慶應義塾大学の卒業生が集う同窓会「三田会」。その規模とネットワークは他大を圧倒している。特に年1回開催の「慶應連合三田会大会」は数万人が集まり、複数の高級車が当たる抽選会が行われる。そこには多くの慶應生に愛される「ラーメン二郎」店主も参加するという――。
■慶應義塾大学の巨大同窓会「三田会」とは何か
早稲田大学と並ぶ私学の雄・慶應義塾大学。その卒業生、つまり同窓会の組織は「三田会」と呼ばれる。国公立であれ、私立であれ、ほとんどの大学には同窓会組織があるが、慶應のそれは「別格」だといわれる。三田会とはいったいどんな組織なのか。三田会関連の書籍を執筆してきたジャーナリストの田中幾太郎さんはこう話す。「慶應の学生は『塾生』と呼ばれますが、卒業すると自動的に『塾員』『三田会員』となります。ひとくちに三田会といっても、その種類はさまざま。卒業年度ごとの集まり(年度三田会)、自分が住む・勤務する地域ごとの集まり(地域三田会)、会社や職種ごとの集まり(勤務先・職種三田会)、出身学部のゼミや所属した部活ごとの集まり、主に駐在員などが集まる海外支部といったカテゴリーがあり、三田会の数は世界中に全部で900以上もあります。会費は基本的にかかりませんが、一部徴収するケースもあります。それぞれが主催する会合などへの登録・参加は各OB・OGの自由ですが、複数の三田会に所属している人も少なくありません」他大学ではこうした同窓会組織は形骸化することも多いが、各三田会の活動はかなり活発だ。それぞれの会によって異なるが、新年会やクリスマス会など年に数回の定例会で飲食や余興とともに親睦を深めるという形が多い。
■「ラーメン二郎」店主が参加した「連合三田会」がヤバい
中でも年に1回、10月に日吉キャンパスで開かれる「慶應連合三田会大会」は最大規模の三田会イベントだ。入場者が毎年数万人にもなる、塾員のための盛大な「お祭り」である。塾長をはじめ、OB・OGの政財界の要人、芸能人も参加し、ライブや出店、講演会などでにぎわう。また参加者は慶應出身者に限らない。たとえば2016年には三田キャンパスそばにある「ラーメン二郎」三田本店・店主の山田拓美さんのトークショーが行われた。山田さんは慶應義塾大学の卒業生ではない。なお慶應には卒業生からの推薦があれば「塾員」になることができ、山田さんは2018年度より塾員にもなっている。さらに連合三田会を象徴するのが、「福引抽選会」の景品の豪華さだ。2018年の景品は高級車(メルセデスベンツなど)、高級時計、真珠のアクセサリーや160万円相当の旅行券などだった。たくさんの企業や個人による協賛金やチケット収入を合わせると、運営費用は数億円に上るとみられている。それを切り盛りするのは広告代理店などではなく、ボランティアの塾員だ。どの塾員も多忙な仕事の中、手弁当で臨んでいるという。
■「三田会」を通じて慶應OBは人脈をどんどん広げる
三田会のメリットとして最も大きいのは人のネットワークが広がることだろう。「さまざまな年代の卒業生と知り合い、ざっくばらんに語り合うことで、結果的に情報交換ができ、人脈がぐんと広がります。同じ塾員という信頼感や安心感があり、警戒感のようなものを抱きにくいです。そのためか、自然とビジネスのお付き合いに発展することも少なくありません」そう語るのは、1990年度に大学の経済学部を卒業したタチバナ産業社長の野原将彦さん。卒業年度の「1990年三田会」(愛称・キューマル三田会)と、会社がある東京都台東区の「台東三田会」などに参加している。三田会や連合三田会で知り合った塾員同士で食事したりゴルフコンペしたりする中で、包装、梱包といった物流加工を手がける本業に加え、今、力を入れている紅茶の企画・販売の仕事にもそのネットワークが役立っているという。「『連合三田会大会』で幹事を務め、綿密な準備・運営をするのは、大学卒業後、10年目、20年目、30年目、40年目の学年というルールで、なかでも、最も重要な責任を負うのが大卒30年目の代で、20年目の代がそのサポートをします。