2017年05月20日

平安時代から鎌倉時代までの仏教美術について、通信教育課程文学部史学科(日本美術史リポート)





平安時代から鎌倉時代までの仏教美術について、通信教育課程文学部史学科(日本美術史リポート)


 平安時代前期は密教が全盛を極める。

それに伴って、仏像の様式も密教と関連したものが作られる。

密教の信仰では、仏の中心と考えられている大日如来だけでなく、その他の仏に対しても盛大に信仰が行われた。

これらのことは仏像美術にも大きな影響として現れ、仏像の種類は著しく多くなる時代でもある。


 密教の仏像の全体的な特色は仏像に大きさは求められず、仏像の形式的な雄大さの表現は必要がなくなり、仏像のモデルとなる仏の性格や力、特徴などを表現することが重要となっている。

また、密教が神秘的な祈祷法と仏像の力によって祈祷効果を高める性質をもった宗教なので、仏像には力強さが求められた。

力強い仏像を造るのに最適な技法として、一木彫成法が最適と考えられた。

平安前期は一木造りの仏教彫刻の時代とも言える。


  密教の中心となったのは空海である。

空海は嵯峨天皇から平安京を守るための1つの政策として、教王鎮国寺の建設を依頼された。

教王鎮国寺は空海の存命中には完成されなかったものの、空海が学び行っていた新しい仏教をしめすような仏像が多数存在している。

密教美術を考えた時、この教王鎮国寺は重要な存在と言えるだろう。

教王鎮国寺で創建当初に製作された密教を代表する貴重な仏像が講堂に多数存在している。

講堂の中は大日如来を中心とする5仏、4体の菩薩、5大明王、4天王などの仏像が配置されている。

これらの仏像の中で、不動明王を中心とする5大明王の仏像はこの堂内に安置されているのが日本で最初の作品だと言われている。

最初に相応しい日本を代表する名作である。

5大明王の仏像は、髪が逆立ち、顔は恐く怒りに満ち溢れ、牙を突き出し、ポーズも怒りを表現していると思わせた造りで、全体的に怒りをイメージして造られていると推測される。

しかし、顔や表情は恐いが、それとは対象的に体の作りは柔らかく、いたって普通の体付きをしている。

もし、効果的に怒りをイメージするなら、筋肉たっぷりの強そうで、もりもりした体付きの技法の造りかたが良いはずである。

だが、顔やポーズが怒りに満ち溢れていて、体つきは柔らかいという両極端な2面性とそのアンバランス感が逆に明王像の神秘的な力強さを作り上げているのかもしれない。

これらの仏像は一木造で製作されており、細かな造りや顔の表情など、高度な技法を必要とするものである。

また、一木造りでしか出せない雰囲気のすごさを実感した。


 平安時代後半になると、平安前期とは違った仏像の様式が造られ始めた。

時代的に藤原道長が権力の絶頂期に入り、貴族の文化は成熟期を向かえた。

貴族文化の影響を受けて仏像の様式も平安前期の力強さから貴族的な優雅さや繊細、調和、華やかさを重んじる新しい様式の仏像が造られた。

また、仏教では浄土教が発展し始めた。

平安前期なら仏門に入った人を対象にした解脱を助ける目的にした信仰の仏像、

しかし、浄土教の発展は、仏教の大乗仏教化と言うことであり、極楽住生を目的とする広く一般大衆にも影響を与えたことになる。

このことは、仏像に大きさを求める思想に繋がっていく。平安後期の仏像の特徴は優雅で大きな仏像と言えるだろう。


 仏像を造る技法も内側を空洞にした造り方に変わり、そして、十二世紀以後に入ると仏像に装飾化が加わってより華やかな仏像になっていった。

また、一木造りから寄木造に変わっていく。

寄木造は仏像の各パーツを別々に製作して、それを寄り合わせて一つの仏像を造る方法である。

メリットとしては、分業ができ、輸送がし易く、小さな材で造れ、失敗してもその部分を直せば良い等の利点がある。寄木造によって、仏像は手軽に造られるようになり、また、大きな仏像も造る事が可能となった。


