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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2022年02月12日

ノーコメント


安全地帯 アナザー・コレクション』七曲目、「ノーコメント」です。「悲しみにさよなら」カップリングですから、安全地帯カップリング界の王者「We're alive」に次ぐ有名度を誇る曲……のはず……なんですが、これがぜんぜん有名でないですね(笑)。

玉置さんが石原さんとの正念場を迎えていたころ、週刊誌やワイドショーは現代における報道態度と同じく、過度に煽情的で無責任極まりない態度で二人の関係をはやし立てていました。松井さんは、「ふたりはついていなかった」と書き残していらっしゃいます(『Friend』より)。どんな恋人たちにだって、ふたりだけで静かに愛を育む時間と空間が必要なのに、それが全く与えられなかったわけですから。そんなのそこらの高校生だってある程度はわきまえているものなんですが、わきまえていない人の小銭を広く浅くねらった商売が成り立つ時代だったわけです。そのうすーい悪意と興味本位の関心が日本中から集中し、ふたりは疲弊していきます。

そんなふたりの関係を詮索する目に対抗してるんだ!という玉置さんの態度すら歌にしてしまう玉置・松井コンビおそるべしといわなくてはなりません。曲はダン!ツツダンダンダン!ダン!ツツダンダンダン!というリズムにあわせ、ギターのカッティング、トーンチェンジしまくりのキメの応酬、ベース主導のショートブレイクの連続、と、音を追うだけでも非常に疲れます。これは「一度だけ」「FIEST LOVE TWICE」などでみられる、おそらくは安全地帯ビッグバンド時代からの伝統であるギターアンサンブル路線と軌道を一にしています。それなのに玉置さんのボーカルとコーラスだけが「悲しみにさよなら」時代の安全地帯ですので、一種独特の緊張感で張り詰めています。

思えば『安全地帯IV』に収録されている「デリカシー」「合言葉」「こしゃくなTEL」「彼女は何かを知っている」といったようなギターバンド完成!といった曲たちとテンションは酷似しているんですが、この曲がアルバム入りしなかったのはまあ仕方ないですね。歌詞の趣が違いすぎて、アルバムのストーリー性が歪んでしまいます。ですから、マスコミがうるさいから特別に作った曲的な孤高のポジションを持っている曲です。

そんなマスコミ対策曲、というか、逆にマスコミを茶化していて遊んでるんじゃないのかという余裕すら見せるかのようなこの曲なんですが、その後の顛末を知っていればふたりはもうギリギリ、崩壊の瀬戸際に立たされていたことは明らかでした。ですから、松井さんとしては、マスコミってしょうがねえよな、ノーコメントだ!で押し通しちゃいなよ!という励ましの気持ちで書かれた歌詞なのではないのかと思われます。

曲はリズムで緊張感たっぷりのイントロから、歌に入ります。好奇心は「金と銀」、ふたりは「白と黒」、モノクロームの恋人たちには金銀の視線は痛すぎます。ギターの「ベペレッペー!」というフレーズに切り取られた鮮やかな対比だけを印象に残し、Aメロはすぐに終わり、ものすごい展開の速さでBメロ、サビに突入します。

噂なんてどうでもいい、本当のことは風にでも聞いてみればいい。俺には訊くな、という突き放しにも思えますが必ずしもそうではないでしょう。じつは本当のことを知っているのは風だけなのかもしれない、本人たちにだってちゃんとした言葉でわかるように説明できるとは限らないし、そういう義理もないんだから、という、松井さん一流のアイロニーとロマンティシズムあふれる表現であるように思えるのです。「風」は落語の世界では芸「風」という意味でもあるのですから、玉置さんと石原さんのパフォーマンスをよく見ていれば、本人たちの口からきくより(そんなの「みんなノーコメント」にきまってるわけです)正確に分かるかもしれないよ、という「風」流なアイロニーを利かせてすらいるのかもしれません。

曲は二番に入りまして、「罪と罰」「光と影」という対比をギターで切り取る手法は一番と同じ、Bメロに聞き捨てならない「ことばでうなずければ泣いたりはしない」というセリフが登場します。ことばはあまりに不完全で、ことばがふたりの傷をいやすことはなさそうなのに、ステージを降りたふたりはことばでお互いを励ましあうしかなかったのです。

サビはまたノーコメント、つまり自分たちにもわからないよ、わかっていたって答えるとは限らないよ、という、はやしたてられるふたりの心境をファルセットで絞り出すように吐露します。曲は一瞬止まり、田中さんのフィルインに、矢萩さんがギターのアーミングで出したのかなにやら突風のような音とともに間奏が始まります。ギターの掛け合いなんですが、あんまりちゃんとしたメロディーを奏でる気が感じられず、冒頭のトリル以外は基本バッキングプラスアルファの咆哮だけです。「ノーコメント」ですから、ギターで雄弁に「みなさんこんにちは〜ぼくたちラブラブですよ〜」とか語るのも変ですので(笑)、これで正しいように思います。

間奏のあと、Bメロからサビを二回繰り返し、曲はまた一瞬止まってアウトロ、真相を知らせないまま去ってゆくかのようにフェイドアウトしていきます。愛しているのか愛されているのか、何をしたのか何処へ行くのか、そんなことどうでもいいじゃないですか。だけども人は知りたがるのです。わたくしも多少は知りたいけども訊きません。週刊誌も買いません、床屋や定食屋でみるだけです(笑)。ネットで検索もしませんって、当時はそんなものなかったですから、知りたいことはみんな文字ベース紙ベース音声ベースです。だからラジオをかけっぱなしにしているし、コンビニやキヨスクにはスポーツ新聞や週刊誌がこれでもかと並んでいたのです。全部立ち読みすれば何かは引っ掛かります。

なお『ONE NIGHT THEATER』には、サングラスの男たちに追いかけられマイクを向けられる玉置さんが「ノーコメント!」というそぶりをするというマンガみたいな映像が収められています。きみたちそんな仕事していて虚しくならないの?と思わされる映像なんですが、彼らにも生活があり、その生活を成り立たせるだけの需要もあったのです。ですから、ふたりを追い詰めたのは彼らでもあったのですが、彼らを支えていたのは「みんな」なのだということは、わたしたちはよくよく心得ていなくてはならないでしょう。
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2022年02月04日

一秒一夜


安全地帯 アナザー・コレクション』六曲目、「一秒一夜」です。「熱視線」カップリングですね。

矢萩さんの作曲・ボーカルという、レア度が高いにもほどがある曲です。矢萩さんのボーカルは『冒険者』や『喜びの歌』で堪能することができますが、聴いてるとなんかクセになるんですよね。そんなわけで、安全地帯もう一人のボーカリストといってもいいでしょう。シャドウボーカリスト、ふだんは二列目で司令塔としてパスを供給しているけど、いざというときは自分がゴール前に突進していって自らゴールを決める、そんなファンタジスタであるといえます。

さて、能力的にはボーカリストがつとまるとはいえ、なんでまた玉置さんを差し置いてまで歌ったのか?これはバンド内の事情ってやつなんだと思います。アマチュアでも、オリジナルをやるバンドなら、曲作った人が歌ったほうがいいよねって感覚があるのです。おそらくですが、アマチュア時期の安全地帯にも似たような感覚があって、矢萩さん、俊也さん、玉置さんがそれぞれ歌うってことがあったんじゃないかと思います。たんに玉置さんの曲がとにかく多くて玉置さんばっかり歌っていたから傍からは不動のボーカリストに見えていただけで、本人たちは別の思惑、活動方針で動いているということがあるものです。俺の曲なんだからこれは俺のものだ、俺が歌うんだからおまえら手を出すな!みたいな縄張り意識とはちょっと違ってですね、作った人がいちばんこの曲をどういうふうに歌として形にしたいかわかっているから、作った人が歌ったほうがしっくりくるってことなんです。バンドとして、曲として、完成度が高いほうを選択するわけですから、結果としてそうなるんですね。

玉置さんは、曲を陽水さんに作ってもらうという会社からの案を断って、自分で歌う曲は自分で作る、そうでなければ北海道に帰るといって「ワインレッドの心」を生み出したわけですから(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、自分の曲でないものは歌わない、くらいのこだわりがあったのだと思います。ですから、この曲も自分では歌わない、矢萩さんの作った曲は矢萩さんが歌う、という、おそらくはアマチュア時代から持ちつづけてきた方針に従ってそうしたものと思われます。

イングウェイさんみたいに、曲は自分で作るけれども自分では歌わず、自分の思った通りに歌えるボーカリストに出会うべく次々とボーカリストをクビにしては新しい人を試すという人もいれば、YOSHIKIさんみたいに、ボーカリストは決まっているんだけどそのボーカリストが自分の思った通りに歌えるまで年単位で歌い直しさせる人もいます。いずれの場合もボーカリストは「そこまでいうなら自分で歌えよ!」と思うことでしょう。ですから、歌は曲を作った人が歌うという方針はバンドとしてごく合理的なのです。まあー、逆にいえば、自分で曲を作らないボーカリストってのはものすごく立場が弱いんですよ。傍からはバンドの看板に見えると思いますけど、携帯ショップのカウンター店員みたいなもので、接客ぜんぶやるんだけど使われてる感がハンパないわけです。

さて曲は、手で叩く系のパーカッションのリズムに乗せてアコギともエレキともつかぬ鮮やかなクリーントーンのアルペジオで始まり、矢萩さんのボーカルがワンフレーズあってからすぐにズシイーンとベース、ボワボワ系のシンセが重ねられてBメロ、そしてドラムが入ってサビへと行きます。サビでは、印象的な加工アルペジオのギターが響きます。総じて、陰鬱なイメージです。

二番でもドラムとベースがアタマから入っていますが陰鬱さは当たり前に変わらず、ズシ……ズシ……と重ーい歩みの黒い影を霧の向こうで眺めるような、矢萩さん独特の雰囲気全開に曲は進みます。

そう、矢萩さんの曲ってこんなイメージなんですよ。ですからのちに「冒険者」聴いたときに、大丈夫ですか暗さがちょっと隠しきれてませんがムリしてませんか矢萩さん!とちょっと心配になったほどです(笑)。

