2019年02月16日

創造の第二日 大空の上の水、天蓋の考察2

5、水蒸気の天蓋により、夜昼は巡り、水分は局地的蒸散と濃縮で、霧や露があり、過ごしやすい一定の湿度が保持されていたはずです。
6、地球上の至る所に温かい温度と快適な湿度が保たれていたので、不毛の砂漠地帯、万年氷河もなく、世界中に植物が繁茂していたことでしょう。

緑豊かな地球は巨大化した多くの恐竜たちにもとっても十分な食料を供給することができました。
例えば、世界で一番広い砂漠は、サハラ砂漠です。面積は907万平方km。サハラ砂漠は東西5,600km、南北1,700kmに広がり、アフリカ大陸の北部を占める世界最大の砂漠です。サハラ砂漠の地名は、アラビア語のサフラ(不毛、荒地 ...)という意味です。

フランス人科学者主導の研究チームは、陸域観測のハイテク機器である日本の陸域観測技術衛星「 PALSAR 」のセンサーシステムを使用して、サハラ砂漠を調査しました。PALSAR のセンサーシステムは、宇宙からの詳細な地下の撮像が可能です。人工衛星画像を用いて、サハラ砂漠で大規模な古代の地下河川システムを検出しました。それは、約 5000年前のサハラ砂漠は非常に活気の満ちた緑豊かな場所だったことが確認されました。

モーリタニアの砂漠を含むアフリカ地域の広さは、大ざっぱにいえば、アメリカ合衆国の半分の広さで、それはアフリカ大陸の半分を占めていますが、もし、この古代の地下の河川の状態が持続していた場合、現在のアルジェリアにあるアトラス山脈とホガール山地を水源地とした長さ 500キロメートルの川となり、世界第 12位の川となることを意味しています。
かつてのサハラ砂漠の地域は、森と川とそれにつながる海域は、その環境を維持する数多くの生物たちと共に、信じられないほど豊かな生態系を持っていたことが推測できました。

サハラ砂漠は、砂漠でも、荒地でも、不毛の地でもなく、緑豊かな森の大地だったのです。
これはサハラだ砂漠だけではありません。世界中の砂漠が緑の大地だった化石証拠があるのです。

7、水蒸気の天蓋により、宇宙から来る紫外線、宇宙線、放射線その他の破壊的光線を完全に除去していたのです。その結果、人はシミ、そばかす、皮膚ガンなどから守られていました。完璧美肌効果!また、遺伝子の突然変異もありませんでした。DNAも損傷から守られ、個体の生存能力を保持していました。

したがって、近親間での結婚をしても遺伝的にトラブルが生じる可能性はゼロでした。モーセの時代にはすでに水蒸気の天蓋が破壊されてから、800年ほど経っていますから、遺伝子損傷が起こる可能性が出てきたため近親間での婚姻は神によって禁止されました。(レビ記18:8-18と20:11-21)

水蒸気の天蓋は人と動物の健康と長寿に大いに貢献していました。ノアの大洪水までの人の寿命は1000歳近いのが当たり前でした。人はもともと永遠に生きられるように造られていたのです。罪を犯さなかったら、死ぬことはなかったのですから。死ぬのが普通なのではなく、死なないのが普通だったのです。
ノアの洪水後、人々の寿命は120歳へと短縮されたのです。

神である【主】は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」創世記2章16〜17節、

アダムが罪を犯した時、即死したとしても文句は言えませんでした。死ぬと警告されていた事を神に背いてしたからです。しかし、神はアダムとエバをあわれみ、彼らの罪の代償として身代わりにそれぞれに1頭ずつ小羊を殺し、しおれたイチジクの葉の代わりに羊の皮の衣を造り着せてくださったのです。それはイエス・キリストの身代わりの死と救いとイエス・キリストを着て生きる事を教える視覚教材でもありました。

8、膨大な厚さの水蒸気の天蓋は、高気圧をもたらしました。それにより、酸素を取り入れやすくなります。大気の重さプラス天蓋の水蒸気の層による重さで、高気圧となり空は曇ることなく、たえず快晴でした。

青空と言うよりは、水蒸気の層の天蓋の影響でピンクがかった空だったかもしれません。夕焼けがそうであるように、水蒸気の大気の層が厚くなると大気の色が変化するように、水蒸気の層の厚さで、太陽光はピンク色になります。

さて、高い気圧は、病気に対する抵抗力を高め、健康を増進するのに非常に有効であることがわかっています。

皆さんも曇天よりも晴れた日の方が気分もいいはずです。晴れている時は、頭の上に高気圧が張り出して気圧が高くなっていますので、実際健康的にも気持ちが良いのです。

甲子園でハンカチ王子斎藤佑樹投手が「酸素カプセル」で疲れた体を短期間で直していたのをご存知かと思います。松坂大輔投手やデビットベッカム選手も「酸素カプセル」を使用し、筋肉痛を取っていました。また、「高濃度酸素を吸うと記憶力がアップする」(正解数の増加が15%上回った)という実験結果も発表されています。私も必要で〜す!

 通常空気に含まれる酸素の割合は21%ですが、「酸素カプセル」では、30%と多めの酸素を含んだ空気を送り、気圧を1.3気圧まで上げるのです。1時間ほど横になると、筋肉痛がとれリラクゼーションに効果があるそうですから、ぜひとも体験してみたいですね!

医療用の「高気圧酸素治療装置」は、すでに実用化されて、高気圧酸素治療を受けられるようになっています。2気圧〜2.8気圧の環境で、100%純度の酸素を吸い込む治療で、突発性難聴、脳卒中なので脳が腫れる脳浮腫(のうふしゅ)、心筋梗塞(こうそく)など、さまざまな病気に保険が適用されているそうです。

体内酸素量の増加により、生体内の循環障害・低酸素状態の改善効果があり、酸素の抗菌作用を利用し、細菌の発育を阻害する抗菌効果があり、生体内にできた気体を圧縮・再溶解することによる末梢循環の改善効果があり、組織の腫れを軽減させるなどの素晴らしい効果です。

高い気圧環境の中で酸素を吸入すると、通常の大気圧下での呼吸で得られる酸素量に対して、10〜20倍にまで酸素を体内に取り込む事ができます。体内で取り込まれた大量の酸素は、手足の先端まで行き渡りあらゆる低酸素状態の改善を図ります。血管新生や組織修復などに働きかけることから、擦り傷切り傷も早く治ります。また、一酸化炭素中毒を代表とした体内に蓄積された有毒ガスの洗い出しに対して促進的に働きます。

最近スタンフォード式「疲れない体」山田知生著の本を貸していただいて、読んでいましたら、疲れない体の秘訣の一つに呼吸法がありました。腹圧呼吸法がいいそうです。つまり、酸素をしっかり取りれることが「疲れない体」の秘訣の一部ですからやはり関係していますね!

ノアの大洪水前の世界は、まさに人々が健康に暮らせる至れり尽くせりの環境だったことがわかります。

9、もうしばらくするとただで全員が体験できます。
ノアの大洪水の時の雨の一部となって失われた水蒸気の天蓋の層も、千年王国において再び回復されるからです。もちろんこの千年王国に入れる資格を持たなければなりませんが。

主をほめたたえよ。天の天よ。「大空の上にある水」よ。 彼らに【主】の名をほめたたえさせよ。 主が命じて、彼らが造られた。 主は彼らを、世々限りなく立てられた。詩篇148篇4〜6a節

「大空の上にある水」が主をほめたたえているのです。存在しないものは神をほめたたえることができません。つまり7年の艱難期の後の千年王国のために「水蒸気の天蓋の層」を神がもう一度造りだされるのです。「水蒸気の天蓋の層」があるだけで、地球環境はエデンの園のように変われるようになります。

植物が生長するための最適な環境となります。緑豊かな大地が世界中に広がることでしょう。
また、ピングかがった空の下で毒ヘビなどが毒性をなくしていくという実験を見たことがあります。
コブラと赤ん坊が戯れる世界が来るのです。
動物にも植物にも素晴らしい最適な地球環境が、実現します。
人も最適な健康状態が維持できるようになります。そして、人は長寿になるのです。地球全体が「高気圧酸素カプセル」になるからです。

そこ(千年王国)にはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。イザヤ65:20

不健康で長く生きるのは辛いですが、1000歳でも元気で生活できるようになるのです。もちろんイエス・キリストに属する者たちは、栄光の体に変えられますから、病気にもかかることなく、完全な健康体で、今どのような障害を抱えていたとしても、全てが癒され傷やシミやシワ一つない体に変えられるのです。死ぬこともありません。私は髪フサフサとなり若返りますから、今しか知らない人は見つけられるかなあ?


今日もウェブチャへようこそ!

ぜひとも、ご一緒に「高気圧酸素カプセル」を体験しましょう!「エデンの園」のように回復された地球を体験しましょう。地球全体を「エデンの園」に回復するプロジェクト「エデン」に、是非とも皆さんの今の体験を、力を、知恵をお貸しください。お持ちの技能、才能、今体験している全てが生かされるのが千年王国です。

イエス・キリストが私の救い主です。あなたに私は信頼します!」そう心から神に祈ってください。千年王国の住民となれる永住権が神によって与えられます。聖霊なる神が証印です。その証印は目には見えませんが、そのように祈った瞬間に、あなたには聖霊の証印が押されます。
まもなくお会いできますね!その時には、「ウェブチャを読んでいました。」なんて言ってくださると、とって〜もうれしいです!

今日も千年王国に向かって充実した1日をお過ごしください!


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2019年02月15日

創造の第二日:大気と大空の上の天蓋 考察1

神は仰せられた。「大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。」 神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。 創世記1:6〜8

この時点の地球の様子は、まだ液体の水の中に包まれ、やがて地を構成する成分が懸濁(けんだく)状態になっていました。球状になってはいましたが、大気もなく液体状の地球でした。その液体状の水を元に「大空」ラキア רקיע (薄く広がった空間)を分離させ造りました。
その時に、「大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。」と不思議な言葉を発せられました。「大空」を造っただけはなく、「大空の上の水」を分離させました。

「大空の上に水」とは、水蒸気の層で、地球をすっぽり覆う天蓋となりました。
水蒸気の層でどのくらいの量であったかを推測するヒントは創世記7:12にあるようにノアの洪水の後に起こった四十日四十夜の雨の一部でした。大気圏の上層部にあって液体の水であれば3〜4cmぐらいの厚さであり、水蒸気の層にするなら膨大な厚さの層になっていました。その水蒸気の分厚い天蓋によって、生命を守る完全な水蒸気のバリアを神は造ってくださったのです。

したがって、今とは全く異なる地球環境がノアの大洪水までありました。その様子を想像することができます。残念ながらノアの大洪水の時に失われてしまったのです。

ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、
ことごとく張り裂け
、天の水門が開かれた。
そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。
創世記7章11, 12節

ノアの大洪水の水の出どころは、雨ではなく、地下水の噴出から始まりました。雨はその後です。おそらく海底火山の噴火あるいは隕石の落下など、地球の地殻変動を起こす何かがあって、地下水が吹き上げ、大洪水なる津波が押し寄せて来ました。

さて、「水蒸気の天蓋の層」は、その大洪水の時点で雨となり地に降り注いでしまったため、現在どこにも見いだすことはできません。しかし、その不思議な天蓋の水蒸気の層あったことを裏付ける証拠は、たくさんあります。その当時の環境が特別であったことを物語る数え切れないほどの化石証拠があるのです。

水蒸気の天蓋の層ががあることで考えられる地球環境
1、太陽光を通過させ、地球表面からの反射する光を保持し、光を天蓋の下で拡散することができました。その結果、地球全体に温室効果がもたらされ、一定の快適な暖かさが維持されました。どのぐらいの快適さかというと、アダムとエバが裸であっても、寒くも暑くもないという快適さでした。光も極地方まで届いていたのです。それは植物の生育に大いに影響を与えていました。

化石証拠は、南極は緑の大地であったことを裏付けています。
アーケオシアタス(古杯類、こはいるい)、三葉虫(さんようちゅう)、腕足類(わんそくるい)などが南極大陸最古の化石です。アーケオシアタスは、珊瑚(さんご)と海綿(かいめん)の中間的な性質をもち、熱帯〜亜熱帯の海に住む生物ですから、現在の南極大陸を構成する地層が、このころは赤道に近い地域にあったというのではなく、現在の南極の場所であっても、亜熱帯の気候だったということです。

赤道から南極への大陸移動があったとするなら、地球全体が壊滅するような巨大地震の連続だったはずで、何度も生命は滅んでいたことでしょう。

南極横断山地の古生代末期から中生代ジュラ紀にかけての地層からは、シダ植物の仲間のグロソプテリス、陸上の爬虫類(はちゅうるい)リストロサウルスなどが見つかっています。このような、海を渡って移動することのない生物の化石が、南極大陸のほかに、南アメリカ、アフリカ、オーストラリア、インドといった、海で隔たれた大陸から共通して見つかるので、当時はこれらの大陸が地続きで、巨大な大陸を作っていたと推定されます。

