アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2011年10月27日

観劇「Drama at Inish」

オフウエストエンド演劇興行で数々の賞を得ている Finborough Theatre に於いて 

アイルランドの劇作家 詩人 演出家 Lennox Robinsonの初演1933年から

60年振りの再演となる アイリッシュ喜劇を観てまいりました



Inishのある村に ある劇団が興行に呼ばれます が 

チエホフ イプセン ストレントベリ といった人間の内面をえぐる暗い内容の芝居で

 恋に悩む村の若い青年の琴線を震わせ 警察沙汰になるものですから 

雇い主は早々に劇団を解雇し それに変わって サーカスでお茶を濁して 

村は また日常を取り戻す という喜劇です



シンプルな内容と英語(アイルランド訛りはあるものの)解りやすかったのもありますが

達者な俳優陣による 役の個性を引き立てた役作りに  

観客は大いに盛り上がりました

こちらの劇場は 上質な戯曲の復興 と 

英国演劇界将来を担うであろう 才能多き作家の作品上演を使命とし 

数々の興行で 大きな成功を納めております 故に 期待を持って上演を楽しめます

しかし やはり演劇公演に於いて 

良い戯曲を生かすも 殺すも 俳優の技量でありまして

その点におきましても 今回は 経験も才能も豊富な俳優陣は 

見事に 的確に しかも 楽しく 役を舞台上に展開しており 

遠路遥遥 エナジー 時間 をも加えた購買価値を 

遥かに超える大きな満足を得ることが出来ました 

それは 美味しいものを頂いた時の あの至福を覚えるに似 

心は満たされ しかも爽やで 晴れ晴れとした 気持ちになりました

演劇興行もまったく同様です 

わざわざ 出向いて下さったお客様に 満足をお返しし 始めて成功と呼べるのでして  

その為 俳優は役を体現する柔軟な身体  

豊かな響きと表現のある地に足の付いた 腹からの発声 

生きた役を作るに必要な感性 技能 等 日々の訓練を勤めとしております 

と共に 今回のように 良いお芝居を観 観客の立場に身をおき

上質な演技のセンスを磨く事も欠かせない作業の一つでありましょう

さて 次はどちらの劇場へ行きましょうか

と たのしい演劇の日々  



2011年10月22日

シュタイナーの言語造形 聴く事の大切さ

トレバー爺との言語造形練習は 

神秘劇の稽古に入った2010年10月 以前の7ヶ月間で 一通り 

シュタイナー版の英訳 文節集 を終了しておりましたから 

現在は練習中のテープを繰り返し聴く日々を送っております

その際心がけておりますのが 聴く事に徹する

英語版文節集には 凡て国際音表文字を振ってありますから

(自身で調べ 手書きいたしました 国際音表を自動表記するアプリケーションソフト
はないでしょうか? 随分助かるのですが。。。) 

音が判明しない折り 事に日本語にはない 微妙な母音 は

記号を見て確認する必要が生じますが 


文節を語る とは台詞も同様 WILL 作用です 

WILLは 丹田に集まり そこから 表現へと 外界へと放たれます 

以前にも 書きましたように 

聴覚から受け取った情報は 丹田へと真っ直ぐ流れて行ki

 丹田に働きかけるような体感を覚えます 

(もしかしたら英文だからかもしれません 
日本語の台詞を録音機を使い覚える試作はまだしれおりませんので。。。)

英文節表を眼で追いながら習おうと致しますと 頭 つまり 思考に多く作用しますから

それを 発声する際には 意思/WILL のエリア 丹田へ落とす為の作業が 

つまり根のある言葉 足が地についた発声 をする為の作業が 

更に必要となってくるのです

また 表現活動に欠かせたい 感性/Feeling  に於いては tとてもデリケートですから

思考よりの情報は 案外浅薄で脆いのです が 

丹田に集約されておりますと それはとても確かで強く表現を支えます


時間は掛かりますが 丹田で聴く 作業を続けながら 

シュタイナー版言語造形英訳文節集を 

身体の芯から味わいたいと 作業を続ける毎日です



と  たのしい演劇の日々 

2011年10月15日

シュタイナー「Speech and Drama」




シュタイナーの「Speech and Drama」を最初に手にしました折 ここにあるDRAMAとは 

わたくしが習い観てきました 新劇 を思い描いておりましたが 

神秘劇のお稽古をやりながら やっと シュタイナーが言うところの DRAMA は 

古典劇 ギリシャ古代劇 と呼びましょうか の再現を思い計ったのだ と思い至りました
 
その当時 訓練機関などあったと記録はございません 

が天性の朗誦術に身を委ね 台詞を謳いあげることの出来る突出した俳優によって

それは演じられたのでした 

シュタイナーの神秘劇は 

霊界より送られた言葉を其の侭書き写し 戯曲に仕上げたと聞いておりますが 

主役の夥しいモノローグは コロセアムで連綿と語られた神々の台詞を思わせ 

これを 現代上演するにおいて 

語り部は熟達したプロフェッショナルでもなければ 

観客を只睡眠へ誘導するだけに終わるであろう 

実際 ボットンキャンプヒルグループ演じた神秘劇「魂の試練」では 

観客の多くの方が舟こぎと戦ってお出ででした 

それならば オペラのよろしく 曲を付け いっそ詠ってしまえばよいではないか? 

語りだけで お客様を4時間以上 椅子に留めて置く 

どれ程達者な語りの名人に致しましても 大仕事でありましょう

「台詞を客に聞かせる」演劇

役はお決まりのパターンで作られ 所作など無くてよい と言うシュタイナー


英国で4年の言語造形を学んだ学生さんの 卒業発表を観ましたが 

流石 4年掛の修行を終えられた 皆さん いい声が出ます。。。 如何せんかな 

果たして 観客を魅了する語りとは? 

