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2020年05月09日

ドイツ帝国の降伏から75年 EUで再び高まる「反ドイツ」感情




 ドイツ帝国の降伏から75年 

 EUで再び高まる「反ドイツ」感情


         〜現代ビジネス 川口 マーン 惠美 5/8(金) 6:01配信〜


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                 写真 現代ビジネス

 第二次世界大戦が終わった日

 5月8日はドイツ帝国の無条件降伏の日・・・75年前のこの日、ヨーロッパでの第二次世界大戦は終わった。その10日前の4月28日、ドイツ帝国の総統ヒトラーとその愛人エファは、ベルリンの総統地下壕で結婚式を挙げた。
 奇しくも同日、同盟国で在ったイタリアの独裁者ムッソリーニが愛人ペタッチと共に殺害され、その夜、死体はミラノ迄運ばれて、29日、建設中のガソリンスタンドで逆さ吊りにされた。ヒットラーが地下壕でエファと共に自殺したのは、その翌日30日の事だ。戦後、イタリアは戦勝者側。

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            文 ドイツ在住作家 川口 マーン 惠美氏

 ヒトラーが遺書で自分の後継者に任命して居たのが、海軍の大提督カール・デーニッツ。本命の筈だったゲーリングは、アメリカ軍と和平交渉をしようと提案してヒトラーの怒りを買って居たからだ。ソコで、デーニッツはバルト海の港町フレンスブルクに政府を移動し、自分がドイツ帝国の大統領と為る。
 フレンスブルクと云うのはドイツの北の果て、デンマークとの境の田舎町で軍港が在った。その頃、ベルリンは連合軍の激しい爆撃で既に跡形も無く為って居り首都の機能は失われて居た。

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              カール・デーニッツとヒトラー

 言う迄も無い事だが、この時点のドイツは、何処から見ても既に崩壊して居り、特に東部地域にはソ連軍が侵入し、ドイツの領地は日に日に縮んで居た。しかし、デーニッツの目にはそれが映ら無かったのか、ドイツがソ連に占領される事は断固阻止し無ければ為ら無いと考えて居た様だ。
 そこで彼は、西側連合国にだけ無条件降伏を申し出て西部戦線を停戦に持ち込み、その後、東部での対ソ戦を継続しようと云う計画を立てた。詰り、連合軍を分断出来ると思って居たらしいのである。そして実際、5月6日にヨードル陸軍大将を全権大使として、連合軍の最高司令部の在ったフランスのランスに送った。交渉の相手は米軍のアイゼンハワー元帥。

 只、当然の事ながら、ソ連を外しての停戦等有り得ず交渉は始まる前に瓦解。7日には英軍とソ連軍の立会いの下、ヨードルは無条件降伏文書に調印させられ家路に着いた。停戦発効は8日。そして、その日・・・正確には9日に為ったばかりの深夜、スターリンの命令で、ベルリンで再度、ロシア語の降伏文書に今度はカイテル元帥が調印。そんな訳で、ロシアを始め旧ソ連諸国に於ける戦勝記念日は、今でも5月9日である。
 蛇足ながら、デーニッツはこの後も未だ毎日、ヒトラーの使って居たベンツで仮の官邸に登庁し閣議を開いて居た。そして、この茶番は5月23日、連合軍がデーニッツと大臣達を逮捕する迄2週間続いた。これに依り、ドイツは一時的とは云え国家が消滅した訳だ。
 同年11月に始まったニュルンベルク軍事裁判では、デーニッツも被告席に座ったが、ヨーデルやカイテルとは違って死刑には為らず、禁固10年の刑期満了後1980年迄生きた。

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 EUの連帯感が崩壊中
 
 サテ、そんな訳で、今年はアチコチで終戦75周年記念の大セレモニーが計画されて居たが、コロナ騒ぎで全て中止。一部はネットで開催されると云うが、厳かさには欠けるだろう。只、それよりも気に為るのは現在の状況だ。
 一方には、悲惨な戦争の後、75年経って要約ヨーロッパの平和を勝ち取ったと云う人々の感慨が有り、他方には、直近の思いも掛け無かった感染症のショックが有る。だからコソEUは、今コソ心を一つにし無ければ為ら無い筈なのに、よりに依って今、連帯感はガラガラと崩れて居る

