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2016年11月18日

ロシア革命‐2つの革命から見えるものとは‐専門課程ロシア史リポート(通信教育部)

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ロシア革命‐2つの革命から見えるものとは‐専門課程ロシア史リポート


 工業化と労働者の増加、それに伴う様々な労働問題、中途半端な農奴解放による問題、ロシアでは国民が国家に不満を持っていた。

これに加えて、1904年に始まる日露戦争が1905年革命に繋がったと思われる。

また、1917年革命の時も国内に不満を抱え、第1次世界大戦が革命の引き金となっている。


 1905年革命では、労働者はストライキなどを起こし、また、農民は反乱を行った。しかし、最終的には1905年革命は失敗に終わる。

 革命が失敗に終わる原因として、それは、一部の兵士の反乱でしかなかった。

兵士による反乱の数が少なかったというのが、革命の失敗の大きな原因の1つに挙げられるであろう。

1917年革命との違いは労働者のストライキなどの活動は同じだが、その活動に兵士が同調したかしていないかが、大きな違いである。

1905年革命を終結させるべく、ロシア内の自由主義者を懐柔するため、ウィッテは市民の自由権、人格の不可侵、信仰、集会、結社の自由を認めて、予定されていた国会の選挙をすべての階級が選挙に参加できる権利を持つ、立法機関としての国会開設を国民に約束し、十月宣言が行なわれた。十月宣言後、政府は労働組合や政党などの団体結成の合法化やストライキにたいする刑事罰の廃止などを行なった。

そして、1906年に国会の選挙が実施された。

しかし、国会制度は十月宣言で約束された自由主義にもとづく国会ではなかった。

あたらしい選挙法では、選挙民を財産や職業などで4つの階級で分けて選挙を行なう、制限された選挙であった。

また、1906年に憲法が公布された。

憲法の制定には憲法制定会議によって、つくられた民意による憲法制定が求められたのだが、しかし、政府は大臣会議で皇帝臨席のもとで憲法を審議して、皇帝の定める欽定憲法として発布した。

憲法の内容は例えば、『全ロシア皇帝に最高専制権力が属す。』と非常に皇帝の権力を認めた専制的な内容の憲法である。

また、『皇帝陛下は国家評議会と国家ドゥーマと協力して立法権を行使する』『いかなる新しい法律も国家評議会と国家ドゥーマの是認なくして生まれず、皇帝陛下の承認なくして発効しえない』などと、若干専制体制が否定された内容もある。

しかし、国会閉会中の立法権は皇帝にあるとの規定がある。

すなわち、国会の解散などの強引な手段を使えば、皇帝は強引に法律を作り、公布する事が可能なのである。

また、憲法によって、皇帝の最高権力を認め、また、立法の権利も皇帝が絶対的な権利を握っているという、皇帝権の再確認がなされている。


 1905年革命後の諸改革の国会や憲法の制定では、必ずしも自由主義者を満足させる内容ではなかった。

1905年以前の皇帝の専制体制となんらかわっていないと思われる。

1905年革命後に専制体制が復活してしまったので、国民は不満に感じただろう。

この国民の不満は1917年革命につながると思われる。

しかし、法的に政党や各団体の活動が認められていなかったロシアで、十月宣言によって、思想の自由が法的に認められたと言う事は、1905年革命期に活動した各政党などの活動が認められた事であり、これによって、これまで、ツァーリ専制で思想が1本化されていたロシア社会の中に、様々な思想が生まれ、容認された事を意味している。

