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2018年08月29日

自叙伝(サラリーマン)

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眼鏡屋開業が失敗に終わり、退職金はおろか 貯金もかなり目減りしてしまいました。
サラリーマンに戻るしかありません。

テレビCMで有名だったコンタクトレンズ販売の会社に就職し、コンタクトレンズ、眼鏡、オルソケラトロジーの販売をしました。
店長を経て役員にまで昇進しましたが、約3年で倒産。
途中で変な男に身売りしたのが原因です。
オルソケラトロジーとは、特殊な大きいハードコンタクトレンズを付けたまま眠り、角膜にクセをつけて視力を矯正すると言うものです。

その後、レーシック専門クリニックに就職。
ご存知だと思いますが、角膜をレーザーで削り視力を矯正すると言うものです。
東京で3ヶ月ほど研修がてら勤務し、名古屋栄で新規オープンスタッフとして勤務しました。
しかし ここも約3年で倒産してしまいました。
別に経営していた美容整形の運営に失敗したのが原因です。
眼鏡処方も時々あり、眼鏡屋の経験も活かす事が出来ました。

どちらも割と良い給料でしたが、眼鏡屋時代に知ったFXの損失で貯金は尚更減少してしまいました。
高校の時、停学させてしまった例の彼から聞いたFX。
このFXをやらないで、眼鏡屋を開業せずに普通のサラリーマンに戻っていたらと思うと泣けて来ますが、これも運命 自己責任です。

視力矯正の仕事を全て経験し それが活かせないのは残念ですが、今の仕事も所長として頑張っています。
安い給料ですが8年続いて勤務しています。
もう倒産する事は無いでしょう。
しかし3つも続けて倒産するとは…
普通では経験出来ない事をたくさん味わって来ました。
今後また波乱が起きるのか 何事も無く平凡に終わるのか分かりませんが、残りの人生を頑張って過ごして行きたいと思います。

ひとまず自叙伝は ここで終了と致します。
最後までお読み頂きありがとうございました。
今後とも宜しくお願い致します。

タグ:自叙伝
posted by K.Tanaka at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝

2018年08月28日

自叙伝(眼鏡屋)

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私が退任する際 退職金で少し揉めましたが、弁護士を立てた事で ある程度まとまった金額で折り合いがつきました。
私はその退職金と自分の貯金で、地元にクリニックを立ち上げようとしました。
全て自分1人でやるには大変ですが、やるしかありません。
しかし なんと言っても1番のネックはドクターです。
眼科専門医の女医さんと話は進んでいましたが、最終的には断られました ( ;∀;)
色々準備も進めていたのですが…
しかも強力なライバル店が近くに出来てしまいました。
もうこうなったらドクター無しで出来る商売、眼鏡屋をやろうと決断します。

今の時代、個人で眼鏡屋を開くなんて!と周りは皆反対しました。
でも私には当時それしか考えられませんでした。
今更サラリーマンに戻るなんて事も考えませんでしたし、貯金もかなり貯まっていましたので、食って行けるだけで十分だと思っていましたので。

コンタクトレンズ処方の為の検査技術は かなり活かせます。
ただ加工技術は全く経験がありませんので、昔お世話になった老舗の眼鏡屋に修行に行きました。
自宅から結構 遠いのですが、ちゃんとした技術を身につけたかったからです。
給料を出すと言ってくれましたが、お断りしました。
仕事をしてたら何年かかるか分かりません。
自分の学びたい事だけを教えてもらいたかったからです。
もともと手先が器用な私は、1年で習得出来ました (^^ゞ
あと、よく見える眼鏡と使いやすい眼鏡は違う事がよく分かりました。

店の場所は生まれ育った実家の近くにしました。
寂れた街になってしまっていますが、親戚や友達も多く 紹介も期待していましたので。
安売り店には したくなかったので、機材は全て新品、フレームも高級品が多く、内装にも お金を掛けました。
家で飼っていた海水魚も店に置き、高級感を演出しました。
反対していたカミさんも、店で接客したり チラシを配ったりと協力してくれました。

