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2017年07月30日

俳優修業 ジュディ.デンチ/Dame Judi Dench  CH 大英帝国勲章/DBE 王立技芸協会員 /FRSA (1934-) 00


Judy diench.jpg



写真はWEBより拝借致しました 中央ギールグッドとデンチ



俳優修業 ジュディ.デンチ/Dame Judi Dench
 CH 大英帝国勲章/DBE 王立技芸協会員 /FRSA (1934-) 00 


ジュディ.デンチ/Dame Judi Dench 
CH 大英帝国勲章/DBE 王立技芸協会員 /FRSA (1934-) が
英国の若い俳優を憂いております 
週刊誌ステージ/The Stage(1880年創刊 英演劇界情報誌 HP:thestage.co.uk英語のみ)に
掲載されたその記事の意訳を試みます

デンチは昨今の若い俳優たちのお粗末な発声を大層危惧し 非難声明を出しました

ロンドンはウエストミンスター 
ジョン.ギールグッドSir John Gielgud OM CH (1904 – 2000 英俳優 演出家)を
称えたブループラーク/青い銘板 の前に設えた演壇に立ち 
彼女が若い俳優と仕事を共にする中で驚愕し失望を覚え 
そのお粗末さに緊迫し 英国演劇界の将来を憂い 
切なる改善を求め聴衆に向かいこの発表となったのです

この声明は先ず 2014年BBC1 TVドラマ「Jamaican Inn」
ダフニ・デュ・モーリエ /Dame Daphne du Maurierd大英帝国勲章 DBE (1907 – 89) の
「埋もれた青春/ Jamaica Inn (1936)」 ヒッチコック監督『巌窟の野獣』原作 
の番組関係者に向け 
”このドラマはコーンウォールの話(コーンウォール訛り)ではありますが 
それでもあまりに酷すぎました”  
”私は ”あなたもう一度云ってくれない 聞こえないのだけれど” 
と度々叫ばなくてはなりませんでした 
俳優教育における無関心と怠惰の結果です”
彼女はそう言わねばならりませんでした
 
当時聴衆からの不平不満を率いたTVドラマ そしてそれは 
BBCドラマに対し 聴衆よりの不満表明と結果としての改善を 最初にして成功させました

次に  高視聴率を誇った警察ドラマ 「Happy Valley」2016年 
もまた俳優のお粗末な台詞まわし 会話の内容が聞き取れないと 視聴者からの不満続出し 
BBC 会長Tony Hall(大英帝国勲章/CBE (1951- オックスフォード大学)  
により調査解明がなされたのでした

デンチは 1962年チエホフの「桜の園」新プロダクション等
いくつかの劇でギールグッドと仕事をしております 

デンチは続けます
 ”あなたの台詞が聴衆に伝わらないのであれば
家で 自分の居間で それを遣っていなさい/俳優をすべきでない”  
”だからって叫ぶのではないの  
声は何処からくるのか 
横隔膜はどこにあるのか 
それをどう使って俳優は発声をすべきか 興味と探求 学びが必要なの” と



次回へ続きます



と たのしい演劇の日々

2017年07月29日

此岸と彼岸を跨ぎ役を生きる俳優 Billy Howle(1989-)   ブレヒト「ガリレオの生涯」Andrea/ガリレオの弟子

Billy Howle.JPG



    「ガリレオの生涯」稽古中のビリー プログラムより




俳優 Billy Howle(1989-)  ブレヒト「ガリレオの生涯」Andrea/ガリレオの弟子

此岸と彼岸を跨ぎ役を生きる俳優

子供の頃より 他人の衣装を纏ってごっこ遊びをする 
地元の子供劇団で活躍
大学進学準備もしたが 俳優の道を選ぶ
Bristol Old Vic school で演技を学ぶ
母親は 教師 社会適応の難しい子供教育専門
父親は 大学教授 現代音楽専門
4人の男兄弟 デザイナー ミュージシャン

