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2021年04月02日

スロバキア首相辞任(三月卅日)



 マトビチ首相が、独断でロシアからワクチンのスプートニクVを輸入したことがきっかけで、勃発したスロバキアの連立与党内の対立は、マトビチ首相の辞任でけりがついた。だからといって解散、総選挙になるのではなく、首相の首の挿げ替え、いや、首相と財務大臣が役職を交代するだけということになるようだ。

 マトビチ氏率いる政党OLaNOでは、ワクチン輸入が明らかになった際に、厚生大臣が辞任しているが、その後、マトビチ氏に対する抗議で、連立を組む政党SaSが、大臣を次々に辞任させ、キスカ氏の党の大臣も一人辞任していたため、マトビチ内閣は存在はするけれども、半数近くの大臣を欠くという状態に陥っていた。
 SaS党が大臣が復任する条件として、マトビチ首相の辞任を求め、マトビチ首相が辞任する条件として、SaSに飲めそうもない条件を突きつけたことで、このまま機能しない内閣が続くか、内閣総辞職で解散、総選挙になるかと期待していたのだけど(制度上一院制の議会の解散ができるのかどうかは知らない)、マトビチ氏があっさり譲歩したことで、政治上の危機は一応終結した。

 後任首相になると目されているのは、財務大臣のエドゥアルド・へゲル氏で、マトビチ氏の長年の政治上の盟友として知られている。ただ、マトビチ氏ほど攻撃的な性格ではなく、人当たりがいいため、反感をかいづらく、他の連立与党からも反対が出にくいと見られているようだ。この状況で、指導力よりも調整能力が評価されている人が首相で大丈夫かと心配にはなるけど、強引さで失敗したマトビチ氏の後任としてはこの手の人を選ぶしかないのだろう。
 もう一つの心配としては、へゲル氏が首相になっても、実態はマトビチ氏の操り人形に針はしないかということで、そうなるとまた、連立を組むSaS党との対立が起こって、内閣が機能しない政治危機を迎えることになりかねない。この連立内閣は、成立当初からOLaNO党の党首マトビチ氏と、SaS党のスリーク氏の過剰なライバル意識が見え隠れしていたから、ワクチンの件がなくても遅かれ早かれ、二党の対立に至ったのではないかと思う。いや、今後も対立して倒閣の危機が繰り返されるだろうと予測しておく。

 現時点でマトビチ氏は去年の選挙のときの熱狂的な支持が嘘のように、支持を落としているようだ。結局、去年の選挙の時点では、フィツォ政権の犠牲者とも言えなくはないジャーナリストのクツィアク氏が暗殺されて最初の選挙では、フィツォ党、コトレバ党以外であれば誰でもよかったのだろう。つまり、マトビチ氏が選ばれたのは、この人ならという積極的な選択ではなく、消去法で選ばれたということだ。だからこそ、迷走を始めるとやっぱり駄目だったかとすぐに見限られるのである。
 言ってみれば、十年ほど前の日本の民主党政権みたいなものだ。お試しでチャンスを与えられて、能力を示せば、支持者を増やして長期的に政権をになうことになったのだろうけど、どちらも、批判するのは得意だけど、実務能力に欠け、それを批判されるのには耐えられないという典型的な野党体質を露呈してしまった。日本チェコに限らず、与党も野党も、偉そうなことを言っていても、なべてポピュリスト政党と化してしまっている世界的な傾向は、スロバキアも同じということか。

 次の選挙で、すぐにフィツォ党が復活するとは思えないが、大統領だったキスカ氏が設立した新政党も期待したほど存在感を発揮できていないし、注目に値しそうなのは、フィツォ党内にいながらフィツォ氏からはちょっと距離を置いていて、フィツォ氏が対人を余儀なくされた後に首相を勤めたペリグリーニ氏が設立した新政党だろうか。無責任に予言しておく。
2021年3月31日24時。









タグ:政治 内閣

2021年03月06日

スロバキアがロシアのワクチンを(三月三日)



 スロバキアの政府がロシアから輸入することを決めたワクチン、スプートニクVが東スロバキアのコシツェの空港に到着した。今後、このワクチンを実際に接種するのか、するとすれば、どのような形で接種するのかに注目である。チェコでもゼマン大統領がプーチン大統領と交渉して、必要であれば輸入が可能な状態になっているのだが、現時点ではバビシュ政権はロシアのワクチンを使用する決断は下していない。一時は積極的な姿勢を見せていたのだが、国内で反対の声が強く挙がると態度を翻した。
 ゼマン大統領とは協力関係にあって、中国やロシアに対する配慮を見せるバビシュ首相のこと、同じくロシアのワクチンを導入したハンガリーやセルビア、スロバキアなどの状況が劇的に改善すれば、チェコでもロシアのワクチンを使おうと言い出すに違いない。さすがに中国のワクチンとは言わないけど、ロシアのを使い始めて問題がなければ、中国もと言い出しかねない。

 現在の問題は、欧米の製薬会社のワクチン生産量が想定したほど大きくなく、当初の予定よりもはるかに少ない数のワクチンしか納入されていないことにある。とチェコ政府は主張しているのだけど、実際は納入されたのに使用されないまま、保存されているものがかなりの割合にのぼり、チェコ国内のワクチンの配布体制にも大きな問題があるのである。その結果、ある地方ではワクチンの接種を完全に停止しなければならなくなったのに、別の地方ではあまっているので現時点で優先的な接種の対象になっていない人たちにも接種を進めていたりする。
 現在最悪な状況にあるとされるカルロビバリ地方にドイツからワクチンが提供されると言うニュースを聞いたときには、チェコ国内で納入されたけどまだ使用されていないとされるワクチンは行方不明になっているのではないかとまで疑った。横領とか横流しとかチェコの政治家やら官僚やらの得意技だしさ。国内のどこにどれだけ保管されているのかわかっていれば、必要な場所に運ぶのはそれほど大変ではないはずだ。それなのにカルロビバリ地方には追加のワクチンは国内からはほとんど提供されていなかった。

