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2020年03月09日

スクーリングでのプチ大学生活‐大人でも学生気分を楽しむ方法



スクーリングでのプチ大学生活‐大人でも学生気分を楽しむ方法

通信制大学と言っても、全ての単位を通信で取るわけではありません。30単位以上は必ずスクーリングで修得する必要があります。30単位と言うと、約一年分の単位に相当します。

 社会人になると、仕事の都合をつけるのがとても難しい。私自身は、うどん屋でアルバイトをしていたので、それほど問題なく、スクーリングには通えました。

 スクーリングの日々でプチ大学生活を送ることが出来ました。何度もスクーリングに参加していると、顔なじみも増え、交流を持つことが出来ました。同性、異性、年代と関係なく、幅広く知り合いました。

もちろんその中には、恋愛も含まれています。全国の女性と知り合う機会は普段、なかなかあるものではありません。それもスクーリングの楽しみでありました。私自身、スクーリングを通じて付き合った女性がいましたが、スクーリングが終わると、遠くに離れ離れになり、上手く付き合いを続けることが出来ませんでした。しかし、今となっては良い思い出になっています。

 憧れの大学生活を送れなかった私にとって、通信制大学でのスクーリングは、それにあてはまる貴重な体験です。










タグ:大学生活

2019年01月14日

制度の大きな変更と2年目の通信制大学

法政大学通信教育部の資料はここから請求できる



制度の大きな変更と2年目の通信制大学

2年目に入り、定期的なペースでリポートの提出をすることが出来ました。また、単位修得試験もほぼ毎月受験をしました。

2年目以降スムーズにリポート作成ができた理由は、作成に慣れたこともありますが、制度の変更が大きかったです。

リポート提出に関して、2年目以降に大幅な制度変更があり、それまで、1単位1リポートの提出が、なんと、2単位で1リポートの提出に変更されました。これは大きいこと、ラッキーです。実に半分の労力で、リポートの提出が出来るようになりました。

半月に1回のペースでリポートを提出、1か月で1科目は提出できる計算です。

再提出を気にせずに、とりあえず書いて出すことを繰り返しました。1年目はほとんど再提出でしたが、2年目以降から徐々に再提出になる割合が減りました。再提出になっても、ほとんどの科目は、2回目で合格できました。

単位修得試験に関しては、テスト前の一週間で、リポートの課題を中心に復習をしていました。最初のころの合格率は50%ぐらいでした。試験を受ける度に、試験問題を持ち帰れるので、ある程度試験問題がたまってくると、試験問題を予想できるようになりました。そうなると、試験の合格率も徐々に高くなってきました。

試験問題を100%当てた時のそうかいかんは今でも忘れられません。

最終的に、大学卒業の単位数と教職単位を4年間で159単位取得しました。
けっきょく、2年目以降、年間平均50単位以上は取り続けた計算になります。

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タグ:1月

2018年12月16日

はじめてのスクーリング体験!卒業までの道のりの第一歩

はじめてのスクーリング体験!卒業までの道のりの第一歩

通信制大学に入学して、1年目の冬、1単位も取れないのは問題なので、一週間だけ、スクーリングに参加しました。

このスクーリングへの参加が、今後の通信制大学の生活に大きな影響を与えました。

全国から集まる、通信制の学生との交流で、様々な情報を手に入れ、また、勉学への刺激にもなりました。

このスクーリングでの一週間が無かったら、卒業への道は大きく後退していたかもしれません。

宿舎は、大学側が紹介していたルーテル市谷センターにしました。この選択が後になって考えると正解でした。ルーテル市谷センターは、3名の共同部屋になります。3名とも法政大学の通信学生なので、交流をすることができました。

