『今月から開始された話題の脊髄損傷治療って?』
Point
■脊髄損傷に対する画期的な再生医療が日本で保険適用
■患者自身の「間葉系幹細胞」を取り出し、増やしてから本人に戻すという治療
■1回の点滴で劇的な効果
■臨床試験が終わり製品化されて今年には保険適用も決まっており、もうすぐ治療開始
札幌医科大学が今月から、脊髄損傷に対する画期的な治療を開始する。この治療はNHKスペシャルで紹介されて話題となり、文藝春秋6月号でも「ペニシリン以来の大発見」と報じられたものだ。ペニシリンとは世界初の抗生物質だ。その後に開発された様々な抗生物質が、感染症の治療薬として当たり前となっていることを考えると、「ペニシリン以来の大発見」とまで言われる新治療がどんなものなのか興味が湧いてくると思う。今回はその治療法について分かりやすく解説したい。
気になる新治療の治療法とは
これまで脊髄損傷は手術でも治せないとされ、リハビリで少しずつ生活を取り戻すしか治療手段はなかった。ところが今回、脊髄損傷に対する世界初の画期的な治療法が開発された。その治療法は、脊髄を損傷した患者さん自身の血液や骨髄液から「間葉系幹細胞」を取り出し、特別な施設で培養し、「間葉系幹細胞」が1億個に増えたら患者さんの体に点滴で戻す。
Credit:札幌医科大附属病院
「間葉系幹細胞」というのは未熟な細胞で、様々な細胞になる能力をもっている。神経細胞にもなれる能力があり、患者さんに投与されると損傷された脊髄の周りの炎症をしずめたり神経の再生を行ったりすると考えられている。この新しい治療法の臨床試験は2013年から行われていた。この試験が2017年に終わり、点滴が製品化され、今年に入って保険適用されることも決まった。ついに脊髄損傷の新しい治療が日本で行えるようになったのだ。臨床試験を行った札幌医科大学では5月中旬以降からの治療開始を予定して患者が募集されている。この治療の開発から保険適用までの期間は他の薬に比べ短かったが、その理由のひとつは13例のうち12例が改善したという劇的な効果だ。たとえば脊髄損傷により四肢麻痺となった患者さんが翌日には肘や膝が曲がるようになり、12週間後には普通に歩けるようになっていたそうだ。これまで治ると思われていなかった脊髄損傷にこれだけの効果があるとは驚きだ。
保険適応、さらに高額療養費制度が利用できる
治療は点滴を1回行うだけ。その1回は1500万円もするのだが、先程述べたように急性期に限ってではあるが保険が適用されるため、3割負担で450万円となる。さらに高額療養費制度を利用すれば、年齢や収入によるが、入院代などを含めても最大で月23万円ほどですむだろう。この脊髄損傷の新しい治療薬は、自分の細胞が使われていること、静脈注射であることから体に優しい治療ともいえる。札幌医科大学では脳梗塞に対する再生医療の臨床研究も行われている。今回の成果がたくさんの優しい再生医療の開発を促すことを期待したい。
https://news.nicovideo.jp/watch/nw5299261『iPS細胞で脊髄損傷の再生医療に挑む医師を突き動かす「苦い思い出』
名医やトップドクターと呼ばれる医師、ゴッドハンド(神の手)を持つといわれる医師、患者から厚い信頼を寄せられる医師、その道を究めようとする医師を、医療ジャーナリストの木原洋美が取材し、仕事ぶりや仕事哲学などを紹介する。今回は第8回。iPS細胞を使って脊髄損傷の再生医療に挑む中村雅也医師(整形外科教室教授)を紹介する。
脊髄損傷からの回復
ようやく実現が見えてきた
2019年夏、脊髄損傷治療は、希望に満ちた新たな段階に進む。
今年の2月18日、厚生労働省が、iPS細胞を使って脊髄損傷を治療する慶応大の岡野栄之先生(生理学教室教授)と中村雅也先生(整形外科教室教授)らのチームに対して、臨床研究を了承したのだ。iPS細胞から作った神経のもとになる細胞を患者に移植し、機能改善につなげる世界初の臨床研究となる。
