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2021年04月05日

5問で判る「ロヒンギャ問題とは何か?」 根本 敬 上智大学教授 ビルマ近現代史




 5問で判る「ロヒンギャ問題とは何か?」スーチー氏が直面する壁

 何故 差別を受けるのか 解決出来るのか・・・



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          根本 敬 上智大学教授 ビルマ近現代史 4-5-26

 プロフィール 1957年生まれ 国際基督教大学教養学部卒業 同大学院比較文化研究科博士後期課程中退 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授等を経て上智大学総合グローバル学部教授 専攻はビルマ近現代史 著書に『アウンサンスーチーのビルマ・・・民主化と国民和解への道』(岩波書店)『物語 ビルマの歴史 - 王朝時代から現代まで』(中央公論新社)など多数


 本文

 50万人を超えるロヒンギャの人々が、ミャンマーから隣国バングラデシュへ難民と為って溢れ出て居る。雨期の中、故郷のラカイン州西北部から国境のナフ河を越え、着の身着のママで脱出し受け入れ態勢不十分な土地で何とか生きようとモガイテ居る。
 1991年のノーベル平和賞受賞アウンサンスーチーが国家顧問を務める国で生じた大規模難民流出だけに、国連を初め国際社会の注目度は高い。日本でもそれ為りに報道されて居るが「ロヒンギャ問題は好く判ら無い」と云う方々は未だ沢山居るのではないだろうか。ここでは好く為される5つの質問に答える形で、この問題に付いて判り易く説明してみたい。

 問1 ロヒンギャとはどう云う民族か?

 ロヒンギャの人々は独立国家を求めて居る訳では無く、自分達の民族名称を認めて貰った上で、ミャンマー連邦の国籍が与えられる様求めて居る。在外のロヒンギャの知識人によれば、自分達はミャンマーのラカイン地方に8世紀から住む「由緒ある民族」だと主張して居る。
 しかし、ミャンマーでは政府も国民も彼らを「民族」として全く認めて居ない。外国からの不法移民集団だと決め着けて居る。

  
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               〔PHOTO〕iStock 4-5-15

 ロヒンギャに関する人権問題の立場からの調査は数多くあるが、歴史や人類学・社会学などの実証的研究は殆ど存在しない。そもそも史料が十分では無い。従って、ロヒンギャの特徴について明確に説明出来る事柄は、次の5つに限られる。

 1. 彼等はインドのベンガル地方(現在のバングラデシュ)に起源を有し、保守的なイスラームを信仰して居る。言語はロヒンギャ語(ベンガル語チッタゴン方言のひとつ)を母語として使用する。
 人口は統計が無いので不明だが、ミャンマーのラカイン州に推定100万人強が住んで居るとされる。世界中に散った同胞を含めれば200万人に達すると主張するロヒンギャ知識人もいる。

 2. ロヒンギャ知識人が唱える歴史では、彼等は8世紀からラカインの地に住み続けて居ることに為って居る。しかし、現存する文書史料では「ロヒンギャ」と云う呼称の使用は第二次世界大戦後の1950年迄しか遡れず、その意味では戦後に登場した新しい民族だと云える。
 只、ロヒンギャを名乗る様に為った集団そのものの起源は15世紀迄遡ることが出来る。当時のラカイン地方に存在したアラカン王国(1430-1784)の中に、ベンガル出身のムスリムが一定数居住し、王宮内で役職に就く者もいた。
 その後、19世紀に入ってラカイン地方がイギリスの植民地と為ると、ベンガル地方から連続的に移民が流入し、数世代にわたってラカイン西北部に住み着き土着化する。この時から多数派のラカイン人仏教徒との間で軋轢が本格化する。
 20世紀に為ると、第二次世界大戦中の日本軍のビルマ占領期に、日本側が武装化した仏教徒ラカイン人と、英側が武装化したムスリムとの間で戦闘が生じ、日英の代理戦争を超えた「宗教戦争」と化し、両者の対立は頂点に達する。