 これらの平安後期の技法は定朝によって完成したと言われている。

定朝の代表的な作品として平等院鳳凰堂阿弥陀如来像がある。

見たイメージとしてやさしく、穏やかな感じで、救済をしてくれそうな感じがした。


 鎌倉時代に仏像様式が変化するきっかけとなったのが、東大寺や興福寺が焼けてしまった事である。

そして、その焼失した寺の再建事業を通じて多くの仏像の建造が必要となった事である。

その中で中心となったのが康慶や康慶の弟子や子供達のいわゆる康慶一派である。鎌倉時代の仏像の担い手は康慶一派が主流となっていく。


 鎌倉時代の仏像様式の特徴は写実性にある。

写実的な方法として、日本独自の手法でもある仏像の目に水晶を嵌めこむ玉眼という技法が用いられるようになった。

目に輝きを与えることによって、より写実性が増すというわけである。

鎌倉時代の仏像は平安前期の様式を思わせるものがあるが、しかし、それとは少し違い現実感を持った新しい様式の仏像と言える。

例えば、定慶が造ったと言われる興福寺の金剛力士像は怒りをイメージし、顔やポーズ以外にも体格や体の質までも怒りを表現した造りとなっている。

これは、平安前期の怒りとやわらかさのアンバランス感による神秘性とは異なり、姿全てで怒りを表現する力強さを感じる像である。

また、この像は南宋文化の影響も見られる。この時代は南宋文化の流入が激しくなりその影響は仏像の様式に変化を与えた。

また、東大寺の再建事業に際して、その総大工が南宋人である陳和卿が就任し、再建の中心的指導者が、南宋留学者で中国思想の禅の教えを広めた栄西である。

この事は、再建された東大寺は必然的に南宋の影響を大きく受ける事を意味している。


 鎌倉時代は貴族から武士への勢力構図の移り変わりの時代の混乱期である。

鎌倉時代は鎌倉仏教と言われる新しい宗派や旧仏教が宗教活動を行い仏教界が活気に満ちた時代でもある。

このことは、仏像にも影響を与えたくさんの仏像が造られた。

 (美術の本9 中国/日本の美術 講談社 参照)
 (密教の美術 佐和隆研 平凡社 参照)



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2017年05月05日

古代ギリシアの哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート

古代ギリシアの哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート


プラトンは哲学史に多大な影響を与えた人物である。

それは、プラトンが書いたと言われる書物がたくさん残っており、後世の人が書物からプラトンの思想を読み取ることができることも1つの理由である。

また、プラトンは政治にも興味を持っていた。

理想の国家を作るためには、その統治者階級となるべき人には徹底した教育が必要であると考えた。

そのため、プラトンは、学園、アカデメイアを創設する。

学園でプラトンは理想国家の統治者になるべき人間を育てていく。

学園を作った事は、プラトンの思想をたくさんの人に知ってもらうきっかけともなるし、また、学園の創始者プラトンの思想に影響を受ける人も増えるのである。


 プラトンは幼少の頃からソクラテスと親交があり、ソクラテスの思想の影響を受けることになる。

その後、各地を旅し、いろんな人に出会い影響を受け、また、自分自身の哲学を作り出していく。

プラトンの功績はタレス以来のギリシア哲学を1つの集大成としてまとめあげた事にあるだろう。


 プラトン哲学の中心となる思想はイデア論である。

イデアとは形相の事で、視覚的なものと中身は違うと考えた。

例えば、美しいと感じる物があったとするなら、その美しいと感じる物のなかには、永遠不変の美のイデアが存在していると考えた。

また、イデアは高貴な神によって創造され、また、神の意志や思想を帯びたものであると考えられた。

この非現実的で神秘性を秘めたイデア論は後に、中世キリスト教の思想や教義とも結びついていくのである。


 アリストテレスもプラトンに影響を受けた人物の1人である。

イデア論はソクラテスが考え始め、プラトンが完成し、アリストテレスが引き継いで影響を受けた事になる。

アリストテレスは宇宙の万物は、神の影響の元にあり、また、神の意志によって動かされていると考えた。

このアリストテレスの神秘的な思想は、プラトンのイデア論の影響を受けていると見る事ができるだろう。


 しかし、アリストテレスの功績は、プラトン哲学を引き継いだことではなく、哲学や学問の世界に新たな道を作ったことである。

アリストテレスの学問領域はとても広く、様々な学問を紐解き、さかのぼって行くとアリストテレスに行き当たるのである。

万学の祖と言われる由縁である。

また、アリストテレスは豊富な知識をもとにヨーロッパで初めて学問の体系分類を試みた人物でもある。

そして、最大の功績と考えられるのは、哲学の分野に実証という概念をとり入れた事である。

それは、自然観測や観察をもとにして研究を行い、証拠を上げてから、理論を作っていく方法である。

プラトン哲学は実証性に掛けているが、アリストテレス哲学は実証性と神秘性を結びつけた哲学とも言える。

この実証的な学問のやり方は、現代でも通じるところがある。

哲学に実証の概念を取り入れた事から、そこから、自然科学と言う新しい学問分野も生まれてくる。

アリストテレスによってギリシア哲学は完成期を迎えたと言っても過言ではないであろう。


アウグスティヌスはプラトンの思想影響を大きく受けた人物の1人である。

アウグスティヌス哲学は、自然に関することはあまりなく、神や魂と言った神秘的な部分を重要視している所である。

この神秘的な部分がプラトンの影響を受けた部分と考えられる。

そして、アウグスティヌス哲学の特徴は、自然哲学を省いている変わりに時間の概念を取り入れている所である。

時間の概念を取り入れる事は歴史哲学に繋がっていく。

歴史哲学はギリシア哲学ではあまり考えられる事がなかった分野なので、ギリシア哲学に新しい要素を加えたとも見る事ができる。

時間と魂や神を考える哲学と言う事は、魂の行く末や人間の未来、歴史の行方、国家の行方などを考える事である。

人間の行方を考える所から、救済の問題も出てくる。

人間はどの様に生きていれば救われる事ができるのだろうかなどである。

この救済の概念から宗教哲学に発展していくのである。

そして、アウグスティヌス哲学は、中世キリスト教(カトリック)の教義と結びついていくのである。

そして、カトリック教会の教義は中世ヨーロッパ社会を思想的に支配して、ヨーロッパ中世社会形成の中核的役割を担っていくのである。

カトリック教会の教義が中世ヨーロッパ社会を支配した事は、カトリック教会の教義に影響を与えたアウグスティヌス哲学が一般の人々にまでその影響を与えた事を意味している。


