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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2017年08月31日

あのとき……

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安全地帯V 好きさ』八曲目、「あのとき……」です。

NHK「玉置浩二ショー」で、松井さんがゲストに招かれていたとき、青田さんが「安全地帯Vのなかで今一番歌いたい曲は?」とお聴きになったとき、玉置さんが答えたのが、この曲でした。

玉置さんと青田さんが出会ったのは、おそらく1990年ころでしょうから、この曲の「きみ」が青田さんであるはずはありません。ですから、青田さんとのどんな時間も、「あのとき」ではなかったはずなのです。

それなのに、玉置さんが、松井さんと青田さんの前で、いまいちばんこの曲を歌いたいと言ったことに、なにか因縁のようなものを感じてしまいます。そんなはずはない……いや、でも、しかし?……なんて反問するのも愚かしいほど、可能性はないでしょう。

青田さん、この曲がつくられたころは未成年でしょうし……玉置さんも「年下が好きなんです」とか何とか言ってごまかせそうな(ムリ)年齢はとうに超えていたことでしょう。

松井さんの『Friend』には、「女優との恋も彼にとってはすでに歌の物語になりつつあった」と記されています。ですから、この「きみ」は石原さんのことであって、「あのとき」とは石原さんとの恋で分岐点となったときのことだと考えるほうが、ずっと自然です。

「きみ」が青田さんであったなら……「あのとき」が青田さんとの出会いのころだったなら……この「玉置浩二ショー」の一幕は、そんなはずはないと思いつつ、ちょっと妄想をたくましくしてしまうワンシーンでした。おそらくわたくしが心の底で、「青田さんと松井さんの前で、石原さんのことを歌った歌を歌うなんて、そりゃーないぜ」と思っているから、反射的にそんな妄想をしたのでしょう。わたくしが過剰におセンチなだけで、世の中の人はもっとサバサバと「元カレ」とか「元カノ」とか言いまくっているのかもしれませんね。わたくしにはとてもそんなことできませんなあ。松井さんも苦笑するしかなかったように見えたのは、きっとわたくしの希望的観測ってやつでしょう(笑)。

さて、ようやく曲の話に入ります。

遠くから薄いシンセの音が聴こえてきて……エレクトリックピアノがジャン……ジャン……と二分音符で鳴らされ、半拍遅れて、なにか可愛らしい音色のアルペジオが入ります。このアルペジオが曲全体の基調を成しているものなんですが、情けないことにわたくしこの音色をなんと呼ぶのか知りません。シンセを丹念に一音一音チェックしていけば見つかりそうな音ではあります。なんとかスクエア、とかそんな名前でしょう。小鳥がさえずっているかのような、美しい音色です。

そして六土さんのベースが入り、玉置さんの歌が始まります。ベースはAメロの間ほとんど隠れています。そしてサビに入り、一気に惚れ惚れするような低音部を使ってリズムをとりますので、かなり目立ちます。これはベーシストになりたい!と思わせるに十分な演奏です。問題は、これからベーシストを目指すような少年はこういう曲を聴きそうもない、ということです(笑)。うーん、わたくし年少のころからさんざん安全地帯を聴いていましたが、ベーシストになりたいとは思いませんでした。ひととおりの楽器を体験し、自分で曲を作るようになって、大人になってずいぶん経ってからでないと、この魅力に気づくことができなかったのです。イヤハヤ……自分がボンクラすぎてイヤになります。「スティーブ・ハリスのベースラインこそがメイデンの曲をメイデンたらしめているんだよ」とか、したり顔で話している大バカでした。六土さん、あなたのベースは最高です。最高すぎて気が付きませんでした。

田中さんは、終始控えめなドラミングです。Aメロでは一小節に二回ずつだけ、ハイハットをわずかに鳴らしているのが聴こえます。サビでは、ハイハットを細かく……16分ですね、しかし、かなりかすかな音で、注意していないとうっかり聴き逃してしまいそうです。低音部でリズムをとる六土さんに合わせて強めに踏んだバス・ドラとリムの目立つ高音でリズムをとっていますので、ハットはかなり目立ちにくいように録音されています。なんと渋い……しかも、レコーディングはともかく、ライブでもこの音量バランスを再現するのですから、カミワザ級ですね。わたくし、こんなに静かにハイハットを刻めるドラマー、少なくとも身の回りにはいたことがありません。あ、ヘビメタばっかりやってたからそもそもドラマーも静かにハイハットを刻む機会がなかっただけなんですが(笑)。うーん、やろうと思えばできたのかもしれないですね。こういう「妙」とでもいうべき強弱の表現にわたくしが気が付いたのが、かなり後になってからのことだから、ほんとうはものすごい力量を持っていたドラマーなのに、わたくしが至らないばかりにそれに気づけなかった、といういことのほうが、よほどありそうなことです。すまなかったドラマーよ!そして、すみません、田中さん、あなたのドラムも最高なのに、ぜんぜん気が付きませんでした。