間奏では武沢さんかなと思われるカッティングに乗せてギターとシンセをユニゾンさせたような前フリメロディーがあってから矢萩さんの十八番メロウでヘビーなギターソロに突入します。この様子はまるっきりいつもの安全地帯ですから、この雰囲気は矢萩さんが作り出していたのだとハッキリわかりますね。そしてサビを繰り返し、ドコドコドコドコ!と左右に振ったドラムで曲は終わり、イントロのアルペジオでフェイドアウトです。いやーこれはコアな安全地帯ファンが楽しめる曲であることは間違いないのですが、およそA面の「熱視線」目当てに買った人を喜ばせるようなコマーシャルなところのない曲であるといえるでしょう。渋すぎます。

歌詞ですが、松井さんはのちの矢萩さんソロにも歌詞を提供していますから、そんなに違和感ある組み合わせでもなくなっています、後から考えれば。このときも、矢萩さんの声と曲調にうまーく合わせた遠い霞の向こうでうごめく影のような世界を描いていますね。「ふたりは砂になる」って、溶け合っているのに乾いてるじゃん!「12色の絵具箱」って最小セットじゃん、どれも極彩色に近いよ、それが「あなたに似あえば」って、ぜんぜん打ち解けてないよもう!と、かなり肩ひじ張ってギクシャクした関係を表現しているんですが、矢萩さんの曲調と歌でおそろしく淡々としているのです。影のようだからこそ、アクションがハッキリしていないと何をしているのかわからない(笑)。

「消えてゆくいとしさ」ですから、冷めてゆく関係なのです。それだからこそ、よその「誘惑にもうこわれた」わけです。ああダメじゃんもう。それでも、「永遠にふるえている一秒が不思議」……これが難しい……というかわからない……いまはすっかりダメになったけど、心を通わせ震わせたかつての一瞬一秒は、永遠にぼくの胸に刻み付けられているんだ的なことなのかしらと、平凡な感想しか浮かんできません。うーむもっと深い情念的なものを描いているような気がしないでもないんですが……。まあ、仮にそのとらえ方でよかったとしてですが、そういう一瞬って結構マジで刻み付けられているんだと思います。それはそうなる前には決してなかった思考・行動へと人を駆り立てるようになります。心理学の用語でいえば「学習」したわけです。80年代歌謡曲の世界でいえば一歩だけ「大人に染められた」のでしょう。だからこそ「絵具箱」というイメージが生きてきます。最初は極彩色みたいなはっきりした色しかなかった12色ですが、だんだん混じり合い、水で薄められ、画用紙のうえで乾き、どんどんなんとも言いようのない色に染まってゆきます。ですから、もうあなたに似あう色は12色の中にはなくなってしまっていた……ああいかん、なんだか泣けてきましたよ(笑)。そんな絵具のパレットに筆の先から水が滴る一瞬一瞬が、実は始まりから終わりまで続けられていた「学習」「染めあげ」の過程そのものであって、それを積み重ねた結果として一本に見えていたふたりの人生の道は二つに分かれていくことが決定的になってしまったのでしょう。絵具セットをいろいろこねくり回して取り返しがつかなくなる前にこりゃダメだと気づくことができないのが若さなのでしょう。苦い苦い、でも美しい一瞬として人の記憶に残り続けるのです。わたくし?もちろん、霞の中に見えていた影絵として拝見していただけですとも!
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2022年01月30日

置き手紙


安全地帯 アナザー・コレクション』五曲目、「置き手紙」です。「マスカレード」カップリングです。ライブ『WE'RE ALIVE』で演奏されていましたが、前の記事でご紹介した「We're alive」に比べて露出度が少なく、隠れた名曲感の高い曲でした。

オルガン的なキーボードでゆったりと始まるこの曲は、イントロだけですでに不穏な空気、これは幸福でない何かが起こったに違いないという空気がビンビンと漂ってきます(笑)。この時代の安全地帯に似ず、キーボードのみで押し通す異常にあっさりしたイントロですから、そう予感せざるを得ません。

玉置さんの歌が始まり、アルペジオとストロークのアコギが入ります。Aメロはあっさり終わって、ベース、ストリングス、ドラムのフル体制になります。ライブ映像ですとアコギはなし、ベースの音は聴こえるんですがこれは六土さんが左手を使ってもうひとつの鍵盤で何とかしているんじゃないかと思いますが、右手でストリングスの箇所とオルガンの箇所をかわるがわる弾いているように思えます。ちなみにこの『WE'RE ALIVE』、全体的に音が凄くいいように聴こえるんですが、田中さんのドラムがわたくしのすっごい好みの音で録られています。田中さんのドラミングがいいのはもちろんなんですが、このときは大きくないホールでしたので、ハコの響きもいいんじゃないかと思います。安全地帯のコンサートを見るなら地方、せいぜい2000人くらいのホールがおススメです。そのくらいのホールで安全地帯がこのさきコンサートやるかどうかはわかりませんが。そして武沢さん、恐ろしくシャープなクリーントーン、これは映像を観る限り12弦ギターによるもので泣かせに来ます。矢萩さんは矢萩さんで必殺メロ―トーンで間奏に大写しになるお嬢さんの胸を搔きむしるようなソロを奏でます。全員卑怯なくらい音のいいライブ映像ですが、何より六土さんと武沢さんの一人二役三役こなしてこの世界をライブで再現なさる様子が感動的です。

曲はAメロ→サビ→間奏1→Aメロ→サビ→間奏2→サビ→後奏です。間奏1では矢萩さんのメロウなクランチギター、間奏2では矢萩さんのオーバードライブメローギターに後半武沢さんがハモリに入り、そのあと武沢さんのクリーントーンによるソロ、とツインギターバンドらしい構成で、「一度だけ」もビックリの「あっちだ、あっこんどはそっちだ」感を演出し楽しませてくれます。映像を観る限りお客さんは歌への感情移入で半べそ、それどころじゃなかったようですが(笑)。

さてお客さんが聴き入ってべそをかくほどの慟哭ソングなわけですが、じつは初期安全地帯にはごく少なかったのです。のちの「Friend」とかのイメージが強すぎるだけで、このころの安全地帯は失恋ソングは多くなかったのです。いやマジで少ないですよ、「エイジ」くらいじゃないですか?「Big Joke」を入れるなら入れてもいいですけど。そんなわけで、「ワインレッドの心」とか「あなたに」みたいなスケコマシ系の曲たちにふいに紛れ込んだ明確な失恋ソングであるこの曲に当時のお客さんが過度に感情移入したのも無理はないのです。歌詞は安全地帯と、「一度だけ」でもお目にかかった崎南海子さんです。いわば初期の体制で作られたこの曲、実際アマチュアの頃からあった曲ですけども(頑張れば聴けると思います)、この曲が当時の主力曲たちの中で異彩を放つのは当然だといえるでしょう。

最初の二行だけが男の視点で、朝起きたら彼女がもういなかった情景を語ります。寝たふりしてる間に出て行ってくれア〜ア〜とかでなく、ほんとに起きたらいなかったんです。そしてここからは女性視点の、置き手紙の内容になります。

「あなた」があんまり夢に向かって一直線、それなのにわたしのことを気遣って私を応援しようとして苦しんでいるのがつらい、「夢をしばりあう」のが辛いから、わたしは出ていきます、もう二度と会いませんさようなら、という内容なんですが……まてまてまて、いったいどんな夢をお持ちになってたんですかあなた。どうして夢をしばりあうようなことになってしまうんですか、男のほうが玉置さんみたいにミュージシャンとして成功する夢だとしたら、女性のほうはミュージシャンを食い物にして低賃金で使いつぶすプロダクションを立ち上げて芸能界の闇の帝王として君臨するのが夢とかなんでしょうか。それだと感情移入する意味がよくわかりませんから(笑)、きっと違うんだと思います。

まあー、ぜんぜん違う業界にいるふたりが、たぶん生活時間帯が違うとか繁忙期が重なってふたりがイライラする時期が重なって一年のうち超険悪になる期間があって気分はスーパーブルーとか、そういったことなんだと思います。えーとですね、それたぶん大丈夫なんですよ、若いから焦るんだと思うんですけど、時間さえかければなんとかなると思います。時間をかけるのが惜しい、それまでの気まずさを避けたい、ポーカーでいうとカード全とっかえしたいと、ふと思っちゃうくらい若い人にいっても仕方ないんですけども。

80年代中盤、バブル前夜、若者たちは都会で夢を追いました。90年代以降もそのこと自体は変わりないんですが、あの頃はなにより未来への希望がありました。90年代以降のような落ち穂拾いでなく、70年代以前の「イメージの詩」的な夢でなく、豊かさと享楽の未来がすぐそこに見えていたのです。60−70年代の若者たちが夢中になった政治はロン・ヤス体制で完全に勝負あり、若者たちはフランシス・フクヤマのいう「歴史の終り」に達した社会で快と不快だけを関心事として生きる「最後の人間」(ニーチェ)のように、快楽あふれる「夢」を追い求めることができました。こう書くと自堕落で淫らなことのように思われるかもしれませんが、そうではありません。衣食住のために生きるのではない生き方ができるってことです。音楽でもいい、小説でもマンガでもいい、野球でもいい、そういう人間がもつ感性をフルに発揮させて得られる精神的喜びを追い求めることができる段階に、当時の米国と日本は達しようとしていたのです。まあ、不思議なことに、衣食住に多少困ってた時代のほうが王長嶋とか手塚治虫とかすんごい人が出てくるのは皮肉なところですが。でもまあ、野球の世界に落合が登場したように、音楽の世界にも安全地帯が登場した、そのくらいの余力が80年代にもあったわけなんでしょう。

そんなとき、若い男女が都会で出会い、惹かれ合い、棲み処を共にした、でもその生活は80年代という時代によって引き裂かれていった……ふたりがみる「夢」は、その時代が豊かで自由であったからこそ決定的に異なるものであったのです。そんな男女がこの時代には街にあふれていたんでしょうね。わたくしよりはひと回りちかく上のお兄さんお姉さんたちの時代ですから、わたくしは身をもって体験していないんですけども。わたしがその年代に達した90年代中盤以降は地獄でしたから、どんなに失恋が悲しくても「置き手紙」の時代のほうがよっぽどマシに思えます。ですから、この「置き手紙」はわたしにとって、おとぎ話のような美しい世界を描いた歌なのです。

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2022年01月29日

We're alive


安全地帯 アナザー・コレクション』三曲目、「We're alive」です。「ワインレッドの心」カップリングでしたから、アルバムを買わないような人にも広く知れ渡った曲です。A面「ワインレッドの心」作詞はご存知陽水さん、そしてこのB面「We're alive」の作詞を担当したのは、わたしたちが知ることのできる安全地帯楽曲の中ではこれが最後となった松尾由紀夫さんでした。ですから、ここでもA面B面で時代の分かれ目をみることができます。