その後、ノアの大洪水により、一旦水に覆われ、堆積層が形成され、造山運動によって、現在の陸地と海が形成され、南極大陸も海により隔てられることになったと考えられます。

クイーンズランド大の博士スティーヴ・ソルズベリ氏は南極大陸の地層から「我々はアロサウルスやモササウルスの化石を大量に発見したと語っています。恐竜が南極にたくさん生息していたのです。

ガルブランソン氏は大量の植物化石が南極から見つかることに対してコメントしています。「どういうわけか、これらの植物は4〜5カ月の真っ暗闇だけでなく、4〜5カ月の真っ昼間でも生き延びることができました」さらに、「どのようにしていたのかはっきりとはわかりませんが、とにかく、ちゃんと対応していたのです」と述べています。

私たちはそのガルブランソン氏の抱える難題の答えを持っています。つまり「水蒸気の天蓋の層」が地球をすっぽり覆っていたので、極地方にも十分な光が届いたのです。当時の環境を教えてくれる示相化石は南極が熱帯〜亜熱帯のような気候であったことを証明しています。

2、地上の温度がほぼ一定のため、大きな空気団の動きもなく、暴風もなかったでしょう。
3、大気圏には、大気の循環もないため、直接水面から蒸発した霧はあったが、雨はなかったのです。
4、大気圏には、大気の循環もないため、乱気流もなく、上空へ塵が吹き上げられることもなかったでしょう。したがって、上空にある水蒸気の層(大空の上に水)は安定し保たれていたのです。

植物は安定した環境が与えられると繁栄し、巨大化します。木生シダは電信柱のような太さと高さが普通でした。植物も動物も昆虫も大型化していたことが化石よりわかります。変温動物もストレスを感じることなく、恐竜も巨大化していったのです。また、その恐竜たちを胃袋を支える十分な食料としての植物が生い茂っていたのです。恐竜化石は、博物館に陳列し切れないほどの膨大な量の化石が発見され、倉庫やスタジアムの観客席に下にゴロゴロ置かれているのです。
現在の地球には、その化石となった恐竜たちに十分な食料を提供できる植物の量はないです。人間でさえ飢えているのですから。かつての地球はまったく異なっていました。


今日もウェブチャへようこそ!

ノアの大洪水までの自然環境は今とまるっきり異なる緑豊かなとっても素晴らしい地球が存在していました。今も自然界は素晴らしいですが、それよりももっともっと素晴らしい世界があったのです。そこに生きる人も動物も植物も最高に快適な環境に支えられていました。それは「大空の上の水」「水蒸気の天蓋の層」によってもたらされていたのですね。さらにその影響を共に考えていきたいと思っています。お楽しみに!

今日も良い1日をお過ごしください!


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posted by masaluk at 14:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 創世記

2019年02月14日

ご質問:世の終わりの「主の日」1日?ある期間?

ヨハネが霊の中にいたあの「主日」である「主の日」の他に、
一般的に旧約から語られていた「世の終わりの主の日」とは、ヤハウェなる神、イエス・キリストが、人類の歴史の中に介入される裁きの特別な日や一定の期間を指しているようです。終わりの時代の一定期間であって、主の空中再臨、7年の艱難期、主の地上再臨、千年王国後のゴク・マゴグ軍の反乱の制圧を指していると思います。以下、ご参考になれば幸いです。

「主の日の始まり」は、
主イエス・キリストが空中まで来られる空中再臨で始まります。
ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。 洪水前の日々は、ノアが箱船に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。 そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。 ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。 マタイ24:36〜41

その日その時は父なる神以外誰も知らないのです。空中再臨が決まれば、7年後がイスラエルの復興となるひがわかります。しかし、空中再臨の時は父なる神がご自分の権威をもって定めておられることで、御子も天使も人間も誰も知らないのです。

そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。使徒1:6〜7

夜の盗人のように突然前触れなく来る(ゼパニヤ1:14−15、IIテサロニケ2:2)ので「油断せずにキリストがいつ来られても良いように、準備」しているように勧められています。それは、イエス・キリストの空中再臨とイエス・キリストに属する者たちにとっての携挙の時を指しています。これが「主の日のはじまり」です。

さらに、その後「主の日の期間」は七年間続きます。
艱難期間中の一部の様子について預言者ヨエルも以下のように伝えています。
その面前で地は震い、天は揺れる。 太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。 【主】は、ご自身の軍勢の先頭に立って 声をあげられる。 その隊の数は非常に多く、 主の命令を行う者は力強い。 【主】の日は偉大で、非常に恐ろしい。 だれがこの日に耐えられよう。 ヨエル2:10〜11
【主】の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。ヨエル2:31
このことが起こるのは、艱難期期間中で、すでに書いて来ましたように第6の封印が解かれた時です。啓示録6:12〜17

主の日のクライマックス」は、艱難期の7年の終わりに起こります。

その時の地上のイスラエルには反キリスト軍が侵攻し、イスラエルが壊滅するのが確実となるハルマゲドンの開戦直前です。敵の数の多さと軍事力から、もはやイスラエル防衛軍は防衛できない状況となります。彼らは敵を見るのではなく、突然天に向かって「主の御名によって来られる方に祝福あれ!」と叫び声をあげます。
その祈りに答えて、主イエスは天から降りて来られるのです。七つの祭りの大贖罪日が文字通り実現する時です。イスラエル人ユダヤ人は霊的に民族的に回復し、一つとなり悔い改めてヤハウェなる父なる神に立ち返ります。

この時、イスラエル人とユダヤ人の真の悔い改めがなされます。
全イスラエルは主に立ち返り、自分たちがメシアを十字架につけた罪を、民族全体が一人の人のように嘆き悲しみ、悔い改めて神に立ち返る時です。真の回復がこの時実現するのです。

主の日のクライマックス」であるだけにこの時の描写は色々な言葉で表現されています。
全能なる神の大いなる日」全世界の王たちが戦いをするために、悪霊どもによって集められます。(啓示16:14〜15)
主の大いなる恐ろしい日」その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は、わらとなる。 来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。 ──万軍の【主】は仰せられる── あなたがたはまた、悪者どもを踏みつける。彼らは、わたしが事を行う日に、あなたがたの足の下で灰となるからだ。(マラキ4:1、3)
獣(反キリスト、偽預言者)をほふる日」首長たち、王子たち、外国の服をまとった全ての者を罰する。
主の大いなる日」=「主の日」
激しい怒りの日」「苦難と苦悩の日」「荒廃と滅亡の日」「やみと暗黒の日
雲と暗闇の日
角笛とときの声の日」「城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日」
主の激しい怒りの日」(ゼパニヤ1:7〜18)

さて、ハルマゲドンの戦いは、主イエス・キリストが天使たちとキリストの花嫁である私たちと、天から地上に降りてこられ、オリーブ山に立たれる時を持って終わります。(ゼカリヤ14:1〜9)その敵どもを主イエスキリストのみ口の言葉を持って一瞬のうちに滅ぼし尽くされます。(啓示録19:21)

神はイスラエルの残りの者(レムナント)(エレミヤ6:9、23:3、31:7、イザヤ10:20〜22、イザヤ11:11、ゼカリヤ13:8〜9)を助け、彼らの罪を赦し、アブラハムに約束された土地をご自分の選ばれた民のために回復し、(エレミヤ30:19−22、31:38〜40、ミカ4章)
イスラエルはみな救われる」(ローマ11:26)という約束を成就されるのです。

高ぶる者はかがめられ、高慢な者は低くされ、主おひとりだけが高められる。」(イザヤ2:17)
7年の艱難期の最後の日が「主の日のクライマックス」です。
そして、この「主の日」を通して「千年王国の幕開け」となります。(ゼカリヤ14:1〜9)
ダビデの仮庵の復興の時です。(アモス9:11〜15)

私の神、【主】が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。 これはただ一つの日であって、これは【主】に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。 その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。 【主】は地のすべての王となられる。その日には、【主】はただひとり、御名もただ一つとなる。ゼカリヤ14:5b〜9

そして、「最後にもう一つの主の日」は、千年王国の最後にサタンが解放され、ゴグ・マゴグの反乱軍を焼き尽くす日となります。「不信仰な人々が裁かれ、滅ぼされるべき日」となります。(IIペテロ3:5〜14)

地は千年王国でエデンの園のように回復されていたのですが、反乱軍とともに焼き尽くされます。
彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす。彼らの来る前には、この国はエデンの園のようであるが、彼らの去ったあとでは、荒れ果てた荒野となる。 これからのがれるものは一つもない。(ヨエル2:1〜3)
この「主の日」は「神の日」とも描写されています。
現在ある全宇宙とこの地球は、一旦大音響を立てて消滅します。全ての物体を、一旦エネルギーに戻され、新天新地を作られるのです。 (啓示20:7〜15、21:1)

これらのことを理解していくと、「終わりの時代の主の日」がどの時を指しているかが前よりわかりやすくなったかと思いますが、いかがでしょうか?


今日もウェブチャへようこそ!

「世の終わりの主の日」は色々な時と期間があることを理解されたでしょうか?パウロが3週間ほど滞在して田どしたテサロニケのエクレーシアにも、パウロは重要な「主のご再臨」と「主の日」について教えていました。ただやはり混乱が起こっていたようですね。ニセ教師による間違った教えによるものでした。また、いつかそれについても取り上げてみたいと思います。
シリアの首都ダマスカスが廃墟になるのも時間の問題です。ロシア、トルコ、イランがイスラエルの北から侵攻し、リビヤとスーダンが南からイスラエルに侵攻するエゼキエル戦争も間近でしょう。これらの聖書予言が実現することは、私たちが聖書が信頼できる真理の書であり、「終わりの時代の主の日」が間もなく始まろうとしていることを意味しています。ご自分の準備がお済みの方は、親しい人や友人たちにお伝えしたいですね。祝福を祈ります!

今日も充実した1日をお過ごしください!


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2019年02月13日

啓示録8:1〜2 第七の封印が解かれた

そして、彼(小羊)が第七の封印を解いたとき、天において半時間ほどの静寂があった。それから私は、神の御前に立っている七人の天使たちを見た。そして、彼らに七つのラッパが与えられた。 啓示録8:1〜2

天においては、数えきれないほどの人々が救われ、天の礼拝に加えられ、賛美と感謝の礼拝があふれていました。その神への感謝と賛美の大合唱はどのような礼拝となることでしょうか?まもなくこの感動的な体験をすることになるでしょうね。とって〜も楽しみです。

しかし、第七の封印が小羊によって解かれると、その賛美は突然止み、半時間ほどの静寂と沈黙が続いたのです。これは「厳粛で聖なる静寂」です。この後に続く「七つのラッパの災いと艱難」がもたらされるの前の静けさです。人々は無意味な静寂と思うでしょうか?災いが過ぎ去ったと思うでしょうか?それとも、不気味な沈黙と思うでしょうか?

