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posted by fanblog

2017年02月25日

高校で「道徳の時間」を設ける魅力とは・・・

前回、イエモンの『JAM』に関する記事を書いて、
「いい大人」といった内容から、ふと思ったのですが、
高校になると、道徳的な授業って、
急になくなりますよね。
私がいた高校はそうでした。

高校になると、
勉強一辺倒という感じになったりします。
うちのところはそうでした。
そんなイメージが残っています。

この高校時代。
このときに、道徳的な内容に学校で触れる
ということが必要と感じます。

このときに、
「勉強だけ」という感じになってしまったら、
どうかな、という気がします。

勉強が何よりも大事。
その結果が、何よりも大事、
という感じになってしまったらどうでしょうか。


高校後の二十歳を越えた人が、
ニュース沙汰になっていたりします。

レベルの高い大学に入った人が
そうなっているケースもあります。


高校で、勉強以外の、
心の成長のための何かに接する
ということが必要ではないでしょうか。


1ヶ月に1回でも、
そういった授業(もちろん成績は関係ない)、
話の時間があったほうがいいと思います。

学校でそういう時間を設けるくらいでないと、
高校時代にそういった話に触れる機会を持てない
人もいるかもしれません。


高校時代って、何気に大事な時期かもしれません。

「もう成長している」という感じで、学校によっては、
心の成長に関する話を一切しない場合が
あるかもしれません。

しかし、この高校時代って、
成人になる前の段階ですし、
社会に出る前の段階でもあるでしょう。

また、親元を離れる前の段階でもあるでしょう。


この高校時代に、学校で、
大人になるにおいて、社会に出るにおいての
大事な話をされておくといいと思いました。

例えば、喫煙・飲酒の影響、選挙、性、結婚、子育て、
お金などについての話。

また、偉人や専門家などのお言葉、
本などを用いたりして、
心の成長につながるような話をしたり。

このような授業、話の時間(成績に関係ない)が、
高校で月に1回くらいあると、
高校生の心の成長だけでなく、
ちょっと一息つける心の潤いタイムにも
なるのではないでしょうか。

そして、こういった時間が、
高校卒業後においての大学生活や、
社会人生活において役立ち、
人の気持ちを大事にする大人、
人といい関係を築ける大人へと
つながっていくのではないでしょうか。


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posted by tameninaruhon at 16:07| その他

2017年02月24日

イエモンの『JAM』と涙

今回は、本ではないのですが、J-POPの歌の歌詞から
お伝えしていきます。


昨年、2016年、THE YELLOW MONKEY(イエモン)は、
NHKの紅白歌合戦に出場して、
『JAM』を歌いました。

この曲は有名なので、知っている方が多いと思います。

私は、紅白は、録画をして見ました。

私自身は、イエモンのファンというわけではないのですが、
紅白で歌われた『JAM』を聴いていたら、
思いがけずに涙がこぼれてしまいました。

切なさがあると感じました。


そして、この曲の中で、
特に、心に残った部分、心に残った歌詞は、
以下の部分です。

「あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も
みんな昔子供だってね」


当たり前のことなのですが、
グッとくる歌詞だと思います。

どんな人も、みんな、昔は、子供だったのです。

どんな大人であれ、純粋な子供だったのでしょう。

まして、赤ちゃんとなれば、尚更でしょう。

赤ちゃんは、とても無垢な存在です。


その過程において、何があったか、
ということになるのでしょう。

その過程はどういったものであったか。

その過程において、どういった人と接したのか。

また、親などの大人の影響もあるのではないかと
思います。


子供にいい影響を与える大人。

そんな大人が、
彼ら(前述歌詞の後者的な人)の周りにいたら、
また、違っていたのではないでしょうか。


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posted by tameninaruhon at 13:50| その他

2017年02月13日

「写真」について思うこと

個人的なことなのですが、
昨年、赤ちゃんが誕生しました。

これによって、いろいろと、思ったことがあります。

その中で、写真について感じたことがあります。

赤ちゃんが生まれると、赤ちゃんの写真を撮る方が
多いと思います。

私も撮りました。

そして、夫はかなり撮っています。


今は、写真をたくさん撮っても、
物にしなくても、データとして見ることができるので、
物を増やしたくない方にとっては、
便利な世の中になったのではないでしょうか。


とはいっても、なぜでしょうか。
私個人は、それほど写真を撮るという欲がありません。

断捨離系の本やブログを見たからでしょうか。

今は、データであれば、物は増えないのにです。

ただ、断捨離的な知識がある人は、
最終的に、写真においても、そのようになる気がします。


そういえば、ふと、思いました。

以前、自分自身がとてもキラキラとしているときが
ありました。
そのときは、写真をよく撮っていました。

そして、その後、精神的によからぬときがありました。

そのときに、自分がキラキラしていたときの写真を見て、
自分はこんなだったんだ、
というような感覚になってしまったことがあります。

それはまるで、
過去のキラキラした自分にスポットを当てて、
現在の自分を棚に上げているような状態でした。

「そういうのって、どうかな」
という感覚が自分の中にはあります。

そして、そういうことが、うぬぼれや自慢的な内容
につながってしまうということもあると思います。


「常に『今』がいちばん」という状態がいいと、
自分は思っています。

そうすると、「写真を撮る」という行為は、
ある意味、「過去を残す」という行為であり、
そして、その写真を見ると、
過去に浸るというような感覚になるでしょう。

「それって、そういうことって必要なのかな」
なんて感覚が自分の中にはあります。

もちろん、「写真、撮ろうよ」ってなったときは、
撮りますが、自分では撮ってない感じです。


また、撮った写真を最終的に誰が処分するのか、
ということに気がいったとき、
写真自体ない方がいいんじゃないか、
というような感覚もあります。

その人のことは、心の中にあればいいと、
そのような感覚があります。


再び、赤ちゃんの写真の話になりますが、
自分は最初の頃、赤ちゃんの写真を撮りましたが、
それは、母子手帳に写真を貼るページがあったためです
(しかし、結局、貼っておらず)。

そして、自分の赤ちゃんを見ていると、
「ベストショット」と思える顔が多々あります。

これを全部撮ってたら、キリがないです。

そういう感覚もあります。

また、夫が結構、撮ってくれてますし。

そして、写真を撮ること、
作品を残すことにばかりに意識がいくのは、
なんだか赤ちゃんにとっても失礼に感じます。


「目の前にいる人を大事にする」ということが、
何より大事なことでしょう。


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posted by tameninaruhon at 20:03| その他
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