連合三田会大会には、私は20年目から参加しています。ここで出会った仲間にうちの商品を応援してもらったり、一緒にコラボ商品を作ろうということになったりして、非常にありがたいことです」また、卒業後25年目の年には、その年の大学の卒業式に招待される仕組みがあり、寄付金を集めるのが通例となっている。野原さんの代は約5200万円も集まったとか。こうした活動で野原さんが何よりも得難かったのは「それぞれの分野で、第一線で活躍している同期と再び会え、刺激を受けられたこと」だという。ちなみに寄付金の使い先は、経済的に苦しむ学生の奨学金として活用してもらったそうだ。
■企業の採用も、学生も就活も「三田会」で恩恵を得ている
三田会が別格な点はほかにもある。それは就職活動に関してだと田中さんは言う。帝国データバンクが昨夏発表した「全国社長出身大学分析」によれば、上場企業社長の出身大学別ランキングで、1位が慶應義塾大学260人、2位が東京大学と早稲田大学の172人だった。田中さんによれば「1999年以降はずっと慶應大がトップ。企業には社長だけでなく慶應大卒の有能なビジネスパーソンが数多く存在し、こうした企業内の慶應閥(三田会)は強力な力を発揮しています」という。その力は、採用時にも働き、慶應大卒の学生は他大の学生に比べ優遇される場面も多いそうだ。「2000年代前半の就職氷河期には、就活に大苦戦している自分のゼミの学生を見かねた担当教授が三田会を通じて相談したことで、一度落ちた企業に再挑戦でき、内定をもらったといった事例もありました。一方、売り手市場の現在は、企業側がさまざまな三田会の関係者を通じて、有能な慶應大の就活生を囲い込み、青田買いしてしまおうという動きがあるようです」(田中さん)企業も学生も、上手に三田会のネットワークの恩恵を互いに享受しているというわけだ。
■三井物産、三菱商事に入社する学生の出身校が慶應断トツのワケ
『プレジデント』(2018年10月1日号)によれば、「18年春に大手商社やメガバンクなどに入社した社員の出身大学で1、2位を占めたのは主に早慶」で、とりわけ三井物産、三菱商事など日本を代表する商社では慶應が断トツだった。これは、「かつて慶應創立者・福澤諭吉の弟子たちが三井、三菱といった財閥に入り、積極的に慶應大出身者を雇い入れた結果、慶應閥が組織されたという経緯がある」(田中さん)ことが関係しているとみられる。100年以上も続いているこうした大企業と慶應の絆は、この先ますます太くなるようにも思えてくる。今後、就職事情が悪化したとしても慶應卒というのは就活市場で大きな武器になるのだ
https://www.excite.co.jp/news/article/President_29009/
『慶應義塾大学こぼれ話』
https://fanblogs.jp/tigercoffee/archive/725/0
『「科学的に正しい勉強法」の法則5』
https://fanblogs.jp/tigercoffee/archive/399/0
『40歳以上で週25時間以上働くと認識能力に悪影響が出る』
https://fanblogs.jp/tigercoffee/archive/762/0
『1日15分のウォーキングで寿命が3年延長! 座りっぱなしの「セデンタリー」は喫煙並みの悪影響』
https://fanblogs.jp/tigercoffee/archive/615/0
『慶應幼稚舎出身者が"鼻持ちならない"ワケ』
慶應義塾大学に進学できる「一貫校」のうち、最も格が高いとされるのが小学校の「幼稚舎」だ。ジャーナリストの田中幾太郎氏は「小学校の6年間、クラス替えが一度もなく、担任教師も6年間ずっと同じ。まとまりが強く、自分たちが慶應を代表しているという意識を持っている。幼稚舎以外の“外部”の人間にとっては鼻持ちならないと映ることもある」という――。
