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2020年12月29日

大國主~の隱退 その3

大國主~の崇敬
大國主~既に國を譲り奉る。天津~乃ち厚く之を遇し給ひて、委ぬるに~事(かんごと)を以てし、其の鎭まります杵築ノ宮の宮造りは、底津磐根に宮柱太知り、高天原に千木高知りて、天津~の御子天津日嗣知ろしめす瑞(みづ)の御舍(みあらか)の如くに造り給ひき。
蓋し此の國譲りは、近く韓國の併合にも比すべきものにして、是が爲に、自他共に其のwを増進すること甚多く、從來「いたく騒ぎてありけり」と言はれたりし此の葦原ノ中ツ國も、天孫の御稜威によりて、安國と知ろしめることとなりしなり。
されば近くもとの韓國皇帝を遇するに、特に皇族の尊貴を以てし給ふが如く、大國主~に對するにも、天皇に對し奉るとほぼ相當する程の尊敬を以てし給ひしなり。
其の現露(あらは)の事は天孫自ら之を統治し給ひ、大國主~に委するに~事(かんごと)を以てし給ひしは、大化の改新に際して國造の政權を朝廷に収め給ひ、爾後國造は専ら祭祀を掌ることとなりしにも比すべきものならんか。
タグ:大国主命

大國主~の隱退 その2

大國主~の服命
大國主~の御子事代主~、謹しみて命を奉じ、身を避け奉る。
別に大國主~の御子建御名方(たけみなかた)~あり。
ひとり之に抗す。
武甕槌~乃ち追ひて信濃の諏訪に到り、遂に之を服す。
建御名方~は卽ち諏訪大~なり。
ここに於て大國主~奏して曰く、「我が子二~卽に命を奉ず、我れ何んぞ違はんや、此の葦原ノ中ツ國は命のままに献らん。
我れもし禦がましかば、國内の諸~必ずまさに同じく禦ぎなん。
今我れ避け奉る。
誰か亦敢て順(まつろ)はざるものあらん」と。
乃ち國を平げし時に杖つきし廣矛を以て二~に授けて曰く、「我れ此の矛を以て卒(つひ)に功をなせり。
天孫若し此の矛を以て國を治め給はば、必ず當に平ぎなん」と。
是より二~諸の順(まつろ)はぬ鬼~等を誅して復命す。
其の大國主~は出雲の杵築大社に、事代主~は同國三穂~社に、又經津主~は下總の香取~宮に、武甕槌~は常陸の鹿島~宮に祭らるるなり。
武甕槌、經津主二~の此の行、大國主、事代主二~を從へたるを以て、功の最なるものとす。
故に日本紀の一書に曰く、「此の時歸順せる首渠は、大物主~(大國主~の別名)及び事代主~なり」と。
二~の勢盛なりし狀觀るべきなり。
タグ:諏訪 信濃
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