「ワインレッド」にはじまる初期のコンサートでは、「今日はほんとに〜どうもありがとう〜また会う日まで〜」「会場に灯り〜点けてください〜みんながみたい〜」と歌詞を変えて歌われ、客電がついてまもなくコンサートが終わることを示すアンコール用の曲といった位置づけの曲でした。野外ステージだとこの曲が終わるのに合わせてドカンドカンと花火が打たれたほど、フィナーレ感のある曲でした。

『ONE NIGHT THEATER』ころから、そして近年でも、もはやコンサート序盤の盛り上げ役といった役回りで使われています。「悲しみにさよなら」の頃からもうこの曲は「ワインレッドの心」のカップリングだからほとんどの人が知っているもう一つの曲、という位置づけを失いつつあったのです。近年では当然ですが、この曲やたらライブで歌われてるけどどのアルバムに入ってるの?という不思議な曲にすぎません。いまはコンサート序盤をほどよく温めるノリのいい曲、にすぎないわけです。でもまあ、いまでも使われてるんですからそのデキは普通ではありません。

イントロ、いずれも最初は武沢さんなんですが、クリーントーンで四小節、ライブによってはそれ以上、バスドラだけの伴奏で細かいカッティングを披露してくれます。武沢マニアのわたくしにはうれしい時間なのですが、『ENDLESS』ライブや『ONE NIGHT THEATER』では一小節の三拍目四拍目に「ジャカジャッジャッ!」と鋭くリズムを入れるだけですぐに矢萩さんのソロが入るバージョンもあって、わたくしこっちのほうが好きですね。いやもう、「ジャカジャッジャッ!」のキレが良すぎて(笑)。これはみなさんもぜひ両方お聴きになって、どっちが心地いいか比べっこしましょう!

さて、バスドラ、ドーンと伸ばしたベース、カッティング、うすーいシンセに乗せて、玉置さんの歌が始まります。ワンフレーズしてから六土さんが短いリックを入れて、おそらく矢萩さんの細かい短音リフが始まります。そしてそのままもうワンフレーズしてからいきなりサビに行きます。

「We're alive!」とコーラス入れて、武沢さんのアクセントのきいた素晴らしいカッティング、丸っこい短音で超効果的なアオリを入れる矢萩さん、「ド、ドドッ、ダダッダッダ!」と二人一組でパーフェクトなリズムを取る六土さん田中さん、いやもう、このリズム隊はもう時折どっちがどっちの音がわからなくなるくらい完璧に絡み合ってます。

曲はもう一番、今度はスネアを入れたAメロになりますが、大きくは変わりません。そのままサビに行き、サビあと、調子が変わりいわゆる大サビが入ります。ライブ、とりわけ『ENDLESS』だと、深く歪んだオーバードライブのギターが大音量で入り、気分爽快ったらありゃしません。曲はそのまま間奏へ、スタジオ盤だとブラスの音とギターの音でかわるがわる旋律が重ねられますが、わたくし大好きな『ENDLESS』盤ですともちろんオーバードライブのギターで「ギュイーン!」と!六土さんのベースも「ガガーン!」とうねり、そのまま曲のラストまでなだれ込みます。矢萩さんはオブリ入れまくり、武沢さんはカッティングしまくり、ライブももう少しで終りだ!最高に盛り上げるぜ!って感じの熱い演奏を聴かせてくれます。二時間もライトを浴びてアクションして汗だくで気力を振り絞って演奏するメンバーのことが思われます。スタジオ盤だとクリーントーンのギターでいろいろフレーズが重ねられてますから、これはこれで追うと楽しいですが、どうしてもライブ盤のほうが好きなんで、今回スタジオ盤きいてみて、あ、こうなってたんだと(笑)。

スタジオ盤ではフェードアウトでささっと終わっていきますが、ライブ盤は「ドーンドンドーン!(パラリラパラリラ〜)」というキメが繰り返され、ギューン!ときっちり終わります。ライブですと、最後の盛り上がり、その余韻を数分は身体で感じることができるくらいの押しの強さです。いやこれ、体が痺れて呆然としますよ、コロナ騒ぎが終わったら、まだ安全地帯のコンサート行ったことない人はぜひ行きましょう!

さて歌詞なんですが、「生きてるんだ!命ある限り夢を追いかけるんだ!」という内容です。内容はそれだけなんですが……「遥かな広野」「駆け上がる丘」「透きとおる風」と、広さと清々しさを目いっぱいに感じさせる歌詞で、若くて爽やかな青年バンドのイメージをこれでもかと高めるナイス歌詞になってます。でもA面がアレですから(笑)、イメージ戦略ハッキリさせたほうがよかったんと違いますかと、後からは無責任なことが言えちゃいますね。

「たしかな出逢い」「たしかな夢をこの手につかむ」と、見事な歌詞のノリなんです。玉置さんの歌の巧さだけじゃありません、これは歌詞の巧さでもあります。松尾さん、あなたすげえよ。安全地帯が演奏して、玉置さんが歌ってこうなるってわかっていてこういう歌詞にしたんじゃないのってくらいハマっています。松尾さんの歌詞でいうと、「エイジ」と同じくらいハマってますね。丘があると思わず駆け上がってハアハアやってみたくなります。おじさんですが(笑)。

安全地帯がこの歌をリリースした時はまだまだ苦しく、A面の「ワインレッドの心」で大胆なイメージチェンジ、勝負!でもB面はいままでの色を残したギターロックで……という二正面作戦をとらざるを得なかったのでしょう。結果としてこの曲は、ライブでは定番の地位を確立したものの、イメージ的に、そしてタイミング的にどのアルバムにも収録されないままになっていました。まあ、この曲『安全地帯II』のどこに入れるのって言われても困りますね。

「吹きぬける風」は、横浜スタジアムの、そして甲子園球場の風であり、そして、メンバーが生まれ育った北海道の風でもあったのです。アルバムに収録されずにライブで演奏され続けたからこそ、安全地帯のヒストリーのいたるところで「時のながれをそのまま美しくとどめ」てきた、そんな名曲です。
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2022年01月23日

FIRST LOVE TWICE


安全地帯 アナザー・コレクション』二曲目、「FIRST LOVE TWICE」です。セカンドシングル「オン・マイ・ウェイ」カップリングの曲でした。

ドーン、ドーンというベース、ドス、ドスというバスドラに、透き通るギターのアルペジオ、「ツーツクツクツクー、ツーツクツクツクー、ウィーオー!」という短音リフが重なり、ギターソロで旋律が奏でられます。ギター三本いりますね。俊也さんがいらしたときにつくられた曲なのかも?レコーディングではお兄さんのぶんも武沢さんが弾いたのかもな、なんて思いながら聴きます。

キラキラキラキラ……と鍵盤で弾いたと思しきフレーズとともに玉置さんの歌が始まり、ギターはアルペジオと細かい短音刻み、ベースは単純な八分ではなく「ズ、ズズッ!」と細かく落ち着いたリズムを刻みます。あっというまにAメロらしきところを通過し、展開が変わります。ベースの音がやみ、「カカカカカカカカ……」とクランチ気味で高速カッティングのギター、全音弾きから「ウィーオー!ウィーオー!ウィーオー!ウィーオー!」とウリウリ念を押してくるオーバードライブ強めのギター、そして再開するベースに「ウンチャカチャカチャカチャーチャッ!ウンチャカチャカチャカチャー!チャッ」と裏拍アクセントのカッティングと、目まぐるしく調子を変えてきます。これはライブで聴きたいですね、あっあっちだ、今度はあっちだと、楽しいです。こういうところがギターバンド、ライブバンドなんですね。

曲はAメロ、Bメロを繰り返して、サビに突入します。深く歪んだギターが全音弾きで「ギュイーン!」と効いてますね。その裏で「ギャッギャッギャギャー!」と弾いていたギターが、コーラスの途切れたところで「ギャギャッギャッギャッギャッギャッギャギャー」と荒めに歪んだ音でリズムをとります。なんだか「カカカ」とか「ギャッ」とかばっかり書いてて見苦しいんですが、わたくしの表現力ではこうとしか書きようがないのでご勘弁を。もうやめます(笑)。ようするに、ギターがかわるがわる様々な役割をくるくるとあちこちでこなしていて、ギターバンドの本領発揮、うわー演奏していて楽しいよな、目の前で聴くときっとすごいよな、と思わされる曲なのです。

曲はサビを繰り返し、間にギター二人によるソロを挟んでさらにサビを繰り返して、前奏を短くしたようなアウトロをアルペジオだけを残して終わります。なんだもう一回くらいギターバトルみたいなの繰り返してもいいのにって思いますけど、ここはあっさりと終わります。曲自体が忙しいバトル的なものだったので、あえて強調することもあるまいと思ったのかもしれません。

さて歌詞ですが(このパターン久しぶりかも!)、小椋佳さんなんですね、ずいぶん思い切った人選です。というかよくこんなメジャーな人起用できましたね。陽水さんの歌詞を書いていたことがあるので、そのコネクションを使ったのかもしれません。当時はまだ第一勧銀の銀行マンをしながらメジャー級の作詞活動をなさっていたというとんでもない人です。

いきなり「ひさかたの雲」「やみくもの雨」って、枕詞です。古文の勉強を思いだして気分がブルーになりますが(笑)、これが遠い日に「知らぬ間に消えていったFIRST LOVE」を思わせる効果を生んでいる……のかもしれません。そのあと「まばたきするほど恋を重ね」たかどうかはともかく。こんなふうに、わたしたちが安全地帯からイメージできる歌詞の世界とは全然違うんですね、比喩の使い方が。安全地帯の良さを引き出そうと、スタッフ一同苦慮して試行錯誤していたんじゃないのかと思われます。

一風違った詞の世界を与えられた安全地帯はひどくさわやかです。玉置さんも顔を赤くして歌っていたんじゃないかと思われます(笑)。でも玉置さんが歌うとサマになっていますよね。これはこれで似合っているところが玉置さんの歌とメンバーの演奏能力・適応能力の高さを示しています。メンバーは「浩二、なんかこっぱずかしい歌詞歌わされてんなー、まあおれたちはいつも通り演奏するだけだけど!」とか思っていたかもしれませんが。

