2016年10月31日

通信制大学に通った1年目、3単位しか取得できなかったのに次年度から単位を取れるようになり4年で卒業して同時に教員免許も取得できたその理由とは?

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こんな自分でも単位が取れるようになった理由とは


通信制大学に通った1年目、3単位しか取得できなかったのに次年度から単位を取れるようになり4年で卒業して同時に教員免許も取得できたその理由とは?

法政大学文学部史学科に通信教育で入学をし、結果として、4年で卒業、同時に教員免許も取得できました。

しかし、一年目に取得した単位数は、スクーリングで合格した3単位のみと言うお粗末な結果であった。

初年度、単位の取り方が正直分からなかった。

リポートに時間を費やしてもほとんど書けなかった。

最初に取り組んだ科目が日本史概説という4単位ものの科目であった。

当時は1単位につき、1つのリポート提出が基本で、約半年かけて4つのリポートを提出した。

提出したリポートは2度再提出となり、合格できたのは2年次の時であった。

1年目は通信教育での単位取得は1単位も取れなかった。
 
では、なぜ、1年間で3単位しか取れなかった自分が、2年時以降沢山の単位を取る事ができたのか?


単位を取れるようになった理由

@ 制度の改定があって、2年時から、基本2単位で1つのリポート提出になった。

A 冬のスクーリングに参加して、同じ志を持つ仲間に触発されたり、単位を取るための情報を手に入れる事ができた。


制度の改定で、リポート提出の負担が減った事も大きかったが、冬のスクーリングに参加して、全国の通信制と交流を持てた事が自分の中で大きかった。情報交換や将来の夢を語り合ったあの空間が自分の中で、何かが変わる瞬間になった。

法政大学では、スクーリングの宿舎の紹介をしてくれる。

私がよく利用したのがルーテル市ヶ谷センターという教会の宿泊施設であった。

3名の共同部屋で、スクーリングの時期になると沢山の通信制が泊まり、良い刺激を受ける事ができた。

スクーリングに参加して以後は、定期的にリポート提出を行う事ができるようになり、コツコツと単位を積み重ねることが出来た。

スクーリングに参加して、仲間と情報を手に入れた事が、卒業に向けての第一歩となった。


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  • 2016年10月30日

    通信制大学‐退学者が多いその事情とは?


    退学者が多い通信制大学の謎に迫る


    通信制大学‐退学者が多いその事情とは?


    難関通信制大学の卒業率は10%程度。

    10人入学して卒業出来るのは1人、また、4年で卒業する人はほとんどいない。

    教員免許を同時取得となるとさらに率は下がる。

    では、なぜ、通信制大学は中退者が多いのか?