脊髄は長さ約40cm、直径1cm前後の神経の束だ。脊柱管のトンネルを通り、脳からの指令を手や足などの末梢に伝えたり、逆に末梢からの信号を脳へ伝えたりする役割を果たしており、人間の顔面以外の運動や感覚はすべてこの脊髄を介して行われている。
この脊髄がケガや事故などで傷つき、手足の麻痺(まひ)などが起こるのが脊髄損傷だ。損傷部位が脳に近いほど麻痺も広範囲に及ぶ。脳からの命令が完全に伝わらなくなる「完全型」の場合、一瞬にして手足は動かなくなり、感覚も失われる。
日本では毎年約5000人の患者が新たに発生しており、総患者数は10万人以上。重症の場合、車いす生活を余儀なくされる。「一度切れてしまった脊髄は、2度とつながらない」というのが従来の医学の常識であり、現在は治療といっても、リハビリでわずかに残る機能の回復を目指すしかない。
中村雅也先生は20年以上の長きにわたり、整形外科医として脊髄疾患や脊髄腫瘍の外科的治療を行うかたわら、脊髄損傷の研究に取り組んできた。
「脊髄損傷の何が厳しいかって、脳挫傷と違い、意識は正常なので、自分のおかれている状況がすべて理解できる。それなのに、人の手を借りなければ何もできなくなってしまい、その状況が一生続くのです。
昔は、合併症を起こしやすかったので、患者さんの生命予後は短かいものでした。しかし現在は、治療法が進歩したおかげで、生命予後は健常者とほとんど変わらなくなっています。しかしその分、苦しみも延々と続きます」
意識ははっきりしているのに、生命がある限り続く“金縛り”。そんな生き地獄のような状況からなんとか患者を救い出すための戦いもまた、苦悩に満ちたものだった。
「僕は脊髄腫瘍の治療もしていますが、手術の際に、紙切れみたいなペラペラの神経だけでも残してあげれば、訓練次第でジョギングも可能なほど回復します。脊髄の中に神経が仮に100本あるとしたら、5%でも10%でも移植によって神経がつながり、失われたネットワークを再構築できれば、動けるようになる。今、あと少しというところまできています」
筆者の取材に、中村先生が最初に答えてくれたのは2014年のことだった。あれからさらに5年を経て、ようやく実現が見えてきた夢。ここに至るまでの20年、先生はどれほどの挫折感やもどかしさと対峙(たいじ)し続けてきたのだろう。
目の前で後輩が脊髄損傷
「なんとしてでも治したい」と決意
きっかけは、中村先生が大学2年生の冬に遭遇した、ある事故だった。所属していたバスケットボール部のスキー旅行。1年下の後輩が彼の目の前で転倒し、脊髄損傷になってしまったのである。
「彼が目の前で転んだとき、僕らは無邪気に笑っていました。ところが雪のなかに埋まったまま、全然動かない。『大変だ』となって慌てて救出し、病院へ搬送しました。医大生とはいえ、当時の僕は無知で、脊髄損傷がどういうケガで、その後どうなるかということはまったく見えていませんでした。だから、ようやく病院に到着し、病室に入ったときには、もう大丈夫だと安堵(あんど)したのです。でも、全然大丈夫ではありませんでした」
数ヵ月後、見舞いに訪れた中村先生を迎えたのは、変わり果てた後輩の姿だった。
「『退院し、リハビリをしている』というハガキをもらったので、回復してよかったと、お祝いを言うつもりで彼の家へ行きました。玄関を開け、中に入った瞬間に受けた衝撃は、一生忘れません。彼は顎で電動車いすのレバーを操作して出てきたのです。首から下は、まったく動かせない。僕は自分の能天気さを呪いました。
結局、彼は医学部を続けることができなくなりました。医者を目指して、大学に入ったばかりだったのに。彼のその後の人生をそばで見ていた僕は、これだけ医療や医学が進歩しているのに、なぜ治せないんだろう、なんとか治してやりたいと、強く思うようになりました」
それが、不可能に挑む、長い長い研究人生の始まりだった。
くじけそうになる自分を勇気づけ、前に進み続けるために大切にしてきたのは、パッション、ビジョン、アクションだ。
