戦後日本の「保守」がその滅びを加速する元年となった1983年は、
日本没落へのターニングポイントでもあった。
その数年後の1990年代に入るや、「保守」は、
竹山道雄ほか保守系知識人の物故・引退andその他の大変化が同時に起きて、
私(中川八洋)一人を残して完全に日本から消滅した。
日本国の存続にとって“日本を守る《保守》の死滅”は深刻で悲劇的な情況だが、
これを高笑いした男がいた。
福田和也である。
福田和也は、
タイトル「・・・保守は死んだ」での浅田彰との対談(『VOICE』誌、1996年9月号)で、
「ざまーみろ!日本」とばかり“保守消滅”宣言を発した。
文藝評論家・福田和也は中核派の北朝鮮人だが、その時代を見抜く眼光には並外れたものがある。
私は、福田和也と思想的には南極と北極ほどに乖離・対決しているが、
ドウルーズ崇拝の福田和也のこの結論だけは、唯一例外的に同感した。
私が、日本の保守の滅びに向かう衰えの急を直覚した最初は1984年だった。
そして、1991〜5年にかけ、「日本では、《保守》は殲滅され消滅した。
これからの日本は滅び一直線となる」と鬱鬱としていた。
だから、1996年の福田和也の“保守消滅”宣言には、傷口に塩を塗られる激痛を覚えた。
そればかりか、その頃、
「中川八洋を潰せば、日本の“保守”は完全にゼロだ!」
と福田和也が語っているとの風聞が私の耳に複数届けられた。
「民族系」と「保守」の間には天と地ほどの差異があると正確に理解していた福田和也にとって、
「民族系」が「保守ではない」ことなど自明であった。
「民族系」こそが“保守潰し”の尖兵部隊であることも、
福田和也にとっては朝飯前の常識に過ぎなかった。
日本の「保守の死滅」を、2017年前半の日本は改めて、絵に描いたように証明した。
日本における「保守の不在(臨終)」は1990年代半ばの確定事項だが、2017年の日本は、
それを再確認したことになる。
換言すれば、2017年前半の半年、特例法制定の過程に気を揉み怒りに手を震わせながら、
“日本における保守の不在”を痛感し慨嘆しなかった日本人とは、「保守でない」。
もちろん、「日本国民ですらない」。
特例法を一言も批判しなかった民族系三雑誌『正論』『WiLL』『Hanada』の実態
日本には、民族系雑誌が三誌ある。『正論』『WiLL』『Hanada』。
https://info-zero.jp/ebookdtl.php?ecd=79199
2017年07月09日
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