 コロナ危機では、勿論、ドイツの幾つかの病院がフランスやイタリアの重症患者を受け入れたりして居たが、これ等は美談では有るけれど、困って居る国々の苦境を根本的に改善する話でも無い。それ処か、こう云うアクションにも関わらず、実際にはイタリアやフランスでは、ドイツに対する反発が高まって居ると云う。
 ソモソモ、何故、ドイツの医療が崩壊せず、イタリア・フランス・スペイン等の医療が崩壊してしまったかと云うと、元々、医療システムが脆弱だったからだ。何故、医療システムが脆弱だったかと云うと勿論お金が無いから。

 イタリア・フランス・スペイン・ポルトガル・ギリシャと云った南欧組は、言わずもがなの大負債国だが、大幅な財政出動はEUでは認められず、此処10年程厳しい金融引き締めを強いられた。
 膨大なお金の懸かる医療は、当然、切り詰めざるを得ず、例えば、経済崩壊後のギリシャでは医療が崩壊し、一時「国境無き医師団」が入った時期さえ有った程だ。只、何故、これ等の国が大負債国に為ったかと云う事を考えてみると、勿論、税金の放漫管理や不適切な危機対応等と云う理由も大きいが、ユーロの構造的問題の所為でもある。

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                   gettyimages   

 ユーロ圏の財政格差

 先々週も触れたが、ユーロ圏では経済力の異なる国々が同じ通貨を使い一律の金融政策の下に在る。だから、各国に財務大臣は居るが、独自の金融政策・・・詰り通貨の切り下げと云った景気対策は打て無い
 経済大国ドイツに取っての適正為替レートが、ギリシャにトッテモ適正で有る筈が無く、ソコで、ユーロの為替レートはその中間を取って有るのだが、結果として、ドイツに取ってのユーロは何時も安目で、ギリシャに取ってのユーロは何時も高目と為る。フランス・イタリアも然り。

 一方、ドイツ経済は万全だと思われて居るので、ドイツの銀行には利子が無くてもお金が集まって来る。その反対に金融破綻国の国債等は、飛び切り高い利子を着けなくては誰も買って呉れ無い。こうして、経済力の弱い国は更に競争力を失い、経済の格差は益々開いて行く。
 これを解決する為には財政も統合すれば好いのだが、そう簡単にはいか無い。そこで、リーマンショックの時、フランスやイタリアが提案したのが「ユーロ債」だった。ユーロ圏の国が共同で発行する債券だ。

 これなら弱い国もお金を調達し易く為る筈だが、ドイツ・オランダ・オーストリア・スウェーデンと云った財政健全国の反対で潰れた。「これを認めると、借金の歯止めが利か無く為る」「放漫経営の国の作った借金の尻拭いを、勤勉な国の国民に強いる事は出来無い」と云うのが、健全国の反対した主な理由だった。
 処が、このユーロ債のアイデアがコロナ禍で再び浮上して来た。その名も「コロナ債」ユーロ債と中身は同じだ。

 75年前と同じ構図に・・・

 只、結論から言うと、矢張りコレは今回も、特にドイツの強硬な反対で潰れた。理由も当時とホボ同じ。以来、イタリアやフランスでは反ドイツ感情が高まって居ると云う。ドイツの経済的な強さが露わに為る事に依って、元々これ等の国々に潜んで居た反独感情が、堰が切れた様に表に出て来たのかも知れない。
 尚EUには、南北の亀裂だけで無く東西の亀裂も在る。戦後、人道国家に為ろうと涙ぐましい努力をして来たドイツは、難民受け入れに前ノメリに為り過ぎイスラム教徒の受け入れに消極的な東欧諸国との摩擦が増して居る。

 これ迄のドイツは、絶対にスタンドプレーはしまいと常に自重して来たものだが、今や圧倒的な経済的優位と優等生的な人道国家振りで周辺国との温度差が激しい。結局、何をしても目立ってしまうのが、ドイツと云う国の宿命かも知れない。と云う訳で、現在のEUの様相は、75年前の「ドイツvs.その他の国々」と云う図に心無しか似て来た。早急な修正が必要である。


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 川口 マーン 惠美 作家 ドイツ在住 日本大学芸術学部音楽学科ピアノ科卒業 シュトゥットガルト国立音楽大学院ピアノ科修了 『ドイツの脱原発がよくわかる本 日本が見習ってはいけない理由』(草思社)が第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞を受賞 『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(講談社+α新書)『ヨーロッパから民主主義が消える』(PHP新書)等著書多数 

                  以上



















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