 トマス・アクィナスは宗教と結び付つき形式化してきた哲学に新しい分野を切り開いた人である。

トマス・アクィナスの生まれた13世紀はキリスト教の教義が社会を支配し、ギリシアなどの異教徒の古典文化は危険視されていた時代である。

そのような時代の中、ギリシア哲学のアリストテレスの研究をしていきました。

トマス・アクィナスの功績はキリスト教とアリストテレス哲学とを結び付けたことであろう。

宗教と結びつき非現実的で形式化されてきた哲学の世界に、実証的で科学的なアリストテレス哲学をとり入れた事は新しい道を切り開き、また、停滞していた学問の発展を促すきっかけともなった。

また、異教徒のギリシア古典文化をとり入れた事は、後に始まる、ルネサンスの先駆となっているのかもしれない。


(西洋哲学史 今道友信 講談社 参照)(ギリシア・ポリス社会の哲学 岩崎充胤 未来社 参照)


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2017年04月07日

仏像の歴史変遷とは‐文学部史学科日本美術史リポート

仏像の歴史変遷とは‐文学部史学科日本美術史リポート


 日本は外国の文化の接取のために仏教を取り入れる。

その流れで、仏像も日本に入ってくる。

仏像に人は何を求めるのだろうか。

おそらく、安らぎや清らかさ、神秘性、ご利益感など、さまざまな概念を仏像に求めると思われる。


 仏教という宗教はインドで始まりいろんな国に伝わっていく。

国や地域性、捉え方の違いによって仏教は違った形で信仰されることになる。

それは、仏像も同じ事で、伝わった国や地域によって、仏像に求める姿や形が違ってくるのである。

日本でも、仏教伝来当初の仏像は、大陸的な様式の仏像だが、しかし、時代を重ねていく間に、徐々に日本的な独自の仏像が作られるようになる。


 飛鳥時代の代表的な仏像として奈良法隆寺の釈迦三尊像がある。

この仏像は、現存する最古の仏像と言われており、きわめてアジア的な日本の仏像とは様式の異なった仏像である。

釈迦三尊像の源流は従来北魏の仏像様式が百済から日本に伝わったと考えられてきたが、しかし、近年は中国南朝から百済、そして、日本へと仏像様式が伝わったとも考えられている。

