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2017年12月10日

―皐月雨―・12(半分の月がのぼる空・しにがみのバラッド。・シゴフミ・クロスオーバー二次創作)

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 作成絵師:ぐみホタル様(https://skeb.jp/@Gumi_Hotaru

 二次創作「皐月雨」、第12話掲載です。





                  ―夜明け―


 雨が、降っていた。
 シトシトと。
 深々と。
 寒い雨が、降っていた。
 時間は、午前三時四十五分。
 場所は、屋上に出る階段の最後の踊り場。
 ドアを一枚隔てた外は、冷たい雨の落ちしきる夜闇の世界。
 そこから入り込む冷気が、僕の身体にジワリジワリと染み透ってくる。でも、そんな事は気にならない。気にならない程、心が冷えていた。竦み上がっていた。
 たった今、階段の手すりを乗り越えようとした身体。それが、ピシリと凍りついていた。
 手すりに添えていた手。それが、ガッチリと掴まれていた。掴んでいる手は、とても華奢で小さい。その気になれば、簡単に振りほどく事が出来る筈だ。だけど、それをする事は叶わない。それほどまでに、その手は強く固く、僕の身体を、心を、掴んでいた。
 「……何を、してるの……?」
 僕を掴む、彼女が言う。
 怖い。もの凄く怖い顔で
 「裕一……」
 里香が、言う。
 「……、何、してるの……?」
 「り、里香……どう、して……」
 寒いのに、ダラダラと汗が流れてくる。脂汗と言うか冷や汗と言うか、とにかく常時に出る汗じゃない。大ピンチの時に出てくる、気持ちの悪いあれだ。って言うか、ホントに何で里香がいるんだよ!!
 「どうしてじゃない!!」
 怒鳴り声と一緒に、里香が僕の手を引っ張った。
 「うわっ!!たたっ!!」
 バランスを崩す僕。そのまま、無様に手前の床に落っこちる。
 「い、いたた……って、うわぁ!?」
 「馬鹿!!この大馬鹿!!」
 床に伸びた僕に、馬乗りになってくる里香。首に巻きつけたままのザイルを掴んで、激しく上下に引っ張る。ガクンガクン。頭が揺れる。後頭部が床に打ち付けられるは、首が絞まるはで、痛いやら苦しいやら。
 「い、痛い痛い!!って言うか、苦しい!!死ぬ!!死ぬって!!」
 「勝手に死のうとしてたくせに!!今更何言ってるのよ!!」
 里香は怒っていた。本当に怒っていた。里香が怒るのはいつもの事だけど、ここまで本気で怒る里香を見るのは僕も初めてだった。目を吊り上げて、その目に涙をいっぱいに溜めて。雫をまき散らしながら、僕の頭を揺すり続けた。
 「待て!!待てってば!!お前、そんなに興奮しちゃ駄目だろ!?」
 「知らない!!」
 里香は言う。怒りながら。
 「死んじゃう奴の言う事なんて、知らない!!」
 里香は叫ぶ。泣きながら。
 「あたしを置いて行っちゃう裕一の言う事なんか、聞いてやらない!!」
 「!!」
 「裕一が置いてった世界でなんか、生きてやらない!!」
 「里香……」
 「裕一がいなかったら、生きてたって仕方ない!!」
 里香の言葉が、僕の心を打ちのめしていく。痛かった。鬼大仏の拳固を食らった時よりも。夏目にぶちのめされた時よりも。郵便配達に吹っ飛ばされた時よりも。モモに鎌で打たれた時よりも。ずっと、ずっと。比べ物にならないくらい、痛かった。
 「馬鹿……馬鹿……馬鹿……」
 いつしか、頭の揺れは止まっていた。里香は握っていたザイルを放して、僕の胸に顔を埋めていた。埋めて、しゃくり上げていた。里香の涙が、ジャケットに染みてくるのが分かる。ああ、手紙、インクが染みて読めないだろうな。里香の背に手を回しながら、僕はそんな事を思った。


