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2021年04月24日

小出恵介 役者として生きて行く覚悟 「70歳を過ぎても遣りたい」 “直談判”で映画復帰




 小出恵介 役者として生きて行く覚悟

「70歳を過ぎても遣りたい」 “直談判”で映画復帰



 4−24−30.png 4/24(土) 8:30配信


 4-24-5.jpg

 映画『女たち』で日本映画への復帰を果たす小出恵介【撮影 上野留加】 (C)ORICON NewS inc. 4-24-5

 昨年8月に国内での活動再開を発表した小出恵介(37)日本映画復帰作と為る『女たち』が5月21日に公開を迎えるが、本作の奥山和由プロデューサー“直談判”して出演が決まった経緯、2018年から過ごして居たニューヨークでの暮らし、そして今後の目標を語って呉れた。

 映画は、とある山間(やまあい)の小さな町を舞台に「壊れゆく女たち」の姿を描いた作品。主人公の美咲・篠原ゆき子は40歳を目の前にした独身女性で、夫の自死を受け入れられ無い母・美津子・高畑淳子と暮らして居た。
 そして、倉科カナが美咲が唯一心の拠り所として居る親友・香織を演じるが、彼女も又人知れず心に深い闇を抱え精神を患って居ると云う役どころ。

 昨夏、日本に一時帰国した小出は

 「奥山さんにご挨拶に行った時に映画を撮影して居ると聞きまして『どんな形でも好いので、通行人でも好いから現場の見学をさせて頂け無いでしょうか』とお願いしました。それで、役が在ったら探して頂けると為り、出演が決まりました」
 と振り返る。 約3年振りの日本での映画撮影は
 「急遽出させて頂く事が決まり緊張しました。台本も頂いて居無かったんですが、直前に一節のセリフを頂き現場に臨みました。今迄とは違った入り方でしたね」
 と話が進んで行った。出演が決定した時は
 「嬉しかったです。3年経って居たので、役者で在る感覚が抜けて居る部分があり、映画に出るのが非現実的な感じがしました。今迄どう遣って準備をして居たか、ソワソワしましたし『せりふは入っているかな?』と不安も大きかったです」
 と緊張の連続ながらも無事に撮影を熟した。

 渡米経て感じた日本の良さ「モットモット伝えて行きたい」

 18年6月に前事務所との契約が終了し、その後ニューヨークで生活する道を選択した小出。

 「昔からアメリカのエンターテイメントへの憧れがあり、留学と云う事も含めて生活してみたいとズッと思って居ました。自分を見詰直す時間が出来て、この機会しか無いと思って決意しました」
 と移住した理由を話す。現地での生活はまさに“学生”
 「英語の勉強から始めました。週5日、朝9時に学校に行って、スーパーに行って帰って来て、ご飯を作って・・・留学生の様な暮らしを半年位して演技の学校に移りました。これは学校を2校掛け持ちしました(笑)高校受験の時も勉強しましたが、それ以来の勉強でしたね」

 と直向(ひたむき)に学びの時間を作って行った。ニューヨークでの暮らしは、馴染む迄1年程掛かったと云い
 「人が多くてスピードが速い。街に居るだけで、目が回る感覚があり大変でした」
 とするも、徐々に考え方に変化も生まれて行った。
 「20歳に為る前から芸能界で活動させて頂き、それ以外の世界を知りませんでした。海外に行った事で、自分が日本人で、どう云う特色がありどう思われて居るか知る事が出来たのは大きな発見でした」
 と日本と云う国や日本人と云う人種について深く考える機会に為ったと云う。
 「日本人で良かったと云うのは凄く感じます。細やかであるとか、一つひとつに丁寧。こう云う事が出来るのは日本人だけと感じる機会が沢山ありましたし、この良さをモットモット伝えて行きたい」
 
 と情報発信にも意欲を見せる。そして、日本人の良さは“演技”にも通用すると云い
 「アメリカは、ダイナミックさや感覚的な良さがありますが、緻密さであったり整然としている良さ。それは日本人は的確に出来る」
 と演技の世界で勝負できる部分も感じ取っている。只、当初は
 「オーディションもガチガチでした(笑)せりふもボロボロでした」
 とアメリカで挑戦する難しさもあったと云う。それでも
 「おこがましいかも知れませんが、こう云う機会が得られた以上は、向こうで挑戦を続けて行きたいと思って居ます『アメリカから帰って来ました!』と云う感覚では無く。オーディションを受けて、引き続きトライして行きたいですし、日本の俳優をアピールしたいですね」

 「70歳を過ぎてもやりたい」 役者として生きて行く覚悟


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映画『女たち』で日本映画への復帰を果たす小出恵介【撮影 上野留加】 (C)ORICON NewS inc. 4-24-6