細かい部分はまだ解明されていないが、大陸の仏像様式が百済経由で日本に伝えられたと考える事ができる。


 釈迦三尊像の特徴は、木製の台座の上に座禅を組んで座っている。

そして、両脇にはそれぞれ脇侍菩薩が配置されている。

台座の下側を底辺とし、舟形光背の頂点を結ぶと二等辺三角形の形になり、その中に三体の像が入る形となる。

見る人にとって安定感のある作りと言える。

仏像は全体的に痩せた細身感がある。

これは、日本の仏像の特徴である、ふくよかな肉体感のある仏像とは対照的な仏像と言える。

顔は、面長の印象を与える。

大きな鼻も印象的と言える。

目は杏仁形と言われる深く細長い目をしている。

口は大きな鼻のためか大きく感じる。

唇は仰月形と呼ばれるものである。

イメージとして聡明で高貴な感じのする顔立ちだと思う。


 飛鳥時代の仏像の特徴的な様式は以上げたような様式の仏像が多いと言える。

様式として日本的な特徴のある仏像の様式ではないため珍しいと言える。

しかし、その珍しさは私からみれば、神秘的な仏像というイメージをより与えてくれるものである。


 その他、飛鳥時代の代表的な仏像として百済観音像と夢殿観音像がある。

それぞれ、若干違った様式の仏像で、飛鳥様式の仏像でも、流派のようなものがあったと推測される。

百済観音像はクスノキの一木造りである。このクスノキの一本造りの技法は当時のとしては主流の造り方と言える。

百済観音像の私が見たイメージは、不気味な恐さがあったが、しかし、その中にやさしさを感じたイメージであった。

夢殿の観音菩薩像の特徴は厳格な左右対象と鋼のようにはりつめた線で構成された像身にある。

イメージとして、力強さを感じ、飛鳥仏像のイメージと少しかけ離れていた。

後、気になったのが、不思議でなんとも言えない笑みが特徴的だと言える。


 白鳳時代に入ると仏像にも変化が出てくる。

白鳳時代の仏像は日本人が知る仏像の姿に近くなり、日本的な仏像の原点を見る事ができるであろう。

歴史的にも仏教が外国のものから日本のものに変わってきた時代とも言える。

仏教も浸透を始め、国家政策とも結びつくようになってきた。

また、日本に仏教を伝え、影響を与え続けてきた百済が滅亡したことも大きな事件である。

このように、日本の内外で仏教を取り巻く環境が大きく変化したことも仏像の様式が変わってきたことと関連していると思える。


 全体的なイメージとして、顔は面長からやや丸みやふくらみがでてきた。

胴体に関してもややふくらみと丸みを帯びてきたように思われる。

素材は、木や銅以外に、塑や乾漆の像が作られるようになってくる。


 なぜ変化が起きた理由として、北魏の影響から唐の影響への変化が考えられる。

しかし、それ以外に私が思うに、国内の変化で、仏教に救済を求める思想が生まれたのではと考える。

そして、仏像に救済を求めるなら、細身な仏像より、ふくよかな仏像に対して安心感がでるのではと考えた。


 白鳳時代の代表的な作品として、法隆寺夢違観音像がある。

この像は悪い夢を良い夢に取り替える像として信仰された。

また、鋳造技術が高く、三面の宝冠と台座は別の鋳で、本体は1つの鋳で造られている。

見た感じのイメージは、しっかりした造りと体のラインがよくでていることである。

そして、率直な第1印象は雰囲気的に、日本の古代以前に出土されている土偶のイメージとだぶって見えた。

それは、神秘的でもあり、宇宙的なイメージでもある。


 天平時代は遣唐使などによる大陸文化の接取や律令国家体制の確立、平城京への遷都などに見られるように唐の影響を受けた時代である。

国家のシステムだけでなく仏教もまた唐の影響を受けたと推測される。

そして、国分寺の建設にみられるように、仏教に対しての鎮護国家思想が定着した時代である。

仏像も多数作られ、仏教の文化が花開き、仏教美術も最盛期を迎えたと言えるだろう。


 代表的なものとして、東大寺の建設とそれに伴う多数の仏像である。

有名な東大寺の大仏はこの時代に作られた。

東大寺の大仏から分かるように巨大な仏像を作る技術が進展した。

また、興福寺の阿修羅像に見られるような写実的な表情の変化もうまく捉える事ができる技術も進歩したと言えるだろう。

(美術の本9 中国/日本の美術 講談社 参照)(原色日本の美術2 法隆寺 久野健
鈴木嘉吉 小学館 参照)



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2017年02月18日

西洋の哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート

西洋の哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート


 デカルトの哲学史での位置付けは、デカルトが持つ精神、物質二元論や機械論的自然観などの思想が、近世哲学時代から近代哲学・近代科学へと移り変わる時代の根本的な基礎となったことであろう。

近代哲学はデカルトから始まったと言っても過言ではないであろう。

デカルトの二元論は絶対的な存在として神の存在を認め肯定している状態で、実態は精神と物体の2つであると考えた。

例え人間の体であっても、自然の一部であり、物体と捉える機械論的思想も含んでいる。

デカルト哲学は、機械論的世界観や科学研究を取り入れるなどの近代的な思想と非現実な神の存在を肯定する近世、中世的な思想とが混じった哲学と言えるだろう。

すなわち、近世と近代が混合した哲学といえる。


 デカルトは哲学のみでなく、あらゆる学問の共通の方法論を説いた。

それは、幾何学的、数学的なものは全ての学問に共通し、また、数学的なものから得られる原理は確実な知識であると考えた。

デカルトの数学的、神秘性を秘めたア・プリオリ的な経験に依存してなくても良い哲学は合理論と呼ばれ、のちの哲学家に影響を与えていく。

また、合理論は経験論と対立する。


 合理論と対立している思想の経験論とは、経験に依存することを必要とした考え方の思想である。


経験論は主にイギリスを中心として唱えられた説である。

この経験論を唱え、イギリス経験論の基礎を作り、哲学の世界に新しい流れを作ったと考えられている人物がロックである。

ロックはオックスフォード大学時代に哲学だけでなく、医学や自然科学も学んだと言われている。

また、医学者としての経験もあり、腕の良い臨床医として有名だった。

また、ボイルなどの有名な科学者とも親交があり、ボイルが行った科学実験にも参加し、科学に対しても強い関心があったと思われる。

すなわち、ロックと言う人物は医学と科学の知識を兼ね備えている人物と思われる。

ロック哲学は物事を医学的、科学的に見ることができる、観察と実験を重んじた実証的経験主義の哲学と言えるだろう。


 ロックは「人間悟性論」によって、イギリス経験論の基礎を作ったと言われている。

この著者の中では、神の存在を合理論的に認めているのだが、しかし、神から貰った悟性能力は、その後、その人次第で大きく変わっていくと考えた。

すなわち、神から与えられているものを人間が使うか使わないかなどは自由に決定する事ができ、また、どのように使っていくかは、人間が決めることである。

神は最初のきっかけを与えている存在にしか過ぎず、人間の進むべき道はその人の経験に依存していると考えた。


 また、「市民政府ニ論」のなかで、述べられている、市民より信託された権力を乱用する統治者に対して市民は抵抗する権利を持つとする考え方は名誉革命に理論的な根拠を与えただけでなく、近代ヨーロッパ市民社会の代表的な思想となる。