 3. 戦後も東パキスタン(現バングラデシュ)からの移民が食料を求めてラカイン西北部に流入し、独立したばかりのビルマ政府の統治が及ば無いなか、その一部はムジャヒディンを名乗って武装闘争を展開した。
 その後も1971年のインド―パキスタン戦争(バングラデシュ独立戦争)の混乱期にラカインへ移民流入が見られた。

 4. 以上をまとめると、ロヒンギャを名乗る民族集団は、15世紀からのアラカン王国時代のムスリムを起源に、19世紀以降の英領期の移民・第二次世界大戦直後の混乱期の移民・そして1971年の印パ戦争期の移民・・・の「四重の層」から構成されると推定される。しかし、彼等が1950年頃に、何故「ロヒンギャ」を名乗る様に為ったのか、その経緯は未だに判って居ない。

 5. 1948年に独立したビルマは、暫くの間、ロヒンギャを差別的には扱わ無かった。1950年代後半から60年代初頭迄ロヒンギャ語によるラジオ放送(短波)を公認して居た程である。
 しかし、1962年に軍事クーデターが起き、政府軍(国軍)が主導するビルマ民族中心主義に基づく中央集権的な社会主義体制(ビルマ式社会主義)が成立すると、扱いが急速に差別的と為り、1978年と1991〜92年の計2回にわたり、20万人から25万人規模の難民流出を引き起こしている。
 この間、1982年に改正国籍法(現行国籍法)が施行されると、それに基づき、ロヒンギャはミャンマー土着の民族では無い事が「合法化」され、ロヒンギャを主張する限り、外国人と見做される様に為った。状況によっては臨時の国籍証明書が与えられ、自ら「ベンガル系」であることを認めた者には正規の国籍が与えられることもあった。

 問2 ロヒンギャは何故・どんな差別を受けるのか?

 ロヒンギャが受けて来た差別は、主に1960年代後半からの不法移民調査を理由にした政府軍や警察による執拗な嫌がらせに始まる。ロヒンギャと云う名乗り自体を政府によって公式に否定され、地元のラカイン州では多数派の仏教徒ラカイン人による中傷や人的攻撃に晒され、両者の間で大小の民族暴動が何度か発生した。
 ロヒンギャが多数派を構成するラカイン州西北部のマウンドーとブーディータウン両郡では、1990年代以降、その地域から外への移動が許可制と為り、多数派ラカイン人と少数派のロヒンギャが共存する州都のシットウェーでは、2012年に発生した両者間の民族暴動を機に、中央政府がロヒンギャ住民を収容所の様な一区画に押し込め、そこから出られ無くした。

 また、2014年に31年振りに実施された人口調査では、ロヒンギャはベンガル人だと認め無い限りカウント対象から外され、更に臨時国籍証を剥奪して「審査対象中」と云うカードを代わりに与え、事実上の無国籍者とした。
 翌2015年には総選挙を前に、それ迄認めて居た選挙権と被選挙権も取り上げた。同年5月には人身売買業者が仲介したロヒンギャ難民のボート・ピープル事件も発生し、南タイ沖で木造船に乗ったロヒンギャ集団が漂流したり、陸上で人身売買業者によるロヒンギャの集団殺害が発覚したりして、国際社会を騒がせている。

 
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             〔PHOTO〕gettyimages 4-5-16

 ミャンマー国民がロヒンギャを差別する理由には3つある。ひとつは彼等が保守的なイスラームを信仰する集団だからである。
 国民の9割近くを占める上座仏教徒は、少数派のキリスト教徒やヒンドゥー教徒には左程の差別意識を持た無いが、ムスリムには強い嫌悪感を有して居る。人口統計では証明出来ないにも関わらず、彼等はムスリムが高い出生率を維持して人口を増やし「仏教徒の聖地」ミャンマーを乗っ取るのではないかと云う漠然とした恐怖心を抱いている。
 又、ムスリムが仏教徒女性を騙して結婚しイスラームに改宗させ、子供を沢山産ませていると云う「理解」も広く行き渡って居る。

