2016年09月15日
「今日は無礼講で!」 の無礼講の宴会≠最初にやったのは誰?
会社の人たちと飲みに行くことになり、最初の挨拶で上の立場の人が「今日は無礼講でいきましょう」なんていうことがあります。これは「上下関係抜きで楽しみましょう」ということですね。そんな飲み会で調子に乗ってハメを外しすぎて上司に失礼な言動を連発し、無礼講のはずなのに怒られてしまう…という失敗もよくある話です。
最初の無礼講は鎌倉時代!
この無礼講の宴会を初めてやったのはどんな人たちでしょうか。14世紀末の古典文学『太平記』にその模様が詳しく記されています。時は鎌倉時代。後醍醐天皇は鎌倉幕府の討幕を図り、美濃源氏の土岐頼貞、多治見国長、足助重成といった腹心の者たちを招いて密議のための宴会を行うことにしました。
討幕という危険な計画について話し合い、その意志を探るわけですから、当然、誰もが本心を打ち明ける必要があります。しかし、当時の宴会は座席やお酌をする順番が身分によって決められており、上下関係の礼儀を重んじることが通例となっていました。
そこで後醍醐天皇は、慎重な密議の邪魔となる身分や上下関係を取っ払うことにしたのです。この宴会に参加した者は、公家の烏帽子や僧侶の法衣といった身分のわかるものを脱ぎ捨て、薄着の美女たちにお酌をさせて、山海の珍味を味わいながら酒を酌み交わしたそうです。
このようなハメを外した大騒ぎの宴会は、討幕の密議という本来の目的を隠して周りを欺くためという目的もありました。そして、後醍醐天皇が催した礼儀を欠いた宴会の様子に驚いた人々は、これを「無礼講」と呼ぶようになり、今日に至るというわけです。
ちなみに、この無礼講の宴会で企てられた討幕計画は外に漏れてしまい、後醍醐天皇は処分されなかったものの、土岐頼貞、多治見国長らは処刑されました。いくら無礼講とはいえ油断してはいけないというのは、その起源となった逸話から続く教訓といえますね。