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2020年04月25日

17世紀の人々は「ペスト」と云う大災厄をどう乗り越えたのか〈新型コロナとの共通点〉


 

 17世紀の人々は「ペスト」と云う大災厄をどう乗り越えたのか

 〈新型コロナとの共通点〉


                〜婦人公論.jp 4/24(金) 12:00配信〜


         042516.jpg

         『ペスト』著 ダニエル・デフォー(中公文庫)より

 新型コロナウィルスによる感染が拡大する中で、17世紀に蔓延した「ペスト」に関する書籍が注目を集めている。その中の一冊、ダニエル・デフォーの小説『ペスト』には、現在の日本の状況とも、重なりが有る様で・・・

 常に病原菌との攻防を続けて来た人類

  新型コロナウィルスの感染者が増え続けて居る。私達が抱えて居るのは最早感染リスクだけでは無い。「仕事や生活はこの先どう為る?」「離れて暮らす家族や友人と次は何時会えるのか?」「感染症に依る孤独な最期をどうすれば避けられるのか?」と云った複雑な問題に直面して居る。

 突然、何時終息するのか判らない疫病に全世界が巻き込まれたのは災難だが、歴史を簸も解けば似た様な状況は幾らでも有った。1918〜20年に流行したスペイン風邪・1980年にWHOから根絶宣言が出される迄の天然痘・今も度々各地で問題化して居るコレラ・チフス・赤痢・結核・梅毒・・・等、人類は常に病原菌との攻防を続けて居る。
 しかし、感染症に翻弄された先人達は、少しでも後世の人々の参考に為る様にと、その壮絶な体験を様々な形で記録に残した。中でも、17世紀のジャーナリストであり『ロビンソン・クルーソー』の作者としても著名な作家・ダニエル・デフォーの『ペスト』には、1665年ロンドンでペストが広まり始め、感染のピークを越える迄の一部始終が、驚く程リアルに描かれて居る。

 殊の始まりは1664年の晩秋。ロンドンで突然、2人の男が疫病で死んだ。人々は上を下への大騒ぎと為ったが、その後数週間に渉って疫病死が報告され無かった為、平穏を取り戻す(実際には疫病死は増えて居たが、他の病気に依る死に紛れ込んで居た)その後、疫病死が在ったのと同じ界隈で死者が増え続け、人々は不安を募らせたものの、少し死亡者が減るとロンドンは未だ健全だと多寡を括った。
 そうこうして居る内に、翌年5月の終わりには、手の着けられ無い程疫病が市中に蔓延し、夥しい数の人が亡く為り出した。深刻な事態を直視せざるを得なくなった人々は、色々な噂が飛び交う中で、何とか疫病から逃れ様とするが・・・

           042515.jpg

 悪疫と云う巨大な不条理の前で

 感染拡大初期に、動揺を抑えながら成り行きを見守って居る人々の様子は、少し前の私達と重なる。死者数の増減に一喜一憂し、出来る事なら大事に至ら無いで欲しいと願って居たのだろう。
 『ペスト』は主人公のH.F.氏が、悪疫に見舞われたロンドンの様子を仔細に観察して記録する形式を執った小説である。デフォーは『死亡週報』等実在の記録を綿密に検討し、体験者から状況を委細に渉って聞いたと云う。その為、作中に描かれた内容は可能な限りの現実の資料に基づいて居ると考えられて居る。1973年に作家の大江健三郎氏はデフォーの『ペスト』に付いて次の様に記した。

 「デフォーの日誌が記録するのは、悪疫と云う巨大な不条理の前に立たされる事に依って、人間として赤裸に一人ソコに実在して居る事実に直面せざるを得なかった人々の日常である。悪疫に閉ざされた大都市の人間達は大いなる監禁状態に在るが、その中では恐しい程に自由だった」(「悪疫年」より)