 話をスロバキアに戻そう。いかに現在のバビシュ政権がめちゃくちゃだとは言っても、それが現在の野党に政権を取らせたら状況が劇的に改善することは意味しないということをしばしば書くわけだが、その根拠になっているのは、1993年以来の日本の非自民党政権の、自民党政権と大差のないでたらめ振りと、現在のスロバキア政府の有様である。

 昨年長期にわたって政権を握ってきたSMER党が総選挙で負け下野し、マトビッチ氏を首班とする新政権が誕生したときには、スロバキアの世論は希望にあふれていた。その希望が、疑いに変わり、やがて失望になるのにそれほど長くの時間は必要なかった。バビシュ政権と同様に中国からの感染症の輸出がなければ、馬脚を現さずに住んだのかもしれないが、感染症対策だけでなく、警察や裁判所などのいわゆる「浄化」も、根拠が乏しいものもまとめて根こそぎ摘発していると批判する人もいる。拘留されていた警察の元長官に自殺を許し汚職の全体像の解明ができなくなったことも批判の対象となった。
 感染症対策にしても、チェコでは行なわなかった大規模検査を行うなど、意欲的な試みはやっていたけれども、それが継続しないと言うか、努力が空回りしている印象を受ける。いや、正直に言えば、野党として政権を批判するのに慣れすぎて、自分たちが批判される立場になったことを受け入れられず、批判をかわすために焦っているようにしか見えない。その結果、対策が場当たり的で混乱したものになっているという印象である。

 スキャンダルもあって連立与党内の政党間の対立も激しく、政権内の首相の求心力も低下しているのだが、このワクチン問題が連立政権に止めを刺す可能性もある。ロシアのワクチンの導入に積極的なのは、批判をあび続けているマトビチ首相で、他の連立政党は厚生大臣も含めて反対の立場をとっていたようだ。ロシアとのワクチンの購入交渉は厚生大臣の頭越しに首相が行ったようだ。そのため、厚生大臣が辞任し、所属する政党が連立解消を考えているという話もある。
 また、国内の医薬品などの承認を担当する役所に承認するように圧力をかけているとも言うが、同時にロシアのワクチンの接種は、希望者のみを対象にして、接種の前に危険性は認識しているから副作用が出ても政府の責任は問わないとかいう誓約書に署名することが求められるらしい。大規模検査のときに希望者のみと言いながら外出許可と絡めることで実質義務化したのと同じように、承認させるということは国家の責任で接種するということになるはずなのに、責任を問わないという誓約書を出させるのは、姑息としか言いようがない。首相就任以後のマトビチ氏にはこの姑息というイメージが付きまとう。

 最後に、マトビチ氏の渾身の冗談を紹介しておこう。これもまた、政権崩壊につながるかもしれない。ロシアのワクチンを輸入したことをさんざんに批判されたマトビチ氏は、記者から、「ロシアから何かもらったんじゃないですか」という賄賂を疑うような質問をされて、「ポットカルパツカー・ウクライナをもらうことになっている」と答えて、ロシアだけではなくウクライナも怒らせたらしい。これは、「ポットカルパツカー・ルス」とほぼ同じで、大戦間期にチェコスロバキア領だったルシン人の居住区域をさす。当然現在ではウクライナ領になっている。新聞の一コマ漫画のネタだったら秀逸だと思うけど、首相がインタビューで言っていい冗談じゃねえよなあ。
2021年3月4日21時。










2020年11月05日

スロバキアの状況(十一月二日)



 スロバキアでは、先週末を使って、チェコでも前厚生大臣のプリムラ氏が実施を検討していた、コロナウイルス感染の有無を調べる全国民一括検査が行われ、検査のキャパシティの関係もあって国民のほぼ半数、約250万人の人が検査を受けたという。スロバキアの人の話では、この検査は、名目上は希望者のみということになっていたけど、実際は、検査後は、検査で陰性の結果を得ていない人は、仕事のための外出も禁止されるという実質的には検査を強要するものらしい。
 その一見、希望者を対象にしていながら、実質的には強制となる今回の検査には野党側からやり口が姑息だという批判の声も上がっている。腐敗し果てたとみなされていたフィツォ氏率いるスメル党の政権を倒して、全国民の期待を集めて成立したマトビチ内閣だが、今のところ、期待に応え切れているとはいえない印象である。前の内閣が、前の内閣だけに、前の方がましという声までは出ていないようだけど。

 とまれ、250万人という規模で行われた検査の結果は、陽性者の割合が1パーセントほどというものだった。つまり週末二日かけて2万5千人ほどの新規感染者が確認されたということなのだが、この数字多いと見るべきか、少ないと見るべきか。マトビチ首相は来週末にも第二回の全国的な検査を行い今回検査を受けなかった人たちにも受けさせたいと考えているようだが、実務を担当した地方自治体からは、人的な面で実施は不可能だという声も上がっている。
 また、たかだか100人にひとりの患者を暴き出すのに、これだけの手間をかけるのは、特に感染者の割合が低かった地域で繰り返すのは意味がないと考え、割合の高かった地域だけで、それでもせいぜい3パーセントだったか、5パーセントだったかのレベルなのだが、二度目の検査を行うべきだという意見も専門家の中にはあるようだ。

 スロバキアの結果を見ていると、チェコでも実施してもあまり意味がないようにも思われる。特に最近は、検査数に対する陽性者の数が30パーセントを越えていることが問題にされているが、逆に言えば、保健所や開業医の判断で検査を受けさせる判断が適切で、感染者の多くを検査に送り込めているとも考えられる。全国的な全員検査が行われた自分の検査に行かなければならないから、それが嫌だからこんなことを言うというのもあるのだけどさ。

 空港で検査を受けた知り合いの日本人の話では、めちゃくちゃ痛かった上に、結果が出るまで何時間も待っていなければならいのも辛かったらしい。それなのに、今回検査を受けて陰性だったという知り合いのスロバキア人は、大して痛くもなかった上に、10分ほど待つだけで、検査の結果を受け取ることができたという。いわゆる簡易検査という奴なのだろう。春の流行期にチェコが中国から高額で押し付けられた奴は不良品ばかりでない方がましという代物だったけど、今回のは使い物になるのかな。中国製でなければある程度の信頼性は確保できているのだろうけど。
 それよりも気になったのは、検査を受けに来ていた人たちが、冷たい雨の降る中行列を作っていたことで、これで体調を崩したという人が多数出ても不思議には思わない。また行列の人間距離も奨励されている2メートルを越えているようには見えなかったし、下手をすればこの検査で感染したという人もいかねない。ほとんどみんなちゃんとマスクをしていたから、大丈夫だとは思うけれども。

