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2021年01月23日

高千穂ノ峯の傳説地 その12

霧島火山の崇拝
霧島火山の崇拝せらるる其の由來を詳にせねど、恐らくは奈良朝以來の、役行者一派の山嶽佛教の所爲に起因するものならん。
傳ふる所によれば、此の山欣明天皇の朝に、僧慶胤なるもの始めて之を開けりとあり。
是れ固より徴證すべきなく、信ずべき限りにあらず。
延暦七年三月此の山爆破す。
續日本紀に曰く、
七月巳酉大宰府言す。
去る三月四日戌時、大隅國囎唹郡會之峯に當りて火炎大に熾にして、響雷の如く動(どよ)む。
亥時に及びて、火光稍止み、ただ黒烟を見る。
後砂を峰下五六里に雨らす。
砂石委積すること二尺ばかり、其色黒し。
と。
かくの如き異變ありてより、一層崇敬の度を深めしものあらん。
後年僧性空あり。
廬を此の山に結び苦行する事四年、元亨釋書に曰く、
性空は平安城の人、云云。
年三十六にして主家し、人跡至らず、鳥音聞えざるの深山を尋ねて、乃ち日州霧島に往き、廬を結びて居る。
或は數日を隔てて食し、或は食せずして旬を磿たり。
或は夢中に美膳を得、覚めて後肚裏能く飽く。
餘味口にあり。
或は經巻の中より、忽にして精白の糠迸散し、或は煖餅出づ。
其の味常の比にあらず。
或は夢に人あり餐を送り、覚むれば必ず餽あり。
是を以て苦行絶食すと雖、身體肥え滑にして、光彩人に過ぐ。
或は寒夜弊衣、皮膚氷の如し。
寒を忍びて經を誦すれば、忽ち庵上より綿を垂れて身を覆ふ。
居る事四歳、移りて筑前州背振山に住す。
と。
此の事亦花山法皇御撰書寫山上人傳に見ゆ。
性空年八十、寛弘四年に寂す。
然らば其の三十六歳は、村上天皇應和三年なり。
釋書謂ふ所の奇蹟は、固より必ずしも信ずべきにあらざらんも、此の頃既に此の靈山が、佛徒信仰の標的たりしは之を認むべし。
斯くて登山の行者漸く多く、遂には日本最初の峰と云ひ、神武天皇帝釋宮より此の峰に還幸し給ひきとの説も出で、はては天孫降臨の傳説も、唱え出さるるに至りしにあらざるか。
タグ:性空
posted by うさぎ at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 霧島山
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