ところでギターのお二人なんですが、この曲では、もしかしてAメロではまるで弾いていないんじゃないかと思います。エレクトリック・ピアノと完全にタイミングを合わせてコードストロークをしているように聴こえないこともありませんが……ほとんど全体の演奏に溶け込んでいて聴こえないように思われます。サビの「あーのときー」の「あ」で、ジャイーンとコードを鳴らし、「いーとしさをー」の後に「トルルン」とアオリを入れているのは、比較的はっきり聴こえますので、この音色をたよりに聴いていくと、サビでは全体的にコードストロークとアオリをしていること、間奏のサックスの裏で細かいアルペジオが入っていることがわかります。しかし……わかりにくい……渋すぎです。間奏のアルペジオが矢萩さんで、サビのストロークは武沢さん、アオリはおそらくお二人で弾いているものと思われますが……自信がなさすぎて泣きそうです(笑)。

街でおいしいと評判のラーメン屋さんでも、カウンターにとつぜん海原雄山が座って「しょうゆラーメンをもてい!」とご宣下されたら、ふだんどんなに作りなれているラーメンでも「ほ、ほんとうにこれでいいのか?ねぎはこんな切り方でいいのか?」と、動揺してしまう……それと似た心境です、さっぱり意味が分からないたとえですが、要するに、ちょっとムリしようとして収拾が付かなくなっています(笑)。

さて、いまいちばんこの曲を歌いたい玉置さんですが、ライブ盤では、なんだか泣きそうな声で歌っているのが印象的なんです。「帰したく…ない……の……に……」は、ほんとうに帰したくなかったんだ!と、胸を衝かれます。これは、日本語がわからない人が聴いても「帰したくなかったんだ!」とわかるんじゃないか、というくらい真に迫っているんです。「歌の物語になった」、「あのとき」の出来事、心情は、このライブの時点では、まだ生々しかったに違いない……と思わざるを得ません。もちろんほんとうのことは玉置さんしか知りませんけれども、聴くほうがそうやって聴いてしまうんですね。玉置さんの、そして松井さんの、とてつもない力量によって、一通りの聴き方しかできないように追い込まれたと感じます。こんなに可愛らしい曲なのに、こんなにも切ないのです。「OKベイベー、わかったよ、そう、おれは日本語はわからないさ、でもこの曲は……そう、恋人が去って誰かが泣いているんだろう?それくらいわかるさ」とか、外国のタクシー運転手でも言いそうなくらい、普遍的失恋感の高い曲です。

帰らなくてはならなかったあのとき、もし、そこで何もかも後で始末をつける勇気を出せば、きっとふたりはこんな結末を迎えなかったはずなんだ……そこまでではなくとも、もう少し、ほんの少しだけ、瞳をみつめて思いを打ち明ければ……次のチャンスを待たずに、まさに「あのとき」にこそ言うことができていれば……

でも、それは後だからわかる事なのであって、リアルタイムでは「いま」が「あのとき」だとはけっしてわからないのです。

「Tonight is the night」と英語圏の人は言いますけど、英語話者だからといってそのタイミングがわかる、ということはありません。ただの景気づけに過ぎないものです。

きっと、世界中の誰もが想い出の中にもつ「あのとき」を、これ以上ない形で玉置さんと松井さんが表現した曲、といえるでしょう。このテーマなら、きっと世界中のどんなミュージシャンでも、この二人にはかなわないでしょうね。

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2017年08月27日

今夜はYES

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安全地帯V 好きさ』七曲目、「今夜はYES」です。アナログ盤ですとこれがB面一曲目になります。

冒頭の、ホーンセクションによる16分の刻みが、もうそれだけで勝ち!ってくらい印象的な曲です。なんでしょうね、ただ刻んだだけなのにこの魅力!そしてギターとのかけあい!これは基本的に矢萩さんが担当されているようです。映像で見る限り、武沢さんはひたすら刻んでいるように見えるからです。例によって手元はほとんど映してくれていませんので、手元以外のアクションで類推するしかないんですが……。

ライブ盤ですとギターが聴き取りづらいですのでスタジオ盤でよーく聴いてみると、右チャンネルからアオリというか、目立つギターの音が、玉置さんのボーカル、ホーンセクションとのかけあいをしています。そこで左チャンネルに耳を澄ますと、「シャリーン」とした音で、「ンシャシャシャッ!ンシャシャー!ンシャシャシャッ!ンシャシャー!(テキトーですみません)」というギターがほとんどひっきりなしに奏でられているのがわかります。おそらく、これが武沢さんだろう、とわたくし考えております。

うーん、武沢さんが上手(かみて)の立ち位置なんだから、右から聞こえてきてほしいんだけどなー、でもミックスの段階で矢萩さんのカケアイは右から聞こえてきたほうがいいと判断したのかもなー、ミックスってのも気を遣って大変だねー、とかのんきに思っているのですが、単にわたくしのDACが左右反対になっている不良品だという可能性もなくはないので(笑)、念のために部屋のオーディオでも鳴らしてみましたが、左右はPCと同じでした。ああよかった。部屋のオーディオもPCのDACも両方不良品だという可能性もまだ残されてはいますが、まあ、普通に考えてそれはないでしょう。あとは、わたくしがしたり顔で言っていた「この音が矢萩さんで、こっちが武沢さん」が実は逆なんだということのほうが、よっぽどありそうなことです。

