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2017年11月22日

―皐月雨―・8(半分の月がのぼる空・しにがみのバラッド。・シゴフミ・クロスオーバー二次創作)

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 二次創作「皐月雨」、第8話掲載です。




                ―病み風―


 思い出す。
 昨夜の事を。
 夢かとも思った。
 幻かとも思った。
 けれど、違う。
 違うと言っている。
 刻まれたスリ傷が。
 グショグショに泥にまみれた服が。
 そして、この身体を病ませる熱感が。
 ”あれ”は現実だったのだと、教えてくる。
 紛う事のない、現実だったのだと。
 ああ。
 ああ。
 何て、禍しい事だろう。
 何て、忌まわしい事だろう。
 そして。
 そして。
 何て、素晴らしい事だろう。
 そう。
 僕は。
 僕は、初めて。
 神を冠する存在。
 それに、感謝した。
 

 その日の午後。緩く暖房の入った病室は程よく温まり、軽く眠気を誘う空気に包まれている。そんな空気の中、秋庭里香はまんじりともせずにベッドの上に身を起こしていた。その視線が向かうのは窓の外。シトシトと滴る雨の向こう。まるで、そこに思う人がいるとでも言うかの様に、秋庭里香は見つめ続けていた。
 「里香、どうしたの?そんなに怖い顔して」
 ベッドの傍らで椅子に座っていた母親が、そんな様子の我が子に小首を傾げる。そんな彼女に、秋庭里香は呟く様に言う。
 「ねえ、ママ……」
 「ん、なぁに?」
 「裕一、まだ来ないのかな……」
 その言葉を聞いて、秋庭里香の母親は思わず笑ってしまう。
 「何だ。どうしたのかと思えば、裕一君の事を考えてたの?」
 「……ん……、ちょっと……」
 妙に歯切れの悪い返事。この子にしては、珍しい事だと思う。そう言えば、昨日の別れ際、離れる事を妙に渋っていた。何か、あったのだろうか。そんな事を考えながら、時計を見る。針は午後4時30分を指している。とうに、学校は終わっている。戎崎裕一は部活動はしていない。確かに、些か来るのが遅い様だ。いつもの彼なら、帰りのHRをサボってでも飛んできそうなものなのだが。
 「そうね。ちょっと遅いわね。何か、あったのかしら?」
 「!!」
 その言葉に、秋庭里香が微かに身を震わせるが、彼女の母親は気づかない。
 「……ママ……」
 「ん?」
 娘の呼びかけに顔を向けると、彼女が真剣な顔でこちらを見ていた。
 「ちょっと、裕一の家に電話かけたい」
 急な頼みに、目を丸くする。
 「どうしたの?きっと、裕一君何か用事が出来たのよ。心配する事ないわ」
 「いいから。連れてって」
 両手を合わせて懸命に頼み込んでくる、秋庭里香。やれやれ。すっかり夫の身を案じる新妻気分ね。そんな事を思い、苦笑いしながら腰を上げる。
 「まだ無理しちゃ駄目。電話は、私がしてくるわ」
 「でも……」
 不満そうな顔をする娘に、秋庭里香の母親は釘を刺す。
 「いいから。まだ、お医者さんに無理は厳禁て言われてるでしょ。またあんな事があったら、一番悲しむのは誰だと思うの?」
 「む……」
 その言葉に、ムッスリとしながらも黙り込む秋庭里香。しばしの沈黙の後、こう言った。
 「じゃあ、お願い……」
 その言葉に、秋庭里香の母親はフと微笑む。
 「いい子ね。それじゃ、ちょっと行ってくるけれど……」
 娘の我侭に付き合いつつも、注意しておく事は忘れない。
 「何か変だと思ったら、すぐに看護師さんを呼ぶのよ」
 「うん。分かってる」
 そして、母親は病室を出て行った。
 ここは、病院内。携帯電話の類を使う事は出来ない。まして、救命の為の精密機械があるこの部屋なら尚更だ。入院患者と、その付き添いが外界と連絡を取る手段は、ディルームにある公衆電話しかない。