ロック哲学を簡単に述べると、人間の自由を解いた哲学と考える事ができる。

自由と言う言葉はさまざまな意味を含んでいるが、人間は決められたレールを歩く存在でないと言うことである。


 カントの哲学の世界に与えた影響は、大陸を中心とした合理論とイギリス経験論の2つを統合する形で新たに批判哲学を確立したことである。

カントによれば、これまでの形而上学は宇宙の根本的原理や物事の根源、魂、神の存在など、人間では回答を得る事ができないことを論理的に追求することを考えてきた学問である。

答えがでないことを追求していくのが形而上学であるので、学問として成立する事は難しいとカントは考えた。


 カントは従来の形而上学に反対する立場をとりながら、従来の形而上学と、現象の形式を問題とする数学的な形而上学との関係を明らかにすることを考えた。


 カントの考え方は、数学的な知識であっても、本来人間に生まれながら備わっている能力に依存している。

すなわち、数学的な判断は経験に依存していない総合的な判断だという考え方をしていた。

そして、この考え方をもとにして、カントが目指した形而上学は経験に依存しなくても総合判断が可能な新しい形而上学である。


 カントの形而上学はその後、フィヒテに受け継がれることになり、そして、発展していく。

また、カントの形而上学は現代の形而上学にも大きな影響をあたえていく。


 ヘーゲルはカント哲学の流れを受けて、新たにドイツ観念論哲学を大成した人物である。

しかし、ヘーゲルの哲学は同じカントの流れを汲む、フィヒテの超自我哲学やシェリングの同一哲学とは違った独自性のものであった。


 ヘーゲルの哲学は、弁証法哲学と言われ、事物を不変と捕らえ、その事物の内なる力によって、事物が動き、更なる発展を遂げながら進んでいくと捉えている。

この発展的運動の論理を説いた弁証法哲学は、まさに、歴史の論理であり、歴史哲学とも繋がっていくのである。

ヘーゲルの歴史哲学は後世に大きな影響を与えていく。


 ヘーゲルの哲学の世界での位置付けを考えると、古典的な哲学はヘーゲルによって完成されたと考えることもできる。

それは、ヘーゲルの弁証法哲学が、哲学、自然、歴史、宗教などあらゆる分野の精神活動の論理を説くことができるからである。


 本来答えが絶対にでない哲学を完成へと導いたヘーゲル、また、完成されたものを批判することで、新たな哲学がうまれていく。

それが、現代の哲学と言えるだろう。


(西洋哲学史 今道友信 講談社 参照)


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2016年11月08日

宗教改革が発生した時代背景とその理由‐キリスト教史リポート

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宗教改革が発生した時代背景とその理由‐キリスト教史リポート
 

 カトリック教会は長い年月を通じてキリスト教の本来持つであろうイエスの愛の意思とは全く違うものへと変化していた。

それは、キリスト教会の階級化や教皇絶対主義などの権力欲の増大や俗権力との結びつき、また、異端狩りや魔女狩りと言った暴力的な思想への結びつきなどである。

キリスト教は愛によって人を救う存在から一般市民を押さえつけて、自由を奪うものへとなってしまったのである。


 ヨーロッパ社会では中世を通じてキリスト教による精神的支配が続き、キリスト教の教義が全てとなった。

しかし、ヨーロッパでは14世紀ぐらいから、東方の進んだ文化やローマやギリシャの古典文化に対する認識が高まった。

いわゆる、ルネサンスを向かえて、あらゆる方面で新しい生き方が模索され始めた。

ルネサンスは、ゆうなれば、異教徒の文化を容認することである。

また、異教徒の文化を容認することは、異教徒の文化を認めないキリスト教の教義に反する行為でもある。

そして、教会の教えが全て正しいと信じられた時代が徐々に崩れていくことになる。

あらゆることに新しい生き方が模索され始めたヨーロッパ社会において、キリスト教本来の意味である、イエスの愛の言葉を説く宗教とは大きくかけ離れた権力欲と結びついたキリスト教に異を唱えるものが現れた。

これは、必然的な歴史の流れと考えることができる。

宗教改革が始まったルターの生きた16世紀は、カトリック教会に異を唱えることが可能となる宗教的思想がヨーロッパ社会に土台として造られていた事が以上の事柄で分かる。


 宗教改革の火付けとなったのは、ルターの95か条の提題である。

この95か条の提題により一般の民衆は、イエスの愛に満ちた教えを伝えるキリスト教のあるべきすがたを見たのだろう。

ここから、これまでの、キリスト教に不満を持っていた人たちに広まり、不満を持っていた人達によって宗教改革が行われるのである。

プロテスタントの大きな特徴は聖書を重んじる所にある。

聖書を改めて読み直すことによって、神は人を裁くものではなく、人を救い恵みを与える存在であることに気がついていく。

そして、聖書を重んじる事によってそれまで、キリスト教(カトリック)で行われていたことが聖書に順じた内容でないことが分かり、また、カトリック教会の権威は聖書とは関係が無いことが分かった。

