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2019年01月01日

【PDF冊子】ディズニーの名言

ウォルト・ディズニー
アニメーター、プロデューサー、実業家、ミッキー・マウスの生みの親。
国: 米国
生: 1901年12月5日
没: 1966年12月15日(享年65歳)
1901年12月5日、イリノイ州シカゴに4番目の子として生まれる。一家はウォルトが幼い時にミズーリ州へ引っ越して農業を始める。父は子供達に対して愛情に欠けた厳格な態度で接し、親子は長年距離を置いていた。
ウォルトは少年時代から絵が好きで、動物や自然などを描いていた。小学校時代は父が新聞配達業を始めたため、6年間休むことなく朝3時半に起きて配達を手伝った。この経験により、「配達を忘れる」という夢を晩年に至るまで見ることになる。10歳でカンザスシティーへ引っ越すと、絵画教室で絵を学ぶ機会を得る。
その後、父が工場経営に加わるため、シカゴに戻る。ウォルトも高校に通いながら、美術学校の夜間部で絵を学ぶ生活を送っていた。
第一次世界大戦が勃発し、1917年にアメリカが参戦すると、愛国心に駆られたウォルトは学校を退学し陸軍に志願。若年のため、赤十字社の衛生兵として治療などに従事した。
大戦終結後、漫画家を目指し、カンザスシティーで新聞で漫画を描く仕事を請け負う。19歳でカンザスフィルム社にアニメーターとして雇用され、漫画からアニメへと興味が移っていった。
1920年、個人事務所を設立し、オリジナルアニメ作品を制作。良い評価を得て、仕事が順調に舞い込み、アニメ制作会社へと拡張。しかし、制作に没頭し、資金のやり繰りが乱雑になり、スタジオは倒産。ウォルトは再起を図ってハリウッドへ移住した。
ハリウッドでは兄のロイとディズニー・ブラザーズ社を設立。新人アニメーターも雇い、アニメ製作会社へと転進。これが実質的な「ディズニー社」の設立である。
会社の経営が軌道に乗り、1925年に結婚。実娘をもうけた後に養女を迎えた。忙しい生活を送りつつも、父親に愛されなかった反動もあり二人の娘を溺愛しながら育てた。
1927年、興行師の紹介で、自社キャラクター「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を主人公にしたアニメをユニバーサル配給で制作。オズワルドは人気キャラクターとなり、ディズニー社躍進のきっかけを作った。
https://bit.ly/2WSkf8p

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