完全に話がズレますが、おかげさまでというか何というか、ひさしぶりに部屋のオーディオを使いました。けっこう前の、ONKYOのCDシステムなんですが、これは便利だー!と思っていたのが何なんだろうと思うくらい、PCやらスマートフォンやらの音楽環境がよくなりましたね。こりゃーオーディオ業界も大変でしょう。まあ、もとはといえばPCメーカーやスマートフォンメーカーだってレコード会社だって、電器メーカーの系列会社だったりするわけですから、PCとスマートフォンのためにオーディオとレコードを犠牲にしただけなのかもしれませんね。その結果、Apple(とんび)にシェア(油揚げ)をドカンとさらわれたような気がしなくもありません。

閑話休題。さて、六土さんのベースが小気味よく「ボ・ンボ ボ・ンボ」を基調に、たまにオカズ的なヒネリフレーズを入れます。それだけなんですが、すごく存在感がありますよね。これは、おそらく音作りに秘密があります。おそらく、おそらくなんですが、アンプのトレブル(高音)を少し強めにしているのではないでしょうか。そうでなければ、いつもより速めにピッキングした(指弾きなので、何というべきかわからないですが、弦へのアタックスピードを速めた)のでしょう。音のハリが強めなんです。六土さんは、自分が目立とうなんて気はおそらくサラサラなく、この音がこの編成には最適だと判断されて、この、ボキボキ目の音を使われたのでしょうね。いや、これはバッチリすぎる音です。なぜそう言えるのかといいますと、わたくしがベーシストだった時には、どんな曲だろうとつねにこういう音でプレイしていたからです、目立つために(笑)。もちろん六土さんみたいに音作りがうまくはないので、いま聴くとペランペランのとんでもない音ですけども。

田中さんは、ひたすら八分です。何か変わったことやってるかな?と思ったんですが、わたしの耳でわかる範囲では(だからちっとも信頼感はないんですが)してませんでした。うーん、こういう目立つ音の多い曲では、そのほうがいいとお考えになったのかもしれません。わずかに、スネアの音を「ふつう→タイト気味→ふつう→タイト気味」と、ちょっと変えながら叩いているかな?と思わないんでもないんですが、「もしかしてそうかも」と思いながら聴いているとなんとなくそう聴こえてこなくもない、レベルの話ですから、あまりアテになりません。

おそらく、この、始終鳴っている「カカココカカココ」という、カウベルみたいな音があるために、ドラムはシンプルなほうがその音が引き立つとお考えになったのでしょう。で、そのカウベルみたいな音ですが、ライブでも聴こえるので誰が叩いているんだろう?と思って探してみました。うーん、田中さんの背中が映るときに、わたくしの田中さんチェックをかならず邪魔する人物(もちろんこれは立ち位置とカメラの問題であって、邪魔なんかしておりません)がいますね……そう、川島さんです。「夢になれ」のライブ映像でソロを見せてくれる、あのパッド、おそらくはデジタルパーカッションでしょう、で、このカウベルのような音を出しているものと思われます。川島さんの背中の揺れだけを根拠にそう判断しました。だってステージにカウベル叩いている人だれもいませんし……(人のことを邪魔呼ばわりしておきながら弱気)。

間奏が、また圧巻です。最後の、ホーンセクション、ギター、ベース、ドラムみんなのキメ連続に続けてホーンが上昇音階をたどるところなんて、胸の内部をわしづかみにされて喉から何かを引っ張り出されるんじゃないかと思うくらい、ゾクゾクッとします。書いていて気が付きました。わたくしこういうノリが大好物のようです。

さて、これらの強烈な音にちっとも負けていないのが玉置さんの歌です。「わたさない…!」なんて、ささやくようなのに力強いボーカルは、絶品の一言です。

六土さんの、ピッキングの速さでハリのある音を出す、という話を書いていて気が付いたのですが、もしかしてボーカルにも、そういう秘訣があるのかもしれません。「ドアのあかない」とか「抱き合いながら」とか、いま口ずさんでみたんですが、うまく口ずさめないんですよ。いや、わたくしがヘタなのはよくわかっているんですが、玉置さんのボーカルをよーく聴いていると、「あかない」の「あ」と「か」がほとんど同時に発音されているように聴こえるんです。おそらく「あ」をごく一瞬だけ、しかし明瞭に発声してから、あとはほどんど「か」を発声する……書いていて訳が分からなくなってきましたが(笑)、言ってみれば、抜群のリズム感と発声術を支えとして、このハリのあるボーカルを実現しているのでは?と、ふと思ったのです。ライブ映像では「抱き合いながら」のところで、「だきあ・いな・が・ら」と、玉置さんが意識して切りながら歌っている横顔が映るのですが、「いな」ってなんだよ、「いな」って!これだから天才ってやつは……と、常人を超えた言葉と声の操り方に、ほれぼれしてしまいます。もしかして、このリズム感覚こそが、玉置さんの「ささやくような声なのにハッキリ聴こえるもの凄いボーカル」の秘密なのかもしれません。