七つのラッパの裁き」が施行される前に、「静寂」を置かれたのは神です。六つの封印による先の人災と災害をはるかにうわ回る、人類が未だかつて経験したことのない恐ろしい艱難が、7段階に渡ってこれからもたらされようとしているのです。

先の災いがそうであったように、第一から第四までの災いは、人間自らがもたらした戦争と戦略による「意図的な人災」です。神は人類にその災いがもたらされ、人類の四分の一が死ぬ事にならないように、今まで封じてこられたのです。

なぜなら、神は決して、「悪人の死を喜ばれない」からです。
あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、一人でも滅びることを望まず全ての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(IIペテロ3:9)全ての人に、救われるように悔い改めるチャンスを与えているのです。

七つのラッパが吹き鳴らされる前に、この「神の静寂」は神ご自身の辛い心のうちが反映されているのではないでしょうか?神の心の葛藤がここにあります。「イエス・キリストに信頼するだけで救われる」という恵みの時代は、イエス・キリストの空中再臨とそれに伴う携挙を持って終わってしまったのです。すでに7年の艱難期は始まり、封印が解かれ四分の一もの人類が死に絶える中にも、十四万四千人を全世界に派遣し、一人でも多くの人が悔い改めて神様との関係を築き、死に至るまで従い通し救われるように願われました。

その結果、数えきれないほどの人が救われたのです。ところが、残忍な人たちによって彼らは次々に殺され、その霊魂は天に移されて行きました。それでも、そのような状況の中であってもまだ、救われる人がいると神の忍耐は続いています。悔い改める人々がまだいると期待する、神のあわれみと正義との葛藤です。しかしながら、罪人をそのまま天に移すことはできません。

わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。──神である主の御告げ──だから、悔い改めて、生きよ」 エゼキエル18:32

まだ、イエス・キリストを受け入れていない方は、今、イエス様に信頼し、神と共に生きる人生を始めようと決心してください。あなたの今日の決断が永遠を決めます。悔い改めとは、自分中心の生き方から、神を中心とした生き方に変えることです。立ち返るとは、神に向かう事です。

彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。──神である主の御告げ──わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』エゼキエル33:11

十四万四千人の全世界伝道の結果、数えきれないほどの人々が世界中から救われましたが、彼らを殺す残忍な人たちがいたのです。その人達への裁きも施行されなければならないのです。神の正義と愛の葛藤です。一人でも滅びることを望まない神が、正義を貫かなければなりません。悪の道を離れて、神に立ち返るのはそれぞれの本人の自由意志です。早く気づいて欲しいです。

それから私は、神の御前に立っている七人の天使たちを見た。そして、彼らに七つのラッパが与えられた。

旧約聖書には二種類のラッパが出てきます。
一種類は、二本の銀製のラッパハツォーツェラー חֲצוֹצְרָה)で、民を集めるため(民数記10:3)、出陣のため(同10:5〜6)、敵が攻め込んでくる時の警告のため(同10:9)、祝日における断食や悔い改めの時に(同10:10)、神殿(聖所)での奉仕や礼拝の中で(II歴代誌5:12〜14、詩篇150)などで使われてきました。
もう一つは、角笛ショーファール שׁוֹפָר)で、神の顕現を知らせる合図(出エジプト19:16)ヨベルの年を告げる合図(レビ25:9)戦いと裁きの合図(ヨシュア6:4)

ところが新約聖書ではどちらも日本語ではラッパで、ギリシャ語でもサルピンクス σάλπιγξ と訳されています。
イエス・キリストの再臨の時に吹かれるラッパは、聖徒たちを集めるための合図です。一つのラッパの音(ね)が招集のために「長く吹き鳴らされる」ことでしょう。まもなく、世界中のイエス・キリストに属する者たちがラッパが長く吹き鳴らされる招集音を聞く事でしょう。同時にこのラッパは「恵みの時代の終わり」を告げる「終わりのラッパ」あるいは、「最後のラッパ」となります。

最後(終わり)のラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえらされ、私たちは変えられるのです。Iコリント15:52

そして、このラッパは「神のラッパ」であって、「天使のラッパ」ではありません。つまり、この啓示録8章の天使たちが持つ七つのラッパではないのです。まして、七番目のラッパでもないのです。神のラッパが長く吹き鳴らされる中、その響きのうちにイエス様は天から降りてこられ、私たちは変えられ雲の中に一挙に引き上げられるのです。ものすごい体験ですね。この時1回限りのイベントです。ぜひ、ご一緒に体験しましょう!世界中からキリストに属する者たちが引き上げられますから、人口が激減します。

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者たちが、まず初めによみがえり、 次に、生き残っている私たちが、直ちに(同時に)彼らといっしょに雲の中に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。Iテサロニケ4:16〜17

私たちの肉体は、不死の栄光の体に一瞬のうちに変えられ、雲の中に引き上げられます。それは、イエス・キリストの属しているすでに亡くなられた方たちが、死の世界からよみがえらされて天に引き上げられるのと同時に起こります。その全てが「長く吹き鳴らされる」ラッパの音が響き渡る中に起こるのです。
それは7年の艱難期の前に起こります

まもなく、イザヤ書17章の預言どおりシリアの首都ダマスカスが完全に廃墟になる事でしょう。すでに中心部を残すのみで3分の2は人々が住居を捨て、難民となってでていきました。「ダマスカス廃墟の預言の実現」は、時間の問題となりました。

続くエゼキエル戦争(エゼキエル38章)もスタンバイしています。イスラエルの北からロシア、トルコ、イランが攻め込む準備が進んでいます。彼らはシリアにいるのですよ。ロシアは、イスラエルの北側の国境に軍を駐留させているのです。シリアの北側にはトルコ軍がいます。イラン軍もシリアにすでにいるのです。ISISはほとんど力を失いましたが、ロシアとトルコとイラン軍はまだシリアに居続けているです。
そして、南からは、リビアとスーダンの軍隊が侵攻するとエゼキエルに神は伝えました。

7年の艱難期前に起こる預言の成就が間近に迫っています。
聖書の預言は真実です。信頼する者たちを裏切りません。100%実現して来ました。これからも100%の確率で実現してくことでしょう。

イエス・キリストが迎えに来る時は、誰も期日を指定できませんが、今日起こってもおかしくない状況になっています。前兆は全て出尽くし、実現しているのですから。

この後七人の天使たちの他に「もう一人の別の天使」が登場します。


今日もウェブチャへようこそ!

緊迫した状況が現実に起こっています。戦争のない平和な状態にいると、ミサイルが飛び交っている国のことを忘れがちです。そして、神が終わりの時代をせっかく伝えてくださったのに、エゼキエルやイザヤに伝えた預言に目と留めていないと、毎日の忙しさに追われて、目先の事にとらわれ過ぎて、やるべきこと、優先すべき事を忘れがちです。やるべきこととは、イエス様を迎える心の準備です。
期日はわかりませんが、現実の時を見分けるように勧められています。空模様で天気を見分け、木々の変化で季節を見分けるようにです。見分ける力は、感覚や感情ではなく、聖書の預言に基づき、理性で考え判断することです。

今日も充実した良い1日をおすごしください。


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2019年02月12日

啓示録1章10〜11節 主の日、主日に

啓示録1章10〜11節

私は、主の日に霊の中にいた。そして、私は私のうしろにラッパの音のような大きな一つの声が「わたしがアルファであり、オメガである。」と言うのを聞いた。さらに「あなたの見ることを一つの巻き物に書き留めなさい。そして、アジアにある七つのエクレーシア(群れ)に送りなさい。すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに。」

「主の日に」
旧約聖書においては、7年の艱難期をさして「主の日」と言われています。しかし、ヨハネはここで「主の日」と使ったのは、初代教会において定着していた「週の初めの日」「週の第1日目」を指していました。

一方、この時代背景としては、ローマ帝国は、太陽神(ミスラ)を崇拝していました。その太陽神の礼拝日を「太陽の日」「日曜日」としていたのです。太陽神崇拝は、バベルの塔の権力者ニムロデから始まっています。バベルの塔を建設したニムロデ自身が、太陽の神バアルとなり、妻セミラミスは月の女神イシュタル ( Ishtar )に、息子であるタンムズはニムロデの死後父の生まれ変わりである太陽の息子として礼拝されるようになっていました。同じ太陽神崇拝は、ペルシャでは「フワル・フシャエータ」と「ミスラ」という太陽神となり、エジプトは、太陽神「ラー」を崇拝していた。そして太陽神崇拝はローマにも受け継がれていたのです。

初代の聖徒たちは、太陽神の「日曜日」を使わず、同じ曜日を「主の日」と呼んで区別していました。彼らは「主の日」と三つの特別な意味を込めて使っていました。
第一にイエス・キリストがハデスからよみがえられた日
第二に弟子たちに二回にわたり復活されお姿を現された日
第三に五旬節の日に聖霊がくだり、エクレーシア(呼び出された者たちの群れ)が誕生した日でした。

週の初めの第一日を「主の日」あるいは「主日(しゅじつ)」と呼ぶだけではなく、
主にささげられた日、主のために聖別された日」としていました。初代の聖徒たちは、毎日ユダヤ教の会堂や家々に集まり、教えと交わりとパン裂きと祈りと喜びを持って楽しんでいました。その中でも「主日」は特別に考えていたのです。毎日家々に集まっていましたが、次第に、仕事をしないわけにいかず、やがて、一週間の中でも「主日」に集まる事が定着していったようです。

しかし、忘れないでください。主イエスを中心として集まる日は、いつでもいいのです。ある国では、金曜日に仕事が休める人が多いので、金曜日にエクレーシアを持っていました。土曜の夕方から集まりを持っているところもあります。実は土曜の夕方からユダヤ人的には、主日になりますね。いつでも主を中心としたエクレーシアを持っていきましょう。

さて、この日のヨハネは特殊な体験をしていました。
パトモス島で、島流しの刑に服していました。石切場で強制労働をさせられていたのでしょうか?一人孤独で放り出されていたのでしょうか?しかし、この日は違っていました。
私は、主の日に霊の中にいた。
どのような状況なでしょうか?私にはわかりませんが、完全に肉体を持ちながら、霊の中に、すなわち肉体よりも霊が支配する状況になっていたのでしょう。流刑の身であろうが、どこにいようが、私たちは神の啓示を聞き受け取ることが可能なのです。あなたの置かれた状況で、それがいかに厳しいものであろうとも、神はあなたに語りかけます。

そして、私(ヨハネ)は私のうしろにラッパの音のような大きな一人の声が「わたしがアルファであり、オメガである。」と言うのを聞いた。
アルファ」=初め=最初=創始者です。
オメガ」=終わり=最後=完成者です。
このお方が、信仰の創始者であり、完成者です。
このお方が、救いの創始者であり、完成者です。

わたしが〜であるエゴー ἐγώ 日本語でもエゴとか使いますが、ギリシャ語では、一人称の時には、主語が省略されます。もちろん、動詞や形容詞など全てが人称によって変化し特定できますので、エゴーをあえて使う必要がないのです。しかし、使う時には、かなり強調されます。 「わたしが」となるわけです。
エイミー εἰμί 「〜である」とは、イエス・キリストがご自身の神性を強調して自己宣言されたのです。
「わたしが命のパンである。」ヨハネ6:35
「わたしが世の光である。」ヨハネ8:12
「わたしがいのちである。」
「わたしが羊の門である。」ヨハネ10:7
「わたしが良い羊飼い、牧者である。」ヨハネ10:11
「わたしがよみがえりであり、いのちである。」ヨハネ11:25
「わたしが道であり、真理であり、命である。」
ヨハネ14:6
「わたしがぶどうの木である。」 ヨハネ15:1
そのようなものに後からなったのでも、ならされたのでもなく、そのような存在そのものなのです。ラッパのような大きな響く声で、宣言されました。それは、ヨハネの耳にも心にも響き渡ったのです。

わたしがアルファであり、オメガである。」これは、かつてモーセが召される時に、燃える柴の中から語られる神の自己宣言と同じようです。ご自身が永遠にどのようなものであるかを宣言されました。つまりこのように宣言される方は、神であるということです。
すなわち、この声は、イエス・キリストであり、イエス・キリストは神であるとの自己宣言を聞いたのでした。

わたしがあってあるものである。エヒイェ アシェル エヒイェ אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה 出エジプト3:14
過去現在未来を超越し、常に存在される方。
万物の原因であり、同時に究極の目的である方。

この宣言をしっかり受け止めなければ、40年間イスラエルの民を率いてエジプト脱出とカナン入植を成し遂げるリーダーとはなり得なかったでしょう。ヨハネにとっても同じでした。神の自己宣言をしっかりと受け止めなければ、これから啓示される全ての事柄を書き記し伝える使命を全うできなかったことでしょう。

あなたの見ることを一つの巻き物に書き留めなさい。
ヨハネにとって信じられないような、未来の艱難期の数々の災害を目の当たりにした時に、あまりにも現実離れした出来事を、そのまま伝えた時に、どう思われるのだろうかとかためらいも出て来たことでしょう。過酷な流刑のためについに頭がおかしくなったとか、血迷ったかなどと、疑われるかもしれないという恐れもあったでしょう。しかし、とにかく見たままを書き記し、真実を小アジアにある七つのエクレーシア(群れ)に書き送る使命を全うするために、誰が語っているのかをしっかり受け止めることが、何よりも大切でした。

そして、アジアにある七つのエクレーシア(群れ)に送りなさい。すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに。
ヨハネが流刑となっていたパトモス島から地中海を隔てた、小アジア(現在のトルコ)に点在する七つの特徴のあるエクレーシアが選ばれました。他にも教会はありましたが、神は意図的にこの七つの群れを選ばれたのです。おそらく現在の私たちのも伝えたいメッセージを重ね合わせて、選ばれた七つのエクレーシアでした。パトモス島から一番近いエペソから始まり、時計回りにラオデキヤの教会に向けて、書き送るように命じられました。

しかし、その前にヨハネがもっと知らなければならないことがありました。


今日もウェブチャへようこそ!

伝統というか習慣で、何も考えずに使っていたものも、歴史をとおして改めて考えさせられることがありますね。1週間の曜日などもあまり考えたこともありませんでした。改めて「主日」を意識して、使ってみたくなりました。また、私たちの日常の行動も、イエス様がどのようなお方であるかをしっかりと知り受け止めていることで変化しそうです。イエス様の神としての自己宣言を通して、イエス様のことがわかると、私たちの問題はほとんど解決しそうですね。

すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。 ローマ11:36

今日も良い1日をお過ごしください!