旨いな と感じましたのは 一人の学生さん 

彼の言葉には 色艶があり しかも 

語らんとする内容が 観客にイメージとして見えてくる 

その想像の中で 語り手の命の躍動が伝わってきまいります

謳って 客に聞かせるオペラも同様でありましょう

 歌を上手に歌えるのは当たり前 しかしそれだけでは 観客を魅了できません 


シュタイナーの神秘劇上演とは 

演じる側が 神秘劇を通じて 秘儀への参入を垣間見る ものとして存在する 

それなら それとして大いに価値があります

が上演し 観客の皆さんと共に 霊界の神秘を体験しようとするなら 

シュタイナーの 「言語造形」に 同等の 「俳優術」 

を 加味し学ぶ必要があろうと感じております 

「Speech and Drama」には 書かれておらぬ分野でありますが Drama とある以上 

しかも スタニフラフスキー以降の現代演技に慣れ親しんだ

お客様に向け上演するのであるなら 

俳優は俳優術を学ぶ必要がありましょう



と たのしい演劇の日々 

2011年10月04日

戯曲 アーサー ミラー 「るつぼ」




アーサー ミラー「るつぼ/Crucible」

作品は1692年 魔女狩り マサチューセッツ USA を題材に書かれたものです 

少女等の他愛無いゲームに 

敬虔なピューリタン信者より成る穏やかだった村は損壊します 

そこに 集団ヒステリー マッカーシズム(赤狩り)を 重ねて書き上げられました

残念ながら 3/11後の日本が重なります 

原発反対運動を勧める 科学者 賛同者を 「フクシマを見捨てる気か!」

と 非国民 呼ばわりし 村八分する 現状維持派の日本人が多数だと聞いております 

ヒロシマ ナガサキ そして フクシマを繰替えさなさい  

善良な日本人を被ばくさせてはいけない 

日本の将来を担う子供たちを被ばくから守らなければゆけない

このごく自然で道理に適った思考が 適わない歪められた社会 病んだ社会 

に今日本は陥っているように思えます 正に るつぼ。。。


ところで シュタイナーの「Speech and Drama」研究中なのですから 

霊学的に戯曲を読めたらばと願うのでありますが さてさて 。。。


作品中の少女たちは将来の夫を占う儀式を企てるのです 

が多感な年齢の少女たちがものつきのような状態に陥る事から 

事件へと発展してゆきます

それを  ルシファーに見出されたからだと 悪魔祓いも呼ばれます

ところで 

シュタイナーの神秘劇に描かれるルシファーは

人間の霊的発展を促す為に より確かなものとする為に 

時に悪徳の甘美さを匂わせもします 

しかしそれは 忌み嫌うべき存在ではなく 

ルシファー自身が自分の存在理由をよく理解しており 

必要な限り人間に働きかけると読みました 

つまり ルシファーとは悪魔祓いの対象ではなく 

対象は人間そのものなのだということなのです 

人間は 異端を見つけ出し 自己を正当化して一時安心を得る 

魔女狩り ルシファー スケープゴードとは 

不安な集団社会心理が必要とする 安定剤なのでしょう


ところで 少女たちが試みたオカルト体験ですが

 オカルトに関しては わたくし未だ不確かなままでありまして

「るつぼ」に描かれた神秘体験の意味する処に関しましては 触れぬことと致しましょう



戯曲を読む 幸せな時

と たのしい演劇の日々



 
   
<< 2011年10月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
月別アーカイブ
2024年02月(1)
2024年01月(2)
2023年11月(1)
2023年10月(1)
2023年09月(4)
2023年08月(7)
2023年07月(4)
2023年06月(2)
2023年05月(2)
2023年04月(2)
2023年03月(3)
2023年02月(6)
2023年01月(4)
2022年12月(3)
2022年11月(1)
2022年10月(2)
2022年09月(4)
2022年08月(5)
2022年07月(4)
2022年06月(3)
2022年05月(1)
2022年04月(3)
2022年03月(2)
2022年02月(2)
2022年01月(3)
2021年12月(8)
2021年11月(5)
2021年10月(8)
2021年09月(10)
2021年08月(25)
2021年07月(9)
2021年06月(12)
2021年05月(16)
2021年04月(11)
2021年03月(11)
2021年02月(13)
2021年01月(11)
2020年12月(10)
2020年11月(7)
2020年10月(11)
2020年09月(9)
2020年08月(8)
2020年07月(15)
2020年06月(11)
2020年05月(27)
2020年04月(15)
2020年03月(11)
2020年02月(10)
2020年01月(6)
2019年12月(16)
2019年11月(12)
2019年10月(17)
2019年09月(5)
2019年08月(18)
2019年07月(11)
2019年06月(18)
2019年05月(14)
2019年04月(14)
2019年03月(14)
2019年02月(14)
2019年01月(19)
2018年12月(21)
2018年11月(22)
2018年10月(30)
2018年09月(23)
2018年08月(20)
2018年07月(14)
2018年06月(13)
2018年05月(11)
2018年04月(7)
2018年03月(14)
2018年02月(7)
2018年01月(10)
2017年12月(13)
2017年11月(3)
2017年10月(12)
2017年09月(2)
2017年08月(14)
2017年07月(10)
2017年06月(5)
2017年05月(5)
2017年04月(16)
2017年03月(5)
2017年02月(5)
2017年01月(4)
2016年12月(8)
2016年11月(5)
2016年10月(8)
2016年09月(13)
2016年08月(6)
2016年07月(12)
2016年06月(11)
2016年05月(11)
2016年04月(4)
2016年03月(11)
2016年02月(6)
2016年01月(6)
2015年12月(6)
2015年11月(2)
2015年10月(2)
最新記事
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。