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2019年06月09日

サンクティ・スピリトゥス U23リーグ決勝進出 サンティアゴ・デ・クーバに逆転勝ち

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リーグ首位打者のホセ・フォンテ(サンクティ・スピリトゥス)

JIT、2019年6月9日、Duanys Hernández Torres記者

サンクティ・スピリトゥスがきょう(6月9日)、東地区プレーオフの第三戦でサンティアゴ・デ・クーバを7対1で破り、第6回U23野球リーグ決勝進出2チーム目となった。

エリエル・サンチェス率いるチームは初戦でコールド負けしたあと、2試合連続で勝利し、シリーズ逆転勝ちを決めた。

サンクティ・スピリトゥスは初回にサンティアゴ・デ・クーバの先発カルロス・フォントから2点を奪い勢いづいた。この回、ロドレシス・モレーノの安打のあと、ディスマニ・オルティスが二塁打を放ち先制し、さらにヘイセル・セペダの適時打で2点目をあげた。

このあと4回にもセペダの二塁打と、ロイデル・ロドリゲスの犠飛で2点をあげた。さらに5回と7回で3点を加えた。

ヤンキエル・マウリはサンティアゴ打線をわずか4安打3四球に抑え、6三振を奪った。このサンクティ・スピリトゥスの右腕投手は完投したが、9回2死から完封のチャンスを逃した。

フォントは3回1/3を投げ、4点を献上した。ホセ・カルロス・バルボサはこのプレーオフ2回目の救援登板は不調に終わり、アウトをわずか2個取れただけだった。

左腕ホセ・グティエレスは最後の救援投手として5回を投げ6三振と好投したが、すでに時期が遅かった。

勝利チームの打撃陣では、ロドレシス・モレーノが5打数3安打、三塁打1本、3得点、ヘイセル・セペダが5打数3安打、二塁打1本、2打点、ディスマニ・オルティスが4打数2安打、二塁打2本、1打点、と最も活躍した。

サンクティ・スピリトゥスチームは闘争心を見せた。リーグ最高の投手ロベルト・エルナンデスの初戦の敗北にもかかわらず、決してひるまなかった。

火曜日(6月11日)にはホセ・アントニオ・ウエルガ球場で決勝戦5番勝負が始まる。地元チームはシエンフエゴスを迎え撃つ。

シエンフエゴスの先発は左腕バルバロ・エレーラだろうが、サンクティ・スピリトゥスのほうはまったく不明である。ロベルト・エルナンデスはキューバ選抜チームに召集されており、決勝戦には出ることができない。

Gallos de "pelea" a la final del béisbol sub-23
http://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=116074
posted by vivacuba at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | beisbol

ピースボート キューバに到着できず 米トランプ政権による規制のため

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ピースボート、ハバナ湾にて

Cubadebate、2019年6月9日、Carlos Miguel Pereira Hernández(駐日キューバ大使)

ピースボートが今回6月13日に予定していたキューバ到着ができなくなるというニュースを深い悲しみを持って受け取った。米トランプ政権がキューバに課した民間の船舶、クルーズ船、飛行機への新たな規制のためである。

米国船籍の船であることから、諸国民間の共生と平和、親善の象徴であるピースボートは今回、キューバ人の楽観主義、尊厳、強固さにふれることができない。あるとき彼らの幹部やプロモーターの一人が私に言ったように、「キューバへの渡航は毎回、尊厳の地への旅である」。

この愚かな政策が彼らのキューバ到着を阻害するのは今回が初めてのことではない。過去に起きたように、遅かれ早かれこれらの政策は失敗し、ピースボートは平和と連帯のメッセージを携えてキューバの地に戻ることだろう。

今回、ピースボートは、日本に住むキューバ人共同体や日本人の友人たちが今年はじめにハバナを襲った竜巻被害者たちへの援助として送った慎ましい愛情あふれる支援物資の荷物を運んでいた。

キューバに対する理不尽な悪行と憎悪がふたたび顔を見せているが、それらのどれも、われらの愛するキューバを支援し取り組みを続けるという夢と使命を私たちから奪うことはできない。吉岡さん、友人の皆さん、ありがとう、戦いは続きます。