母の仕事の影響もあり 
問題行動を起こす少年等と療法的演劇に取り組むことに強い関心も持っている

天性の俳優なのだろう 演劇学校在学中 すでに仕事を得
BBCや映画 舞台で活躍する またプラダの2015年モデルでもあった 

ブレヒトは この「ガリレオの生涯」を2度書き換えておりますが 
広島長崎原爆投下の後  
倫理なき科学の進展に疑問を覚え 
エピローグ:
アンドレアが ガリレイ最後の著書「Two New Sciences(1638) 」をイタリア国外へ持ち出す 
をカットしたのでしたが 
2017年今回の上演では ビリーが見事に/国境検問を抜ける 演じました

ブレヒトはどんな思いで 彼の演じるアンドレアを見守ったのでしょう


と たのしい演劇の日々

2017年07月26日

観劇テレンス.ラティガンTerence Rattigan 「蠱惑草 Love is Idleness」 アポロ劇場ウエストエンドApollo Theatre 01- ジョン.オズボーンJohn Osborne (1929 –94) 03

観劇 テレンス.ラティガンTerence Rattigan 「蠱惑草 Love is Idleness」
アポロ劇場ウエストエンドApollo Theatre 01-
ジョン.オズボーンJohn Osborne (1929 –94) 03


テレンス.ラティガンTerence Rattigan(1911–77)や
客間喜劇 のノエル・カワード Sir Noël Coward (1899 – 1973) は 
19世紀の初めに主流であった
ウェルメイドプレイ/well-made play /
序破急の法則に添り 観客(フルジョア層)余興を趣意として旨く書かれた戯作/ 
フランス ウジェーヌ・スクリーブ Eugène Scribe (1791 –1861)  が定義確立 
の時代を築いた作家ですが  

オズボーンJohn Osborne (1929 –94)を劇評で絶賛した 

Kenneth Tynan (1927 – 80オックスフォード大)  はラティガンの戯作を殊更
the Loamshire play/有産階級支配者層の別荘/カントリーハウスで繰り広げられるロマンス劇 
は "才能の無駄遣い" とのスタンスで影響力の強い冊子に劇評を書き続けており 
彼こそが “angry young man” 筆頭者なのでした

その若い英国文化人を刺激したのは 
フランスで起こっていたヌーヴェルヴァーグ「新しい波」 映画運動です 

それを 敏感に受け取った彼ら(オックスフォード大学筆頭に有産階級支配者層の子弟)
から  英国の新しい波/British New Wave (1959 -63)は起こり 
その彼らにとって 別世界の日常である 英国非支配者無産階級層の生活 
(茶の間劇/ kitchen sink drama 
 オリジナルは John Randall Bratby 王立芸術院 /RA (1928 –92) 
 台所や身近な日常を題材に芸術作品/Kitchen sink realism 創造 ) 
その現実を剥き出しにする事 
素材として取り上げること 
ヒーロー化して描くこと に興行性を見出したのです 
しかし階級社会英国に変化を求めたわけではありませんでした

2016年カンヌ映画祭パルムドール受賞した
『わたしは、ダニエル・ブレイク』(I, Daniel Blake)
ケン・ローチKenneth Charles Loach (born 17 June 1936-オックスフォード大) 監督 は
その変わらない階級社会英国で
虐げられる無産階級の国民を今も描き続けている
稀有な存在です





と たのしい演劇の日々

2017年07月24日

観劇 テレンス.ラティガンTerence Rattigan 「蠱惑草 Love is Idleness」 アポロ劇場ウエストエンド01 -ジョン.オズボーンJohn Osborne (1929 –94) 02

観劇テレンス.ラティガンTerence Rattigan 「蠱惑草 Love is Idleness」
アポロ劇場ウエストエンドApollo Theatre 01-
ジョン.オズボーンJohn Osborne (1929 –94) 02


“怒れる若者/angry young man”このフレーズの オリジナルはWoodcraft Folk
(平和友愛自然崇敬をモットーに児童教育を担う 慈善団体)/英スカウト運動
の発起人Leslie Paul (1905 – 85 アイルランド出身作家)の自伝小説『Angry Young Man』です
 
Royal Court Theatre立ち上げに賭けた 芸術監督George Devine CBE (1910 – 66) は
オズボーンの3作目『怒りをこめてふり返れ/ Look Back in Anger』に衝撃を受け 
関係者の反対を押し切り 上演を強行 
その宣伝用コピーとして“angry young man”採用したのです 