 もう一つの問題は、今日の検査で陰性だったからといって、明日も陰性とは限らないということをスロバキアの政府がどう考えているのかよくわからないことにある。この手の全員検査は感染症の流行状況の傾向を調べるのには使えても、個々の人の感染の有無を確定させるのには使えない。本気で検査によって陽性者を洗い出し、隔離することで封じ込めを図るのであれば、定期的に検査を行うしかない。
 それこそチェコのサッカー界がやっていたように、最低でも毎週一回試合前に検査を行い陽性者がいたら、いなくなるまで陰性者の再検査を繰り返すという方法である。これなら最終的には、すべての陽性者を洗い出すことは可能だろうけど、全国民を対象にというのは非現実的である。

 とまれ、今週末の第二回全国検査がどうなるか注目しておこう。結果次第ではマトビチ政権が意外と求心力を失っていることが明らかになるかもしれない。
2020年11月3日14時。









2020年07月23日

スロバキア政府危機(七月廿日)



 三月初めに国会の総選挙が行われ、武漢風邪流行の真っ最中に新内閣が成立したスロバキアだが、久しぶりのSMER党以外の政権として期待を集めていたマトビチ政権に過去のスキャンダルが発覚して最初の窮地を迎えている。イタリアマフィアなどとのつながりも噂され政治腐敗の象徴となっていたフィツォ氏以外、極右(以前間違えて極左と書いたこともあるけど極がつくと右でも左でも思想的に違いがなくなるのが不思議である)のコトレバ氏以外であれば誰でもいいという雰囲気の中で、有権者の好感を掴んで選出された首相が本当にスロバキアを変えることができるのかどうかはこれからの対応にかかっている。

 マトビチ政権が最初に批判にさらされたのは、武漢風邪対策が厳しすぎることに対してだった。新政権が正式に誕生するまでの間は、暫定的に退任するベレグリーニ政権が対策をとっていたのだが、マトビチ氏はその対策が緩すぎると言って強く批判していた。スロバキアで感染者数が少ないのも検査数が少ないからだと、政権発足後検査数を大幅に増やしたものの患者数は微増に留まった。感染の可能性のある人に対する隔離では、自宅ではなく指定された施設に放り込んで食費を取りながら、その額に値しない食事が出てくると批判をあびた。この辺は、日本の野党と同じ、政権批判をしておけばいい、前政権と違うことをすればいいという野党体質が表ざたになった印象だった。
 流行が収束に向かい始め、チェコやオーストリアなどが、規制の緩和に向けて動き出してからも、マトビチ政権の動きは非常に鈍く、チェコの政治家の言葉からももう少し何とかしてくれという本音が見え隠れしていた。当然、国内の産業界からは規制解除を求めて突き上げを食っていたようだ。それで結局はチェコ、オーストリアなどに引っ張られる形でハンガリーも含めて、ミニシェンゲンとして相互に国境の出入りを自由化する協定を結ぶことになった。

 そんな武漢風邪騒動の最中に明らかになったのが、国会議長のボリス・コラール氏の卒業論文盗作疑惑だった。このポピュリスト政党だとされる「SME RODINA」党の党首はスカリツァというチェコとの国境の小さな町にある中央ヨーロッパ大学という2005年に設立された私立大学で修士号をとったというのだが、この大学が何か怪しい。学歴がほしい政治家がお金を出して通ったことにする大学のようにも見える。その修士論文が人の論文を写したものだったと言われてもあまり違和感はない。
 この疑惑に対して、連立与党のうちキスカ元大統領が率いる「ZA ĽUDI」党と「SAS」党が議長の自認を要求したようだが、マトビチ氏はそれに組みしなかった。結局国会で解任動議が出され秘密選挙で裁決が行なわれた結果、コラール氏の留任が決まった。以前同じ国会議長が学位論文の盗作疑惑で批判されたときには、マトビチ氏も強硬に辞任を求めていたはずなのだけど、変節したのかな。

 その後、「SAS」党の文部大臣のブラニスラフ・グリュフリンク氏にも同様の盗作疑惑が発覚したというのだが、詳細はよくわからない。政治家に学歴なんか求めても仕方がないと思うし、卒論の出来よりも政治家としての能力、あればの話だけど、のほうが重要だと思うのだが、学位の管轄省庁である文部大臣だけは、論文の盗作者を就任させてはいけないだろう。こちらもまだ辞任はしていないようだ。

 そして、最後かどうかはわからないが、マトビチ氏にも同様の疑惑が登場した。本人は22年前のことであまり覚えていないけれども、引用ですまない範囲で他者の論文を自分の論文に使って学位をとったのだとしたら、私は泥棒だなどと疑惑を認めたような、開き直ったような発言をしている。かなり無責任な印象を受けたのだが、これも与党に厳しく自党に甘い野党体質といっていいのかなあ。ここからどう立て直していくか、このままつぶれるのか見物である。
 ちなみに、こちらは学位をとったのがブラチスラバのコメンスキー大学だというから、本人以上に指導教官の責任も大きいと思うのだけど。チェコでもそうだけどまともな大学でまともな先生の指導の下で論文を書いていれば、引用の仕方とか、引用と盗作の違いとか指導されるはずで、盗作のレベルにある物は書き直しが命じられるの普通だから、政治家の盗作論文を合格させた大学教員が批判されないのが不思議である。中央ヨーロッパ大学? 何も期待してはいけない。

