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2017年12月31日

黄金の夜明け団と演劇29 

rosher02.jpg




      ロッシャー 写真はWEBより拝借致しました


黄金の夜明け団と演劇29 


チャールズ・ロッシャー Charles Rosher, A.S.C. (1885 –1974) 撮影監督 

アカデミー撮影監督賞
1947 『 小鹿物語The Yearling』映画監督クラレンス.ブラウンClarence Brown (1890 – 1987) 
1929 『 サンライズSunrise』(映画監督F・W・ムルナウF.W.Murnau 1888 –1931) )

ロンドン生れ 写真を学び 
TVが一般家庭へ普及される前の 映画館で本編前に流される ニュース映画 制作に関わる

1909 渡米 
デビット.ホースリーDavid Horsley (1873–1933英生れ 
米映画創作の先駆け 1911ハリウッドにNestor Film Company設立)
の制作会社と撮影監督として契約

1913 メキシコの革命家パンチョ・ビリャPancho Villa(1878 –1923)の
足跡を追ったニュース映画制作

1918 全米撮影監督協会American Society of Cinematographers (ASC)の創設メンバー 
副代表を務める

映画プロデューサー.デビット.セルズニックDavid O. Selznick (1902 – 1965) や 
MGMの映画制作に参加

1974 事故死 


ロッシャーの黄金の夜明け団との関係を記した資料は見いだせていません 
彼の人間関係を見渡しましても オカルトとの繋がりは不明です 
渡米前 ロンドン時代にもしかして繋がりがあったのかもしれません 



さて 本年も たのしい演劇研究に ご協力 ご協賛頂き 誠にありがとうございました
来る2018年は こちらのブログに記録を始めてから10年を迎えることになります
とてもゆっくりなペースですが 益々精進を重ねてゆきたいと思っております 
今後とも宜しくお願い申し上げます 
そして 新年は皆さまにとって穏やかで健やかな一年となりますよう 
     心よりお祈り申し上げます


と たのしい演劇の日々 

2017年12月27日

黄金の夜明け団と演劇 28

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           写真はWEBより拝借致しました

黄金の夜明け団と演劇 28

ジョン・トッドハンター John Todhunter (1839–1916) アイルランド詩人 戯作家 
  父 クエーカー教徒商人 イギリス本土出身 
トッドハンターはクエーカー学校で学ぶ
一度は父の事業に関わるが ダブリン大トリニティカレッジ医学部へ
1871 博士号取得 
文才にも長け 在学中 英語詩賞三度受賞 評論で哲学学会金賞受賞

   ウィリアム.ストークスWilliam Stokes(1804–1878 アイランド医師
 交代性無呼吸/チェーンストークス呼吸  アダムス・ストークス症候群は彼の研究)の秘書も務める 

1870  英文学教授職をダブリン.アレキサンドラ女子学院に得る 
が4年で退職し エジプトを始め西欧を旅してまわる

1879  結婚

1881 ロンドン 文化人の集う閑静な住宅街ベッドフォード.パークBedford Parkへ転居
      イエーツWilliam Butler Yeats (1865 – 1939)
     フロレンス.ファーFlorence Farr (1860 – 1917)  
   コベントガーデン駅にその霊が出ると言われた英俳優
   ウィリアム.テリスWilliam Terriss (1847–1897)
       ヘンリー.マリオット.パゲットHenry Marriott Paget (1857-1936  
             英イラストレーター フロレンス.ファーの義理兄)  
  近隣には ウィリアム.モリスWilliam Morris (1834 –1896) 
  神智学協会員もこの地域に集い イエーツはロッジ(1891設立)を起こす 等 
オカルティズムを目の当たりに体験する
イエーツの働きで設立されたアイリッシュ文学協会(1892-)にも参加 
イエーツとは家族包みの付き合いがあり フロレンス.ファーの推薦でGDに入団している

