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モンサンミッシェル最終!

<フランス紀行 10月21日(水)>

モンサンミッシェルの最終です。 下記写真集です。

今回は、モンサンミッシェルのまとめとお土産についてです。
お土産は、名物プラールおばさんのクッキーを買いました。
フランスのお菓子は全般的に香料が効いてるようですが
プラールおばさんのクッキーはサクサクと素朴な味わいで美味かったです。
     クッキーの試食もありました。

       モンサンミッシェル全景1・・・・⇒(画面クリックで拡大になります)

       モンサンミッシェル全景2

プラールおばさんのクッキーの看板
           (参道の入り口にありました)

クッキーの包み

クッキー

モンサンミッシュル散策-5

<フランス紀行 10月21日(水)>

今回は、モンサンミッシェル裏庭です。  

           裏庭も綺麗で見晴らしが最高です。






 

モンサンミッシェル散策-4

<フランス紀行 10月21日(水)>

モンサンミッシェル散策-の続きです。 

修道院

         修道院のこんな狭い路地を通っていく。




18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として
使用された。 その時、海からの荷物の運搬は、上の写真にある水車の中に
奴隷6人が入り、水車を回して、海からの荷物を持ち上げたそうです。

 

モンサンミッシェル散策-3

<フランス紀行 10月21日(水)>

モンサンミッシェル散策-の続きです。 


大天使ミカエル像(ここで天国行きかが地獄がを決めたとか)



            食堂
最上階の回廊の隣にある厳かな雰囲気の食堂。薄暗いが、両脇にある59の
小窓から光が差し込んでいる。ここで修道士たちは、静かに食事をし、
聖人伝などのを聞いた。修道院においては、食事も信仰生活の一つの儀式でした。

          貴賓室 
身分の高い人や尊い客人などをもてなした部屋。ここで食事が整えられ、
すぐ近くにトイレもあり、当時のVIP待遇だった。
この部屋もゴシック様式アーチ型の天井と葉型模様の装飾が優美。

モンサンミッシェルの歴史

モンサンミッシェルの歴史について、調べて見ました。
ジャンヌ・ダルクがどうして出てくるかは明確ではありませんが
なんか、関係はあるようですので、読んでみてください。

モン・サン・ミッシェルの言葉の意味
  ・モン … 山
  ・サン … 聖
  ・ミッシェル … ミカエル(神、大天使)


キラキラモン・サン=ミシェルの歴史 キラキラ
 
この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人
が信仰する聖地であった。
708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使・ミカエルから
「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い
信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。
ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く
命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。
翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて
愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信して
ここに礼拝堂を作ったのが始まりである。


カトリック教会などでは、ミカエルは大天使ミカエルあるいは聖ミカエルの称号で
呼ばれる。
日本ハリストス正教会では現代ギリシャ語とロシア語読みから転写し
神使ミハイルとよぶ。
また、英語の人名マイケル(Michael)、フランス語ミシェル(Michel)などは
この天使の名に由来する。

             大天使ミカエル像

ミカエルは旧約聖書外典である『エノク書』にもあらわれる。
『エノク書』は初期キリスト教徒たちの間で広く読まれ、新約聖書の
『ユダの手紙』や『ヨハネの黙示録』にもミカエルへの言及がみられる。
黙示録ではミカエルが天使を率いて赤い竜(サタン)と戦う場面が
描写されている。
新約聖書外典である『モーセの黙示録』ではモーセがシナイ山で十戒を受けたとき、
十戒を記した石板をモーセに渡したのはミカエルであるとされている。

また、ジャンヌ・ダルクに神の啓示を与えたのはミカエルだとされている。

カトリック教会ではミカエルはラファエル、ガブリエルと共に9月29日が祝い日になっており、
かつてイギリスの大学ではこの日が始業日であった。カトリック教会では
ミカエルにささげられた教会や修道院が492年に作られたカシノ山の聖堂
(イタリア)をはじめ多数つくられたが、もっとも有名なものとして
フランスのモン・サン・ミシェルがあげられる。