    │ 中退の理由

    ◎単位が取れない。

    ◎卒業論文が書けない。

    ◎スクーリングに通えない。

    ◎誰でも入学出来るので、安易に入学して失敗する。

    など、この他にも様々な理由で中途退学が出る。

    この中で、1番深刻な問題はスクーリングに通えないという問題である。

    法政大学のスクーリングは午前と午後に分かれて基本5日間の授業、次の日に試験が行われる。

    6日間かけて取れる単位数は3単位から4単位である。

    1回のスクーリングで最短でも6日間は拘束されるという事である。

    また、スクーリングが必須の科目や最低30単位以上はスクーリングで単位を修得しなければならない。

    一般の職場で、1週間近い休みを取ることは難しい。

    大企業や公務員でないと難しいと言うのが現実である。

    事実、スクーリングで出会った通信生は公務員が多かった。

    私自身、通信大学生の時はフリーターで凌いでいた。

    フリーターなので、自分の学業を優先して、もしスクーリングで仕事を休めないのなら、アルバイトを辞める覚悟であった。

    フリーターなら、簡単に辞める事も、次、バイト先を見つける事も容易に出来る。

    幸いにも職場の理解があり、4年間同じ職場でアルバイトとして働く事ができた。

    職場の理解が得られない場合は、最悪その職場を辞めないといけない。

    今ある生活を捨ててまで学業を優先するには、かなりの覚悟がいる。

    志が無ければ卒業は難しい。それが通信制大学の実情である。

    私自身も、通信大学生の時代、当時はまだ、フリーターに対して世間の目も厳しく、30歳近くになってフリーターを続けることは正直きつかった。

    だが、自分には絶対に教師になるという夢があったので、4年間ぶれずに大学生活を送る事ができた。

    スクーリングのハードルをどうクリアーするのか、それが通信制大学生の最大のネックとなる。


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    2016年10月29日

    通信制大学で単位を修得する方法‐スクーリングとリポート

    通信制大学の基本的な学習方法とは


    通信制大学で単位を修得する方法‐スクーリングとリポート

    通信制大学は、コツを掴むまでは、単位を取得するのは困難である。

    事実、難関通信制大学では、10人入学して、その中で卒業出来るのは1人である。


    | 通信制大学で単位を取得する方法は2つある。

    ・リポート提出と単位修得試験での単位修得。

    ・スクーリングにて単位修得。

    簡単なのは、断然スクーリングにて、単位を取得する方法。


    | スクーリング

    法政大学のスクーリングは、午前か午後の授業を5日受けて、最終日に試験を受ける。

    午前、午後で2科目、最大2単位ずつ4単位を6日間で取得できる計算である。

    スクーリングでの単位修得試験はある程度試験に出る問題を予測できる。

    つまり、5日間の授業で履修した内容がテストに出る。

    スクーリングで単位を落とす事はあまり無い。

    しかし、油断は禁物で、私自身2度ほどスクーリングで単位を落としている。

    スクーリングで単位を落とす事はかなりショックな出来事である。


    | リポート

    通信制大学で単位を取得する大部分はリポートと単位修得試験による履修である。

    最初にテキストが送られて来て、各科目で与えられた課題のリポートを提出する。

    そのリポートを大学教員に点検されて、不十分なら再提出となる。

    リポートの提出によって、単位修得試験を受験する資格が与えられ、それに合格し、尚且つリポートで合格すると単位がもらえる。

    リポート制作だが、ダメなら何度でもやり直しを要求され、私自身、卒業まで、修得できなかった科目もある。

    単位修得試験だが、これも合格するまで、何度でも受けないといけない。

    これも私自身、卒業まで、合格できなかった科目がある。

    通信教育で単位を取る事が難しい点は、リポートや単位修得試験の合格基準が分からないままリポート提出や試験を受けなければならない。

    また不合格だった場合、不合格の理由が分からないまま追試を受けないといけないのが辛い所である。

    必須科目が、何度挑戦しても合格出来ずに、卒業出来ないと言う例も発生する。


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  • 2016年10月28日

    単位修得試験で合格する方法‐通信制大学で単位を修得する第2の関門


    試験対策はこれしかない!


    単位修得試験で合格する方法‐通信制大学で単位を修得する第2の関門

    どうすれば単位修得試験に合格出来るのか?


    ◎生涯学習として、長期間かけて単位を修得したいと思っている人
    →テキストを読み込んで、時間をかけて勉強をする。単位修得を第一に考えている人には、この方法はお勧め出来ません。


    ◎ 単位修得を第一に考えている人に対する人
    →あらかじめ、試験問題を予測してテスト対策を行う。

    単位修得を中心に考えている人にとって、余計な事を覚える必要は無い。また、時間がもったいない。

    単位修得試験の出題される可能性のある事柄のみを勉強する。



    │ 試験の問題の傾向

    ◎リポートの設題に関連した内容の場合がある。

    ◎過去問を中心に出題される。

    最低限押さえるポイントはリポートの設題をテスト前に復習しておく。

    過去問の入手方法?

    単位修得試験を受けると、全ての科目の問題が記入された冊子を持ちかえる事ができる。

    全ての科目の試験問題が記載されているので、今後のテスト対策で使える良い情報源となる。

    リポートをとりあえず提出して、試験問題を集めるだけでも今後につながる。

    法政大学通信教育部では、ほぼ毎月、単位修得試験を行っているので、1年分の過去問を入手出来れば、試験問題をほぼ完璧に近い感じで予測できる。

    リポートの検索や単位修得試験での問題の出題は、ほとんどの場合、同じ教員が行うので、毎年同じ様な試験問題が出題される。

    過去の問題だけを押さえておくだけで、ほぼテスト対策はできたと言ってもいいだろう。


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    ★一年中本ばかり読んでいる真田マサオの本屋さん。
     本を読み、そして、本を書くのが趣味。良き本に巡り合う為には、本をたくさん読んだ人から感想を聞くのが一番良い方法。好きな本のジャンルは歴史書、時事問題、自己啓発本、パソコン、旅行書、マンガなどなど。本との出会いが人生を大きく変える事もある。
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    2016年10月27日

