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2017年08月24日

八月廿一日(八月廿一日)



 久しぶりに日付のネタであるけれども、この8月21日という日付は、チェコ人にとって、チェコの歴史にとって、日本の8月6日、9日、もしくは15日と同じような意味を持つ日である。

 1968年のプラハの春と呼ばれた社会主義内部における改革運動については、「人間の顔をした社会主義」というスローガンと共に日本でもよく知られていることだろう。少なくとも30年ほど前の高校の世界史で勉強したのは確実なので、同世代の人たちは知っているはずである。
 そして、プラハの春が、行き過ぎた民主化をとがめられ、ワルシャワ条約機構加盟国の軍隊の侵攻によって強制的に終了させられたことも知っているだろう。そのソ連軍を筆頭に、ポーランドや東ドイツなどの軍隊が、チェコスロバキアの国境を越えて侵攻してきたのが、8月21日なのである。この時期に大学生だったという知人は、プラハの春の支援ということで募金活動をしたことがあるなんて言っていたけれども、誰にどうやって集めたお金を送ったのだろうか。

 とまれ、毎年この日になると、当時の出来事を振り返るニュースが放送され、関連する番組も放送される。今年はチェコ人の間にカルト的な人気を誇る映画「ペリーシュキ」がチェコテレビ1で放送された。この映画は、プラハの春で多少緩和された雰囲気のなかで始まり、ワルシャワ条約機構軍の侵攻によってプラハの春の試みが完全に終結した荒んだ雰囲気の中で終わる。誰が主人公なのかははっきりとしないけれども、共産主義を支持する側の人物も、反対する側の人物も出てくる。最後に、支持者は共産主義に絶望して自殺未遂を起こし、反対者はイギリスに旅行に出たまま帰国できなくなる。
 問題は、登場人物のほとんどが、共産主義を支持する人物も、反共産主義の人物も含めて、みんなエキセントリックであるところである。比較的まともに見えるのがボレク・ポリーフカ演じる人物なのだから。まあ登場するのが変人ばかりってのはチェコの映画の特徴といえばその通りなのだけど、この映画はそんなチェコ映画の中でも、変人の度合いが高いのである。だから、大部分のチェコ人は大絶賛するけれども、奇矯にすぎると嫌うチェコ人も一部いるのである。
 個人的には、登場人物の奇矯さも含めて全体的に作られたあざとさが感じられてあまり好きではないのだけど、チェコ人の中には登場する特徴的な台詞を覚えていて、突然引用したりする奴らがいる。そんなのまチェコ人同士でやるべきことであって、外国人を巻き込むなと言いたくなる。突然「ニョッキ」と「クネドリーチキ」の違いを語られても反応のしようがない。

 その「ペリーシュキ」でBGMとして耳に残るのは、オリンピックというチェコ的には超有名なバンドの曲なんだけど、1968年のプラハの春を象徴する歌手と言ったら亡命を余儀なくされたカレル・クリルだろうと言いたくなる。「ペリーシュキ」のようなコメディにクリルが合わないのは確かにその通りだし、クリルはプラハの春そのものよりも、その後のソ連軍への抵抗のシンボルだと言ったほうが正しい。

 そんなことを考えていたら、「ペリーシュキ」が終わるぐらいの時間から、チェコテレビの芸術系チャンネルのアートで、1989年の革命直後の12月にオストラバで開催されたカレル・クリルと、ヤロミール・ノハビツァのコンサートの様子を収めたドキュメンタリー番組が放送された。同じようなフォーク系の歌手であるオストラバ出身のノハビツァの招待でオストラバでのコンサートが実現したのだろうか。
 印象的だったのは、観客の多くが、クリルが歌うのに合わせて一緒に歌っていたことだ。歌わない人々も集中して歌に聞き入っており、現在のコンサートの聴衆とは一線を画しているように思われた。亡命したクリルの歌は、亡命以前に発表されたものも、いわゆる正常化の時代には禁じられていたはずだし、亡命後にドイツで発表した曲がチェコスロバキア国内で販売されたとも思えない。それなのに、ビロード革命直後に帰国したばかりのクリルの歌をこれだけの人が、一緒に歌えるレベルで知っていたというのは、奇跡的なことのように思える。それだけ、地下の抵抗運動というものが盛んだったことを示しているのだろう。

 こういう番組の流れを見ていると、それだけではないけれども、チェコ人の歴史意識の中に、ビロード革命を、プラハの春に直結させる考えがあるように見えてくる。68年のソ連軍の侵攻と、その後の駐屯、正常化の時代がなければ……というのは誰しも考えることなのだろう。そして、その意識が強くなりすぎると、1968年から89年の出来事をなかったことにしてしまうことになりかねない。それが、オリンピックなんかよりも遥に伝説と呼ぶにふさわしいカレル・クリルの曲を聴く機会があまりない理由かもしれないなんてことを考えてしまった。
8月23日18時。


 またまたどうでもいい話になってしまった。8月23日追記。




posted by olomoučan at 07:00| Comment(1) | TrackBack(0) | チェコ
この記事へのコメント
先日 命令形を習っているときにzav&#345;&#237;t→zav&#345;iというのがでてきて、はてzav&#345;&#237;tの命令形はzav&#237;rejではなかったかとクリルのレコードを引っ張り出してつらつら検索していてこちらにたどり着きました。このタイトル名詞が指小形になっていたり 不思議な命令形だったりで...
Posted by hudbahudba at 2017年08月27日 23:47
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