カトリック教会の権威は聖書に裏付けされていないことが分かると、カトリック教会ではなくて、聖書に信仰の根拠を求める事となった。

この聖書を重んじる新しい思想はグーテンベルクの活版印刷の発明によって広く大衆に知れ渡る事となった。


 カトリックのミサは教会当初はおそらく、同じ信仰心があるもの同士が集る触れ合いの場であったはずである。

しかし、長い年月を刻むと、ミサは聖変化などの科学的根拠の無いあやしい儀式などを使って信者を縛り付ける存在へと変化していった。

カトリックのミサの儀式や教義は聖書に書かれていない関係のないものである。

告解もミサと同じで、本来は、迷える信者が神父に自分の罪からくる悩みを相談するためのものと考えられる。

しかし、長い年月を経て、罪を告白し、罪を許されるために、罰を与えられ、最終的には免罪符なるお金を要求する卑劣な手段へと変化していた。

これらの行いは、聖書とは全く関係のない教会の利だけを目的としたものである。


 教皇の位置についても、教皇の権威は聖書に裏付けされている事ではなく、教皇の権威はカトリック教会によって作られたものである。

ペテロがローマで殉教したことから、ローマ教会が殉教したペテロと結びついてペテロの後継者として権威を確立したことにある。

ここで、重要となるのは、ペテロがローマ司教として君臨したのではなく、ただ、たんに、ローマで殉教したにすぎないことである。

つまり、教皇の権威は聖書の記述によって裏付けされたことではない。

また、本当の意味でペテロとは関係ない教皇の権威はプロテスタントにとって、ローマの司教にしか過ぎないのである。


(キリスト教2000年史 いのちのことば社 井上政己 参照)


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2016年11月07日

イエスと新約聖書の構成に秘められた謎とは?(キリスト教史リポート)

イエスの歴史と新約聖書に隠された秘密に迫る

イエスと新約聖書の構成に秘められた謎とは?(キリスト教史リポート)

 イエスという1人の人間の本当の歴史を知ろうとすればするほど、真実の歴史を知ることは難しい。

これは、イエス以外の歴史上の人物の歴史を知ろうとした時も同じで真実の歴史を知る事は難しい。

現代から時代が過去へさかのぼれば、さかのぼるほど真実の歴史を知る事は難しい。


 イエスの歴史の場合は、イエス自身が宗教家なので、一般の歴史と比べて真実を知る事はなおさら困難である。

宗教的な観点からの歴史部分が中心となり、後世の人の都合のよい歴史に塗り替えられやすい特徴がある。

特に、キリスト教は教祖とされるイエス自身が確立した宗教とは言えず、後の人がイエスの教えを元に確立した宗教とである。

そのため、教祖としてのイエスを作らなければならない環境にある。

そして、イエス死後の後世のキリスト教徒は、イエスを神格化した。

これは、キリスト教を広めやすくするための、1つの作戦と見ることができる。

また、イエスの母マリアまでもが、処女伝説や降臨伝説などによって、神格化されている。

つまり、イエスと言う人間が後世の人達によって神として作られ、また、後世の人達によってイエスに、さまざまな付加解釈が付け加えられて、本当のイエスとは遠く離れた別の存在になっているのである。


 本当のイエスを知る手がかりは、ほとんどなく、新約聖書と僅かな資料のみである。

新約聖書はキリスト教の聖書であるが、教祖のイエスが作ったものではない。

後の人が作り上げた物なので、そのまま、イエスの教えだと受けとめるのは難しい。

また、キリスト教を伝道するための聖書なので、歴史書とは違う。そのため、新約聖書から本当のイエスを知る事は難しい。


 イエス死後のキリスト教の考えは、ペテロやパウロを主流とした思想である。

イエスは、十字架に掛けられて死んだ後、復活したと信じられていた。

実際にペテロは復活したイエスに最初に会った人間で、復活したイエスに、キリスト教の指導者とて励まされた。

また、パウロは復活したイエスに実際に合ったことがきっかけとなって、キリスト教反対の立場から急転してキリスト教を信仰したと言われている。

当時のイエス復活説を支持したキリスト教徒の考えでは、イエスは十字架に掛けられて死んだが、しかし、復活を遂げて永遠に生き続ける存在へと生まれ変わり、自分たちを導いてくれる神のような存在になった。

イエスが復活して生きているのだから、生前のイエスの言葉や歴史には、あまり興味を抱かないのである。

そして、このイエスが復活した考え方は後のキリスト教の主流の考えとなる。


 逆に、イエスは十字架に掛けられて死んでいるので、イエスの生前の言葉を重視した人々もいた。

この考え方にそって、イエスの生前の言葉を重視して作られたのが福音書の1つがマルコである。

これは、初めて作られた福音書で、パウロ的な思想に対して、批判的な視点で書かれているものである。

問題として、後のキリスト教会の主流がパウロ的な思想になったことである。

そうなると、イエスの生前に重点を置くマルコの存在が厄介なものへとなるのである。


 マタイもルカもマルコを土台として作られたものである。

マタイはキリスト教はイスラエルの本当の後継者という視点から書かれ、また、ルカはキリスト教会の発展に対応した状況下で作られた。

つまり、マタイもルカも製作者の意図や野望が盛りこまれた内容なのである。

つまり、マルコこそ、生前のイエスを知る手がかりになる重要な福音書だが、マタイとルカに挟まれた順番で聖書に記述されているために、人々の記憶には残りにくいのである。

人の記憶は、最初と最後はよく覚えているものである。(系列位置効果)