 ともかく、現時点ではマトビチ氏には辞任する考えはなく、世論調査などでもマトビチ党は支持はそれほど減らしていないようだ。チェコのANOと同じで固定支持者がいてあまり増減しないタイプなのかもしれないけど。フィツォ外しで選ばれた首相が政治への信頼を取り戻せなかった場合、スロバキアはどうなるのだろうか。下手をすればコトレバ首相なんて事態が起こるかもしれない。外国の政治なんて基本的に他人事なんだけど、スロバキアに関してだけはちょっとだけ心配しながら見守っている。
2020年7月21日9時。














2020年03月05日

スロバキア国会議員選挙(三月二日)



 新型コロナウイルスの感染者が出たというニュースの陰に隠れてしまったが、本来この週末のニュースの中心になるはずだったのは、スロバキアの国会議員の選挙である。スロバキアは一院制のため、この選挙で勝った政党から首相が輩出されることになる。長期にわたって首相を務めてきたスメル党のフィツォ氏が、ジャーナリスト暗殺事件の影響で退陣を余儀なくされて初めての、そして、スロバキアで初の女性大統領が誕生して初めての選挙だっただけに大きな注目を集めていた。

 選挙前に何度かチェコテレビのニュースで紹介された世論調査の結果から、スメル党が第一党の座を失うことが予想され、極右とされるコトレバ氏の政党われらがスロバキア党が大躍進する可能性もあると危惧されていた。意外と低調だったのは、昨年大統領の任期を終えたキスカ氏が、本格的な政界進出のために設立した人々のために党である。
 スロバキアの選挙については詳しいことは知らないのだが、チェコ同様に比例代表制で行なわれる。選挙日は日曜だったと思う。いや、土曜日かもしれない。この辺すらあいまいなのはニュース番組がコロナウイルス感染者のニュースに席巻されたからである。当選者を出すために必要なのは、5パーセントというのはチェコと同じだが、二つの政党が合併するのではなく、共同で候補者を立てて名簿を作成する場合には、倍の10パーセントではなく、7パーセントの得票率で議席を獲得することができる。ここはチェコよりも規定が緩くなっている。

 総議席数は150で、今回の選挙には、全部で25の団体が候補者を立てたようだ。スロバキアの政党は以前も紹介したが、よくわからない名前のものが非常に多く、略称としていくつかの言葉の頭文字を並べたものを使っているので、リストを見ても正直どんな政党かわからない。半分以上は議席を獲得する可能性はまったくない泡沫政党なのだろうけど。
 今回は注目を集めた選挙だったからか、投票率も高めで、過去最高とはならなかったが、前回2016年の選挙よりも高く65.8パーセント。ほぼ有権者の3分の2が投票に向かったことになる。得票率5パーセントの壁を越えて議席を獲得した政党が6、5パーセントは越えたけど合同名簿だったために獲得できなかった政党連合が1、議席は獲得できなかったけど得票率が2パーセントを越えたのが6つという結果になった。

 第一党になったのは、略称OĽANO党。これなんだっけと過去の記事を確認したら、正式名称は「OBYČAJNÍ ĽUDIA a nezávislé osobnosti」党。強いて訳せば、「一般人と独立した個人」党。25パーセント強の得票率で、53議席を獲得した。前回より34議席増えている。ここの党首のイゴル・マトビッチ氏が大統領から組閣の指示を受けるものと予想されている。

 第二党は、18.3パーセントの得票で38議席を獲得したこれまでの与党のスメル党。負けたとはいえ、議席の減少を11議席におさえ、第二党の座は獲得したのだから、惨敗とまでは言えないか。実は社会民主党だというこの党の存在は、左派でリベラルを自称しているからといって汚職や権力の私物化と無縁だとは限らないとい
う実例になっている。日本では左派の汚職は、マスコミによってないことにされることが多いようだけどさ。

 第三党は、6議席増やして17議席となった「SME RODINA」党である。ポピュリズムの政党とみなされているらしい。政治の世界でのことなので、目くそ鼻くそを笑うの域を出ないお互いのレッテルの貼りあいの結果だろうけど。得票率は8.24パーセント。

 0.3パーセントほどの差で四位になったのが「ĽSNS」。正式名称は「Ľudová strana Naše Slovensko」で、いわゆるコトレバ党である。議席数はここも17。実は、もうちょっと上に行くかなと思っていたのだが、投票率が高かったのが、この極左の政党には悪いほうに出たと考えておく。それでも議席数を3つ増やしているのだから、支持者は徐々に増えていると言えよう。

 五番手は、これまで野党第一党だった「SAS」こと、「Sloboda a Solidarita」党で日本語に訳すと「自由と連帯」。6.2パーセントの得票率で13議席。8つも議席を減らして野党第一党の座から陥落した。

 最後の議席を獲得した政党はキスカ党とも言うべき「ZA ĽUDI」。5.7パーセントで12の議席を獲得した。新政党であることを考えると大健闘だとも言えるが、大統領時代のキスカ氏の任期を考えると意外と苦戦したという印象である。チャプトバー氏が大統領に選出されたことで、役目が終わったと思われたのかもしれない。フィツォ氏の対抗馬という役割はすでに必要ないといえば言えるのか。

 このほかに、PS党とSPOLU党の連合が、 6,96の得票率で、わずか0.04パーセント足りずに議席を逃した。
 小政党の乱立で国会が混乱するのを防ぐために、議席獲得のための最低得票率という規定があること自体は悪いことではないと思うのだが、5パーセントというのはちょっと高すぎる壁じゃないかと思う。二党連合で7パーセントで済むスロバキアは10パーセントが要求されるチェコよりはマシだし、連合ではなく別の候補者の立て方をしていれば議席を獲得できていたのだから見通しが甘かったというしかない。

 首相選出が予想されるOĽANO党のマトビッチ氏は、「SME RODINA」党、「SAS」党、「ZA ĽUDI」党という三党と連立の交渉をすると見られている。四党あわせて95議席となる。ただ「ZA ĽUDI」党のキスカ氏は、ポピュリスト政党とされることの多い「SME RODINA」党を連立からはずすことを主張しているようである。交渉が決裂した場合、数から言えば「SME RODINA」党を残したほうがいいのだろうが、元大統領のキスカ氏の影響力を考えると「ZA ĽUDI」党を切り捨てるのも難しいという、マトビッチ氏にとっては厄介な状況になっている。

