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2021年05月07日

真面目な自衛官の苦悩・・・専守防衛と云う「まやかし」



 真面目な自衛官の苦悩・・・

 専守防衛と云う「まやかし」が日本に危機をもたらす



        5-7-2.jpg

 作 織田 邦男 JBpress 2021年05月07日 06:00
 
 プロフィール 5-7-2 元・空将 1974年 防衛大学校卒業 航空自衛隊入隊 F4戦闘機パイロットなどを経て83年米国の空軍大学へ留学 90年第301飛行隊長 92年米スタンフォード大学客員研究員 99年第6航空団司令などを経て2005年空将 2006年航空支援集団司令官(イラク派遣航空部指揮官) 2009年に航空自衛隊退職 2015年東洋学園大学客員教授 2018年国家戦略研究所所長



       5-7-1.jpg

        コピーライトマーク JBpress 提供 航空自衛隊の主力戦闘機「F-15」 5-7-1

 今年の憲法記念日は、例年になく改憲論議が低調だった様に感じた。他方、新聞の世論調査では、新聞各社によって数字はマチマチであるが、共通して改憲勢力の方が護憲勢力より上回っていた。
 尖閣諸島では、中国公船によって毎日の様に我が主権が侵され、台湾海峡では緊張が高まり、国民は中国の脅威を肌で感じ取って居る。国内では、新型コロナウイルスの猖獗により、今ほど緊急事態条項の不備を実感する時は無い。にも関らず、憲法論議が盛り上がら無い。
 
 東京など主要都市で緊急事態宣言が発出中であり、集会やシンポジウム・野外行進などが制限された所為もあるだろう。何より改憲反対政党のサボタージュにより、国会の憲法審査会が機能してこ無かった事が大きい。改憲と言えば、矢張り「9条」を避けて通る訳にはいかない。 
 現在、世論調査によると、日本で最も国民に信頼される組織は自衛隊である。国民の92%が自衛隊の存在を認めている。先日、政府はワクチン接種の為の自衛隊出動を決めた。災害派遣から豚コレラ処理に至る迄「困った時の自衛隊頼り」は顕著に為り、マルで「便利屋」扱いである。

 もう9割以上の国民が自衛隊を認めて居るのだから、9条改正は不要と云う声もある。だが、今尚憲法学者の62%が自衛隊の存在を違憲と主張して居るのも事実である。学者や政党の間では合憲か違憲かと云う神学論争が今なお続いている。
 自衛隊に対する国民の好感度いかんに関らず自衛隊の存在は、政治的には解決・法的には未解決状態なのだ。自衛隊は日本の安全保障の「最後の砦」である。

 有事が現実化するかも知れない昨今の情勢にあって、未だに宙ブラリンの状態に自衛隊を放置し、いざ有事に為ったら命を賭けて働けと言うのは身勝手過ぎる。自民党はこう云う状況を受け、現行の9条はそのママにして、新たに自衛隊の存在を明記しようとしている。
 改憲のハードルの高さと現在の政治情勢を考えると、止むを得ない選択かと筆者も思う。だが、それは飽く迄次善の策であり、本来の姿では無い事を国民は知るべきだ。改めて憲法9条を振り返ってみよう。

 第9条 (1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 第1項の「戦争放棄」は「パリ不戦条約」(1928年)の焼き直し・・・詰り侵略戦争の否定であり問題は無い。だが第2項の「戦力」「交戦権」否定は矢張り無理がある。この第二項がこれ迄日本の安全保障政策を歪めて来た事は否め無い。
 現行憲法は進駐軍の占領下に在って、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーが約20人のスタッフを掻き集め、約10日間で作らせた速成物である事は公知の事実である。マッカーサーはこの時、真に非武装日本を造ろうとしていた。