ところで「タイトな腰」で、玉置さんが腰をさするシーンがありまして、黄色い声が「キャー!」と上がるのですが、わたくしが同じ仕草をしても「大丈夫?どこかぶつけたんじゃない?」と言われて終わりになるに決まっているのです。なんだよ不公平だぞ同じ趣味なのに!それくらい、このときの玉置さんはキマッてます。ジゴロというかダンディというか、とにかく若さとセクシーさでサービスしまくりです。はっはっは、こりゃー現代の若手じゃちょっと勝ち目がないですねえ。現代ではそういう人しかメジャーデビューできてないんですから当然といや当然ですけど、このときの玉置さんは笑うしかないくらいの凄まじい魅力を放っています。

ところで、「レプリカント」って何でしょうね。『ブレードランナー』のアレでしょうか。未来都市……って、もう2017年なんだから、ぜんぜん未来じゃないんですけど、感情をもちはじめた奴隷アンドロイドのことだとしたら、松井さん、ちょっと皮肉が効きすぎです。2017年現在、奴隷アンドロイドがまだ開発されてないせいかどうか、私たち、わりと疲弊してます。そして、労働が終わった後、まだ地下鉄が走っているような時間ならばですが、地下鉄駅の出口から溢れるように、街に繰り出すこともあります……年に二回くらい(笑)。規制緩和で街はタクシーだらけ、ドアなんてこっちが手を挙げる前に開けてくれます。邪魔されずに踊りに行くようなダンスホールは、もうどこも閉鎖されていて……ああ、「クラブ」とやらがあるらしいですが、わたくし世代が知っているような地下のダンスホールへと続く階段はどこもシャッターが下りて、その手前にコンビニ弁当の残骸が残されているだけです。ああ、社会の変化と世代交代が、急に我が身に迫ってきたような気がして、ちょっと寝込みたくなってきました(笑)。

もっとも、わたくしアルミニウムの素敵な脚なんてもってませんから、これはきっと、80年代の夜の街にあふれたお嬢さんたちのことを言っているのでしょう。それが「レプリカント」……うん、やっぱり皮肉がかなり効いています。

夜遊び、と一言でいってしまえばそうなんですが、夜の街は、ある意味で人が成長する場でもあったのです。見栄に突き動かされて着飾ったり踊ったり、気のあるふりをしてみたり、ないふりをしてみたり、門限その他のルールを破ってみたりと、まさにひどいハシャギっぷりなんですが(笑)、そんな騒ぎの中で「知らない自分を知」る一瞬、というものが確かにあったような気が、しなくもないわけです。

これはスポーツでも芸術でも仕事でもなんでもそうなんじゃないかと思うんですが、何かに打ち込んでいるとき、人は自分のなかに眠っていた、あるいは気が付かないうちに蓄えられていた、ある種の才能を発掘することってないでしょうか。「あれっ、いつの間にかこんなことができるようになっている!」「私って〇〇向きだったんだ……」と。そうであれば、夜遊びだって事情は同じなのかもしれません。昼間はアンドロイドみたいにすまし顔の一人の女の子が、夜遊びに夢中になって、自分の中にある一面を開発されてゆく……どんな一面なのかは、もちろん人それぞれでしょうけども(笑)、そんなワンシーンを描いた歌詞であるように思われます。

そんな女の子に「YESだね」と叫ぶ玉置さん、何がどう「YES」なのかはさっぱりわかりませんが(笑)、ともかくご機嫌だということはよくわかります。まあ、玉置さんのことですから、ビルの谷間に設置されたバスケットゴールで3 on 3をして、ダンクシュートが決まって「YEEEES!」とか、そんなことは絶対ないでしょう。

「おおー、今夜もずいぶん遊んだねえ。楽しかったかい」

「ここからは、僕との時間だよ」

「YESだよね?」

とまあ、こんな感じで!

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2017年08月12日

ほゝえみ


安全地帯V 好きさ』六曲目「ほゝえみ」です。これがアナログ盤A面ラストの曲になります。

……なんでこんないい曲を作れるんでしょうね、安全地帯ってのは……わたくしが幼少のころに財津和夫の「切手のないおくりもの」を聴いて、美しいメロディーとはこういうものか!なんて心地いいんだ!と脳髄に叩き込まれていた快感を記憶の底から呼び起こした、美しいバラードです。

「歌うことがつらい作品もあったはずだった。しかし彼は、”そこ”を通らなければいけないことを、自分に言い聞かせているようだった」(松井五郎『Friend』より)