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ハバナの竜巻被害者への日本からの支援物資

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ハバナの竜巻被害者への日本からの支援物資

“Helms-Burton” también impide a Peace Boat tocar puerto cubano
http://www.cubadebate.cu/noticias/2019/06/09/helms-burton-tambien-impide-a-peace-boat-tocar-puerto-cubano/#.XP1bcdIzbIU
posted by vivacuba at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | Japon

ピナール・デル・リオで交通事故 5人死亡 1人負傷 乗用車が渓谷から転落

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Tele Pinar、2019年6月7日、Díaz Breijo記者

15歳のファビオ・アレンシビア・ロドリゲスが、致命的な結果を生んだ交通事故の唯一の生存者である。

軽傷だけですんだものの、ピナール・デル・リオのペペ・ポルティージャ小児病院の集中治療室で総合治療を受けている。

集中治療の専門家ヘスス・ラソ・カブレラ医師はテレ・ピナールに対し、患者には擦り傷があり、意識を保ち、コミュニケーションができており、命の危険はない、と発表した。

この少年は、事故のとき、個人車モスクヴィッチ(車両ナンバー:P002556)で旅行していたが、車は今週木曜日(6月6日)の夜、サン・カジェターノ人民評議会のプエルト・エスペランサに至る道路41km地点で、渓谷から転落した。

事故現場で大人4人と未成年者1人が即死した。死者の名前は以下の通り。

アレクシス・ラモン・ロドリゲス(53歳)
ペドロ・ロドリゲス・ヌニェス(42歳)
ユディエル・バルデス・エルナンデス(31歳)
ヘンリ・エルナンデス・リベラ(27歳)
アドリアン・クエージョ・ロドリゲス(17歳)

県犯罪捜査オペレーション部隊の警察隊は、暫定的な事故原因として、車両の適切な制御への不注意と、乗客数の超過であると判断した。

また、事故車の内部には、アルコール飲料の摂取の証拠があった。

ウェブサイト「クーバデバテ」が報道したデータによると、キューバ国内では1日29件の事故が発生し、ピナール・デル・リオは今年4月末までで最多の死者を出した県のひとつになった。

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Accidente de tránsito en Pinar del Río deja cinco fallecidos y un lesionado
http://www.telepinar.icrt.cu/accidente-transito-pinar-del-rio-deja-cinco-fallecidos-lesionado/
posted by vivacuba at 06:40| Comment(0) | TrackBack(0) | cuba

キューバとチェルノブイリの子どもたち HBOが報じなかった歴史

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Cubadebate、2019年6月9日

タタラーのビーチにはキューバのカリブ海から望みうるすべてがある。コバルトブルーの暖かな海、細かな黄土色の砂浜と牧歌的なヤシの木、そよ風。庭のある屋根の低い家々が、ハバナの東およそ30kmのところに集まっている。その中央で、硝石で赤く塗られた粗い建物がチェルノブイリの惨劇のあまり知られていないエピソードのひとつを隠している。

1950年代に建立されたタタラーの都市化は、フルヘンシオ・バティスタ独裁政権のあいだ、国のブルジョアと軍のエリートにとって、サマーリゾート地として役立ち、そのあとホセ・マルティ・ピオネール組織の巨大な子ども用運動施設になった。しかし、1990年3月29日から、このパラダイス・リゾートは、その4年前にチェルノブイリ原子力発電所の事故の被害にあった子どもたちのための最大の医療プログラムの本拠地となった。

1990年から2011年のあいだ、タタラーの小児病院は、ウクライナとロシア、ベラルーシで放射能被害にあった2万5千人あまりの子どもたちを介護した。その大半が、癌、変形、筋萎縮におかされ、皮膚や胃に問題を抱えていた。また多くが、核の恐怖を体験したことによる高いレベルの心的外傷後ストレスを受けていた。

2つの病院と、およそ20の医療部門を集めた患者のための医療施設のほかに、この小さな町は、劇場ひとつといくつかの学校、約2kmに及ぶ澄みきったビーチが広がるレクレーションエリアを備えていた。

「フィデルは私にこう言ったんだ。君には通信社には行ってほしくないし、通信社にも領事館には行ってほしくない。これは兄弟国であるソビエトの国民とおこなっている基本的な義務だ。宣伝のためにしているわけではない、と。」、と元キューバ領事のセルヒオ・ロペスはドキュメンタリー「私たちのなかのチェルノブイリ」で語っている。

