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2019年03月17日

スバティー・コペチェク(三月十五日)



 チェコ語の動詞の話はいったんお休みにして、オロモウツの近くの巡礼地のお話である。今までこの地について書いていなかったのが不思議なぐらいなのだが、こういうのは一度タイミングを失してしまうと、なかなか機会が巡ってこないものなのだろう。書く予定で暖めていながら、文字にできていないものがいくつもあるし、その中には忘れてしまったものもあるような気もする。

 それはともかく、今週日本から知人がオロモウツに来ていて、たまたま午後から時間が空いた日があったのだが、何度もオロモウツに来ている方なので、街中で案内すべき場所が思いつかない。ふと思いついて聞いてみたら、コペチェクには行ったことがないということなので、二人して駅前から11番のバスに乗った。11番は終点がいくつかあるのだが、どれもスバティー・コペチェクまでは行くはずなので、どれに乗っても問題ない。111番という途中の停留所に停車しない直行便もあったはずなのだが、今回は見かけなかった。
 乗ったのはラディーコフというコペチェクよりも奥にある集落行きで、ここは19世紀の後半に要塞都市オロモウツの防御力を高めるために周囲いくつも建設された出城のようなものの一つが残っているらしく、一度行ってみたいと思っているのだが、有料で見学できる施設になっているようで、予約もせずにふらっと出かけて、中に入れるかどうかわからないので、今回はパスである。
 駅前の停留所を出たバスは線路沿いに北に向かう。東西に流れるビストジツェ川を越えてしばらく行ったところで、線路の下をくぐって駅の裏側に出る。そこからフバールコビツェという地区を抜けて東北東に向かう。オロモウツの東に広がる平地が丘の麓に突き当たるサモティシュキで道は右に曲がり、バスは左に大きなカーブを描きながら丘を登っていく。

 麓から、並木の間を抜けてまっすぐ登っていく道もあるのだが、傾斜が急すぎて歩いてもぼるのも大変である。ただ、その大変さが宗教的熱狂に駆られた信者にとっては、巡礼地にたどり着く前の最後の障害として重要だったのかもしれない。コペチェクとはオロモウツ、モラバ川をはさんで反対側にあるドゥプも、ホレショフの近くのホスティーンも、巡礼地が川沿いの平地から見上げるような高台、山の上に置かれているのは、遠くから見えるというだけでなく、そういう理由もあるのだろう。
 スバティー・コペチェクのバス停で降りて、横断歩道を渡り、オロモウツのほうに引き返すような方向に道をたどると、大きな教会の裏側が見えてくる。教会の側面にへばりつくようにお土産屋が並んでいるのが、チェコには珍しいような気がする。シーズンオフのせいか、教会が改修中のせいか、空いているお店は一軒もなかった。あったとしてもこちらが欲しくなるようなお土産は置いてないに違いないと思っていたら、しまっているお店に「ハナー共和国」の紋章が飾ってあった。これは売り物だったら欲しいかも。

 教会の正面に出ると、遠くに、参道の並木の上に、オロモウツの町並みが目に入ってくる。空気が濁っていてくっきりと見えたわけではないけれども、聖バーツラフ大聖堂の塔なんかはよく見えた。ちょっと感動物の景色なのである。そして振り返ると、白と黄色の目に優しい巨大な教会を見上げることになる。これがスバティー・コペチェクの巡礼地の中心聖母マリアを記念した教会である。
 現在の巨大な教会が姿を表したのは17世紀後半のことだが、最初にここに教会関係の施設ができたのは17世紀前半のことらしい。正確には覚えていないが、オロモウツの商人が妻の死をきっかけに礼拝堂を建てたのが最初だという記事を読んだ記憶はある。ただ随分昔の話なので、記憶違いの可能性もある。調べればいいのだろうけど、時間がない。
 EUの助成金で改修中ということを声高に主張する看板が教会の景観を汚していたとおり、中には入れなかった。開くかどうか試してみようとしたら、中から工事の人が出てきたので諦めた。内装もだけど、中庭も見たかったんだけどねえ。とまれ、こんな巨大な建築物は、以下に当時のキリスト教が信者たちから多くの金を集めていたか、もしくは世俗領主としてのキリスト教の大司教がいかに領民を収奪していたかを、如実に物語っているなんていうのは野暮なんだろうけど、金や資産に異常なまでにこだわる現在のチェコのキリスト教を見ていると、幻滅してしまうのも確かである。

