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2014年09月11日

過去書き溜めノートNO.9

2013/10/20

0時20分急きょ病院へ。




左のお腹が痛い。
かなり痛そうに苦しんでる。





0時45分痛み止を飲む。






警備員が、いたがってる妻をしりめに淡々と、




保険証ありますか。

はい。

どうもありがとうございます。




淡々に、ノロノロと。








なんだか、腹が立つ。



そうとう腹が立つ。






いたわりの一言もないのか?

別にそんなこと期待はしてないけど、

なんだか腹が立つ。






そんな中、水をのみたいのだけどどこに売ってますか?



と、おばさんが受付のひとに聞いていた。






夜間だから、扉は鍵がしまってる。
警備員が扉を開けないと、
自動販売機があるところにはいけない。






それがわからず、おばさんは
少し辺りをうろうろしていた。






妻は、物凄い激痛のために
車イスの上でうずくまり、
青白いかおして、うなっていた。






座ってられないくらい
のたうちまわりそうなくらい痛そうにしてた。





そんな中、
「おばさんに教えてあげて」そう言った。








俺は、恥ずかしくなった。

イライラしてて、

そのやりとりを見てたのに、見過ごしてしまった。

とても恥ずかしかった。

なんて、余裕がないんだろ。。バッド(下向き矢印)








ようやく診察室へ入っていった。






大丈夫だろうか。







最近腎臓の値が少し悪くなってたし、膀胱炎の兆候もあったし、





うんちや、おならがでないときも、
激痛らしいし。





原因が、うんちとかならいいな。





また、水腎症になってなければいいのだけど。。










まだ、診察室から出てこない。









今日の夜九時頃、左側のお腹の痛みが強くなり出していた。






おなかは、もうずいぶん前からぽっこりと出てる。




この病気になる前は、出てなかったのに。






おなかをさすってあげながら、そんなことを思った。









もう、いい加減にして欲しい。




痛いのは、もういらん。





ガンキチたちは、もういないのに。





もう勘弁してください。









25時40分。
まだ、でてこないな。






どうしたのかな。







大丈夫!





大丈夫!