ちょっと真面目に考えてみますと、二回目の初恋とでもいうのでしょうか、初恋なみに胸を焦がす、どうしたらいいのかわからなくなるほどの相手に出会ってしまった、その戸惑いと喜びを美しくさわやかに描いていますね。こんな恋を「うそぶきながら誰もが願う」と、メンバー一同のコーラスで歌われてしまいます。そうだそうだ、おれうそぶいていたよ!二回目の初恋なんてそんなことあるわけないさ、もう幾度かの夏を巧くやり過ごすことにも慣れてきてしまったんだ……とかなんとかいいながら(笑)。誰もが願うかどうかはともかく、そんなことがあったら素敵だねえとはちょっとだけ思っている、そんな恋心の機微を楽しいギターバトルにのせてお送りしますという、非常に珍しいバンドになっていますね。これ、A面の「オン・マイ・ウェイ」と調子が違い過ぎてみんなこけちゃっただろうなあ。「萠黄色のスナップ/一度だけ」のような曲を期待していた人にとってはこの「FIRST LOVE TWICE」のほうが気に入って、逆に「オン・マイ・ウェイ」に異質なものを感じたかもしれません。そんな、安全地帯の変わり目をシングル一枚で堪能できるという、まさに「ここまで・これから」を楽しめる仕掛けになっていたのです。

安全地帯はこのころ、もがいていました。デビューしたはいいものの、関係者の評価は高いのにレコードは全然売れない、玉置さんは苦しくて苦しくて自殺を考えるほど……(『Friend』より)。歌詞は「安全地帯」「崎南海子」「松尾由紀夫」などなどいろいろな方向性を試していたのでしょう。でも、曲だけは絶対に外注しませんでした。そこは譲れない!曲を他人に書かせるくらいならメジャー契約を蹴って北海道に帰ったほうがマシだ!と意地を見せます(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。結果として作詞「小椋佳」「井上陽水」と作曲「玉置浩二」という、後から考えればとんでもない豪華な組み合わせが実現したのですが、このときの玉置さんは無名の作曲家にすぎませんでしたから、目先の売れることを優先して曲を陽水さんに頼むなんてことをしていたら、のちの安全地帯も玉置浩二もなかったのです。

バンドマンとしてわたくしにもよくわかります……わたくし作詞はどうでもいいんです。歌メロもハッキリいって興味があんまりありません(玉置さんは歌メロも譲らないと思いますが)。曲と歌メロ以外のアレンジはすべての音符をわたしが書きます。これを譲るとわたしの音楽ではなくなるからです。若いころのバンドではドラムはドラマーに余裕で任せてましたが(笑)、それは明らかに上だと認めていたし、音楽を高めあってくれる相棒だと思っていたからです。……とまあ、譲れない線というのはそれぞれのバンドマンで異なるとは思うのですが、線があること自体は多くのバンドマンに共通するんじゃないかな……と思います。「帰れない二人」を清志郎さんと共作して、どこからどこまでが自分の作ったところかわからないとおっしゃる陽水さんは懐深いなあ、と思わされます。玉置さんも、ずっと後になって、安藤さと子さんや矢萩さんとの共同クレジット曲を発表するようになりましたから、この譲れない線というのは、いつかはなくなってゆくものなのかもしれません。
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2022年01月22日

一度だけ


安全地帯 アナザー・コレクション』一曲目、「一度だけ」です。ファーストシングル「萠黄色のスナップ」カップリングです。わたくし的には両A面でもよかったんじゃないかなと思うくらい、AB面のクオリティやキャッチーさが接近しているように思えます。

大平さんの音だと思われるやわらかめに叩いたスネアがツツタンタンタン!と響くところから曲ははじまります。オルガン的な音でメロディー、ギターのカッティングとアオリ、ベースが……のちの六土さんからは考えにくいモコモコした音ですね、大平さんのドラムとのコンビネーションでこういう音色にしたのかもしれません。バンド全体のリズムが軽快ですねえ、もちろん後追いのわたくしが初聴したときに感じた安全地帯らしさは皆無です(笑)。なんじゃこりゃ、安全地帯はこんな「ンチャチャッチャッチャーチャチャ!」とかやるバンドじゃねえよ!いや安全地帯なんですが。というわけで、最初の印象はよろしくありませんでした。よーく聴くうちに、矢萩さんのものと思われる深めに歪んだギターによって入れられるアオリ、Bメロサビ裏に入るストローク、ソロ、武沢さんと思われるキラキラした短音フレーズ、六土さんのズシズシと進むベースなどに安全地帯の要素を感じられるようになってきましてからは、まあこんな安全地帯があってもいいよねくらいには思うようになりました。いまはふつうにいい歌です。

思うに、安全地帯には三種類の源泉があるんだと思われます。それは、玉置さん・武沢さんによるオリジナル安全地帯がもっていたフォーク・ポップス、そして安全地帯に加わった玉置さんのお兄さん、武沢さんのお兄さんがもっていたロック、ハードロック、そして六土さん矢萩さん田中さんの六土開正バンドがもっていたハードロック、ブルース、この三要素がくっついたり離れたりしながら、さまざまな要素を初期安全地帯の中に醸成していたのではないでしょうか。だからこそ、デビュー時は玉置さん武沢さん由来のフォーク・ポップステイストの強い「萠黄色のスナップ」やこの「一度だけ」のような曲で勝負をしようとした、しかしうまくいかなかったために今度は六土開正バンドテイストを強くした「オン・マイ・ウェイ」や「ラスベガス・タイフーン」を試してみた、どっちもうまくいかないので、陽水バックバンド色やそれまでに安全地帯の中で実を結びつつあった新機軸のロック・ポップス色の曲として「ワインレッドの心」や「真夜中すぎの恋」を生み出し大ウケけした……こんな仮説を立てることができると思います。なんのことはない、バンドにはよくあることなんです。しばしば解散の原因になる「音楽性の違い」を楽しんで吸収できるかできないかでバンドの器ってものがわかります。安全地帯は五人が五人とも柔軟でスキルが高く音楽を楽しむことに貪欲であったがために、すぐに「音楽性の違い」でもめて解散してしまう尻の青いそこらのバンドとは違って、大きな大きな器に新しい要素をふんだんに取り入れて自分たちのものとしてゆくことができたのだと思います。もちろんわたしのバンドは音楽性の違いなど完全無視!問答無用でゴリッゴリのデモテープを渡して嫌がられてました(笑)。あっはっは。

さて歌はAメロに入りまして、おそらく武沢さんの、透き通る音で奏でられるリズム、いいですねえ。おそらく矢萩さんがギュルル・ギャーン・ピロロロとアオリを入れるのも安全地帯らしいです。初聴時のわたしは一体どこを聴いていたんだ……玉置さんの歌も伸びやかです。歌詞に「雪解け」とか「川下」とか広さを感じさせる要素がありませんが、これは確かに初期安全地帯のもっていた伸びやかさなのでしょう。とことん、シンプルで、もっというと朴訥な、飾り気のないことばで歌われる愛しさには、一種独特の輝きがあります。でもまあ、こりゃ少なくともドカンとは売れないですねえ。陽水さん松井さんの洗練された世界とはかなり異なります。『ラスベガス・タイフーン』で多くの作詞を担当した松尾さんのような80年代ロック・ポップス系の、そつのない感じとも違います。玉置さんは、もともとの安全地帯がもっていたこの伸びやかで純粋な輝きを愛し、自信を持っていたのだと思います。そうですねえ……のちに安全地帯のファンになった人たちがさかのぼって聴いたときに、ああ、こんな感じも素朴で素敵だねえ、と思う人が一定数はいるだろう、くらいのものでしょうから、まだ売れる前の戦略としてはあまり得策とはいえなかったでしょう。「稲妻〜」「この俺を〜」をと、のちの安全地帯では用いられないことばと、そして玉置さんの張り上げた声、これが安全地帯の原形なんだ……とその魅力を感慨深く味わうことができるのは、安全地帯のディープなファンの特権だといえるでしょう。

歌はまたAメロ、「俺はしゃべるの苦手だけど……」これはドキッとする言葉ですね。「ワインレッドの心」以降、安全地帯の人気絶頂期の玉置さんは化粧をしてTVに出て、超絶美声で歌を披露してから、言葉少なにインタビューに答えていたイメージがあります。しゃべるの苦手……ふと、あの頃の玉置さんの表情がちらついていけません。女性に対して奥手とはけっしていえそうもない実績を誇る玉置さんですが、「君になら」と……心を許す相手がいて、その相手とその都度心を通わせていたんだろうなあ、と思えてしまうのです。「忘れてた力」を再び得て、「目を閉じてついておいで」と相手を導くのです。もちろん玉置さんのことですから将来どうなるのかわかったもんじゃないんですが(笑)、とびっきりの愛と音楽とだけは保障されているという喜びがあるに違いありません。

「ンギャッ!ギャッー」とキメを入れて、歌はサビに入ります。未来も永遠も〜と、繰り返されるメロディーや言葉のない、それでいてキャッチーで覚えやすい、不思議で見事なサビです。驚きますよね。ついつい歌ってしまいます。「今は君〜がすべて〜さ〜」と。繰り返す必然性を感じません。これだけで成立します。一貫の見事な寿司のように、二貫ある寿司はしょせん食べ応えが物足りないのだと思い知らされるようです。

間奏は矢萩さんのものと思われる甘い音色のギターソロで、二番へと曲を導きます。気が早いことにもうアウトロの話をしますと(笑)、この曲、一番最後はフェイドアウトで、またギターソロがあります。このアウトロのギターソロが武沢さんなんじゃないかと思うんですよ。音が間奏のソロと違うように聴こえるのです。ツインギターのハードロックバンドによくある手法で、間奏とアウトロでそれぞれがソロを担当するんです。安全地帯でも「ワインレッドの心」をはじめとする様々な曲でそうなっていますよね。もちろんわたしの耳が節穴で全然違っている可能性が一番高いですが(笑)。

歌は二番、危険なカケについてきてと、まるで安全地帯ブレイク前の不安を示唆するかのようなやや痛い歌詞です。「一度だけ」人生をあずけてくれと、ようやくタイトルの意味が分かる箇所に達しました。確かな明日を約束しないのは誠実でありながら、じつは過酷な選択をさらに過酷にしているという、ちょっと気の毒な状況です。ブレイク前の安全地帯がずっとブレイク前で終わる可能性もあったわけですからそんなこと言われても断るに決まってるじゃんと思わなくもないのですが、ワインレッド以降を知っているわたしたちには、それは乗っとけ!と思える有望株に思えます。もちろんそれは当時には誰にもわかることではなかったのですが……。