 9条は当初「戦力・交戦権」を放棄し、自衛権発動の戦争さえ否定して居た。1946年の国会で吉田茂首相は次の様に答弁している。
 「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定して居りませんが、第9条第2項に於いて一切の軍備と国の交戦権を認め無い結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も放棄したのであります」
 これに対し、日本共産党の野坂参三代議士は「侵略戦争は正しく無いが、自国を守る為の戦争は正しい。憲法草案の様に戦争一般放棄と云う形では無く、侵略戦争の放棄とすべきではないか」と食い下がった。吉田首相はこれに対し「近年の戦争の多くは国家防衛権の名に於いて行われたる事は顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むる事が偶々戦争を誘発する所以であると思うのであります。(中略)正当防衛を認むる事それ自身が有害であると思うのであります」と述べた。

 今の自民党、日本共産党の主張とは真逆であるのが面白い。憲法制定後、朝鮮戦争が勃発し冷戦激化の事態に直面し、政府は憲法解釈を180度変える。「我が国が独立国である以上、この規定は主権国家としての固有の自衛権を否定するものでは無い」(政府統一解釈) 
 この解釈変更は、パリ不戦条約や国連憲章とも齟齬しないから問題は無い。だが第2項の「戦力」「交戦権」を否定したママであればどうしても矛盾が生じる。この矛盾を「まやかし」と云う苦肉の策で糊塗して来た事が日本の安全保障論議を未成熟なものにした。

 「自衛の為の必要最小限の実力」は「戦力」では無いと云う「まやかし」である。政府答弁書にはこうある。「憲法第9条第2項は『戦力』の保持を禁止しているが、この事は、自衛の為の必要最小限の実力を保持すること迄禁止する主旨のものでは無く、これを超える実力を保持することを禁止する主旨のものである」
 この「まやかし」が生んだ最大の弊害は「専守防衛」と云う用語を製造したことだろう。そもそも「専守防衛」と云う言葉は軍事用語には無く政治用語に過ぎない。従って英語に訳しても諸外国には理解して貰えない。政治用語であるが故に概念が曖昧で、人によって解釈が大きく振れる。

 未だに「専ら守るだけ」「反撃しない」「攻撃兵器は保有しない」と平気で述べる政治家が居るから驚きだ。国の安全に責任を有する政治家がそう云う軍事的非常識を得意げに述べるから罪は深い。専守防衛に対する政府の解釈は以下の通りである。
 「相手から攻撃を受けた時に初めて防衛力を行使し、その態様も自衛の為の必要最小限に留め、また保持する防衛力も自衛の為の必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」(防衛白書)

 これに似た専門用語に「戦略的守勢」と云う言葉があるが、似て非なるものがある。こちらから軍事力を行使する事は基本的には無いが、相手の攻撃を抑止するに十分な合理性ある防衛力を備え、相手の攻撃には即座に反撃・阻止し、また相手の攻撃意図が明白な場合、先制的にこれを阻止する事も在ると云うものである。
 現代戦は侵略か犯罪か不明、或いは防衛事態か警察事態か明白で無いグレーゾーンから始まるのが常態である。「相手から攻撃を受けた時に初めて防衛力を行使」する「専守防衛」では、現代戦には対応出来ない。又攻撃を受けてから初めて防衛力を行使するのでは、国民が被害を受けることを前提にして居る。

 一発の核兵器で何百万人の被害が出る現代戦にあっては、極めて非人道的な政策であることを国民は知るべきだ。サイバー攻撃の様な物理的破壊が伴わず、被害を受けたかどうか分から無い攻撃には対応不可能である。「専守防衛」を受け、政府は「武力攻撃事態」の認定を厳密に行い、防衛出動を自衛隊に命ずる事に為っている。
 詰り「国または国に準じる者」による「組織的・継続的・計画的」な攻撃であるかどうかを議論し認定する訳だ。