    安易に入学できる通信大学の落とし穴


    サイト管理者「真田まさお」著書、卒業論文を元に制作、卒業論文作成は他者が書いた作品が一番の参考資料になります。


    通信制大学の落とし穴から這い上がるには情報交換が乗り切るポイント


    安易に入学できる通信大学の落とし穴

    通信制大学の卒業率は10%程度。

    その原因の1つに通信制大学は誰でも入学が可能であり、入学金も通学制に比べてかなり安い。

    誰でも入学出来、学費が安いのなら、安易に入学する人が増えて当然である。

    通信制大学では通常1年毎に学費が発生する。

    簡単に誰でも入学できて、安い学費で大卒の資格が手に入ると、安易に入学してしまうと、後で大変な目にあう。

    単位が取れずに、毎年学費だけを支払う、何をやっているか分からない状況に陥ってしまう可能性が大である。

    単位を1単位も取れずに、学費が発生する更新の年を迎えると、そのまま、学費を払わず、更新を行わない通信制大学生がたくさんいる。

    通信制大学で単位を取るには厳しい努力が必要である。

    安易に入学する事に関してだが私自身。通信制大学には安易に入学を決めている。

    その証拠に1年目はスクーリングで3単位を取得しただけであった。

    スクーリングに参加し、通信生と情報交換した事がきっかけとなって、卒業に向けての具体的な感覚を持つ事が出来た。

    通信制大学は孤独になりやすい。これが大学を中途退学する原因だと思っている。

    辞めようと思う前に、スクーリングに参加するとか、通信生のイベントに参加してもらえたらと思います。

    積極的に情報を収集し、同じ目標を持った同志の存在が卒業への道となる。


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    通信制大学で単位を修得する方法‐スクーリングとリポート

    単位ってどうやって取るの?


    通信制大学で単位を修得する方法‐スクーリングとリポート

    通信制大学は、コツを掴むまでは、単位を取得するのは困難である。事実、通信制大学では、10人入学して、その中で卒業出来るのは1人である。


    ●通信制大学で単位を取得する方法は2つある。

    ・リポート提出と単位修得試験での単位修得。

    ・スクーリングにて単位修得。

    簡単なのは、断然スクーリングにて、単位を取得する方法。


    | スクーリング

    法政大学のスクーリングは、午前か午後の授業を5日受けて、最終日に試験を受ける。午前、午後で2科目、最大2単位ずつ4単位を6日間で取得できる計算である。

    スクーリングでの単位修得試験はある程度試験に出る問題を予測できる。

    つまり、5日間の授業で履修した内容がテストに出る。

    スクーリングで単位を落とす事はあまり無い。しかし、油断は禁物で、私自身2度ほどスクーリングで単位を落としている。

    スクーリングで単位を落とす事はかなりショックな出来事である。



    | リポート

    通信制大学で単位を取得する大部分はリポートと単位修得試験による履修である。

    最初にテキストが送られて来て、各科目で与えられた課題のリポートを提出する。そのリポートが大学教員に検査されて、不十分なら再提出となる。

    リポートの提出によって、単位修得試験を受験する資格が与えられて、それに合格し、尚且つリポートで合格すると単位が貰える。

    リポート制作だが、ダメなら何度でもやり直しを要求され、私自身、卒業まで、修得できなかった科目もある。

    単位修得試験だが、これも合格するまで、何度でも受けないといけない。これも私自身、卒業まで、合格できなかった科目がある。

    通信教育で単位を取る事が難しい点は、リポートや単位修得試験の合格基準が分からないままリポート提出や試験を受けなければならない。

    また不合格だった場合、不合格の理由が分からないまま追試を受けないといけないのが辛い所である。

    必須科目が、何度挑戦しても合格出来ずに、卒業出来ないと言う例も発生する。

    リポートによる単位の取得は、時間が、かかるが、何度でも何時でも挑戦できる所にメリットがある。


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  • 2016年10月25日

    フランス絶対王政‐文学部史学科‐西洋史概説リポート







    フランス絶対王政‐文学部史学科‐西洋史概説リポート

     フランス絶対王政成立の原因を考えると、絶対王政以前のフランスは封建社会だった。

    封建社会では法王の権力が絶対である。

    しかし、法王の権力が衰退していき、それに代わり国王の権力が増長していった。

    古くは国王フリップ四世(1268〜1314)は三部会という身分制議会を開き広く国民の支持を得て法王の権力を削ぐことに成功した。

    三部会は封建国家と絶対主義国家の間の変革期に成立した身分制国家と言える。


     16世紀になると新教徒が勢力を伸ばし、旧教徒と対立し抗争を繰り広げた。そして、サン・バルテルミの大量虐殺事件が起こった。

    もはや、法王の権力は絶対ではなくなった。これに加え、この時代イタリア・ルネサンスの影響、長引く宗教戦争による経済の混乱、凶作やペストの流行などがあり、時代は大きく変わろうとしていた。