 キリスト教初期の段階で最大の異端とされたものに、グノーシス主義がある。

グノーシス主義の思想は、イエスは復活などしていなくて、ましてや、神でもなく、普通の卓越した人間であると考え、だれでもがんばればイエスのような人になれると考えた。

キリスト教では異端とされたが生前のイエスに重点を置く思想と見ることができる。

グノーシス主義のトマス福音書は114の生前のイエスの言葉を綴った作品と思われるので、生前のイエスを知るためには非常に貴重な文献と言えるだろう。

(キリスト教2000年史 いのちのことば社 井上政己 参照)


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2016年11月06日

ユダヤ教の律法主義が生まれたその理由とは‐キリスト教史リポート

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ユダヤ教の律法主義が生まれたその理由とは‐キリスト教史リポート

 ユダヤ教がいつ始まったのかを考えてみると、紀元前18世紀のアブラハムの時代まで坂登ることができるのだろか。

または、紀元前13世紀頃に現れたモーゼという指導者によってイスラエルの民がエジプトを脱出して、シナイ山で十戒を授かった時なのか。

それとも、旧約聖書が作れた時なのか。このようにいろいろ考えられるが、どれもしっくりとこないのである。

現代われわれが、ユダヤ教と認識している宗教とこれらユダヤ教が始まった頃に行われていた宗教では大きな違いがある事がしっくりこない理由である。

 イスラエルの民は長い歴史の中で、迫害や圧制などさまざまな苦難の道を歩んでいくが、その苦難の中から心の差さえとなる宗教の位置付けは絶対的なものになる。

苦難の中で、イスラエル民に宗教的な価値観が生まれて、それが育まれていくのだが、続く苦難の歴史の中で、ユダヤ教は変化を遂げることとなる。


 最初に、イスラエルの民の中で、本格的な宗教的価値観が生まれるのが紀元前13世紀のモーゼの時代と言われている。

イスラエルの民はパレスティナに住んでいたが飢餓が発生したときにその一部がエジプトへと移住した。

エジプトの支配下の中イスラエルの民は奴隷化されて、苦難の道を歩む。

そんな時、モーゼは神の声に従い、エジプトに住むイスラエルの民を引き連れてエジプトから脱出する。

紅海を渡り、荒野をさまよいながらシナイ半島の着き、シナイ山で神ヤハウェに出会い、神ヤハウェの民になる契約を交わし、そして、神ヤハウェから十戒を授かった。私が見た映画ではこの時、紅海が2つに割れて海底から脱出していた。インパクトのある忘れられない1シーンである。


 十戒は神ヤハウェの教えを説いたものである。

1.神はヤハウェだけである。

2.偶像を拝してはいけない。

3.神ヤハウェの名をみだりに唱えてはならない。

4.安息日を守る。

5.父母を敬う。

6.人を殺してはいけない。

7.姦淫するな。

8.盗みはするな。

9.隣人に対して偽証するな。

10貪欲になるな。である。


 十戒は神に祝福されているイスラエルの民への、神からの送り物的な恩恵の1つとして捉えられていた。

けっして、十戒は神の恩恵を受けるために守らなければならない規則ではなかった。


 その後、イスラエルの民はカナンの土地にたどり着き、そこに住んでいたペリシテ人との戦いに勝利して、カナンの土地に定住して、そこに王国を建てるのである。

王国は繁栄を極めるが、人の心も乱れ、最終的には王国は半分に分裂して、その両方の王国とも他国に滅ぼされることになる。


 そして、紀元前586年〜紀元前538年のバビロン捕囚などの苦難を体験したイスラエルの民は、自分たちの王国が滅び苦難に陥ったのは、ヤハウェとの十戒の契約を守らなかったから苦難に陥ったのではという思想が生まれた。

そして、ヤハウェとの契約を守れば自分たちは助かると考えた。

その中で、神との契約を守っている自分たちユダヤ教徒だけは苦難から解放され救われ、神の契約を守っていない後の人は滅びるなどの、自分たちは選ばれた民だと考える選民思想が生まれた。

そして、神の契約を守っていればいつか神が苦難から救ってくれるメシアをこの世に遣わしてくれるというメシア信仰を生み出すことになる。

また、神との契約を守らなかったので、王国が滅びたとの思想から、神との契約を守っていれば王国が滅びることはないとの考え方になった。

そこから、神との契約を厳守する律法主義が生まれた。ここから、現代認識されているユダヤ教がうまれたのである。

律法は神からの祝福ではなくて、祝福をうけるため条件へと変化したのである。


 以後もイスラエル民の苦難の歴史は続き、苦難の歴史の中で、イスラエル民の律法主義はますます深まっていくのである。

律法は限りなく細かい生活の部分にまで影響を与え、極端な形式主義も生まれてくるのある。

(ユダヤ教 ノーマン・ソロモン 岩波書店 参照)
 