 「どうやら、落ち着いたみたいね」
 『やれやれ。今のが続く様だったら、止めに入らなきゃいけない所だったよ』
 「無粋ね。馬に蹴られるわよ」
 『そう言う問題じゃないって』
 視界の外から、そんな会話が聞こえた。聞き覚えのある声。天井を見上げたまま、”そいつら”に向かって恨みがましげに言う。
 「……お前らかよ。里香を連れてきたの……」
 「まあね。間に合ってよかったわ」
 いけしゃあしゃあと、そんな言葉が返ってきた。あのツンと澄ました顔が、目に浮かぶ。
 「文伽さん。グッジョブ」
 モモの声も聞こえる。大方、サムズアップでもしてるんだろう。
 「モモこそ。時間稼ぎ、ご苦労様」
 「よくやったな。助かったぞ。ふん!」
 「そっちもね。お前にしちゃ、上出来な方だね。ふん!」
 四者四様に聞こえてくる声。結局、こいつらの掌の上か。癪に障る事この上ない。それに、言いたい事もある。僕はしゃくり上げる里香の背を撫でながら、そこにいるであろう”そいつ”に向かって言った。
 「おい、郵便配達」
 「何かしら?」
 「何で、里香を連れ歩いてんだよ。発作が起こったら、どうしてくれるつもりだったんだ?」
 少なからずの険を込めて、僕は言う。けれど、
 「君に言う資格はないね」
 僕の恨み節は、モモによってあっさりと否定された。
 「発作なら、とっくに起きてたよ。君が、ヘマをした時にね」
 「……っ!!」
 自分の心臓が止まるかと思った。何の事かは、容易に分かる。震える手で、里香の肩を掴む。
 「里香……。本当か……?」
 「………」
 里香は、何も言わない。そうだと、責める訳でもなく。そんな事はないと慰めるでもなく。ただ、黙って僕の胸に顔を埋めていた。その様が、全てを物語る。
 「そんな……。それじゃ、どうして……」
 「文伽さんが、助けてくれたんだよ」
 「え……?」
 唖然とする僕を、モモの言葉が打った。
 「聞こえなかった?文伽さんが、助けたの。規律を、破ってね」
 「まだ順番じゃない人間を、引き止めただけよ。大した問題じゃないわ」
 『いや、少しは問題意識持って欲しいなぁ……』
 飛び交う言葉が、僕から力を奪っていく。里香の背を摩っていた手から力が抜けて、パタリと床に落ちた。
 「……里香が……オレの、せいで……」
 自分の言葉が、胸を抉った。そう。誰のせいでもない。僕のせいだ。
 僕は一体、何をやっていたのだろう。何を、しようとしていたのだろう。里香を生かす。そのためだけに、行動していた筈なのに。その結果が、これ。里香を悩ませて。里香を苦しませて。挙げ句の果てに、死なせかけてしまった。本末転倒もいい所だ。馬鹿の所業、そのものだ。
 どうしようもない、脱力感。何も出来ず寝っ転がる僕の上で、里香がソっと身を起こした。泣いていたせいだろうか。僕を見下ろす眼差しは、幾分腫れぼったく見えた。そんな彼女に向かって、僕は言う。
 「里香……ごめん……」
 「何を、謝ってるの……?」
 里香の問いに、僕は答える。
 「オレさ、お前を生かしてやりたかったんだ……。オレの心臓、使ってさ。そしたら、お前、もっと生きれるかもしれないだろ?お前、言ってただろ?世界は、綺麗だって。だからさ、見て欲しかったんだ。もっと、いろんなもの。感じて欲しかったんだ。もっと、いろんな事……」
 「………」
 「思うんだよ。オレってさ、駄目なんだ。約束したのに。お前の事、守るって。なのに、出来なかったろ。何も、出来なかったんだ。お前が、大変な時に。だから。だから、せめて……せめてって、思ったのに……なのに……」
 ボグッ
 僕の泣き言は、途中で止められた。
 それは、衝撃だった。儚い程に軽い。だけど、とても痛い衝撃だった。
 「うわ……」
 『”グー”だ……』
 化け猫と杖が、怯え半分呆れ半分の声で呟く。
 「……っ!!いったい……」
 里香が僕の頬を殴った拳を押さえて、そう言った。
 「痛いじゃない!!手、痛めたらどうしてくれるのよ!?裕一の馬鹿!!」
 ひぃ!!すいません……って、そこで僕が怒られるのっておかしくないか!?
 「何よ!?文句あるの!?」
 ……ごめんなさい。
 「うわぁ……」
 『怖ぁ……』
