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2017年09月01日

ドイツ騎士団(八月廿九日)



 高校の世界史で勉強をした宗教騎士団というのは、キリスト教徒の狂気にまみれた十字軍の時代に起源をもつ。確か十字軍に従軍した騎士たちが建てた王国もあったのではなかったか。その行為、行動が騎士という言葉で呼ばれるのに値したかどうかはともかくとして。
 イスラム側の反撃にあって次第に獲得した領土を奪回され、最終的には中東、パレスチナの地からキリスト教徒、少なくともキリスト教を信奉する軍事集団は追放されるのだが、騎士団は活動の拠点を、ヨーロッパ本土、地中海の島に移して存続する。

 いわゆる三大騎士団というのは、14世紀に本拠地のあったフランスの国王に異端とされて弾圧され廃絶することになったテンプル騎士団と、ロードス島、マルタ島によってイスラムとの戦いを続け18世紀末まで存続したたヨハネ騎士団、それにバルト海沿岸に所領を獲得して同地のドイツ化に貢献したドイツ騎士団のことである。
 このうち、テンプル騎士団と関係のある地が、南モラビアにいくつかあって、チェイコビツェでは、テンプル騎士団の名を冠したワインが生産されていることについては、すでにどこかで記したが、プラハにも活動の拠点を置いていたようである。
 ヨハネ騎士団は、チェコの拠点が名前だけは現在でも存在し続けているようで、元外相のカレル・シュバルツェンベルク、ロプコビツ家のだれそれなど旧貴族系だけでなく、プラハの大司教を務めるドゥカなど教会関係者も、団員となっているようである。ただ、ナチスドイツの保護領時代、共産主義の時代を経て、名前が存続しているだけで、活動の実態はほとんどないと言ってもよさそうだ。

 それに対して、ドイツ騎士団は、ヨーロッパに移ってからはバルト海沿岸のプロイセン(プロシア)に所領を得たのだが、ポーランドとの長きにわたる戦いにやぶれ、16世紀には世俗の公国となってしまう。この時代の出来事としては、モンゴル軍と戦ったワールシュタットの戦い、ポーランド・リトアニア連合と戦ったタンネンベルクの戦いあたりが有名であろうか。
 しかし、これで騎士団の活動が停止したわけでも、騎士団の所領がすべて奪われてしまったわけでもない。宗教団体としての騎士団は神聖ローマ帝国各地に所領、資産を有しており、モラビアでも多くの城を所有していた。特に大戦間期には、オロモウツから鉄道でオパバに向かう途中にあるシレジア地方のブルンタールという町に本拠地が置かれていたらしい。ナチスの保護領の時代には資産を没収された上で、騎士団も解散させられていたわけだが、戦後すぐに活動を再開している。
 共産主義政権が成立した1948年からは、本部をウィーンに移して活動を続けている。チェコにはビロード革命の後に改めて支部が置かれ、本部はシレジアのオパバに置かれている。チェコ国内での活動はの一つが教育で、オロモウツにはドイツ騎士団の名前を冠したギムナジウムがある。もともとは革命後の1991年に私立のギムナジウムとして設立されたものを、2007年にドイツ騎士団が買い取って運営している。場所はテレジア門の近く、地ビールの飲み屋モリツの隣の建物である。

 ドイツ騎士団がモラビアに所有していたものとしては、本拠地であったブルンタールの城館をはじめ、ボウゾフ城、ソビネツ城などがある。ブルンタールの城館は正面から見ると普通の立派な建物なのだが、上から見ると普通の城館が四角形であるのに対して、ここのは三角形、いや扇形をしている。展示物の写真なんかはこちらのページからちょっと見られるようである。
http://www.mubr.cz/zamek/index.htm

 ソビネツは、シュテルンベルクから北に上っていったところの山の上にそびえるお城である。第二次世界大戦中は、捕虜収容所として使われていたとか、SSの部隊が駐屯していたとか言う話もあるけれども、戦争末期に火事で大きな被害を受け、共産主義の時代にはあまり改修もされずにほとんど放置されていたのを、革命後少しずつ改修を進めてきたようだ。写真を見ると以前出かけたときよりも屋根のある建物が増えている。
http://www.hradsovinec.cz/

 ボウゾフについては以前も書いたけれども、チェコで最も美しいお城の一つである。現在の姿を与えたのはドイツ騎士団の総長だったハプスブルク家のエフジェン(ドイツ語だとオイゲン?)である。だからと言ってドイツ騎士団が求める資産の返還には応じる必要はなかろう。ボウゾフ城のページは前の二つよりも力が入っているように見える。
https://www.hrad-bouzov.cz/cs
 またなんかぐだぐだで終わってしまった。うーん。

8月31日22時。

 出かけるお城を探すにはこのページもいいかもしれない。
https://www.klickpamatkam.cz/#/seznamPamatek




posted by olomoučan at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]