※本稿は、田中幾太郎『慶應幼稚舎の秘密』(ベスト新書)の一部を再編集したものです。
※写真はイメージです(写真=iStock.com/mizoula)
■幼稚舎出身者の強烈な慶應愛
慶應義塾に属する学校群は「大学」と、小学校〜高校の「一貫校」に分けられる。
現在、一貫校には、小学校が幼稚舎(1874年開学)、横浜初等部(2013年)、中学が普通部(1898年)、中等部(1947年)、湘南藤沢中等部(1992年)、高校が高等学校(通称「塾高」、1949年)、志木高等学校(1948年)、湘南藤沢高等部(1992年)、女子高等学校(1950年)、ニューヨーク学院(1990年)となっている。この中で、横浜初等部と湘南藤沢中等部・高等部はひとつのグループと見なすことができる。幼稚舎からは湘南藤沢中等部も含め、どの中学でも選べるが、横浜初等部からは湘南藤沢中等部しか選択肢がなく、湘南藤沢中等部からは湘南藤沢高等部しか選択肢がないからだ。また、普通部と中等部からは湘南藤沢高等部も含め、どの高校でも選べる。なお、普通部と塾高は男子校なので、女子生徒が選ぶことはできない。これら一貫校には、慶應内部でランク付けがある。ニューヨーク学院はかなり特殊なので対象外。もっとも格下なのは、歴史が浅い横浜初等部と藤沢湘南の中高だ。一方、格上は幼稚舎、普通部、塾高の3校となる。塾高は、開学年度はそれほど古くないが、元々は普通部の一部であり、戦後の新学制への移行にともない、分離して誕生したもので、歴史的には伝統校と見なされる。この格上3校の中で、圧倒的に格付けが上なのが幼稚舎である。世間ではそこまでの認識はないだろうが、慶應内部ではそう見られ、さらにいえば、幼稚舎出身者自身がそうした自負を強烈に持っている。
■自分たちは「内部」、ほかは「外部」
「幼稚舎出身の生徒同士が陰で、自分たちのことを内部、僕らのことを外部と呼んでいるのを知り愕然としました」と話すのは中等部から慶應に入ったOB。大学受験を経て慶應に入った学生を外部生、高校からの持ち上がり組を内部生と呼ぶのが一般的だが、幼稚舎出身者は自分たちと“それ以外”という分け方をしているのだ。そこには彼らだけの世界が広がっている。
「自分たちだけでグループをつくって、その周りにはバリアを張って、僕らをまるで拒絶しているような感じなんです。幼稚舎出身同士で誕生会などもやっているようでしたが、僕らが呼んでもらうことはなかった」
中等部での幼稚舎出身の割合は4分の1〜3分の1程度。年度によって、その割合は変わるが、いずれにしても、人数が多いのは中学受験に合格して入ってきた生徒。にもかかわらず、疎外感を持つのはマジョリティの側なのだ。幼稚舎出身の連合三田会役員は次のように話す。なお、連合三田会は慶應大の各同窓会を取りまとめる中央組織だ。
「幼稚舎でまとまっているというより、同じクラスだった仲間と仲良くしているといったほうが正しいと思います。6年間ずっと同じクラスでやってきたので、外部の人がいきなり入ってきて、彼らとも親しくしろと言われても、すぐには難しい面がある。でも、それも最初のうちだけで、サークルや学校行事などで一緒になるうち、外部の人とも親密になっていくんです」
■「幼稚舎上がりの生徒の態度が鼻持ちならないという声もある」
前述したが、幼稚舎は6年の間、クラス替えが一度もなく、1クラス36人(この三田会役員の時代は44人)の顔ぶれはずっと一緒である。親しさの度合いがまるで違うのだ。しかも、担任教師も6年間ずっと同じで、生徒の一人ひとりの性格をよく把握し、クラスは他校では考えられないくらい、まとまっている。ただ、“外部”からすると、幼稚舎から上がってきた生徒の態度が鼻持ちならないという声もある。
