そして、日本がもし降伏し無かったら、ソビエトが日本本土に侵攻し、続いてアメリカが侵攻し、日本は最終的にドイツや朝鮮半島の様に切り裂かれただろう」


 本コラムの評者も正直な処、第2次世界大戦に付いて日頃は関心は無い。寧ろ、アメリカの歴史ノンフィクションで日本に関連する史実を学ぶ事が多い。自分の無知を恥じるばかりだ。東京大空襲に関しても、本書を読んで初めて知った事が多い。

 東京大空襲の指揮官に勲章を贈った日本
 
 最も驚いたのは、東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイと云う軍人の経歴だ。東京大空襲で成果を上げたルメイは戦後、軍人として出世を遂げ、アメリカ空軍参謀総長まで上り詰めた。
 しかも、1964年には日本から勲一等旭日大綬章を贈られた。日本の航空自衛隊の育成に貢献したのが叙勲の理由だったと云う。こうした史実を、アメリカのベストセラー作家に教えて貰うと云うのも日本人として情けない限りだ。  

 東京大空襲で使われたナパーム弾(焼夷弾)は、ハーバード大学の化学者達が喜々として開発に携わった。オマケに、アメリカ軍は、日本の住宅が木造で燃え易い事も知って居た。障子までも再現した日本の住宅を砂漠に建築し新開発したナパーム弾の威力も実験していた。最初から、日本での投下を前提として開発し、無差別に大量の民間人を殺す積りだったのだ。  
 更にアメリカ軍による虐殺は、1945年3月10日の東京大空襲だけでは無い点も見逃せ無い。例えば、同年5月には横浜の半分を空爆で灰にし数万人を殺した。本書は次のように記す。

 After the firebombing of Tokyo in March of 1945, Curtis LeMay and the Twenty-First Bomber Command ran over the rest of Japan like wild animals. Osaka. Kure. Kobe. Nishinomiya. LeMay burned down 68.9 percent of Okayama,
 85 percent of Tokushima, 99 percent of Toyama―sixty-seven Japanese cities in all over the course of half a year. In the chaos of war, it is impossible to say how many Japanese were killed―maybe half a million. Maybe a million.


 「1945年3月に東京を空爆した後も、カーチス・ルメイが指揮する第21爆撃部隊は日本のその他の都市を野獣の様に荒らして回った。大阪・呉・神戸・西宮・・・ルメイは岡山の68・9%を焼き尽くし徳島の85%・富山の99%を灰にした。半年の間に日本の計67都市を空爆したのだ。
 戦争の混乱の中、何人の日本人が殺されたのか正確には判ら無い。恐らく50万人、或いは100万人が亡くなった」


 この他にも、日本人の気象学者である大石和三郎(おおいしわさぶろう)に付いても本書で初めて知った。世界で最初にジェット気流を発見した学者だ。しかし、エスペラント語で論文を発表した為世界で認知され無かった。
 アメリカ軍は第2次世界大戦末期に、爆撃機を日本上空に飛ばして初めてジェット気流に遭遇した。激しい気流の為に高い高度からの精密爆撃が不可能だったことも東京大空襲の無差別爆撃に繋がった一因だった。  
 本書がアメリカでベストセラーに為ったお陰で、多くのアメリカ人が東京大空襲の実態について知るのは有難い。併せて、日本人がもっと東京大空襲に付いて知り、犠牲者を追悼し、世界に発信する必要を感じた。

 森川聡一 (もりかわ・そういち)ITバブル期にニューヨークに住んだ経験を持つ経済ジャーナリスト [執筆記事] 
  東京大空襲は必要だったのか?虐殺の司令官は日本から勲章…
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 5-12-6.png 2021年4月14日


 米軍に在って自衛隊に無いもの「戦地での武勇伝への国民的支持」


 今回の一冊は Walk in My Combat Boots: True Stories from the Battlefront 筆者 James Patterson 出版社 Century



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     『Walk in My Combat Boots: True Stories from the Battlefront』5-12-8


 約40人のアメリカ兵の戦地での体験談を、独白形式で収録したノンフィクションだ。アフガニスタンやイラク等で戦った兵士達の赤裸々なモノローグの連続だ。世界の何処かで常に軍事行動をするアメリカと云う国は、兵士達の勇気を称賛し若者達を鼓舞して入隊希望者を増やす為にも、こうしたベストセラーが必要なのかも知れない。
 
