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2019年11月21日

チリ抵抗運動の賛歌「余り者たちのダンス」 コロンビアのデモにも飛び火

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チリの反政府抗議運動(2019年10月25日)

Cubadebate、2019年11月21日

ロックトリオ「ロス・プリシオネーロス」(囚人たち、の意)の元リーダー、ホルヘ・ゴンサーレスは、自身の楽曲「エル・バイレ・デ・ロス・ケ・ソブラン」(余り者たちのダンス)を歌う路上の群衆を記録している映像を前にして感動を隠さなかった。

チリ独裁に対する抵抗運動のもとつくられた1980年代半ばを象徴するこの歌はいまや、1か月前に社会的に勃発した運動の主役となっている若者たちの賛歌である。

サン・ミゲル地区で生まれたグループのボーカリストは、2015年2月の国内ツアーの最中に襲われた脳梗塞から目覚ましい回復を遂げている。

彼は、「こんなに素敵な波動を送ってくれている」人びとと、酸素を通じて新たな命を吹き込んでくれた高気圧酸素治療に、大いに感謝していると話す。「誰もがこの種の治療を受けられるようになればと思う」、とゴンサーレスは、サンティアゴ北西129kmのところにあるキジョタの民間医院から話す。

「私を支援し、私の歌を歌いながら素敵な波動を投げかけてくれる人びとにとても感謝している。まだ私の歌を演奏してくれる人たちが必ずいる」、とゴンサーレスはテレビインタビューで語った。

「そのことに私はとても満足している。しかし悲しみもある(と彼は思いをはせた)。あの歌をまだ歌い続けなければならないということは、問題は変わっておらず、何も解決していないということだから。でも変革は可能だと思っている。」

政党なしに人びとが立ち上がっていることも誇りに思うとゴンサーレスは語った。「人々は顔を見合わせて街頭に飛び出している。これは奇跡だ。革命はもう始まっていて、後戻りすることはない。政治家たちがいかに望んだとしても。」

「奇跡というのは、今回の抵抗運動の勃発は過去には生まれなかったであろうということだ。状況はすでに変わったんだ」、とゴンサーレスは話した。

社会的対立の可能な解決法について、ゴンサーレスは、「人びとは(セバスティアン)ピニェラが辞任することを望んでいるが、彼は耳を貸さない。彼は辞任すべきだし、新たな政府が引き受けるべきだ。なぜなら右翼陣営は現憲法を維持したがるだろうから」、と述べた。

「憲法」改正について、ゴンサーレスは、「自由になされるなら」実現することを信じていると語った。

「余り者たちのダンス」のなかで「また1日歩こう / いつも通りの月末だ / はみだし者たちの踊りに加わろう / 誰もわれわれを余分には感じないだろう / 誰もわれわれを本当に助けたがらなかった」と歌った作者は最後に、「戦い続けること」というメッセージをチリ国民に送った。

(ANSAの情報による)

「余り者たちのダンス」、コロンビアでの抗議者たちにも歌われる

チリ全土で始まりすでに1か月以上が経過した社会抗議運動でもっとも歌われている歌の一つが、チリのグループ「ロス・プリシオネーロス」の「取り残されている者たちのダンス」であった。独裁政権時代の1986年に発表されたこの歌は、同国のみならず、ペルー、コロンビアその他のラテンアメリカ各国で人気を得た。

そのため、まさにコロンビアで、イバン・ドゥケ大統領が実行しうる労働政策や年金政策に対しておこなわれているあらゆる種類のデモ行進や示威運動のさなかに、この歌はメインの大通りで鳴り響いた。

ホルヘ・ゴンサーレスによって書かれたこの歌は、社会のさまざまな分野での不平等を非難しており、チリやコロンビアでも、いまなお力を持ち続けている。

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ホルヘ・ゴンサーレス、チリのシンガーで、ロックグループ「ロス・プリシオネーロス」のリーダー。同グループはラテンアメリカのロック界でもっとも重要で人気で影響力のある音楽グループの一つ。