 学校での演技の学びが続く中、昨夏、日本での活動再開を発表した小出。この決断に至ったのは、自身が出演し昨年4月から5月に掛けて再編集版で放送されたTBS系ドラマ『JIN−仁−』の存在が大きいと云う。  
 「再放送のご報告を受けて、アメリカで見ました。久し振りに見たので色々な事を思い出しました」とし
 「改めて日本の作品に出たいと強く思いました。当時の楽しかったこと、良い意味で苦しかった事を思い出して『アア、絶対そこに又出たい』と強く思いました」と話す。  

 「僕も30代後半に為り、長い休みの期間があり、これからが本番だと思って居ます。元気であれば70歳を過ぎても遣れますし、長く遣りたいと云う思いもあります」
 と息の長い俳優を目指す。長い充電期間の中で、俳優以外の職業を考えた事も在ったと云うが
 「これ迄全ての時間を演技に費やして来た事もあり、他の事はどうしてもリアリティが浮かびませんでした。フトした時に俳優の立場から物事を考えて居たので、ここから離れるのは難しいんだなと思いましたね」

 と役者として今後も生きることを決意。一方で、映像世界での演技だけに身を置くのでは無く
 「表現全般で挑戦したいと思う様に為っています。SNSやYouTube、そう云う流行には乗って行きたいです。例えば、アメリカの俳優さんは知事選に出たり地球環境を訴える人も居る。政治的発言をしたいと云う訳では無く、思った事を前に出して頭を柔らかくして表現して行きたいです」とより物事を柔軟に捉える様に為った。

 目標は口にする「レッドカーペットを歩きたい」  

 今後の国内・国外での目標を聞くと
 「日本で云うと、先ずはゼロから遣らせて頂く気持ちで作品に臨んで行きたいです。4年の月日が流れましたので、真摯(しんし)な気持ちで表現に向き合いたいですし、心の変化を演技に出して行きたいです」
 と内面の変化を見て貰いたいと云う。海外では「レッドカーペットを歩きたいです」と宣言
 「ワールドプレミアでレッドカーペットを歩く。これは具体的な目標として目指したいです。これだけは具体的に言葉にするべきだと思いました。これ迄の道のり日本での活動も含めて一歩一歩頑張りたいです」
 
 と目標は高い。この高い目標も、海外に出たからコソ抱ける様に為った夢だとも云い
 「日本の俳優も海外で通用すると思います。本格的に海外進出する俳優はこれ迄少なかった様に思いますが、他のアジアの国はドンドン挑戦して居ますし人数も多い。(日本で)影響力を持った方が行くと云う事が大事だと思って居るし、存在感も示せる筈。僕も、その一端が担えたら(笑)」

 と世界を目指す俳優人口が増えることを願う。日本を一度離れた事は、小出のこれからの人生にはプラスに働いたと自身も考えており
 「何よりも自分の事を冷静に見る事が出来ました。行き過ぎて居た事、社会性含めて足り無かった事を学び感じる時間に為りました」
 と貴重な時間に為った。そして、何よりも応援して呉れて居るファンの存在を忘れ無い。
 「僕のファンの方々には温かい言葉を掛けて頂いて居ます。『待っている』と云う言葉も頂きました。今後は、直接お目に掛かれる機会も出て來るので、自分の姿をまた見て頂き、感謝の気持ちをお返しして行きたいです」

 自分自身の心と向き合い、表現者として日本、そしてアメリカで挑戦する決意を語った小出。今回の復帰作が、今後70歳を過ぎても役者として活躍する第1歩になることを切に願う。

 小出恵介(こいで・けいすけ) 1984年2月20日生まれ 東京都出身 2005年日本テレビ系ドラマ『ごくせん』でデビュー 同年 映画『パッチギ!』に出演し注目を集める 以降 TBS系ドラマ『ROOKIES』フジテレビ系ドラマ『のだめカンタービレ』NHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』映画『僕の彼女はサイボーグ』映画『風が強く吹いている』など様々な作品に出演


 〜管理人のひとこと〜

 小出恵介氏・・・何とも懐かしい名前だ。彼が出たドラマは殆ど言って好い程観た筈だ。不器用で超真面目それでいて努力家・・・決して青白い二枚目では無いが、朴訥な感じの好青年を演じると彼の右に出る者は居なかった。そんな感じの俳優だったから、彼が出ると見逃さなかった。無論、そんな感じで幅広い年齢層の女性ファンも多かった筈だ。
 確か彼が何らかの原因で自ら現場から身を引いた・・・そんな記事があり、週刊誌にも色々な好からぬ噂が・・・そうか、アメリカに渡っていたのだ。それは実に好い判断だったと思う。我が国は一度失敗するとリカバリーが極端に難しい国柄だ。一度や二度の失敗で人生をダメににするとは、実に短絡的な国情なのである。それはさて置いて、彼がリカバリー可能な日本である為には多くの支援者が必要だ。彼の実力は多くの人が認める処・・・是非とも応援したい。

               以上

 

 



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