 教会の脇にある、以前(と言っても15年以上前)入ったときにはあまりぱっとしなかった喫茶店が、見違えるようにしゃれた店になっていたのにはちょっとびっくりした。オロモウツ周辺の企業が生産している商品の販売もしていて、お土産探しにも悪くなさそうだ。ただ、コーヒーとか紅茶が多いのは、お土産の観点からすると、ちょっと勘弁してくれだったけど、コペチェク絵や写真の印刷された箱にはいったお菓子なんかもあったから、探せばいいものが出てくるかもしれない。次は日本に送るオロモウツ土産を買いに来ようかな。
2019年3月16日24時。




タグ:S先生

2019年03月16日

動詞の受身追加(三月十四日)



 受身について書き落としたことがありそうだと書いた通り、もう一つの受身について書くのを忘れていたし、一緒に触れておいた方がよさそうなこともあるので、昨日の今日ではあるけれども、受身の話を続ける。

 最初に形容詞の「unavený」は、動詞「unavit」の受身形からできたものだということを書いたが、受身形が受身の意味で使える動詞に関しては、ほぼ問題なく形容詞的に使用することができる。受身の意味云々というのは、受身の形は作ることはできても、実際に受身としては使えそうもない動詞も存在するからである。例えば「chodit(歩いて通う)」なんかは、「chozen」という受身形が想定できるけれども、受身の意味で使える状況は想像もつかない。
 形容詞としても使えるのは便利なのだけど、ときどき形容詞化したものと受身形とどちらを使うのがいいのか悩んでしまうこともある。例えばウィンドウズのコンピューターで、特に指定しなかった場合にダウンロードしたファイルが収まるフォルダは、「stažené soubory」である。この「stažené」は、「stáhnout」という動詞から作られる受身形「stažen」が形容詞化したものである。名詞の前だからこの形になるのは当然である。

 問題は動詞「být」と組み合わせて文にしたときで、

 ・Tyto soubory jsou už staženy.

 ・Tyto soubory jsou už stažené.

のどちらがいいのか、決め手がない。多分どっちでもいいのだろうけど、外国人としてはできるだけ確信を持った使い方をしたいものである。ということで、そんなときには受身を使うのをやめてしまう。

 ・Tyto soubory jsem už stáhl.

 同じことをいくつかの方法で表現できて、必要に応じて言い換えられる柔軟性というのは、外国語を使用する上で大切なことである。ただ、この手の言葉を使う上での柔軟性は、外国語能力よりも。母語の運用能力によって左右されるような印象もある。母語に対して鈍感な人間は、外国語においても言葉の使い方に鈍感でできるようにならないのだと、自分が日本語の細かいところにこだわるのがチェコ語の習得に役に立ったと考える人間としては、大きな声で主張しておきたい。ようは英語教育よりも国語教育に力を入れたほうがいいと思うんだけどねえ。日本語もろくに固まっていない小学校から英語の勉強をさせるなんざ、時間の無駄、金の無駄である。

 それから受身形が大切なのは、動詞の名詞化の基礎となるからである。受身形の男性単数形に、長母音「í」をつけてやれば、「〜すること」という意味の名詞ができあがる。この名詞自体は中性名詞となる。「-í」で終わるので、形容詞の男性名詞活動体複数と間違えることもなくはないけど、受身形を勉強するようなところまで来ている学習者であれば、ちょっと考えればどちらなのか理解できるはずである。
 ただし、一部受身形そのままではなく、微妙に形が変わるものもある。それは受身形の作り方自体が例外的なもののことが多いので、厄介ながら一つ一つ覚えていくしかない。いや、全部覚えるのではなく、自分が使いたいものを覚えればいい。これも使わずに済ませようと思えば済ますことはできるのだから。ぱっと今ここで思いつくのが、動詞「přijmout」→受身形「přijat」→名詞「přijetí」である。これは「導入する」という意味の動詞で、チェコがユーロを導入するかどうかの議論がうるさかった時期に盛んに使われていたので覚えてしまった。
 日本語ができるチェコ人が時々やるのが、この動詞を名詞化したものを日本語に訳すときに、動詞の連用形を使うという間違いである。日本語の動詞の連用形による名詞化は、どんな動詞でも一律同じように適用できるものではないのだけど、チェコ語のこの名詞化と同じように考えている人がいるようなのだ。「こと」を使った方が安全なんだけどね。