    そして、国内の混乱を沈めるために強い権力を持った国王の出現を国民は待望したと思われる。


     このような混乱の時代にアンリ四世(1553〜1610)が国王に即位する。アンリ四は国内の混乱を押さえるため旧教に改宗した。

    これはフランスでは、旧教徒の信者は新教徒より人数が多いためだと思われる。また、新教徒に対してはナントの勅令により、信仰の自由を許し不満を解消させた。そして、国内を平和に導き国家財政の再建に努め、農業振興政策を押し進めていった。

    こうして、アンリ四は国民の信頼を得て権力を強めていった。かれは絶対王政の基礎を作ったと言えるだろう。


     つぎにフランスの王位に就いたのがルイ13世1604〜1643)である。

    ルイ13世は宰相にリシュリュウーを任命して政治を行った。

    リシュリュウーは中央集権国家の建設を目指した。国内では帯剣貴族の決闘を禁止し、禁を犯したものを処刑するなどの厳しい態度で貴族と接した。

    また新教徒に対してはナントの勅令のもと信仰の自由は認めたが、政治的に分離独立する事は許さず、ユグノーの本拠地を武力により征服して勢力を縮小させた。地方では地方監察官を派遣して貴族の力を押さえ込んだ。

    しかし、地方監察官は治安、司法、財政にわたる大幅な権限を持つこととなり、逆に地方監察官が地元の利害と結びついた自分に都合のよい政治をするという弊害もでてきた。

    そして、権力を持っていた高等法院の権力を制限することにも成功した。

    対外的には対ハプスブルグ政策を打ち出し30年戦争や対スペイン戦などに参加した。

    長引く戦争で戦費不足に陥り、そのため国民の同意なしに課税を行い反対するものに対しては徹底的に弾圧した。

    結果として王権の絶対主義化は進んだ。


     その後、ルイ14世(1638〜1715)が幼くして即位し、マザラン(1602〜1661)が宰相となり政治を主に行った。

    この時代高等法院や旧貴族を中心としたフロイド乱が発生したが鎮圧に成功し、絶対王政がより進行した。

    そして、マザラン死後ルイ14世の親政が始まる。

    ルイ14世の政治は華やかで独裁制を極め「朕は国家なり」という言葉はよく当時の状況を表している。

    ルイ14世により、絶対王政は最高潮に達する。政治の内容は特に文化政策に力を入れた。

    また、低い身分の者でも才能があれば国王や諸公の保護を受けることができた。国の人事は大貴族などの自分の権力を阻害するような者たちは、外して、国王の恩恵によってのみ権力行使を許される新興貴族を重要して国の人事を大幅に変更した。

    その他、コルベール(1619〜1683)重用して、重商主義政策を推し進めていった。

    そして、ルイ14世は壮大なヴェルサイユ宮殿を本拠地とした。ヴェルサイユ宮殿はパリの中心から外れていて、いわば隔離された空間であった。

    そして、ヴェルサイユ宮殿のなかで貴族たちは監視され、国王からの恩恵と金によって飼い慣らされていった。

    対外的には自国の軍備を増強し、ネーデルラント戦争、オランダ戦争、ファルツ継承戦争、スペイン王位継承戦争などたくさんの戦争を行った。

    結果領土の拡張には成功したが長引く戦争は国力の疲弊につながった。

    そして、晩年になるとナントの勅令を破棄し新教徒を弾圧していった。

    新教徒の国外逃亡は禁止されたが、豊富な資金力を持つ者や、優秀な技術を持つ者などは外国へ逃れた。

    貴重な人材が流失し、産業の遅れにつながった。


     その後、国力自体は衰えたにもかかわらず王族、貴族、僧侶の贅沢な暮らしはかわらず、ついにはルイ16世(1754〜1793)の時代にフランス革命が勃発した。これにより絶対王政は崩壊した。

     そして、ブルジョワを中心としたフランス革命により、身分と貧富の差が激しく、君主の専横がまかりとおり、権力を持った人間が絶対という時代が壊され、近代国家の始まりとなった。


     絶対王政は封建国家から近代国家に成長する時代の変革期にあたるというのが定説である。

    しかし別の角度から歴史を見ると絶対王政は封建制末期の三部会に見られる身分制国家の市民国家成立の流れを断ち切り、そして、絶対王政崩壊後は混乱を沈めたナポレオンによる、より強力な中央集権国家ができあがる。このことを考えると絶対王政時代はまだ貴族たちは地方に広大な領土を持っている状態での独裁制でいわば中途半端な中央集権であった。