 それはともかく、長期的に政権をになってきたスメル党が野党に転落するのは確実で、それ自体は悪いことではないのだけど、新たに政権与党となる政党がどこまで実務能力を持っているかが問題になる。
2020年3月3日25時。










タグ:政党 国会 選挙

2020年01月18日

クツィアク事件裁判開始(正月十五日)



 二年前にスロバキアだけでなく、世界的な大ニュースとなったスロバキアのジャーナリスト暗殺事件だが、予想に反して早々と犯人、実行犯だけではなく、殺人を依頼した人物と仲介した人物まで逮捕され、裁判が始まった。問題はその犯人が、黒幕によって準備された雇われた犯人ではないかということだけれども、そこまでは現時点ではわからない。
 この事件で最初に逮捕されたのは、依頼者と実行犯の仲介役を勤めたとされる人物である。この人物は、警察と司法取引を行い全面的に捜査に協力することを条件に、刑を軽減されることになっており、他の被告達より先に裁判が行なわれた。その裁判では、十年の予定が十五年だったか、警察(検察かも)との間で話がついていた刑期よりも長い懲役刑の判決が下されたが、司法取引による裁判だったため、被告に上告する権利はないらしい。

 この仲介者の証言によって逮捕されたのが、実行犯の二人と依頼側の二人である。実行犯二人は臣籍関係にあるようで、一人は元軍人、もう一人は元警察官という何というかありがちだけど、本来ならばあってはいけない組合せ。以来側は、クツィアク氏が追っていたイタリアマフィアとつながりのあるスロバキアの実業家とその秘書みたいな女性。この女性もイタリア語の通訳として仕事をしておりマフィアとのつながりもあるという。
 裁判では実行犯のうちの一人だけが、犯行を認めており、証言に際して、遺族に対する謝罪から始めて、反抗の様子を細かく語っていた。ただし、うちのの話によると、事件後発表された現場の様子と犯人の証言に食い違いがあるらしい。それに遺族のうちの誰かだったか、ジャーナリストだったか覚えていないが、警察の求める筋書き通りの証言をしているようだという感想を述べているのもニュースで流された。

 残りの三人は、自らの関与を否定して、裁判で争うようだけれども、警察が世論の圧力を受けて蘇の威信をかけて捜査した結果逮捕された人たちなので、無罪になることはないだろう。状況から見て殺人を依頼した側が、今回の被告二人であるのは間違いなさそうだけれども、さらにその裏側に黒幕がいる可能性はある。実行犯のほうも裁判を受けるために準備された犯人であるようにも見える。すでに刑の確定した仲介役を含めて5人の裁判で、この事件に完全にけりをつけてしまっていいものなのか。あれこれ憶測はされているようだが、何とも言い切れないところがある。
 気になるのは、懲役の刑期の長さで、仲介役でさえ10年以上の刑期を科されていることを考えると、依頼者、実行犯はさらに刑期が長くなることが予想される。犠牲者がジャーナリストで世界中の注目を集めているからという理由で、重い判決が下るなんてこともありそうだ。スロバキアの刑法については全く知らないし、殺人という事件でどのぐらいの刑期が適当なのかなんて判断の仕様もないのだけど、判決が下った後は、ニュースでいろいろな専門家が、それぞれの意見を開帳するだろうから、またそのときに考えよう。金で殺人を請け負う殺し屋の関わった事件だから、判決が重くなるという可能性もあるわけだし。

 ところで、今回月曜日に始まった裁判には、スロバキア、チェコからだけでなく、世界中からマスコミが取材につめかけ、取材のために登録した記者の数は100名を超えたという。ニュースでは、そのうちのどれだけが、二日目以降も取材を続けるのかは不明だと皮肉なコメントが出ていた。残念ながら取材班を送り込んだ国の中に日本の名前は上がっていなかったし、日本ではこの件についてはほとんど注目されていないのだろう。事件が起きたときには日本でもそれなりに報道されたと記憶するのだが、続報はなされたのだろうか。
 クツィアク氏の事件については、当時、簡単だけれども、「スロバキア政府とイタリア・マフィアの親密な関係」という記事を書いたので、どんな事件だったのかについてはそちらを参照してほしい。
2020年1月16日19時。











タグ:裁判 事件

2019年10月30日

ハンベンゴロー(十月廿八日)



 本来昨日の記事にするつもりだった話だが、18世紀の後半に突如日本に現れ、極東におけるロシアの領土的野望について警告を発して消えたハンベンゴローの話である。ハンベンゴローは、四国の阿波、奄美大島に立ち寄って長崎のオランダ人宛てに書簡を残し、それが翻訳されて幕府の手にも渡ったらしい。
 そんな日本史的な話は、ここではどうでもよくて、気になるのはこの人の出自である。ハンベンゴロー、辞書によってはハンベンゴロとも書かれる人物の本名はベニョフスキ、もしくはベニョフスキーで、似ても似つかないのは、通詞が翻訳の際に読み誤った結果だという。最初の「ハン」がオランダ語で名字の前におく「ファン」だというのは想像できても、ベニョフスキが「ベンゴロ」になるのはよくわからない。最初に聞いたときには「ハンペンゴロー」だと思って、はんぺん好きの外国人につけられたあだ名だと思ってしまった。

 それはともかく、この人の経歴だが、ここはまたジャパンナレッジから辞書を引こう。冒頭だけ引くが、最後まで読むと、ほら吹き男爵ばりの滅茶苦茶な人だったということがわかる。

ハンガリー生まれの冒険旅行家。一七四六年生まれる。年若くしてポーランド軍に投じロシア軍と戦って捕虜となり、カムチャツカに流罪となり服役中一七七一年(明和八)脱走、ロシア船を奪い千島列島から太平洋を日本列島に沿うて南下しさらに台湾を経て澳門(マカオ)に至り、フランスに渡る。
"ベニョフスキー【Moric August Aladar Benyovzky】", 国史大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-10-29)