すなわち、兵士達は様々な政党の思想に触れたことによって、ツァーリに忠誠を誓うだけでなく、ツァーリ以外のものにも忠誠を誓うようになってしまったのだと思われる。

第1回目の国会では、ウィッテは辞任して、かわりに保守派のゴレムイキンが首相に就任した。

第1国会の中心的な課題は土地問題であった。

当時のロシア社会では農村の土地問題が重要な課題である事を示している。

しかし、反政府的な国会だったので解散となった。


 そして、ストルイピンが首相となって、土地に関する改革に着手する。

ストルイピンの改革はロシア社会に残る農村の共同体を解体する事であった。

農村の共同体を解体するということは、すなわち、自営農民を創る事であった。

ストルイピンの改革は国会の解散などを使い、強引に推し進められる。

ストルイピンの目的は農村の近代化をはかり、富農を作り出して、専制政治を支持する層を作り出すことであった。

しかし、実際に1917年以前の社会で、共同体から出て、自営農になった農民は全体の数から考えれば僅かであった。

ストルイピンの改革はロシアの社会に新たな争いを持ち込む事になる。

改革によって、多くの農民の困窮をまねき、専制政治への反抗は激しくなる。

また、自営農の数が増えた事によって、農村の階級分化が促進されて、富農と貧農の対立が表面化された。

すなわち、共同体から脱して、自営農となった農民と共同体に残る農民との間で争いが起き、この事が新たなロシア社会の不安要素となるのである。

国民に不満が溜まれば、それは、暴動や革命などの反政府運動につながる。このストルイピンの改革が1917年革命勃発の原因の1つになっていると思われる。


 1905年革命後、ウィッテの罷免、欽定憲法制定など、一時的にツァーリの専制体制は復活してしまった。

そして、ロシアでは革命は終息に向かい、社会も安定を取り戻してきた。

社会の安定と共にストライキなども影を潜めていった。

しかし、1905年革命で生まれた各政党や様々な考え方はロシア社会で残り、失う事はなかった。  


(ロシア革命と東方辺境地域 西山克典 2002年 北海道大学図書刊行会 参照)
(地図で詠む世界の歴史ロシア ジョン・チャノン・ロバートハドソン 1999年 河出書房新社 参照)
(ロシア史を詠む マルク・ラエフ 2001年 名古屋大学出版会 参照)
(新版世界各国史ロシア史 和田春樹 2002年 山川出版社 参照) 


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2016年11月16日

何度出しても不合格になるリポートの対処法‐具体例で解説‐通信生必見

何度出しても不合格になるリポートの対処法‐具体例で解説‐通信生必見


何故か、何度リポートを提出しても、再提出になってしまう事があります。

内容や書式が完璧に出来たリポートでも、採点者は1人。

採点者の考え1つで合格にも不合格にもなるってこと。

文学部史学科での事例ですが

出題者の歴史認識に合わないリポート

不合格の原因になる事があります。



(具体例) 設題

明治維新の意義について書け。

・解答例

@欧米列強に近づき近代化を成し遂げ、欧米列強からの植民地化を防ぎ、大陸に進出する事が出来た。また、近世国家の身分制度を否定して、民主的な国家を建設できた。

A日本の素晴らしい伝統が壊された。日本が欧米列強に近づいたことにより、日本は戦争ばかりする国になった。そのため、最後は戦争で負けて悲惨な目にあった。

@とAはどちらの側面もあるが、正反対のイメージを与える。

もし採点者がAの考え方が強い人だった場合、@の解答では、不快にしか感じないだろう。

これではいくら素晴らしいリポートを作成しても不合格になってしまう。

この場合、自分の考え方は無視して、Aの流れでリポートを製作しなければならない。

最低でも、Aの視点がリポートで肯定的に述べられてないと合格は困難になる。

出題者の意図を感じ取り、自身の考え方をいかに抑えるかがポイント

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2016年11月14日

二重革命・フランス革命と産業革命‐社会学のはじまりとは‐社会学リポート

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 二重革命・フランス革命と産業革命‐社会学のはじまりとは‐社会学リポート

