アフィリエイト広告を利用しています
<< 2024年02月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    
検索
リンク集
最新コメント
チェコの銀行1(十二月二日) by ルイ ヴィトン 時計 レディース hウォッチ (03/20)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしやん (12/30)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしゃん (12/30)
メンチンスキ神父考再び(七月卅日) by にっしゃん (12/30)
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日) by K (08/16)
最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

広告

posted by fanblog

2016年01月13日

チェコスロバキア語?(一月九日)


 チェコではチェコ語が使われ、スロバキアではスロバキア語が使われる。一つの国家、一つの民族、一つの言語というのは、ヨーロッパ近代の発明である国民国家的な国家観を持つ人の多い日本では当然に感じられるのかもしれない。しかし、それなら1993年以前チェコスロバキアだった頃には、チェコスロバキア語が使われていたということになるが、実際には当時からチェコ語はチェコ語で、スロバキア語はスロバキア語だった。
 確かに国が分かれたことでそれまで一つとされてきた言葉が、別々の言葉になった例はある。セルビア・クロアチア語と言われていた言葉が、現在ではセルビア語とクロアチア語に別れているし、現在のボスニア・ヘルツェゴビナで使われている言葉も、かつてはセルビア・クロアチア語の方言として扱われていたはずだ。いずれにしても、分裂前の国家はユーゴスラビアで、一国家、一言語ではなかったのである。

 では、これらの言葉がどのぐらい似ていて、どのぐらい違うのかと言うとなかなか説明しづらい。私にわかるのはチェコ語とスロバキア語の違いだが、チェコ語を学校で学んで身に付けた私にも、スロバキア語はある程度はわかるのだが、チェコ語と比べると理解できる範囲は狭くなるし、相手によってはほとんど理解できないこともある。
 チェコ人とスロバキア人は、互いにそれぞれの言語で話して、まったく問題ないようである。しかし、これがチェコ語とスロバキア語が似ているがゆえの言わば先天的なものなのか、生活の中で身に付けた後天的なものなのかが、今一つはっきりしない。スロバキアのテレビでは、チェコの番組がそのまま放送されることが多いと言うし、チェコでも、スロバキア人が登場する場合に、通訳や、翻訳の字幕がつくことはない。これが、互いに理解できるからこうなのか、こうだから理解できるようになったのか。チェコスロバキア時代に、全国放送ではチェコ語もスロバキア語も普通に使われていたであろうことと、同じく似ているといわれるポーランド語に対しては、理解できる割合が減ることを考えると、どうも後者のような気がしてならない。
 そもそも、1918年に第一世界大戦後の民族自決の風潮の中で独立を達成したチェコスロバキアは、民族的にはややこしい問題を抱えていた。神聖ローマ帝国の一部として、ハンガリーの一部として、それぞれ別々の歴史を歩んできたチェコ人とスロバキア人をひとつにして、公式にはチェコスロバキア人という概念を作り出さなければならなかったのだ。それによって、チェコ内のドイツ人、スロバキア内のハンガリー人という、少数民族と呼ぶには少々大きすぎる民族集団を押さえられるだけの民族を作り出そうとしたのだろう。その結果、スロバキア人が求めていた連邦化は達成されることなく、これが後の分離独立につながっていくのだが、言語に話を戻すと、この時期ですらチェコ語とスロバキア語をまとめてチェコスロバキア語が作り出されることはなかったのである。

 では、チェコスロバキア語と言える、いや言いたくなるような言葉が全く存在しないのかと言うとそんなこともない。独立した言語として認められているわけでもなく、言語学の対象となっているわけでもないし、数が多いわけでもないが、チェコ語とスロバキア語を混ぜたような言葉でしゃべる人たちが存在してはいるのだ。
 その一番の代表がグスタフ・フサークである。フサークはスロバキアの出身の、1968年のプラハの春の際にソ連側に立ち、その後のいわゆる正常化を主導した政治家で、チェコスロバキアの連邦化も達成した人物であるが、この人の言葉が、チェコスロバキア語としか言いようのない、チェコ人に言わせると珍妙なものであったらしい。チェコ語の言葉とスロバキア語の言葉を混ぜて使っていたらしいので、チェコとスロバキアの融和を目指すという政治的な意味を持って使っていたのかもしれないが、評判はあまりよくない。
 スロバキアを出てチェコで活動、生活をしているスロバキア人は、非常に多く、誇張を込めてプラハはスロバキア人の町だなとという人もいるぐらいなのだが、その多くはそのままスロバキア語を使って生活している。仕事上の要請でチェコ語を使う人もいるが、多くは、多少のスロバキア語っぽさはあるものの、チェコ語になっているという。
 チェコで活動するスロバキア人で、現在一番有名なのが、財務大臣のアンドレイ・バビシュ氏であろうか。この名前からしてスロバキア人のこの人物(アンドレイはチェコ語のオンドジェイのスロバキア語形)が、どうしてチェコの財務大臣になれるのかも、不思議な話であるが、この人の言葉がしばしばチェコスロバキア語と言いたくなるものになるらしい。これは政治的な意図を持って公式の場ではチェコ語で話しているのに、ぽろっと普段の話し方が出てしまったということだろうか。
 書き言葉でも、スロバキア人ががんばってチェコ語で書こうとして、チェコ語とスロバキア語の語彙や活用語尾が入り混じった何とも言えない言葉が出来上がることもあるというし、チェコ語とスロバキア語の関係は近くて遠い複雑なものなのである。方言と言うには遠く、別の言葉と言い切るには近すぎるこの関係は、これからも維持されていくのだろうか。
1月10日14時



 とりあえず一度は載せたほうがいいのではないかということで。1月12日追記。



この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4617867
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。