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2019年02月11日

ご質問等:被造物崇拝、天使礼拝、偶像礼拝?

ご質問:「偶像崇拝が間違っているのはよくわかりますが、神が御造りになった太陽や自然といったものを敬うこと自体が悪いこととは思えません。聖書にいう禁止すべき偶像崇拝は、それ自体(たとえば太陽)を神をして崇めることであり、太陽を通して創造主を敬うという態度とは別ですよね?」

その通りです!
私たちは、神様の被造物である太陽や月や星を礼拝の対象とはしませんが、それらの被造物を通して作者である神をほめたたえます。その作品の中に、神の英知と力を知らされます。被造物を通して神の目に見えない本性である永遠の力と神性をはっきりと知らされます。これは、認める事柄であって、信じることではありません。事実を事実として認めることが大事です。

ただ、「敬う」というのは人格的ものですので、崇拝につながります。ですから、神の被造物を通して、作者である神に感謝し、神をほめたたえる生活が健全だと思います。神が人間の住処(すみか)として作られた地球は、完璧です!その仕組み、構造、調べれば調べるほど驚かされ、作者であり創造者である神をあがめるばかりです。科学者たちのたくさんの調査と成果にも感謝です!

神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。ローマ1:20

偶像崇拝は、「天地万物の造り主、神以外を神として拝むこと」の全てです。
人も天使も崇拝する対象ではありません。どんな聖人も偉人も宗教家も天使長も、拝む対象ではありません。幽霊、亡霊、死んだ人の霊も、拝む対象ではありません。死んだはずの人が語りかけるなら、それは、故人ではなく、「死んだ人の霊になりすます悪霊」です。まして、お金も霊能力者も拝む対象ではありません。守護霊も悪霊のなりすましです。自分を崇拝することを許す天使は、全て悪魔側の堕天使です。

神に仕える本物の天使は、礼拝を拒否します。そればかりか「神を礼拝せよ!」と勧め命じます。堕天使やサタンは絶対拝んではいけません。彼らは、あなたの礼拝行為を神に取って代わって奪おうとしているのです。崇拝したら、初めはいい事が起こりさらに拝ませようとしますが、しばらくすると見返りを求められ、呪いをかけられ、死に追いやられることになります。最終的な代償はあなたの命であり、死後永遠の苦しみに道連れにされますから、絶対にやらないことです。やっているならきっぱりとやめましょう。やめられないのでしたならご相談ください!

私の知り合いにすごい力を身につけた人がいました。科学的にありえないことをして見せたりして、周りを驚かせていました。タネのある手品とは違った闇の世界の独特の雰囲気を感じさせられていました。しかし、突然の訃報にもっと驚かされたのです。残念なことにその方は、とっても若くして世を去りました。あなたが命という代償を求められることがないように祈ります!

さらに、長子(イエス・キリスト)をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。 「神の天使はみな、彼(イエス・キリスト)を拝め。」 また天使については、神は、天使たちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、 御子(イエス・キリスト)については、こう言われます。 「神よ。あなたの御座は世々限りなく、 あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。 …」ヘブル1:6〜8

天使は神に仕える者たちです。
イエス・キリストは神です。天使は、イエス・キリストを神として礼拝し、仕える存在なのです。イエス・キリストは、天使の一人ではありません。イエスは天使ミカエルだとする教えは間違いです。ミカエルは大天使のひとりであり、戦いの天使です。その名の意味は、ヘブル語でミカーエル מִיכָאֵל「神に似たもの、神のようなもの」であって、神ではありません。イエスに仕える天使の一人です。

そして、私(ヨハネ)は彼(天使)の足元に彼を礼拝しようとひれ伏した。すると、彼(天使)は私にこう言った。「そのように見るのをやめなさい。私は、あなたやイエスの証を守っているあなたの兄弟たちに仕える者です。神を礼拝しなさい。…」啓示録19:10

私たちが拝む対象は、神のみです。イエスは礼拝を受けます。イエスは神だからです。
私たちを助けるために天使が遣わされる時は、私たちが緊急の助けを必要としている時です。しかし、天使は私たちが礼拝したり拝んだりする対象ではないのです。あまりにも神々しい姿に「神のように見てしまった」のです。ヨハネは頭ではわかってはいたけれども、天使の足元に思わずひれ伏してしまい、拝みたい衝動にかられたようです。しかし、霊的世界の序列は明白であって、乱されることはないのです。かつてルシファーが反逆した以外は。

あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、天使礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇りかしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。 コロサイ2:18〜19

たとえ、天使を見たり、天使が自分を助けてくれた経験をしたりして、人生を変えるようなことになったとしても、天使は神ではなく、拝む対象ではないのです。また、その経験をしたことで、その人が偉いと特別扱いされるのも、また、本人がその経験を誇るのも間違っているのです。
彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、 かしらに堅く結びつくことをしません。」聖書より、体験重視の危険性の罠がここにあります。大事なのはどんな体験をしても、かしらであるイエス・キリストに結びつくことです。また、イエス・キリストに結びつくことを勧めない天使は、サタン側だと判断してください。

たとえ天使が、「ここを掘れば新しい聖書を与える。というので、掘ってみると黄金の聖書が出てきた」としても、出てきた聖書がすでに完成している聖書と同じでないなら、偽物です。金の価値はあっても、それ以上の価値はありません。むしろ、それは呪いでしかありません。
元の聖書につけたしたり、削除した箇所のある書物を聖書と同列に扱うことはできません。それを土台に宗教体系を作り上げている団体は、神の呪いのもとにありますから、離れてください。

まことにこの書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、誰でもこれらの事につけ加える者があれば、神はこの書に書いてある数々の災害を彼に加えられる。 また、この預言の書のことばから少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの書と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。 啓示録22:18〜19

この「」、命の「」には同じギリシャ語 ビブロス βίβλος が使われています。その言葉は、英語のバイブル Bible (聖書)の元になっています。聖書と同列に聖書以外の書物を権威あるものとして使うのは異端です。

また、聖書の改ざんが平気で行われている時代です。サタンも神の言葉が権威あるものであり、自分の存在を脅かすものであると知っているのです。ですから、巧妙に改竄してきています。そう言ったことに警戒しなければなりません。

私たちが求めるなら、聖書を原語で読める時代です。だれでも無料で手に入ります。
PocketSwordというアプリをお勧めします。世界の言葉で聖書が読めます。無料です。もちろんギリシャ語もヘブル語も。私は携帯にも、PCにも入れています。

1455年にグーテンベルグの印刷機によって初めて印刷された聖書は、たった180冊と言われています。一般向けに印刷されましたが、なんと、1冊数千万円で、とても買えそうにありませんね。その聖書が現在、4億2000万円で競売されました。聖書はすでに47億冊以上も印刷されています。ギネス記録ナンバー1です。年間5000万冊が発行され、2400以上の言語で読むことができるようになりました。


今日もウェブチャへようこそ!

現代の問題は、そんなに身近になった安く手に入るようになった聖書を読もうとしないことです。忙しいとか、時間がないとか、言い訳はいろいろでしょうが、それこそがサタンの策略ですよ。あなたが聖書を読み、神の力を体験するのを妨げているのです。とにかく聖書を毎日開きましょう。聖書を通して神様が語りかけてくださいます。この天地宇宙をこのことばを持って創造し、言葉を持ってエネルギーを満たされました。神の言葉はパワフルです。あなたの人生に力を与えてくださいますよ。
量ではなく、1節でも味わい噛みしめる方が心の糧になります。どか食いして消化不良では体の益にならないのと同じですね。聖書も「反芻する動物はきよい」としています。み言葉をよく味わい、噛み締め、味わうことは、心に留め思い巡らすことです。このみ言葉になんのことを言っているのだろうなど考え、理解し、信頼することは、大きな祝福となります。
「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、なんという幸いなことでしょう。


今日も主の豊かな祝福のうちにお過ごしください!

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2019年02月08日

ご質問:ニセ預言者の見分け方?

「旧約聖書の預言者達は、どのように預言者であると認定されたのでしょうか?勿論預言の内容の吟味でしょうが、正しい預言、偽預言、異言、の見極めは非常に難しそうです。」

ご質問ありがとうございます。その通りなのです!見分け方が大変難しく、それは、詐欺師を見分けるように、いくら注意が喚起されていても、騙される人が増えている現状と同じです。現在ますます、見分けがつかなくなったと私は思います。

さて、旧約聖書の預言者たちは、第一に神からの召命がありました。自分からなりたくてなったのではありません。神が本人に語られて、神が語ったことを伝える役目が預言者です。メッセージは未来に関する予言ばかりではなく、神から預かった言葉を伝えるので「預言」者という字を使っています。

したがって、
1、神からの言葉を預かって語るもの以外は、全員ニセ預言者です。
預言者がなぜ必要だったのでしょうか?それは、神の言葉を人々に伝えるために預言者が必要でした。ですから、預言者の口上は、「主は語られる!」という言葉が最初に来ました。預言者本人が語るのではなく、ヤハウェなる神が語ることを伝えたからです。したがって、神の名を使いながら、嘘や、語られていないことを伝えるなら、その者は殺されなければならなかったのです。

ただし、わたし(神ヤハウェ)が告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない」申命記18:20

2、神の預言は100%実現するものです。したがって、100%未満の的中率ではその者はニセ預言者です。一回でも外すなら、ニセ予言者です。

的中率90%と言われた予言者ジュセソーノ・ダ・ルースは予知夢による預言をしていますが、彼はニセ預言者です。インチキも暴かれていました。
的中率95%と言われた占い師出口王仁三郎もニセ予言者でした。
的中率100%と言われ、2036年からやって来たタイムトラベラーを自称するジョン・タイターは、2001年以降の的中率はどんどん下がってきました。彼もニセ予言者の一人です。

預言者が【主】の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは【主】が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない申命記18:22

3、外見ではわからない。
ニセ預言者は、見かけの優しさなどでは、わからないのです。なぜなら、彼らは羊の皮を被っているからです。

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。マタイ7:15

クリスチャンらしい物腰、いかにも優しい牧師さん、神父さん、話し方その対応の仕方見事です。詐欺師が詐欺師とわからず、信用してしまう人が多いので、被害者が後を絶ちません。外見や見かけで判断しないようにしましょう。

サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。 IIコリント11:15

4、実(み)で判断せよ。
うちは貪欲な狼です。」とあるように、ニセ預言者に共通しているのは、お金に対する執着心です。イエス・キリストの名前を使って病人を癒したのに、お金を取る。死人を生き返らせたので、お金をせびる。悪霊を追い出したので…とにかく、お金、お金です。その能力は神から与えられたものであるならば、ただであるべきです。ただで受けたのだから、ただで与えるのが原則です。

病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさいマタイ10:8


5、予言者はもやは必要ではない。
自分が神の予言者だと自称する人が今日いるとしたら、その人はニセ予言者です。
なぜなら今日、人間が必要とする神の言葉が全て完成し、66巻の聖書という形で人類に与えられているのですから、新たな予言者は必要ないのです。
聖書にもはや付け足す新しい預言などないのです。聖書が完成するまで、預言者は必要とされました。しかし、聖書が完成した現在、なお予言者を名乗るものがいたら、ニセ予言者です。

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。 黙示録22:18〜19

6、聖書に書かれていないことを語る預言者がいるなら、その人たちは全員ニセ預言者です。

福音を変えるなら、ニセ預言者です。
救いは100%恵みであり、行いや努力は一切必要ではありませんが、人の努力やお金(お賽銭や献金やお布施)を要求してくるなら、ニセ預言者です。

十戒の第2戒を取り除き、偶像崇拝を推奨しているなら、ニセ予言者です。
聖書とコーランを一緒に教会の書棚に並べ、他の宗教との融合を測ろうとしている牧師はニセ預言者です。
私たちは、宗教にこだわらず、人々と交わり、伝道していきます。宗教の名の下に差別はありません。大事なのは、キリスト教でも、宗教でもなく、メシアであるイエスとの関係づくりだからです。

聖書よりも人間中心の心理学を用いたり、虚しいだましごとの哲学を説いているならニセ予言者です。

人間の罪深い性質を軽んじ、自分でもできない罪のない生活を信者に強制したり、禁欲主義や律法主義を説きながら、自分は罪深い生活や、不道徳や不法を行なっている人たちもです。
教会のお金を持ち逃げしたり、異性や金銭面のスキャンダル、モワハラ、性的虐待、言動不一致で、高慢だったりします。

7、作り事の言葉で騙します
真実を聖書から語るのではなく、人集めのために、耳障りのいい言葉で聴衆を魅了します。
それらは聖書にない作り話です。「信じた通りに実現する」とか、「不可能は可能になる」とか「繁栄の神学」など多くの作り話で、騙しています。ガラス張りの教会で有名なロバート・シュラーもどの一人でした。
第三の波の先駆者であったジョン・ウィンバーも自分の神学は間違っていたと晩年認めています。しかし、未だにその波に乗ったままの多くの騙されている人たちがいるのは、とても残念なことです。

「キリストの再臨は、何年何月何日」と1914年から始まり、1918年、1925年、1941年、1975年、1995年など、何度も再臨の期日を予言し外して来たエホバの名を使うカルト集団があります。信者たちを間違った終末論で駆り立て、的中率0%であるのにも関わらず、未だにのらりくらりと弁解しては、教えを変えて信者をマインドコントロールしてきているものみの塔(エホバの証人)の創始者ラッセルから始まるリーダーたちは、 ニセ予言者集団です。
まさに真面目な信者さんたちを食い物にしています。
恐怖で人々をで縛りつけるのは、サタンと同じやり口ですね。彼らこそ断罪されるべきニセ予言者たちです。

また彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。IIペテロ2:2

実はニセ預言者だけが問題なのではなく、聞く側にも問題があるとパウロは指摘します。
どうしても耳障りの良い言葉を求めてしまうからです。

というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。IIテモテ4:3〜4

あなたが食い物にされていると思ったら、そこから離れましょう!