勉強のやり方、単位修得試験の出題予想、取りやすい単位、取りにくい単位など、卒業に向けての具体的な情報を手に入れました。

また、大学生としての学生気分を味わい、仲間たちと語り合った日々がとても有意義でした。スクーリングでの日々が今思えば、一番楽しい記憶になっています。

1年目のこの冬スクーリングで、英語1単位、心理学2単位の授業を取りました。

スクーリング終了後、約一月後に結果が家に郵送されました。

ドキドキの一瞬です。仕事を一週間以上も休んで、挑戦したスクーリング。落とすわけにはいきません。

結果

英語、心理学ともに合格

これで3単位をゲットしました。

通信制大学1年目の挑戦は、結果

「3単位」

これが、私の1年目の成績です。

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タグ:12月

2018年11月18日

惨敗通信制大学の一年目!リポートでは単位取れず





惨敗通信制大学の一年目!リポートでは単位取れず

 法政大学通信教育部に入学して、1年目の学習成果は無残なものでした。今思えば、勉強のやり方をまったく分かっていなかったです。

 まず、リポートが書けない。書くのに時間がかかる。リポートが完成しても、何かかが違っていました。

そもそも、文章を書く経験がほとんどなかった、自分にとって、リポートを書く作業がとてつもなく難しかった記憶があります。

1年目は基本的に1単位1つの課題が出され(翌年から、2単位で1課題に変更)ました。

1年間で、日本史概説の4単位分のリポートと自然科学史の4単位分のリポートを提出しただけに留まりました。計8個のリポートを書き上げたことになります。

再提出になり、単位修得は翌年に持ち越されました。

一年目の結果は、通信教育の勉強では1単位も取ることが出来ませんでした。

う〜ん、世の中厳しいと感じた瞬間です。

さすがに、1単位も取れないのは問題なので、冬のスクーリングにとりあえず一週間だけ参加してみました。

このスクーリングの体験が今後の通信制大学の勉強に大きな影響を与えました。

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タグ:11月

2017年12月10日

20代後半の世間の評価、非正規雇用と正規雇用




・20代後半の世間の評価、非正規雇用と正規雇用

 大学時代私はよく、就職して早く落ち着いたらと、いろんな人から言われていた。大学に通っている事を内緒にしていたので、ほとんどの人からはフリーターだと認識されていた。

大学に通っている事を知られてしまった人からも、教員免許が取れても、教師にはなれないとか、早く現実を見た方が良いと言われた。また、大学に通っている事を理由に、仕事をする事から逃げているだけだと言われたりした事もあった。悔しい思いをしたが、それに対して言い返す事は行わなかった。ぐっと、自分の腹の中に抑えた事を今でも思い出してしまう。言い返すなら教師になって結果を残してからだと思った。この世の中は結果が全てである。

現在でこそ、格差社会の進行で、非正規労働が当たり前になっているが、しかし、当時は二〇代後半で正規雇用でない人に対する世間からの偏見は凄まじいものがあった。

この時思ったことは、夢があり、その目標を達成するために努力している若者に対して、なんて酷い閉鎖的な世間なのだろうと言う事である。私は教師になって若者の再チャレンジを心から応援したいと心に誓った。いやな事が多々あり正直世の中にうんざりしていた。

しかし、いろんな意味で本当に厳しい時代ではあったが、今思うと夢に満ち溢れる、充実した日々でもあった。

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2017年11月12日

高校時代でもっとも大事な教科とは?




・高校時代でもっとも大事な教科とは?

高校時代の事を思い出していた。
「社会科だけできても駄目、漢字が大事だからその勉強をしておかないとこれからの人生で困るよ」
とよく高校時代の担任の先生に言われた。

その頃の私は漢字なんて書けなくても人生には困らない、古典なんて今後の人生で使う事もないと思っていたので、この先生何を分けの分からない事を言っているのかと思っていた。今思えば本当に馬鹿で愚かな世間知らずの高校生だったと思う。

もし、今その頃の自分に会えるなら、おもいっきりひっぱたいていたと思う。もう少し、古典や漢字をしっかりと学習しておけば困ることはなかったと、高校生までの自分に言いたいが、今となっては後の祭りである。

私が歴史に興味を持ったきっかけは、ファミコンソフトの信長の野望をプレイした事である。そこから、日本の戦国時代に大変興味を持ち、続いて、三国志のファミコンソフトをプレイしてからは中国の三国志にも興味を持った。その延長で、歴史が好きになり、現在は歴史を教える高校教師として仕事をしている。

大学に入学した当初は大好きな日本史の戦国時代か中国の三国志の研究をしたいと思っていたが、古文書と漢文の壁に阻まれて、日本の戦国時代と中国の三国志の研究を行うのを断念した。授業の中で古文書の単位と漢文の単位を取るだけで精一杯だった。それ以上の研究は私のこの時の能力では到底無理があった。

自身の現時点の能力で研究できるテーマを探すことが急務となった。

古文書をマスターするという選択肢もあったが、それ以上に、高校教師になることが自分にとっては優先事項であった。

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2017年10月15日

大学生活、高校とは違う勉強とは?





・大学生活、高校とは違う勉強とは?

 大学生活であるが、これほど勉強をした事は、これまでの人生では無いぐらいに勉学に打ち込んだ。大学は文学部の史学科で、歴史の研究者を育てる学部であった。歴史が好きだった私にとって申し分ない進学先だと思っていたが、現実はそれほど甘くなかった。

歴史の研究者を育てる学部なので、第一文献を読めることが絶対的な条件になった。誰かが研究した文献を勉強するのが高校までの内容で、誰も研究していない事を調べるのが文学部史学科の学生である。

すなわち、日本史なら古典が得意でなければ厳しいものがあった。古文書と呼ばれる昔の人が崩して書いたわけの分からない文字を読み説く事ができなければ日本史を研究する事ができない。また、中国史なら中国漢文、西洋史なら英語で原文を読み解く力がなければ、大学を卒業する事はできなかった。

また、一年次からの入学なので、英語や理数系の科目などを履修する必要もあり、大学での勉強は困難を極めた。

高校生の時は英語が苦手であったが、卒業後に英語を独学で勉強していたために、なんとか授業についていく事ができた。また理数系科目に関しては、計算などはあまりできなかったが、それを補うために論述問題に関しては誰にも負けないように勉強をして試験に対応した。
 難しい勉強もあったが、自分が知らない新しいことが知れて、知への探究心が高まり、充実した大学生活を送れたと思う。一つ一つだが、確実に知識を深めていき、苦手な科目の単位も修得していった。

