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2017年05月05日

「テロリスト・黒い九月 ミュンヘン」ウィリアムホールデン、フランコネロ、

1972年のミュンヘンオリンピックでは、世界を震撼させたテロ事件が起こった。

イスラエル選手団が武装したパレスチナゲリラによって、人質に取られて殺害されたのである。

この事件をドキュメンタリータッチで描いた映画が「テロリスト黒い九月ミュンヘン」なのである。


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事件の前提としてヨルダンに拠点を置いていたパレスチナゲリラがヨルダン政府から血の粛清

を受けて大量虐殺されたことがあった。この事件のことをゲリラたちは、ブラックセプテンバー

すなわち黒い九月と呼んだのだ。そして闘争に行きづまったゲリラは過激な路線闘争へ傾斜

していく。その行動のひとつはミュンヘン事件だったのだ。

1972年9月5日払暁パレスチナゲリラたちは、ミュンヘンのオリンピック選手村にフェンスを乗り越えて

侵入した。

このとき犯人たちは警備員に目撃されているが、選手たちが夜遊びして朝帰りしたと勘違い

したのだ。

ゲリラの目的はイスラエル選手たちを人質にして、イスラエル政府に捕まった同志たちと交換

することにあった。

だがイスラエル選手団の宿舎に侵入するには成功したが、レスリングコーチのモシェワインバーグ

の抵抗にあいゲリラはワインバーグを殺害する。

事件の報告を受けたミュンヘン警察のシュライヒャー署長(ウイリアムホールデン)は

なんとか人質を救おうと奔走する。

そして連絡係として女性警備員(シャーリーナイト)を派遣する。女性なら犯人たちも話を

聞いてくれると考えたのだ。そしてテロリストのリーダー(フランコネロ)と交渉する。

リーダーの要求は拘束された同志たちの解放で、要求を受け入れなければ一人づつ人質を

殺害するという過酷なものだ。

シュライヒヤーは当然この要求を呑む立場ではなく、西ドイツ首相のブラントに伝えられた。

ブラントはイスラエル首相のゴルダメイアに犯人の要求を知らせるが一蹴された。

断じてテロリストに屈しないというものだった。西ドイツ政府は一方パレスチナゲリラに


影響力を持っているエジプト政府の協力を要請するが門前払いに遭う。しかしゲリラの

人質殺害のタイムリミットは刻一刻と迫っていた・・

地味な作品だが事件のアウトラインはかなり正確に描かれていて、この作品を見れば

ミュンヘンオリンピック事件の顛末がよくわかる。この事件が最悪の結末に終わったことで

対テロ用西ドイツの特殊部隊GSG9が誕生した。ゲリラのリーダーのネロがかっこよくて

アラブゲリラに見えない。女性警備員のシャーリーナイトは背が高くスタイルもよく美しい。

ホールデンの署長のくやしさもよく伝わってくる隠れた秀作である。

テロ問題に関心がある人におすすめの作品である。監督はウィリアムグレアム。

posted by ハヤテ at 12:25| 政治映画
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