「自分たちが慶應を代表しているという意識が非常に強くて、声をかけてもらえないだけではなく、僕らを見下している感さえある。あちらは上流階級で、こちらは一般庶民という感じ。世が世なら、同じ場所にいることもありえないといった雰囲気を醸し出しているんです」田中幾太郎『慶應幼稚舎の秘密』(ベスト新書)
前出の中等部OBはこう振り返るが、それはさすがに言いすぎと、連合三田会役員は否定的な見方をする。
「たしかに幼稚舎に裕福な家庭の子弟が多いのは事実ですが、中学から入ってくる生徒も家庭が裕福な子がけっこういる。ただ、幼稚舎の場合、とんでもなく金持ちという生徒が混じるので、そのイメージが強いんだと思います。そもそも、そうした裕福さを鼻にかけるような子どもは幼稚舎に合格できないと思うし、実際、素直な生徒が多い。普通部、中等部、塾高などから入ってきた生徒を外部と呼ぶのは本当ですが、見下しているわけではありません」ただし、幼稚舎OB・OGが見下し、疎外している学校がひとつだけある。横浜初等部である。
■「幼稚舎と並ぶ」に腹を立てるOB・OG
「第二幼稚舎を創るという意図で、横浜初等部ができたのですが、はっきり言ってしまえば、慶應義塾の経営的な意味合いが強い。1874年に創立された幼稚舎は、慶應にとって唯一無二の存在。第二幼稚舎という発想自体がどうかしている。幼稚舎が圧倒的なステータスを持っているので、第二の幼稚舎を創れば、十分、経営は成り立つと踏んだのでしょうが、横浜初等部は幼稚舎に似て非なるもの。幼稚舎OB・OGの多くが怒り心頭なんです」(前出・幼稚舎OBの連合三田会役員)
2013年に開校した横浜初等部の設置計画が浮上したのは2005年。慶應義塾の「創立150年記念事業計画」で、設置への提言が盛り込まれたのだ。当時、慶應義塾の塾長を務めていたのは、安西祐一郎氏である。
「塾長3期目を狙う安西さんとしては、目に見える功績がほしかったんです。でも、自身も幼稚舎の出身。にもかかわらず、そのブランド価値に傷をつけるような行動に打って出たことで、本来仲間であるはずの幼稚舎OB・OGたちから顰蹙を買う結果となり、塾長選挙も散々な結果に終わったんです」
■「横浜初等部」を「幼稚舎」と同列に見なすのは図々しい
この幼稚舎OBは、横浜初等部の方向性についても腹を立てている。横浜初等部の初代部長(校長)を務めた山内慶太氏(慶應大看護医療学部教授・医学部兼担教授)は、『三田評論』(2013年5月号)に寄せた「横浜初等部開校にあたって」という記事で、「慶應義塾にとっては、横浜初等部は幼稚舎と並ぶ二つ目の小学校である」と記している。
筆者の田中幾太郎氏は『プレジデントFamily2019夏号』誌の特集「わが子を慶應に入れる」において慶應義塾大学の同窓会「三田会」についての解説をしている。
「なぜ、『幼稚舎と並ぶ』という書き方をするのか。『幼稚舎に続く』ならまだしも、明らかに横浜初等部を幼稚舎と同列に見ている証拠で、図々しいというほかない。やっと2019年春に最初の卒業生を送り出したばかりの学校が、140数年の歴史を持つ幼稚舎のブランド力のおこぼれにあずかろうというのが見え見えです」(同OB)
山内氏は記事の中でこう続けている。
「戦後、大学部分が大幅に拡大し、相対的に細くなってしまった一貫教育の幹をもう一度太くするのが初等部であり、幼稚舎と並んで、一貫教育のもう一つの源流ができたことの意味は大きいと思う」
幼稚舎OB・OGたちをさらにカリカリさせるような文章だが、実は開校以降、「横浜初等部の評判はうなぎ上り」(進学塾の幼稚舎・初等部コーススタッフ)だという。
https://news.livedoor.com/article/detail/16663913/
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慶應義塾大学の話題です。ロータリークラブやフリーメーソンなど数多くのネットワークが存在します。三田会はビジネスに有意なネットワークのひとつです。