 もうひとつはロヒンギャに対する人種差別意識の存在である。肌の色が一般的なミャンマー土着民族より黒く顔の彫りが深く、ミャンマーの国家語であるビルマ語を上手にしゃべれ無い(ロヒンギャ語を母語にしている)ことへの嫌悪感が、彼等に対する差別を助長させている。

 3つ目は、これが最大の理由であるが、ロヒンギャがベンガル地方(バングラデシュ)から入って来た「不法移民」であり、勝手に「ロヒンギャ」なる民族名称を「でっちあげ」「ミャンマー連邦の土着民族を騙っている」ことへの強い反発を有して居るからである。
 彼等に取って、ロヒンギャは「民族」では無く「ベンガルからの(不法)移民集団」でしか無い。リベラル派(民主化支援派・人権派)のミャンマー人で在っても、そうした理解に大きな違いは無い。
 只リベラル派の場合、ロヒンギャがその名前を捨てて「ベンガル人」であることを「素直に」認めれば、温情で国籍を与えても好いと考えて居る人が多い。

 問3 スーチー国家顧問はどう対応して居るのか?

 「大統領より上の立場に立つ」ことを公言して2016年4月に国家顧問に就任したアウンサンスーチーは、現在、国際社会から非難の矢面に立たされて居る。1991年に非暴力に基づく民衆化運動の指導が評価されてノーベル平和賞を受賞した彼女であるが、苦節25年を経て国家顧問と為って以降、ロヒンギャ問題に関しては発言を控え、今回の大規模難民流出に付いても9月19日に国内外に向けた英語演説を行う迄自らの姿勢を明示せず、その結果、嵐の様な非難を浴びせられた。 

 しかし、アウンサンスーチーがロヒンギャ問題に関し何もして来無かったと云うのは言い過ぎである。彼女は国家顧問に就任する前の下院議員時代から、積極的では無かったにせよ、ロヒンギャ問題についてメディアから問われると「ロヒンギャ」と云う名前の使用を避けつつも問題の存在とその深刻さを認めていた。
 そして、2013年4月の来日時に、人権系NGOとの交流会で、ラカイン西北部に住むムスリムに付いては精査の上、三世代以上に渉って住んで居る人には国籍を与えるべきであり、関連して現行国籍法の差別的な内容ついても再検討する必要があると語って居た。

 国家顧問就任後は、2016年8月に彼女の主導で、コフィ・アナン元国連事務総長に委員長に為って貰い、第三者によるラカイン問題調査委員会を発足させている。ここでもロヒンギャと云う名称は一切使わせ無かったが、実質的にロヒンギャ問題に関する調査と解決案の提示を主務とする調査に取り組ませた。
 同委員会は9人のメンバーで構成され、うち3人はコフィ・アナン氏を含む外国人で、かつメンバーのうち2人はムスリムだった。ロヒンギャが一人も加わら無かった事が悔やまれるが、国際社会に開かれた形でロヒンギャ問題の解決に向けた提案を行う為の調査が一年間にわたって実施されたことは大きい前進だったといえる。

 委員らはラカイン州とバングラデシュの双方を調査し、本年8月24日に次の2つを骨子とする提言を公表した。
 (1)ラカイン西北部に住むムスリム(=ロヒンギャ)の移動の自由を認めるべきである。
 (2)彼等の中で世代を超えてこの地に住む者には国籍を付与すべきである。関連してミャンマー国籍法(1982年施行)で国籍を「正規国民」「準国民」「帰化国民」に3分類して居るが、一本化に向けた再検討が求められる。