1893『 The Black Cat 』 を
    独立演劇協会/会員制演劇プロデュース協会
       Independent Theatre Society(1891- 1897)  により
   オペラコミック劇場Opera Comique(1870-1902)で公演を試みるも
 倫理委員会Lord Chamberlain's Office 公演差し止めを受け 
一回のみの公演で終わっている

ダブリン大トリニティカレッジの医学博士でありながら 文学を目指し 
そして魔術オカルティズム/GD入団 目覚ましい活躍は無かったのだろうか
 それとも記録の紛失か 資料が乏しくトッドハンターの人物像はおぼろげであります  



と たのしい演劇の日々

2017年12月25日

黄金の夜明け団と演劇27-01

黄金の夜明け団と演劇27-01

ブラム.ストーカーBram Stoker(1847-1912)を続けます


1878  Florence Balcombe(1858-1937)と結婚 後 

1881 ロンドンのヘンリー.アービングHenry Irving(1848-1923)率いる
ライシアム劇場Lyceum Theatre に合流 彼の人生は大きく変わります
アービングは当時ロンドンウエストで最も愛された俳優 
そのマネージャーを務めるストーカーに 英上流階級サロンデビューが待っていました
彼は サロンで著名な文化人たちと交わります 
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー
James Abbott McNeill Whistler (1834–1903) 米画家 版画家 

アーサー・コナン・ドイル
Sir Arthur Ignatius Conan Doyle大英帝国勲章, KStJ, DL (1859–1930)
英探偵小説『シャーロックホームズ』の作家 オカルティスト そして

ストーカー代表作『ドラキュラ(1897)』を献呈した 通称'Hommy-Beg' 
ホール.ケインSir Hall Caine 
大英帝国勲章CH KBE (1853 – 1931 英作家 詩人 演劇人) 等と出会うのです 更に 

巡業で世界を旅し 勿論米へ 大統領とも謁見 
そこでストーカーが崇敬した自由詩の父と呼ばれる
ウォルター・ホイットマン Walter Whitman (1819–1892 
米詩人 エッセイスト ジャーナリスト ヒューマニズム信奉者 
代表作詩集『草の葉』1855 ) ともこの時期知り合います

アーヴィングの劇場運営に関りながら 
デイリー・テレグラフ 紙(1855- 英保守系新聞最多購読数を持つ)
の文芸記者として評論等文筆活動も続けます

1911 『The Lair of the White Worm』怪奇小説には
パメラ.コールマン.スミス(1878-1951)挿絵を担当

小説『ドラキュラ』は 
映画1922 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ F. W. Murnau(1888 – 1931)
マックス・ラインハルトMax Reinhardt (1873 – 1943) 翼下で俳優も
ドイツサイレント映画 表現主義映画の巨匠
『吸血鬼ノスフェラトゥ Nosferatu 』作品は表現主義の傑作と好評 しかし 
ストーカーの妻に著作権侵害で訴えられ 1925裁判所より破棄の命令   
もあり大衆を捉えます
 
さて小説『ドラキュラ』は研究が盛んになされているわけですが  その中に
 ストーカーをフロイドSigmund Freud 1856 – 1939) 精神分析ベースに分析し 
内に秘めた彼のホモセクシュアル性を見ていものがあります それによりますと 
『ドラキュラ』は 抑制された性的欲望の解放により創造された と 
彼の男性への強い憧憬の情 アーヴィング ケイン ホイットマンへ そして 
ワイルドとの関係 されに 
当時彼は ホモセクシュアルを憎悪し 
1912年 ホモセクシュアルは罪悪であり 社会から隔絶されるべきだと英政府に訴えています
 ワイルドが同性愛で有罪判決を受けるその最中に 『ドラキュラ』は 
出版の準備が成されるのでした 
彼は自身に秘めたホモセクシュアル性を憎悪嫌悪 存在に恐怖し 
その歪曲屈折した自我がドラキュラの魂であると 云うのでした