「医師としてのパッションは、後輩の事故に遭って抱いた、あの気持ちです。ケガや病気に苦しむ患者さんをなんとしても治してあげたいという情熱を常に持っています。 でも、情熱だけでは、夢は実現できません。不可能を可能にするには、何をしなければならないのかを考えなくてはならない。それがビジョンです。そしてビジョンを持ったら次はアクションあるのみですね。
実際20年前、学位研究が終わった後、僕はアメリカに留学しました。整形外科で脊椎・脊髄外科医としてのベースを築いたものの、脊髄損傷を治す糸口さえ見つからなかったからです。日本にいたんじゃ、いくら一生懸命やっても治せないと判断し、再生医療の研究をしている大学を探しあて、手紙を書き、面接を受けに渡米しました。ツテも何も、まったくなかったのに、無謀ですよね(笑)」
そんな中村先生も一度だけ、もう研究をやめようと、くじけかけたことがあるという。
「僕たちは当初、中絶胎児由来の神経幹細胞を使用して、移植治療を行う戦略を立て、研究を進めていました。でも2006年、倫理的問題のため、断念せざるを得なくなったのです。万事休すだと思いました」
ところが、事態は思いがけず好転する。
「同じ年、山中伸弥教授がiPS細胞を見つけてくれたのです。僕らにとってはまさに、天が下ろしてくれた“蜘蛛の糸”でした。あの細胞のおかげで、新たな展開が生まれ、それが今日につながっています」
人間の仕組みは発電所と一緒
リハビリなくしては再生しても歩けない
治療の希望が見えてきた2006年以降、毎日診察室で患者と向き合う臨床医でもある中村先生が注力してきたのは、リハビリの指導だ。そこが研究主体の医師とは大きな違いである。「人間が動く仕組みは発電所と一緒。大脳という発電所から出た命令が、送電線を通って脊椎という変電所に送られます。そこからさらに送電線が出て、手足の筋肉とかをモーターで動かすのです。 だから脊髄を損傷し、送電線が切れた状態になるともう、動かせません。それを僕らはもう一度つなげようと研究してきたわけですが、つながったとしてもモーターがさび付いていたら、体は動かないんですよ。関節が硬縮していたら動きっこない。そうなった患者さんには、残念ながら再生医療を行うことはできません。せっかく治療法ができたのに、受けられないなんて、もったいないですよね。
だから脊髄損傷の患者さんたちには、今からでも遅くないからリハビリをしっかりやってください、頑張ってくださいと言っています」
ひと口に脊髄損傷といっても、患者の年齢、急性期なのか慢性期なのか(損傷からどのくらい経過しているか)、完全麻痺なのか不全麻痺(部分的な麻痺)なのか等、患者の状況によって、再生医療の効果は異なる。 中村先生のゴールはあくまでも、慢性期の脊髄損傷患者の治療実現だ。困難ではあるが、チームは損傷から時間がたったマウスでも、運動機能の回復に成功しており、可能性は大いにある。 この夏から行われる臨床研究の対象は、脊髄損傷から2〜4週間が経過した患者で、運動などの感覚が完全に麻痺した18歳以上の4人。京都大学iPS細胞研究所が備蓄する他人のiPS細胞から神経のもとになる細胞を作り、患者1人あたり200万個を損傷部に注射で移植する。 移植から1年かけて安全性や効果を確かめるほか、移植と並行してリハビリも行い、手足などの運動機能の改善を目指す。他人の細胞を移植するので、拒絶反応を抑えるための免疫抑制剤を使用する計画だ。 安全性などが確認できれば、効果をより詳細に調べるための臨床試験(治験)の実施など実用化に向けた次の段階に進み、一般的な治療としての普及を目指す。
「たとえ一歩一歩の歩みは小さくても、確実に前進していきたい。患者さんたちの期待を裏切らないためにも、研究のための研究ではなく、“From bench to bed side”(研究室から臨床へ、の意)を合い言葉に、今後も研究を進めていきます」
https://diamond.jp/articles/-/202486<コメント>
「間葉系幹細胞」というのは未熟な細胞で、様々な細胞になる能力をもっています。殆どの怪我に対応できるのではないでしょうか。夢の未来がやってきました。