18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され、
その後荒廃していたが、ヴィクトル・ユゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、
1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。

キラキラ建築物キラキラ

修道院主要部はゴシック様式だが、内部はさまざまな中世の建築方式が混ざり
合って構成されている。
教会堂はカロリング期の様式で、身廊はノルマン様式(11〜12世紀)、
百年戦争後の1421年に破壊されたロマネスク様式の内陣は
フランボワイアン・ゴシック様式(15世紀半ば〜16世紀初頭)として再建された。
これら周囲を13世紀の重層構造の修道院建築と13〜15世紀の軍事施設が
取り囲んでいる。
ゴシック・リヴァイヴァル建築の鐘楼と尖塔は1897年に完成し、
その上に奉られた剣と秤を持つ金のミカエル像は彫刻家エマニュエル・フレミエに
よって製作された。深層部からは、岩山の上に幾層にもわたり建造され
続けた建築遺構も残る。

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

モンサンミッシェル散策-2

<フランス紀行 10月21日(水)>

モンサンミッシェル散策-の続きです。

荘厳な入り口

  モンサンミッシェルに登る階段途中

ジャンヌダルク像

    内部から見た窓

モンサンミッシェル散策-1

<フランス紀行 10月21日(水)>

旅行に行っての写真は、いつも携帯で! でした。
しかし、今回はフランスの写真をPCに取り込もうとした時
SDメモリーが破損しました。 復旧にトライするもダメでした。
メモリーの扱いは、要注意ですねぇ〜〜

そこで、ようやく娘のデジカメがらの写真を入手しましたので
前回に引き続き、フランス紀行を投稿します。

まずは、以前に投稿のモンサンミッシェルの内部散策です。⇒ 下記写真集です。
     ( 名物オムレツはモンサンミッシュル名物オムレツで確認 )




     モンサンミッシェル入り口(両脇におみやげ屋さん)

  中庭

  モンサンミッシェルから見た海(干潮)

モンサンミッシェル名物オムレツ

<フランス紀行 10月21日(水)>

モンサンミッシェルでの昼食は、近くのレストランで
プラールおばさんのオムレツをいただきました。

ふわっふわのプレーンオムレツです。⇒でっかぁ〜い!!
写真左のグラスと比較ください。

<味>
何も入っていません。玉子と水?だけ・・・ 味もあまりしません
中は、ふわふわで、泡が出てきます。
すごくかき混ぜるので、普段の2〜3倍になるとか

なんにも味がしない、ちょっと脂っこい、ただの卵焼きでしたぁ〜


フランス・パリのエッフェル塔

<フランス紀行 10月22日(木)>

10月22日は朝からパリ市内観光となった。
パリ市内の凱旋門・コンコルド広場・シャンゼリゼ通り
更には、イギリス・ダイアナ妃の亡くなった場所
を見て周り、定番のエッフェル塔での写真撮影となった。

これは、現地ツア〜に盛り込んであり、その場(シャン・ド・マルス公園)
にカメラマンがいて、着いたら直ぐ写真⇒その場で予約のシステムでした。

団体写真 15ユーロ( ¥140/1ユーロ ) 団体+個人 19ユーロ

写真は、その日の夕方ホテルに届けてもらいました。


        シャン・ド・マルス公園からのエッフェル塔

--------エッフェル塔の由来---------------------------------------------------------------------------------

フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造されるべくコンペティションが開かれた。
ここで、ギュスターヴ・エッフェルほか2者の案が採用になった。設計者がステファン・ソーヴェストル、モーリス・ケクランとされたり、エッフェルは工事を請け負ったにすぎないとされたりするが、当時ソーヴェストルとケクランは、2者ともエッフェル社の社員で、エッフェルとともにコンペに参加していた。最終的にはエッフェルが著作権者となり、この塔の名前の由来になった。

