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2019年10月06日

ラサロ・ブランコ 通算100勝達成 グランマチーム史上4人目

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ラサロ・ブランコ

CNC TV Granma、2019年10月6日、Osviel Castro記者

2005年3月に首都ハバナでのメトロポリターノス戦で初勝利をあげてから14年の歳月が必要だった。その間ずっと、家族の災難や、「ほかのことに専念する」ようアドバイスした不信者たち、あるいは彼のことを信頼しない人たちには事欠かなかった。

しかし、ラサロ・ブランコ・マトスは、成長し始めるまで日毎厳しいトレーニングに毎日集中し、現在キューバ最高の投手の一人になった。そのため、きょう10月6日の日曜日、キューバ野球リーグでの自身通算100勝を達成した直後に彼は、キャリア初期のコーチ陣や、両親(人生で多くのことを導いてくれた)、子どもたち、そして「私が失った愛する人たち」のことを思い出し、嗚咽した。

シエゴ・デ・アビラを相手に7イニングで5対0と完封した今回の勝利でブランコは、通算記録を目指すあらゆる選手が直面する緊張から解放され、バヤモ市のマルティレス・デ・バルバドス球場をほぼ埋めつくしたファンから拍手喝さいを浴びた。

「少し不安があったが、ウォーミングアップから投手コーチ陣のルイス・エルネスト(ゴンサーレス)とシーロ・シルビーノ(リセア)からアウトを取ることに集中しろと言われ、勝利が望み通りに近づいてきて、こうなった。とんでもなく満足している。私はこれで100勝に到達した4人目のグランマ投手(これまで達成しているのはエルネスト・ゲバラ・ラモス(133勝)、シーロ(208勝)、ミサエル・ロペス(148勝))であり、このことを私は誇らしく思う」、とブランコは感動して語った。

ブランコは、キャリア初期の不安定なピッチングや、グランマチームから除外され二倍努力したときのことを、真摯に語った。「キャリア前半の7年間は良くなかった。第51期ではメンバーからも外され、この除外はとんでもなくつらかったが、さらにモチベーションをあげて復帰した」、と1986年2月23日ヤラ市生まれのブランコは、本拠地球場のダグアウト近くで話した。

「第52期までは21勝33敗だった。ビクトル・メサにたくさん感謝しなければならない。その当時の私をマタンサスの補強に要請してくれた。彼は私を二度補強に選んでくれ、私は彼とともにピッチングのさまざまな面について学んだ。彼はいつも私に偉大な投手になれると強調してくれ、そのあと変化がやってきた」、と今季はパナマ野球のチリキーでプレーしたブランコは認めた。

「ホセ・マヌエル・コルティーナ先生にもたくさん感謝している。グランマにやってきた先生から、君は大物になる、君にはその資質がある、ハードに練習しなさい、トレーニングした人は必ず成功する、と言われた。アドバイスを与えてくれ、ここ最近の5年間で私はキューバの投手部門で上位にいる」、とブランコは話した。

今季4勝目(4敗)をあげたグランマの背番号79ブランコは、今季開幕時には、それまでのキューバ代表としての任務の負担から、投げたときに手足の感覚がなくなるほど、とても疲労しており、回復できないのではと思ったが、ルイス・エルネスト・ゴンサーレスとの特別トレーニングによって改善し、ここ最近の3回の登板では、90マイルを超えている、とブランコは告白した。

「カルロス・マルティのことも話さざるをえない。高い成績を収めた選手が下降するのは当たり前だと言ってくれて、ふたたび勝利の道に戻るだろうと保証してくれたんだ。その通りだった。彼やチームの同僚たち、たくさんの愛情をあたえてくれる人びとが、この100勝において必須のものだった。」

今回の栄誉にもかかわらず、ブランコは少し落ち着かない。というのは二次ラウンド進出決定戦1日目に設定された10月13日の登板が可能かどうかまだわからないからである。「10月12日から代表候補チームが召集されると言われているが、私はそれらの決定戦の試合でプレーさせてほしいと思っている。ロエル・サントスや私がそれらの試合にいないのは、グランマチームにとっても興行としても残念なことだ。他チームの選手についても同じく考えるべきだ」、とブランコは述べた。

プレミア12に向けた代表チームのすぐれたトレーニングの重要性はわかっているが、彼の県は神聖なものである。「グランマのためにつねに全力を尽くす。キューバ代表チームにいるときと同じく。私の存在理由は、ひじょうに要求の厳しい、野球好きのグランマの人びとを尊重し、登板のたびにマウンドで最大限の力を発揮することだ。」

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ラサロ・ブランコ


ラサロ・ブランコ 100勝達成インタビュー(2019年10月6日)

Lázaro Blanco: 100 sonrisas que alejan malos ratos (+Fotos y video)
http://www.cnctv.icrt.cu/2019/10/06/lazaro-blanco-100-sonrisas-que-alejan-malos-ratos/




posted by vivacuba at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | beisbol

キューバ バルバドスでのテロ犠牲者を追悼 クバーナ航空機爆破事件から43年

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Radio Habana Cuba、2019年10月6日、PL

キューバはこの日曜日(10月5日)、今から43年前にバルバドス沖で起きたクバーナ航空機へのテロ攻撃の犠牲者73人を追悼する。この犯罪の主犯たちは一度も起訴されていない。

キューバ当局と国民代表はきょう、この1976年10月6日に起きたテロ行為の死者たちを追悼し、首都ハバナのコロン墓地まで巡礼をおこなう。

ネット上では、キューバのネットユーザーたちがここ数日、このテロ攻撃の主犯たちと米国政府や中央情報局(CIA)の共犯関係に関して非難を繰り返した。

ツイッターのユーザーたちは、#われわれには記憶がある、 #10月6日、#キューバ、#忘却禁止、といったハッシュタグを使い、キューバ人57人、ガイアナ人11人、韓国人5人の計73人の死者の遺族はいまだ正義を要求している、と投稿した。

CU-455機内に設置された爆弾による飛行中の爆破が知られているバルバドス犯罪は、西半球における過去最悪のこの種の攻撃であり、CIA工作員がキューバ革命に対して行った最も残忍なテロ行為と考えられている。

捜査によると、この事件はキューバ出身のテロリスト、ルイス・ポサダ・カリーレスとオルランド・ボッシュによってベネズエラで計画され、彼らがベネズエラ人のエルナン・リカルドとフレディ・ルゴに機内に爆弾を配置させた。

リカルドとルゴは禁固20年の刑を宣告されたが、ボッシュは短期間逮捕されたあと釈放され、ポサダ・カリーレスは8年間拘留されたが、刑務所の警備員の助けを借りて脱走に成功した。

その後、ポサダ・カリーレスとボッシュは米国マイアミ市に身を隠し、そこで死ぬまで、キューバに対する暴力行動や不安定工作を計画し続けた。

キューバでは10月6日が国家テロリズム犠牲者の日として正式に制定された。


バルバドス、恐るべき犯罪の記憶


バルバドス犯罪 - キューバに対するテロリズム


航空機爆破 455便の真実の歴史 (パート1)


航空機爆破 455便の真実の歴史 (パート2)


フィデル・カストロ、バルバドス犯罪を弾劾(1976年10月15日)

Cuba rinde homenaje a víctimas del Crimen de Barbados
http://www.radiohc.cu/nacionales/204067-cuba-rinde-homenaje-a-victimas-del-crimen-de-barbados




posted by vivacuba at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | cuba
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