 ところで、受身形を動詞「být」なしに使うケースがもう一つあった。それは看板などに書かれる禁止を表す表現である。短く強く言い切ることが求められるからか、動詞「být」が省略されることが多いのである。「私有地につき立ち入り禁止」なんてのは、「Soukromý pozemek, vstup zakázán」なんて書いてあるし、「禁煙」は「kouření zakázáno」となる。「je」を入れても間違いではないだろうと思うのだが、入っていない場合を見かけることのほうが多い。

 それから、何かに気づいたような場合に、受身形だけ、中性単数の形だけを口に出すこともある。ドアを開けようとして鍵がかかっていて開かなかった場合に「Zamčeno」、買い物に行ったらお店がしまっていた場合に「Zavřeno」なんて感じである。

 またまた予定より長くなったので、もう一つの受身については稿を改める。って一回分になるかな。
2019年3月15日23時。











2019年03月15日

動詞の受身2(三月十三日)



 チェコ語の動詞の受身形の二つ目のパターンは、語尾が「-án」となるものである。これは原形が「-at」もしくは「-át」で終わるものが取る形である。興味深いのは、同じ「-at」で終わっても別種の動詞扱いされることが多い、「-ovat」で終わる動詞も同じグループになることである。また、受身形で末尾の子音の前に長母音が出てくるのはこれだけなので、短母音にしないように注意が必要である。「napsat」と原形では短母音でも、受身では「napsán」と長母音化するのである。
 以上の二つのパターンで、動詞の多くはカバーできるのだが、「n」ではなく、「t」で終わるものも存在する。数は多くないにもかかわらずいくつかのパターンがあるのだが、原形の長母音が短母音化すると覚えておくと、少しは楽になる。一つ前のとは逆のパターンになる。一つは「-ít」「-ýt」で終わるもので、受身形はそれぞれ「-it」「-yt」で終わることになる。例えば「vypít」が「vypit」、「krýt」が「kryt」になる類である。

 二つ目は、原形が「-nout」で終わるもののうち、特に「-nout」の前が母音になっている動詞で、受身形は、「-nut」で終わる。「ou」が「u」に変わるだけである。例えば「minout」からは「minut」という形が作られる。前に来るのが子音でもこの形をとるものもあって、一番よく使うのは「rozhodnout」からできる「rozhodnut」だろうか。Aのところで例に挙げた「tisknout」も「tisknut」という形で使っても間違いではない。

 三つ目は、例外的なものになるのだが、覚えておかないと困る。まず「-jmout」でおわる動詞の受身形は「-jat」となる。これはまだ許せるのだが、「jet」に接頭辞を付けた動詞の中には、受身形にできるものがあって、その場合、原形と受身形は全く同じである。これが女性形や中性形で使われていれば問題ないのだが、男性単数の形で使われていると、普通の動詞なのか、受身形なのか戸惑ってしまうこともある。動詞「být」が隣にあればすぐわかるのだけど、離れているとね。

 ということでまとめておこう。

受身形の作り方

B 受身形の語尾が「-án」となるもの。
➀原形が「-at」でおわる。「-ovat」で終わるものも含む。
 dělat → dělán
 přidat → přidán
 připravovat → připravován

A原形が「-át」でおわる。
 dát → dán
 psát → psán


C 受身形の語尾が「-t」となるもの。
➀原形が「-ít」「-ýt」で終わる。受身形は「-it」「-yt」。
 pít → pit
 užít → užit
 ukrýt → ukryt

A原形が「-nout」でおわる。受身形は「-nut」。
 kynout → kynut
 dotknout → dotknut (dotčenも可)

➂例外「-jmout」→「-jat」、「-jet」→「-jet」他
 obejmout → objat
 přijmout → přijat
 přejet → přejet
 vzít → vzat

 実際に受身形を作る場合には、AとCで悩むことになるのだが、AでうまくいかなかったらCでやってみるぐらいの気持ちでいいのではないだろうか。Cの➂なんて、使えるとチェコ語ができるようになった気がするから、ついつい使ってしまうけど、実際には使わずに済ませることも可能である。 