    だから、絶対王政は封建制の地方分立から、より強力な独裁制を持った中央集権国家に成長する変革期だったとも言えるだろう。


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    2016年10月24日

    叙任権闘争‐西洋史概説リポート

    5.jpg「教科書に載らない歴史」はここをクリック 高校で普段行っている授業の実践記録や日記集、研究など、教科書に載っている事だけを授業するなら教員なんていらない。誰も知らないことを授業で取り上げる事に意味がある。教科書では語れなことや取り扱って欲しい内容を取り揃える。教科書で語れない内容に真実や日本文化の素晴らしさが詰まっている。日本人としての心を取り戻す教育、その一部を紹介します。


    皇帝VS教皇

    ヨーロッパの覇権はどちらの手に


     叙任権闘争‐西洋史概説リポート

    簡単に述べると、叙任権闘争とは、11世紀〜12世紀にかけて、司祭の叙任権を媒体としヨーロッパの覇権をかけた皇帝と教皇の戦いである。


     キリスト教は、ヨーロッパ各地に教会が建設され、信者の数が増えた。

    ヨーロッパではキリスト教は人間の精神的な部分を支配する道徳、みえない法律にまで成長した。

    そして、西ヨーロッパではローマ司教が、だんだんと各地の教会の中で首位性を確立していった。


     西ローマ帝国が滅亡後、西ヨーロッパでは皇帝という地位は実質的には存在していなかった。

    しかし、キリスト教徒であるカール大帝(747〜814)は、800年教皇レオ3世(位759〜816)により西ローマ帝国皇帝として戴冠をうけ、ここに皇帝権が復活した。

    そして、800年のカール大帝の戴冠により、西ヨーロッパには教皇と皇帝という2つの権力が存在する世界となった。

    両者の対決は歴史の必然的な流れなのかも知れない。

     叙任権闘争は、教皇グレゴリウス7世(位1073〜1085)が教会改革に乗りだした所から始まった。

    聖職販売聖職者の罷免、妻がいる聖職者のミサ執行禁止、教皇の命令に違反した聖職者の行う典礼への信徒の参加禁止、違反者には免職、政務停止などの制裁を与えた。

    また、皇帝や貴族封建諸侯らによる叙任を禁止した。そして、これに関連して、教皇令書を制作した。内容は、教皇は全世界の頂点で皇帝よりも上、すべての聖職者は教皇によってにみ任命されるというものである。


     しかし、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世(1050〜1106)は教皇に従う気はなく、1075年教皇令書が出たといわれている直後に、ミラノの大主教をハインリヒ4世の同意により決定した。


     これに対して、グレゴリウス7世は皇帝を激しく非難した。

    その結果、皇帝は教皇の廃位を声明したが、逆に教皇はハインリヒ4世を破門し、破門状を公開した。

    こうして叙任権闘争の火蓋は切られた。

    これは単に叙任権問題の争いだけではなく、まさしく教皇権と皇帝権の激突である。

    ドイツの多数の諸侯は皇帝権の拡大を恐れていたので教皇に味方しハインリヒを廃位させようと考えていた。

    そして、破門が解除されない場合は、教皇臨席の下で諸侯会議を開き皇帝に対する最終措置を決めることを申し合わせた。

    ハインリヒは会議の見通しが自分に不利なことを察知していたので、会議前になんとしても破門を解いてもらう必要性を感じていた。

    そこで冬のアルプスを越え教皇が滞在していた城門の前に佇んで皇帝は3日間許しを求めた。その結果ついには教皇は皇帝の破門を解いた。

    これが有名なカノッサの屈辱である。

    そして、反対勢力のドイツ諸侯は新しい皇帝を選んでハインリヒに対抗したが戦争に敗れハインリヒの立場は絶対的に有利になった。

    ハインリヒの権力拡張を恐れた教皇は再度破門したが時すでに遅く、逆に対立教皇を立てられた。

    そして、皇帝軍の攻撃を受けたグレゴリウス7世はローマを離れなければならなくなった。

    最終的にはハインリヒ4世の勝利に終わったが、まだ叙任権闘争が解決したわけではない。


     その後、1105年ハインリヒ5世(1086〜1125)が帝位についてから、再び叙任権問題は最熱した。

    しかし、教皇と結び自分の権力を拡張しようと企む諸侯達の反抗に皇帝は苦しみついには、1122年ウォルムス協約で皇帝は司教の叙任を放棄し、挙式は皇帝の前で行われ、選出された者には封土を与えるときめた。