フィデル・カストロ自身が139人の子どもたちからなる第一団を飛行機のタラップの下で迎えてからおよそ30年後にキューバの保健省とウクライナ政府とのあいだで署名された最近の協定は、チェルノブイリに関するHBO(米テレビチャンネル)のシリーズ放送が引き起こした注目と同時発生的に、このプログラムの再編の可能性に扉を開いている。

キューバニュース通信社(ACN)は、ウクライナの50人の子どもたちが今年2019年、病気の治療のためにキューバを訪問すると報じた。彼らの多くは、1990年代初頭にキューバで同じ体験をした人たちの子どもたちである。

「抗放射線」ビーチ

1986年4月26日の午前、ヴラディミール・リッヒ・レーニン原子力発電所の4号機を一連の致命的ミスがおそい、数回の爆発のさなかに大量の放射線を放出しながら炉心を露出し、激しい火事が10日間続いた。

同原子力発電所の労働者とその家族が住むために建設された人口5万人の町プリピャトは、爆発後36時間たつまで避難しなかった。数多くの大人と子どもが汚染にさらされた。子供たちの多くはその後、おそらくヨウ素131またはセシウム173の吸入または摂取によって、甲状腺癌と白血病を発症した。

同プログラムの長年の調整役だったキューバ人医師フリオ・メディーナと放射線予防衛生センターの調査員オマール・ガルシアによる研究によると、患者たちは深刻な精神障害を伴う「複数の慢性疾患の保有者」だった。そのため被害者たちを4つのグループに分け、そのうちもっとも重度の患者はキューバに数ヶ月滞在でき、「比較的健康」な第4グループの人たちは45日から60日滞在することになった。

数年間、タララーの海岸には赤毛の女の子と色白の男の子たちが住み、ハバナの人たちは夏の季節以外でも彼らがビーチで日光浴をしているのを見るのに慣れてしまった。日焼けをしたり、海水につかることは、皮膚の色素沈着や頭髪の成長を改善するために受けていたメラゲニンとパイロットトロフィンによる治療を補完するものだった。

「大げさに言うのではなく、私たちにとってキューバは救いだったのです」、と若き母親ナターシャ・サリモヴァは脳性まひを発症した息子をカートで揺らしながら話している。1999年の米国のAP通信の記事である。その記事ではそのキューバのクリニックが活動しているのを見ることができる。

特別期間での奇跡

子どもたちの第一団が到着する3ヶ月前、フィデル・カストロはハバナのカール・マルクス劇場で、悪い時代がやって来ていると知らせていた。ベルリンの壁の崩壊はソ連圏に差し迫った崩壊の序曲だった。東欧の諸問題は「わが国がひじょうに困難な供給状況に直面しなければならないほど深刻」でありえた。

これが「特別期間」の始まりだった。キューバは5年以上にわたって沈没し、欠乏と停電に苦しんだ。欧州の社会主義陣営は消失したが、キューバはチェルノブイリの子どもたちに関する計画を変わらず進めていきたかった。

「キューバは経済的に困難な時期に直面したが、わが政府は連帯の使命を果たしながら、子どもたちに専門治療を提供し続けた」、とメディーナ医師は2017年に多国籍チャンネルテレスールのインタビューで、患者の受け入れを続けるという当時の目覚しい挑戦について語った。

プログラムは公式的には終了したが、ウクライナとロシアの患者グループのためのキューバでの医療フライトは維持された。2016年以降、彼らの大半は首都の西にあるシボネイ国際クリニックで治療を受けている。ここはおそらくチェルノブイリの子どもたちのハバナでの新たな住処になるだろう。

キューバの人びとにとっては不思議なことではない。HBOが世界の視聴者に向けてチェルノブイリの歴史を明らかにするそのずっと前から、キューバ人はみなその原子力発電所が地図上でどこに位置しているか知っており、場合によって直接、そこで起きたことの結果を説明できた。プロレタリア国際主義の遺産である。

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「キューバでのチェルノブイリの子どもたち」(クーバデバテ)


フィデル・カストロ、チェルノブイリ原子力発電所事故の被害者を支援


キューバTV キューバとチェルノブイリ

Chernóbil se cura en La Habana: El episodio que no contó HBO
http://www.cubadebate.cu/especiales/2019/06/09/chernobil-se-cura-en-la-habana-el-episodio-que-no-conto-hbo/#.XP12vdIzbIU
posted by vivacuba at 06:24| Comment(0) | TrackBack(0) | cuba
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