繰り返される「さよなら」は、石原さんへの「さよなら」なのでしょう。この歌を、OKが出るまで歌い続けるってどんな苦行でしょうか。”そこ”を作ったのは松井さん、あなたじゃないですか、とツッコミを入れたくもなるのですが、”そこ”は玉置さん自身の心の中に作るべき、ある区切りなのであって、松井さんはその区切りを歌詞という形で明確化させたにすぎないともいえるでしょう。「ぼくにとって、それが役目であり友情でもあった」(同上)という松井さんの言葉は、玉置さんの友人としてそうしなければならなかった、という意味と、玉置さんと一体化したかのような歌詞を書くアーティストとして、リスナーにリアルな玉置さんの心情を届けるべきであった、という意味の、二通りに読むことができます。

別れた恋人と、わりと接触を繰り返してしまう「いいお友達でいましょ」的なカップルはそれなりにいると思うのですが、それだって、心のどこかに折り目を入れる必要はあるでしょう。

同じ空の下にいるさ

あなたの笑顔を忘れずにいるよ

いいだろう?それだけは許してくれるよね?

なんだか、ぜんぜん折り目が入っていないように見えなくもないですが(笑)、折り目の入れ方というのは人それぞれでしょうし、これは絶対アウトだろう、という折り目の入れ方はあっても、正解はふたりの心の中にしかないのでしょう。ううー、早く忘れたーい、とか思っているようでは、まだまだ玉置さんの領域には達せません。折り目を入れるときは当然ですがとてもつらいですので、それどころじゃないですけど。

さて、この曲は、エレクトリック・ピアノだけの伴奏から、ベース、クリーン・トーンのアルペジオ、ストリングス、ドラムと入って、フル構成で盛り上げられていきます。

このクリーントーンの素晴らしさといったら!サビのアオリで、エレクトリック・ピアノのフレーズをなぞるんですが、明らかにギターの音こそがメインです。もちろん私がここまで興奮するのは、武沢トーンだからなんですけど、こんなクリーントーン、信じられないです。音圧がものすごいので、出音の大きいアンプを使っているのはもちろんでしょうけども、ごくごく浅くゲインをかけていると思います。ただ、そうすると、似た音にはなるんですが、わたくしのピッキングではどうしても少し歪みが出てしまいます。かといって、弱くピッキングするとこの音圧にはなりません(笑)。まだまだ研究ですねー。

ところで矢萩さんは、どうしていたのでしょう。耳を澄ませても、ほとんど聴こえてきません。ライブの映像で見る限り、アルペジオを弾いているように見えますが……正直、これはわたくし完敗です。スタジオ版ですと、武沢さんのアオリ直後に、ごーくわすかにギターっぽい音がするような気もするのですが、「おっこれかな?」と注意を向けて聴いていると、実は田中さんのハイハットだった……ということが繰り返されるばかりです。

しかし、ライブ盤ですと、武沢さんのアオリ音と違うアルペジオが、たしかに何度か聴こえるのです。これが矢萩さんでしょう。そう思ってライブ盤をよーく聴くと、アルペジオにアルペジオが絡んでいる、アオリも、よく聴くと左右から響いています。こ、これは……

おそらく、おそらくなんですが、これは、お二人が「風」や「…ふたり…」で披露してくれた、ダブル・アルペジオ・ショーなのではないでしょうか。ほとんど同じアルペジオで、アオリの前後だけ若干違うフレーズを弾いて、アオリではユニゾン……そう考えれば、アオリの音圧のすごさも、ちょっとだけ説明がつきます。つまり、ギター二本であの音を出していた、ということです。これが正しいと仮定しての話ですが、わたくし、武沢トーンに気をとられすぎて、同時に鳴っている矢萩さんの音には注意が向いていなかった、ということなのかもしれません。

さて、間奏と、ライブの後奏では、何かホーンがリードを採ってますよね。間奏は、なんだか以前武沢さんがギターシンセで出していた音みたいです。しかし、映像で見る限り、武沢さんはターナーを弾いています。そして後方で誰か一人、ホーンのかたに照明が当たっているのが確認できます。これはおそらく平原さんのサックス(ライブでは)なのでしょう。

このライブの後奏、メチャクチャ切ないですよね。明るめの音色、メロディーなのが、切ないです。必死に、必死に前に進もうとしている玉置さんに「大丈夫だよ」って平原さんが後ろから言っているかのようです。ライブでは、ここで玉置さんがマイクをスタンドのホルダーに戻し、客席に深々と頭を下げ、手を振って去っていきます。気が付くと、ステージにはもう誰もいない(わけないんですけど、引いたカメラの映像では、そう見えます)……そして照明が落ちます。

ここでライブが終わったわけはないですから、きっとお色直しなんでしょう(笑)。ただ、「ここで終わり」感がとても高い演出です。ライブはここで仕切り直し、CDもここで一枚目終わり、レコードでもここでA面終わりです。これを終わりとして受け入れるには、まだまだ時間的に物足りないんですが、この曲の強烈な仕切り直し感によって、いったん休憩を入れたくなります。ああ、これが一枚目最後の曲でよかった。この曲でなければ、絶対最後までアルバムを聴いてしまって、遅刻するに決まっています(笑)。