おしっこの検査から、菌はなかったとのことで、膀胱炎ではないようだった。










27時10分。ようやく終わった。

検査で時間がかかった。







結局、痛み止は効かなくて、
病院にいっても痛み止もしてくれなく、
ずっと、ひたすら痛みに耐えなくちゃいけなかった。





前も思ったけど、
夜間救急行っても、意味あるのかな。
結局なんもできないし。








ステントという、
尿管に入れてた管を外したあとから、
左のお腹に違和感があると言ってた。







いつもは、新しいステントに入れ替えるのだけど、
今回は、そろそろ大丈夫だろうと、入れずに、様子を見ることになっていた。






おしっこが管で詰まってしまい、
腎臓が悪くなってしまっていた。







腎臓が、少し腫れてるのと、
腸も腫れて炎症を起こしてる






尿けっせきのような強い痛みと
腸炎のような痛みのWの痛み。







こんなの、自分だったらもう嫌になる。
よく頑張ってる。






でも、もういい加減にしてくれ。










10/23
強力な痛み止で、ほとんど痛みがなくなった。
でもこれ、腎臓に負担をかける薬。
だけど、これが一番この痛みには効くらしい。






薬の副作用で、だるい。



だるい。





二日酔いみたいな気持ち悪さが
ほとんど一日中。







もう、あんなふうに苦しんでる姿を

見たくない







あれから

青白い顔してる
顔もなんだか
日に日にむくんでる気がする


気持ち悪さもあって
つらそう


尿が体に残って
毒素がぬけてないんだと
本人は言ってた


夜中トイレから吐いてる音が聞こえた

何度もトイレに行く
時折泣いているんだと思う
そんな音がする



退院して三週間。

いつもなら、
そろそろ、少し元気になりだすころなんだけどなー。





12/26
夜も寝れてなくて、さらに顔がむくんでる。

病院に行ったら
結局腎臓が腫れてて
腎臓をわるくしてるそう。


4月の頃に悪くしたときと同じかんじに
なってしまった。
妻が予想してた通りだった。


ステントをまだつけてたら
こうはならなかったのかな。

ステントの手術痛いから、
やっと終わったって
喜んでたのに、
またいれないといけなくなって。

なんだかな。
もう。









2013-12-26

いつのまにやら
今年も終わろうとしてますね。




本人は4月からずっと毎日闘ってます。
長い期間もっと苦しんでる方も
沢山いると思います。





癌がなくなったことは、
本当に凄いことです。





でも、今もなお
薬の副作用に苦しんでます。





今日病院行ったら
腎不全の手前まできてました。





水腎症で、辛そうに毎日うなってます。





ステントとは、一生付き合うことになりました。
二、三か月に一回。
ステント管の入れ替え。



痛い。





あたりまえなのかもしれないけど、癌がなくなった!
よかった!
はい。
では、終わらないんですよね。




副作用





もう、毎日苦しんでるのを見るの疲れました。
思い出して書くのにも疲れました。






もともと、このblog。
急性リンパ性白血病の友人を
元気づけるために




妻と同じ病で闘ってる人や、
末期でも諦めないで闘ってる人たちに





少しでも力になってもらえれば
という思いからはじめました。






実際力になってるのかも分からないですし、
複雑な気持ちが絡みすぎて心が病みました。





毎日俺は大変です。みたいな
blogになってる気がしてきて、
主旨がちがくなってきたきがします。





アメブロでコメントや応援をしていただいた方や、
直接応援メール入れてきてくれた沢山の友人たち
また気まぐれに書く日まで!
さよなら!









というとこでブログ書くのをやめてました。。がく〜(落胆した顔)






過去ログNo.9まで、内容はかきたしてるけど。
なんでまたかきはじめようと思ったのかは
自分でもよくわからない!(;´д`)
誰かの役に立てればいいけど。。






抗がん剤治療の副作用がようやく抜けはじめたのは
2014,2
やっと自分で少しずつ自転車にのって、近くに買い物に行けるようになってきた。






やっと。






やっといい方向に向かってると思ったのに







今年1月から癌マーカーが上がり始めて、嫌な予感。







2014,3月には再発したと言われた。
それから現在に至ります。










7月は念願のユニバーサルスタジオに
IMG_20140605_125942.jpg
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治療中から今でも一緒。支えになってるヤツも一緒に




IMG_20140605_110429.jpg






タグ:副作用

2014年09月10日

「大丈夫」は、言葉の薬 ガンキチさよなら! 過去書き溜めノートNO.8 子宮頸がん末期から転移性肝臓がん末期 転移性脳腫瘍 闘病ブログ




10/17

ペット(癌が全身のどこに飛んでるかを見る検査)の結果を聞きにいった。




なんと、癌が全部
           消滅していた!




先生も、まわりの先生に、
ほんとにないよね?ないよね?
と聞いたそう。




でも、その日に、妻のお父さんが亡くなった。



どうして、こんなことばかり起こるんだろう。


こんな悲しいことはないだろうに。


元気になって、また会いに行くって思ってたのに、全部消滅したって報告できなかった。

わかってくれてる。
そうだと思う。
だけど、会って報告したかっただろう。



四月、入院する前に
治療が遅くなれば、リスクも高くなる。
それでも、お父さんお母さんに会いに行った。

それでも、
もう一回会いに行きたかった。
そう言っていた。







妻は、副作用がもろに出るタイプのようだった。



毎日が、
辛かっただろう。



みんなの前では、強がって。
元気にしてたけど、
ほんとは凄く辛かっただろう。



俺の前でも見せなかった辛さが沢山ある。



でも、辛さのなかでいつも


声に出して言ってた。




大丈夫!
わたしは大丈夫!


治る。わたしは治る!
大丈夫!





よく、ガンキチにも話しかけてた。


ガンキチは、イタイイタイ山に飛んでいきなさーい!


ガンキチちょっと静かにしてね。








言葉に出すと、現実になるっていうけど、

ほんとにそうなんだって思った。

言葉は言霊!