    妥協案ではあるが、叙任権闘争は終結した。


     叙任権闘争が世界史に与えた影響ははかりしれない。

    皇帝自身が諸侯の一人で他の諸侯を押さえるために、司教の叙任権を利用して権力を確立していたが、叙任権闘争の結果、皇帝の神格性は失われ権力は衰退した。

    そのため、ドイツではますます皇帝は、各諸侯の勢力を押さえることができないようになり、封建化がよりいっそう進展していったのである。


     その他、叙任権闘争の最中、1095年教皇ウルバヌス2世(1035〜1099)は教皇権の優越を目指していた。

    そして、キリスト教による権力拡大を目指した第1回十字軍の成功で教皇は優勢に立った。

    十字軍は、ヨーロッパ各国の国王や諸侯などが協力して軍隊を作り聖地奪還を目標とした。

    十字軍の影響で、ヨーロッパでは教皇を頂点としたキリスト教と多くの国家という、連帯した共通の意識を持った、ヨーロッパ世界が形成された。


     最後に、聖職者たるものは信仰心に厚い人格者でなければならないということから教会改革運動が生まれた。

    以後、聖職者の人格や信仰が大きな影響力をもつようになり、宗派が多くできる原因ともなった。

    それは、現在でも続く宗教戦争の遠因となったと言っても過言ではない。

    そして、聖職者の人格を問題にする事は、当然、叙任には、俗権の利益を求めた都合のよい任命では問題となる。そのため教会当局、すなわち教皇にこそ聖職者の叙任の権限が必要となる。

    しかし、皇帝や国王からしてみれば、すでに教会は行政の一部であり、教会領からの収入もある。

    そうなると教会も俗権の利益の中にあり、その両者の衝突は教会の機能とは何か、国家との関係は何か、教会を法的権限と組織の中において良いものなのかなど様々な問題を考えさせる要因となった。


    (西洋教会史 小嶋潤 刀水書房)(西欧中世史(中) 江川温 服部良久 ミネルバ書房)(世界歴史10中世4 岩波書店)


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    2016年10月23日

    三度の自由教育路線‐通信教育部(教育過程論リポート)

    10.jpg「教科書に載らない歴史」はここをクリック 高校で普段行っている授業の実践記録や日記集、研究など、教科書に載っている事だけを授業するなら教員なんていらない。誰も知らないことを授業で取り上げる事に意味がある。教科書では語れなことや取り扱って欲しい内容を取り揃え、日本人としての心を取り戻す教育、その一部を紹介します。







    三度の自由教育路線‐法政大学通信教育部(教育過程論リポート)

     近年教育が大きく変わろうとしている。

    生徒に対する評価の方法や、総合学習の取り組みなどである。

    例えば、高槻市のある小学校では、総合学習の時間を利用して地域の担い手を育てるために地元のポンポン山と開発問題について学習している。

    総合学習の利点はそれぞれの学校がテーマを自由に設定できることである。そのため地域問題など生徒の関心度が高い課題から学習できる可能性を秘めている。


     現在の地域を主体に考えた自由な教育路線は過去に日本の歴史を紐解くと3度目の試みになる。

    最初は明治初期の学制制度に変わる教育令が出された初期段階、2回目は、終戦直後のやまびこ学校の時代、3度目が近年の教育改革路線である。

    最初と2度目の特徴は、両者とも自由教育路線が早い段階で打ちきられ、後の教育路線があまり評価できないことにある。

    最初の場合は、教育が戦争と結びついた国家統制に利用されたこと、2度目は教育が受験と結びついたことである。

    もし、今回、自由な個性を重視した教育路線が早い段階で打ちきられたとしたら、過去の例から考えると、後の教育路線が間違ったものになる可能性が非常に高くなると言えるだろう。

    近年の教育改革は3度目の試みであり、過去の失敗を乗り越えなければならないと思う。

    その為には、総合学習などの新しい試みに関しては、長い目でその教育成果を見る事が重要だと思う。教育成は直ぐに効果でるものでは無い。

    近年の教育改革は新しい試みであるので、最初は戸惑うかもしれないが長い目で見る事も重要である。

    そして、学力の低下問題や受験への対応不足などさまざまな問題点を含んではいるが、全てを否定するのではなく、施行作後を繰り返しながら、悪い部分を修正して、良い部分をのばしていく必要を感じる。