 フランス革命と産業革命は近現代に世界を大きく変えた要因で、社会学発生の始まりでもあった。


 二重革命の時代は近代と呼ばれている。

古代、封建制時代の宗教の世界からの脱皮、それは宗教改革やルネサンスの影響が大きい。

原啓蒙思想に見られる、宗教によって抑圧された世界からの開放やなにものにも縛られない個人主義、合理主義または人間性の再発見など、自由な時代である。

 しかし、この中世から近代への移行には大きな歪を生じることになる。

個人は何を心のよりどころにすれば良いのか、人間は欲深い生き物なので、なにか統制するものが必要になってくる。

自由という言葉の裏には厳しさがある。

そして、近代は、各団体、教会、家族、といった社会組織は個人を束縛するものとして、遠ざけられた。

その結果、国家と個人が直結してしまい中央集権国家が誕生してしまう。

いわゆる絶対王政国家がそのいい例である。


 近代の歪はフランス革命という事件で爆発した。

フランス革命は自由、平等、博愛、のスローガンのもと旧体制の破壊と新体制樹立が大きな目標に掲げられた。

考えてみると実は古代、中世〜近代への移行とまったく同じ考えから生み出された事件である。

例えば自由、平等、博愛はそのまま古代、中世〜近代の考え方だし、旧体制の破壊は、宗教からの独立が国王からの独立に変わっただけの話である。

 しかし、同じ意義で進められた、フランス革命であったが以後イギリスで起こった産業革命も影響し、世の中は、まったく別で正反対で複雑な混合された思想へと進んでいくことになる。

そして、その後現代へと繋がっていくのである。


 産業革命によるヨーロッパ社会の変化は商品を大量生産することが可能となり、資本家は労働者を雇い入れ機会の一部のような作業、いわゆる、現代の工場で見られる流れ作業、単純作業である。

そして、資本家と労働者という階級が作られる原因となり、また、都市に集中する経済となり、地域経済の発展の基盤と自立を奪い都市と地域の格差を生む要因となった。

その他、個人の技術力が重視された時代から大量生産から商品を安い単価で売り出す事が可能となり、資本を持った企業が経済を制すようになり、現代にみられる経済の大企業化を生みだす原因となった。
 
産業革命により、それまでヨーロッパよりも優位にいたイスラム社会や中国は世界の主導権から転落して、変わりにヨーロッパが世界のなかで主導権をとるようになった。

そして、世界中に植民地を作り世界の中心となっていった。

そのため、ヨーロッパの思想が世界に広まる原因となった。


 二重革命を簡単に述べると近代の矛盾から過去の中世の価値観の再発見である。

だからといって近代の考えがまったく否定されたわけでもない。

ゆうなれば、近代と中世の思想がミックスされた状態である。


 そして、二重革命を経て、近代が成熟し、その後、新たな時代、現代を迎える。

現代は様々な観念、近代と伝統が絡みあっている。

たとえば、共同社会、権威、地位、聖、疎外、利益社会、権力、階級、俗、進歩、などでこれらを単体観念という。

このように現代を社会学思想で見ると単体観念の組み合わせによって、成り立っていることが分かる。


 19世紀になると二重革命の影響は全面的に浸透し、様々な思想が生まれた。

そして、自由主義、急進主義、保守主義の3つの思想に分類できるようになった。


 自由主義は個人の自由や人権を主張する思想である。

近代でもこの自由主義はあったが、現代との違いは近代の自由主義はいかなる個人を縛る社会団体や制度を受け付けなかったのに対して、現代の自由主義は福祉のような個への献身に働く限り承認するといったように、ある程度の社会団体や制度を認めるという思想である。


 急進主義というのは、権力の獲得、保持、行使を目的としたもので自由主義からこの思想は生まれた。

自由を求めるには権力が必要で、この急進主義は、自由主義を社会的に守るため、権力を獲得するために暴力と結びつき危険な思想へと発展していった。


 保守主義は二重革命が影響を与えた思想で簡単に述べると、中世的価値観の再認識である。

保守主義は単純に旧体制の維持が目的ではなくバラバラの個人主義、自由主義を中世的な価値観によってまとめるために生まれた思想である。

 この保守主義が社会思想に与えた影響は非常に大きかった。

この思想はフランス革命での、国の中には個人を束縛するいかなる協同団体があってもだめであるという、きわめて、極端な個人主義を批判した所からはじまる。

フランス革命の個人主義と国家統制を批判し中間的な協同団体の必要性を説き、これにより個人に秩序を持たせた。

また、近代の啓蒙思想家が伝統的な社会を構成する家族や宗教などの協同団体を攻撃したのに対し、保守主義はこれらの団体の価値の再認識を行い、反啓蒙主義運動を進めていく結果ともなった。