思えば
末期と診断され、半年かもしれないと言われたのが、三月半ば。





抗がん剤治療や、
放射線治療の副作用の影響は凄い。





確かに敵は消滅したけど、
健康な細胞も痛め付けられてしまった。


いまだに膀胱炎、白血球、血小板、腎臓の数値に脅かされてるし、
吐き気や、痛み、貧血、などに襲われてる。





末期と診断されても、


覆すことは出来るんだと思いました。




だから、諦めないで欲しいです。



そして、なんでもいいから
なにかプラスになることを



             声に出すこと


これ、大事だと思います。



それって、うそくさいと思うかもしれないけど
凄く効果的だと思います。








下の文は、なにかに書いてあったのを
抜粋しました。



人間の思考には力がある。


考えることはすべて現実になる。


人間にはそのような能力が備わっており、

『人類に隠された最大の秘密』






感情は「エネルギー」であり、
感情にはものごとを引き寄せる力がある





「強くイメージする」ことが、大事です。

スポーツの
「イメージトレーニング」と同じです。





単なる願いでは

・・・したいと思えば、
・・・したがっているだけ。


それは単に、
「・・・したい」という現状維持です。


将来の「希望的観測」になってしまいます。







 大事なことは、この”今”です。





何かを願うとき、「私は」
という言葉を入れることがポイント


「私は・・・である」
「私は・・・になっている」

という言葉は、最も力強い宣言です。





それを声を出して言うと、
               いっそう強力になります。 




                        以上抜粋からでした









諦めないで!

負けないで欲しいです!!





家で妻を応援していたみんな



仲間をくれたN ちゃんありがとう!


2013,10,17

このあと、念のため抗がん剤治療をもう一回やりました。










2014,9,10
ブログ見て心配になって友人から連絡きました。
心配させてしまってすみません(;´д`)

過去ログも入ってるので、混乱させてしまいましたm(__)m
ももアニキ笑ごめんなさいもうやだ〜(悲しい顔)
今おれの方は大丈夫ですパンチ



いつまでも折れていては時間がもったいないからね!
Aさんも、応援メールありがとう!
お互いに倒れないようにしようね!



ジュリア、スーパームーン?教えてくれてありがとう(*^^*)
力を吸いとってたよ!


ふぃり、いつも気にかけてくれてありがとう!
大丈夫。伝わってるから!






2014年09月09日

バタリアンと車イスとディズニー 過去書き溜めノートNO.7 子宮頸がん末期から転移性肝臓がん末期 転移性脳腫瘍 闘病ブログ

5/11
外泊許可がでた。




顔色も悪くて、具合はとても悪そう。





それでも、家に帰りたいと帰ってきた。







その夜トイレから悲鳴が。




トイレのなかを見たら




巨大な、レバーみたいな




プルんプルんした赤色の物体があった。







そんなのが
からだのなかから出てきたらしいがく〜(落胆した顔)