 本書はニューヨーク・タイムズ紙の週間ベストセラーリストで、2月末に1位で初登場したのを皮切りに、5週連続でベスト10入りした。アメリカの読書界では、戦場や歴史に取材しアメリカ兵の勇姿を称賛する書籍が好く売れる。
 日本で自衛隊の活躍を絶賛する本がベストセラーと為る事は先ず無い。日本の社会では戦争について語る時、第二次世界大戦の反省や、戦争を二度と起こしてはいけないと云う思いから、戦争の悲惨さを強調するのが常だ。

 増してや、憲法上の位置付けが曖昧な自衛隊に付いて前向きに語る人は少ない。日本社会に兵士達を英雄視する風潮が無いのだから、少子高齢化で自衛隊が益々人員の確保に苦しんでいるのも不思議では無い。アメリカ軍と自衛隊が置かれている環境の違いを痛感するのが、アメリカにおける本書の様なベストセラーの存在だ。
 様々な部隊の・様々な階級の・様々な出自の兵士達が登場し、戦地での体験を語る。祖父や父親も軍人だったと云うケースが目立つ一方、貧しさから抜け出す為軍隊に入ったと云う例もある。特殊部隊に憧れて訓練を頑張ったと云う話もあれば、所謂衛生兵や、戦地での遺体の収容・移送を任務とする部隊の話等も盛り込まれている。女性の活躍も珍しく無い。
 2001年9月11日のアメリカの米同時多発テロを機に入隊したと云う話も多く、パキスタンやイラクでの体験談が目立つ。基本は、自由の為に戦い国民を守ると云う使命感に燃えた兵士達の体験談のオンパレードであり、或る意味その語り口はワンパターンでさえある。

 軍に入隊して初めて派遣された戦地イラクで、敵軍に包囲されて無我夢中で機関銃を撃った体験や、道路に埋められた即製爆弾に遣られて仲間を失った体験等など列挙すると切が無い。軍隊に入った動機に付いても、次の様な高邁な理想を語る言葉が目立つ。

 It's a privilege to be in this country, not a right. I learned this lesson in an AP American history class, and it soon became my passion, driven by my overwhelming need to earn that privilege every day. It starts with my honor to live in this country and extends to my pledge to fight for those who can't earn the privilege themselves.

 「アメリカと云う国で暮らせるのは、限られた人しか享受出来ない特権であり誰もが持つ権利では無い。私はこのことを歴史の授業で学び、こうした思いは直ぐに情熱に変わり、日々、そうした特権に見合う生き方をしなければと云う剛い思いに突き動かされて来た。
 この国に暮らして居ると云う誇りが、戦いの誓いへと繋がって居る。特権に恵まれて居ない人々の為に戦うのだ」


 こうした優等生の様な思いだけでは無い。次の様な戦場に居る時の心構えを端的に話す兵士もいる。

 I'm okay with dying. You have to be okay with it, consciously or subconsciously, to be good at this job. If I'm not okay with it, I'll hesitate, and I will get killed. There are no second chances.

 「死ぬのは気に為ら無い、死ぬ事を恐れ無い様にしないと行け無い。意識的であれ無意識的にであれ死を忘れ無いと戦場で好い仕事は出来ない。死を恐れて居たら、戸惑いが生まれ自分が殺される事に為る。戦場では遣り直しは出来ない」

 戦地に居る事そのものが性に合って居ると云う正直な証言もある。

 My best days were deployments. I wasn't married and I didn’t have any kids, so I couldn't wait to get back to Afghanistan. It's where I feel alive. It's the most freeing feeling in the world, being over there. You're not worrying about bills or shopping and cooking food or any other regular life stuff because there are things in place to manage all that for you. In Afghanistan, the mission at hand was your schedule for the day. It was a nonstop adrenaline rush for four to five months. I'm addicted to it.