 気になるのはハンガリー生まれというところで、ベニョフスキーという名字がどうもハンガリーっぽくなく、スラブの臭いを感じてしまうのである。ポーランド軍に入ったというからその時に改姓したのかとも思ったが、「Benyovszky」という表記を見るとそれもどうも違いそうである。ポーランド語であれば、末尾は「ki」となるはずだと断言しかけて、昔のポーランド語では「ky」もありだったのかもしれないと思いついた。
 ただ、慣例的に日本ではポーランド人であれば、名字の末尾は「スキ」と短音にするのに、ベニョフスキーの場合には、短音と長音の表記が混在している。チェコ語の名字も、かつては、今でもかもだけど、記号を取っ払った英語からの音写が行われた結果、短音で表記されることが多かったことを考えると、チェコ語の臭いも感じてしまう。この辺は自分の頭がチェコ語化している証拠で、同時に弊害でもある。

 ジャパンナレッジには幸いなことに東洋文庫も収録されていて、そのうちの一冊として当人の作品である『ベニョフスキー航海記』も読めるようになっている。東洋文庫には解説もついているので、斜め読みしてみた。そうすると、ベニョフスキーの出身は、ハンガリーはハンガリーでも上部ハンガリーと呼ばれる現在のスロバキアだということがわかった。ニトラ州とか書いてあったかな。
 ベニョフスキーのころはスロバキアなんて国は影も形もなく、ハンガリー王国の一部だったわけだから、ハンガリー人として扱われるのも当然である。ニトラの辺りであれば、ハンガリー系とスロバキア系の住民が混住していた可能性は高いし、ベニョフスキーはスロバキア系のハンガリー人だったのかもしれない。そうすると初めて日本を訪れた、上陸できたかどうかは微妙だけど、スロバキア人ということになる。

 念のために、チェコ語のウィキペディアで確認すると、ベニョフスキーの出身地は、ニトラよりはかなり北にあるブルボベーという小さな町で、西スロバキアの中心都市の一つトルナバの近くにあるようだ。ハンガリー語名はベルボ。いや、それ以前に「スロバキアの冒険家」として、スロバキア人だと明記されている。証拠としては、ギムナジウムの卒業の際の書類にスロバキアの貴族であることが書かれているという事実が上げられている。
 ハンガリーに支配されていた時代に、スロバキア系の貴族が存在したのかどうかはよくわからないが、高位ではなく在地領主レベルの存在であればスロバキア系の人がいないと国の運営が難しかったのではないかとも思う。

 ベニョフスキーという貴族家については、14世紀以前にに成立したハンガリーの貴族家で、もともとは「z Benyó a Urbanó」と書かれていたらしい。そうすると「z Benyó」が、オランダ語風に「ファン・ベンヨー」と書かれて、それが「ハンベンゴロー」と誤読されたと考えるのがよさそうだ。ちなみにこの家名、初代のベンヤミンとウルバンという兄弟の名前から出ているようである。名前、地名、家名という経過をたどったと考えていいのかな。問題はベンヨーという地名の存在が確認できないことだけど。

 とりあえずの結論として、ハンベンゴローは、ハンガリーの貴族の出身で、スロバキアに領地を得て在地化しつつあった家系出身の山師であったと結論付けておく。著書がかなり早い時期にスロバキア語でも出版されているのも裏づけになりそうである。
2019年10月29日10時30分。







 








2019年07月13日

迷惑サッカーファンは外に出すな(七月十一日)



 七時からのニュースを見ていたら、バビシュ内閣を巡るいい加減うんざりするようなニュースと関係者へのインタビューだけでなく、一瞬耳を疑うような驚きのニュースが聞こえてきた。昨日の夜、スロバキアの首都ブラチスラバの中心で、サッカーファン同士の暴力抗争が起こり、百人近い人が拘束されたというのだ。ファン同士の抗争なら、しょっちゅう起こるものではないとはいえ、取り立ててニュースにするほどのものでもないはずなのだが、今回は参加者が普通ではなかった。
 犯人はポーランド人とブルガリア人、それにオランダ人のサッカーファンで、遠く離れた国の連中がわざわざスロバキアのブラチスラバまでやってきて争ったというのは、正直どうしてそんなことになるのか理解できなかった。例えばスロバキアのスロバン・ブラチスラバのファンとチェコのバニーク・オストラバのファンが、ブラチスラバの路上で激突したとか言うのなら、驚きもしないのだけど、チェコ人、スロバキア人であれば、街のレストランが路上に出していたザフラートカをいくつも壊滅させるような暴れ方はしなかっただろう。

 報道によると、ブルガリア人は、レフスキ・ソフィアのファンで、ポーランド人はクラコビア・クラコフ、オランダ人はアヤックス・アムステルダムのファンたちだったという。レフスキは、今日行なわれるヨーロッパリーグの予選で、ドゥナイスカー・ストレダと対戦することになっており、クラコフは、ルジョンベロクで試合をすることになっていた。同じ日にスロバキアで試合をすることが、決まった時点で両チームのファンが話し合って、前日にブラチスラバで対決することを決めていたらしい。過去に因縁でもあったのだろうか。
 レフスキのファンが前日にブラチスラバに滞在するのは、理解できる。ドゥナイスカー・ストレダはブラチスラバから電車でもバスでも一時間ほどのところにある町で、ブルガリアから飛行機で来るならブラチスラバか、ウィーンの空港だろうし、ドゥナイスカー・ストレダはそれほど大きい町ではないので、宿泊施設が充実しているとも思えない。

 一方のルジョンベロクは、スロバキア北部のポーランドとの国境に近い町で、ブラチスラバからは、最短でも電車で2時間半以上の時間がかかる。ポーランドのクラコフから毎日一本ある直通のバスを使えば3時間ちょっとでつくし、鉄道でも乗り換えの待ち時間が長いとはいえ5時間ちょっとで到着するのである。わざわざ一度ブラチスラバまで南下しなければならない理由は存在しないはずである。その理由がレフスキファン相手の立ち回りということなのだろうが、サッカーファンというのは度し難いものである。
 さらに度し難いのは、スロバキアで試合があるわけでもないのに、オランダからしゃしゃり出てきたアヤックスのファンである。実は、クラコフファンからの支援要請に応じて、暴れるためにブラチスラバまで遠征したらしい。ポーランドのカトビツェとバニークのファンの間にあるような同盟関係が、クラコフファンと、アヤックスファンの間にあるのだろうか。こうなると、国際的な暴力シンジゲートである。