演出Tony Richardson (1928 – 91) 
配役舞台:Kenneth Haigh (1931-) 
アラン・ベイツ Sir Alan Arthur Bates, CBE (1934 –2003) 
Mary Ure (1933 – 75スコットランド俳優)
John Welsh (1914– 85 アイルランド俳優) 
映画:リチャード・バートン,CBE Richard Burton, CBE (1925 –84)  

幕開け一週間後 当時最も影響力のある劇評を書いていた
Kenneth Tynan (1927 –1980 オックスフォード大 作家評論家 
国立劇場の文芸部マネージャー(1963-) )が The Observer 紙にて 
"この劇を観たくないという輩を俺は好きになれない ここ10年で突出した新人戯作家だ" と絶賛

続いて  Sir Harold Hobson (1904 –92 作家劇評家 オックスフォード大 
国立劇場評議員(1960-))が The Sunday Times紙に "間違いなく前途有望" と評し 
オズボーンの作品は 
拒絶 暴動そして崇拝へと嵐の如く英国演劇界を吹き荒れ 
話題をさらってしまいます 時代は
茶の間劇/Kitchen sink realism (kitchen sink drama) 英国無産階級の日常 
家賃を低く抑えた低品質の公営住宅/先選挙戦中の高層住宅火災にみられた に住み 
休暇は家族揃って近場の薄汚い酒場で一日過ごし 
子供の教育/学校は顧みられず 麻薬犯罪と隣り合わせの日常生活 
台詞も彼らが使う独自の乱れた英語で書き表される   へと大きくシフトしたのでした  

ウエストエンドはテレンス.ラティガンTerence Rattigan(1911–77)が描く
有産支配者階級のロマンティシズムを前時代だと見限るのです


 
次回へと続きます



と たのしい演劇の日々

2017年07月18日

観劇テレンス.ラティガンTerence Rattigan 「蠱惑草 Love is Idleness」 アポロ劇場ウエストエンド Apollo Theatre 01-ジョン.オズボーンJohn Osborne (1929 –94) 00

観劇テレンス.ラティガンTerence Rattigan 「蠱惑草 Love is Idleness」 アポロ劇場ウエストエンド
Apollo Theatre 01-ジョン.オズボーンJohn Osborne (1929 –94) 00


テレンス.ラティガンTerence Rattigan(1911–77) に関する記事に必ず云及される
英劇作家ジョン.オズボーンJohn Osborne (1929 –94)

オズボーン25歳 王室を頂点のピラミット型社会英国 有産階級支配層が富を独占し 
英国の誇りと栄華を格調高く謳い上げる芸術文化 実は同時進行で 
そのピラミットの下層多数を占める無産階級の若者は階級差別に喘いでいた

宣伝会社に努めるウェールズ出の父と ロンドン下町 パブのメイドだった母との間に生まれる 
父を慕うも 一方母は ”私に巣くう疫病” だと記す 
この母に対する憎悪は彼の作品の底に流れる自己否定に読み取れる
父の死後その保険金で全寮制私学と云っても安価な学費 入学 
が校則を破り放校 母の元に一旦戻りジャーナリストとして勤めるも 

Anthony Creighton (1922-2005 大戦中RAF爆撃機ナビゲーター ラティガンとは同期
共に余興担当している 終戦後RADAにて俳優修業)
の率いる 旅劇団に関わり 演劇活動を開始

1954年Creightonとの共作で Personal Enemy(初演1955年 ロイヤルコート劇場ロンドン
 作品は1953年アメリカ 善良な白人家族崩壊の悲劇 
共産主義への洗脳 同性愛 黒人の非嫡出子 を描く 
は上演倫理に触れ同性愛のシーンはカット 
全編初演2010年White Bear Theatre ロンドン 1988年開設パブ劇場 
世に埋もれた旧作発掘を手掛け オズボーン第1作The Devil Inside Himと第2作上演 )

翌年3作目 Epitaph for George Dillon  (
初演1957 オックスフォード 
無産被支配者層家族の悲劇 宗教 日常的欺瞞と劇場軽蔑 を描く 
主役のディロンはインテリで饒舌)

そして1956年僅か17日間で書き上げた
『怒りをこめてふり返れ』 Look Back in Anger はロンドン演劇史を塗り替える 
有産階級支配者層による彼らの大英帝国 
存在を無視され夢も希望も抱けず掃溜めに巣くう無産階級の若者たちは猛り狂った 

