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2021年03月27日

結婚して子供が産まれたら、妻に専業主婦になって欲しいと願っていたアホ!

なぜ子供が生まれたら、妻に専業主婦になってもらいたかったか?


答えは、子供に寂しい思いをさせたくなかったから。

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では、なぜアホなのか?

当時すでに育児休業補償制度が整っていて、正社員として働いていた妻も、この制度を利用すれば数年後、正社員として職場復帰出来るはずだった。
にもかかわらず僕が、わがままを押し通したせいで、妻は長年勤めた会社を退職することになったからです。



そしてこれが、今の貧乏生活に繋がる、ことの発端になってしまったから。
ほんと僕は、とんでもないアホだったんです。


ではなぜ僕は、わがままを押し通してまで、妻に会社を退職させてしまったのか?


皆さん、『鍵っ子』って知ってますか?

昭和世代の人なら、おそらく聞いたことがあると思います。

鍵っ子とは、
両親共働きで家に居ないため、帰ったら自分で鍵を開けて家に入る子供の通称です。
常に家の鍵を携帯しているところから、“鍵っ子”と、呼ばれていました。


かくいう僕も鍵っ子だったのです。

今では、鍵っ子なんて言葉は死語でしょうけどね。

現在では、共働き世帯の子供達は、預かり保育や児童館が面倒を見てくれてます。
そして、ちゃんと親がお迎えに来てくれますね。

僕ら昭和世代にも、放課後児童クラブみたいなのは存在してました。
だけど僕の記憶では、親がお迎えまでしたという記憶はあまり無いですね。
決まった時間(確か18時頃だったような)になると、皆それぞれに自分で家へ帰って行ったように記憶してます。

当時を思い起こせば、
◎家に帰っても、誰も居ないから寂しかった。
◎家に帰っても、話し相手がいないからつまらなかった。
と言う記憶が未だに心の奥底に残っています。

家に帰っても常に親がいないことで、寂しさが積み重なっていったわけです。


当時、現在みたいにネット社会が普及し、『在宅ワーク』『ブログアフィリエイト』など在宅でも収入を得る手段や仕組みづくりが一般的であったなら、“鍵っ子”なんて言葉は存在してなかったかもしれませんね。

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ここから先は、自分語りになりますので、興味のない方は読み飛ばしてください。
そういう日常が当たり前になると、寂しさを紛らわすためにテレビをつけっぱなしにして、目的もなくぼーっと観続けていたり、自分の殻に閉じこもるような子供になってしまいます。
そしてこのような感情を、心の奥底にしまい込んだまま成長していくことになります。

中学、高校と成長して思春期になるにつれて、当然反抗期が訪れます。
何に対して反抗するかというと、幼少期の寂しさの跳ね返りです。
そういう年頃になると、当然親に対して心を閉ざすようになりますね。
何を言われても、注意されても、とにかくウザくてしょうがない。
僕の場合は、心の奥底にその寂しさの感情が、強く植え付けられてしまったせいなのか、当時それが特に強かったように思います。
この感情は、大人になった今でもなかなか、拭い去ることは出来ないようです。
何かで注意された時に、反抗心みたいな感情が込み上げてきますから。

だから、産まれてくる子供には、同じ想いをさせたくなかった。
それが妻に専業主婦になってもらいたかった理由だったのです。
どうしようもないほど自分勝手でしたね。

その結果、収入はひとり分の給料だけになり、生活に余裕がなくなっていきます。

さらに追い討ちをかけたのが、子供が産まれて1年も経たないうちに決断した、僕の転職です。
しかも前職の半分の額もボーナスが貰えない会社でした。

2021年2月5日付投稿
⇒『仕事の話しでも』参照


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転職した理由は4点
○ 営業担当として当時訪問していた、取引先の担当者から総務部門へお誘いいただいた。
○ キツかったセールスノルマから解放されたかった。
○ 一番の決め手は、担当者の人間性に惚れ込んだから。
○ 地場の中小企業でしたが、そこそこ歴史のある会社だった。

月々の給料だけは、前職を参考にしてもらいましたので、多少は上がりましたけど。

その会社の業界は、当時不景気真っ只中の建設業界だったのです。
この会社へは、その後17年間お世話になることになりました。

子供は3歳、幼稚園へ行くことになり、妻の時間にも多少余裕が持てるようになる。

ここで、妻が仕事を辞めずに育児休業中であったなら、正社員として職場復帰となるはずだが、既に退職したあとなので完全無職。

専業主婦を求めていた僕にも、後悔の念がじわじわと湧いてきます。
子供には、寂しい思いをさせたくありませんでしたが、所得減少の現実を突き付けられた当時の我が家にとって、背に腹はかえられませんでした。

やむを得ず、共働きの選択をすることになります。

妻からは、「会社辞めなきゃよかった」とさんざん愚痴られる始末。
そして職探しを開始します。
子供がまだ小さいので、時間的に融通がきくパート採用に絞って探し始めます。

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皮肉なことに、見つかったのは以前に勤めていた会社でした。

応募したら即採用されました。
当然です、社員として勤務したことのある経験者ですから。

ただし、職場は同じでも、身分は全く異なりました。
非正規のパート社員、時給900円です。
ボーナスも、僅かばかりの金一封しか貰えません。

5年間勤めましたが、1円たりとも昇給することはありませんでした。
働いている期間中、元の正社員として本採用してくれるよう、何度となく会社に打診しましたが、『前例がない』との理由で、受け入れてはくれませんでした。
そこで見切りをつけ、もっと条件の良い働き先を求めて退職したのです。

後日談ですが、妻が会社に何度となく打診したことがきっかけとなり、会社でも検討がなされ、妻が退職した翌年度にパート社員から正社員への本採用の道が開けたそうです。
言い出した本人だけが、悔しい思いをしたわけです。

その後、もっと条件の良かった、大手グループ企業のパート社員として働いた後、派遣社員として現在も共働きで働き続けています。

もっとも今では、僕が安月給の正社員トラックドライバーですので、僕一人の給料だけでは生活は成り立ちませんから、どうしても妻の収入が必要なわけです。

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更に月額5万円は上乗せしたいなぁと考えております。
そういう考えに基づいて、現在『ブログアフィリエイト』にチャレンジしているわけですよ。

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posted by やすやん at 20:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 生活
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2001年5月パニック障害発症、2008年5月慢性骨髄性白血病発病、治療薬グリベック服用にて治療開始。状態も安定し、10年目の2017年7月からは高額の治療薬グリベック服用中止の臨床試験を主治医より勧められ断薬実施中の50代後半冴えないオヤジ。運送会社で2tトラックドライバー、安月給で生活苦しすぎ…目指せ脱貧乏!
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