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2019年10月07日

私はそこにいた ウゴ・チャベス2012年大統領選挙勝利の記憶

Hugo-Chavez-Balcón-del-Pueblo2012.jpg
ウゴ・チャベス

Cubadebate、2019年10月7日、Érika Ortega Sanoja記者

私はそこにいた、群衆の中に。妊娠8か月を超えるお腹を抱えていたが、夫に付き添ってもらった。お腹はぱんぱんだったが、その日はベネズエラTVのスタジオで働いた。なぜってあなたがその超人的な努力で選挙運動に取り組んでいるのなら、どうして私がそれをしようとしないだろうか!

午後6時ごろにテレビ局を出た。ミランダを母にあずけてから私は着替えに行った。ボレロの角に着いたのは午後8時ごろだった。ラジオとイヤホンを持っていたが、すでに宮殿近くを埋め尽くしていた人びとの騒音でよく聞こえなかった。とても長い時間、踊って、飛び上がって、立っていたことを覚えている。その体重と妊娠にもかかわらず、痛みはまったくなかった。とてもとても幸せだった。

夜9時ごろ、ホアンに出会った。彼は幸せそうに、いつもと同じ笑顔で、プエルトリコのオストス主義独立運動のメンバーや南米の若者たちと一緒にいた。彼ら全員のなかに私は、多くの希望と将来の信頼が私たちを乗り越え埋めつくしているというとても魔法的なプロセスを証明する喜びを見た。結果発表の時間がやってきたとき私たちはホアンに、マヌエラのミドルネームを決めるところだと話していた。モニターではテレビが選挙評議会からの中継を告げ、ティビサイ・ルセナが映った。彼女が結果を読み上げ、そのあと疑義はなかった。私たちボリーバルの人民はふたたび歴史を作っていた。

その場にいた私たち全員が泣き、笑い、飛び跳ね、喜びで叫んだ。私たちは、悲しさや憎しみすべてを克服し、その瞬間あなたの病気にも打ち勝っていた。私たちは誰にも負けないと感じていた。私たちこそが人生や喜び、愛、尊厳と主権の保証だからだ。そしてイメージがはっきりした。娘の名前はマヌエラ・ビクトリアにしよう。

私たちは感動してたくさん泣いた。それで私は人民のバルコニーにいるあなたを見るのを手伝ってくれとJJに頼んだ。彼は、それは賢明ではない、と言った。それはもっともだったが、あなたへの愛で私の勢いは止まらなかった。私は妊娠を利用して押していき、あなたを見るのをやめる気がない人びとの越えがたい壁に道を開き、ついにたどりついた。

あなたを近くで見た。8年前にそうしたように。2004年8月15日の大統領再信任国民投票でミラフローレスのバルコニーに初めて行ったときだ。でも今回は、あなたは物理的にはとても近くにいたのに、同時にとても遠くに見えた。本能的に私はふたたびあなたに会うのはとても大変だろうと分かっていて、実際あなたに会うことはもうなかった。ボリーバルのようにこの国の歴史に燦然と登場するあなたを見れたことはとても大きな誇りだ、愛するチャベスよ。これは誰も私から消せない。私はそこにいた、あの2012年10月7日に。


ウゴ・チャベス大統領、大統領選挙勝利演説完全版(2012年10月7日)

Yo estuve ahí (+ Video)
http://www.cubadebate.cu/especiales/2019/10/07/yo-estuve-ahi-video/#.XZze6EYzbIU




posted by vivacuba at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | venezuela

プレミア12のキューバ代表28人が決定

Premier12.jpg

JIT、2019年10月7日

キューバ野球局はきょう(10月7日)、11月2日から17日にかけてメキシコ、中華台北、韓国、日本で開催されるプレミア12トーナメントのキューバ代表チームメンバーを発表した。

ミゲル・ボロート監督率いる代表チームは、捕手3人、内野手7人、外野手5人、投手13人で構成されている。

チームは10月24日に中華台北に向けて出発し、強化試合を数試合行い、11月6日にグループCでの初戦を行う。

一次ラウンドではカナダ、オーストラリア、韓国と対戦し、そのうち上位2チームが2020年東京五輪への出場権を獲得する大会ファイナリストを決めるスーパーラウンドに進出する。

代表チームメンバー

捕手(3人)

アリエル・マルティネス(マタンサス)
ユニオル・イバラ・アラ(サンクティ・スピリトゥス)
ヨスバニ・アラルコン・タルディオ(ラス・トゥナス)

内野手(7人)

ウィリアム・サアベードラ・バルデス(ピナール・デル・リオ)
ヨルダニス・サモン・マタモロス(ハバナ)
ラウル・ゴンサーレス・イシドリア(シエゴ・デ・アビラ)
アレクサンデル・アヤラ・ガルシア(カマグエイ)
セサル・プリエト・エチェバリア(シエンフエゴス)
パベル・ケサダ・ペドロソ(シエンフエゴス)
バルバロ・エリスベル・アルエバルエナ・エスカランテ(マタンサス)

外野手(5人)

ロエル・サントス・マルティネス(グランマ)
オスカル・ルイス・コラース・レオン(サンティアゴ・デ・クーバ)
フレデリク・セペダ・クルース(サンクティ・スピリトゥス)
ユリスベル・グラシアル・ガルシア(マタンサス)
アルフレド・デスパイネ・ロドリゲス(グランマ)