そのプルンプルンしたものは
あまりのでかさに、外にまで飛び出てた。




ほんとにでかかった。







思わず、俺も悲鳴をあげそうだったが








冷静なふりをして片付けた。








その物体は、その日4回も出た。








その物体のことをあとで話したら

フォアグラ

と看護師さんは言っていた。





フォアグラ。。


怖かったー。









5/17と20に一回ずつ
血小板が少なかったため、輸血をした。








5/22
白血球1600まで落ちる。





通常の数値は、3900から9000の間らしい。






毎日のように辛さで泣いていた。










5/31
二ヶ月間の長い入院生活が終わった。








白血球も、血小板も数値は、基準をはるかに
下回っていたままだった。








病院にいたときは、看護師さんたちが常にいてくれたから安心だったけど、
今は誰もいないわけで。








これからは、一月に一回。
こんどは、別の二種類の抗がん剤をうつ。





うつのは一日だけど、入院は一週間。






週に二回は通院。血液検査。











6月白血球1300に落ちる。






生物、果物、野菜。
熱を通したもの以外は食べれない。





毎日食欲もなく、寝たきり。







常に痛みとか吐き気、だるさなどで、
具合が悪い。








食べたいものを聞いて買って帰る毎日。
パンばっかり。







入院してたときも結局まともに食べてないし、
栄養の点滴をうったわけではないし、
栄養とれてないけど、大丈夫なのかな。











6/27
1クール六回の抗がん剤治療。
一回目のため入院。






今回の抗がん剤は、髪の毛が必ず抜けるという。









6/28から30
四月からの治療のなかで、一番調子がいいみたい。






この抗がん剤の中に、
アルコールが350ミリリットルはいってるらしい。そのせいかな?














7/1
副作用の痺れがやってきた。
かなり痛いらしい。

毎日のように吐く。







すべてが辛い。






もう抗がん剤治療やめようかな。
と言った。










7/4退院。
歩けないので、車イス。









7/8
体重が38キロになった。






「わたし、バタリアンになった。」

笑いながら言った。






バタリアンとは、ホラー映画のゾンビみたいな化け物。





ショックをうけながらも、笑わせる。
20130802_222601.jpg










7/11
とうとう、髪の毛がごっそり抜けた。






軽く髪の毛をとぐだけで、
ほんとにドラマのようにごっそり抜けた。







それをみて言った。
「ほんとにわたし、癌なんだ。」








髪の毛はとても中途半端に残っている。
とても痛々しかった。






残ってる後ろの髪の毛を
ラーメンまんのように縛っていた。




それは、とても細い束だった。










8月
二回目の治療




前回副作用がひどかったので、
この時は、少な目の投薬だった。




8/12
退院してから今回は薬が少なかったせいか、
寝たきりでなく、座っていることができた。





家事もできるようになりだしてきたかとおもったのに、
次の日からまた調子がわるくなっていった。







白血球も、900まで下がる。






これ、家にいて平気なの?






昼も夜も再び吐くようになる。







今回は抗がん剤の量が少なかったからか、退院後、少しずつ動けるようになってきた。







久しぶりに外でご飯を食べた。
ほとんど食べれなかったけど、
少しずつ好きなものを食べた。
20130827_131542.jpg20130827_131118.jpg










9/19
3回目の抗がん剤。






毎回毎回、辛い治療の繰返し。






髪の毛が全部抜けて
とうとう坊主になった。







金属に映りこんでる、
自分の姿を見たとき、
ショックを受けて泣いていたらしい。






具合のいい日はほとんどない。





毎日辛いたたかい。






あとで聞くと、言わないだけで、
もっと辛かった。と言っていた。










10月
先生が、今回は、次の治療の日を一週間ほど延ばすから、
出掛けておいでと言ってくれた。




それは、もうこの先出掛けられないかもしれないから。








行きたがってた、ディズニーシーに行った。
この日は混んでいた。
20130911_140644.jpg






けど、乗り物も乗ることなく、
入園して三時間もたたないうちに、
調子が悪くなった。






青白い顔になり、腰をさらに曲げて歩く。







奥の方まできてしまっていたのだけど、
歩くこともままならない。






とにかくすぐ、座らせた。







車イスを借りれないか近くのキャストに
聞きに行ったが、
入り口にしかおいてないという。








諦めて、少しずつ歩いて帰ると、妻は言った。








少し休んでいると、さっきのキャストがきた。








入口に近いところまで電車に乗ってください。
優先的にご案内致します。
そちらで、車イスを持って待ってるキャストがいます。






その対応が、とてもありがたかった。






そして、車イスを持って
待っていたキャストの方が
押してくれた。






ちょうど、パレードをしていた。
そのなかを車イスで通る。









なんだか、泣けてきた。









大病の治療の途中と知ったキャストさん。
涙ぐんでたけど、最後まで楽しめるように
沢山話してくれた。

どうもありがとう。
20130911_170000.jpg








そして、さすがディズニー。
最初に俺が車イスないか聞いたあとの
対処のしかたが、感動だった。






キャストの方々。
やさしい心遣いありがとう!