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2017年09月18日

大学時代のアルバイト、うどん屋での日々!通信制大学生の日記




・大学時代のアルバイト、うどん屋での日々

 二六歳の春、かつてからの夢であった大学生としての生活をスタートさせた。
いい歳だったので、サークル活動などの楽しい大学生活とは縁の遠い、地味な大学生活となった。

金銭的な問題で学業とアルバイトの両立が必要であった。夜はうどん屋、深夜に工場で働いた。工場の方は一年ぐらいで辞めて、うどん屋に関しては、けっきょく四年間続けた。

企業化されたうどん店なので、麺は毎日工場から送られ、また、出汁やその他の具材もほとんどが宅配されてくる。私自身、飲食店の経験者なので、それほど業務は難しくなく、あらゆる仕事を簡単にこなす事ができた。

また、学業を優先させてもらい、私のわがままを聞いてくれて、便宜を図ってもらった職場でもあった。そして、うどん屋での日々が二年を過ぎた頃には、アルバイトながら、社会保険の加入を許されて、時間帯の責任者にまでなった。私自身、社会保険に加入するのは初めてで、少しは保障された生活が送れると思った。

 飲食業界では、大企業が経営している大型店では正社員が社会保険に加入できるのは当たり前だが、個人が経営している飲食店で、社会保険に加入できるケースは稀であった。私自身が経営していた飲食店でも、もちろん、社会保険という概念はなかった。そのため、飲食店で正社員で働いた経験は何度かあるが、社会保険には加入したことがない状況になっていた。いかに飲食業会がブラックかと言うことが分かってもらえると思う。

うどん屋での日々はそれなりに、やり甲斐もあり楽しかったが、いい年をして、うどん屋でアルバイトをしている現実がとても恥ずかしいと感じていた。なので、知り合いにはうどん屋でアルバイトを行っている事を黙っていた。
また、現在そのうどん屋は外国にまで出店する大企業にまで成長している事には驚きだ。

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2016年12月16日

誰にも言えなかった大学進学‐26歳の大学一年生





誰にも言えなかった大学進学‐26歳の大学一年生


法政大学文学部史学科に入学する事が決った。

自分の条件にピッタリと合う大学で、この選択肢は結果的に正解であった。

大学進学に関しては、年齢的なものもあり、親や知り合いには大学進学のことを黙っていた。

定職に就かない若者に対して、世間の目は冷たい。

話をした所で、馬鹿にされて、話は終わるだろう。

また、入学した時点では本当に卒業できるのか、そして、教師になれるのかは未知数であった。

もし、途中で夢を挫折するような事があったら、恥ずかしい思いをするのは自分自身であった。

夢が実現するまでは誰にも知られない方が良いと思った。

まともに、大学の事を言えるようになったのは、卒業がほぼ確定された4年後の事であった。

今思えばもう少し早めに打ち明けて、金銭的な援助や協力をしてもらったほうが良かったと思う。

変な意地は人生にとってマイナスにしかならないと感じた。










2016年11月13日

調査書を取りに8年ぶりに母校に行く‐26歳で大学に入学して得した事(回想録)

調査書を取りに8年ぶりに母校に行く‐26歳で大学に入学して得した事(回想録)


・大学出願時に必要な書類

大学の出願には、願書の提出と調査書が必要になる。

願書は、大学側から出される資料に必要事項を記入して郵送するだけで大丈夫。

近年はネット上で処理する大学もある。

問題は調査書、この調査書は高校が発行する書類で、言わば、成績表のようなもの。

8年ぶりに母校に行き、調査書を発行してもらった。(有料)

まさか自分が、卒業から8年後に母校に行き調査書をもらいに行くなんて、高校時代からは想像もできなかった。



・進路が決まった高校3年生に対して

現在私は高校教師をしているが、進路が決まった3年生は、緊張感が無くなり、成績の事をあまり気にしなくなる。

(3年の2学期で進路を決定する場合、1学期までの成績で調査書を作成する)

そんな3年生に対して、「卒業後に調査書が必要になった場合、3年生の3学期までの成績で調査書が作成される。

人生は何が起きるか分からないよ」「私は26歳の時に大学に入学したので、その時、調査書を高校に取りに行った」と言う。

卒業後に大学に進学する場合、3年生の3学期までの成績で調査書が作成される。

3年生の2学期と3学期で極端に成績を落とすと、卒業後に進学するときに不利になるという訳である。

「進路が決定されても、その後も成績を意識して勉強しよう」

人生回り道をしたおかげで、実体験に基づいた指導ができる。

教員として働いていると、このように、26歳で大学に入学したメリットが多々出てくる。(デメリットも多々あり、例・給料)


いつもクリックありがとうございます。











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