    そうすることで、必ず良い教育成果が上がると期待できる。


     明治初期、日本は近代国家の仲間入りをするべく、国民全てに教育を行う政策をはじめる。

    1871年には教育令が出されて、地域住民の声を聞き入れた自由教育路線が始まった。

    しかし、この自由教育路線は問題点を沢山含んでいた。

    まだ、この時代日本では教育に対する重要性があまり浸透しておらず、地域によって教育に対する考え方がばらばらであった。

    教育に対する価値観が低い地域では、学校の建設を中止、教員の数を減らす、教員の給料を減額するなど、自由教育路線のマイナス面がでていた。

    思うに、この時代江戸時代から明治時代になったばかりなのでしかたのないことなのかもしれない。

    もっと、国民の間に教育に対する価値観が高まるまで、この自由教育路線を続けるべきだったと私は感じている。

    そして、不幸なことに日本ではこの時代自由民権運動の過熱を問題点として、日本の支配者層の人達は、教育を自由から統制に変えて行くのである。

    ここから、日本の教育はおかしくなる。

    自由民権運動は人権思想や啓蒙思想などを主体として、国民の人権を守り、国民が政治に参加できるように、国会の開設などを要求した運動である。

    言うなれば、自由教育路線と重なる部分がある思想である。皮肉にもこの自由民権運動が統制教育の引きがねとなったのである。


     自由民権運動を抑えるために考えられたことは、教育システムを利用して、まだ、純粋な子供達に国家に対して忠実になるための思想を植え付けることであった。

    天皇を絶対的な存在として国に忠誠を尽くす臣民を作り出していく。

    そして、学問の自由もなくなり、統制されていく。

    それは、天皇を中心とした中央集権的な国民国家の建設のため、天皇の権威付けや正当性が学問の主流となる。

    例えば、ひとつの説にしかすぎない単一民族国家説を採用して日本はひとつの民族によって構成された国家であり、天皇が一貫して統治してきた国であるとした。

    また、南北朝問題などの天皇にとって都合の悪い歴史を排除して、天皇の国家支配に都合の良い歴史を系統的に学習するなど、教育が利用され、また、教師の自由も奪われていく。


     教育が国家に利用された結果、日本は空想的な軍国主義の日本へと変貌していく。

    国民の民意が戦争を後押し、出口の見えない戦いに国民はかりだされていく。たくさんの尊い命が失われて、日本国内や近隣諸国でも数多くの悲劇がうまれた。

    結局、教育が国家に利用された事が間違いである事が証明されたことになる。


     戦後日本は全てを失い、なにも無い所からの出発となった。

    空襲で焼けた学校では青空のもとで授業を行った学校もある。悲惨な戦争を体験した国民は平和を願い、平和な教育を求めていく。

    そして、平和憲法である日本国憲法が制定されて、これに基づき教育基本法が制定されて新たな教育が始まる。

    教育基本法前文で唱えている事は、主に平和、民主主義、個性ゆたか、個人の尊厳などである。

    これは、戦前教育の反省を考慮にしていると思われる。

    戦後復興の中、困難を乗り越えて、教育の現場では、地域それぞれに、独自の教育が試行錯誤されていく。

    やまびこ学校の時代と言われ、生徒が住む地域に密着した自由な教育路線が展開された。

    しかし、システム的には確立しておらず、問題点も多く含んでいた。

    日本は戦後復興を果し高度経済成長期を迎えると、教育の内容も変わっていった。

    社会システムの変化で、地域社会の繋がりが弱くなってきた事や受験戦争の始まりなどにより、また、新たな教育路線を始めることになる。


    (日本近代の出発 佐々木克 集英社 参照)(未来をひらく総合学習 梅原利夫 西本勝美 ふきのとう書房 参照)(新しい社会・地理・公民の教育 大森正 石渡述男 参照)













    2016年10月22日

    歴史学派と歴史主義‐文学部史学科(史学概論リポート)






    歴史学派と歴史主義‐法政大学文学部史学科(史学概論リポート)

     19世紀のドイツで展開された歴史学派経済学の手本となったのは、イギリスのスコットランドで展開された啓蒙思想である。

    スコットランドはイギリスのなかでは後進地域で、イギリスの中心で先進地域であるイングランドに対抗するために啓蒙思想を展開させていった。

    この思想は歴史とは進歩するものという進歩史観から唱えられたものである。

    歴史の進歩と経済の進歩の関係で、歴史と経済の発展は関連して進歩していくという説である。 


     このスコットランド啓蒙の代表はアダム・スミス(1723〜1790)である。アダム・スミスは経済において、規制主義的な重商主義を批判し、自由競争こそ必要とし、経済を自由放任にすれば自然と最善の状態に調整され経済がうまくいくと説いた。