オープン当初は それなりに賑わい活気がありましたが、後が続かなかったです。
時期も最悪な時で、3プライスが1番流行っている時でした。
補聴器を出張販売したり ネットで通販を手掛けたりして頑張りましたが、毎月 食って行くだけの生活も出来ないぐらいの売り上げにしかなりません。
車は次々と売却して、カミさんはアウディから軽自動車へ。
私は釣り用に買ったSMXだけになりました。

次第に家庭まで上手く行かなくなり、イライラは増す一方。
ついには手が震えて、レンズの面取りさえも上手く出来なくなってしまいました。
足も頻繁につり、もう限界でした。
たまらず病院で検査をすると甲状腺が かなり悪くなっていました。
大金を注いだ眼鏡屋は、開業して僅か3年で閉業となりました (>_<)


つづく


タグ:自叙伝
posted by K.Tanaka at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝

自叙伝(退任)

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社長である先輩は大変車好きでした。
特にスポーツタイプのフェラーリやポルシェなど。
ある日、レプリカを販売したいと言って来ました。
本物は高過ぎて手が出ない人が多いが、レプリカなら買う人も そこそこいるだろうと言うのです。
しかも製造から手がけると ( ゚Д゚)

どうでしょうか?私なら買いませんが…
そこそこの値段するなら尚更です。
反対しても決定権は社長にありますので、強くは言えませんでした (>_<)

コンタクトレンズは使い捨ての時代になり、この業界はいずれ尻すぼみになる。
先を見越して色々考えているところは社長らしくて良いのですが、あまりにも発想が大胆過ぎます。

ある日、私に家と土地を担保に入れてくれと言って来ました。
銀行からの融資を受けたいと。
私が代表から退く条件は、お金の心配はしなくていい 保証人になる事も無いとの約束でした。
話が違います!
先輩の言い分は、私もいい思いしてるんだからでした。
確かにそうですが、車販売を手がける為になんて到底聞き入れる事は出来ません。
ましてやレプリカなど!
私は地道にこのままコンタクトレンズ専門で続けるのが1番妥当だと思っていました。
尻すぼみになっても 工夫すればなんとかなると。
全く違う業界に ど素人が下手に手を出して、失敗した時のリスクが大き過ぎます。

結局お互い引く事もなく、私は退任する事となりました…
独立してから10年経っていました。

逃げられたドクターの時もそうですが、いくら親しい間柄でも 書面できっちり覚書しておかないといけませんね。
人は変わります。怖いです…

その時から かれこれ17年が経ちました。
先輩がいなかったら独立も出来なかったし、家を建てる事も出来なかったかもしれません。
そう思うと、今では もうあの時の事を恨んではいません。


つづく

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posted by K.Tanaka at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝

自叙伝(妬み)

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それにしても何で税務署が入ったのでしょうか?
こう言う突発的に入る場合は大概 誰かのタレコミと決まっています。
考えられるのは会社の経費を使った支払先の店主、もしくは当社の従業員などです。

どちらも妬みから通報するのです。
自分の金を使わず会社の経費で落とす事への妬み。
役員ばっかり良い車に乗ってる事への妬み。
そう言ったケースが多いようです。

店主は得意先を失い 従業員は勤め先の会社を失う事もあるので、自分で自分の首を絞める事になりますが、妬みの威力は それを上回るのでしょうね。
既に退職しているかもしれませんけど。
まぁどちらも我々の自業自得。
もっと注意を払うべきでした。

私がベンツを友達に見せなかったのも 妬まれたく無かったからです。
家は分かってしまいますが…
私の友達は乗りたかったと言いますが、多少なりとも そう言った感情は生まれると思います。

人の不幸は蜜の味。
金と色恋は人を狂わす。
人間の弱さと怖さですかね。


つづく

タグ:自叙伝
posted by K.Tanaka at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝

2018年08月27日

自叙伝(追徴課税)

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もともと貧乏人の私は それほど贅沢な事は出来ませんでしたが、今と比べたら天と地の差でした。
これよく使いますが (^^ゞ

しかし、そんな日は長くは続きません…

ある日、税務捜査が会社に入りました。
たまたま休日だった私のところへ 事務員から連絡が入りました。
専務 大変です!税務署が入って、あれやこれや調べています!
なんやて!( ゚Д゚)
急いで会社に行くと、机の中は触らないで!カバンの中を見せてください!
なんやて!( ゚Д゚)
まるで犯罪者扱いです。
国税局からも捜査員が来ていました。マルサか!?