 結果、生成期社会学は二重革命によって生まれた中世的価値の再発見を考え、近代と中世が複雑に絡み合った思想だと言えるだろう。


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2016年11月13日

調査書を取りに8年ぶりに母校に行く‐26歳で大学に入学して得した事(回想録)

調査書を取りに8年ぶりに母校に行く‐26歳で大学に入学して得した事(回想録)


・大学出願時に必要な書類

大学の出願には、願書の提出と調査書が必要になる。

願書は、大学側から出される資料に必要事項を記入して郵送するだけで大丈夫。

近年はネット上で処理する大学もある。

問題は調査書、この調査書は高校が発行する書類で、言わば、成績表のようなもの。

8年ぶりに母校に行き、調査書を発行してもらった。(有料)

まさか自分が、卒業から8年後に母校に行き調査書をもらいに行くなんて、高校時代からは想像もできなかった。



・進路が決まった高校3年生に対して

現在私は高校教師をしているが、進路が決まった3年生は、緊張感が無くなり、成績の事をあまり気にしなくなる。

(3年の2学期で進路を決定する場合、1学期までの成績で調査書を作成する)

そんな3年生に対して、「卒業後に調査書が必要になった場合、3年生の3学期までの成績で調査書が作成される。

人生は何が起きるか分からないよ」「私は26歳の時に大学に入学したので、その時、調査書を高校に取りに行った」と言う。

卒業後に大学に進学する場合、3年生の3学期までの成績で調査書が作成される。

3年生の2学期と3学期で極端に成績を落とすと、卒業後に進学するときに不利になるという訳である。

「進路が決定されても、その後も成績を意識して勉強しよう」

人生回り道をしたおかげで、実体験に基づいた指導ができる。

教員として働いていると、このように、26歳で大学に入学したメリットが多々出てくる。(デメリットも多々あり、例・給料)


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2016年11月12日

リポート対策‐事例から検討‐何度提出しても合格できないリポートはどうすればいいの?4年卒業をめざしている人必見。

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リポート対策‐事例から検討‐何度提出しても合格できないリポートはどうすればいいの?4年卒業をめざしている人必見。


・なんど提出しても合格できないリポート対策

通信制大学で卒業への最大の壁は、リポートを合格すること。

中にはなぜか、なんど再提出をしても合格できないリポートがある。

そのうち、何を訂正すればいいのか分からなくなってくる。

ここまでくるともうお手上げでどうしょうもない。

その様な場合はどうすればいいのか。

答えは

早めにあきらめて次のリポート制作に取り組む

ことをお勧めします。

あきらめが大事、貴重な時間を費やすことは得策ではありません。

私自身、自然科学史と日本科学史を何度か提出してみましたが、合格できませんでした。

単位習得試験は合格していたので、もったいないと思いましたが、貴重な時間をこれ以上費やすわけにはいきません。

目安としては、3回提出してダメならあきらめる。

合格できないリポートをさっさとあきらめた結果、私は4年で法政大学通信教育部を卒業(教員免許を同時取得)する事ができました。



・必須科目のリポートがなんど提出しても合格できない場合

必須科目の場合は、何度も書き続けるしかありません。

採点者によって独自の合格基準

があるので、それを見極める必要があります。

リポートの内容に問題がある場合は、テキストや参考文献を読み込んで理解を深めてから、リポートの再提出を行わなければいけません。

採点者の中には、内容よりも、文章の書き方を採点基準にしている人もいます。

この場合、国語的な文章の書式を守ってリポート制作を心がけないと合格できません。

合格のポイントは、自分自身の歴史認識や思想、考え方は封印し、採点者の思想や考え方に沿ったリポートを制作しないと合格は難しいでしょう。

学位の資格や教師になるためには多少の我慢は必要です。割り切ったリポート制作が重要です。



・あらゆることを実践したが、それでも合格できない場合

それでも、合格できない場合は、合格した学生に聞くか、合格済みのリポートを参考にする方法があります。

その道の専門家やリポート制作が得意な人から直接、指導を受ける方法も考えられます。

スクーリングで情報交換できる仲間を見つけるか、各支部が行っている勉強会などに参加して、合格した人や指導できる人を見つけて下さい。

私が制作したリポートは別記事に掲載していますので、それを参考にしてもらっても大丈夫です。


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2016年11月11日

ヴァント心理学とゲシュタルト心理学とは‐心理学リポート‐

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ヴァント心理学とゲシュタルト心理学とは‐一般教養心理学リポート‐