ちなみに、陽水のバックバンドをつとめたというのは、わたしらアマのバンドマンからすればすごい経歴です。そのあと鳴かず飛ばずで帰郷したとしても、それでもすげえじゃん!よくそこまで行けたなと思います。もちろん玉置さんやメンバーの希望はそこで終わりじゃないですから、不本意にもほどがあったのだと思いますし、その経験をも音楽の肥やしにする執念をもって自分たちの音楽を作り続けたわけですから、さらにとんでもない気力を要したことと思います。そんなダイヤモンドの巨大原石が、ひとつひとつ不純物を取り除き、カットされシェイプされ輝きを増してゆく様を、わたしたちはこうやってあとから時系列順にみてゆくことができるというわけなのです。ですから、曲の一つひとつ、できるなら音の一つひとつ、ずべて味わうように聴いてゆきたいものです。

さて、曲はもういちどこんどはオルガン的な音でメロディーを奏でた間奏、Aメロ(途中まで)を繰り返し、アウトロのソロをろくに聴けないうちに終わってしまいます。途中で切られたAメロはもちろん時間が足りなくて切られたのではなくわざとここで切ってあるのでしょう。「名前をおしえて」「電話もおしえて」と、この歌の頭にシーンが戻るわけです。まだそこなのかい!人生あずけてとか言ってたのに!ではなく、おそらくは出会いの頃を思い出しながら二人が仲を深めてゆくんだ、という演出なのだと思います。「おしえて」ということばとそれをあてたメロディーの組み合わせが思いのほかキャッチーだったからもう一度くっつけて歌の印象を強くしただけという可能性もぬぐい切れませんが(笑)、ここはストーリーがあるものと思いたいですね。

さて、昭和バナシですが、電話をおしえるというのは、極めて重要な恋のステップでした。だって当時LINEないし。でもLINEとちがってイエデンですから、かければ当然お母さんかお父さんが出ます(笑)。ひとりぐらしだと留守電が再生されます。ですから、いまLINE教えるのとはちょっと位置づけが違うんですね。電話番号をもらえても、次に進めるとは限らないわけです。あっ!いま唐突に思いだしてしまいました!わたくし、嫁さん以外の女性のLINE一つも知らないかも!(笑)。クーポン目当てに登録した公式アカウントがズラリ!ごくわずかな種類の仕事で頻繁なやり取りを要する相手がニ三人!わああ寂しい、だれか、君の名前をおしえて!よかったらLINEもおしえて!いや教えないでいいです!だってLINE嫌いだから(笑)。どうしてもってときだけ電話かければいいじゃんと思いますんで、LINEなどいらないのです。正確にはLINEなど必要ないように生きてゆきたいと思う次第であります。そもそもフリック入力あんま得意でないし(おじさん)。
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2022年01月15日

『安全地帯アナザー・コレクション』


『安全地帯アナザー・コレクション』(1994年9月)です。アルバム未収録曲集でして、シングルバージョンやシングルのカップリングでアルバムに収録されてこなかった曲だけを集めたアルバムになります。

いつものリンクがなくて(どうも廃盤で中古も見当たりませんでした)ジャケットをお見せできません。事態が変わったらあらためてリンクをしたいと思います。『安全地帯BEST』のときのポスター写真を、ポジネガ逆転させたんじゃないかと思うんですが、青っぽいジャケット写真になります。データで手に入れることはできると思いますので、気になったかたは音楽データ販売サイトなどで検索なさるとよろしいかと思います。

【追記】Appleのリンクを貼るようにしてみました。

さて、このアルバムは、安全地帯が終わったことをわたしに悟らせるとても寂しいアルバムでした。その一方で、とても全部のシングルにまでは手の回らなかったプアーな少年時代に手に入れそこなったままになっていたいくつかの曲を一気に聴くことのできるとても貴重な一枚でしたから、さみしいやらうれしいやらでした。だって、これ聴いたら終わっちゃうよ、全部聴いちゃったよ、もう聴くものないよ、もうレコード屋で安全地帯のCD探すことがなくなっちゃうんだよ半ば習慣化していたのに、と、わたしにとって少年期の終わったことを決定的に示すものだったからです。これで安全地帯は終わりか……深い深い喪失感がありました。まあ、速攻で買いましたけど!(笑)。

当時、ローソンで「きっかけのWink」が流れていたのを覚えています。たぶん、この『安全地帯アナザー・コレクション』のプロモーションだったのでしょう。「きっかけのWink」は当時からするとわずか七―八年前の曲でしたが、やけに昔のことに思えました。その七年八年がわたしにとって人生の転換期を含むものであったこと、そして日本のJ-POPやらJ-ROCKやらのアクが強すぎ質が低すぎで巷に流れる音楽にウンザリさせられていたイヤな時代であったこと等、時間を長く感じさせる要素はいくつかあったのですが、なにより安全地帯が終わったことこそが、この隔世の感を増幅していたものと思います。

さて、そんなわたくしにとって安全地帯とお別れするアルバムであったこの『安全地帯アナザー・コレクション』ですが、当然のことながらアルバムとしてのまとまり、物語性はほぼありません。しいていえばややライトな出来のもの(急いで作ったカップリング等)が多いために生まれたちょっとした統一感、安全地帯の歴史を時系列順にたどれるという物語性はあります。でもまあ、有名曲はほとんど入ってませんから(「じれったい」と「あの頃へ」は別格としても)まさか安全地帯のアルバムを初めて聴くよって人は、よほどの偶然がない限りこれを選ばないでしょう。いってみればマニア向けアルバムになっています。むかしはCDプレーヤーで聴いていましたからシングルをいちいち入れ替える面倒を省くためにお買いになったというケースや、わたくしのようにいくつか聴き逃していたシングルがあるプア―なマニアが一気に事態を解決するために買ったケースがほとんどでしょう。未発表音源は一曲もありません。そして、クオリティ的にもふつうのアルバムとして期待して聴くと肩透かしを食うことでしょう。

さて、一曲ずつの短いご紹介を。
1.一度だけ:「萠黄色のスナップ」カップリングのギターポップです。どっちがA面でもよかったんじゃないかな?と思います。

2.FIRST LOVE TWICE:「オン・マイ・ウェイ」カップリングのギターポップです。うーん、これは「オン・マイ・ウェイ」のハードロック志向時代より若干前に作られた曲じゃないかなと思います。趣が違います。

3.We're alive:「ワインレッドの心」カップリングです。ハードな曲で元気な曲で、ライブのアンコールによく用いられる有名曲でもあります。有名曲ですが、これもファーストアルバムとセカンドアルバムの狭間にある曲調で、これまでアルバム収録がありませんでした。

4.マスカレード (シングル・バージョン):「マスカレード」自体は『安全地帯II』に収録されていますけども、若干だけ構成の異なる曲になってシングルカットされました。

5.置き手紙:「マスカレード」のカップリングで、これまでに『WE'RE ALIVE』で演奏されてライブビデオに収録されていました。慟哭系の寂しいバラードです。

6.一秒一夜:「熱視線」のカップリングで、安全地帯の曲中唯一矢萩さん作曲(当時)、唯一矢萩さんボーカルの曲です。またこれが暗くて不思議系の曲になっています。

7.ノーコメント:「悲しみにさよなら」のカップリングで、これまでは『ONE NIGHT THEATER』で演奏されビデオに収録されていました。軽快なギターポップです。

8.チャイナ・ドレスでおいで:「プルシアンブルーの肖像」のカップリングで、なんともいえない新感覚の曲です。

9.俺はシャウト!:「夏の終りのハーモニー」カップリングっていうんですかね、陽水さんと歌った曲です。ノリノリのロックですね。陽水さんの『GOLDEN BAD』にも収録されています。

10.恋はDANCEではじめよう:「Friend」のカップリングで、なんか急いで作った感のあるノリ一発のポップです。

11.じれったい (シングル・バージョン):これもアルバム収録のものとは若干構成と、ミックスも若干違って聴こえます。このアルバム随一の有名曲ですね。

12.ひとりぼっちの虹:「じれったい」カップリングです。シンセとボーカルの小品バラードです。こういう歌詞は沁みる人には沁みます。

13.きっかけのWink:「Juliet」カップリングの軽快なポップスです。あんまり軽快なんでシリアスな『月に濡れたふたり』には入れられなかったんじゃないかと思います。

14.時計:「月に濡れたふたり」カップリングの、不思議系バラードです。

15.ナンセンスだらけ:「微笑みに乾杯」カップリングの、不思議系というか不可思議系というかのポップスです。これが安全地帯最後の曲なのか?と訝しくなるほどお別れ感はありません。逆にいうと、この曲で終わりなわけはないからきっと復活するだろうとは思えました。

16.地平線を見て育ちました。:「あの頃へ」カップリングの、牧歌的なポップス、合唱曲ですかね。

17.あの頃へ 〜'92日本武道館〜命〜「涙の祈り」:「ひとりぼっちのエール」カップリングのライブ音源です。もう新曲作る余裕もなかったのか……と寂しくなりますけど、演奏はマーベラスな出来です。

さて、次回以降、一曲ずつ語ってまいります。「マスカレード」「じれったい」「あの頃へ」はすでにご紹介させていただきましたので、上のリンクをご参照ください。何度も同じ話で恐縮ですが、安全地帯はこのアルバムをもって沈黙していましたので、このアルバムが終わるとしばらく玉置さんソロのみを扱う期間……たぶん今年と来年いっぱいくらいは……最短でも……になります。ですからあまり過去のことばかり思いだして寂しがってないで、張り切ってまいります!
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2022年01月07日

青い”なす”畑


玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』十曲目、本アルバムラストチューン「青い”なす”畑」です。

トマトはナス科です。言われてみりゃ似てます。葉とか茎とか見る人が見れば一目瞭然なんでしょうが、家庭菜園の経験すらないわたしですと、実がなるまで別物だと気づかないです。そんな家庭の畑で、トマトだと思って育てていたらナスがなっちゃって、ありゃナス畑だった、いままで気づかず耕してたよ、こりゃおれの人生みたいだな……という歌です。

演奏はガットギターたぶん一本、ドラム、最後にウインドチャイムだけです。ラストの「花咲く土手に」リプライズ部分も口笛、コーラス、ガットギターだけ……だと思います。シンセかなと思っていた低音が突如「フンフフーン」と歌いだして玉置さんの声だったのかと驚かされます。

声も声ですがギターもギターで、おそらく一本のガットギターでいろんな音を出しています。たぶん指の腹で弾く、爪で弾く、指先で弾く、等々様々なタッチで音を出しているのだと思います。これはすごい。しかも計画・計算してなさそうですよね。感情の高ぶりや静まりに合わせて指先のコントロールが自然に行われているんだと思います。ご本人でも同じような精神状態や身体の状態でなくてはコピーできないでしょう。