捜査は数日に及び、結果は
@車は役員1人に1台しか認めない。それ以外は役員報酬とする。
A私用での買い物は、会社の経費とは認めない。
B眼科が赤字でも、会社は眼科に対して請求書を上げて納税しなければならない。
でした。

@は心配になって顧問の税理士に聞いた事がありました。
その時は、説明できれば何台までとは決まっていないでした。
Aは領収書を前に、上手く説明(言い訳)出来ませんでした。
まぁ@とAは当然なんですけどね m(_ _)m
個人的に追徴課税がド〜ン!と来ました (>_<)

問題はBです。
これには驚きました。
税理士も知らなかったようです。
って、知っとらなあかんやろ!税理士なんやで!
眼科と会社の特殊な関係ではありますが…
重加算税を含む追徴課税が信じられないくらいの金額でした ( ゚Д゚)
会社にそこまでの金は当然ありません。
銀行から何とか借りて支払いましたが、それの返済は非常に厳しいものでした。

また その頃になると使い捨てコンタクトの需要が拡大しており、収益が減少して来ていました。
会社は徐々に傾き始めます…


つづく

タグ:自叙伝
posted by K.Tanaka at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝

自叙伝(共同経営の難しさ)

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ある日 共同経営者である先輩が、2店舗目を作りたいと言って来ました。
叔父からの借金を返済し、家を建てたばかりの私は まだ余裕が無いと反対しました。
会社にも そこまでの資金はありません。
車を買ったり、役員報酬をどんどん上げましたからね。
すると、実家がお金持ちの先輩は別会社を作って、3店舗を次々にオープンさせました。
2つの会社の代表である先輩と私の間には、少しずつ溝が生まれて来ました。

そして合併したいと言って来ました。
合併の条件は、先輩が代表取締役社長で私は専務取締役副社長。
そのかわり私にはお金の心配はさせないし、保証人になる事も無い。という事でした。
迷いました (>_<)
別会社の3店舗を合わせても私達の会社には及びませんでしたし、何より代表から降りる事になるのですから…
最終決定権が無くなると言う事です。
ただ、このままだと私と先輩との溝は深まる一方だし、お金の心配が無くなるのは大きいです。
やむなく了承する事にしました。

合併をしてからは、私達がオープンさせたクリニックを駅前の綺麗なビルに移転させ、その近くに本部を作りました。
それからは 私と先輩は本部で舵を取り、全国に店舗展開する事となります。

何年か過ぎ、会社は全国に22店舗を持つ業界3位の企業にまで発展しました。
役員報酬は先輩の半分ですが、それでも かなりの高額になっていました。
車も会社で4台購入してもらいました。


つづく

タグ:自叙伝
posted by K.Tanaka at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝

自叙伝(成功の証?)

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先輩と2人で立ち上げた会社の経営状態は うなぎ上り。
役員報酬もどんどん上げて行き、車も会社で成功の証ベンツを2台同時に購入しました。
黒のSクラスで左ハンドルでした。
デカいし左ハンドルだし、まぁ運転しづらい車でした。
それでも さすがSクラスのベンツ!大きなシートは私にピッタリで、長距離運転でも疲れません。
狭い道でも皆避けて行ってくれますしね (;^ω^)
でも乗る事が少なく、殆どガレージに入っていました。
やはりそのベンツで友達に会いに行ったりは出来ませんでしたね〜 (;^ω^)