さてさて、歌詞と歌なんですが……切なすぎて、ぜんぜんお茶らける気になれない歌です。これはかなり気合を入れないといけません。それにしても……卑怯なくらい切ないです……。

別れによって失われたものが、夢に出てきそうで、眠れない、あるいは寝入るんだけど、悲しい夢によって目が覚めてしまい、眠り続けられない。

ここまでおセンチな気分になるなんて、どれだけ深く愛していたんだろう、と、想像するだに切なくなります。「あなたのせい」とささやく玉置さんは、ほんとうにはそんなこと思ってないんだよと、でもちょっとだけ意地悪なことを言わせておくれ、もう君のいない部屋なんだからさと、涙を浮かべながら言っているかのように聴こえます。実際には一人の部屋でこんなことブツブツ言っていたらちょっとおかしい人ですけど、ぜんぜんおかしく聴こえないんですね、この人が歌うと。玉置さんの歌は言葉であって言葉でない、独白であって独白でない、現実のどんなシーンでもないところで発せられる「思い」の発露としかいいようがありません。仮に失恋映画で、ポエムみたいな独白シーンがあったとしても、この歌詞を朗読するのはきっと滑稽でしょう。安全地帯の曲でなくては表現できない、何か特別の芸術としか言いようがありません。まあー、歌詞って本来みんなそうなんですけど(笑)、安全地帯の歌詞はとくにその度合いが高いように思われてまりません。

「夢になるから」で一気にクレッシェンドして入る最初の「さよなら」は、破壊力がかなり高いです。「うわー!泣かないでー!こっちまで泣けてきちゃう!」という気分になります。舘さんもチャイニーズティーなんか飲んでる場合じゃないですよ、この「さよなら」を聴きなさい!とか、うっかり言って、石原軍団に取り囲まれて取り調べを受けてもいいという気分です。

「ふたりみつけたもの」は、具体的には何なんでしょうかね。二人で散歩している最中に見つけた路地裏の喫茶店、とかかもしれませんし、そこで食べてものすごくおいしかったメニューかもしれません。つまり、そんな大したものじゃないはずなんです(笑)。よくある表現ではありますが、「何気ないもの」「何でもないようなもの」「いつもの風景に溶け込んだもの」なのでしょう。

わたくし、いわゆる「情」というものは、こうしたものの積み重ねにより増してゆくものだと思っています。高校生カップルが三年間の学校生活で共有した想い出、とか、そんなもん、なんぼのもんじゃいと思います(笑)。あ、いや、汗と泥にまみれて、喜びも悲しみもみんなこのグラウンドで僕たちは積み重ねてきたんだ……とかだったら失礼しました、それは別の物語ですので、どうかここではご勘弁ください。いわゆる男女とか家族とかの愛情ってやつは、いつのまにか「愛」の部分はアタリマエになって、普段はあんまり感じないものになってしまうような気がするんです。そこでモノをいうのが、積み重ねてきた「情」なんだと思います。

「さよなら」を繰り返し、「最後のさよなら」で、必死で気持ちに折り目を入れようとする玉置さん、という演出なんでしょうけども、そんな演出、一見残酷すぎます。でも、これが松井さんの「役目」であり、「友情」であったのです。気持ちに折り目を入れるんだ!君は先に進むんだ。さあ、立つために、いったんここではしっかり転ばないといけないよ!……こんなセリフを、失意の友人に言えるでしょうか。わたくし、これに近いことを、一度だけしたことがございます。その友人は大事すぎる友人でしたから、そして、その役目を果たせるのは私しかいませんでしたから、そういたしました。「女なんて星の数ほどいるさ、元気出せよ」なんてのは、目をそらそしてごまかそうとしているだけなんですね。その友人にとって大事なのは「女」じゃなくて、「彼女」だったからです。

「消さない」で半音上げ、曲は最後のサビへと向かいます。もう、「さよなら」は歌いません。折り目を過ぎたからです。「同じ空の下にいるけれども、傍にはいない」彼女を受け容れ、主人公は前を向きます。「微笑み」を忘れないと誓いつつ。

きれいさっぱり忘れるぜー!というのはムリなんですね。情があるから。逆に言うと、大して情のない段階で別れていれば、きれいさっぱりに近いくらい忘れることは可能でしょう。「春に出会って春に別れるコメディー」をやってしまったことのあるワタクシはよく存じ上げております(笑)。

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2017年08月09日

乱反射

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安全地帯V 好きさ』五曲目、「乱反射」です。

最初に野暮なことわりを入れないといけないのですが、2011年になにか『乱反射』なる映画があったようで、それがわりと若い人向けに流行ったものっぽいものらしいのです。

