『安全地帯 アナザー・コレクション』七曲目、「ノーコメント」です。「悲しみにさよなら」カップリングですから、安全地帯カップリング界の王者「We're alive」に次ぐ有名度を誇る曲……のはず……なんですが、これがぜんぜん有名でないですね(笑)。
玉置さんが石原さんとの正念場を迎えていたころ、週刊誌やワイドショーは現代における報道態度と同じく、過度に煽情的で無責任極まりない態度で二人の関係をはやし立てていました。松井さんは、「ふたりはついていなかった」と書き残していらっしゃいます(『Friend』より)。どんな恋人たちにだって、ふたりだけで静かに愛を育む時間と空間が必要なのに、それが全く与えられなかったわけですから。そんなのそこらの高校生だってある程度はわきまえているものなんですが、わきまえていない人の小銭を広く浅くねらった商売が成り立つ時代だったわけです。そのうすーい悪意と興味本位の関心が日本中から集中し、ふたりは疲弊していきます。
そんなふたりの関係を詮索する目に対抗してるんだ!という玉置さんの態度すら歌にしてしまう玉置・松井コンビおそるべしといわなくてはなりません。曲はダン!ツツダンダンダン!ダン!ツツダンダンダン!というリズムにあわせ、ギターのカッティング、トーンチェンジしまくりのキメの応酬、ベース主導のショートブレイクの連続、と、音を追うだけでも非常に疲れます。これは「一度だけ」「FIEST LOVE TWICE」などでみられる、おそらくは安全地帯ビッグバンド時代からの伝統であるギターアンサンブル路線と軌道を一にしています。それなのに玉置さんのボーカルとコーラスだけが「悲しみにさよなら」時代の安全地帯ですので、一種独特の緊張感で張り詰めています。
思えば『安全地帯IV』に収録されている「デリカシー」「合言葉」「こしゃくなTEL」「彼女は何かを知っている」といったようなギターバンド完成!といった曲たちとテンションは酷似しているんですが、この曲がアルバム入りしなかったのはまあ仕方ないですね。歌詞の趣が違いすぎて、アルバムのストーリー性が歪んでしまいます。ですから、マスコミがうるさいから特別に作った曲的な孤高のポジションを持っている曲です。
そんなマスコミ対策曲、というか、逆にマスコミを茶化していて遊んでるんじゃないのかという余裕すら見せるかのようなこの曲なんですが、その後の顛末を知っていればふたりはもうギリギリ、崩壊の瀬戸際に立たされていたことは明らかでした。ですから、松井さんとしては、マスコミってしょうがねえよな、ノーコメントだ!で押し通しちゃいなよ!という励ましの気持ちで書かれた歌詞なのではないのかと思われます。
曲はリズムで緊張感たっぷりのイントロから、歌に入ります。好奇心は「金と銀」、ふたりは「白と黒」、モノクロームの恋人たちには金銀の視線は痛すぎます。ギターの「ベペレッペー!」というフレーズに切り取られた鮮やかな対比だけを印象に残し、Aメロはすぐに終わり、ものすごい展開の速さでBメロ、サビに突入します。
噂なんてどうでもいい、本当のことは風にでも聞いてみればいい。俺には訊くな、という突き放しにも思えますが必ずしもそうではないでしょう。じつは本当のことを知っているのは風だけなのかもしれない、本人たちにだってちゃんとした言葉でわかるように説明できるとは限らないし、そういう義理もないんだから、という、松井さん一流のアイロニーとロマンティシズムあふれる表現であるように思えるのです。「風」は落語の世界では芸「風」という意味でもあるのですから、玉置さんと石原さんのパフォーマンスをよく見ていれば、本人たちの口からきくより(そんなの「みんなノーコメント」にきまってるわけです)正確に分かるかもしれないよ、という「風」流なアイロニーを利かせてすらいるのかもしれません。
曲は二番に入りまして、「罪と罰」「光と影」という対比をギターで切り取る手法は一番と同じ、Bメロに聞き捨てならない「ことばでうなずければ泣いたりはしない」というセリフが登場します。ことばはあまりに不完全で、ことばがふたりの傷をいやすことはなさそうなのに、ステージを降りたふたりはことばでお互いを励ましあうしかなかったのです。
サビはまたノーコメント、つまり自分たちにもわからないよ、わかっていたって答えるとは限らないよ、という、はやしたてられるふたりの心境をファルセットで絞り出すように吐露します。曲は一瞬止まり、田中さんのフィルインに、矢萩さんがギターのアーミングで出したのかなにやら突風のような音とともに間奏が始まります。ギターの掛け合いなんですが、あんまりちゃんとしたメロディーを奏でる気が感じられず、冒頭のトリル以外は基本バッキングプラスアルファの咆哮だけです。「ノーコメント」ですから、ギターで雄弁に「みなさんこんにちは〜ぼくたちラブラブですよ〜」とか語るのも変ですので(笑)、これで正しいように思います。
間奏のあと、Bメロからサビを二回繰り返し、曲はまた一瞬止まってアウトロ、真相を知らせないまま去ってゆくかのようにフェイドアウトしていきます。愛しているのか愛されているのか、何をしたのか何処へ行くのか、そんなことどうでもいいじゃないですか。だけども人は知りたがるのです。わたくしも多少は知りたいけども訊きません。週刊誌も買いません、床屋や定食屋でみるだけです(笑)。ネットで検索もしませんって、当時はそんなものなかったですから、知りたいことはみんな文字ベース紙ベース音声ベースです。だからラジオをかけっぱなしにしているし、コンビニやキヨスクにはスポーツ新聞や週刊誌がこれでもかと並んでいたのです。全部立ち読みすれば何かは引っ掛かります。
なお『ONE NIGHT THEATER』には、サングラスの男たちに追いかけられマイクを向けられる玉置さんが「ノーコメント!」というそぶりをするというマンガみたいな映像が収められています。きみたちそんな仕事していて虚しくならないの?と思わされる映像なんですが、彼らにも生活があり、その生活を成り立たせるだけの需要もあったのです。ですから、ふたりを追い詰めたのは彼らでもあったのですが、彼らを支えていたのは「みんな」なのだということは、わたしたちはよくよく心得ていなくてはならないでしょう。
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