2012年05月24日
第4回:五月病はなって当たり前、平気という人も実は気づいてないだけ。
何をどうやってもやる気が出ない、気力が充ちて来ない。
気分転換も図ってみるけど、それすら楽しくない。休日も心から楽しめない。休めない。
なんとかしようと焦れば焦るほど、比例するように気力が萎えてゆく───
時期的なこともあって、人はこの様子を「ああ、あいつは“五月病”にかかってるな」と言うわけです。
でもこれはなって当たり前なのだそうです。
気分転換も図ってみるけど、それすら楽しくない。休日も心から楽しめない。休めない。
なんとかしようと焦れば焦るほど、比例するように気力が萎えてゆく───
時期的なこともあって、人はこの様子を「ああ、あいつは“五月病”にかかってるな」と言うわけです。
でもこれはなって当たり前なのだそうです。
(´。`) ものの本によると、人がひとつの事柄に関してモチベーションを保てるのは一週間がいいとこ…それくらいで限界がくるのが普通なんだそうです。
ケース by ケースでしょうが、誰でもいつかものごとに “飽きる” 事があるのは間違いないでしょう。
それをあえて“病”と呼ぶのはヘンですが、便宜上ここでもそのままの呼称でお話を進めます。
でも───だとすれば、仮に新しい環境での生活が四月から始まったとして、五月の終わりになってついにヘタって来たのなら、むしろ60日近くも踏ん張れたわけで、むしろ「よく頑張ったね」と褒められても良いくらいだと思いませんか?
そしてそこまで無理して頑張ってきた結果が、ちょっとやそっとでは回復できないほど、気力や体力を使い果たしてしまった…。
しかももう次の戦いが始まってて、早急に回復しないとヤバイ状況。
ここで五月病と縁のないタイプの人なら、無理してきた分、少し肩の力を抜いて、気分的にも楽にかかろうとするんです。
しかし生真面目なあなたは、人間的な不器用さが災いして気晴らしや手抜きもできず、回復し切らないままに次の戦いに飛び込んでしまう。
やがて溜まりに溜まった物理的な肉体疲労と様々な気疲れのために、遠からずその限界を迎える日がくるのです。
五月病の正体が肉体の疲労と、心が “飽きた” “興味を失った” 事だとしたら、五月病にならない秘訣はなんのことはない『上手な気分転換と適度な休息』ということになります。
いわば長距離マラソンにおける給水ポイント。F-1レースでのピットインに例えてもいい。
いずれにせよ、適度なタイミングでマメに補給しないと、最後まで完走するのは不可能です。
とはいえ。(。-`ω´-)
そりゃ〜、身体や心に疲れが溜まる前に適度な休養を摂り、気分も一新できたなら何の苦労もないでしょう。
でも問題は、あなたも私も、それが上手くできない人だから、深刻なレベルに疲れ果ててしまうまで走ってしまうという事。
「最後は気力勝負だ」なんて知った風なことを言う体育会系気質の人は多いですが、そんなセリフはあくまで試合の残り時間が限られていて、目指すべきゴールが見えている時の話です。
そんなきわどい状況でしか適用できない話を、今あなたが直面している『血を吐きながら続ける終わりなきマラソン』に適応するのは根本から間違っていますよね。
そもそも気力と体力はニコイチ、どちらが欠けても機能しない、ふたつでひとつの生きるためのエンジンです。
だからどちらかが落ちたら、残った方に無理が掛かる。それを動かそうとすればするほど悪循環になり、そのまま続ければ間違いなく途中リタイヤ…『棄権』が待っている。
それを承知の上で気力戦法なんて、あと先を考えない、どさくさイチカバチカの“最後の手段”の愚策でしかない。
そもそも最後の手段を出してしまったら、あとなどない。だからもう頑張れるわけがない。抜け殻です。
その破滅の連鎖を理解できず、上司や同僚の根性論の押し付けや、自分のケースに合っていない、間違った啓蒙本などの精神論で「自分は考え方が間違ってるから気力が出ないんだ」と思い込んで、あさっての方向へしないでもいい努力まで抱え込んでゆき───。
もうこの時点で、五月病の先へ……病名もいつしか『ノイローゼ』と名前が変わります。
そうなってからでは遅い。
たとえその後に連鎖から逃れられても、回復には大変手間取るでしょう。
真面目な人ほど連鎖の中に巻き込まれ、巻き込まれながらでもまだ真剣に悩むので、さらにどんどん自分を追い込んでいきます。
そんな状態の人に、外からも内からも闇雲に『やる気を出せ、しっかりしろ』とハッパを掛けたところでどうにもなりません。
すでに壊れてしまっているんですから。
そうならないためには、やはり自力で這い上がるしかないんですが、私は一般的に言われているやりかたとは少し違う考え方で頭を上げる事ができました。
次回はそのお話を。
ツイート
@Joemonianをフォロー
ケース by ケースでしょうが、誰でもいつかものごとに “飽きる” 事があるのは間違いないでしょう。
それをあえて“病”と呼ぶのはヘンですが、便宜上ここでもそのままの呼称でお話を進めます。
でも───だとすれば、仮に新しい環境での生活が四月から始まったとして、五月の終わりになってついにヘタって来たのなら、むしろ60日近くも踏ん張れたわけで、むしろ「よく頑張ったね」と褒められても良いくらいだと思いませんか?