  当時の「自由」とは、例えば、教会の前で神を愚弄するとか、死を予感して居乍ら神の摂理と恩寵を信じ続ける、と云った事を指す。信仰が生活の中心に在った中世ヨーロッパの人々と現代の日本に暮らす人々では、科学的な知識や社会背景、心の拠り処は大きく異なるだろう。
 しかし、史実に基づく貴重な資料として読み継がれて来たこの本から、私達が今直面して居るのと好く似た困難に、数百年前の人々がどう向き合ったのかを知る事が出来る。

 デマに翻弄される市民達

 現代と重ね合わせて見ると興味深く思われる場面を、幾つか挙げてみよう。感染の危機を身近に感じたH.F.氏が一番初めに考えたのは「ロンドンに残留すべきか、逃げ出すべきか」「店を閉め無いで商売を続けて行くにはどうしたら好いか」「どう遣って無事に切り抜け生き通せるか」と云う悩みだった。ドレも今、日本中から漏れ聞こえて来る嘆き節ととても好く似て居る。
 パニックに陥るとデマを信じてしまうのは、トイレットペーパーを買いに走った現代人だけでは無い。17世紀のロンドンでは、貴族等余裕の有る人々がアッと云う間に郊外へ逃げ出す様子を見て、疎開出来無かった貧しい人々は疑心暗鬼に為った。

 そして疫病が流行る前、数ヶ月に渉ってロンドン上空に現れた彗星を思い出し、それが恐るべき異変の前兆だったと受け止め、恐怖に囚われた。その結果、予言・占い・巷間の俗説を信じた。政府当局は取り締まりを始めたが、人々の不安は解消されず、イカさま医者や香具師(やし)怪し気な薬を売って居る老婆の後を追っ掛け廻し、薬を山の様に買い込んで居たと云う。
 封鎖に関しては、中世の方がズッと思い切ったものだった様だ。疫病の蔓延を防ぐ為感染者専用の病院へ移された病人も居たが、特に感染が急速に拡大した時期に感染拡大への抑止効果が在ったのは「家屋閉鎖」・・・発症して無い家人諸共患者の家を閉鎖する強引なもので、当時でも「残酷で非道な処置」と反感を買った。

 こうした措置に付いてH.F.氏は「疫病の発生した数箇所の通りで、早速その感染家屋を厳重に監視し、患者が死んだと判るや否や、直ちにその死体を慎重に埋葬した処、その通りでは疫病はピタリと止んでしまったのである」「一旦猖獗(しょうけつ)を極めてしまうと、その終息の仕方も早い事が判った。早手廻しに家屋閉鎖と云った手段を執った事が、疫病を阻止するのに与って大きな力が在ったらしいのである」と、記録して居る。

 エンターテインメントも禁止に・・・

 外出自粛を徹底し、ウィルスとの接触を阻止した人も居た。

 「病気の蔓延を見越した者の中には、家中の者全部の食糧を充分に貯えて、家の中に引っ込んでしまい、マルで生きて居るのか死んで居るのか判ら無い位、全然世の中から姿を晦まして、疫病がスッカリ収まった頃、ヒョッコリと元気な姿を現した人間も多かった」

 結果としては「この方法が、色々な事情で避難する事も出来ず、田舎に適当な疎開先も持た無いと云った人々に取っては、一番有効かつ確実な手段であった事は疑う余地が無い」と高く評価している。
 これはマルで、長引く外出自粛で私達のストレスが溜まって来た時にStay at homeの意義を再認識させて呉れる助言の様にも思える。他にも、芝居や歌舞音曲・剣術試合等の「雑踏を招くような催物」はいっさい禁止、宴会禁止、酒楼の取り締まりといった決まりごとがあった。人々の心を和ませる筈のエンターテインメントや歓楽街を避け無ければ為ら無いと云う悲しみは、数百年前の人達とも解り合えるものの様だ。

 医師や看護者達の献身に対する感謝の気持ち等、本書には他にも興味深いエピソードが数え切れ無い程描かれて居る。新型コロナウィルスとの戦いが終息するには、未だ暫く時間が掛かりそうだ。先人達の経験を手掛かりにして、今を生き抜く手立てをジックリ考えてみては如何だろうか。


           中公文庫 編集部  以上
















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