それは1955 年 Tony Richardson (1928 – 1991)と George Devine CBE (1910 – 66)
共にオックスフォード大出が English Stage Companyを設立 
その目的は急進的 真摯 使命に熱い新しい作家発掘 
国家の知的発展に貢献する英国演劇再建であり 
そしてジョン.オズボーンは見出される
 
次回へと続きます



と たのしい演劇の日々

2017年07月15日

観劇 テレンス.ラティガンTerence Rattigan 「蠱惑草 Love is Idleness」 アポロ劇場ウエストエンドApollo Theatre 00

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観劇 テレンス.ラティガンTerence Rattigan 「蠱惑草 Love is Idleness」
アポロ劇場ウエストエンドApollo Theatre 00

演出Trevor Nunn


テレンス.ラティガンTerence Rattigan(1911–77) 英 
大英帝国三等勲爵士CBE  
1920年代の英国典型的英中上流階級を描き 芝居好きの英人に好まれる戯作脚本家 
祖父は英領インド法廷判事 
ハロー校英全寮制男子私立校Harrow School から
オックスフォード大学Trinity College, Oxford 卒業  
公にはしていなかったとありますが同性愛者 故 自身社会からの疎外感が常にあり 
作品にも性的欲求不満 人間関係の失敗や不倫が描かれます 
 
戦争三部作と呼ばれる
「炎の道 Flare Path (1942)」
「お日様のあるうちに While the Sun Shines (1943)」
の内の一作
「蠱惑草 Love is Idleness (1944)」 初演1944年 
ロンドンツアーの後 Lyric Theatre(1888-)でした  

戦前戦後の価値の拮抗 戦前の価値が未だ根強く世間を支配している英国を描きます
物語はシェークスピアのハムレットが意識下に流れ 
17歳の一人息子マイケル 13歳の時戦争を逃れカナダへ疎開した が
社会主義を信奉する青年に育ち4年振りに帰国してみるや 
未亡人の母 オリビアは 
億万長者のビジネスマンにしてチャーチル内閣 戦争推進主要メンバー 頑固な保守党
の内縁の妻となっているのです 
理想に燃える若者 子 と実践的政治家 義理の父 との確執 
二人の間で揺れる母であり女性オリビア の物語です 

 
最初ラティガンは原作である「Less Than Kind」 を
未亡人の母役にとガートルード・ローレンス Gertrude Lawrence  (1898 – 1952)
英俳優 歌手ダンサーコメディアン  の為に書いたのですが 
多忙のローレンスにすげなく却下されます 
それでおしどり夫婦俳優 Lynn Fontanne (1887–1983)  と Alfred Lunt( 1892–1977) に配役し 
ルントは1920年より戦争中盤まで ロンドン在のブロードウェイのスターでした  
ルントは彼が演じる 義理の父Sir John Fletcher の人物像を
もっと人間的に大らかで共感を得るタイプへの書き換えを希望します また 
政治色の強い劇より人間愛をも表現するバランスが望まれ 
この作品「蠱惑草 Love is Idleness」を書き上げた


次回へと続きます




と たのしい演劇の日々

2017年07月11日

観劇ブレヒト「ガリレオの生涯」ヤングビック座 06

観劇ブレヒト「ガリレオの生涯」ヤングビック座 06


プログラムに綴られた ブレヒト略歴を観ております


ヨーロッパ帰還 ベルリンアンサンブル1947-56


1948年 15年間に及ぶ亡命生活後 ドイツ帰国

1949年 劇団ベルリナアンサンブル立ち上げ 
妻ヘレネ.ヴァイゲルHelene Weigel(1900-71)と共にブレヒトの作品上演
 ブレヒトは帰国後新作を書き下ろしていない 旧作を書き直し公演を続けた

「肝っ玉母さんとその子供たちMother Courage」2度目の公演
ドイツ劇場Deutsches Theater(1850-) にて
Wolfgang Langhoff(1901-66 ドイツ人俳優 演出 共産党アジプロ劇団 
     反政府運動で投獄 プロテスタントソング Peat Bog Soldiers作詞)
         芸術監督を務める(1946 -63)
主演:ヘレネ.ヴァイゲル Helene Weigel,
音楽:パウル・デッサウ  Paul Dessau  (1894 – 1979 ドイツ人作曲指揮者) とブレヒト
  ブレヒトはチューリッヒでの初演(1941)の批判を受け 書き直しをしているが
  ベルリンの観客は子供を3人を戦争で失う母への感情移入がより強く
  生き延びる為に戦争に加担する母の戦争責任には誰も思い及ばない
 と記録している 