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  • 2016年11月04日

    キリスト教とその可能性‐キリスト教史リポート

    5.jpg「教科書に載らない歴史」はここをクリック 高校で普段行っている授業の実践記録や日記集、研究など、教科書に載っている事だけを授業するなら教員なんていらない。誰も知らないことを授業で取り上げる事に意味がある。教科書では語れないことや取り扱って欲しい内容を取り揃える。教科書で語れない内容に真実や日本文化の素晴らしさが詰まっている。日本人としての心を取り戻す教育、その一部を紹介します。






    キリスト教とその可能性‐キリスト教史リポート

    現代の社会においてキリスト教は唯一絶対の真理ではなくなった。

    それは、自然科学の発達によって、これまで教えられてきたキリスト教の教義や儀式、価値観が現実のものではなく、間違いである点がいくつかでてきたからである。


     例えば、ローマ・カトリック的キリスト教では、地球を中心に世界が廻っていることが信じられていた(天動説)。

    しかし、科学は進歩して、人間は宇宙にまでその行動範囲を広めた。そうなると、現実では、地球は太陽の周りを廻る1惑星に過ぎないことが分かった(地動説)。

    こうなると、それまで教えられてきたキリスト教の教えが間違いであることが判明した。


     その他、聖母マリアが処女でイエスを生む確立である。

    もちろん、処女で妊娠する確立は0ではない。しかし、どんな場合でも、必ず精子と卵子の結合は必要で、けっして、精子と卵子の結合なしでは子供を宿すことは不可能である。

    生物学の発達は処女マリア信仰を否定できるものとなった。


     その他、生物学の進歩によって、人は神がお造りになったというキリスト教の教えに疑問が出てきた。

    この問題に関しては、現代の科学力でも科学的に100パーセントの確証は保証できないので、もしかしたら、キリスト教の教えが正しいのかもしれない。

    しかし、人間の進化が、原生生物から海の生物、海の生物が陸に上がり、猿、人、という流れで、進化の過程をたどったとされるダーウィンの進化論、また、最近注目されているウイルスによって生物が進化していくウイルス進化論。

    これらの理論は今現在の世の中で、一般的に知られ信じられている学説である。

    科学的な裏づけがまったくない、人間は神がお造りになったというキリスト教の教えは現代人にとっては、単なる空想論なのかもしれない。


     理論だけの科学的根拠のない空想的な教えに対して、現代の人間は心を動かされにくくなっている。

    人を納得させるためには理論だけでなく、科学的な裏付けが証拠として必要なのである。

    科学的な裏付けのないキリスト教に対して現代人(特にキリスト教国とされるヨーロッパやアメリカ)のキリスト教離れが進んでいる。

    もちろん、クリスマスや結婚式などの文化としてのキリスト教は廃れることはないが、しかし、キリスト教の教義や教え、毎週あるミサなどの宗教的な信仰としてのキリスト教は廃れつつある。


     しかし、他方で特にアフリカや韓国などではキリスト教が広まっている。

    近代時代、アフリカではヨーロッパ列強の植民地支配政策の1つとして、半ば押しつけられた形でキリスト教の布教が行われた。

    だが、植民地支配が終わった現代においても、アフリカではキリスト教が廃れるどころか、逆に広まりを見せている。

    ここにキリスト教の新たな可能性を見る事ができる。

    キリスト教ほど世界中に広まっている宗教は他には無い。

    おそらく、キリスト教には地球に住む人々の心になにかしらの気持ちを訴えかける事ができる大きな力が秘められているのだと思う。


     また、キリスト教の可能性として、人々に共通の意識を持たせる力がある事である。

    その成功例として、ヨーロッパ共同体(EU)がある。EUの統合が今のところ順調に進んでいるのはキリスト教の力が大きいのではと思われる。

    かつて、ローマ帝国として同じ国で同じ宗教を信仰し、それ以後も、宗派の違いはあるけれども、同じ宗教を信仰してきたことは、ヨーロッパ人としての共同概念を育て、1つの共同意識となっているのではないだろうか。

    この共同意識があるからこそ、ヨーロッパ共同体が存在できるのではと思う。

    多様な人の心を1つにまとめる時に宗教という存在が大きな力となる例と言えるだろう。


     私自身がこのような世界を望んでいるわけではないが、もし、キリスト教が世界中に広まり信仰の対象となれば、世界の人々に共通の意識が生まれる。

    そして、そこから世界中で共同意識が生まれてくるかもしれない。


     最後に、私が思うことは、今後のキリスト教の課題として、空想的な事柄をできるだけ強調することを止め、また、カトリック教会の権威付けのために作られた聖書の構成や教義を見直し、イエスの慈悲に満ちた言葉と生き様を正しく理解して広める必要があると思う。

    そうすることによって、今後も世界中で愛される宗教になると思う。

    (キリスト教2000年史 いのちのことば社 井上政己 参照)


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