 近年、EUでは、難民の流入を防ぐ目的でシェンゲン圏の外側の国境の警備を強化することを主張する声が高まっているが、社会の迷惑でしかないサッカーファンの存在を考えると、シェンゲン圏内の国境のチェックを復活させたほうがいいような気がする。暴力沙汰を引き起こすために外国に行くようなファンは、国内ではブラックリストに載っていて、スタジアムでの感染が禁止されているのが大半のはずである。現時点では、外国から来たこの手の問題人物を排除することはできていない。
 EU全体で問題を起こしたサッカーファンのブラックリストを作成して共有し、国境でパスポートじゃなくても、身分証明書のチェックをすることで入国を拒否できるはずである。そうすれば今回のような惨劇はかなり防げると思うのだけど。迷惑サッカーファンの存在は、違法入国する難民並みに困り者なのである。

 今回の騒ぎでは、ファンたちが手近にあったザフラートカの椅子やテーブルを投げつけあうというとんでもないもので、被害額も器物破損の分だけでも大きな額になりそうである。ここは、サッカーファンが同じような問題を起こした場合には、営業妨害の被害額も含めて、クラブが賠償するという制度を導入してほしいところである。クラブには実際に問題を起したファンから取り立てる権利を与えればいい。
 そうすれば、チームに害を与える自称ファンとクラブの関係が多少はマシになるはずだ。客席で発炎筒焚こうが、スタジアムへの途中で破壊行為をしようが、大声で声援を送っているからというだけの理由で。うちのチームのファンは素晴らしいなんてことを言うのが健全なことだとは思えない。迷惑行為はしないで応援だけをしているファンに対して失礼である。迷惑ファンにはきっちり罰が与えられるようにしないと、観客の数も増えず、クラブの財政にも悪景況を与えるだろうし。

 とにかく、迷惑サッカーファンは国外に出られないように、檻の中にでも閉じ込めておいてほしいものである。この問題に関して、EUが沈黙しているのが不思議で仕方がない。試合の結果? そんなのこの手の迷惑ファンにはどうでもいいことだろう。
2019年7月11日24時。




スロバキア製らしい靴。

[ゼットディーエー] レトロスニーカー 2200FSL ブラック/ダークネイビー EU 43(26.5~27.0 cm)










2019年06月21日

大統領の話(六月十九日)



 先週の土曜日に、スロバキアで初の女性大統領が就任した。40代で就任式に臨んだチャプトバー氏は女性であるだけでなく、世界中で最も若い大統領でもあるらしい。就任演説は当然スロバキア語で、いまいちよくわからなかったのだけど、なかなか立派な演説だったらしい。就任して最初の演説から物議を醸すようでは先が思いやられるし、何かと批判されるチェコのゼマン大統領でさえ、一期目の就任演説は、二期目のに比べたらはるかに穏当なものだったと記憶する。
 就任式の会場となったのは、スロバキア・フィルハーモニー管弦楽団が本拠地としている建物で、三権に関わる国会議員や大臣(同時に議員でもある場合が多いけど)、最高裁判所長官などが参列していた。もちろん、それ以外にも、退任する大統領のキスカ氏や、招待された人たちがいたわけだが、その中にはスロバキアのキリスト教における重鎮たちもいた。

 そして、就任式が終わり、軍の閲兵式が行われた後は、キリスト教の教会で、新大統領の就任を寿ぐミサが行われ、就任式に参列した人の多くが参加したのである。日本と違って、これに政教分離の原則に違反すると言っていちゃもんを付けた人はいなかった。少なくともチェコのニュースで取り上げられるレベルで批判する人はいなかった。
 この教会での儀式が宗教儀式であることは、誰にも否定できないことだが、この程度のことは政教分離の原則からは外れないと考えられているわけである。この事実に日本の政教分離にうるさい人たちはどんな感想を持つのだろうか。先月初めの今上陛下の即位の儀式に関しても、チェコで政教分離云々という批判は聞こえてこなかった。仮に政教分離の問題が、話題になるとすれば、それは日本で問題にしている人がいるという文脈でしかありえない。

 ところで、スロバキアで新しい大統領が就任すると、直後に最初の外国訪問としてチェコを訪れるのが慣例となっている。もちろん、チェコの大統領も就任式典を終えると、再任の場合でも最初にスロバキアを訪れるのだが、チャプトバー氏も今週チェコに来て、ゼマン大統領をはじめとする政治家達と会談することになっている。
 そのチャプトバー大統領を迎える側のチェコの大統領府が、またまた問題を起こした。チェコの大統領の就任式が行われるのは、プラハ城内のスペインの間と呼ばれる大きな部屋で、この部屋は、毎年秋に勲章の授与式も行われるなど、チェコの国家にとって最も重要な儀式が行なわれる場所だといっていい。そのスペインの間を含むプラハ城の一角を、私企業に貸し出すことにしたというのだ。
 借りる会社は、ルイ・ビトン社で、これまでにもプラハのカレル橋を貸切にしようと、プラハ市と交渉して断られたことがあるらしい。この会社ならプラハ城を貶めるようなことはしないだろうというコメントを出している人もいたけれども、国家の最も重要な儀式を行なう場を、一私営企業に時間を限ってとはいえ売り渡すとはどういうことだと強く批判している人たちもいる。チェコの国の権威を傷つけているというのである。