1912年 疲労による心臓発作で死去したと言われますが 梅毒が起因したともあります

2516/12で紹介したウィリアム.シャープWilliam Sharp(1855-1925)の
 フィオナFiona Macleod(1891-1905)もそうですが
 境界を跨ぐ俳優とキャラクターの関係性との共通を覚えます


と たのしい演劇の日々


2017年12月23日

黄金の夜明け団と演劇 27-00

Bram-Stoker.jpg




            写真はWEBより拝借致しました

黄金の夜明け団と演劇 27-00

ブラム・ストーカー Bram Stoker (1847 – 1912) アイルランドの作家 
代表作品ゴシックホラー『ドラキュラ(1897)』

ストーカーは科学を重んじた 同様に怪奇小説の作家故にオカルトに興味を示した 
事にフランツ・アントン・メスメルFranz Anton Mesmer (1734 – 1815)
ドイツ医師 動物磁気を発見 それを用いて患者を治療を試みた 
には大変に興味を持っていて しかし 科学的証明の不能なオカルトには懐疑的であった

黄金の夜明け団のJ.W.ブロディイネスJohn William Brodie-Innes ( 1848 – 1923 ) は友人 
P.C.スミス Pamela Colman Smithとは 
ヘンリー・アーヴィング Henry Irving の ライシーアム劇場 Lyceum Theatre で
共に演劇興行を成功させた仲間だ だからGDとは強い関係性が想像される
 しかし 彼が団員であったかどうか記録は別れている 

ストーカーはアイルランド.ダブリン生れ 
父は公務員 母はフェミニスト アイルランド教会/プロテスタントに属し
 7人兄弟の3番目 長男の Sir Thornley Stoker(1845 – 1912) は医師 著名な医学誌論評家

遺伝性の病気で子供の頃は 歩行具なしには歩けなかった
 皆に遅れ7歳で学業に付く しかし 彼は この幼少時の病床での日々について
 彼に思索の自由を与え それが人生を大いに花開かせたと 後に書いている 

1864-1875 ダブリン大学トリニティ・カレッジ(1592創立 アイルランド最古の国立大学)
で数学修士課程修了 体調も良好でスポーツをこよなく愛し 
また大学の歴史学会会員 哲学学会会長も務め 学会誌に論評投稿

演劇にも興味を覚え 
新聞ダブリン.イブニングメールDublin Evening Mail( 1823-1962)に劇評を投稿
1876 アーヴィングの『ハムレット』劇評が アーヴィングの眼に留まり
 夕食に招待され これが切っ掛けで 将来に渡り アーヴィングのマネージャーとして 
共にウエストエンド演劇界を盛り上げる

当時 ダブリン.イブニングメール編集長は 
ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュSheridan Le Fanu(1814 – 1873) ゴシックホラーの作家
 ダブリン大トリニティカレッジ先輩 『ドラキュラ』創作のヒントを受け取る 

1878  Florence Balcombe (1858 – 1937)軍人の娘 
大学同輩のオスカー.ワイルドOscar Wilde (1854 – 1900)  の婚約者を奪い結婚する


次回へ続けます


と たのしい演劇の日々

2017年12月20日

黄金の夜明け団と演劇 26


Tarot_World.jpg


スミス画 『世界』モデルはフロレンス.ファー


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                         『ワンドの女王』モデル:女優エレン.テリー


           写真はWEBより拝借致しました



黄金の夜明け団と演劇 26

パメラ・コールマン・スミス Pamela Colman Smith (1878 – 1951)
英イラストレーター オカルティスト  
ライダー.ウェイト.スミスタロットカード Rider-Waite-Smith deck 
アーサー・エドワード・ウェイト Arthur Edward Waite (1857 – 1942) 創案による
タロットカードのイラストを担当

1878 ロンドン生れ マンチェスター育ち 
   父は商人 祖父は米ホグイック党議員 ニューヨーク.ブルックリン.区長
   母の兄妹は画家 Samuel Colman (1832 – 1920)