「とまと〜」と唐突に歌が始まり、次いでギターとドラムが入ります。兄弟ふたりで作った音です。この兄弟にとっては朝飯前なのかもわかりませんが、わたくしがギターもしくはドラムですと何回やり直しになるか……ピッタリ合ってますね。一緒に録音したんでなくて、玉置さんのテイクを聴きながらドラム入れたんだと思いますが、それにしたって、この感情赴くままの歌とギターを聴いてドラム入れるのは簡単ではなかったことでしょう。「ツッ……!」「トッ!……」「ズシ……」「バシ!……」とタッチを極めて繊細に使い分けているのがよくわかります。かつてZeppelinみたいに歌えと玉置さんに言っていたお兄さん、きっとボンゾみたいに叩くのが得意なんだと思うんですが、バンドが発展してゆく過程で武沢兄弟のテクニカルさと玉置さんのエモーショナルさに合わせてどんどんスタイルを変えていったのでしょう、地鳴りのようなドラムではまったくありません。この繊細なドラミングは、軽井沢時代の玉置さんに影響を与えたんじゃないかな?と思われるんです。軽井沢時代の玉置さんはキットカットの箱に爪楊枝を入れて叩く等の工夫をしていたわけですが(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、お兄さんがこのアルバムでみせた、玉置さんの魂に寄り添うかのようなこのスネアコントロールによって、ドラムの音に非常にこだわるようになったのではないかと思われるのです。実際にはお兄さんがズッシンバッシンとボンゾのように叩きまくって玉置さんにいろいろ言われて不本意ながらこういうドラミングにしたという可能性もなくはないですが(笑)、お兄さんが弟の再生のために魂を救い上げる思いでどんな心の動きにも対応してみせるぞ!と丁寧にやさしくドラムを叩いたとわたくしは信じたいのです。

家の庭にトマト畑があって、夏には毎日赤い実がなって、それをもいで食べて楽しむために、毎日世話をします。それは、家庭や地域の人たちが子どもにかける期待に似ています。いやあ、大きくなったねえ、大人になったらお父さんの時計屋さんを継ぐのかい?それとも野球選手になるのかい?……「思われ」「慕われ」て育ちます。そして子どももそんな気になっていきます。「覚悟」するのです。

お嫁さんはどんな人だろうねえ、子どもは何人かな……そんな人々の期待を受けますが、少年は何をどうしたらいいかわかりません。さしあたり自分のできること、興味の向いたことに集中します。歌うのが上手だね、こりゃ歌手になるかもねえ……と「思われ」ます。もちろんのちに安全地帯がトップバンドになって玉置さんが大スターになるなんて誰も思っていません、本人でさえもです。

上京してサクセスしてから、玉置さんは安全地帯を誰よりも愛していながら、愛しているがゆえに安全地帯を離れたり壊したりしてしまいます。「勘違い」を「ひとりで耕す」ようなこと、たとえばドラマや映画まで「引き受け」てしまい、のめり込んでしまいます。メンバーや松井さんの気も知らずにチャリティーコンサートをやってみたり北海道に帰ろうと言ってみたり、ソロでバンドとは全然違う音楽を試してみたりと、まるで地に足がついていません。でも、すこしもふざけていません。一生懸命なんです。家の畑を一生懸命に耕してみんなが期待しているトマトを育てているつもりでナスを育てるような、そんな日々です。

玉置さんは俳優でもソロ活動でも、なんでもニコニコしながら超人的な仕事をやってしまいます。ですから「慕われ」るんです。それは、武沢さんやお兄さんとバンドをやっていたころから、「さあバンドやろうぜ、ぜったい楽しいよ、成功するに決まってるよ」とみんなを率いて突っ走り、みんなに夢を見せてくれる太陽のような人だからです。もちろん絶対の自信をもっているからこそそう振る舞えるんですが、ほんとうは誰よりも不安だし怖がっていたのも玉置さんなのでしょう。そしてバンドは本当に大成功しちゃいます。ソロ活動も俳優業もけっこう当たります。順風満帆です。ですが、帆はそんなに丈夫でなかったんです……。

あるとき、帆に小さな破れが走り、左右のバランスが崩れ船が傾きます。マストが倒れ、傷つき、船は座礁してしまいます。クルーは投げ出され、離れ離れになってしまいました。玉置さんは荒れた暗い海を泳ぎ、故郷に帰りつきます。

「「思われ」「慕われ」「覚悟した」」、「わからん 知らんで 「慕われ」た」と、低音を利かせたアルペジオのギターに合わせて、翻弄された心身の境遇がスピーディーに流れるように、もっというと滑ってゆくように、運命の渦に飲み込まれてゆくように表現されます。こんなスリル満点の歌、目の前で聴いたら失神ものでしょうね。一気に力が抜けるような、忘我の境地に達する快感が得られることでしょう。

そして曲はサビに突入します。「広がる〜」と、本当に空の隅々にまで広がっていくかのような、すごい声です。そして「ちっちゃな〜」とほんとに小さな、ささやく声との緩急にはため息を漏らさざるを得ない表現力です。小さくても聴こえます、はっきり通るんです。玉置さんのボーカルはどこもかしこももの凄いんですが、この緩急のつけかたが一つのポイントなのでしょう、完コピするとすこぶる歌うまくなりそうです。わたくし?コピーできるわけがないのでモノマネだけします(笑)。いや、これはコピーできるところまでいかないですよ、ほとんどの人は。

辿りついた故郷で、「広が」ったかつての夢、それと比べて「ちっちゃ」くみえる今と少年のころの、自分というひとりの人間存在を、時間をかけてゆっくりとみつめます。そして気づくのです。どっちもいい、どっちも自分なんだと。ここにはあの頃と同じ青い空がある、その下にいる自分はいまも昔も自分であって、この関係は変わることがない……

なんか、吹っ切れたかのような歌なんですが、静養の時期に玉置さんと会った金子洋明さんが、「僕はもう死にたい気持ちなんです」とか言っている玉置さんがこの歌を歌っているのを聴いています(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。つまり、この歌ができた時期にはぜんぜん吹っ切れていません。これはあくまで、玉置さんが自分のグチャグチャの精神をまとめよう、整理しようともがいていく過程に生まれた歌なんだということができるでしょう。その金子さんがマネジメントを引き受けて、玉置さんの活動が再開します。金子さんがいなければ、わたしたちはこのあと玉置さんの音楽も安全地帯の音楽も楽しめなくなっていた可能性すらあります。

「大切な家」の脇に、わずかな青空から太陽と雨を浴び、「強く強く生きてきた」、トマトだと思っていたらナスだった玉置さん、あれ、おれってナスなのか……トマトだと思ってるみんな、がっかりするかな……でもこれがおれなんだ、ナスはナスだ、「覚悟」して大きくなって、がっかりされても驚かれても、逆にすごく喜んでくれたとしても、すべて引き受けるしかないんだ……。

自信も気力もメンバーもみんな失って、ボロボロになった玉置さんは、たったひとりでギターを弾いて、自分の再生劇すら音楽で作ろうとします。その舞台となったのが旭川なんですが、これも考えてみたらすごい話ですよね。静養すら音楽でやってしまう!ゆっくり休んで回復してから東京に帰って曲作り始めればいいのに。もう仕事してるんだか休んでるんだかわからないです。半年くらいは空ばかり見て暮らしていたそうですが、よくもまあ半年で……半年なんてあっというまなんですよ!わたくし!無職の経験ありますから!わかります!わからなくていいんですけど、悲しいことにわかるのです。バーンアウトしてから半年で活動を再開するなんて、生半可なエネルギーじゃありません。

さて、「オーオオオー」と歌う玉置さん、ジャリリン!とうウナリを上げるギター、ウインドチャイムで、曲はいったん終わります。遠くからコーラスが幾層にも重ねられ、「花咲く土手に」のリプライズがはじまります。「じゃがいもの花」に「じいちゃんの笑顔」を思いだし……北海道の「つかの間の夏」の、青い青い空を、自分が覚えていることを、自覚するのです。自分は、ここの人間なのだと。美しい口笛、つま弾かれるギター、カウンターを入れるストリングスのように響くコーラス……か、完璧だ……何も派手なことはやってないのに……玉置さんがいればそれで成立することしかやってないのに……わたくし、このコロナ騒ぎで面倒を避けるため帰省してませんけども、というかそもそもほとんど帰省しない人間なんであえてこの時期に行くようなことは初めからしないだけなんですけど、なんか……帰りたくなっちゃうじゃないですか、向こうは来るなよお前って思うでしょうけど(笑)。

さて、このアルバムも終わりました……わたくし、この曲の「とまと畑(実はなす畑)」が、CAFE JAPANのオーナーが耕している畑だと思ってるんですよ。もちろんただの妄想なんですけどもね。この人生の復活劇を支えた玉置さんの故郷、そして家、家族こそがCAFE JAPANなんだと信じてるんです。だからこそこの後の快進撃があったわけですから、あながちデタラメでもないと思ってるんですが、どんなものでしょうねえ?

次は、順番からいうと……94年夏『安全地帯/玉置浩二 ベスト』ってのがあって、玉置さんの初期シングルも少し収められているんですが、これらはのちの『EARLY TIMES』(97年)で扱おうと思います。すると、次は『安全地帯 アナザー・コレクション』(94年)になります。そのあと同年の『LOVE SONG BLUE』ですね。わたくし、この『安全地帯 アナザー・コレクション』でやっと安全地帯が終わったことを悟りましたから(遅い!)、『あこがれ』も『カリント工場の煙突の上に』も、『All I Do』と同じくサイドプロジェクトだと思ってたんです。違いましたね……『カリント工場の煙突の上に』は、わたくしにとって長い時間をかけてじっくりと味わわないとその意味が分からないアルバムですらありました。正直『GRAND LOVE』が出てからですかね、このアルバムの位置づけを、いまと同じように考えられるようになったのは。同じようなことが二回起こって初めてわかるんですよ、わたしってやつは。

それではまた、次のアルバムレビューでお目にかかれますよう!