チリビジョン ホルヘ・ゴンサーレス インタビュー(2019年11月20日)


余り者たちのダンス - サンティアゴ・デ・チレ100万人デモ(2019年10月25日)


「余り者たちのダンス」、コロンビアのデモで鳴り響く(2019年11月21日)


ロス・プリシオネーロス「余り者たちのダンス」(チリ国立スタジアム、2001年)

El baile de los que sobran: Himno de los manifestantes chilenos (+Video)
http://www.cubadebate.cu/noticias/2019/11/21/el-baile-de-los-que-sobran-himno-de-los-manifestantes-chilenos/#.XdeENuj7TIU




posted by vivacuba at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Chile

2018年07月21日

ビクトル・ハラ殺害犯の引渡しを米国に要請 娘のアマンダ・ハラ氏 チリ政府の後押しも求める

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1973年にビクトル・ハラが殺害された競技場前でろうそくを手向けるファンたち

Cubadebate、2018年7月21日、ロイター通信

「複雑な事例であることは理解している。しかし、ここまでの時間の経過を考えると、われわれはこの引渡し要請を促進するために、政府が弁護士や資源を使って積極的に関与する必要があると感じている。」、とアマンダは語り、彼女の父である歌手ビクトル・ハラの殺害の責任者の一人の引渡しを米国に求めるため、チリ当局にさらに迅速な行動を促した。

アマンダは、彼女の父が、独裁者の故アウグスト・ピノチェトの権力のもとでおこなわれたクーデター後に、学生や左翼支持者たちとともに競技場で逮捕されたときは8歳だった。証言者たちは、ハラが拷問され、複数の発砲により殺害されたと述べた。

今年7月のはじめ、チリの裁判官は、長い調査の結果、8人の退役軍人たちに15年の懲役を宣告した。しかしハラの暗殺との関係を追及されたもうひとりの犯罪責任者は、自由の身であり続け、米国に住んでいる。

53歳になるアマンダ・ハラは、チリの漁業集落キンタイにある自宅近くでのインタビューのなかで、この判決について、「不処罰への打撃」として評価し、しかしチリの高官たちについては、退役中尉ペドロ・バリエントスを追及するための十分な行動をしていないと批判した。

現在69歳のバリエントスは2016年にフロリダ州連邦民事裁判所で、ハラの死に責任があると宣告された。その法廷ではひとりの元新兵が、バリエントスがいかに自慢して、そのあとハラに発砲し殺害するために使ったピストルを見せたか証言した。

バリエントス被告とは連絡がとれず、裁判で彼を弁護していた弁護士はすでにその任を解かれている。チリからの引渡し要請は、2013年に初めておこなわれたが、現在は宙に浮いた状態にある、とロイター通信は報じている。

チリ外務省は、ロイター通信への電子メールのなかで、今年3月に権力を握ったセバスティアン・ピニェーラ大統領の政権は、この件についてすばやく取り組みたいと延べており、7月にロベルト・アンプエロ外相は、引渡し請求が再開されたと発表した。

米国の法務省と国務省は、この事件についてコメントをしたがらなかった。

アマンダ・ハラは、最近の父に関するニュースを知って、最後の作品でもっとも知られている曲のひとつである「マニフェスト」について考えさせられたという。その歌で彼は「歌は感情を持つ。本当の真実を歌いながら死ぬ人の静脈で脈打つとき。」と書いた。

「おそらく何か切羽詰ったものを感じて、"これが私のあり方だ、これが私が歌う理由だ" と歌うこの歌を書いたのだと思う。」、とアマンダは語った。

(ロイター通信の情報による)


ペドロ・バリエントスの裁判を報じるニュース(2016年6月27日)


ビクトル・ハラ 「マニフェスト」

Hija de Víctor Jara pide extraditar desde EE.UU a uno de los responsables del crimen
http://www.cubadebate.cu/noticias/2018/07/21/hija-de-victor-jara-pide-extraditar-desde-ee-uu-a-uno-de-los-responsables-del-crimen/#.W1QTuNIzbIU
posted by vivacuba at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | Chile
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