 此処でもロヒンギャと云う名称の使用は避けているが(「その名称を使用し無い様国家顧問からの強い依頼があった」とコフィ・アナン委員長自らが断っている)この答申はアウンサンスーチーが元々考えて居た解決への道と同じであり、彼女に取って追い風に為る筈だった。
 しかし、答申が公表された翌日未明「アラカン・ロヒンギャ救世軍」ARSAによる政府軍襲撃が発生し、軍による住民に対する過剰な封じ込めと難民の流出が始まって国際社会の注目を浴びると、委員会の答申のニュースは吹っ飛んでしまった。

 アウンサンスーチー国家顧問はそれでも、9月19日の演説で難民の早期帰還への積極的取り組むと、この答申の尊重を明言した。従って、彼女のロヒンギャ問題への対応は、短期的には難民の安全な帰還実現、中長期的にはコフィ・アナン委員長の提言に沿って為されることが明らかに為った。
 只、彼女の前には二つの大きな壁が立ちはだかっている。ひとつは憲法上の壁であり、もうひとつは国内世論の壁である。

 憲法上の壁とは、彼女に軍と警察と国境問題に対する法律上の指揮権が与えられて居らず、その3分野は軍がコントロールしていると云う事実である。軍政期の2008年に作られた現行憲法では、軍の権限が様々に認められて居り、シヴィリアン・コントロールが徹底されて居ない。ロヒンギャ問題はこの3つの分野に直結するだけに、彼女は非常に動き難い立場にある。
 もうひとつの国内世論の壁は、国民の強い「反ロヒンギャ」感情である。前述の様にリベラル派でさえ「ベンガル人」と認め無い限り国籍は付与しては為ら無いと主張して居る。

 ミャンマーでは、国際社会からのアウンサンスーチー非難が強まれば強まる程、彼女を守ろうとする意識が作用して国民のアウンサンスーチー支持が益々強まる傾向を見せている。しかし、それは支持のネジレ現象と云え、アウンサンスーチー国家顧問がロヒンギャ問題を前向きに扱おうとする時に一層厄介な障害と為る。
 彼女はこの様に「反ロヒンギャ」に立つ軍部と世論によって手足を縛られた格好でこの問題の解決に立ち向かわざるを得ない状況に置かれて居るのである。

 問4 「アラカン・ロヒンギャ救世軍」による政府軍襲撃の実態と、その背後関係はどのようなものか?

 襲撃事件の全体像が明らかに為るには、後数ヵ月は掛かると思われる。2016年10月にもミャンマーの国境警備隊に対する似たような襲撃事件が生じ、その時と今回の武装集団は名前こそ異なるものの、同じグループだと見做されている。
 しかし、襲撃方法は大きく異なる。2016年10月の襲撃は事前に銃を揃え、用意周到に襲撃対象の隙を衝いた攻撃を行っているが、今回の襲撃は槍とナイフを武器に、アジア・太平洋戦争末期の日本軍の「万歳突撃」の様な正面突破攻撃を行った為、襲撃した側に400人以上の大量の死者が出ている。(政府軍側は10数名の死者)この違いが何を意味するのかは未だハッキリしない。

 背後関係についても、2016年10月の襲撃事件に付いては、パキスタン育ちのロヒンギャがバングラデシュで武器調達を行い、ラカインに入り込んで百人規模のロヒンギャ青年を訓練したこと迄はホボ判明して居るが、それがISまで繋がる様な背後関係を持って居るのかは判って居ない。
 今回の襲撃事件についてはより不明な点が多い。明言出来る事は、彼等は一般のロヒンギャ住民とは無縁の集団だと云う事である。第二次大戦時のヨーロッパにおける対ナチ・レジスタンス活動のような武装闘争であれば、住民等の支持と協力無くしては活動が維持出来ないが、ロヒンギャ武装集団の行動にはそうした地元の協力が伴って居ない。大半のロヒンギャ住民に取って、この武装集団は支持対象では無く、支持や協力が伴って居ない。

 問4 ロヒンギャ問題解決へ向けて何をすべきか?