カリント工場の煙突の上に [ 玉置浩二 ]

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(2022/1/7 14:43時点)
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2022年01月06日

元気な町


玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』九曲目、「元気な町」です。アルバム発売の前月にリリースされた先行シングルでもあります(カップリングは「カリント工場の煙突の上に(Single Version)」でした)。

三菱地所CMソングでもあったそうです。うーむ観た記憶がありませんが……デベロッパーにとっては、この歌が昭和の神居を歌ったものであるということなどどうでもよかったのでしょう。

遠くから子どもたちの声が聞こえてきます。団地内の公園……かつてはこのくらい多くの子どもであふれていたのかもしれません、わたくしの記憶の範囲内ではこれは市民プール並みの喧騒です。私が子どもの頃はこの声の中にいましたので、傍からこんな声を聞いた実感がいまいちないなあ。そんなことを思いながら昭和の時代に思いをはせていると、アコギのキレイなアンサンブルが始まり、玉置さんの「オオオー」が入ります。ギリギリこんな歓声を上げていた少年のころにはじめて耳にした玉置さんの声(い―まー以上〜こーれー以上〜)には違いないんですが、あの頃とはまったく彩りが異なります。なんという声!そしてギター!少年時代どころか、幼少期にまで意識をふっとばされるような強烈な郷愁!サビのメロディーをなぞる高音のギターと低域をえぐるギターとがアルペジオで連結され、眼前にはただただ、赤みがかったコニカ百年プリントの幼児期がよみがえってきます……。そういやグラウンド端の用水路に落っこちて土手を泣きながら帰ったなあ(笑)。ベースがズシーンと入り、お兄さんの叩いたドラムが始まります。ズバン!ズバン!といいドラムですよね、さすが元祖安全地帯!機材や録音の仕方の問題かもわかりませんが、そんじょそこらのアマチュアドラマーではこの存在感あるスネアは出ないように思います。すっかり言及を忘れていましたが、「大きな”いちょう”の木の下に」「キラキラ ニコニコ」そしてこの「元気な町」、さらに次曲「青い"なす"畑」にお兄さんのドラムがクレジットされています。いま観られるかどうかわかりませんが、90年代にNHKで放映された「玉置浩二 37歳のメロディー Wine Red & White Snow」でドラムを叩くお姿を拝見することができたと思います。

そして玉置さんのボーカルが始まります。なんと明るい声!演奏も基本明るいですが、前曲までのダークさが一気に吹き飛んだかのような、吹っ切れた明るさです。ボーカルだけなら『CAFE JAPAN』の明るさに匹敵します。これが、前曲までのダークサイドからの転生、再生を思わせる劇的なドラマ感を演出しているように思われるのです。ムリヤリいうならば起承転結の「転」なのですが、位置づけ的にはこの「元気な町」と次の「青い”なす”畑」で律詩の「尾聯」を構成しているという、なんだかわからない既存の構成法にはあてはまらない排律っぷりです。だって前の曲までダークで重くて辛かったんだもん!(笑)こういう曲の来るのを今か今かと待っていてやっと来たって感じでした。この曲がここにあることで、どれほど精神的に救われることか。

「しかられても あつまって 遊んでた」って、これだけで一気に気分は少年期!少年期は叱られますよね、何やったかは全然覚えていませんが。そして集まりますよね、親とか先生とかのところにいるのを「集まる」とは言いません。少年たちだけのソーシャルに居たいのです。いま思うと別に親や教師だってそんな理不尽なことを言っているわけではなかったんだと思いますが、それがウザくてたまらないんです。いうこと聞かずに、自分たちの心身をフルに稼働するような遊びだけをして、尻は大人に拭かせます。用水路に落っこちても洗濯は自分でしません(笑)。居心地いいというか、そこが本来の居場所であるような感じすらするんですよね。教育の世界では「ギャング・エイジ」とか呼ばれる時期、「みんな輝く季節」です。Wikipediaで「ギャングエイジ」を調べてみると、年齢が高くなるにつれて性別やら多様性やらのせいで集団が小さくなる、そのうち内面への関心が強くなり集団は消滅する、なんて寂しいことが書いてありました。そういやそうだなー、小学校の頃はそんなにいろいろな奴ってのはいなくて、みんなゴチャッと遊んでたよな、中学校以降だと似たような奴ってのが出てきて、そいつらとばかり集まってた気がするな、と思わされます。

さて「その目に何が見えたの」と玉置さんが問いかけるように音程を上げ、曲はサビに突入します。「good time」とこのアルバム唯一の英語サビ、しかもハモリ付きです。このアルバムどころか、前作『あこがれ』にもありませんでした。玉置さんも松井さんも須藤さんも英語をやたら使うタイプではありませんから、このパターンは今後をあわせても非常に珍しいのです。Zeppelinの「Good Times Bad Times」を一瞬思いだします。いい時期もありゃ悪い時期もある、これがおれの身の丈に合った取り分ってことさ……玉置さんも、少年時代がgood time、そしてこの苦しんだ時期がbad timeだとすれば、そんな時期にgood timeであった少年時代に思いを馳せるのはごく自然なことといえます。同様のテーマで作られたであろう曲「メロディー」はその決定版の郷愁を感じさせますが、あの苦しい平成不況の時期bad timeに、消沈した大人たちにgood timeを思い出させてくれたからこその人気だったといえるでしょう。

そんなgood timeへのトリップに遊んでいる間に曲は二番に入ります。「手をたたいて だきあって 喜んで」って、もう何で喜んだのか覚えていませんが、みんなで喜び合ったことは覚えています。多分つまらないことなんですよ、川に石を投げたら五回水面上でバウンドしたとか、ドッジボール大会で学年優勝したとか、その程度のことです。でも、みんなで喜び合った記憶はかけがえのないものです。うれしかった、そのうれしさを分かち合えた、そのことがうれしくってずっと心に残っていた……そんな仲間と「さよならの日」には寂しくて名残惜しくてずっと手をふった、そんな記憶のあれやこれやが次々と去来します。飛行船のように「風に浮かんだ帽子」なんて見たことないのに、見たことあったんじゃないかとすら思わされるほどのメモリアクセスパワーです。松井さん作詞の「ゆびきり」に登場したモチーフですから見たことあった気にうっかりなりますが(笑)、「夢をはこぶ飛行船」はわたくしの少年時代にはなかったようです。

good time「を」世界中からとどけて、good time「において」愛し合えるさと、ラブ&ピースなサビが朗々と歌われます。Zeppelinのようにブラウンアイの男に恋人を奪われるようなことはありません、あ、それはbad timeか(笑)。でもそんなラブ&ピースなgood timeを思いだすのはbad timeのときなんです。ですから、この明るい歌を歌っているときの玉置さんはいかほど苦しいときを過ごしていたのかと、こちらまで胸が痛くなってきます。

痛くなってきた胸をかき鳴らすかのように、「思いだすのさ」の裏に美しい鈴なりのギターが響き、そのまま軽快なギターがソロを奏でます。途中から子どもの歓声が入り、歌が始まっても止みません。「一日中笑って」「ずっと泣いて」と喜怒哀楽を一瞬で通過し、すぐに最後のサビへと突入してゆきます。

「きみとならんで」?そういや最初のサビでも「きみと二人で」って言ってたな……もしかしてこれギャングエイジの歌でなくて恋人との歌なの?いやいや、「みんな笑顔」って言ってるし第一「あつまって」るもんな、この「きみ」はきっと相棒、「みんな」の中でも特に仲良しのバディーなんだ!そういうことにしよう!(笑)。思いだしてみれば、ギャングエイジにあっても相棒的な友人はいたような気がするのです。もう電話番号もわかりませんが。実家の母に訊けば消息くらいは知ってるだろうけども、あえて連絡することもありません。good timeのことは遠すぎてもうあんまり覚えていませんし、bad timeの話は酒場で一晩話せばそれで終わりにすべきつまらない話だからです。うーむ、玉置さんはご友人が入れかわり立ちかわりご訪問なさって玉置さんを癒してくれたそうですから(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、なんという人徳の差!(笑)。ですから、ここで歌われるgood timeはどれほどgoodだったのかと、安易に自分の少年時代を重ねるのを申し訳なく思わされるんですが、それしかないんだから仕方ないじゃん!と開き直りたい心境でもあります。「生まれた町」だって、リスナーそれぞれ違うんですから、みんな自分のgood timeを、自分のbad timeに思いだしながら聴く、というのが正解なのでしょう。前曲までのダークサイドと違って多くの人が楽しめるこのオープンな感じは、新たな玉置浩二の世界への跳躍を予感させます。

「玉置浩二 37歳のメロディー Wine Red & White Snow」ではそんなに大きくないホールでお兄さんをドラムに、石川さんをギターに、そして多くの地元のみなさんをコーラスに、一緒にステージに上がり、最後の「ララララーラー」を合唱していた記憶があります。何せもう25年とか前のことですからその記憶も定かではありませんけども……

そして子どもたちの歓声の中、Simon & Garfunkelの「早く家へ帰りたいHomeward Bound」を思わせるギターで曲は終わります。ホーム、僕の思惟が逃げ込める場所、ホーム、僕の音楽が流れる場所、ホーム、愛しい人が静かに待っていてくれる場所……いや、玉置さん、わざとでしょ!この終わり方!(笑)。

そんなわけで、「夢の都」「ともだち」から始まって、「メロディー」へと続いてゆく一連の望郷ソング系譜にあって、中興の祖とでも言うべき「元気な町」でした。あれから30年弱、三菱地所のニュータウンもそろそろあの頃の子どもが当時の玉置さんくらいのトシになってるくらい時を経ましたね。みなさんの「元気な町」「生まれた町」がgood timeという宝物をみなさんに思い出させることを祈念しております!