 さて、動詞「být」以外との組み合わせでの使い方も紹介しておこう。これは、中世単数形の「-o」で終わる形を使うのだが、一つは動詞「mít」とともに使う。レストランなんかで注文を取りに来た人に、「Máte už vybráno?」と聞かれたことがある人は多いだろう。意味は「もう選びましたか」といういみなので、「Už jste vybral?」でもいいはずなのだが、「Máte už vybráno?」が使われることが多い。
 これに準じて、「Už mám rozhodnuto(もう決めた)」とか、「Už máme vyhráno(もう勝った)」「Mám přečteno(読んでしまった)」など、日本語だと受身にしないような場合でも動詞の受身形の単数中性を使って表現してしまえる。これだと性も単複も気にしなくていいという利点もある。

 それから忘れてはいけないのが、特定の副詞と動詞の受身形が結びついた慣用表現的なものである。これも単数中性の形を使うのだが、一番よく使う動詞は「říct」つまりその受身形の「řečeno」である。「Upřímně řečeno(率直に言うと)」「Jednoduše řečeno(簡単に言うと) 」「Jinak řečeno(別な言い方をすると)」なんかは、ついつい必要以上に使ってしまう。他にも「vzít」の受身形を使って、「Obecně vzato(一般的な理解をすると)」なんてものあるけど、これはなぜか自分では使わない。

 繰り返しになるけれども、動詞の受身形の使い方で一番大切なのは、動詞「být」と組み合わせて述語として使う使い方である。性と単複の違いによる語尾の違いはとにかく覚えてしまわなければならない。動詞の受身形を名詞の前に持ってきて格変化させたいときには、形容詞の硬変化の語尾をつけて、形容詞と同じように使ってみよう。大抵は、辞書に形容詞として立項されていなくても使えるはずである。

 受身に関して他にも書くべきことがあったような気がするのだが、それはまた思い出したときに書くことにして、ひとまずこれでお仕舞い。
2019年3月14日23時。






変化型で見るチェコ語単語集3000













2019年03月14日

動詞の受身1(三月十二日)



 最近チェコ語の文法のことを書いていないような気がする。何を書いたかはっきり覚えていないので、確実に書いていないことを書こう。それで真っ先に思いついたのが、チェコ語を勉強する日本の人には、このくらいまでは母語である日本語で勉強してほしいと思う受身形である。この受身、便利なんだけど、ついつい使いすぎて自分でもわけがわからなくなることがある。
 動詞、現在形、過去形を勉強してきて、仮定形や受身形が使えるようになれば、チェコ語の動詞の勉強は終わりといってもいい。副動詞とも呼ばれるチェコ語のプシェホドニークはあるけど、チェコ人でも使う人は少ないし、正確に使える人もあまりいないらしい。古語扱いで学校でもあまり勉強しないのかな。プシェホドニークがもとになっているらしい動詞から作る形容詞はあるけれども、これも動詞から直接作ったと考えれば問題ない。

 いきなり受身というと、身構える人もいるかもしれないが、我々チェコ語学習者は諸学のころから受身を使用している。正確には受身形からできた形容詞というべきなのかもしれないが、その境目はチェコ語の場合にはしばしばあいまいになる。それは、「疲れた」というときの「unavený」である。
 この言葉はもともと動詞「unavit(疲れさせる)」からできたもので、その受身形「unaven(つかれさせられる)」に形容詞の語尾がついて「unavený(疲れた/疲れている)」となったものである。ここで厄介なのは、チェコ語の形容詞には短語尾形(これについてもいずれ)と言われる使い方があることで、ちょっと古めかしくは感じられるが「Jsem unaven」でも、「Jsem unavený」と意味は変わらないのである。

 さて、すでに使っているよと例を挙げた「unavit」から「unaven」になるところからもわかるように、動詞の原形が「it」「et/ět」で終わる場合には、それを取り去って「en」を付ければ受身形が出来上がる。また原形が「it」で終わるものも、「otevřít(開ける)」「zavřít(閉める)」のようにこの形に含まれることが多く、それぞれ「otevřen」「zavřen」という受身形になる。