心理学を1つの学問として、哲学から独立させたのはヴァントである。

ヴァントによれば、心理学は、間接的経験を扱う物理学と同じ経験科学にあたる。

しかし、この物理学との違いは、心理学は直接的経験を扱う学問であると考えた。

つまり、意識を主体とした経験が心理学の担うべき学問分野とした。

詳しく説明すると、目の前で火が燃えていたとしよう。だが、例え火が現実に燃えていたとしても、火を見た人間自身が火を意識していなければ、火を見たことにはならない。

このため、実際に起きていることと、その人間に見えている事は違うのである。

 ヴァント心理学は、自己観察によって捉えられる意識過程を分析し、発見して、感覚、心像、感情などの心理要素に分ける。

次にこれらの諸要素の結合の方式を見出し、決定する。

そして、さらに、この結合の方法を明らかにする。

このように、人間の意識は、要素(単純感情)が複合しあい、複合体となって、別の性質の感情へと変化する。

すなわち、複合体を構成している諸要素は一つ一つ意味があるが、それら一つ一つの諸要素が合体したとき新しい固有の意識が発生する。

意識とは、さまざまな要因・要素が組み合わさってできるということである。


ヴァントの心理研究は、まず、心の部分をおさえ、部分と部分を結合させながら意識の全体を捉えようとした。

このように、心理の構成を研究していった。

研究には実験を土台とした。

実験の例をあげると、メトロームを聞いていると一つ一つの拍子は感覚を与えるが、同時にいろんな快を経験する。

この実験で感情の三方向説を唱える。

ヴァントの功績は、人間の心の部分を理論で考えていた哲学から、実験という新しい方法を加えたことである。

ここから心理学は、哲学から独立をはたし、実験理学の物理学に近づき、新しい学問となった。


 ヴァントの要素論の心理学と対象的なのがゲシュタルト心理学である。

ゲシュタルトとは、日本語訳で、姿、形、形態である。

簡単にこの心理学を言うと全体から人間の心理を考え、知覚研究を軸とした心理学である。

ゲシュタルト心理学では一つ一つでは意味がなく、その一つ一つが塊となった時に初めて意味をなすものになる。

例えば、映画のネオンサインの原理は、一つ一つではただの点滅を人間は体験するだけだが、それがあつまると動きになり画像として人間は感じる。

このように知覚とは単に刺激と感覚が一対一の感覚でないことが言えるだろう。

その他、ルビオンの盃のように、なにものか1つのものに意識を集中するとその他のものは背景に変わり、次に、背景に意識を集中すると、他のものが背景に変わることを証明した。

また、知覚は実験により、人間の生まれ持った記憶、民族、文化の記憶、生まれ育った地域の記憶などによって影響を受けることや全体の影響、これら大脳に刻まれた経験に、影響を受けることを証明した。


 ゲシュタルト心理学で有名な人にケーラーがいる。

彼はチンパンジーの動物実験(例えば手に届かないぶどうをとる実験など)で、チンパンジーは問題が発生した時に解決方法として、全体の空間や場面構成を考えたうえで問題解決に取り組むことを実験で証明した。