 ヒソヒソと囁き合う化け猫と杖。おい、見てないで何とかしてくれよ。助けを求めて視線を巡らすけれど、モモも郵便配達も素知らぬ顔。まさに、孤立無援というやつだ。
 「何、キョロキョロしてるの……?」
 怯える僕を、里香がジロリと睨む。
 「怒られてる時は、人の顔をちゃんと見なさい!!」
 そして、両手で僕の顔を挟むと強引に前に向けた。勢いで首がグキリと悲鳴を上げたけど、怖くてそれどころじゃない。
 そんな僕を見下ろしながら、里香が口を開く。
 「分かってない……」
 「……え?」
 「裕一、何も分かってない……」
 言いながら、グイっと顔を寄せてきた。久しぶりに間近で見る里香の顔は、とても真剣で、とても綺麗だった。
 「あたしは、ただ生きたい訳じゃない。一人で、世界を感じたい訳じゃない」
 「………」
 「あたしは、裕一と生きたい。裕一と一緒に、世界を感じたい。だから、裕一はいなくなっちゃ駄目」
 「里香……でも……」
 僕は、何とか反論しようとする。けれど、その声はか細くて、自分で聞いても酷く情けなかった。そんな僕に向かって、里香は言う。とても。とても意地悪げに
 「そう。あたしは裕一よりも先にいなくなる。必ず。絶対に。でも、それはあたしの特権」
 「特権……?」
 「そう。特権」
 何の事か、訳が分からない。戸惑う僕。里香は続ける。あいも変わらず、悪意たっぷりの顔で。
 「大切な人を、送らなくていい。それが、神様があたしにくれたたった一つの特権」
 「――――っ!!」
 目を見開く僕に、里香はニコリと笑いかける。
 「譲らないからね。絶対に」
 僕の心に、その言葉が刻まれる。酷く、痛く。酷く、切なく。酷く、残酷に。絶対の、響きを持って。
 思わず、その”神”の方を見る。
 救いを求める様に見つめられた、白い死神。彼女は、ほんのちょっとためらった。ためらって、そして微笑んだ。とても優しく、とても悲しく、泣きそうな顔で、微笑んだ。
 ああ、そうか。そう言う、事か……。
 身体中から、力が抜けるのが分かった。脱力した顔に、ポタポタと温かい雫が落ちる。里香が。僕に馬乗りになった里香が、目から雫を零しながら笑っていた。
 「ごめんね。裕一」
 彼女が言う。泣きながら。笑いながら。
 「本当に、ごめんね」
 ああ、謝るなよ。お前が、謝る事じゃないだろ。僕は手を伸ばして、里香の涙を拭う。
 「こっちこそ、ゴメンな……」
 「謝らなくて、いい」
 涙を拭う僕の手を、里香の両手が包む。
 「その代わり、約束して。もう一度」
 僕の手に頬を寄せながら、里香は言う。
 「……一緒にいて」
 僕は答える。迷う事なく。
 「ああ」
 答える声が、震えてる。いつの間にか、僕も泣いていた。
 「短くはないけど。長くもないけど」
 「分かってる」
 「あたしの、隣にいて」
 「ああ」
 「一緒に、いて……」
 「ああ。いるよ。ずっと。ずっと、一緒に」
 僕の答えを聞いた里香が、最高の笑みを浮かべる。頬を濡らすのが、彼女の涙なのか。それとも、自分のなのか。もう、分からない。だけど、僕は笑った。里香に向かって、精一杯の笑みを返した。
 「あはは、裕一、変なの。泣いてるのに、笑ってる」
 里香が笑う。
 「何言ってんだよ。お前もだろ」
 僕も笑う。
 里香が背を屈めて、僕の頬に自分の頬を寄せる。僕は、そんな里香をギュッと抱きしめる。そのまま、僕達は笑い転げた。
 あはは。
 うはは。
 白い天井に、僕らの笑い声が響く。
 気づくと、モモが泣いていた。溢れる涙を拭いもせずに、僕達を見つめながら。
 郵便配達は、ただ黙って俯いていた。帽子を目深に被って、静かに佇んでいた。
 ああ、何やってんだよ。お前ら。お前らも笑えよ。求めてたのは、お前らだろ。導いてくれたのは、お前らだろ。ほら、笑え。笑えってば。
 あはは。
 うはは。
 僕達は笑う。いつまでも。一緒に。どこまでも。
 下の階が騒がしくなってきた。世界が、目覚め始める。響いてくる、生命(いのち)のざわめき。
 屋上の窓から、光が差し込んでくる。眩く暖かい、朝の輝き。

 いつしか、雨は止んでいた。


                                 続く
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