<フランス紀行 10月20日(火)>
リヨンの町から300kmブルージュを経由し、更に160Kmロワール地方に着きました。
ここでは、ロワールの古城(シュノンソー城)を入館にて見学しました。
館内は、フランソワ1世の寝室・ルイ14世の居室・カトリーヌ・ド・メディシスの寝室
ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモンの寝室などなど、解説付きで観ていたので
全然飽きませんでした。 でも今となっては、もう忘れてしまってますね。
このブログ投稿にて、記憶を思い起こし思い出すことが出来ます。
更に、文献を紐解くことで、更に帰宅後の思い出としてます。 シュノンソー城
シュノンソー城
ディアーヌの庭
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<シュノンソー城>
シュノンソー城 (Chateau de Chenonceau) は、フランスのアンドル=エ=ロワール県、
ロワール渓谷内のシュノンソーにある城。シェール川の古い製粉所跡に建てられており、
文献上に始めて登場したのは11世紀のことである。
< 歴史 >]
最初に建てられた邸宅は、1411年に持ち主のジャン・マルクが扇動罪に問われて、
国王軍により火をかけられた。彼は1430年代に、その場所に城と水車を再建した。
その後、彼の多額の負債を返済するため、相続者のピエール・マルクは1513年、
シャルル8世侍従のトマ・ボイエに城を売却した。ボイエは城をいったん壊し、
1515年から1521年にかけて新しい邸宅を建設した。仕事を時折見回ったのは彼の妻の
カトリーヌ・ブリコネーで、彼女はフランソワ1世を含むフランスの貴人を2度城に招待した。
<ディアーヌの庭>
カトリーヌの庭結局城は、国庫への債務のためボイエの息子によってフランソワ1世に献上された。
フランソワ1世が1547年に死ぬと、アンリ2世は城を愛妾のディアーヌ・ド・ポワチエに贈った。
ディアーヌ・ド・ポワチエは城と川沿いの眺めを非常に愛した。彼女はアーチ型の橋を建設し、
城を向こう岸と結んだ。庭園に花や野菜、果樹なども植えさせた。川岸に沿っているため氾濫に
備えるため石のテラスで補強され、4つの三角形が配置された洗練された庭が作られた。
ディアーヌは城主ではあったが所有権は王にあったため、長年の法的策略の結果、
1555年、ようやく城は彼女の資産となった。しかしアンリ2世が1559年に死ぬと、
彼の気の強い妻で摂政のカトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌを城から追い出した。
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