 「軍隊で最高の日々は現場に戦闘配置されて居た時だ。自分は結婚して居なかったし子供も居なかった。だから、アフガニスタンに戻るのが待ち遠しかった。戦地で無いと生き甲斐を感じ無い。アフガニスタンは世界で最も自由で開放感に溢れて居る。
 電気代等の支払いや買い物・料理と云った日々の細々した事を気にし無くて済む。色んな事がチャンと首尾好く手配されて居るんだから。アフガニスタンでは、与えられた任務がその日にすべき事と決まって居る。1回の駐留は4〜5カ月に及び、アドレナリンが溢れっパナシだ。その快感が忘れられ無い」


 本書は現役または引退した兵士にインタビューした結果を、ひとり語りの形にしてまとめている。詰り、戦地に行って無事に帰還した兵士達が登場する。偶に、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で悩む退役軍人も出ては來るものの、戦地での任務について前向きに話す例が殆どだ。とは言え、所々で、軍隊の不都合な真実を鋭く突く指摘に出食わすから興味深い。

 America's best and brightest, I realize, don't enlist in the military. There are a small percentage of people here who want to serve the country, but the majority are poor to lower-middle-class kids the country kind of forgot about. Kids who drank too much in college and failed out. Kids who didn't get a great education. Kids from flyover states in the middle of nowhere who couldn't get a job with the carpenters’ union or whatever.

 「アメリカの高学歴で聡明なエリート達は軍隊に入ら無い事に気付く。国の為に尽くしたいと云う人は一握りで、大方の兵士は貧しい家庭の生まれで国が或る種見捨てて居る若者達だ。酒浸りに為って大学を中退したか、大した教育を受けられ無かった若者達だ。アメリカ中部の辺鄙な州から来た若者達で、地元で大工の仕事だか何だかに在り着け無かった奴等が軍隊に居る」

 サダム・フセインとの会話

 本書に登場するのは殆どが一兵卒であり、戦場での意外なエピソードを披露する訳では無い。但し、囚(とら)われの身と為ったサダム・フセインの歯を治療した、アメリカ軍の医療部隊の指揮官による思い出話は印象に残った。
 厳重に警護された治療室に現れたフセインはコーランを手にしていた。信心深い筈の無いフセインが何故イスラム教の経典を持って来て居るのか疑問に思って聞くと「見た感じが好いからだ」と答えたと云う。更に、フセインから切り出して来た次の会話の遣り取りは驚きだ。

 Then he blurts out, “Do you think I killed a lot of people?” “Yes, you did.” He pauses for a moment.
 “You're right, I did,” he says. “But if you want to control this country, you have to kill a lot of people.” We start talking about current events. I ask him, “What's the story about weapons of mass destruction?” “I wanted them.” “Did you get them?” “No.”
 “So why did you kind of lead everybody on that you had weapons of mass destruction?”
“Well, that was for the Iranians. I never thought you, the Americans, would believe it.”


 「そして、サダム・フセインは行き成り切り出した。『私が多くの人を殺して来たと思うかね?』『ウム、そう思うね』フセインはチョット口を噤んだ後、こう言った。『その通りだ。しかし、この国を支配したかったら、沢山の人を殺さ無ければ為らない』
 会話は足元の出来事にも及んだ。私はフセインに尋ねた。『大量破壊兵器についてはどうなんだ?』『手に入れたかったね』『持っていたのか?』『いいや』
 『それならどうして、イラクが大量破壊兵器を持って居ると、皆が思う様に仕向けたんだ?』 
 『それは、イランにそう思わせたかったからだ。まさか、お前らアメリカ人が信じるとは思いもしなかったよ』


 9・11テロを受けてアメリカが対テロ戦争を旗印に、イラクが大量破壊兵器を持っている証拠を国連に突き付けてイラク戦争に強引に突入した事を思えば、この会話は可成り衝撃的だ。分量は少ないものの、本書は戦場で深い痛手を負った兵士も登場する。
 次に引用する一節は、ケガの後遺症や後悔の念に苦しむ元兵士の叫びだ。イラクで、軍のルールに従って、瀕死の怪我を負っている現地の子供を助け無かった事が今でも忘れられ無いと云う。

 I'm diagnosed with PTSD, traumatic brain injury, and tinnitus. The tinnitus gets worse and worse over the years, and I've got all these unwanted memories that keep coming back to me, again and again. I made a lot of decisions as a soldier and a leader in a combat zone; how could I not revisit them?
 But the decision I made that day about the Iraqi kid―that one really sticks with me. I had a fourteen-year-old kid standing in front of me, dying from a gunshot wound, his father begging me to save his son's life, and I said no and turned my back on them. I get emotional every time I think about it, and I think about it every single day.