 尖閣諸島に数百隻の漁船が来襲し、武装民兵が上陸した事態を想像すれば好い。政府は、自衛隊の出動は愚か、攻撃事態の認定さえ出来ず右往左往する内に機を失し尖閣を奪取されるだろう。
 「自衛の為の必要最小限」の装備と云うのも「まやかし」に近い。装備品は導入に4〜5年掛かりその後30年近く使用する。従って、導入時には約35年先を予測して、実力を確保して置く必要がある。導入時には過剰な実力と為るのは当然である。戦争を抑止する為には、軍事的合理性のある装備品を保有する必要がある。
 最新鋭の装備を導入しながら「自衛の為の必要最小限の実力」を主張するのは「まやかし」以外の何物でも無い。「必要最小限」かどうかと云う不毛の議論では無く「軍事的合理性」があるかどうかを政治の世界で議論すべきだろう。

 「交戦権」については、冷戦時も今も全くと言って好い程議論が無い。これは逆に危ういことだと筆者は思っている。「交戦権」の政府解釈は以下の通りである。
 「交戦権とは、戦いを交える権利と云う意味では無く、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものである」(防衛白書) 「交戦権」が無くても自衛権行使には問題無い事を政府は次の様に説明する。

 「我が国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念(であり問題ない)」
 諸外国は自衛権行使に当たっても交戦権、詰り戦時国際法で認められた権利を行使して戦う。だが、日本の場合、自衛権行使の際には、交戦権は無くとも同等の権利が行使出来ると云う。本当にそうだろうか。例えば、戦時国際法に認められる「交戦権」には以下のような権利がある。

 @ 敵国の将兵への攻撃および殺傷
 A 防守地域・軍事目標への攻撃およびその破壊
 B 敵国領土への侵入およびその占領
 C 敵国との海底電線の遮断
 D 海上での敵船・敵貨の拿捕・没収
 E 敵地の封鎖、中立国の敵国への海上通商の遮断および処罰
 F 海上での中立国の敵国への人的・物的援助の遮断および処罰
 
 有事の際、作戦所要に応じてこれら「交戦権」に準ずる作戦を政府は果たして命ずることが出来るのだろうか。「専守防衛」との絡みで自縄自縛に陥るのではないか。「必要最小限度の武力行使」と云う美名の下(もと)、軍事的合理性を捨て去り自衛隊を危殆に陥らせる事は無いのか。こう云う事こそ平時に議論し憲法に反映させて行く姿勢が求められている。

 筆者は35年間、戦闘機パイロットとして国防の任に就いて来た。憲法9条2項に依って立つ「まやかし」と実戦との乖離について常に脳裏から離れる事は無かった。尖閣諸島や台湾海峡有事が取り沙汰される中「まやかし」は最早通じ無い。モヤモヤ気分で自衛官を戦場に送り込んでは為らない。
 自衛隊を憲法に明記する事は最低限必要である。その上で、矢張りスッキリした形で我が国を防衛出来る様憲法9条は改定すべきである。国権の最高機関である国会での真剣な議論が望まれる。
                     
                以上



 〜管理人のひとこと〜

 管理人も自衛隊ファンの一人である。著者の指摘するように最近政府は何かというと自衛隊を頼りにし縋ってばかりいる様だ。その分多くの国民から期待と信頼が増すことに為る。地震・水害・その他諸々の災害・化学兵器の防災・・・果ては医師や看護師の派遣・・・実力部隊として直接行動出来る唯一の組織なのだ。
 本来の任務を熟しつつこの様な突発的な出動に対処するには、充分な余力と万全な準備が必要だ。果たして予算や人的な支えが整っているのか心配だ。オーバーワークで隊員の身体的影響も心から心配だ。これら全てのことは、多くの国民から理解され支援される精神的なバックボーンが在ってこそ癒されるだろう。
 自衛隊の法的根拠・・・それが皆無だと隊員を嘆かせるのは政治の怠慢以外の何物でも無い。その為の法律は憲法によって拘束されるので憲法改正へと話が広がらざるを得ない。「憲法改正」に直ぐにでも立ち向かわなくては為らない状況だ。
 唯一の実力組織だと甘え便利に使っているだけだと、間違って何時かは、ミャンマーの様に国民に標的を向け無いとも限らない。物心とも国民が支えなくては為らないのだ。

                以上



















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