1889 父の仕事の関係でジャマイカ移住 ロンドン ニューヨークを行き来する

1893 ブルックリンのプラットインスティテュート Pratt Institute
  ,(1887- 私立の非宗教系・非営利高等教育機関  
   アーサー.ウェズリー.ダウArthur Wesley Dow (1857 – 1922)
    米画家 版画家 写真家 芸術教育家  は
   明治時代 日本画を西側諸国に紹介した アーネスト・フランシスコ・フェノロサ
        Ernest Francisco Fenollosa (1853 – 1908)東京大学教授 の弟子 
  に師事する パメラのイラストにその影響が見られる

1896 母ジャマイカで死去

1897 パメラも体調がすぐれず 学位を修めずに退校

1899  父死去 21歳のパメラは両親を失いロンドンへ帰国
イラストレーターとして イエーツWilliam Butler Yeats(1865 – 1939) 
ブラム・ストーカー Bram Stoker (1847 – 1912)  出版物のイラスト担当 また 
 舞台デザインも手掛ける
 ウエストエンドのライシーアム劇場 Lyceum Theatre group( 1871 – 1902)
   ヘンリー・アーヴィング Sir Henry Irving (1838 – 1905)
   エレン・テリー Dame Ellen Terry, GBE (1847 –1928)
   ブラム・ストーカー 率いる劇団に属し 舞台と衣装デザイン担当 英国巡業興行

1901, ロンドンにスタジオ入手 毎週芸術家を招きサロンを設ける
 
1902 アフリカ民話 『西アフリカの伝承アナンシの物語Annancy Stories』イラスト本出版
   
婦人参政権運動(1872-1928)に参加

1903-04 『The Green Sheaf 』 冊子出版

1907, 1908 ,1909. アルフレッド・スティーグリッツ  Alfred Stieglitz (1864 – 1946)
   米写真家 写真芸術の父 は 
    ニューヨークの彼のスタジオGallery291でスミスの個展を開催し イラスト本を出版
彼は スミスの 共感覚(シナスタジアsynesthesia :
  彼女の師アーサー.ウェズリー.ダウ に習った技法 音楽に誘発されたイメージを描く 
  フェノロサが彼の学徒に教示 おそらく
  アルトゥル・ショーペンハウアーArthur Schopenhauer ( 1788 – 1860)
   の芸術論を根拠とするものであろう  

1901イエーツの紹介で黄金の夜明け団GD入会

1909 ウェイトのタロトカード挿絵を引き受ける 
   ロンドンのウィリアムライダーと息子William Rider & Son より出版 

1911,カソリックに改宗

第一次世界大戦後 資産が入り 英南西部のコーンウォールに家を購入 
  宗教者の為の宿を経営しながら余生を過ごす 

1951 死後彼女の作品は借金偏財に当てられ散逸

ウィリアム・ジレット William Hooker Gillette (1853 – 1937) 米シャーロックを演じた
 スミスの従兄 自宅城に彼女の作品を保存展示していると云われている


と たのしい演劇の日々

2017年12月17日

黄金の夜明け団と演劇 25

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                写真はWEBより拝借致しました

黄金の夜明け団と演劇 25

ウィリアム.シャープWilliam Sharp (1855 –1905) 
スコティッシュ作家  評論家 詩人 謎の女性ロマンス作家Fiona Macleod(1891-1905) , 
オシアン/Ossianゲール語文化復興運動 に創刊された ゲール伝承 詩歌を紹介した冊子の編集員

父は商売で財を成しす 母はグラスゴーのスウェーデン副領事 
活発で読書を愛する少年であったが 健康がすぐれず 学業も途切れがちになる 
オーストラリアで療養生活もおくる  
グラスゴーの法律事務所 ロンドン の銀行勤務 