<私の愛車履歴>
@マークU(車検付き10万円。学生時代の車。クラッチ・ギヤ・ハンドル全てが重く、すぐエンジンからオイル漏れ。名古屋の専門学校へ行く途中、オーバーヒート!)
AセリカXTクーペ(就職して中古をローンで購入。アルミホイールをボディーと同じ白色にペイント。流行のドアミラーやスポイラーを付ける。少しでも凹みがあると板金屋へ修理。)
BマークUグランデ(初の新車をローンで購入。子供が生まれる前に買っておこうと。県営アパート時代の車。しょっちゅう洗っていたらハゲますよ!とオッサンに言われた。走行中変な婆さんにぶつけられ、見えんかった!俺の車は消える車か!)
CベンツSクラス、パジェロ(新車を現金で購入。ベンツは会社で購入。)
DベンツEクラス、パジェロ(2台目)、アウディA4(カミさん用)、SMX(釣り用)(4台とも会社で購入するも1台しか認められず追徴課税!この時のSMXを長いこと乗る事になる。)
Eフォレスター(今の車。ローン地獄 (^^ゞ。20年乗る予定。)

こうして念願だった高級車にも乗る事が出来ました。
独立を決心したのも単純に、高級車に乗りたかったからです。
所得が増え 県営アパートに住めなくなりました。
民間の賃貸へ転居した後、まもなく家を建てました。
高い家賃払うぐらいなら住宅ローンにしようと。
ガレージも欲しかったし、犬も飼いたかったので。


つづく

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posted by K.Tanaka at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝

自叙伝(腐っても医者)

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当時 コンタクト専門クリニックのドクターは現役を退いた高齢者か他科の問題のあるドクターが多かったです。
医者の間では、コンタクト専門クリニックの若い眼科医は世捨て人とも言われるぐらいでした。
開業医と言えども実態は、企業に雇われてオペをする事も無い 目薬を出すぐらいの楽な仕事で高額な給料がもらえるからです。
当クリニックの開業医も専門は内科で、内科開業に失敗して うつ病になり、コンタクトクリニックでアルバイトをしていたドクターでした。
当時コンタクトクリニックのアルバイトの時給は、眼科専門医で15,000円、他科で12,000円が相場でした。
なので大変人気があり、大学の医局に内緒で来る若いドクターも多かったです。
私達 検査員は、バカらしくてやってられまへん!といつも思っていました。
自由診療では とてもやって行けない事が、お分かり頂けると思います。

前のクリニックでも色んなドクターがいました。
<1番酷かったドクター>
患者に問診→超デカ声で、どんなもんじゃ〜い!? ( ゚Д゚) え!うそ!
顕微鏡で角膜検査→手が震えてスリット光が下瞼の下で揺れてます! ( ゚Д゚) どこ見てまんねん!
はい!異常なし! ( ゚Д゚)うそや〜ん!
患者は慣れた会員で、ありがとうございました。 ( ゚Д゚)・・・

当クリニックのドクターは常識も欠落していました。
朝の4時頃 私の携帯によく電話がかかって来ました。
私: もしもし、どうされました?
ド: あ〜私、目が覚めちゃいましてね〜
この後、どーでも良い話を延々聞かされます。
冷たくあしらうと機嫌が悪くなり 出勤しなくなるので、我慢して相手をするしかありませんでした。

こんな感じで、ドクター相手も仕事のうちでした。


つづく

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posted by K.Tanaka at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝

2018年08月26日

自叙伝(結婚 & 独立)

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25歳で結婚し、暮らし始めたのは家賃1万3千円ほどの県営アパートでした。
給料は決して良くないし、出来ちゃった婚で共働きも無理でしたから。
アパートは2DKで そこそこ広いのですが、なんせ古い。
まぁ住めば都で、特に不自由は感じませんでしたけどね。

会社では先輩達が次々と独立して行きました。
当時コンタクトレンズの割引は少なく、粗利益は結構あるし 眼科の収入と合わせると おいしい商売でした。
経営学も身に付いているチーフは、ドクターと資金の問題さえクリア出来れば独立したがる人が多かったわけです。
私達もその中の2人で、先輩達に続けとばかりに独立を果たしました。私が30歳の時です。
場所はまだディスカウント店が無くて通いやすい場所を選びました。

会社は資本金1,000万円の有限会社にしたので、1人500万円用意しないといけません。
私には そんな大金あるわけがありませんので、仲人をしてもらった叔父に土下座して借りました m(_ _)m
母親や親戚中から 商売なんか出来るわけがない!と反対される中、その叔父だけは分かってくれました。