そしてそこまで無理して頑張ってきた結果が、ちょっとやそっとでは回復できないほど、気力や体力を使い果たしてしまった…。
しかももう次の戦いが始まってて、早急に回復しないとヤバイ状況。
ここで五月病と縁のないタイプの人なら、無理してきた分、少し肩の力を抜いて、気分的にも楽にかかろうとするんです。
しかし生真面目なあなたは、人間的な不器用さが災いして気晴らしや手抜きもできず、回復し切らないままに次の戦いに飛び込んでしまう。
やがて溜まりに溜まった物理的な肉体疲労と様々な気疲れのために、遠からずその限界を迎える日がくるのです。
五月病の正体が肉体の疲労と、心が “飽きた” “興味を失った” 事だとしたら、五月病にならない秘訣はなんのことはない『上手な気分転換と適度な休息』ということになります。
いわば長距離マラソンにおける給水ポイント。F-1レースでのピットインに例えてもいい。
いずれにせよ、適度なタイミングでマメに補給しないと、最後まで完走するのは不可能です。
とはいえ。(。-`ω´-)
そりゃ〜、身体や心に疲れが溜まる前に適度な休養を摂り、気分も一新できたなら何の苦労もないでしょう。
でも問題は、あなたも私も、それが上手くできない人だから、深刻なレベルに疲れ果ててしまうまで走ってしまうという事。
「最後は気力勝負だ」なんて知った風なことを言う体育会系気質の人は多いですが、そんなセリフはあくまで試合の残り時間が限られていて、目指すべきゴールが見えている時の話です。
そんなきわどい状況でしか適用できない話を、今あなたが直面している『血を吐きながら続ける終わりなきマラソン』に適応するのは根本から間違っていますよね。
そもそも気力と体力はニコイチ、どちらが欠けても機能しない、ふたつでひとつの生きるためのエンジンです。
だからどちらかが落ちたら、残った方に無理が掛かる。それを動かそうとすればするほど悪循環になり、そのまま続ければ間違いなく途中リタイヤ…『棄権』が待っている。
それを承知の上で気力戦法なんて、あと先を考えない、どさくさイチカバチカの“最後の手段”の愚策でしかない。
そもそも最後の手段を出してしまったら、あとなどない。だからもう頑張れるわけがない。抜け殻です。
その破滅の連鎖を理解できず、上司や同僚の根性論の押し付けや、自分のケースに合っていない、間違った啓蒙本などの精神論で「自分は考え方が間違ってるから気力が出ないんだ」と思い込んで、あさっての方向へしないでもいい努力まで抱え込んでゆき───。
もうこの時点で、五月病の先へ……病名もいつしか『ノイローゼ』と名前が変わります。
そうなってからでは遅い。
たとえその後に連鎖から逃れられても、回復には大変手間取るでしょう。
真面目な人ほど連鎖の中に巻き込まれ、巻き込まれながらでもまだ真剣に悩むので、さらにどんどん自分を追い込んでいきます。
そんな状態の人に、外からも内からも闇雲に『やる気を出せ、しっかりしろ』とハッパを掛けたところでどうにもなりません。
すでに壊れてしまっているんですから。
そうならないためには、やはり自力で這い上がるしかないんですが、私は一般的に言われているやりかたとは少し違う考え方で頭を上げる事ができました。
次回はそのお話を。
ツイート
@Joemonianをフォロー
【■職を勝ち取るために!の最新記事】
投稿者:茂庭 醸(ジョー・モニアン)|01:40|■職を勝ち取るために!
この記事へのコメント