 「歯痒い」と、秋庭里香は思う。ここは安全と引き換えに、制約された箱庭。その制約の中で許された自由すら、思う様に出来ない今の自分。こんなにも、自分の身体を疎ましく思った事はない。想う人の安否を知る事すら、満足に出来ないのだから。小さく溜息をつくと、その身をベッドに沈める。枕に委ねた頭を満たすのは、ここ数日に起こった出来事の数々。その全てが、現(うつつ)離れした夢の様な出来事ばかり。本当に、現実だったのか。何度、病がもたらした生と死の境目で見た幻だったのではと思っただろう。けれど、その度にその思いを否定する存在が、秋庭里香の手の中にはある。今もこの枕の下にある”それ”。黒い切手の貼られた一通の便箋。亡き父からの手紙、「死後文」。遺された者に、死者の想いを届けると言う郵便配達夫によって手渡されたもの。それが、あの夢幻(ゆめまぼろし)の様な出来事が現実であると言う事を、秋庭里香に伝え続けていた。
 そう、全ては現(うつつ)。
 白い死神の通告も。
 古装の配達夫に届けられた手紙も。
 そして、看護師・谷崎亜希子によって伝えられた話も。
 これらは皆、数日の間に与えられた情報。その全てが、一つの可能性を示唆していた。それは、戎崎裕一の死。彼が、自分の心臓を秋庭里香に移植する事を望んでいると言う突拍子もない話。普通に考えれば、健常人の心臓を別人に移植するなど、馬鹿げている事この上もない。
 けれど、秋庭里香は知っている。戎崎裕一は、普段であればただのヘタレでしかない。だけど、自分に関する事に至っては、時に常軌を逸した真似をするという事を。病院の壁面を命綱一本で走り、病室のベランダに飛び込んできた時の事は、忘れない。いや、一生、忘れられないだろう。
 その無鉄砲さに、救われた事もある。だけど、今回は話が全然違う。ひょっとしたら、その直情的な衝動が最悪の方向に向かっている可能性がある。
 「その時が来るまで、一緒にいる」それが、秋庭里香と戎崎裕一の約束である。秋庭里香には、いつか必ず終わる。それは、決まりきった事。それを理解し、覚悟した上で戎崎裕一は彼女と一緒にいる事を選んでいた筈である。けれど、退院してから続いた日々は、あまりにも優しかった。その分、それが崩れた事の反動は大き過ぎたのかもしれない。彼の誓いを揺るがせる程に。あの日、倒れた自分を見た時、戎崎裕一は何を思ったのか。もし、秋庭里香のいない世界に絶望を覚え、それに恐怖する自分に気づいたのだとしたら?もし、何としても、何を犠牲にしても、秋庭里香を永らえさせようと思ったのだとしたら?
 彼が行き着いたであろう答えに、背筋が震えた。
 昨日の別れ際、戎崎裕一の態度は明らかにおかしかった。本気ではないのだろうと問う自分に。馬鹿な事を考えてはいないかと問う自分に。ただ、大丈夫だと笑うだけだった彼。何か、思い詰めた様な顔をしていた。ひょっとしたら、計画の実行を決意してしまったのかもしれない。
 不安はどんどん、大きくなった。出来る事なら、彼をずっと手元に置いておきたかった。その首に首輪をつないでも。その四肢を拘束しても。自分の目の届く場所に置いておきたかった。歪んでいると言われてもいい。過ぎた執着だと言われても構わない。ただ、怖かった。彼を、失う事が怖かった。彼のいない世界に在らなければいけない事が、怖かった。これまで、考えた事もなかった。自分の大切な人間が、自分よりも先に死ぬかも知れないという恐怖。戎崎裕一が抱き続けていたであろうそれの抗い難さを、秋庭里香は初めて本当の意味で知っていた。
 今日、戎崎裕一は秋庭里香の元を訪れてはいない。いつもなら、必ず傍にいてくれる筈の彼がいない。不安は幾重にもとぐろを巻き、心の中を満たしていく。今すぐにでも、この閉鎖された空間を飛び出したい。彼の元に行きたい。惑う心を、抱きしめたい。けれど、それは今の自分には叶わない事。一度鼓動を止めた心臓。今度、同じ事を繰り返したらどうなるか分からない。数日、動く事の叶わなかった身体。筋力が落ちて、自力で歩く事もままならない。全てが、医療の助けがなくては回らない、継ぎ接ぎの我が身。
 「この身に代えても」なんて、出来はしない。それをすれば、彼をもっと深い奈落に突き落とすだけ。
 悔しい。
 歯痒い。
 だけど、どうにもならない。
 今の自分に出来るのは、母親の報告を待つ事だけ。
 秋庭里香は、歯噛みする思いで病室のドアを見つめ続けた。