このページは安全地帯の「乱反射」という1986年の曲を語るページです。2011年の映画の話はこちらへどうぞ。

さて、いきなりタイトルがみごとな比喩ですね。アノ様子が乱反射だなんて。歌詞もアレンジも、完全にアノ様子です。疑う余地がありません。

そんなわけで、青春映画の情報を検索で求めて迷い込んだような方々には、ぜひともお引き取り願う必要があるわけです(笑)。

デビッドボウイの「China Girl」はなぜ「Chinese Girl」でないのか?とか話せる友人がほしくて得られなかったわたくしが、数十年を経てやっとネット上で思い切り好きな音楽の話を書きまくる場を手に入れたというのに、そんな生まれも育ちも思い切り違いそうな趣味嗜好の人に「イヤらしい話を読まされて傷つきました、謝ってください」とか言われたくないです。ちなみになぜ「Chinese Girl」でないのかは知りませんが(笑)、レイヴォーンのギターに聴き惚れている間に曲は終わります。大丈夫です。

さすがにもう大丈夫ですよね。

前奏で、不穏なアルペジオを奏でるシンセに乗せた、これまた不穏な音色の主旋律がありますね。これ、何の音なんでしょう。普通に考えればこれもシンセなんですが、もしや、もしや、これはギターなのではないでしょうか。これ、武沢トーンの響き……だと思うんですよ。単にこの頃にはシンセが進化して、武沢さんが出したかった音がシンセでも出せるようになってきた、というだけのことかもしれませんが、わたくしにはこれは「La-La-La」の間奏でずーっと繰り返されてきたあの音色に聴こえるのです。あー、こんな言わなくていいこと言うから、耳が悪いってバレちゃうんだよなー。でもいいんです。耳が悪いのもアホなのも、隠すために記事を書いているわけではないですから。ギターを弾く人はギターが下手なのを隠すために弾いているわけではないでしょう。隠すためなら弾かなければいいんです。中学生が仲間内で見栄を張るのとは違うんですね。うーん、なんでしょうかね、二十代後半くらいからその手の見栄がなくなってくるんです。これを枯れるというんですけども。十代や二十代の子に見られるあのキラキラ感は、もしかして見栄の輝きなのかもしれませんね。見栄を張るならデビッドボウイとか聴いて音楽通ぶればいいのに、そうしないのが若いころのわたくしとは違うところです(笑)。

話がすっかりボウイにそれました。えーと、まだ前奏でしたね。この前奏では、六土さんのベースが、まるでフレットがないんじゃないかというくらいウネウネとうねります。これはイヤらしい!ドラムも……この「ガシャンシャン!」と左右に響くこの音は、通常のドラムセットにはない音ですので、田中さんとは別の方がパーカッション担当でこの音を出しているものと思われます。これがまた……ああ、いわゆる神のデザイン風の解釈になってしまいますが、もう右へ左へと心を騒めかせる、あのドギマギした心情にしか聴こえてこないわけです。

だいたいここは、コード進行からしてEフラット→Dフラットの繰り返しという、もう目は一点しか見ていないのに心は左右に揺さぶられっぱなし、という心境を表現するのにこの上ないくらい単純かつ不穏なコード進行なのです。これは、作詞と作曲を別の人がやったとはにわかに信じられないシンクロ具合です。久しぶりに書くと、玉置さんと松井さんが完全に一体化しているんですね。もはや双子としか思えません(笑)。

さてさて、田中さんの派手なスネアで歌に入りまして、のっけから「ばらけたキス」です。これはもう、言葉の選び方だけでノックアウトと言っていいでしょう。ことばの意味だけでいえば「ほどける」でもいいんですけど、玉置さんが最初に「ばあっ!」と息を吐くように叫ぶのがポイントなんですね。「ほうっ!」ではやる気が半減します(笑)。

碧い素肌に血が滲んだりしている間に、矢萩さんが「床の下のド根性」な細かい刻みで、気が急いて急いて仕方ない心情を見事に表現します。武沢さんは「シャーン……シャーン……」と沈静していると思ってたら「トルル!トルル!」と、これ以上ない武沢トーンにディレイをかけた大音量で感情の起伏を聴かせてくれます。六土さんは「ンドゥ!ドゥ!ンドゥ!ドゥ!」と低い呼吸を、田中さんは大きめのバスドラの音と小さめながら鋭いスネアの音を組み合わせて高鳴る鼓動を、それぞれ表現しているかのようです。これはひどい、完全にアノ時です(笑)。アッチ方面に完璧すぎて恐怖を覚えるほどのアレンジ及び演奏です。

気が急いて胸が高鳴っているんですが、運動会で「次は僕の番だ、ううー緊張するなあ」とか、合格発表で「〇〇番、あってくれ!お願いだ!」とかの高鳴りじゃないんですね。そういう場面でこの曲が頭に流れる人は、人生というものをもう一度冷静に見つめなおすことをお勧めいたします(笑)。大好きなあの娘に愛の告白をすべく電話をかける6700的な高鳴りとも違います。どっちかというと、その後待ち合わせの場所であの娘が来るのを待っている間の高鳴りに近いでしょう。来るのはわかっているし、することもわかっているんだけど、それでもなぜか胸が騒めく、落ち着かない、そういう心情です。