1954年 シッフバウアーダム劇場 The Theater am Schiffbauerdamm 専属劇場となる

1953年  ペンクラブのドイツ代表就任

1954年「三文オペラ」ブロードウェイ凱旋し 2611回ロングラン公演
Lucille Lortel Theatre(1926-) オフブロードウェイ劇場 にて
音楽 マーク・ブリッツスタイン Marcus Samuel Blitzstein 
   (1905 –64作詞作曲 脚本家 同性愛者 
   ハリウッドブラックリスト召喚を受けている 
   フランス領で休暇中酔払いの船員に殺害される) がブレヒト劇をソフトに書き直し公演
出演俳優
    ビアトリス・アーサー Bea Arthur (1922 – 2009 
                アメリカ俳優 歌手 コメディアン 動物愛護家)
    ジョン・アスティン John Astin (1930-アメリカ俳優)
    Lotte Lenya (1898 –1981 クルト.ヴァイルKurt Weill(1900-50)の妻) 
    Leon Lishner (1913 - 95 アメリカオペラバリトン歌手 ) 
     Charlotte Rae (1926-アメリカ俳優 歌手 コメディアン ダンサー)
    JoLoesser (1927- アメリカソプラノ歌手 俳優) 

1955年 スターリン平和賞受賞
   1926年頃 ブレヒトはマルキシズムと社会主義を学習 マルクスの「資本論」を読み
    ”私は自分の演劇を理解した 今までに一度も考えた事はなかったが 
    マルクスは私の演劇唯一の観客だ”
 と記録している 
   そしてUSSRを追いながら ボリシェヴィキ的 集産主義を称賛し
   アジプロ演劇「男は男だ」「処置」を書き上げた
   1933年には カール・コルシュ Karl Korsch  (1886 – 1961ドイツ人マルキシスト
         西洋マルキシズムの底辺を築いた) ブレヒトと会っている


1956年 「ガリレオの生涯」稽古中のベルリン 心臓発作により死去  
     後シデナム舞踏病に罹患していたことが判明 
    それがブレヒトの日常生活の不可解な行動 情動面の難しさ
     しかし芸術創造にプラスに働いたことが理解された




と たのしい演劇の日々

2017年07月10日

観劇ブレヒト「ガリレオの生涯」ヤングビック座 05

観劇ブレヒト「ガリレオの生涯」ヤングビック座 05



芝居のプログラムに紹介された ブレヒトの略歴を観ております




アメリカ亡命中 1941-47年

1941年「セチュアンの善人(1938-1941)」亡命先アメリカで仕上げ
 共著 マルガレーテ・シュテフィン Margarete Steffin
 ( 1908 – 41ドイツ人俳優 作家 ロシア語スカンジナビア語翻訳)
ルート・ベルラウ Ruth Berlau (1906-74 *04参照)

1943年 「ガリレオの生涯」初演
チューリヒ劇場 Zürich playhouse (1892- 
ナチ政権下亡命中演劇人たちの 検閲無し ドイツ語 反ファシスト公演可能な劇場
として喝采を浴びる) 
演出 Leonard Steckel 
(1901–71ドイツ俳優 舞台映画監督 ナチ政権下スイス亡命
Zürich playhouse契約 1971年2月9日 アイトラング列車脱線事故死)
 美術 Teo Otto. (1904–68 ナチ政権下スイス帰国Zürich playhouse舞台美術監督)
配役:ガリレオ Leonard Steckel
Karl Paryla(1905–96 オーストリア俳優 演出家 共産党 
スタニスラフスキ‐Konstantin Stanislavski (1863– 1938)) 俳優訓練 
Zürich playhouseでJohann Nestroy (1801–62)の小市民劇 公演に貢献)
Wolfgang Langhoff (1901-66 ドイツ人俳優 演出家 共産党アジプロ劇団員
 反政府活動で投獄中プロテストソング"Peat Bog Soldiers" 創作)