1886年6月3日、コンペティション最優秀作品として委員会が選んだのは3案あり、フェルディナン・デュテルとジャン・カミーユ・ルミジュの作品(美術館など)と、エッフェル、ソーヴエストル、ケクランらの設計図であった。
満場一致の採択であり、講評は「1889年の万国博覧階用に建てられる塔は決定的な特徴をもち、金属産業の独創的傑作として出現しなければならない。この目的に十分かなうのはエッフェル塔のみと思われる」であった。こうしてエッフェル塔建設が始まる。

建設は万博に間に合わせるため、2年2ヶ月という驚異的な速さで行われたが、1人の死者も出さなかった。
建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、現在は放送用アンテナが設置されたため、324mとなっている。展望台は3つあり、高さは57.6m、115.7m、276.1mである。第2展望台までは階段でも昇ることが可能。水圧エレベーターなど、当時の基本構造は今でも現役で稼動している。鋼製ではなく錬鉄製の塔である。塔の支点の下には水平に保つためのジャッキがある。

あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれた。反対派の文学者ギ・ド・モーパッサンは、エッフェル塔1階のレストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言っている。ここから、「エッフェル塔の嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」ということわざも生まれた。

なお万博後には来訪者も減ったことや、当初の契約から1909年には解体されようとしていたが、のちに軍事用の無線電波をエッフェル塔から送信することになり、そのため国防上重要な建築物ということで、現在に至るまで残っている。

現在ではパリを代表するシンボルとなっている。1991年この塔を含むパリのセーヌ川周辺は世界遺産として登録された。

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フランス(ロワール地方)シュノンソー城

<フランス紀行 10月20日(火)>

リヨンの町から300kmブルージュを経由し、更に160Kmロワール地方に着きました。
ここでは、ロワールの古城(シュノンソー城)を入館にて見学しました。

館内は、フランソワ1世の寝室・ルイ14世の居室・カトリーヌ・ド・メディシスの寝室

ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモンの寝室などなど、解説付きで観ていたので
全然飽きませんでした。  でも今となっては、もう忘れてしまってますね。
このブログ投稿にて、記憶を思い起こし思い出すことが出来ます。
更に、文献を紐解くことで、更に帰宅後の思い出としてます。


  シュノンソー城

      シュノンソー城

       ディアーヌの庭



--------文献情報-----------------------------------------------------------------
<シュノンソー城>
シュノンソー城 (Chateau de Chenonceau) は、フランスのアンドル=エ=ロワール県、
ロワール渓谷内のシュノンソーにある城。シェール川の古い製粉所跡に建てられており、
文献上に始めて登場したのは11世紀のことである。

< 歴史 >]
最初に建てられた邸宅は、1411年に持ち主のジャン・マルクが扇動罪に問われて、
国王軍により火をかけられた。彼は1430年代に、その場所に城と水車を再建した。
その後、彼の多額の負債を返済するため、相続者のピエール・マルクは1513年、
シャルル8世侍従のトマ・ボイエに城を売却した。ボイエは城をいったん壊し、
1515年から1521年にかけて新しい邸宅を建設した。仕事を時折見回ったのは彼の妻の
カトリーヌ・ブリコネーで、彼女はフランソワ1世を含むフランスの貴人を2度城に招待した。

<ディアーヌの庭>
カトリーヌの庭結局城は、国庫への債務のためボイエの息子によってフランソワ1世に献上された。
フランソワ1世が1547年に死ぬと、アンリ2世は城を愛妾のディアーヌ・ド・ポワチエに贈った。
ディアーヌ・ド・ポワチエは城と川沿いの眺めを非常に愛した。彼女はアーチ型の橋を建設し、
城を向こう岸と結んだ。庭園に花や野菜、果樹なども植えさせた。川岸に沿っているため氾濫に
備えるため石のテラスで補強され、4つの三角形が配置された洗練された庭が作られた。
ディアーヌは城主ではあったが所有権は王にあったため、長年の法的策略の結果、
1555年、ようやく城は彼女の資産となった。しかしアンリ2世が1559年に死ぬと、
彼の気の強い妻で摂政のカトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌを城から追い出した。

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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