    またアダム・スミスはグラスゴー大学の教授に就任し、その講義で社会の経済システムの発展段階が、狩猟社会、牧畜社会、農耕社会、商工業社会、というように発展していき、この発展と国家の成立、君主制、共和制という政治形態の発展が両者関連して進歩していくと論じた。


     しかし、当時のイギリスは世界一の経済大国であるので、過去の生産段階を振り返る意識は、ほとんど無いに等しかった。

     そして、この発展段階説は当時経済的に後れていたドイツで、世界一の経済力を誇るイギリスに追いつくためにドイツで発展していった。

    これをドイツ歴史派経済学と呼んだ。

     ドイツ歴史派経済学の中心となったのはフリードリヒ・リスト(1789〜1846)である。

    アダム・スミスは国家による経済統制批判を行ったがリストは、反対に国家による経済統制による市場の統一を目標とした。

    これは、リストによれば未開、牧畜、農業、農工業、農工商、というように五段階で経済が発展するという経済段解説の考えの中でイギリスはすでに5段階であるが、ドイツはいまだに4段階であり、5段階に発展するためには国家による産業保護政策が必要であるとした。

    5段階目に成長した後は自由貿易主義が良いと唱えた。

    実際に、当時のドイツは国内の諸邦国を品物が通過するだけで関税が発生し統一的な経済が成り立ちにくい状況であった。

    リストはこのようなドイツを変えるために関税の撤廃を国に求める運動をおこなった。


     ドイツ歴史派の人達の特徴的な考えとして、経済政策や経済理論は歴史の発展によって発達するもで、いわゆる文化的現象と把握し、時代を超えるような経済理論は存在しないという考えである。


     反対意見として歴史学派は歴史を国の政策目的に利用しているという批判もあった。

    また、19世紀のドイツでは歴史主義という歴史観が存在していた。

    特徴はロマン主義にまでさかのぼり、ロマン主義の人間の個性や感性を重んずる思想が民族の個性や強調となって現れる民族主義が特徴として存在する。


     歴史主義の中心となったのはレオナルド・ファン・ランケ(1795〜1886)である。ランケは歴史の進歩はありえないとした。

    その理由として、人間は自由な意思を持って行動する生き物なので、もし、歴史がある目的に向かって進歩していくとしたら、人間の自由な意思を否定することになる。

    だから、歴史の進歩はありえない。

    事実、人類の大半は原始生活にとどまっており、歴史的な発展をとげた民族でも、時を重ねるごとに発展しているとはいえず、時には逆行もある。

    また、美術の分野においても常に進歩しているとはいえず、時代によっては衰退することもある。

    ランケによれば1つの時代を次ぎの時代の前段階と考えるのではなく、時代それぞれに良さがあり、独自性があるので1つの時代は独立された完成形あると考えた。


     歴史主義の歴史研究の特徴として、過去の出来事の固有性を尊重する考えから、厳密な史料批判にもとづく史実の確定作業を歴史研究の基本にした。

    この史料批判は現代に与えた影響は大きく、現在の歴史研究の基本となる考えかたと同じである。


     しかし、問題点として、歴史主義は歴史の個性を重視しすぎたために、史実の相互の関連を問う認識能力にはうとかった。


     歴史学派と歴史主義との大きな違いは歴史の捉え方の違いである。

    もし仮に現代という時代があるなら前の時代に現代に変わるための要素が含まれており、時代は常に進歩して発展していき、過去の出来事は現代に繋がるものと考えたのが歴史学派である。

    歴史学派は1つ1つの歴史事実にはあまり注目せず時代の流れに注目したと言えるだろう。

    逆に、歴史主義は1つの時代を別々に考え、過去の出来事はだだ1つの事実として捉え、歴史の進歩を否定し、歴史の流れには注目しなかった。両者にはこのような違いがある。


     また、歴史学派は歴史の進歩と政治が関連して発達すると考えたが、歴史主義は1つのことを重視する考えから別々であるとした。要約すると関連主義と個別主義である。


     最後に、両者の思想がミックスされ、両者の短所を補えるようになったのが現代の歴史の流れと史料批判を重視する特徴の歴史研究へとつながっていったと考える事ができる。


    (ドイツ史2 山川出版 成瀬治 山田欣吾 木村靖冶 参照)


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