ジョゼフ・ノエル・ペイトン Sir Joseph Noel Paton ( 1821 – 1901
 スコットランド芸術家)の紹介で 
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ Gabriel Charles Dante Rossetti (1828 – 1882 
ラファエル前派 1848ロイヤルアカデミー付属美術学校で起こった美術運動 の一員)
の主催する文芸サークルに参加している

1884 従妹のエリザベスと結婚

1981 作家を本業とし 海外へ多く出かける

ローマ滞在中 Edith Wingate Rinder /シャープのミューズ 妻エリザベスとは姻戚関係
 と恋に落ちる
恋愛詩を書き上げ 個人出版 それが かつてなく高い評価を得る 

1891 から Rinder への愛慕の情を 物語として書き始め 

1894 スコットランドを舞台にロマンス小説 Pharais, A Romance of the Isles を
Fiona Macleod (ゲール語)の名で 発表 
純ロマンス小説である事から 批評家の反応を危惧するあまり 自身の名を隠し女性名で出版
 ところが  ロマン小説は大変な評判で 予想外にシャープへ富をもたらす
 それ故 シャープは自身の作家業も続けながら  
妹の手を借り 自身はMacleodのマネージャーと名乗り 
謎の女性作家Fiona Macleod の実体を暴こうとする世間の興味を 上手くかわしながら
 彼女の名でロマン小説 劇作を14作品 書き続けました

W.B. イエーツ/William Butler Yeats[a] (1865 – 1939) GDメンバー 
  アイルランド文化復興運動にも関わっている シャープと交流があり 
かれはFiona Macleod の文才を高く評価するも シャープについてはキッパリ否定しております
 シャープとフィオナについて不可思議を覚えなかったのでしょうか? 

この時期 シャープは黄金の夜明け団/GDの会員でありました  
シャープがGDにどのように関わったかは 資料を見出せていません しかし 
イェーツ との交友関係 また 妻エリザベスがシャープの死後発表した回顧録では 
シャープの強い霊感体質/トランスが書かれています また 
シャープは ”フィオナを公表すれば 彼女は死に絶える” と云っていたとあります 
日本の女流作家尾崎翠 は フィオナはシャープのダブル/ドッペルゲンガー であり 
シャープの精神的両性具有性に興味を馳せています 
このシャープとフィオナの存在は GD的に観れば 
イシス/オシリス 存在の体現として理解されるでしょう

1905 幼少より病気がちのシェープは健康がすぐれず エリザベスと友人に看取られ
 イタリアシチリア島ブロンテにて最後の時を迎えました 
尾崎翠は 
シャープの死の床 人知れず 静かにシャープの傍に横たわるフィオナへ 
哀悼の意を捧げています


と たのしい演劇の日々

2017年12月15日

The Butch Monologues 01


観劇『トランス男の一人語り/The Butch Monologues』 01

台本の作品紹介によりますと

著者のLaura Bridgeman/俳優 創造的作文法で博士号を有し 大学等で教鞭を取る と
Serge Nicholson/出版社監督 トランスジェンダー芸術活動家 は
hotpencil 個人出資に負う儲けを第一目的としない出版社 を2010年創立 
出版物は自然発生か或いは 個人やメジヤーでない作家が作品を持ち込む場合が多く 
それらは 勿論 大手業界が見向きもしない しかし 高品質で ユニークな近代作品 
そして 読者/世界に対し 挑戦的で 新鮮な視点を投げかけ 未知なる物語りをかたる
 事をモットーとする 

演出のJulie McNamara  はVital Xposure 身体障害者 芸術家 の劇団代表
今まで社会により葬られ語られてこなかった存在 を表明する並外れた物語を
 観客と芸術家の共同により 革新的演劇体験を創造することをミッションとしている
全ての興行は 障害者への配慮が 興行の芸術性を損なうことはないと自負している 