これは、一つ一つの要素、ぶどう、棒、箱などが、全体として見たときに初めて、目的や手段を動物は見出すことを意味している。

また、ケーラーは、知覚対象がたとえ時間的にも距離的にも離れている状況であってもお互いに作用し反応しあうことを突き止めた。

これは一つの知覚対象が、その周囲に場をもっているという考えである。


 次にゲシュタルト心理学派のレヴァンは、心理学の問題はある種の空間でおきる出来事であると考えた。

詳しく説明すると、人間は意識により、ある一つの空間を作り出す。

もし、問題が発生すると、空間内を感情が移動するのだが、問題が障害物となり、それ以上移動が不可能になる。

このため、想像で別の空間を作り、障害物を通り抜ける方法を考える。

このように人間はあくまで空間全体で認識していくのである。

その他レヴァンは子供を使った集団実験で、いくつかの、それぞれ異なる特性の集団に分けてから、ある作業を行わせた。結果各集団はそれぞれ違った作業結果を残した。

このことは、各集団を全体として考える事ができ、各集団が影響を与え、各集団を構成する一人一人の人間に影響を与えたと考える事ができる。

これは、集団力学という新しい分野の誕生である。

また、この実験は、集団の構成員一人では意味がないが構成員が互いに影響しあい相互に作用し、構成員が、ある種の場をつくるという考えも証明することになった。


 今まで説明してきたように、ヴァント心理学とゲシュタルト心理学の違いは一つ一つから注目すか全体から注目するかにある。

ゲシュタルト派はこれらチンパンジー、集団人間の実験などで全体から、意識を考え、また、一つの要素は要素同士で相互に影響を持つことを証明して、一つ一つに意味があると注目するヴァントの要素論を批判した。


(自己発達の心理学 亀谷純雄 文化書房博文社 参照)


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2016年11月10日

法政大学を選んだ理由‐通信教育は特に学校選択が大事(大学生日記)

法政大学を選んだ理由‐通信教育は特に学校選択が大事(大学生日記)

私が大学を選んだ基準は、社会科の教員免許が取れて、なおかつ、歴史の勉強が出来る事であった。

また、就職と自己満足の為に、ある程度ネームバリューのある大学が検討された。

せっかく大学に進学するなら、今まで住んだことがない関東地方の大学へ行きたいとも思った。

最終的に、選ばれた候補は、慶応大学と法政大学であった。

両校のパンフレットを請求し、検討を行った。

両校とも、全国的に有名な大学である。

慶応大学の方は、願書提出時に作文提出があった事と少し自分には重すぎると思い、願書を出さなかった。

法政大学の文学部史学科が、何故か自分に合っていると感じ、願書を提出した。

入学が許可され、中学社会科、高校地理歴史、公民の免許取得と、大学卒業の資格を目指す事になった。

ネームバリューもあり、昔から、東京六大学に対しては強い憧れがあったので、通信教育とはいえ、法政大学入学は夢の様な出来事であった。


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2016年11月09日

大学への進学を本気で考える日々‐大学の多様な学び方(大学生日記)

大学への進学を本気で考える日々‐大学の多様な学び方(大学生日記)


一番なりたかった高校教師という夢をかなえるための大学選びがはじまった。

退院後、はやる気持ちで本屋に行き、通信制大学の専門書を購入した。通信制大学がある事と、このような専門書が売られている事にも驚いた。

ついこの間まで、お店が閉店し、会社が倒産に追い込まれ、体は病魔に蝕まれ闘病生活まで経験し、人生のどん底を経験した自分だが、夢を実現するために前向きな人生を歩む事ができた。

夢や目標を持つことによって、人は有意義に生きていけるのだと思った。

これまで、私は大学と言えば高校三年生で受験して昼間に通うものだと思っていた。

しかし、大学で学ぶ方法は多岐に渡っており、通学制以外に夜学があった。

年令層もバラバラで、10代の若者から定年後の老人まで多様な年令の人が大学で勉学に励んでいる事が分かった。

また、入学する方法も多岐に渡っており、編入や社会人枠など個々の状況に応じて大学進学の道が開かられていた。

これまで、金銭面や年齢、大学受験の失敗などで諦めていた大学進学への夢、しかし、自分のような人間でも、手軽に大学に行く事ができる。

そう考えると、これから過ごす未来が楽しみでしかたなかった。

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2016年11月08日

宗教改革が発生した時代背景とその理由‐キリスト教史リポート

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宗教改革が発生した時代背景とその理由‐キリスト教史リポート
 