2014年09月05日

あたりまえじゃない 過去書き溜めノートNo.3 子宮頸がん末期闘病ブログ

4/5
北海道の実家から帰ってきた。

その疲れか、
この日は
とても具合が悪そうだった。

ガンキチ
(妻が癌につけた名前)
がいるところが
けっこう痛いようで、

かがんだまま
苦しんでいる。

妻は、普段から
痛みを言わない人だったので、
そんな人が、
痛いと言うから。

怖かった。

痛み止の薬も効かない。

俺は、
すぐにでも病院へ行きたかったが

本人は、
入院したら
長い間家に帰ってこれないから
ギリギリまで
できるだけ家に居たい。
と言った。

いつでも病院に行ける用意をしたが、
とりあえずその日は行かなかった。


4/6

痛みでかがんだまま、

これはけっこうやばいかも。。

と言ってたが、
それでも病院に行こうとしない。


いつもの元気はなく、
痛みで、
腰を曲げて歩くようになった。


痛み止の薬も効かないようで、
夜中も何度も痛みで起きる。

それでも病院に行こうとしない。


神様お願い!

今日だけは

おうちに居させて!


俺は、もう死にたい!と聞こえて

なに言ってるんだ!
と泣きながら怒鳴った。

妻は、
いたがってるなかで
大笑い。

なんで、そんなに家に居たがったのだろう。


今本人に聞くと、
そんなに危機感がなかったそう。
痛みでかがみこむくらいなのに。。




4/7
入院前に好きなものを食べよう。
20130407_120434.jpg


四月に入ってから特に食欲がなくて
ほとんど食べれなかったけど

こうして食べれることは
当たり前じゃないんだ

って
泣きながら食べてた。



4/8
これから二ヶ月の入院生活。

次の日から抗がん剤を打つ。


なんだか気が気でなくて、
俺は一人、
酒を飲む。

飲みすぎて気持ち悪くて、
吐く。



抗がん剤は、吐くイメージあるけど、
これから、こんなふうに
毎日吐いたりするのかな。

そうだ。
吐いてるときの気持ちを覚えておこう!

その時、何がほしいのか。
わかるかも。


2014年09月04日

夜桜と決意 過去書き溜めノートNo.2 子宮頸がん末期闘病ブログ




子宮頸がん闘病記_05.jpgo0480066712778857655.jpg


3/29
セカンドオピニオンの結果を
ガンとわかってから
はじめにかかった病院の先生に渡した。

妻は北海道出身。
お母さんが40過ぎたときの子供だそうで、
お父さんとお母さんの歳は80過ぎ。
ぶっちゃけ、
おじいちゃん、おばあちゃんだよね。



妻は、
治療をやる前に、どうしても、
北海道の実家に帰りたいと言った。


もう、会えないかもしれないから。


困った。

困ったけど。

後悔してほしくなかった。

後悔だけはしたらだめだ。



「俺の母親が亡くなったとき、
どうして、
もっと会いに行かなかったのかと
後悔してる。

親孝行は、
親が生きてる間しかできないんだよ。

死んでしまってからでは、
相手には伝わらないんだから。
俺みたいに後悔してほしくない。」


俺の親父がよくそう言ってる。



当たり前じゃんと思われたら
そうなんだけど、
凄く重みを感じた言葉だった。





先生に
北海道に帰りたいと伝えたら
先生が怒った。



末期のガンを甘く見るな!
死にたいのか?
もう時間がない。
今すぐ治療はじめないと!
治療受けるきがないなら
責任とれませんから
違う病院でも行ってください。



なんかムカツクなー。



もう一度だけ
二人で話し合う時間をもらった。



10分で決めて!