脳科学的に測定した結果、いずれも同じ部位が反応していることが判明しました、とかだったらコケちゃいますけど(笑)、違うんだよアノ時はあー!と声高に主張する人も立証しようと実験と測定をする人もいないでしょうから、おそらくこれは謎のままでしょうね。そういう内容の論文で英国科学雑誌『ネイチャー』に掲載されました、とか日本の新聞で報道されでもしたら、科学者としては甚だ不本意な形で有名になってしまう可能性があります(笑)。

さて曲はBメロに移り、リズム隊が八分刻みに移行します。これで一気呵成なスピード感が演出されます。もう、どうにもできない、どうにもならない、いや、どうにかはなっているんですけど、それ以外どうしようもないっていうか、何か天変地異でも起こらない限り止まらない心情に至っています。

しかし、ここはまだ「狂いはじめてる」とか描写しているくらいには、まだ余裕があったのです。サビの「だめに!だ!だめに!」とか、日本語がこわれるようになると、ああー、もう余裕ゼロだねーとよくわかります。「Down」とか、珍しい英語が混じるようになるとさらにいけません。松井さんの天才ぶりが、日本語を壊すという手法を用いることでいかんなく発揮されているのです。ドリフの「ニンニキニキニキ」のように、はじめから壊れているのとはワケが違います。いや、あれも天才的だと思いますが、松井さんの天才っぷりがそれをはるかに上回ったというべきでしょう。

しかし、こわれた日本語に混ぜて「ただの女になる」って、玉置さんが歌うと、ただごとじゃない感が恐ろしく高いですね。選挙で「わたしを男にしてください!」とか「無垢な少女が恥じらいながら初めて女になっていく」とかではありません。あ、冷静に考えたらそっちのほうが割とただごとじゃないんですけど(笑)、玉置さんのような、なんというか、野生というか自然というか、そういうピュアだけど獰猛な何かを隠し持ってそうな人が、ぼくと同じフィールドにおいでよ、と誘っているかのようなんです。そのフィールドでは、あらゆる社会的なラベルは外され、ただの男、ただの女、だけが残る、そんなイメージです。まあ、アッチ方面ですから当然といえば当然なんですけど(笑)、この、虚飾を排するときの徹底ぶりが圧倒的すぎて、選挙とかの社会的作りごとが煩わしいこととして吹き飛ばされるくらいなのだろう、と思わせるのです。

さて、歌は二番に入りますが、興奮していささか語りすぎてしまったようです(笑)。軽く語ることを心がけてまいりましょう。

ゆびは恥じらっているのに、胸が渇いて泣くって、想像するだに生々しいです。「心が笑う」というのも、土曜の夜にドリフのコントを観てゲラゲラ笑うのとは違います。あれは笑おうと待ち構えて笑いますよね。この歌での「心が笑う」は、「心が喜ぶ」に近いのでしょう。喜んではいるけれど、わたしの中のもう一人の自分は冷めている、だから心から喜んでなどいない、なんて比喩が成立するくらい、全員全霊で喜ぶというのは、実は難しいことです。

玉置さんが、というか松井さんが意図しているのは、おそらく、こういう余裕すらなくした喜び、を表現することなのではないでしょうか。ゆびが恥じらっているというのは、まだ余裕があるのです。「だめになる」「迷いもこなごな」と、いろいろな表現で、この余裕をなくして全身全霊が喜んでゆく過程を表現している……ように思われるのです。

さて、曲はまた前奏と同じ……このまま終わるのか、と思いきや、玉置さんが何事か囁きます。「そばにいて……」などと、歯の浮くようなセリフですが、これはどう考えてもかけひきではありません、本気です(笑)。それが証拠にというかなんというか、また歌が始まるのです。全身全霊で「よろこぶ顔」のふたりを、妬んでいる「奴は誰だ!」と、強いセリフです。まるで外敵を追い払うライオンのようです。これは獰猛です。田中さんの鋭いフィルインを挟み、「na tili, nan na tili!」と、意味のない歌詞で歌う玉置さんが、猛獣のようなピュアさ、力強さ、貪欲さを表現しています。時折遠吠えのような声さえ織り込まれているのです。オーバー・ドライブの効いた矢萩さんの粘っこいソロが、しなやかな猛獣の疾走を思わせます。このアレンジの徹底っぷりたるや!そして曲はフェードアウトしてゆきますが、これは終わるべきでない曲ですので、これしかないでしょう。

おそらく、過去最長の記事を書いてしまいました。この曲はもっともっと評価されるべき曲だとわたくしが信じているからです。ただ、いかに「このエロさがすごいか」を評価しよう!というのもとても憚られますので、安全地帯のファン界隈でもあまり話題に上らない曲になってしまっていそうな感じがします。もったいない!こんなにエロいのに!(笑)。エロさ抜きでも、もちろん一線級の曲だと思います。

安全地帯5 [ 安全地帯 ]

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