今日もウェブチャにようこそ!

「神は創造主であり、キリストは神であり、キリストによる贖いを告白し、聖書は神の言葉である」と素晴らしい内容を掲げ宣言していながら、全く違うことをやっているという、ニセ預言者たちも出てきています。本当に見分けるのが難しい時代になりました。こういう人たちは、聖霊の第一の実である「」が無いばかりか、行いや行動は腐っています

イエス様の再臨間近なので、できれば選民を惑わそうと、さらに巧みな偽装をしながらニセ予言者が出てきていますね。イエス・キリストにしっかりつながっていると、聖霊を通してなんとなく示されるような気もしますがどうでしょうか?騙されないと思う人ほど騙しやすいと詐欺師は言いますから、祈りつつ聖霊の助けをいただいて、ニセモノを見分けていきましょう。七つの項目のどれかに当てはまるなら、要注意ですねー!

今日も良い一日をお過ごしください!


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2019年02月06日

ご質問:行いの方が大事では?

ご質問をいただきました。

「ウェブチャも読ませていただいておりますが、行いよりもイエス様を信頼することのほうが大事であると強調されていますが、例えばマタイ7章21節やヤコブの手紙のように、行いのほうが大切であるような記載も多々あるように思えます。行いで自力で自らを変えるのではなく、イエス様を信頼し、その恵みを頂いて自己変容が起きるというのは、本当にありがたいことでありますが、都合の良いことのようにも思えます。」

ご質問ありがとうございます。マタイの7章21節から見てみましょう。
わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。

父のみこころ」とはなんでしょうか?ちょうどイエス様に同じような質問をした人がいます。
すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」 イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」 ヨハネ6:28〜29

父のみこころ=神のわざです。
父なる神が第一に一番願っている「わざ=行い」は、「神が遣わした者に信頼すること」です。すなわちイエス・キリストに信頼することなしに、どんなに人の喜ばれることを行なっていたとしても、救われるかどうかには関係がないとされています。無意味では決してありません。喜んでくださる人がいるからです。でも、天国に入れるかどうかに、私たちの行いは関係ないのです。どんなに功徳を積んだとしても、神の合格ラインに届く人は一人もいません。

マタイ7章21節で父の御心を行なっていないと言われた人は、とっても立派な行いをしていました。イエス・キリストの名によって預言をしたり、悪霊を追い出したり、奇蹟をたくさん行なっていましたが、父なる神が第一に一番願っている「わざ=行い」をしていなかった人たちなのです。つまり救われていない人たちです。
ですから、イエス様に『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』と言われてしまうのです。預言者であり、教師であっても、第一の神のみこころをパスすることなしにイエス・キリストに信頼していないなら、どんな素晴らしい行いも評価されないのです。1塁ベースを踏まずに2塁3塁ホームベースを踏んだところで、1点にもならないのです。

さて、救われた者の生活において、行いはとっても大事になります。その行いとは、父の御心であり、イエス・キリストのご命令を守ることです。それは「互いに愛し合う」ということです。神を愛し人を愛すること、これが聖書であり、ご命令の全てです。

では、「互いに愛し合うこと」は、とっても簡単なようで、いざとなると結構難しいものですね〜!それを乗り終えられるように聖霊なる神の助けをいただけるのです。簡単なことではないです。自分も含めて色々な方がいますから、気の合う合わないだけでも、大きなハードルとなる事があります。

傷つけられた人をどのように許すか?まして、愛するとなるととってもハードルの高い課題です。できなかったとしても、救いがなくなるわけではないのです。でも、愛そうと努力する、愛せるように求める事ことは、結果を出せなかったとしても、イエス様は、それを評価されるべきものとして、報いてくださるというです。

私たちをイエス様のように変えてくださるのは、聖霊の働きです。でも、「人を愛する事ができますように、私を変えてください!」というあなたの祈りなしに、聖霊なる神は強引にあなたを変えようとはしません。

また、神に喜ばれることをするのは、神が与えてくださる祝福の道です。行いによる祝福について、たとえば、ヤコブの1章22〜25節には以下のようにかかれています。

また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。 みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます

神に示されたみことばの実践は、祝福の道です。

父なる神の御前できよく汚れのない信心は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。 ヤコブ1:27

これは、具体的ですが、ほんの一例にすぎません。救われた者たちが積極的に、神様の喜ばれるは何かと考えながら行動する事はとっても大事であり、神様に喜ばれる事なのです。その行動や行いは、全て祝福へと変わります。この地上で何も得ずとも、携挙後の7年の天でのプライズギビングにおいて表彰されます。その報いは、地上に戻ってからの千年王国において、あなたの働きや奉仕などと関連してくる事でしょう。ある人は、土地を与えられたり、町を治めることにもなるのです。


今日もウェブチャへようこそ!

救われる時はイエス・キリストへの信頼のみ、行いは必要ありません。自分の救いのためには、実際は何一つできることはないのですね。私たちができる唯一の事、それは、神が願っている神のわざである「神が遣わしたイエス・キリストに信頼すること」だけです。救われたなら今度は、神に喜ばれることの全てを、何でも積極的にしていきましょう。決して背伸びすることなく、自分にできることでいいのです。神の働きのために必要なら、自分に無い賜物を求め、自分にない無い知恵を求めていくこともあります。積極的に大胆に祈り求め、行動していきましょう。人の評価など気にしないでください。結果や成果でありません。神様のためにと思って何をしたかです!


今日も良い一日をお過ごしください。


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2019年02月05日

世界史上最大の世界規模の伝道、救い、リバイバル、殉教

十四万四千人による世界史上最大規模の総動員伝道

これらの事の後、私は見た。見よ。だれも数えきれないほどの大群衆を。
全ての民族、部族、国民、そして多言語の中から、白い長いローブを着て、しゅろの枝を手に持って、御座の前と小羊と前に立っていた。 彼らは、大声で叫んで言った。 「救いは、御座に座しておられる私たちの神にあり、小羊にある。」 そして全ての天使たちが、御座の周りに立った。長老たちと四つの生き物たちは、御座の前で彼らの顔を地に伏せ、そして神をあがめて言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと権力と偉大さは、世よに渡って、私たちの神にあるように。アーメン。」
啓示録7:9〜12

「これらの事の後」
十四万四千人が天使によって選ばれ証印を押された後、彼らは驚くべき働きをして来たようです。なぜなら、彼らの働きによって、「だれも数えきれないほどの大群衆を」ヨハネは見ることになります。ヨハネもその数の多さに驚きを隠せません。しかも、その人々は、「全ての民族、部族、国民、そして多言語の中から」集められているのです。彼らの働きは、全世界規模での伝道の働きでした。キリスト教や宗教を伝えることではなく、救い主イエスを伝えたのです。イエスが道であると伝えたのです。それが伝道です。

だれも数えきれないほどの大群衆は、彼らでなければ歌えない賛美をささげます。それは大きな叫びとなって天に響き渡ります。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」彼らの賛美の特徴は、「救い」です。「救い」は救われたもの以外に、心から歌うことができません。全ての天使たちも、四つの生き物たちも、神をたたえることはできますが、心から喜び叫ぶ賛美に「救い」を加えることができません。彼らの賛美は、「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと権力と偉大さは、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」です。
だれも数えきれないほどの大群衆は艱難期に救われた人々です。

どのようにして、彼らは全世界のあらゆる地域から救われたのでしょうか?
それは、選ばれた十四万四千人の特色に関連していると思います。彼らは、イスラエル人です。ですが、アッシリア捕囚以来全世界に散らされていた十部族の末裔です。彼らは、日本にもたくさんきているのです。宣教師の墓場と言われている日本でも、彼らは命を張って伝道します。多くの日本人も救われることでしょう。そう期待しています!

ユダヤ人たちは、バビロン捕囚の後一部がイスラエルに戻りましたが、帰還しなかった者たちもいました。また、AD70年のローマ軍の侵攻とエルサレムの神殿破壊に続きAD135年以来、全世界に散らされたのです。彼らは、全世界の国々の「全ての民族、部族、国民、そして多言語」の中に入り込み、生活してきたのです。彼らの中には自分たちのアイデンティティをしっかり持ち続けて来た者たちもいましたが、ほとんどは自分たちがイスラエルの子孫であることも分からなくなっていた者たちもいたことでしょう。十四万四千人の男子青年たちは、ほとんど自分たちの真のルーツを知らない者たちでしょう。

しかし、神は、彼らを十二部族ごとに、一万二千人ずつ救い出し、天使を通して聖霊の証印を押して聖別し、史上最大規模の全世界伝道を開始させます。とても困難な時代での伝道となります。やがて彼らは反キリストとも戦っていくのです。「イエスが道であり真理であり命である!」「イエス・キリスト以外に救いはない!」「彼に信頼するものは失望させられることはない!」と、人々は、自分たちの言葉で、福音を聞くのです。

民族、部族の言葉で福音を聞くのです。なぜなら、十四万四千人も「全ての民族、部族、国民、そして多言語の中から」救い出され、自分たちの生まれ育ったネイティブな言葉で伝道するからです。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。 マタイ24:14

世界史上最大規模の救いとリバイバル
だれも数えることができないほどの人々が救われるのです。福音を聞けなかったという人々はいません。全ての国民に福音が伝えられると同時に、十四万四千人は命をかけて証し殉教も含む マルツゥリオンμαρτύριον)していった結果です。彼らは青年たちです。若者たちが命をかけて福音を伝え、証していくのです。その結果です。そして、救われた者たちが連鎖反応的にさらに伝道していくのです。彼らも命がけで伝道していきます。

ヨハネはこの大群衆は、いったいだれだろうと考えていたことでしょう。

すると、長老のひとりが私に話しかけて言った。「これらの白い衣を着ている人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」 そこで、私は彼に言った。「主よ。あなたが、ご存知です。」 すると、彼は私にこう言った。「これらの人々は、大きな艱難から抜け出て来た者たちで、そのローブ(長服)を小羊の血の中で洗って、白くされたのです。」啓示録 7:13〜14

長老のひとりが私に話しかけて」当時、成熟した者から、霊的な事や預言的なことに関して話しかけるのが習慣でした。長老たちは、先に携挙で天に引き上げられていた者たちの代表です。彼は、ヨハネがどのくらい理解しているかを確認したわけです。ヨハネは分かりませんでした。

世界史上最大規模の迫害と殉教
これらの人々は、大きな艱難から抜け出て来た者たち」すなわち、艱難期で救われ、殺されていった人たちです。彼らが、大きな艱難から抜け出す方法は、殺される事でした。死に至るまで、救われた証を守り通し、霊魂となって天に移されたのです。彼らは、明白にイエス・キリストの十字架による救いに信頼した人たちです。十字架にかかり尊い血を流された小羊なるイエス・キリストに信頼し、信仰を死に至るまで守り通したことで、霊魂の体に真っ白いローブが与えられたのです。

霊魂の体」というと分かりずらいですが、パウロも「天上のからだ」あるいは「霊的なからだ」もあると説明しています。

また、「天上のからだ」もあり、地上のからだもあり、「天上のからだ」の栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、
血肉のからだで蒔かれ、「霊的なからだ」によみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、「霊的なからだ」もあるのです。
Iコリント15:40、44

だから彼らは神の御座の前にいて、彼(神)の聖所の中で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを焼き滅ぼすことはありません。 啓示録7:15〜16

幕屋を張られる」とは共に住まわれることを意味しています。天蓋の中にかくまうように、天に移された大群衆は、神のご臨在と守りの中に生き続けることになります。

やがて太陽の炎熱が人々を焼き滅ぼすことが起こるようです。それは神が打つのではないのです。人間が創り出した殺人兵器を使って人口削減が行われるのです。まだまだ、後半の大艱難期の中期で起こることです。神は守る側です。

なぜなら、御座の中央におられる小羊が、彼らを養い生ける水の泉に導いてくださるからです。そして、が彼らの目から全ての涙をふき取ってくださるのです。 啓示録7:17

三位一体の神が共にいてくださる祝福です。小羊なるイエス様が牧者となり養ってくださり、聖霊なる神は、生ける水の泉となって私たちを潤し癒し、父なる神は涙をぬぐい取ってくださるのです。何という祝福が待っているのとでしょう。


今日もウエブチャへようこそ!

