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2018年03月14日
時間を買った
時間は買うことができる。
誰しもに平等にあるものが時間であると言われているが、
だからこそ時間は買うことができると思っている。
簡単なことだ。
食材を買ってご飯を作って、食べる。
この一連の流れ、ゴールは何かを食べるわけだけれど、
"作る"時間は買うことができる。
軽い料理であっても10分〜は購入することができるだろうし、
洗い物をする後工程も踏まえると1日15分を創出することにつながる。
これが3食×365日続くと仮定した場合、
年間で最低16,425分=274時間=11日間
1年のうち、11日間はご飯を作っていることになる。
勿論、健康面を考えていたり、趣味で作っているのであれば話は変わるが、
ただ食欲を満たすだけの食事であれば、時間を買った方が、生活の水準は上がるかもしれない。
特に何が言いたいわけでもないですが、
細かいことやモノを時間に置き換えてみて、
本当にその時間は必要なのか?本当はもっといい方法があるのではないか?
そういった疑問視が、どんどん時間をつくっていってくれるはず。
もっと、誰しもが時間を買おう。
誰しもに平等にあるものが時間であると言われているが、
だからこそ時間は買うことができると思っている。
簡単なことだ。
食材を買ってご飯を作って、食べる。
この一連の流れ、ゴールは何かを食べるわけだけれど、
"作る"時間は買うことができる。
軽い料理であっても10分〜は購入することができるだろうし、
洗い物をする後工程も踏まえると1日15分を創出することにつながる。
これが3食×365日続くと仮定した場合、
年間で最低16,425分=274時間=11日間
1年のうち、11日間はご飯を作っていることになる。
勿論、健康面を考えていたり、趣味で作っているのであれば話は変わるが、
ただ食欲を満たすだけの食事であれば、時間を買った方が、生活の水準は上がるかもしれない。
特に何が言いたいわけでもないですが、
細かいことやモノを時間に置き換えてみて、
本当にその時間は必要なのか?本当はもっといい方法があるのではないか?
そういった疑問視が、どんどん時間をつくっていってくれるはず。
もっと、誰しもが時間を買おう。