 どれほどの時間が、経っただろう。
 ギィ……
 病室のドアが、軋みを上げた。
 ビクリ
 思わず竦み上がる身体。そして、病室のドアがゆっくりと開く。
 入ってきたのは、やはり母親だった。見た所、その顔には焦燥の様子も絶望の気配もない。息を呑んで報告を待つ娘の顔を見ながら、彼女は言った。
 「今日、裕一君は来れないみたいね」
 「―――っ!!」
 病んだ心臓が、ビクリと跳ねる。
 「ど……どうして……?」
 戦慄く様に問う、秋庭里香。そんな娘の様子に、母親は怪訝な顔を向ける。
 「どうしたの?里香。昨日から、何か変よ?」
 「いいから!!どうして、裕一来ないの!?何か、あったの!?」
 放っておくと、ベッドから飛び降りてきかねない勢いの秋庭里香。母親は、慌てて押し止める。
 「こらこら、何を慌ててるの?裕一君、風邪をひいただけよ」
 「か……風邪……?」
 あっさりと伝えられた、どうと言う事はない答え。一気に気が抜け、浮かしていた腰がポスンと落ちる。
 「裕一君、昨夜びしょ濡れで帰って来たんですって。それで、夜中から熱が出て寝込んじゃったみたい。途中で、転ぶか何かしたのかしらねぇ?」
 不思議そうに小首を傾げる母親。けれど、それに同意する余裕は秋庭里香にはない。
 「風邪……。風邪、なんだ……」
 まだ、トクトクと波打つ心臓。それを、パジャマの上から押さえる。ハア……ハア……。ゆっくりと息を整え、鼓動を収める。
 「ちょっと!!大丈夫!?」
 「うん……大丈夫……」
 慌てて駆け寄ってくる母親に、そう言って笑みを向ける。
 「風邪……だったんだ……」
 それならば、今日ここに来れないのは当然だ。それに、熱で臥せっているのならば、馬鹿な事をする余力もないだろう。胸の中で渦巻いていた不安が、少しだけ疼きを収める。
 「ほら、少し休みなさい」
 母親が、秋庭里香の身体を優しくベッドに横たえる。
 「ママ……裕一に、何かあったら……」
 「大丈夫よ。ただの風邪だって言ったでしょ?治ったら、また来てくれるわ」
 その言葉が、優しく心を凪いでいく。大きい息継ぎを一つ。そして、秋庭里香は束の間の安らぎへと落ちていった。