1944年「コーカサスの白墨の輪」執筆
ドイツ亡命者民主議会会員

1947年 マッカーサーの赤狩り(1947-57)
下院非米活動委員会の審問を受け 共産党とは無関係であると主張 
その翌日アメリカを去る がしかしブラックリストに載った41人の間で 
委員会への出頭 証言拒否するとした事前の申合せがあったにもかかわらず
 それを反故にし召喚を受けたブレヒトは批判を受ける事となる 

ハリウッド10/出頭拒否したが故 議会侮辱罪により有罪 
Hollywood10.jpg


1947 ハリウッド10 連邦保安官本部前で 下段左よるHerbert Biberman, 弁護士 Martin Popper  Robert W. Kenny, Albert Maltz, Lester Cole. 中段: Dalton Trumbo, John Howard Lawson, Alvah Bessie, Samuel Ornitz. 三段目 row: Ring Lardner Jr., Edward Dmytryk, Adrian Scott.

アルヴァ・ベッシーAlvah Bessie (1904 – 85) 映画脚本
ハーバート・ビーバーマンHerbert J. Biberman (1900 – 71) 映画脚本 監督
レスター・コールLester Cole (1904 – 85) 映画脚本
エドワード・ドミトリクEdward Dmytryk (1908 – 99)  映画監督
リング・ラードナー・ジュニアRingLardner Jr. (1915 – 2000) ジャーナリスト・映画脚本
ジョン・ハワード・ローソンJohn Howard Lawson (1894 – 1977) 作家
アルバート・マルツAlbert Maltz (1908 – 85) 作家 戯作 映画脚本
サミュエル・オーニッツSamuel Badisch Ornitz (1890 – 1957) 小説 映画脚本
エイドリアン・スコットAdrian Scott (1911 – 72) 映画プロデューサー 脚本
ダルトン・トランボDalton Trumbo (1905 – 76) 小説 映画脚本 『黒い牡牛The Brave One (1956) 』従兄弟の名 でアカデミー原案賞 1975年 本人に賞贈呈





次回へ続きます


と たのしい演劇の日々









2017年07月09日

観劇 ブレヒト「ガリレオの生涯」ヤングビック座 04

観劇 ブレヒト「ガリレオの生涯」ヤングビック座 04

プログラムに紹介された ブレヒトの概略を観ております


亡命時代 ヨーロッパ1933-41年


1933年
Karin Michaëlis ( 1872 -1950 デンマークのジャーナリスト 作家)
の手引きによりデンマークへ亡命

亡命中 
ヴァルター・ベンヤミンWalter Benjamin ( 1892 –1940)
ドイツユダヤ人哲学者 フランクフルト学派 
ドイツ観念論 ロマン主義 史的唯物論 ユダヤ教神秘主義 
社会批評 エッセイスト  

ハンス・アイスラーHanns Eisler
 (オーストリア作曲家 アシュケナジユダヤ人1898–1962)

ルート・ベルラウ Ruth Berlau (1906– 74
デンマーク俳優 監督 写真家 作家 ブレヒトの愛人男児を授かるが短命 
ヴァイゲルによりベルリンアンサンブル入団拒否 
入院中ベッドリネンにタバコの火が移り死亡)

ブレヒトを訪れている

ブロードウェイEmpire Theatre(1893-1953にて英語版「三文オペラ」
しかし12公演で終演

それに先駆け
バプストG W Pabst (1885–1967)が映画制作(1931) 
配役  ジェニー:ロッテ・レーニャ Lotte Lenya (1898–1981) 
      クルト・ヴァイル Kurt Julian Weill (1900 – 1950) の妻 
   ポリー :Carola Neher (1900 – 42ドイツ人俳優 歌手  
   スターリン1934 -39"大粛清" 同様にロシア亡命中の
   Gustav von Wangenheim (1895 – 1975)共産党劇団主催 
   ドイツ語アジプロキャバレー上演 により 
   トロキストを密告され流刑地で死亡  ) ブレヒトは彼女の釈放に失敗 無力無念を噛締める