 第一に取り組むべきことは、50万人を超えるロヒンギャ難民の保護と帰還に向けた準備への着手である。難民保護に関しては食料と医薬品・衣料品・その他生活必需品全般の早期供与と、何よりも環境の整った難民キャンプ設置への国際的協力が求められる。日本政府も財政支援については早々に実施を表明しているが、人的支援も行って貢献すべきである。
 難民の帰還準備への着手に関しては、国連難民高等弁務官事務所・UNHCRを軸に、ミャンマー政府とバングラデシュ政府の間で話し合いを進め、帰還後のロヒンギャ住民の安全の保証をミャンマー政府に約束させ、かつUNHCRないしは第三者機関による厳格なモニタリングが為される様にすべきである。又、ミャンマー政府に帰還難民へのメディアの自由取材も認めさせる必要がある。

 第二に取り組むべきは、中長期的課題として、前述のコフィ・アナン元国連事務総長が委員長と為った諮問委員会が出した提言をミャンマー政府に尊重させ、その中身に具体的に取り組ませることである。此処で問題に為るのは、ロヒンギャに対する国籍付与と、その際の民族名称である。
 ロヒンギャの人々は飽く迄も「ロヒンギャ」と云う名称に拘る。それは彼等自身の名乗りであり、それを認める事は普遍的人権の面から見ても大切なことである。しかし、諮問委員会はそこ迄明言しておらず、このママだと「ベンガル系ミャンマー人」の様な新しい民族的括りを政府側が用意し、それを受け入れるのであれば国籍を付与すると言い出す可能性が高い。

 また、三世代に渉ってラカインに住み続けて居る事を条件にした場合、そのことの「精査」が、逆に短期の流入者を合法的に追い出す措置を正当化することに繋がり、ロヒンギャ側が容易に納得するとは思われ無い。更に軍は、治安対策と称して「精査」に当たってテロリストの炙り出しを最重視することが確実である為、これによって国籍付与対象が極端に絞り込まれることも予想される。
 反ロヒンギャ感情を強く持つ国内世論の壁を考えた場合、この辺の調整はアウンサンスーチー国家顧問が最も苦労する処と為ろう。しかし、現状では彼女を除いてこの任に当たれる人物はミャンマーに存在しない。彼女のこの努力を国際社会がバックアップすることこそ重要だと云える。

 第三に取り組むべき課題は、第二の課題と深く連関するが、ミャンマー国内で政府と国内外のNGOが協力して、諸宗教間の相互理解と和解活動を広め、特に排他的なナショナリズム感情と反イスラーム感情が融合してしまっている現状を、少しでも和らげる努力を行う事である。
 アウンサンスーチー国家顧問はこのことの必要性に付いては理解して居る筈である。ここでも内政干渉に為らない様な形で国際社会の関与が求められよう。

 スーチー氏が「重し」と為っている

 私達はロヒンギャの人々が置かれて居る状況の着実な改善を常に優先して考えるべきである。その為には、難民流出の直接の原因を作った軍と警察による弾圧の責任追究が「正義の実現」として求められるにしても、それだけを声高に叫び続けることは、決して政治的に得策とは云え無い。


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  バングラデシュではイスラム教徒によるデモが起きている〔PHOTO〕gettyimages 4-5-17

 軍は一層頑なに為って国際社会への反発を強め、国内世論もそれを支持し、アウンサンスーチー国家顧問がこの問題で益々動き難く為ってしまうからである。外側から見て如何に消極的に映ろうと、現状のミャンマーにおいてはアウンサンスーチー国家顧問だけがロヒンギャ問題の解決に取り組む前向きの姿勢を見せており、皮肉な事ではあるが、彼女が反ロヒンギャに懲り貯まった軍と国内世論が今以上に爆発する事を抑える「重し」と為って居るのである。

 私達はその事を認識した上で、ロヒンギャの人々の状況改善や、これ以上の状況悪化を防ぐ為の対応をミャンマー政府に取らせて行く必要がある。


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