 その頃、戎崎裕一は自宅の寝床で悶々としていた。
 ピピッピピッピピッ
 脇に挟んだ体温計が、計測終了のシグナルを鳴らす。抜き取って見てみると、表示されている数字は38度3分だった。
 「う〜ん。これじゃ、明日も学校は休みね」
 体温計を確認した戎崎裕一の母親が、やれやれと言った調子でそう言った。
 「学校なんか、どうでもいいよ」
 熱で赤くなった顔で不貞腐れながら、戎崎裕一はゴロリと横を向く。
 「どうでもいいって事ないでしょう?あなた、留年してるのよ。ちゃんとしないと、またやっちゃうわよ?」
 母親の言葉にも、戎崎裕一は無言。顔は、実に不機嫌そうだ。その様子を見た母親が、大きく溜息をつく。
 「全く。どうせ里香ちゃんの事ばっかり考えてるんでしょう?」
 その言葉に、戎崎裕一の肩がピクリと動く。どうやら、図星の様だ。あまりに分かり易い息子の態度に、母親は苦笑いする。
 「駄目よ。学校にも行けないその有様じゃあ、今の里香ちゃんの所になんか、行ける筈ないでしょう」
 そう。秋庭里香のいる入院病棟には、彼女のみならず免疫力が落ちている患者が多くいる。その様な場所に、風邪引きの身で行くなど言語道断。風邪が治るまで、戎崎裕一は秋庭里香の元を訪れる事は出来ない。世間の常識である。
 「うるさいな。分かってるよ。そんな事」
 ぼやく言葉も、ガラガラの風邪声では迫力もない。まあ、元からそんなものはなきに等しいが。
 そんな彼を困り顔と笑い顔半々と言った様子で見ながら、母親は言う。
 「そんなに心配しなくても、大丈夫よ」
 「?」
 何の事かと顔を向ける息子に向かって、ニヤニヤと笑って見せる。
 「さっき、里香ちゃんのお母さんから電話があったわ」
 「ええ!?」
 ガバッと飛び起きる、戎崎裕一。そのまま、ニタニタしている母親に詰め寄る。
 「何で、教えてくれないんだよ!!」
 「何言ってんの。熱でフラフラのくせに。電話で立ち話なんか出来る訳ないでしょ?」
 言いながら、トンと戎崎裕一の額を押す。
 「うぁ……」
 ヘナヘナとベッドに沈む戎崎裕一。そんな彼の頭に絞ったタオルを乗せながら、彼の母親は相変わらずニタニタと笑っている。
 「里香ちゃんが言ったみたいよ。今日は来ないみたいだけど、どうしたのかって」
 「……里香が……」
 「相変わらず、熱いわね」
 言いながら、濡れタオルの乗った息子の頭をポンポンと叩く。
 「大丈夫よ。何かあったら、必ず連絡が入るから。あんたは、安心して休んでなさい」
 「でもさ……」
 「いいから。しっかり寝て、キチンと治しなさい。でないと、いつまでたっても里香ちゃんに会えないわよ」
 そして、「具合が悪くなったら呼びなさい」と戎崎裕一の枕の横に携帯をおいて、母親は部屋を出て行った。
 母親のいなくなった部屋。広くなった空間の中で、戎崎裕一は仰向けになったまま天井の電灯を見つめていた。熱に浮かされた視界で、チカリチカリと光が滲む。その光の中で、たった今まで自分を見下ろしていた母親の顔が残像の様に浮かんでは消える。
 戎崎裕一の今を案ずる顔。そして、彼の未来を信じる顔。子を想う、母の顔。
 幼い頃から、戎崎裕一が風邪を引くと彼女はこうやって仕事を休んで看病をしてくれた。優しく呼びかける声。額に置かれる、冷たい手の心地よい感触。作ってくれる、玉子粥の柔らかい味。それは、彼が成長した今になっても変わりはない。戎崎裕一にとって、世界でたった一人の血の繋がった肉親。飲んだくれの遊び人だった父親。それが亡くなった後。その穴の全てを埋めようと、懸命に育ててくれた母親。表に出す事すら少ないが、その愛情の深さは戎崎裕一も身に染みて知っている。だからこそ、そんな母親を幾度となく泣かせていた父親を彼は嫌悪していた。父親の様に、母親を泣かせる様な事はすまいと密かに心に決めていた。
 けど。
 だけど。
 今、戎崎裕一はその禁忌を犯す事を心に決めていた。
 彼がやろうとしている事は、間違いなく母親に対する最大の裏切りになる。それは、重々理解している。しているつもりである。しかし、今、戎崎裕一を突き動かしているのは、母親へのそれよりもさらに大きな想いであった。
 それは、他にあろう筈もない。秋庭里香への想いだった。
 今の戎崎裕一が考えられるのは、いかに彼女を永らえさせるか。その一点に集中されていた。
 それは、ある意味酷く独善的で、自己中心的な想いだった。
 そこには、母親への想いも、友人達への配慮も、そして秋庭里香への思いやりすらなかった。あるのはただ、秋庭里香を生かしたいと言う一方的な願いだけ。その結果が及ぼす事態を、彼は全く考慮に入れていなかった。否。あえて無視していた。そう。気づいていない訳ではない。知らずにいた訳ではない。
 何故なら、その事は既にある存在によって直言されていたのだから。
 それは、昨夜の出来事。秋庭里香の元から自宅へとつながる道程で起こった。
 暗く落ちた雨幕の中、戎崎裕一の前に現れた存在。
 ”彼女”は、彼に向かって言い放った。

 お前がそんな事になって、誰が喜ぶのか?
 誰が、褒めると思うのか?
 否。
 泣くだけ。
 皆、泣くだけ。
 母親も。
 友人達も。
 そして、生かされる秋庭里香さえも。
 等しいのだから。
 命の重さは、等しいのだから。

 ――と。

 それは、重い言葉だった。
 正しく、正論だった。
 反論など、叶わない程に。
 だけど。
 それでも。
 戎崎裕一は、それを無視した。
 敢えて、届かぬふりをした。
 何故なら、それを認めてしまえば。
 受け止めてしまえば。
 術が、なくなるから。
 成す術が、なくなるから。
 秋庭里香を、生かすための術が。
 そう。
 全てはそのため。
 秋庭里香を生かし続けるため。
 ”彼女”の言葉も。周囲の想いも。秋庭里香本人の願いすらも。
 今の戎崎裕一には関係なかった。
 何も、関係なかった。