投手(13人)

カルロス・フアン・ビエラ・アルバレス(ラス・トゥナス)
ヨシマル・コウシン・ラ・ローサ(カマグエイ)
ヤリエル・ロドリゲス・ヨルディ(カマグエイ)
リバン・モイネロ・ピタ(ピナール・デル・リオ)
ブラディミール・ガルシア・エスカランテ(シエゴ・デ・アビラ)
ブラディミール・バーニョス・チャコン(ハバナ)
ヨエンニ・ジェラ・モンタルボ(マタンサス)
ラサロ・ブランコ・マトス(グランマ)
フレディ・アシエル・アルバレス・サエス(ビジャ・クララ)
フランク・マダン・モンテホ(カマグエイ)
ライデル・マルティネス・ペレス(ピナール・デル・リオ)
アンディ・アマウリ・ロドリゲス・バルデス(ハバナ)
ユディエル・ロドリゲス・レオン(ラス・トゥナス)

首脳陣

ミゲル・ボロート・ゴンサーレス(カマグエイ)監督
オマール・リナーレス・イスキエルド(ピナール・デル・リオ)補佐
ホセ・エウラリオ・エルナンデス・レスカノ(マタンサス)補佐
ペドロ・ルイス・ラソ・イグレシアス(カマグエイ)投手コーチ
リカルド・エライン・エイスメンディス・ドミンゲス(ハバナ)トレーナー

Cuba anuncia sus 28 para Premier 12 de Béisbol
http://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=131141




posted by vivacuba at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | beisbol

チェ・ゲバラと私の世代 ネット時代における教育を考える

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Radio Rebelde、2019年10月7日、Yaicelín Palma Tejas記者

私の世代は、1990年代の只中に生まれた世代で、私たちの祖父母やあるいは両親たちがおそらくは楽しんだであろうエルネスト・ゲバラのような男たちの声を直接聞きながら育つという幸福を持たなかった。そのときキューバ歴史学で蒐集された逸話を私たちに伝える役目を負ったのが彼らや教師たちだった。

それで私たちは、チェがアルゼンチン人であり、ぜんそく患者であり、フィデルとメキシコで出会い、グランマ号でキューバにやってきて、ひとたびキューバでの革命勝利に成功したら、コンゴで戦い、そしてボリビアで戦い、そこで最後に殺された、ということを知っている。

私たちの世代がピオネーロス(子どもたち)だったころまでは、歴史書を通してこれらの情報にアクセスすることはまだ可能だった。しかし私の世代のあとにはほかの情報がどんどんやってきて、それらすべては英雄的ゲリラ戦士の時代からはいっそう遠く、インターネットの台頭のような重要な現象により近く、それは知識の伝達方法を再考させるものとなっている。

テクノロジー分野においてキューバは、すでに私たちが知っている、他の発展した封鎖されていない国々と比較して不利な立場を強いる国内外の要因にもかからわず、正面から取り組んできた。いまその課題は、10月になぜカミーロとチェの記念日が制定されているか思い出せなくなるほど私たちの英雄たちと21世紀の人びとの断絶が大きくなるのを避けるために、それらのツールを利用する方法にかかっている。

キューバの教育が完成している時代においては、学級が「テケス」となり日付と出来事の単調な暗記を繰り返すのではなく、私たちを現代に導いたこれらの出来事一つ一つの意識的で個別の分析になるためには、歴史を教える役割における新たな技術の使用が不可欠である。大学生にチェの「モーターサイクル・ダイアリーズ」を読書させたあと教室で議論することと、本を読ませて映画も見せたあとフェイスブックなどの若者が好むSNSでその両方の素材の感想を投稿させることは同じではない。より魅力的であるし、より多くの人たちが関わってくるだろう。

情報通信技術(ICT)の現象に固有のものは「インフルエンサー」の出現であるが、彼らはトレンドを設定し、正当化し、若者たちが一般的に真似たいと考えるライフスタイルを売り出す人びとにすぎない。チェを現代の若者たちにとってのインフルエンサーにしようではないか。ときには英雄たちをその台座から降ろして、その短所と長所を人びとに伝えるのも良いことである。子どもたちや若者たちは、エルネスト・ゲバラがシエラ・マエストラで戦い、工業相とキューバ国立銀行総裁だったことを知るべきだが、同時に、チェがベースキャンプに連れていったが飼えなかったあの犬の話など、私たちの多くが共感する彼の人間的側面をよみがえらせる話を知る必要がある。

そうしなければ、私たちはチェのことを、彼が生まれて死んだ6月14日と10月8日のような日にしか思い出さなくなるだろう。そうしなければ、子どもたちは朝礼で「チェのようになろう」と叫び続けるだろうが、決してチェのようになることはないだろう。すべての教室や職場や家庭でチェをよみがえらせることでこの男への追悼を新たに作り出すべきときである。私の世代はそれを必要としている。

che-educacion-tablet.jpg

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El Che y mi generación
http://www.radiorebelde.cu/noticia/el-che-mi-generacion-20191007/




posted by vivacuba at 13:16| Comment(0) | TrackBack(0) | cuba
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