 カトリック教会は長い年月を通じてキリスト教の本来持つであろうイエスの愛の意思とは全く違うものへと変化していた。

それは、キリスト教会の階級化や教皇絶対主義などの権力欲の増大や俗権力との結びつき、また、異端狩りや魔女狩りと言った暴力的な思想への結びつきなどである。

キリスト教は愛によって人を救う存在から一般市民を押さえつけて、自由を奪うものへとなってしまったのである。


 ヨーロッパ社会では中世を通じてキリスト教による精神的支配が続き、キリスト教の教義が全てとなった。

しかし、ヨーロッパでは14世紀ぐらいから、東方の進んだ文化やローマやギリシャの古典文化に対する認識が高まった。

いわゆる、ルネサンスを向かえて、あらゆる方面で新しい生き方が模索され始めた。

ルネサンスは、ゆうなれば、異教徒の文化を容認することである。

また、異教徒の文化を容認することは、異教徒の文化を認めないキリスト教の教義に反する行為でもある。

そして、教会の教えが全て正しいと信じられた時代が徐々に崩れていくことになる。

あらゆることに新しい生き方が模索され始めたヨーロッパ社会において、キリスト教本来の意味である、イエスの愛の言葉を説く宗教とは大きくかけ離れた権力欲と結びついたキリスト教に異を唱えるものが現れた。

これは、必然的な歴史の流れと考えることができる。

宗教改革が始まったルターの生きた16世紀は、カトリック教会に異を唱えることが可能となる宗教的思想がヨーロッパ社会に土台として造られていた事が以上の事柄で分かる。


 宗教改革の火付けとなったのは、ルターの95か条の提題である。

この95か条の提題により一般の民衆は、イエスの愛に満ちた教えを伝えるキリスト教のあるべきすがたを見たのだろう。

ここから、これまでの、キリスト教に不満を持っていた人たちに広まり、不満を持っていた人達によって宗教改革が行われるのである。

プロテスタントの大きな特徴は聖書を重んじる所にある。

聖書を改めて読み直すことによって、神は人を裁くものではなく、人を救い恵みを与える存在であることに気がついていく。

そして、聖書を重んじる事によってそれまで、キリスト教(カトリック)で行われていたことが聖書に順じた内容でないことが分かり、また、カトリック教会の権威は聖書とは関係が無いことが分かった。

カトリック教会の権威は聖書に裏付けされていないことが分かると、カトリック教会ではなくて、聖書に信仰の根拠を求める事となった。

この聖書を重んじる新しい思想はグーテンベルクの活版印刷の発明によって広く大衆に知れ渡る事となった。


 カトリックのミサは教会当初はおそらく、同じ信仰心があるもの同士が集る触れ合いの場であったはずである。

しかし、長い年月を刻むと、ミサは聖変化などの科学的根拠の無いあやしい儀式などを使って信者を縛り付ける存在へと変化していった。

カトリックのミサの儀式や教義は聖書に書かれていない関係のないものである。

告解もミサと同じで、本来は、迷える信者が神父に自分の罪からくる悩みを相談するためのものと考えられる。

しかし、長い年月を経て、罪を告白し、罪を許されるために、罰を与えられ、最終的には免罪符なるお金を要求する卑劣な手段へと変化していた。

これらの行いは、聖書とは全く関係のない教会の利だけを目的としたものである。


 教皇の位置についても、教皇の権威は聖書に裏付けされている事ではなく、教皇の権威はカトリック教会によって作られたものである。

ペテロがローマで殉教したことから、ローマ教会が殉教したペテロと結びついてペテロの後継者として権威を確立したことにある。

ここで、重要となるのは、ペテロがローマ司教として君臨したのではなく、ただ、たんに、ローマで殉教したにすぎないことである。

つまり、教皇の権威は聖書の記述によって裏付けされたことではない。

また、本当の意味でペテロとは関係ない教皇の権威はプロテスタントにとって、ローマの司教にしか過ぎないのである。


(キリスト教2000年史 いのちのことば社 井上政己 参照)


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2016年11月07日

イエスと新約聖書の構成に秘められた謎とは?(キリスト教史リポート)

イエスの歴史と新約聖書に隠された秘密に迫る

イエスと新約聖書の構成に秘められた謎とは?(キリスト教史リポート)