イエス・キリストの福音を全ての人が救われるように、神は今も願い続けています。そのため、艱難期の前半中期にも十四万四千人による総動員伝道が世界規模でなされます。イエス・キリストによる救いを聞かない人が一人もいないように、もれる人がいないようにされるのです。そして、イエス・キリストが救い主であると信頼するだけではなく、艱難期の救いは、死に至るまで信仰を守り抜くことが救いとなります。殉教が救いなのです。
艱難期に入ってからではなく、「今」「今日」イエス・キリストが救い主であると信頼し祈り救われましょう。私たちと一緒に携挙でお会いしましょう。

今日も1日良い日をお過ごしください!


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2019年02月04日

ご質問:救われているか実感がない!?

感覚や感情はなくても大丈夫ですか?
「救われている実感がないのですが…」
「私は救われているのでしょうか?」

はい、実感や感覚や感情はなくても問題ありません。
「そうなんですか?」
「はい、大事なのは、イエス・キリストとの契約を結んでいるかどうかです。」

契約とは、神の約束に対して、あなたが正式に応答したかどうかです。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方に信頼する者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」 ヨハネ5:24

この言葉は契約です。神はあなたに対して、「イエス・キリストの言葉を聞いて、私(神)に信頼するか?」と問われています。それに対して同意し「はい、あなたに信頼します。」と神に祈る時、あなたと神との間に契約が成立します。
その時契約内容である三つの驚くべき事、「永遠のいのちを持つこと」「裁きに会うことがないこと」「死からいのちに移っていること」という約束はあなたのものとなります。

契約ですから、感情は関係ありません。神の契約内容の三つの驚くべきことはすでにあなたのものです。それをどう捉えるかで、「ワーッ、私は神と契約したのだ。」と感動する人、「ワーッ、すごい事が三つも実現したんだ!」と契約の内容を理解して、飛び上がって喜ぶ人もいるでしょう。また、未だ実感がわいてこない人もいます。実感があるなしに関わらず、大事なのは、神との契約を結んでいるかどうかです。

自分のご利益(ごりやく)のためでなく、私は神に始めて、救いのために神に祈った時のことを今でもはっきりと覚えています。祈ったと言っても、人前で祈る事にドキドキしていましたので、やっとの思いで「神様、罪人の私をお赦しください。
と口の中がカラカラになりながら、祈りました。心から神に信頼して、祈ったのです。あの収税人の祈りと全く一緒でした。その日、その箇所をバイブルスタディで話題にしていたのです。(ルカによる福音書18章9節〜14節をご参照下さい)

一緒に祈ってくれた人たちは、しばらくシーンとして下を向いていました。私が祈り終わったのかどうかも、分からず。しばらくして顔をあげても、「救われたのかな???」と彼らの表情には「?」マークが出ているようでした。

しかし、私は、神に信頼して祈ったのです。その極めて短い祈りに色々な事が含まれていることも、神はご存知でした。

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者たち(ハデス)の中からよみがえらせてくださったと信頼するなら、あなたは救われるからです。 人は心で信頼して義と認められ、口で告白して救われるのです。 聖書はこう言っています。「彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、失望させられることがない。」 ローマ10:9〜10

1968年10月30日夕方5時ごろあの第6分団の消防小屋の2階で、私は神に祈りました。けげんそうな顔をしている人たちをよそに、私は神と契約を結び、三つの救いの契約内容が私に実現し救われたのです。この日から私は神様とイエス様とつながりました。

しかし、実感は?ジワジワと何が起こったかを理解することに比例していたように思います。今の方がはるかに契約内容も信頼するお方も理解して、ますます喜んでいます。

念願の大学に合格した時もそうでした。
実のところ私は発表の日をすっかり忘れていました。もっと楽しい忙しいことをしていたのです。それは、伊香保(渋川の御蔭)で行われているバイブルキャンプの最中で、私は朝食の司会をしていた時でした。その朝キャンプ場に駆けつけてきてくださった I兄弟が、「新聞に名前が載っていたよ。」とあっさりと教えてくれました。

あの合格発表の掲示板を、ドキドキしなら自分の受験番号を探すという、あのなんとも言えない緊張感と、見たいけど見れないようなあの空気感をぜーんぜん体験せず、あっさり伝えられたのです。そう全く「あっさり!」です。ですから私に「やったーッ」がなかったのです!
実感もわかず、その新聞を見せていただきました。「あっ、名前がある。合格したんだな。よかった。」となんの感情の盛り上がりもないままでした。

キャンプを終えて下山し、調べてみると入学金を支払う締切日でしたので、あわてて H兄弟が車に乗せてくれて、入学金を納めに行きました。これで大丈夫とは思いましたが、本当に実感したのはまだ先でした。最初の始業日に同じ大学に向かう学生たちの詰め込まれたバスから降りて、キャンパスへ続く道を歩き、大学の門を通過した頃でした。

どこで感動するか、どこで実感するかは、人によって違うのでしょう。でも、大事なことは、事実です。合格しているのか、していないのか。救われているのか、救えわれていないのか!の事実であって、どう感じるかは、その後のことです。


今日もウェブチャへようこそ!

皆さんはどうですか?救われていますか?
私はジワーッとした喜びに浸ります。空を見ていても、景色を見ていても、イエス様とのつながりを感謝します。生かされていることに喜びを感じます。しかも、イエス様が間もなく迎えに来られ、天に一挙に引き上げられる携挙を体験をするという、とってもエキサイティングな時代に生きていますから、皆様も同じようになれたらなあと、祈っています!

今日も1日良い日をお過ごしください!


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2019年02月02日

選ばれし十四万四千人、日本人は?

選ばれし十四万四千人、日本人は?

4、そして私は、証印を押される者たちの数を聞いた。十四万四千人で、イスラエルの子孫たちのあらゆる部族から証印を押された。ユダの部族から一万二千人が証印を押された。ルベンの部族から一万二千人が証印を押された。ガドの部族から一万二千人が証印を押された。
5、アセルの部族から一万二千人が証印を押された。ナフタリの部族から一万二千人が証印を押された。マナセの部族から一万二千人が証印を押された。
6、シメオンの部族から一万二千人が証印を押された。レビの部族から一万二千人が証印を押された。イッサカルの部族から一万二千人が証印を押された。
7、ゼブルンの部族から一万二千人が証印を押された。ヨセフの部族から一万二千人が証印を押された。ベニヤミンの部族から一万二千人が証印を押された。
啓示録7:4〜7

12」は「完成」を意味する数字です。しかし、一万二千人も十二の2乗の千倍である十四万四千人も、象徴的な意味ではなく具体的な数字です。その数は、ヨハネが天使より聞いた数です。そして、この十四万四千人の人たちは、DNAにおいてイスラエルの子孫である人たちを指しています。各部族名と人数が具体的に示されています。神が特別な目的で、彼らを選ばれたのです。彼らがたとえ、現在イスラエル人としてのアイデンティティを失い、部族名も分からなくなっていたとしても、神はご存知です。

そして、神は、イスラエルに対する神の恵みとあわれみのご計画を実行に移されます。彼らは、携挙の恵みにはあずかれませんでしたが、艱難期に救われイスラエルの初穂となります。第六の封印の後に救われるのであって、現在はまだ集められていません。しかも、彼らは比較的に若い青年たちです。その中に女性は含まれていません、男子です。最終的には反キリストの大迫害の中殉教していく人たちです。(啓示録14:4)

「自分たちが十四万四千人だ。」と主張する偽物が、現在たくさんあります。エホバの証人(ものみの塔)、モルモン教(末日聖徒イエス)。神の子(Children of Gd)、セブンスデー・アドベンティスト(SD)など、危険なカルト集団が、真面目な信者さんたちを騙して、お金儲けのための布教活動をしています。

もし、それらの宗教と関わっているなら、聖書の言っていることと、組織が言っていることは、全く異なっていることに気づいてください。それらの宗教の間違った教えによって、信者さんたちは、「十四万四千人に選ばれるように、行いと犠牲を強いられて」います。しかし、聖書は、「救いは恵みであり、行いではない。」と言っています。

イエス・キリストの信実による神の義であって、それはすべての信頼する人に与えられ、何の差別もありません ローマ3:22

その組織の詐欺に早く気づいてください。その組織や出版物が言っていることは、聖書の裏付けがないのですから。

もう一度確認しますが、十四万四千人は、7年の艱難期に突入してから、第六の封印の後、神によって選ばれ、天使によって証印を押される人たちで、イスラエルの子孫です。男子の未婚の青年たちです。神が選ぶのであって、あなたの行いや努力ではありません。
それ以外の存在や思想や教えは嘘であり、偽物です。

教会時代が携挙とともに終わり、イスラエルの回復のご計画を神が実行されるのです。イスラエルは神に見捨てられ、教会がイスラエルとなったという「反ユダヤ思考」や「置換神学」は間違いです。神はイスラエルとの契約を忘れず、その全てを実行に移されます。

失われた十部族
という北の十部族はアッシリアの捕囚の後、どこへ行ったのか分からないというのは、間違いです。
イエスの弟子ヤコブも手紙の中で、書いているように、彼らが今も生きていることを知っていた。バビロン捕囚後、イスラエルの地に戻ってきたのは、南のユダ国の2部族半であったが、残りの十部族の存在を知って手紙を出していました。

神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。ヤコブ1:1

使徒パウロも「神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。」(ガラテヤ6:16)と十二部族全体を意識して手紙を書いています。
やがて南のユダ国と北イスラエル国が一つのなるというのが、神のご計画ですので、決して十部族は失われていません。

ヤコブがイスラエルと改名したので、イスラエルの部族とは、ヤコブの子孫です。ヤコブの最期の時の遺言であり、預言は、十二人の子供と孫に語られた。ところが、ヤコブの子供のうちのダンが出てこないで、ここではマナセ部族になっているのは何故でしょうか?
なぜ、ダンは外されたのでしょうか?

それは、北王国のヤロブアム王は、金の子牛の像を2つ作り、一つをダン部族の土地に安置し、ダン部族は偶像崇拝を続けて金の子牛に仕えていたためと思われます。(II列王10:29、I列王12:29、30)金の子牛の祭壇の跡は、今もイスラエルの地に残っているのです。

神との関係、純潔を保つとは、とっても重要な条件です。
日本人の中からも、十四万四千人に選ばれる人たちが大勢出て来る事でしょう。
自分の意志で「イエス・キリストが救い主だ」と、イエスに信頼して救われる青年男子たちです。

今日もウェブチャへようこそ!

十四万四千人の一人になれなくてもいいのです。それ以上に重要なのは、イエス・キリストを救い主として受け入れ、7年の艱難期よりも前に、イエス様を花婿としてお迎えし、花嫁として携挙される群れに加わることです。
この携挙は、今日かもしれないほど、近づいています。
イエスとまだ関係がないのでしたら「神様、イエス様が私の救い主であると、私はイエス・キリストに信頼します!」とお祈りください。あなたは罪を赦され、裁かれることなく、永遠の命を持ち、神の子とされます。もう安心ですね!

今日も良い1日をお過ごしください!


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2019年02月01日

第六の封印後、世界の四大軍事勢力が!