The Drakes とは 2012年設立 
トランス男性 女性として生れたが男性性が強いと自覚している人々たちの共同体で
女性の有する強い男性性 女性から男性へ性転換した者の誇り/プライド を表現し
立場を社会に示し理解を促す事 そのための企画を発案 展開している 

出版社hotpencilの二人が The Drakes に加わり そこで
身体障害者であり劇団主催者Julie McNamara と出会い 
この物語は演劇興行への流れに乗ったのでした

作者のLaura Bridgemanは 
トランスジェンダーの人々をインタビューしながら 時にカウンセラーの役割を担い
彼らの痛みに心を添わせ これは語られなければならない と 強く使命を自覚したようです
でも 決して暗く辛い作品にはせず その事実を一歩離れた処から 
今はもう大丈夫だから と過去を少しシニカルに笑って眺める 作品に仕上かっております


俳優陣はThe Drakesに属するトランス男性たち だから むしろ明るく語る事が出来たのでしょう 

LGBTQIの解放と人権擁護は 
社会に決めらた性役割の多様化 
人類を性に捕らわれず個体として認識する思考を求められ 
演劇/役割り を生きる表現も新たな挑戦が求められます


と たのしい演劇の日々 

2017年12月14日

観劇『The Butch Monologue』laura Bridgeman著 SOHO劇場 00

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                 写真はWEBより拝借致しました



観劇『The Butch Monologue』laura Bridgeman著 SOHO劇場 00

3時間に及ぶシェイクスピア劇はスケジュール的に無理であるが
しかし 芝居を観たい 劇場パブでまったりしたい といった時にお手頃なのが 
ロンドン中心部 ソーホーにあるソーホー劇場(1969設立 2000現在の地へ)
 野田秀樹率いる野田マップはソーホーを英国公演の拠点としております

ウエストエンドの真ん中にありながら 
キャバレー(文学的バラエティーショー、エンターテインメント、
エディンバラのフリンジ劇 を公演 
また才能ある劇作家の発掘 優れた新作公開を指名と掲げる) 
演芸場と呼ぶに似合った劇場です 

       劇場のURL: http://www.sohotheatre.com/whats-on/  

兎に角 何時行っても お祭りの賑わいなのです 更に LGBTQI解放領 でありまして
マチネショーに出かければ 
劇場パブで 乳母車に子供連れのゲイカップルが昼食など楽しんでおります

日暮れに出かければ 新宿2丁目を思い起こすのですが 
小路がヒョッコリ現れ 怪しいお店が立ち並ぶ 
魔界にでも入り込んだかしら と妙な感覚に囚われるのでした

さて今夜は トランスジェンダーの俳優陣によります 
トランスジェンダー体験語りショーを楽しむ予定 いつもながら 満席 なので
 チケット売り場の正面に位置するパブで返券を待つこと 1時間  
連れがキャンセルしたという女性が
"返券を待っているのはあなたかしら?" と声をかけてくれ 今回も観劇を果たしました


ショーの内容は次回へ続けます 


と たのしい演劇の日々   

2017年12月12日

黄金の夜明け団と演劇 24

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              サックス 写真はWEBより拝借致しました



黄金の夜明け団と演劇 24

サックス・ローマー Sax Rohmer (1883 – 1959)

怪人フー・マンチュー博士 Dr. Fu Manchu 怪奇シリーズ本の作家です

英バーミンガム 労働者階級の生れ 作家に成る前は公務員でした 

英国労働者階級の多くの子供同様 早い時期に学校教育を見切ります 
記録によれば 子供の頃よりオカルトに興あり 
黄金の夜明け団 英国薔薇十字との関係を云い及んでおりますが 
詳しい関係は研究者にも解りません 

その彼を何が文筆活動へ導いたのかも不明です 
新聞等への投稿に始まり 記者 ミュージックホールの台本や作詞を手がけ そして 
1912年 テムズ川沿い アヘン輸入で華僑が賑わいをみせる地を取材する日々の中から
 フー.マンチューは生み出されるのです  

