2007年08月04日
作詞家阿久悠さん尿管がんのため入院していた都内の病院で死去
全部表示・隠す
2007年08月02日 作詞家阿久悠さん(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)が1日午前5時29分、尿管がんのため入院していた都内の病院で死去した。70歳。兵庫県出身。阿久悠さんが生…
2007年08月02日
作詞家阿久悠さん(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)が1日午前5時29分、尿管がんのため入院していた都内の病院で死去した。70歳。兵庫県出身。阿久悠さんが生み出した国民的アイドル、ピンク・レディーの未唯(mie=49)と増田恵子(49)はこの日、悲報に言葉を失った。阿久さんとコンビを組んで2人を育てた作曲家都倉俊一氏(59)は、都内事務所で「2人でまた何かできる時代が来ると話していた」と、早すぎる死を悼んだ。
阿久さんが審査員を務めていたオーディション番組「スター誕生」から巣立ったピンク・レディーは、76年のデビュー曲「ペッパー警部」に始まり、「UFO」「サウスポー」「渚のシンドバッド」、そしてラストシングル「OH!」まで、阿久さんの作品を歌い続けた。そして、実働5年で、社会現象を起こし、歌謡史の記録も数多く作った。
未唯は「戸惑い、喪失感でいっぱいです。お顔を拝見するまでは、とても信じる気持ちになれません」とコメントした。一方の増田は、担当マネジャーから連絡を受け、言葉を失った。担当者は「絶句して、とても受け止められない状況です」と代弁した。増田は40周年記念アルバムの制作中で、先日、阿久さんからも祝福コメントが寄せられたばかり。「お元気そうで良かった、と話していた」(担当者)だけに、気持ちの整理がつかないようだ。
ピンク・レディーの人気は、子供たちが歌や振り付けをまねたことから爆発的に広まったが、歌詞に子供もウキウキするような遊び心をちりばめたのは「従来の流行歌をどう壊すか」をテーマにした阿久さんの狙いでもあったという。本塁打世界記録の巨人王を歌い、モンスターもUFOも飛び出すなど、夢の世界が詞になった。
作曲家都倉氏も、阿久さんの言葉や時代への敏感さを「よく『僕は時代の上を満たすんだ』と話していました。時代のにおいをかぎ分け、時代に言葉を投げ掛けて語り、時代に生きた人」と振り返った。阿久さんと最後に会ったのは2カ月ほど前だった。ピンク・レディーという時代を作った阿久さんは、その時も「また何かやろう。2人でまた何かできる時代が来るだろう」と意欲的だったという。
朝日 文化・芸能 (関連度=22) 08/04 取得 元記事 この記事をトップに
アッコ「阿久さんの曲は大きな財産」=日刊スポーツ
全部表示・隠す
2007年08月02日 作詞家阿久悠さん(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)が1日午前5時29分、尿管がんのため入院していた都内の病院で死去した。70歳。兵庫県出身。デビュー以来の…
2007年08月02日
作詞家阿久悠さん(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)が1日午前5時29分、尿管がんのため入院していた都内の病院で死去した。70歳。兵庫県出身。デビュー以来の恩師という和田アキ子(57)が阿久さんを語った。
実は私の上京を東京駅で出迎えてくれたのが阿久さんだったの。私は新幹線を1本乗り遅れていたのに待っていてくれてね。今じゃ笑い話だけど、当時「絶世の美女が来た」って宣伝してくれたのも阿久さん。まだ作家で、私のデビュー曲「星空の孤独」から本格的に作詞家活動し始めた。
阿久さんの歌詞はそれまでのものとは全然違ったの。「星空の孤独」の歌い出し「胸に広がる孤独の辛さ…」って歌詞は、18歳に見えない私にだから書けたって言ってた。シングルだけで13曲も書いてもらってる。中でもやっぱり72年のレコード大賞最優秀歌唱賞の「あの鐘を鳴らすのはあなた」よね。GS、演歌ブームの当時は、歌詞といったら「雨、酒、男と女」なんかが定番のフレーズだった。なのに阿久さんは「あなたに会えてよかった…」ときた。「誰に向けて歌えばいいですか?」と聞くと「アコが今まで出会ってきた人すべて、生きてきた街すべてを想像して歌うんだよ」って助言してくれた。最初はスケールが大きすぎて私には理解できなかったぐらい。女性が歌う歌でこんなに壮大な曲は、それまでなかったから。