1、こうして、これらの事の後、私は四人の天使たちが地の四方に立っているのを見た。地上にも、海上にも、どんな木々にも、風が吹きつけないように地の四つの風を抑えつけていた。
2、また私は、ほかの天使が、太陽の昇る方から、生ける神の証印を持って上って来るのを見た。彼は、地と海に災害を与えることを許された四人の天使たちに
3、大声で叫んで言った。「私たちの神のしもべたちの額に、私たちが証印を押すまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
啓示録7章1〜3節

「これらの事」の後とは?
第1の封印から第6の封印まで解かれた結果、世界に繰り広げられる大惨事の後ということです。今までのことを振り返りまとめてみましょう。

第1の封印:白い馬に乗る弓を持った騎手は、イスラエルに和平条約を締結し、ニセの平和条約によって、世界支配を進めていきます。

第2の封印:戦火と流血の赤い馬に乗る平和を奪い取る騎手により、武器が提供され、人々は殺しあうように仕向けられます。

第3の封印:黒い馬に乗る秤を手に持つ騎手は、食糧戦争を引き起こし、世界の経済を操作し、インフレの世界恐慌の中、自分たちの贅沢品を確保していく者たちです。

第4の封印:死人の顔色の馬に乗る騎手は死であり、死後の世界のハデスが従者。世界人口の4分の1が、戦争と飢饉と生ワクチンやドラッグにより作り出された死病と動物を媒介とするウィルスによって殺されていくようです。

第5の封印:殉教者たち。空中携挙でキリストに属する者たちが携挙された後、その事実に気づき、残された人々が、聖書やDVDや手紙やネットに残された情報の福音を通して「イエス・キリストが私の救い主です。」と信頼し、祈り救われる人たちが出てきます。ところが、かつても天災や大きな禍が起こるとクリスチャンたちがスケープゴートとされて、濡れ衣を着せられ殺されてきた歴史があるように「こいつらが、こんな邪教を信じるから禍が来たのだ!」と彼らは捕らえ次々に殺されていくことが起こります。

第6の封印:巨大地震と天変地異。世界の火山が一気に噴火し、一つの巨大地震が起こり、噴煙により太陽は暗くなり、日照量は急激に落ち、寒冷化による凶作と、人々は寒さで凍える世界となります。ブラッドムーンが起こり、星は見えなくなり、その中で小惑星などの隕石が落下し、人々は岩間、洞穴、金持ちは核シェルターに逃げ込むことになるのです。巨大地震と巨大津波のため山は崩れ、島々は移動する大規模な地殻変動がもたらされるます。
人々は、神の怒りによる禍だとわかります。しかし、頑固にも神を信じようとはしないのです。

こういった一連の事の後に、何が起こるかをヨハネに見せられたわけです。

さて、「地の四方」とは?
全世界を指す表現です。
世界はやがて4つの軍事勢力がせめぎ合うことになるとAD79年ごろのヨハネに見せたのです。
そして、四人の力ある天使たちが、災いをもたらす世界の軍事勢力の動きを今も封じているのです。

「風」とは軍隊
旧約聖書で、預言者エレミヤや預言者ゼカリヤが幻を見せられたように、風とは軍隊を指しています。軍馬や戦車を風と表現しているのです。

預言者エレミヤも疾走する戦車をつむじ風 にたとえています。
見よ。それは雲のように上って来る。その戦車はつむじ風のよう、その馬は鷲よりも速い。エレミヤ書4: 13

預言者ゼカリヤも、 四方に向かって風のように駆ける異なる色の軍馬を見せられています。
わたしが再び目を留めて見ると、四両の戦車が二つの山の間から出て来た。その山は青銅の山であった最初の戦車には赤毛の馬数頭、二番目の戦車には黒い馬数頭、 三番目の戦車には白い馬数頭、四番目の戦車にはまだらの強い馬数頭がつけられていた。 わたしは言葉をついで、わたしに語りかけた御使いに、「主よ、これは何ですか」と尋ねると、 御使いはわたしに言った。「これは天の四方に向かう風で、全地の主の御前に立った後に出て行くものである。 ゼカリヤ書6:1-5(新共同)

ヨハネが今日の世界の四つの軍事勢力を見ていたとしたら、
アメリカ軍、ロシア同盟軍、中国の同盟軍、そしてEUの同盟軍ということになりそうです。これから時代がどう動くかわかりません。まさに地の四方に四大軍事勢力が待機しているのです。
いつでも戦争が起こりうる状態ですが、その時が来るまで、実は神が彼らの行動を抑え遅らせているのです。四人の天使たちに命じて、四つの軍事勢力を抑えさせているのです。
天使たちが手を緩めるならば、いつでも四大勢力は、世界大戦に向けて動き出すことになります。

1世紀の時代に全世界の四大軍事勢力が出来上がるなど、誰が考えついたでしょうか?
かつて、メディア・ペルシャ、バビロン、ギリシャ、ローマなど時代ごとに一大軍事勢力は登場してきました。ヨハネもそれらの国々について聞いていました。その上世界の大陸がどのように広がっているかも分からなかった時代に、全世界の四隅にできあがる四大軍事勢力を思い描くことなど無理なことです。
ヨハネは21世紀に生きる私たちの時代を、未来をご存知である神によって見せられているとしか考えられません。

四つの風が抑えられている理由
それは、「私たちの神のしもべたちの額に、私たちが証印を押すまで」とあります。
「証印」とは、スフラギゾー σφραγίζω 「しるし、印、証印

押印は、私たち日本人にはとってもわかりわすい文化、習慣です。正式で重要な文面には、サインではなく、印が押されるからです。

この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。…エペソ1:13、14

イエス・キリストを救い主と信頼する全て者のは、聖霊の証印が押されています。その証印が押されていることが天国の住人となる保証です。
神の証印は、人には見えませんが、神にはわかります。

神の証印」の真似をして、艱難期の半ばから反キリストも人々に「獣の印」を押していくのです。これがないと売買ができないという支配を推し進めるために実施されます。


「神の証印」は保証と守りのしるしです。


今日もウェブチャへようこそ!

「神の証印」は「神のしもべたち」に押されていきます。
あなたは、「神の証印」を受けていますか?
人生のどこかで、「神さま、私をイエス様を私の救い主として受け入れます。」という祈りを神にしていますか?
もしまだでしたら、今神に祈ってください。人には見えない「神の証印」が押されます。そうすれば、この後何が起ころうとも安心ですよ。

今日も1日良い日をお過ごしください!


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2019年01月31日

「狭き門」の誤解

「狭き門」結構誤解されていますね!

イエスは、人々に言われた。
努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、
はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。」
ルカ13:24

「狭い門」と言うと、難しいとか、難関だという意味で使われますが、
ここでの難しさは、はいりにくさではなく、見つけにくさです。
天国に至る門は、1つです。入るのは優しいのですが、見つけるのが難しい!

逆に、見つけるのがやさしい門は、大きく、広い道がその前にあります。物質的繁栄を約束し、ご利益をチラつかせて、多くの人が喜んで入ってきますが、その行く先は、滅びです。
キリスト教の教会にも、そういった門がいくつも開いています。

世の中と迎合して、教えも教理も変更している教会もあります。
イエス・キリストではなく、「不思議やしるし」がもてはやされ、強調される教会があります。中には、イエス・キリストが締め出されている、イエス・キリスト不在教会もあります。

「狭い門」は教会ではなく、イエス・キリストです。
イエス・キリストとの関係を持つことなしに、神の国に至ることはできません。

天国は唯一の門「イエス・キリスト」を通してでないと入れないということです。
天国に至る道筋は、山の頂上に行く道のように沢山あるように思います。途中山あり谷あり、晴れの日もあれば吹雪く日もあるのです。人により、その道筋は違います。しかし、神の国に通じる入口の門は1つだけです。イエス・キリストが門です。キリスト教ではなく、教会でもなく、哲学でもなく、イエス・キリストです。

天国に入れる者は、罪が完全に赦されている者だけです。
1つの罪であっても、持ったままでは入れません。

イエス・キリストだけが罪を赦す救いを完成しました。他に誰も成しとげていません。
あなたが受けるべき神からの刑罰を、あなたの身代わりに受けることをしてくださったのは、イエス・キリストだけです。排他的なものの言い方に聞こえるかもしれないけれども、実際イエス・キリスト以外に救いはないのです。それが事実であり、現実です。私たちの身代わりに神の刑罰を受けた罪なき人は、イエスの他にないからです。

この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私 たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。使徒4:12

時には、常識や決まりに反しても、正しく判断し行動することが必要です。
3、11の津波の時に、機転きかせて避難した大船渡小と越喜来小は全校無事でした。助かった小学生たちは、普段指示されていた避難場所でなく、高台に移動して助かりましたね。マニュアル通りに揺れが収まってから移動したのでは、津波に飲み込まれていたのです。「大きな揺れのときにしゃがみ、小さい揺れのときに急ぎ足で逃げた。」のです。

多くの人が行くからと、ただ人についていくのではなく、自分の頭で考えて行動することの大切を学びました。校庭の避難所に集まった後、校門より山手のフェンスをよじ登って高台の大船途中へ移動を開始して助かったのですね。その後避難所の校庭は津波に飲まれ、校舎1階に浸水してきました。

学校教育で校門ではなく、大きい子どもたちはフェンスをよじ登るように、また小さい1、2年生は教職員が助けてフェンスを越えさせたのです。学校の規則を破ってでも、命が優先されたのですね。

本当は、誰でもイエスへの信頼だけで、救われるという「広い」門なのですが、闇の勢力の妨害のせいで、多くの障害物が置かれて、結果的にステノスστενός(近くにある障害物のせいで)「狭い」見つけにくいように「狭くさせられて」しまっているのです。

イエス・キリストに「あなたは、私の救い主です!」と祈り信頼するだけで、あなたはその門に入れるのです。しかし、「努力して」入るように勧められています。

「努力する」アゴーニゾマイἀγωνίζομαι とは、「闘う、(賞を得るために)熱心に努力する」つまり、「戦い努力し続ける」ことです。
賞を得るためのオリンピックの競技者のように、自分を鍛え、自制し、トレーニングを怠けることなく、自分との戦いをまず制覇することに例えられます。

いざ、門から入ろうとすると、色々な妨害があることに気づかされます。
神の国の入り口を前にしながら、あなたを入らせようとしない妨害が出てくるのです。イエス・キリストが救い主だとわかったのに、踏み込めない妨害。

あなたの決断を妨げる霊的な闇の世界の妨害があります。不思議なことですが、あなたがどんな宗教に入ろうとしても、このサタン側の反対は一切ありません。本物を知っているサタンは、あなたがイエス・キリストに信頼することだけを妨害します。それが悪魔にとって不利な真理である証拠です。

家族の反対という妨害があります。年齢が上の人ほど、江戸時代の踏み絵やキリシタン禁令の高札が掲げられた迫害時代の心的トラウマを潜在的に持っています。ヤソはあかん!と考えている。しかし、日本人の先祖たちは、イエス・キリストを選んだのです。ローマのあの迫害時代の殉教者の数にも劣らない人数の先祖たちが、命をかけて事実を証明してきたのです。
どんなに反対があろうとも、あなたがイエス・キリストを救い主と受け入れること、あなたの正しい判断が、あなたもあなたの家族も救うことになるのです。
私もイエス・キリストに信頼したことで、両親から勘当され、家を出ました。最終的に両親とも救われて,妹とともに天入しています!

一般常識という妨害があります。みんながイエス・キリストでない道を選んでいるから、その中でイエス・キリストを信じて行くことはなぜか、流れに逆らうように思うのです。流れに逆らえるのは生きた魚だけです。死んだ魚も落ち葉も流されるだけです。時に一般常識は、間違っていることがありますよ。

他にも妨害があることでしょう。でも正ことを正しい判断を持って選び、正しい道へと踏み出すことがとっても大切です。

狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいっていく者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。マタイ7:13〜14


今日もウェブチャへようこそ!

今日の選択は、未来へ続きます。感覚や感情ではなく、理性を持って正しい判断をしてください。
あなたの幸せを何よりも願っている神の心を受けとめてください。
「狭い門」である、イエス・キリストを選ぶひとりとなってください!

今日良い1日をお過ごしください!


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2019年01月30日

ご質問がきてます。サタンさえいなければ・・・

誘惑するサタンがいなければ、人間は罪を犯さなかったのでは?
サタンがアダムとエバを誘惑する前に、サタンをやっつけて欲しかった!
アダムを騙した直後にでも、サタンをさばいて欲しかった!
サタンが野放しになっているから、この世界は悪くなっているのでは?
神がいるなら、なんでサタンの活動を許している?

Q1、誘惑するサタンがいなければ、罪を犯さなかったのでは?