 「私はPTSDと診断されて居る。脳に外傷を負い耳鳴りもする。耳鳴りは特に、年を追う毎に酷く為るばかりで、オマケに、思い出したくも無い記憶が繰り返し蘇(よみがえ)って來る。戦場では、兵士として、或いは隊長として多くの決断をした。何とかして、もう一度遣り直せないものだろうか?
 特に、アノ日、あのイラク人の子供についてした決断は本当に頭から離れ無い。14歳の子供が私の目の前に立って居て、銃で撃たれた傷で死に掛けて居た、父親は息子の命を助けて呉れと懇願したが、私はダメだと言って二人に背を向けたのだ。その時の事を考えると心が張り裂けそうだし、その事を一日たりとも思い出さ無い事は無い」


 しかし、こうした悲痛な述懐は本書では飽く迄も少数派だ。基本的には、国の為に・自由を守る為に戦った事を誇りに思う兵士達が様々な持ち場から、軍隊で働いて好かったと語り掛ける。本書の終わり近くでは、残念ながら命を落としたり、爆弾で脚を失った兵士の話も出て來る。
 戦争の惨(むご)さを訴える為では無い。残された母親や、体に障碍(しょうがい)を負った元兵士が、悲劇を乗り越え、人生の新たな目的に向けて前向きに生きて行く姿を描く。

 陸軍に入隊して間も無い若い息子を、同じ部隊内の仲間に射殺された母親の独白は胸を打つ。この母親は、自分の息子を撃ち殺した兵士が、ホームレスの家庭で育ち、教育等必要な支援を受けられ無かった事を知るや行動を起こす。
 自分の息子の名前を冠した財団を立ち上げ、恵まれ無い若者達に立派なリーダーシップを身に着けさせるプログラムを展開する。

 22歳の兵士はアフガニスタンで、即席爆弾のお陰で右脚の下半分を失った。米国本土に移送されウォルター・リード陸軍医療センターに入院する。すると、オバマ大統領(当時)が見舞いに来て勲章を授与された。
処が、病院を訪れた妻からは不倫して居た事を告白され離婚する。
 見返して遣ると云う思いからリハビリに励み再婚を果たすも、戦場でのトラウマから不眠の夜が続きアルコール浸りに為り再び離婚に追い込まれる。そして、ピストルを口に咥え自殺する寸前迄追い込まれる。土壇場で思い留まり、精神科医のセラピーを受けて何とか立ち直り、今は自分の経験を様々な人に語り、逆境に在る人達を助ける活動に励んで居る。

 「自分の経験を話す事で、一日に一人でも困って居る人の助けに為れるなら、自分がこれ迄経験して来た事は価値が在るんだ」

 と語り何処迄も前向きだ。兵士に為る事を称賛する本がベストセラーと為るアメリカを観ると、軍隊に対するサポーターの熱量の彼我の大きな差を感じる。2017年3月に本コラムで紹介したブッシュ(息子)元大統領が出版した本『絵描きになった息子ブッシュ大統領、傷ついた軍人たちの肖像画の迫力』も、戦地で負傷した兵士達の勇気を称えるベストセラーだった。
 こうした本でも出して兵士達を英雄視する風潮を生み出さ無いと軍隊を維持するのは難しいと云う事なのだろうか。そこ迄遣る必要の無い日本は矢張り平和で恵まれているのかも知れない。

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 〜管理人のひとこと〜

 気に為るレポートでした。終戦・敗戦の為には原爆・空襲は仕方なかった・・・と果たして思えるでしょうか? 実際に肉親や知人を空襲で亡くされた人達には到底受け入れられない無差別殺人だったでしょう。確かに、日本政府は戦う術も持たないのに敗戦を認めず、武器も持たない無垢な国民を、何時までも敵前に放置し晒した様なものです。空襲したアメリカ軍将兵より、日本政府・軍の方が罪は重い筈です。
 戦死者総数は、終戦の歳に急増しています。外地での玉砕や病気・飢餓による死亡が急増したのです。戦って死ぬのではなく、食べるものが不足し餓死する・・・これこそ政府・軍の無責任な作戦による不幸なのです。病気・飢餓による死亡の割合が幾つに上るのか・・・戦争の無慈悲さを思うと涙が止まりません。

  以上















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