店舗・眼科の内装工事も終わり、設備・スタッフも整い、チラシも出来上がり、あとはオープンを待つだけのその時、開業医が土壇場になって逃げてしまいました ( ゚Д゚)
逃げたと言うか、別のコンタクトクリニックの開業医に行ってしまったのです。
そこは大手企業の関連クリニックです。
大手から誘われたからと言って、この土壇場で!
保険診療が出来る開業医は、簡単には見つかりません。

今更後には引けませんので、とりあえず自由診療の開業医でオープンしました。
自由診療だと眼科の収入は窓口収入のみとなるため、保険診療とは天と地の差なのです。
物販は安売り店ですので、尚更厳しいです。
資金は急速に減少し 半年で倒産寸前まで行きましたが、何とかギリギリで見つかり そこからは徐々に軌道に乗って行きました。

当時コンタクトレンズは、ほとんど割引がされていませんでした。
大手でも10〜20%OFF。
なので私達は30%OFFで始めました。
ただ立ち上げたクリニックは古いビルの中にあり、内装にしてもあまりお金が掛けられないので 前のクリニックに比べると かなり見劣りしました。
今でも忘れられないのは、1番始めのお客さん(30代の女性)の言葉。
不審そうな顔をして、ここって大丈夫なんですか?
大丈夫ですよ!(;^ω^) と言うしかありません…

そんな波乱交じりで始まったわけですが、2人のイケメン検査員がしっかり丁寧に検査してくれて、おまけにコンタクトレンズが安い!の口コミも広がり、会員はどんどん増えて行きました。
あくまで想像ですけど (;^ω^)


つづく


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posted by K.Tanaka at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝

自叙伝(天職?)

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コンタクトレンズ販売の会社に就職が決まり、チーフ(店長)から眼の構造について説明を受けました。
その時私に問題を出してくるのですが、全て答えられました。
面接試験の為に お門違いの勉強をしているので (^^ゞ
チーフはビックリして、よく勉強してるな〜と感心していました。

眼やコンタクトレンズの勉強は、全く苦になりませんでした。
むしろ目からウロコで興味が湧くくらいでした。
これ正に天職だと感じました。

通常より早く患者の検査も任されるようになり、コンタクトレンズのフィッティングも出来るようになって行きます。
もちろん簡単な検査から始めるのですが。
患者は若い女性が大半で、やりがいは倍増です (^^ゞ

なんて甘い考えは最初のうちだけでした…

コンタクトレンズを初めて使う人の中には、恐怖心から失神してしまう人もいるのです。
そんな場面に初めて遭遇した時は、逆に私が失神しそうになりました。
冗談ですけど、かなり焦りましたね (;^ω^)
指とコンタクトレンズが自分の眼球に迫って来るわけですから、誰でも慣れるまでは怖いに決まってるんですけどね。
異常に怖がりの人の装着練習にも苦労します。
患者(客)で混んでいる時には特に困ります。
そこまで怖がるんなら、やめたら?と思います。
言えませんけどね。

土日などは凄く混んで、昼飯を食べる時間も無かった事が結構ありました。
ヘトヘトになります。
当時はまだコンタクトレンズを扱っている眼科が少なかったせいもありますが、少しの割引で大盛況でした。

毎月 高い売り上げ予算が決められており、店内での売り上げだけでは達成出来無い月も多かったです。
そんな時は月末に眼鏡店を廻り、付属品(クリーナーや保存液)を売りに行かなければなりません。
高速で長野県まで行く事もありました。
売れるまで帰る事が出来ないくらい、予算達成には厳しかったです。
予算達成して 当たり前。達成しなければチーフ会議で社長からボロクソ言われ、飛ばされたりします。
なので予算達成の為に、利益度外視で付属品を売りつけに行くのです。

そんなわけで決して楽な仕事ではありませんが、数年後には自分がチーフとなり7年間転勤する事も無く頑張りました。
その間にはカミさんとの出会い・結婚も含め 色んなエピソードがあるのですが、家庭円満の為に割愛させていただきます (^_^.)

この後 入社1年先輩と2人で独立する事となります。


つづく

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posted by K.Tanaka at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