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2022年01月04日

納屋の空


玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』八曲目、「納屋の空」です。

前曲「家族」とは違って、曲らしい曲です。本アルバム中、曲らしい曲の中でもっとも玉置さんのコアに迫った曲といえるかもしれません。

アルペジオのガットギターからはじまり、リードのギターとベース、シンバル、なにやら細かく刻まれる打楽器、そして「ずっと……〇×△◇」という玉置さんのささやきで前奏は構成されています。

これ以降サビまでシンバルはほとんど入らず、サビでわずかにバスドラが打たれ、一番の終わるタイミングからドラムが、ズッパン……ズッパン……と重く入ってくるのですが、ギターやベースはあまり調子が変わらず、淡々と弾かれます。しかし、曲の最後、この淡々ぶりが徐々に盛り上がってゆくさまは、『CAFE JAPN』以降の玉置サウンドの原形といえるでしょう。見事な、これこそ「変態(いい意味の)」といっていいでしょう。蛹から成虫になる様子に似てます。カオスになりそうな音たちを曲としてまとめ上げ、感情の盛り上がりを像として結んだほとんど最初の例であるように思われます。別ないい方をすれば、『CAFE JAPAN』や『JUNK LAND』で聴けるような玉置サウンドを好きな人であれば、この曲にはその原石をみつけることができるでしょう。

ただ、『CAFE JAPAN』や『JUNK LAND』とは違って歌詞が思い切り暗く、多分にセンチメンタルです。この時期の玉置さんの心境を思えばもちろん当然のことなんですが、こんな傷心の時期にあってもサウンドはすでに次の時代への萌芽を膨らませているのですから、すごいエネルギーだとしか言いようがありません。

さて歌は、タイトル中の「納屋」を中心に追憶の中に沈んでいきます。辛いことがあったとき泣いていた納屋、あぜ道脇の、風で吹っ飛びそうになっている納屋、悲しみを吐き出し、心を癒し、愛と希望とを湧き出させる場であった納屋……

北海道人たるわたくし、この情景を経験的に理解していたかったのですが、無念ながらそんな納屋は知りません……これは上川盆地という北海道随一の穀倉・農業地帯であるからこそ可能であった情景であるように思われます。札幌の住宅街では、家の裏にある、家々の屋根に囲まれた物置が納屋です。冬の間は使われないバイクや自転車を格納している、寒くて入る気にもならない、そもそも入り口付近が雪に埋まっている物置ではそんな精神的ドラマは起こりようがないのです。歌詞カードの写真で、畑の片隅で玉置さんが寄りかかっている傾いた建物こそが、そのような情景にふさわしい「納屋」でしょう。

傷つき、倒れそうになり、風の中フラフラと納屋にまで辿りつきます。演奏も一瞬止まるほどの辛さです。その納屋には、壁に絵が描いてあります。なんでしょうね?悪ガキのいたずら描きかもしれませんし、風雪によって自然に描かれた模様かもしれません。田舎によくある広告看板かもしれません。もしくは団地絵のようなものかもしれません。真相は不明なのですが、妙に惹かれる絵というのは幼少のころよくあったように思います。わたくし、横浜タイヤの顔なんて味があって好きでした。もちろんこの歌の「壁の絵」はそういうのじゃないんだとは思いますが……なんにせよ昭和の何かではあるでしょう。そんな納屋は心落ち着く場所、秘密の場所なのです。夕暮れになるまでぼんやりと雲を眺め、日が暮れて気が落ち着き、また歩き始めることのできる場所なのでしょう。

「のろし雲が叫んでた」のはちょっと謎ですが、旭川空港に発着する飛行機による飛行機雲なのだと思います。飛行機の発着ですから「叫ぶ」ような音がしているのでしょう。そうであれば、「離れそうになる君」の正体がみえてきます……具体的な誰であるかはわかりません。飛行機で新天地に旅立つご友人なのでしょう。納屋の空を眺め、羽田空港へと向けて飛び立つ飛行機に心の中で別れを告げるのです。こうして「会った」のですが、空港で見送ってませんので「会えない」というわけなのでしょう。

さて、一番を一気に歌詞だけで通過しましたが、この歌い回しったら、背筋がゾクゾクときます。「夕暮れ」「空が」「赤く」「揺れた」と細かく言葉を切って一つずつ吐き出しつつ、「のろし雲が」と大きく伸ばす、この緩急だけで悶絶ものです。裏のギターも最高のタイミングで胸を締め付けるように「ぺロロン」「キュイーン」と泣きます。これは作詞作曲玉置浩二、かつボーカル玉置浩二であるからこそ出せる言葉と音楽の融合でしょう。自分の肉体が出せる表現をギリギリまで追究したかのようなことばの連続に、これまでにない一体感を感じずにはいられません。この経験があったからこそ、『CAFE JAPAN』以降の作品が成り立ったとさえいえるんじゃないかと思います。個人的には『CAFE JAPAN』よりも『JUNKLAND』のほうがその一体感は強いように思えますので、よろしければ『JUNKLAND』をお聴きになってからこの『カリント工場の煙突の上に』をお聴きになり、玉置さんの選んだ言葉を玉置さんが歌うことによって生まれるノリを意識してお聴きになってみてください。なお、このアルバムでは「キラキラ ニコニコ」「納屋の空」「元気な町」「青い"なす"畑」の四曲が作詞作曲玉置浩二のクレジットになっています。

曲は二番に入り、玉置さんのドラムが鳴り響くなか、難解な詞を歌った二番に入ります。難解なんですが、玉置グルーヴによってすっと聴けてしまう不思議な個所です。「ズジャでもいいんでしょ」とか言われた気分です。よくねえよ。

「赤のセロファン」って学校でもらったことあるんですが、なんかうれしかったですね。なんに使ったのかははっきりわかりませんが、たぶん図画工作でステンドグラスづくりでもしたのでしょう。彫刻刀を木に入れる前の準備段階だったんだと思うんですが、切り出し刀でボール紙とセロファンのステンドグラスを作ったことがあります。残ったセロファンを、帰り道に雪に透かして遊んだ記憶もあります。白い世界が赤い世界にみえて面白いんですよ。「消えないよう 落ちないよう 僕が付けたサビ」を雪で洗うというのはよくわかりませんが……雪にはよくサビがついてました。たまにあった木の電柱に巻き付けられていた針金や、それこそ納屋のトタン屋根を支えていた釘で、雪が赤くなっているんです。赤のセロファン越しにみると、そこだけ黒く見えると思います。でもそれじゃ意味が通りません。たぶん、「サビ」的なものをセロファンにくっつけてあって、それを雪にこすりつけて汚れを落としていたんだと思います。「サビ」は本当のサビでなくて、図画工作で作った作品等としての何かでしょうから、それが落ちないように注意しながらセロファンをきれいにしていたんだと思います。なぜそんなことしているのかはさっぱりわかりませんが、少年の考えることなんてわからないものです。この傍からみたときの不合理さが、リアルな少年時代の描写になっているんだと考えたいです。わたくしなんて雪に「トーチカ」をいくつも作って、手近な屋根に上ってそれを「空爆」していたものです。傍からみて何をやっているんだかわかるほうが怖いです(笑)。

さて、歌詞はさらにわけが分からなくなっていきます。「にじんだ」「ビルと」「欠けた」「屋根と」「時をつーなぐ」と玉置グルーヴ全開で強引に分からされた感じがしますが、冷静になるとやっぱりわかりません(笑)。季節は春でしょうから遠くに見える市街地のビルが水蒸気で霞んでみえる、もしくは東京のビル街を思いだしているのでしょう。風雪に耐えて変形してしまった納屋のトタン屋根は、まるで別の星にあるかのように違う世界です。それは市街地と近郊農業地帯との違いでもあれば、少年時代と青年時代の違い、それぞれに過ごしていた旭川と東京の違いでもあるのかもしれません。ですが、すべて同じ人間・人格であるところの玉置浩二がいた空間です。それは全然違う世界であって、それが統一体であるところの玉置浩二という人格を切り裂くかのような感覚に襲われているのではないか、それらをつなぎとめ、一つのものとして心の中に整理させる、統一させる可能性を示唆するものは夜空の星が過去でも現在でも旭川でも東京でも同じだということ……その星たちがひとつずつ、時間と空間の狭間にバラバラになった精神の欠片に降り注ぎ、夜空にまた昇って統一させてほしい、なんて思いが込められているのではないか?……むむむ、無理やり考えると苦しい(笑)。

ものすごく下世話に考えれば、忘れずに連れられていく「君」は、もしかして恋人や奥さんなのかもしれません。だって玉置さん、そっち方面でもだいぶバラバラじゃないですか(笑)。バンドのメンバーはあんまり変わらないのに。

節操がないとかそんな意味になりかねないんですが、でも、これは誰の心にも少しはあるんじゃないでしょうか。わたくしも家庭ある身ですからあまり迂闊なことをいうとのちのち自分の居心地が悪くなる危険を冒すわけなんですけども(笑)。こんな少年時代の、原風景にあたるような場所を一緒に歩いていた、このままずっとつれて行けると思っていた「君」は、いまは一体どこで何しているやら、ぜんぜんわかりません。実家のイエデン番号がわからないどころじゃないですよ、わたくし、例によって声だけはよく覚えているんですが、もう顔もよく覚えていません。「今よりもっと遠くへ」、つまり、ずっとずっと未来まで、一緒にいようねって思っていたのでしたが、実際にはだいぶん近い未来でしかなかった「今」でさえ消息不明です。あぜ道を渡って農業地帯を抜け出し、ぜんぜん違う世界の青空の下へ行っても、「あふれる愛」「幸せ」は変わらないと信じてたことを、あの頃と同じく傷つきたどり着いた「納屋」のそばで空を見上げて思いだすのです。

例によって全然ちがう心象、情景が歌われているのかもわかりませんが、もしも玉置さんのお考えになってたことにこのわたくしの妄想の熱量だけでも似ていたのであるとすれば、それをものの数分の歌にして盛り上げていった玉置さんは、ちょっと信じがたいシンガーソングライターです。作曲家、歌手としてのもの凄さはこれまでのキャリアで十分すぎるほど世の中に見せつけてきた玉置さんですが、ここにきて、歌詞という表現ツールを自分の作曲、自分の歌唱に見事にアジャストすることによって、新しい時代に突入したということができるでしょう。アルバム全体がきわめつきに暗く重いのでわたくしも今の今までわかってなかったのかもしれません、このアルバムこそが、これ以降の玉置さんを方向づけたのだということを。

例年、大晦日か元旦、あるいはその両方に更新をしていたのですが、今度の年越しではそれができませんでした。なにしろ前曲の「家族」延々リピートが重くて、玉置さんの音楽を聴く気にならず、ひたすらギター弾いていたのです。メタリカとか(笑)。ヘヴィメタで自分の原点をもう一度見つめ直さないと、とてもとても玉置さんの音楽に向き合うエネルギーが出ませんでした。メタリカよりエネルギッシュってどういうことだよ参っちゃうなあとか思いながら。おかげでここニ三年やっているギターのリハビリがたいぶ進みました。

2021年はほとんど休まず50本くらい?記事をかけましたから、このペースでいけば2022年内に『JUNK LAND』くらいまではいけるかなーなんて思わなくもありません。いまサラッと書きましたけど、このペースでも『JUNK LAND』までしかいかないのか……玉置さんソロって分厚いなあとちょっとめげそうになりました(笑)。ともあれ2022年も精力的に更新していく所存でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

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