しかし フー.マンチューが世に出た背景には 
西欧諸国による黄禍論/黄色人種脅威論Yellow Peril の後押しが観て取れます 
フー.マンチューを追う英捜査当局員は 
明らかに 白人至上の国粋主義者として描かれており これまた 
戦意高揚のプロパガンダたとして 活用されたように思えます

しかし ナチドイツは 
フー.マンチューを逆に 国家転覆の目論見書だと 発禁しております

この当時の 黄金の夜明け団関係者は その超自然能力を 
政府の要請でスパイ活動に活かされた記録があります サックスも 
実は中国人街の様子を探る任務に付いていたのかもしれません


と たのしい演劇の日々 

2017年12月11日

黄金の夜明け団と演劇 23

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            エディス 写真はWEBより拝借致しました



黄金の夜明け団と演劇 23

エディス・ネズビットEdith Nesbit (結婚後Edith Bland,1858 – 1924 英作家 作詞家)

著名な児童書作家 エディス 黄金の夜明け団のメンバーであったと 
いくつかの記録にはあるのですが 詳細は全く掴めておりません 

その当時 ロンドン文学界はオカルトブームに沸いておりますから 
これまで紹介してきた 黄金の夜明け団に属した怪奇 超常現象 空想科学小説の作家たちと
交友があったことは確かでしょう  彼女の児童書に表現される魔法 異次元世界の情報は 
黄金の夜明け団 や 神智学 との関係であって当然だと思います 
が何故記録として何も残っていいないのでしょうか? 謎であります

エディスは 
ウィリアム・モリス William Morris (1834 – 1896) 
    染色家 作家 社会主義運動家:アーツ・アンド・クラフツ運動(1880 -1920)
    生活と芸術の一致を目指すデザイン思想とその実践 
の信奉者でありました  ですから 当然の如く
英国で活発になっていた 社会主義運動:フェビアン協会 Fabian Society
            英国社会主義者協会(1884- 社会主義知識人による運動団体 
            ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学
            London School of Economics and Political Science, LSE:
    ノーベル賞受賞者(経済学賞13人 文学賞2人 平和賞4人)
    53人の各国首相・大統領・国家元首を輩出 
   「欧州で最も政治エリート 世界的な著名人を多く輩出している教育機関」Newsweek
 を設立する際の母体であり 英国労働党の基盤団体 
に参加いたします お仲間には
ジョージ・バーナード・ショーGeorge Bernard Shaw1856- 1950 アイルランド劇作家 批評家
アニーベサントAnnie Besant (1847 –1933)  人智学協会ロンドン支部 もおりました

夫となる ヒュバート・ブランドHubert Bland( 1855 - 1914)ファビアン運動家
とは出会いから 妊娠7か月目の 1880年に結婚 が
ヒュバートは暫くエディスとは同居はしないのです 
実は家に別の婚約者とその子供とを囲っていたことが発覚 
この件は子供を養子として引き取ることで収まります しかし 
ヒュバートの女癖は収まりません 次はエディスの親友 アリス・ホウトスン
 家政婦兼ヒュバートの秘書 との間に子供を儲けます 
今回エディスは 彼女と別れるよう要求しましたが 
”エディスよりアリスを選ぶ” と言われ ヒュバートの要求をのみ 
その子供をも養子に取り アリスは 今まで同様ひとつ屋根の下で暮らし面倒を見続けるのです

 エディスの太っ腹に驚嘆します 
ヒュバートはエディスや他のフェビアン協会の女性たちの求めたフェミニズムは猛反対で
また 無節操に 無力な女たち 罪のない非嫡出子たちを生み出し それを許した社会でした
 エディスは そんな男に弄ばれる女たち そして何よりも 罪のない子供たちへの限りない愛 故に
 その理不尽な現実を引き受け しかし それを活力として 児童書に 社会運動に掛けたのでしょう 


と たのしい演劇の日々 
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