1934年 ヒトラー ドイツ総統へ

1935年 ブレヒト ドイツ市民権剥奪される 
   亡命中ファシストを批判する数々の作品を執筆
 「第三帝国の恐怖と悲惨(1937)」
「ガリレオの生涯(1939)」
「肝っ玉おっ母とその子供たち(1939)」 
「セチュアンの善人(1938 -41)」
「アルトロ・ウィの抑え得た興隆(1941)」

1938年 「第三帝国の恐怖と悲惨(1937)」パリ初演
演出 Slatan Dudow (1903 -63 ブルガリア演出家 脚本家)  
出演 ヘレネ.ヴァイゲルHelene Weigel (1900 –71両親はユダヤ人 共産党員 ブレヒトの妻)

1941年 カリフォルニア サンタモニカへ亡命


次回へと続きます






と たのしい演劇の日々

2017年07月04日

観劇ブレヒト「ガリレオの生涯」ヤングビック座 03

観劇ブレヒト「ガリレオの生涯」ヤングビック座 03

ブログラムに紹介されたブレヒトの略歴を数回に分け観ております 



ワイマール共和国 ベルリン時代

1925年
第一次大戦を敗戦 ドイツ表現主義は次世代へと
マンハイムにて新即物主義運動の先駆けとなる展覧会開催される 
ブレヒト集団その流れを作品「男は男だ」制作 
演出Jacob Geis (1890 – 1972) 
美術Caspar Neher (1897 – 1962)
主演Ernst Legal (1881 – 1955)

1928 年
「三文オペラ」公演成功
Schiffbauerdamm劇場にて(1892年建立 1933〜1944ナチ支配閉館 
WW2終戦後の1954年ブレヒト引継ぎベルリンアンサンブルBerliner Ensemble専属)

ブレヒト作家集団:Elisabeth Hauptmann (1897–1973) , Margarete Steffin, Emil Burri,
 Ruth Berlau ( 1906 – 1974 )
 
ホフマンがドイツ語訳したJohn Gay (英1685 – 1732詩人演劇家 
のバラードオペラThe Beggar's Opera (1728) をブレヒトに提案する
実在した詐欺師と当時の初代英首相ロバート.ウォルポールRobert Walpoleの
金権腐敗政治を批判した作品 因みに反EU扇動派はこの時代の英国を懐古) 

プロデューサーErich Engel (1891 – 1966)
音楽クルト.ヴァイル( Kurt Weill (1900 – 1950) 
指揮Theo Mackeben(1897-1953) 
出演 Harald Paulsen (1895 –1954)
エリッヒ.ポントErich Ponto (1884 – 1957) 
Rosa Valetti (1878 –1937)
Roma Bahn (1896–1975)
Kurt Gerron(ドイツユダヤ人ナチ対外向けプロパガンダフィルム作成を指示され撮影
終了翌日アウシュビッツへ移送ガス室へ1897 –1944)
ロッテ・レーニャLotte Lenya (1898 – 1981クルト・ヴァイルの妻)
エルンスト.ブッシュ Ernst Busch(1900 – 1980共産主義 
1955年版ガリレオの生涯 ベルリンアンサンブル制作 ガリレオを演じる) 

1930年
「処置Measures Taken」執筆
「マホガニーRise and Fall of the City of Mohagonny」ライプニッツ公演
ナチ'突撃隊SA上演妨害

1932年
政治映画「空っぽの胃袋Kujle Wampe」モスクワ初演 
映画監督Slatan Dudow (ブルガリア1903 -1963)
プロデューサーGeorge Michael Hoellering (1897 –1980)
音楽ハンス・アイスラーHanns Eisler (オーストリアユダヤ人1898 – 1962 )
制作Prometheus Film (独ロシア共産系映画製作
撮影監督ギュンター・クランフ Günther Krampf (オーストリア1899 – 1950)
出演Hertha Thiele (ドイツ1908 – 1984)
エルンスト・ブッシュ  Ernst Busch(ドイツ1900 – 1980) 
ヘレーネ・ヴァイゲル Helene Weigel (オーストリアハンガリーユダヤ人1900 – 1971)
Erwin Geschonneck (ドイツ1906 – 2008)
だが反政府的内容により上映禁止 後再編集された版で可能となる

1933
ナチ政権確立 ブレヒトとヴァイゲル デンマークへ亡命

次回へと続きます


と たのしい演劇の日々
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