 ルイ・ビトン社が何をする気なのかは知らないが、5日間の貸しきり期間は観光客も観光ルートの一部からは締め出されることになるようだ。貸切にする料金としてどのぐらい取ったのか気になることころだが、小さな金額ではあるまい。大統領府ではそれをどうするつもりなのだろうか。考えられるのは、ゼマン大統領が以前鳴り物入りで開いた、チェコの国の謝金を返すために寄付を募るための口座に入金することである。この計画も当初は大々的に宣伝されて、寄付した人も痛みたいだけど、最近はトンと話を聞かなくなった。この機会に、貸出料金の何億コルナ(せめてそれぐらいは取っていてほしい)を、チェコの借金返済のために寄付するなんてニュースを流せば、寄付が増えるかもしれないし、批判も多少は減ると思うんだけど。
 ルイ・ビトン社にプラハ城の一角を貸し出したことは、チャプトバー氏のチェコ訪問にも影響があったらしい。スロバキアの大統領の就任式の日程は以前から決まっていて、そこからチェコを訪問する時期もある程度予測できていたはすなのだから、貸し出すなら貸し出すで日程を考えろよと思ってしまった。とはいえ、このニュースを最初に聞いたときに思ったのは、わざとスロバキアの大統領のチェコ訪問の日程に被せたんじゃないかということだった。

 でも、ゼマン大統領とチャプトバー大統領、会談でどんな話をするのだろうか。話が全くかみ合わなさそうな気がする。
2019年6月20日24時。









2019年04月27日

安部首相スロバキアへ(四月廿五日)



 一部の大学なんかを除くと、日本中がお休みモードに入るゴールデンウィークは、首相が日本を離れて、外遊するにはいい時期なのだろう。今年は少し早いような気がするが、四月廿二日から廿九日の予定で、欧米諸国を歴訪することになっているようだ。それだけなら、このブログでわざわざ取り上げるようなことでもないのだが、フランス、イタリアに続いてスロバキアにも来るというので、ちょっとばかり情報を集めることにした。

 スロバキアに何日に入るのかがわからなかったので、こういうときには外遊を仕切っている外務省が一番情報が詳しいだろうと考えて、見つけたのがこのページ「安倍総理大臣の欧米訪問」。今でこそ、情報が増えているけれども、最初は、最初の訪問国であるフランスのところにしか記事も写真もなかった。何日にその国を訪問するという予定すら書かれていなかったのは、テロ対策でもあったのだろうか。
 それで、現地でコーディネートしているはずの日本大使館なら情報があるかもしれないと、スロバキアの日本大使館のページを覗いた。大使館のHPというのは、外務省指定のフォーマットがあるのか、たまに情報を求めて開くチェコの日本大使館のものと似たような印象を受けた。だから情報が書かれていれば見逃すはずはないのだけど、首相の訪スロバキアについては、何の情報も出てこなかった。職員総出で準備していて、こんなところまで手が回らないのかな。見逃したのかなあ。

 ただ、求めていた情報が得られなかった代わりに、こんな面白いものを見つけてしまった。「HOTスロバキア、ホッとスロバキア〜スロバキア小さな旅〜」というコーナーで、駐スロバキア大使が御自ら筆を執ってブログ的な記事を書かれているのである。これが大使にまで上り詰めた外交官の自慢話なら歯牙にもかけないのだが、内容はむしろ個人的なスロバキア人との交流や、スロバキア語学習の苦労、スロバキアの名物、名所紹介などが中心で、安部総理大臣のことを忘れて読みふけってしまった。現時点では題名から面白そうだと思ったものを読んだだけだが、いずれ通読したいと思う。

 さて、今日になってもう一度外務省の外遊に関するページを確認したら、スロバキアの国名の下に記事が増えていた。首相がスロバキアに入ったのは廿三日のことだったらしい。その夜、ポーランドの首相と会談したのは、スロバキア側の都合がつかなかったのだろうか。スロバキアで最初に会談するのがポーランドの首相というのは、普通ではないような印象を与える。

 二つ目の情報は、安部首相のインタビュー、ただし、書面によるものがスロバキアの日刊紙「プラウダ」に掲載されたというものだった。我々の世代の人間にとって「プラウダ」というと、タス通信とならんで、ソ連共産党の印象が強いのだが、日本語に訳すと「真実」となるこの紙名は、旧共産圏の諸国では一般的だったようである。チェコまで来ると「プラブダ」と読み方が変わるんだけどね。
 それはともかく、「プラウダ」紙がネット上で公開している安部首相のインタビュー記事がこれ、それを外務省がPDF化して紹介しているのはここに置かれている。せっかくなので、スロバキア語で読んでみようと考えた。考えて読み始めたのだけど、一行目で挫折した。「チェコ語ができればスロバキア語は問題なく理解できる」とのたまう黒田師は、やはりただのチェコ語学習者ではないのである。仕方がないので日本語版を読んで情報収集である。

 気になったのは、来年2020年が、日本とスロバキアの国交樹立百周年に当たることを強調している部分で、チェコスロバキア第一共和国の後継者を自認しているチェコではなくてスロバキアに行くことにしたのはなぜなのだろう。今年はスロバキアで、来年はチェコに来るというのなら、とやかく穿鑿する意味はないが、そうでないなら何か特別な事情がありそうである。
 考えられるのは、スロバキアが独立してから三十年近くたつのに、これまで日本の首相が訪問したことがないという事実である。スロバキアに日本大使館が設置されたのもそれほど昔のことではないし、そろそろという機運が政府、外務省内で高まっていたのかもしれない。このまま放置しておくと外交的に忘れられた国になりそうだしさ。
 観光ツアーでも、チェコ、オーストリア、ハンガリーをめぐることが多く、スロバキアは忘れられている印象が強い。だから大使もブログで名所の紹介なんかをなさっているのだろうけど、ウィーンから程近い首都ブラチスラバはともかく、交通の便が悪いのがネックなんだよなあ。いや首都が西に偏りすぎているのが、そもそもの問題か。

 閑話休題。
 今回安部首相がチェコには来ずに、スロバキアだけを訪問すると聞いたときに最初に思い浮かんだのは、中国に擦り寄って日本を軽視する現在のチェコ政府に対して不満を表明するためではないのかということだった。ゼマン大統領、またまた中国に行くらしいし、日本には一回も行ったことがないのに、何回目だよ。
 とまれかくまれ、安部首相はチェコのバビシュ首相とも会談をして、当たり障りのない話をしたらしい。この首相のスロバキア訪問のおかげで、大使のブログを発見できたのだから、中国の国家主席のチェコ訪問に比べたら、何倍も意義のある訪問だったと断言しておく。
2019年4月26日15時30分。







 




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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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