ピンク・レディーや沢田研二の歌の方が売れたけど、私は80歳になっても堂々と歌える曲をいただいた。紅白のトリでも阿久さんの作品を3曲も歌わせてもらってる。継承とでも言うのかな、それだけ大きな財産なの。歌手和田アキ子をつくってくれた大の恩人なんです。(歌手)
毎日 文化・芸能 (関連度=22) 08/04 取得 元記事 この記事をトップに
阿久悠さん:棺には署名入り原稿用紙
全部表示・隠す
阿久悠さん:棺には署名入り原稿用紙 尿管がんのため1日に70歳で亡くなった作詞家で作家の阿久悠(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)さんの通夜が3日、静岡県伊東市内の斎場でしめ…
阿久悠さん:棺には署名入り原稿用紙
尿管がんのため1日に70歳で亡くなった作詞家で作家の阿久悠(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)さんの通夜が3日、静岡県伊東市内の斎場でしめやかに営まれた。選抜高校野球大会歌「今ありて」を作詞、スポニチ本紙では79年から27年間にわたり「甲子園の詩(うた)」を連載。高校野球をこよなく愛した阿久さんだけに、日本高校野球連盟の脇村春夫会長(75)から感謝を込めた弔電も届いた。
祭壇中央に飾られた遺影は穏やかな表情。親族のほか阿久さんが心を許した友人だけが参列し、喪主の雄子夫人(67)と長男の太郎氏(42)が気丈に応対した。
会場で紹介されることはなかったが、事務所のオフィス・トゥー・ワンには高野連の脇村会長から「作詞していただいた“今ありて”は永遠に高校球児の心に響く贈り物になりました」と感謝の気持ちがこもった弔電が届いた。甲子園出場経験がある土佐(高知県)県立尼崎北(兵庫県)聖光学院(福島県)の3校の監督からも寄せられた。
午後3時半過ぎ、霊きゅう車が斎場に向けて自宅を出発すると、近隣の住民たちが沿道に出て合掌する姿も見受けられた。棺の中には、天国でも詞や小説が書けるようにと愛用のサインペン、阿久さんの署名が入った400字詰め原稿用紙が納められた。ほかに眼鏡、入院中も手放さなかったiPodとイヤホン、そして昔から好きだったというマイルス・デイビスのLP盤。演歌やポップスに多くの名作を残した阿久さんだが、映画「瀬戸内少年野球団」でもグレン・ミラーの曲を使ったようにジャズも愛していたという。
そして2冊の自著も納められた。いずれも2004年に出版された本だ。1冊は「生きっぱなしの記−私の履歴書−」(日本経済新聞社)。米中枢同時テロが起こった前日の01年9月10日に入院し、腎臓がんの摘出手術を受けた阿久さんが、「9・11」の後で、自らの生と“日本と日本人”を見つめ直した初の自伝小説。もう1冊は自身の詩に乗せて28の短編小説をつづった「詩小説」(中公文庫)で、第7回島清恋愛文学賞の受賞作だ。
遺族の意向を尊重し通夜への出席を遠慮した歌手や芸能関係者は、後日開かれる「お別れの会」で阿久さんに感謝の気持ちを伝える。
スポーツニッポン 2007年8月4日
毎日 文化・芸能 (関連度=21) 08/04 取得 元記事 この記事をトップに
「スター誕生!」で阿久さんと共演した萩本欽一(66)は「春に会った時には元気だったからビックリした。とっても悔しいし、残念」と悲しんだ。71〜80年に初代司会者を任され、同番組の企画と審査員を務めた阿久さんと山口百恵、小泉今日子ら多くのアイドルを発掘した。「当時から阿久さんは偉大で近寄りがたかった。会話することは少なかったけど、逆に気持ちよく近づいてくれた人でした。行動力があって、視聴率20%を超えた時には『欽ちゃんは真っすぐを貫いてるね』と褒めてくれて即座に『拝啓 おかあさん』って曲を作ってくれた」。
年に2回開かれる会合で必ず阿久さんと会っていたという。萩本は「いつも『時代を変えたい』と言ってた阿久さんの話はワクワクしたね。最近は熱い野球の話もしてくれた」と振り返る。阿久さんの功績については「詞を提供する人の人生が見えた人じゃないかな。『拝啓−』を歌った当時、忙しくて母親のことを思い出す暇もなかったけど、阿久さんは僕の状況を察して『たまにはお母さんを思い出せよ』ってメッセージを込めてくれた」と話した。
毎日 文化・芸能 (関連度=16) 08/04 取得 元記事 この記事をトップに
阿久悠さん:はるみ、八代、リンダ…訃報に涙
全部表示・隠す
阿久悠さん:はるみ、八代、リンダ…訃報に涙 阿久悠さん急逝の悲報に、歌謡界の多くのスターや往年のアイドルたちもショックを隠せなかった。日本レコード大賞受賞曲は史上最多の5作品。都内で会見…
阿久悠さん:はるみ、八代、リンダ…訃報に涙
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image