 イエスという1人の人間の本当の歴史を知ろうとすればするほど、真実の歴史を知ることは難しい。

これは、イエス以外の歴史上の人物の歴史を知ろうとした時も同じで真実の歴史を知る事は難しい。

現代から時代が過去へさかのぼれば、さかのぼるほど真実の歴史を知る事は難しい。


 イエスの歴史の場合は、イエス自身が宗教家なので、一般の歴史と比べて真実を知る事はなおさら困難である。

宗教的な観点からの歴史部分が中心となり、後世の人の都合のよい歴史に塗り替えられやすい特徴がある。

特に、キリスト教は教祖とされるイエス自身が確立した宗教とは言えず、後の人がイエスの教えを元に確立した宗教とである。

そのため、教祖としてのイエスを作らなければならない環境にある。

そして、イエス死後の後世のキリスト教徒は、イエスを神格化した。

これは、キリスト教を広めやすくするための、1つの作戦と見ることができる。

また、イエスの母マリアまでもが、処女伝説や降臨伝説などによって、神格化されている。

つまり、イエスと言う人間が後世の人達によって神として作られ、また、後世の人達によってイエスに、さまざまな付加解釈が付け加えられて、本当のイエスとは遠く離れた別の存在になっているのである。


 本当のイエスを知る手がかりは、ほとんどなく、新約聖書と僅かな資料のみである。

新約聖書はキリスト教の聖書であるが、教祖のイエスが作ったものではない。

後の人が作り上げた物なので、そのまま、イエスの教えだと受けとめるのは難しい。

また、キリスト教を伝道するための聖書なので、歴史書とは違う。そのため、新約聖書から本当のイエスを知る事は難しい。


 イエス死後のキリスト教の考えは、ペテロやパウロを主流とした思想である。

イエスは、十字架に掛けられて死んだ後、復活したと信じられていた。

実際にペテロは復活したイエスに最初に会った人間で、復活したイエスに、キリスト教の指導者とて励まされた。

また、パウロは復活したイエスに実際に合ったことがきっかけとなって、キリスト教反対の立場から急転してキリスト教を信仰したと言われている。

当時のイエス復活説を支持したキリスト教徒の考えでは、イエスは十字架に掛けられて死んだが、しかし、復活を遂げて永遠に生き続ける存在へと生まれ変わり、自分たちを導いてくれる神のような存在になった。

イエスが復活して生きているのだから、生前のイエスの言葉や歴史には、あまり興味を抱かないのである。

そして、このイエスが復活した考え方は後のキリスト教の主流の考えとなる。


 逆に、イエスは十字架に掛けられて死んでいるので、イエスの生前の言葉を重視した人々もいた。

この考え方にそって、イエスの生前の言葉を重視して作られたのが福音書の1つがマルコである。

これは、初めて作られた福音書で、パウロ的な思想に対して、批判的な視点で書かれているものである。

問題として、後のキリスト教会の主流がパウロ的な思想になったことである。

そうなると、イエスの生前に重点を置くマルコの存在が厄介なものへとなるのである。


 マタイもルカもマルコを土台として作られたものである。

マタイはキリスト教はイスラエルの本当の後継者という視点から書かれ、また、ルカはキリスト教会の発展に対応した状況下で作られた。

つまり、マタイもルカも製作者の意図や野望が盛りこまれた内容なのである。

つまり、マルコこそ、生前のイエスを知る手がかりになる重要な福音書だが、マタイとルカに挟まれた順番で聖書に記述されているために、人々の記憶には残りにくいのである。

人の記憶は、最初と最後はよく覚えているものである。(系列位置効果)


 キリスト教初期の段階で最大の異端とされたものに、グノーシス主義がある。

グノーシス主義の思想は、イエスは復活などしていなくて、ましてや、神でもなく、普通の卓越した人間であると考え、だれでもがんばればイエスのような人になれると考えた。

キリスト教では異端とされたが生前のイエスに重点を置く思想と見ることができる。

グノーシス主義のトマス福音書は114の生前のイエスの言葉を綴った作品と思われるので、生前のイエスを知るためには非常に貴重な文献と言えるだろう。

(キリスト教2000年史 いのちのことば社 井上政己 参照)


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