 フラリ
 戎崎裕一の身体が、ベッドから抜け出る。そのまま、フラフラと彷徨う様に歩く。歩きゆく先にあるのは、勉強机。揺れる身体を椅子に収めると、机の上に放り出していた鞄を開ける。中から引っ張り出すのは、一冊の大学ノート。その中から白紙のページを選ぶと、ビリッと破りとる。そして、机の上に転がっていたシャープペンを手に取ると、その紙に何やらカリカリと書き始める。何度も文面を確かめては、消しゴムで消し、また書き直す。何度も何度も。納得がいくまで。それは、彼の計画の要となるもの。些細な誤字も脱字も、意味の取り違えも許されない。丁寧に丁重に。そして、慎重に。何度も推敲し、書き上げていく。そうやって、戎崎裕一がペンを走らせ始めて数十分が経った頃――
 ――リン――
 静かだった部屋の中に、鈴の音が響いた。
 けれど、戎崎裕一は気にもしない。顔を上げる事もなく、”それ”を書き続けていく。
 気づいていたのだ。ずっと前から。今朝、目覚めた時から。浮かされる熱感の中で、確かに感じる、その気配を。
 「……寝てなくていいの?」
 不意に、声が響いた。母親の声ではない。幼いのに大人びた、不思議な声。
 けれど、戎崎裕一に動揺はない。思ったとおり、知らない声ではなかった。
 それは、すでに聞いた声。その存在を知ってから、さほど時は経っていない。
 そして、その僅かの間に、彼の認識には一つの差異が生まれていた。
 たしかに、初めて会った時にはその存在に畏怖を感じた。けれど、今は違う。
 そう。戎崎裕一は気づいていた。昨夜、彼を叱咤し、否定した彼女。その存在が持つ可能性に。
 「やる事は、やらなきゃいけないからな」
 書き綴る文面から目を逸らす事もなく、答える。
 「……やらなきゃならない事って、何?」
 「分かってんだろ?」
 やはり、目は逸らさない。ひたすらに、書き続ける。
 「言ったよね。あたしは、手を貸さないよ」
 「そうか?」
 声だけで、答える。
 「……何が、言いたいの?」
 背後の声が、微かに揺れた。言葉を、続ける。
 「オレが実際に行動に移したら、お前はどうすんの?」
 「……!!」
 動揺の気配。戎崎裕一は、微かに口角を上げる。
 「何だかんだで、オレの頼み聞いてくれんじゃないか?死を無駄には出来ないとか言って」
 「………」
 答えはない。肯定と受け取る。
 「はは、図星かよ」
 嘲る様に、笑う。
 「じゃあ、頼むよ。オレの命、預けるからさ。なあ、”死神”」
 ――リリン――
 その言葉に反応する様に、乱れた鈴の音が響いた。
 「お前、何言ってるんだよ!!」
 それまで聞こえていたものとは違う、少年の声が響く。
 「モモは、お前のためを思って言ったんだぞ!!それを……それを……!!」
 その声は、怒っていた。とても怒っていた。だけど、今の戎崎裕一には、その怒りすらも届かない。
 「そうだよな。そういう事だよな」
 戎崎裕一は言う。無意識の、悪意を込めて。
 「お前が言ったんだもんな。”優しい”って」
 「――!!」
 答えに詰まる気配。怒りに身体を震わせる気配も感じる。
 リンッ
 弾ける鈴の音。飛びかかって来たのだろう。空気が揺れる。けれど――
 パシッ
 それを抱き留める音が響いた。少年の声が、喚く。
 「放して!!モモ!!こいつ……こいつ!!」
 「いいよ、ダニエル。そんな事、しなくていい……」
 悲しげな声が、少年の声をなだめる。
 「いいのか?じゃあ、行ってくれよ。気が散るからさ」
 突き放す様に、言った。
 「………」
 「………」
 場に流れる、しばしの沈黙。そして、
「……届かないね……」
 涙で潤む様な声。答えは、返さない。返す必要もない。
 ――リン――
 また、鈴の音が一つ。悲しげな響きを残し、気配が消えた。
 構う程の事じゃない。最後の一文を書き上げる。
 ペンを置き、丁寧に読み返す。間違いはない。遺志は、明確に伝わるだろう。
 フウ……
 大きく息をして、脱力した様に身体を椅子の上に伸ばす。
 少しの間。やがて――
 「ク……ククク……」
 知らずのうちに漏れ出す、笑い。
 「アハ、アハハハハハハ……」
 戎崎裕一は笑う。自分の計画の成功。それを、確信して。
 「ハハハハハハハ……」
 笑う。笑う。壊れた、様に。
 震えるその手元には、書き終えられた手紙が一通。長く書き綴られた文章の、最後の一文はたった一言。
 
 ――僕の心臓を、里香にあげてください――
 
 その文字を確かめる様に指先でなぞり、戎崎裕一はさらに笑った。
 雨の降る夜。
 壊れた少年の笑い声は、雨音と夜闇の中に溶けては消えた。 


                            続く
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