確かにそうかもしれませんが、そうとも言えません。
誘惑する者が存在しなければ、可能性は低かったでしょう。

間違ってはいけないのは、人が罪を犯すのは、サタンのせいではなくて、人が悪を選ぶからです。誘惑してきても、それに乗るか、断るか、無視するかは、人間の自由意志に任されているのです。

だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。 人はそれぞれ自分の欲に引かれおびき寄せられて誘惑されるのです。 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。 ヤコブ1:13〜15

誘惑が問題なのではなく、私たちのなのです。欲望が、罪に至るかどうかの鍵になります。アルコール依存症の人へに対してアルコールは、誘惑となります。そうでない人は、誘惑ともなりません。
欲がなければ、誘惑は何の意味を持たないのです。

サタンに従うか、神に従うか、真反対の言葉のどちらの言葉に従うか?
欲で判断するのか?理性を持って、神の言葉に従うのか?選ぶのは私たちです。
そして選んだ結果は、私たちの責任としてついてくるのです。

神に従うことを、アダムもエバも、自分の意思で選ぶ必要があったのです。たった1つのルールだけでした。
善悪の知識の木から取って食べてはならない。
誰がなんと言おうが、守ればよかったわけです。りんごの木ではないですよ。(アップル社は、食べたりんごをロゴにしていますが。)
「善悪の知識の木の実」にがあったわけではありません。食べるか食べないかが、生死に関わったわけでもありませんでした。園にあるどの木からも思う存分食べてよかったからです。

また、現実にサタンはあなたの生活にほとんど関わっていません。
サタンは、たった1人です。どこにも、同時に存在するように見せかけ、思わせていますが、
神のようには偏在できないで、特定の場所に限定されています。

しかも、悪のトップですから、あなたが霊的に神の側でのトップレベルでない限り、
サタンは直接手を出す対象ではないです。

サタンが直接相手にしたのは、ヨブや、人となられたイエス様ぐらいです。御使たちの中では、戦いの長、ミカエルです。しかし、イエス様が十字架にかけられた時、サタンの脳天を踏み砕きましたから、
サタンの力は、名もない天使にも及ばないのです。千年王国でサタンを拘束するのは名もない御使です。(啓示録20:1、2)

したがって、少しもサタンを恐れる必要はないのです。

Q2, サタンがアダムとエバを誘惑する前に、サタンをやっつけて欲しかった!

確かに、アダムとエバを誘惑する前にサタンを滅ぼしてたなら、誘惑はすくなかったでしょうが、

千年王国においては、サタンが完全に閉じ込められ、活動ができなくなります。その1000年間において、イエス・キリストに従うことを喜ばない人が出てくるのです。サタンが拘束されているので、確かに罪を犯す人は少なく、サタンの誘惑はないですが、人々の心の欲が次第にはらんでくるのです。

千年王国の最後にサタンが解放されると、イエス・キリストを選ばない人たちがたくさん出ます。むしろ、サタン側について、イエス・キリストに敵対して戦おうとするのです。啓示録20:8~10

なんでもサタンのせいにして、言い逃れたがりますが、問題は私たちの欲の奴隷になるか、欲を支配するかが大事なのです。サタンがいなくても、人は、神の御心から外れる可能性があるのです。

Q3、アダムをだました直後にでも、サタンをさばいて欲しかった!

イエス・キリストによる救いが完成する前に、サタンを滅ぼすと、サタンに従ったアダムも滅ぼさなければならなくなります。十字架による救いはまだ完成してないために、救いの福音だけが未来に起こることとして、この時語られました。

わたしは恨みをおく、おまえと女たちとの間に、おまえのすえと女のすえとの間に。
おまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕く。
」創世記3:15

そして、実際にイエス・キリストの十字架の救いが成し遂げられた時に、サタンの脳天が踏み砕かれたのです。
このようにアダムとエバに約束されたことは、イエス・キリストの十字架において実行され、実現しました。
サタンは頭を踏み砕かれた敗北者なのです!

Q4,サタンが野放しになっているから、この世界は悪くなっているのでは?
神がいるなら、なんでサタンの活動を許している?


まだ、サタンが生かされているのは理由があります。
サタンの最後は決まっています。行き先は永遠のさばき、火の燃える湖ゲヘナです。
しかし、今、まだサタンが生かされているのは、アダムの子孫である私たちが、第2のアダムであるイエス・キリストとともにアダムの失敗を乗り越えやり直しサタンの誘惑にも勝利していくことを、神が望まれているからです。

私たちの霊は救われましたが、この肉の古い性質を持った体が贖われるのは、イエスの空中再臨、すなわち私たちの携挙の時です。それまで、肉の弱さを身にまとっているために、各種の誘惑と戦いがあるのです。
その戦いの中で、神のご計画は、私たちが神の御心を選び、私たちの足でサタンを踏み砕く事を願っているのです。
そのためにサタンは生かされているのです。
そして、最終的なイエス・キリストとの勝利を通して、神に栄光があらわされるために、サタンはまだ、いかされているのです。

とはいえ、サタンを恐れる必要など少しも無いのです。
すでにサタンは、イエス・キリストに敗北している!

そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。へブル人への手紙2:14-15

もし、私たちがイエスとつながっているのなら、堕天使ども、悪霊ども、長であるサタンを、恐れる必要など全く無いのです。先にも書いたようにサタンの脳天はイエスにより踏み砕かれているからです。

沖縄で猛毒を牙にもったハブとマングースの戦いを見たことがあります。
真ん中が仕切られた金網の檻の中に入れられた両者が、どちらが勝つのだろうかと観光客が固唾を飲んで見守る中、中央の仕切りが外されました。
一瞬のうちに両者がもつれ合いボールようになっていましたが、しばらくして、勝利が明らかでした。
マングースがハブの頭にしっかりと噛み付いて、もがいていたのはハブでした。

頭を砕かれたサタンはすでに、瀕死の状態です。
それにもかかわらず、神のような力を持っているかのように人を恐怖で支配し、操ってくるのです。
それにもかかわらず、サタンはすごい力を持っているかのように人々に思わせているだけです。

サタンは聖書が力ある神の言葉であることを知っていますので、読ませません。
事実ではなく、神話だと思い込ませています。
サタンは祈りが要塞をも破壊するものであることを知っているので、サタン側は祈らせません。
サタンは救われた者が伝道することを恐れていますから、闇の勢力は喜びや平安を奪っていきます。

その嘘を見抜き、イエス・キリストの勝利を宣言していきましょう。

悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。ヨハネ8:44

平和の神はすみやかにあなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださる下さいます。」ロマ16:20

神は、私たちがサタンを踏み砕くことを願っています。
「足」とは、あゆみです。私たちにサタンよりもすごい力があるわけではありません。
私たちが神のみ言葉に従うことが、サタンを砕くことになるのです。
神に従うことで、私たちがサタンを踏み砕くのです。
各種の誘惑の中で、神の喜ばれることを選び続けることでサタンは砕かれ、敗北していくのです。

今日もウェブチャへようこそ!

サタンを恐れる必要がなければ、恐れる者など何もないようです。
イエス様の側に立っているものとして、イエス様の勝利を喜びます。神も私たちが勝利していくのを喜んでくださっています。聖霊はその力を与えてくださいます。自分の欲ではなく、神のみこころを選ぶこと、喜ばれることを一つ一つ重ねていくこと、これが勝利の道ですね!

今日も1日イエスにある勝利の道をお進みください! 祝福を祈ります!


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2019年01月29日

ご質問がきました。天国にあんちくしょう?

Q3、クリスチャンだって、気の合わないあんちくしょうや、この野郎がいますよね。
そいつらみんな(天国で)一緒で平和なんでしょうか?


状況が正確にわかりませんので、答えも的を得るかどうかわかりませんが、
少しでもお役に立てますように!

「気の合わないあんちくしょう」と「この野郎」はどの程の人でしょうか?
もしそのままの悪い意味で取ると、そのような人たちが集まった場所は、平和ではないでしょうね!
天国ではなくなってしまう。そんなところには行きたくないです!

さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。
神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。
いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
ルカ17:20、21

神の国=天国について
一般的に3つの誤解があります。

1つは、「いつ来るのか?」というように未来だと考えていること。
神の国は、未来ではなく、イエス・キリストに信頼している者たちの心の中にすでに始まっている。

2つ目は、観察できるようにくるのではないこと。
あなたがたのただ中にある。
お互いの間に始まっているものです。
どのようにですか?
イエスが愛したように互いに愛し合う関係」として始まっているのです。

良い関係の輪を広げていきましょう。
 一人ではなく、複数で実現!
お互いを理解し合えて、心をゆるしあえる人とともに
二人三人が集まるところで、始まっています。

3つ目は、天国とは異次元の話ではなく、
この地球上、現実の世界で実現していくものです。
「天国行ったら」とか、「天国へ行けば」と
問題を棚上げにしている場合があります。
今から、実現のために努力すべき内容もあることを、忘れては行けないと思います。

さて、私たちは基本的に問題だらけです。神との関係は整っても
未だに人間性の問題を抱えています。
「気の合わないあんちくしょう」や「この野郎」になりうるわけです。
お互いに変えられていない部分、ぶつかり合う部分を
聖霊なる神により変えていただくことができますし、変えていただく必要があります。

ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し
完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
エペソ4:13

お互いがイエス様に似ることを目指し、キリストの満ち満ちた身たけにまで達することを目指しています

私たちは、神の御心から外れていることの方が多いのです。
だから、聖霊なる神の助けをいただいて、お互いに変えられていく必要があります。
絶えず軌道修正して、神の御心に沿う歩みができるように努力しています。

イエス・キリストに信頼して罪を赦されたのですが、
それはスタートです。私たちの人間性は、とっても歪(いびつ)で、
自分ではいいと思っていても、結構歪(ゆが)んでいるものです。
尖っていただり、凹んでいたりです。

聖書を読むことで自分自身のゆがみに気づかせていただき、
聖霊なる神により、歪みを治していただくのです。

私の左肩はいつもコリと痛みがあります。
ある時、理学療法士の人から、肩がずれていると指摘されました。
鏡を見ると自分でたいらになるように直しているので、気づかなかったのですが、
かなりずれていました。
足の長さも違う!?
びっくりですね。
歪みを直していただいただけで、痛みが取れて、手が回る!
手がまっすぐ上に上がる!
驚きです!!

クリスチャンだと言っている人が、
少しも生活を聖霊によって変えていただこうとしないで、
相変わらず、不正をして、不法を働いて「このままでいい!」などと、開き直って、
何一つ聖霊の実を結ぼうとしないなら、
イエス・キリストとの関係は始まっていない可能性があります。

クリスチャンとは、自分で言うのものではありませんね。
言われるものです。
初めての人から、「クリスチャンですか?」と聞かれる時には、
「そう見えます?」とか「まだまだ」と答えます。

自分の嫌な人間性も、聖霊によって変えられるはずですが、
時間がかかります、完全になれなくても、
嫌な自分に気づきつつ、祈り求めつづけることがとっても大切です。

現在教会を離れている人が全て問題があるとは思いません。
残念なことに「気の合わないあんちくしょうや、この野郎」のせいで、
つまずいて行けなくなっているかも知れないのです。

あなたがイエス様につまずいているのではなく、イエス様と信頼関係を保っている中で、
「気の合わないあんちくしょうや、この野郎」のせいで、教会や集会に行きたくないと
思っているとしたら、自分がおかしいのではなく、
「そいつら」がおかしいのかも知れないと、疑うことも必要です。

そういった人たちが「的外れな生活」をして古い悪い性質のまま生き、
人々のつまずきとなっていることを気づき、悔い改められるように祈りをしましょう。
私たちも自分自身がつまずきとならないように、
少しでもイエス様に似るように求めなければなりませんね。

私たちが一時的に過ごす、7年間の天国も、その後の千年王国にも、
「気の合わないあんちくしょうや、この野郎」はいないでしょう。
キリストの愛を実践できる人たち」の行くところだからです。

現在、「あんちくしょうやこの野郎」であっても、イエス様のご再臨前までに、
イエス様につながっている者は、聖霊によりお互いに変えられるチャンスがあります。
私たちは皆変えられていく過程にあります。止まっては行けません。
止まったら後退です。

成熟を目指して進もうではありませんか!」へブル6:1

私たちは現在、イエス・キリストに少しでも似るように求め、
御霊の実である愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制の実
結ぶために聖霊の力をいただいて、軌道修正する努力をし、怠ける自分と戦っています。

その実が一つもなく求めもしないで、天国に入るなら、
火災現場で火の中をくぐって、命からがら救われる人と同じ
とっても恥ずかしい思いに満たされることでしょう。 (Iコリント3:15)

イエス様の時代から始まっていましたが、
今日も、教会や集会という集まりの中に良い麦と一緒に毒麦のタネもまかれ、
毒麦も良い麦といっしょに生えている状態です。
「そいつら」というのがイエス様が警告したニセ教師であり、ニセ預言者であり、
ニセ信者
であるなら、彼らは、天国に入れません。

イエス様を救い主と受け入れたのちに、苦しい試練の中で、
「神様はいるのか?」と、もがき苦しみ、悩みの中にある人は、
イエス様から離れているのではありませんよ。

むしろイエス様につながっているのです。悩んでいることをイエス様はご存知です。
安心して祈り、助けを求めていきましょう。
試練もあなたもイエス様の手の中にあります。


今日もウェブチャへようこそ!

たいへん興味深い話題でした。お互い不完全で欠けだらけですから、
励ましあって、「キリストの愛の実践」を心がけていきましょう。
恵みが満ち溢れている時に、お互いに成長できますように、
祈り支え合っていきたいものです。
ご質問がありましたら、右下の「お問い合わせ」より、メールください!

今日も良い1日をお過ごしください!


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