腹立つなー!
なんだこの先生。
そんな言い方

まぁ、今思えば
先生も真剣に取り組んでくれてただけ
だとおもうんだけど。。

この時は腹が立ってしまいまして(ノ_-。)




北海道に帰ることを
先生に伝えにいく時
そんな俺を見て、
先生に噛みつきそうだと思ったのか

妻が、ひとりのほうが言いやすいし
一人で行ってくると診察室へ。



しばらくすると
ドア越しから聞こえてくる大きな涙声。

「後悔したくない!
最後に親孝行させてください!
行かせてください!
お願いします!」

最後なんて言うなよ。。

待合室で一人
涙が止まらなかった。




20130329_130956.jpg

帰り、病院に咲いてた桜を見て
妻は立ち止まる。



ずっと立ち止まって桜を見てる。



この日の桜は凄い迫力で

雪のようで

舞い散る花びらが凄く綺麗だった。



その綺麗さに圧倒される。



桜が散るその光景は
ほんとにとても綺麗だった。



それを見て
淋しい気持ちにもなった。



涙が勝手にでてくる。



その桜を見てる妻の姿を見ていたら
泣けて泣けて泣けてきた。



「私の選択が間違ってて、
悲しませることになったらごめん。
でも、後悔はしたくないんだ。ごめん。」



2014年09月02日

みんなにありがとうが言えるから、わたしは幸せ 過去書き溜めノートNo.1

今まで書き留めていたのをアメーバに書いていたのですが
こちらに書き換えることにしました。過去書き溜めノートNo.1




2013年3月


最終結果が出て、
癌とわかったときに妻が言った
言葉があるんだけど、
それはけっこう印象的でした。
ガツンときたって感じです。

「交通事故とかで、
急に死ぬよりは
わたしは幸せ。
みんなにありがとうが言えるから。」


3/12 CT 造影検査のため一日入院


次の日

突然「死にたくない!」と

泣き叫び暴れる。

怖かった。

死の恐怖が

怖かった。


俺は、そんな光景を目の前にして

なんて言っていいのかわからない。

これは、現実なんだろうか。


癌の治療法を
寝るのを惜しんで
親父とネットで探しまくる日々。

眠い。

でも、寝てる場合じゃない。

一刻を争う事態だ!

そういい聞かせてるけど、

眠い。

でも、調べずには

眠れない。

仕事も忙しくて、休みもなくて、

なんか、

もう。

疲れた。

気が狂いそうだ!



3/21
食事療法をやりたいといいだした。

有名な人が書いた本で、
その療法で末期のガンを治した人たちの例を見てやってみたいと思ったようだ。

野菜中心で、
とにかく
凄い量の野菜を食さなければいけない。

肉も、鶏肉のみ。

食塩も少なくて、味なんてしない。

ドレッシングもかけれない。


とりつかれたかのように
それはまるで、
やぎのように、
野菜を食ってたけど、
味気なさ過ぎて、ものすごい辛いらしい。


泣きながら食べてることが多かった。

なんか、普通に隣で食べたら
悪い気がする。。


妻は、コンビニ大好きなんだけど、
ある日、何か食べるものを買いに
コンビニに行ってきたらしい。

仕事から帰ってきたら、
電気もつけずに泣いてた。


そのまま帰るのが嫌で、
謎に、コンビニで
おでんを買ってきたそう。

でも、本人は塩分オーバーで食べれない。
なにも食べるものがない。


塩分をきにしてたら、

何も食べれるのがなかった。

何も食べれるのがないんだよ!


そう言って、大声でなき続けた。


ほんとに毎回、かける言葉がない。


途中なれてきたといいながら、頑張っていた。


でも、一ヶ月ほどしたある日、


なんでこんなおもいしなきゃいけないのか!


と妻はキレて
今回の食事療法は終わった。



俺は、この頃も疲れがまだ抜けず。。

眠れない。






その後日記アメブロ





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お腹の中には免疫力が60パーセント以上あるそうです
看病するとき特に気を付けていたビオフェルミン






風邪ひきやすかったんだけど妻が勧めてくれてから 亜鉛飲んで風邪ひきにくくなりました

DHC 亜鉛 60日分 60粒












浮腫んだ足におすすめオシャレサンダル 少し重いけど。。



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たろさん
妻が子宮頸がんで亡くなり 毎日は当たり前でないことを痛感 どう生きていくか模索中 HP パフォーマンタロウ アメブロ http://ameblo.jp/taro-sippo
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