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2017年05月20日

平安時代から鎌倉時代までの仏教美術について、通信教育課程文学部史学科(日本美術史リポート)





平安時代から鎌倉時代までの仏教美術について、通信教育課程文学部史学科(日本美術史リポート)


 平安時代前期は密教が全盛を極める。

それに伴って、仏像の様式も密教と関連したものが作られる。

密教の信仰では、仏の中心と考えられている大日如来だけでなく、その他の仏に対しても盛大に信仰が行われた。

これらのことは仏像美術にも大きな影響として現れ、仏像の種類は著しく多くなる時代でもある。


 密教の仏像の全体的な特色は仏像に大きさは求められず、仏像の形式的な雄大さの表現は必要がなくなり、仏像のモデルとなる仏の性格や力、特徴などを表現することが重要となっている。

また、密教が神秘的な祈祷法と仏像の力によって祈祷効果を高める性質をもった宗教なので、仏像には力強さが求められた。

力強い仏像を造るのに最適な技法として、一木彫成法が最適と考えられた。

平安前期は一木造りの仏教彫刻の時代とも言える。


  密教の中心となったのは空海である。

空海は嵯峨天皇から平安京を守るための1つの政策として、教王鎮国寺の建設を依頼された。

教王鎮国寺は空海の存命中には完成されなかったものの、空海が学び行っていた新しい仏教をしめすような仏像が多数存在している。

密教美術を考えた時、この教王鎮国寺は重要な存在と言えるだろう。

教王鎮国寺で創建当初に製作された密教を代表する貴重な仏像が講堂に多数存在している。

講堂の中は大日如来を中心とする5仏、4体の菩薩、5大明王、4天王などの仏像が配置されている。

これらの仏像の中で、不動明王を中心とする5大明王の仏像はこの堂内に安置されているのが日本で最初の作品だと言われている。

最初に相応しい日本を代表する名作である。

5大明王の仏像は、髪が逆立ち、顔は恐く怒りに満ち溢れ、牙を突き出し、ポーズも怒りを表現していると思わせた造りで、全体的に怒りをイメージして造られていると推測される。

しかし、顔や表情は恐いが、それとは対象的に体の作りは柔らかく、いたって普通の体付きをしている。

もし、効果的に怒りをイメージするなら、筋肉たっぷりの強そうで、もりもりした体付きの技法の造りかたが良いはずである。

だが、顔やポーズが怒りに満ち溢れていて、体つきは柔らかいという両極端な2面性とそのアンバランス感が逆に明王像の神秘的な力強さを作り上げているのかもしれない。

これらの仏像は一木造で製作されており、細かな造りや顔の表情など、高度な技法を必要とするものである。

また、一木造りでしか出せない雰囲気のすごさを実感した。


 平安時代後半になると、平安前期とは違った仏像の様式が造られ始めた。

時代的に藤原道長が権力の絶頂期に入り、貴族の文化は成熟期を向かえた。

貴族文化の影響を受けて仏像の様式も平安前期の力強さから貴族的な優雅さや繊細、調和、華やかさを重んじる新しい様式の仏像が造られた。

また、仏教では浄土教が発展し始めた。

平安前期なら仏門に入った人を対象にした解脱を助ける目的にした信仰の仏像、

しかし、浄土教の発展は、仏教の大乗仏教化と言うことであり、極楽住生を目的とする広く一般大衆にも影響を与えたことになる。

このことは、仏像に大きさを求める思想に繋がっていく。平安後期の仏像の特徴は優雅で大きな仏像と言えるだろう。


 仏像を造る技法も内側を空洞にした造り方に変わり、そして、十二世紀以後に入ると仏像に装飾化が加わってより華やかな仏像になっていった。

また、一木造りから寄木造に変わっていく。

寄木造は仏像の各パーツを別々に製作して、それを寄り合わせて一つの仏像を造る方法である。

メリットとしては、分業ができ、輸送がし易く、小さな材で造れ、失敗してもその部分を直せば良い等の利点がある。寄木造によって、仏像は手軽に造られるようになり、また、大きな仏像も造る事が可能となった。


 これらの平安後期の技法は定朝によって完成したと言われている。

定朝の代表的な作品として平等院鳳凰堂阿弥陀如来像がある。

見たイメージとしてやさしく、穏やかな感じで、救済をしてくれそうな感じがした。


 鎌倉時代に仏像様式が変化するきっかけとなったのが、東大寺や興福寺が焼けてしまった事である。

そして、その焼失した寺の再建事業を通じて多くの仏像の建造が必要となった事である。

その中で中心となったのが康慶や康慶の弟子や子供達のいわゆる康慶一派である。鎌倉時代の仏像の担い手は康慶一派が主流となっていく。


 鎌倉時代の仏像様式の特徴は写実性にある。

写実的な方法として、日本独自の手法でもある仏像の目に水晶を嵌めこむ玉眼という技法が用いられるようになった。

目に輝きを与えることによって、より写実性が増すというわけである。

鎌倉時代の仏像は平安前期の様式を思わせるものがあるが、しかし、それとは少し違い現実感を持った新しい様式の仏像と言える。

例えば、定慶が造ったと言われる興福寺の金剛力士像は怒りをイメージし、顔やポーズ以外にも体格や体の質までも怒りを表現した造りとなっている。

これは、平安前期の怒りとやわらかさのアンバランス感による神秘性とは異なり、姿全てで怒りを表現する力強さを感じる像である。

また、この像は南宋文化の影響も見られる。この時代は南宋文化の流入が激しくなりその影響は仏像の様式に変化を与えた。

また、東大寺の再建事業に際して、その総大工が南宋人である陳和卿が就任し、再建の中心的指導者が、南宋留学者で中国思想の禅の教えを広めた栄西である。

この事は、再建された東大寺は必然的に南宋の影響を大きく受ける事を意味している。


 鎌倉時代は貴族から武士への勢力構図の移り変わりの時代の混乱期である。

鎌倉時代は鎌倉仏教と言われる新しい宗派や旧仏教が宗教活動を行い仏教界が活気に満ちた時代でもある。

このことは、仏像にも影響を与えたくさんの仏像が造られた。

 (美術の本9 中国/日本の美術 講談社 参照)
 (密教の美術 佐和隆研 平凡社 参照)



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