 ここで、受身形の文中での使い方を先に説明しておくと、形容詞化させたもの以外は、必ず動詞「být」と共に使用される。その際、形容詞を述語として使う場合と同様に、主語と述語の性と単複を一致させなければならない。動詞「být」はいいとしても、また新たに活用語尾を覚えなければならないのである。名詞の代表的な活用語尾に倣うので簡単といえば簡単だけど。
 男性名詞の単数の場合は、語尾無し、つまり「Hrad je zavřen」となり、女性単数は「Škola je zavřena」、中性単数は「Toto místo je zavřeno」となる。特に主語を指定しない場合は、中性扱いとなって「Je zavřeno」ということになるから、「zavřeno」という形を聞いたことのある人は多いだろう。複数になると男性名詞活動体が「Páni jsou unaveni」、不活動体と女性名詞が「Hrady/Školy jsou zavřeny」、中性名詞は「Všechna místa jsou zavřena」となる。ここにあげたのはわかりやすいんだけどねえ。

 ということで、まとめに入ろう。まず動詞の受身形は、文中では原則として動詞「být」と組み合わせて述語として使用される。主語と述語で、性、単複が一致しなければならないのは、形容詞と同じ。語尾は以下の通り。

単数
 男性名詞 語尾なし
 女性名詞 –a
 中性名詞 –o

複数
 男性活動 –i
 男性不活 –y
 女性名詞 –y
 中性名詞 –a



 受身形には3種類(5種類にしてもいいけど)あって、原則として原形の語尾でどの形になるかを判断する。


A受身形の 語尾が-en/ěnとなるもの。

@原形が「-it」もしくは「-et/ět」で終わる動詞。
 připravit → připraven
 postavět → postaven

A原形が「ít」で終わる動詞の一部。
 chtít → chtěn

B原形が子音二つ(-st/-ct)で終わる動詞の一部。子音交代を起すことが多い。
 nést → nesen
 péct → pečen
 sníst → sněden
 číst → čten(一人称単数čtuから)
 říct → řečen(一人称単数řeknuから)

C原形が「子音+nout」で終わる動詞。子音交代を起すことが多い。
 tisknout → tištěn
 dosáhnout → dosažen

 長くなってきたのでB以下は次回に回す。相変わらず構成がまずいよなあ。
2019年3月13日23時。






チェコ語の基本 入門から中級の入り口まで [ 金指久美子 ]

















タグ:動詞 受身

2019年03月13日

チェコ宗教事情、或は何故チェコのキリスト教徒の少なきか(三月十一日)



 オロモウツの知り合いから、チェコにキリスト教徒が少ない理由を尋ねられて、これについては一度書いた記憶があったので、過去の記事を検索してみたら、出てきたのはこんな中途半端な記事だけだった。追記に書いたように、チェコの宗教についてよりは、政教分離について書こうとして迷走した記事だから、ああなったのは仕方がないのだ。ということで、「宗教にある意味で裏切られ続けてきた」と書いたことの具体的な内容を、もう少し詳しく書いておこう。

 チェコ民族のキリスト教への失望の発端に宗教改革の先駆者ヤン・フスが存在するのは間違いない。1415年のコンスタンツの宗教会議で、事前の約束に反する形でフスは拘束され、カトリックから異端の認定を受けて処刑されてしまう。これに怒ったフスの支持者たちが、ボヘミアで起こした反乱がいわゆるフス派戦争と呼ばれるものである。これは単にフスが処刑されたからというだけではなく、教会による収奪に堪えられなくなったという面もあるはずである。
 フス派戦争は、しばしばそのいい面だけを取り上げて、チェコ民族のドイツ民族に対する抵抗だとか、貧民層の支配階級である教会に対する反乱だとか言われることがある。それはそれで正しいのだが、負の側面に目を向ければ、略奪のために反乱を起こしたということもいえる。略奪を避けるためにフス派に加わったという話もあるし、国内各地でフス派の反乱軍による略奪が起きたために国の経済は大きく落ち込み、回復するまでに長い時間がかかったと言われる。国内に略奪すべき場所がなくなった後は、遠征と称して周辺のカトリック諸国、諸侯領にまで略奪の足を延ばしていたというから、十字軍の派遣の対象になったのは、単に宗教的な異端性だけが理由ではないのだろう。
 軍事的には優秀な指導者を輩出したフス派は、各地でカトリックの十字軍を打ち破ったが、絶対的な数でははるかに劣っていたことと、フス派内部の権力争いによって、分裂し崩壊してしまう。その辺の事情はこの本に詳しい。



 結果としてハプスブルク家がチェコ領を獲得して、再カトリック化を進めていくわけだが、それが簡単には進まない。諸侯の中には教会と対立してフス派に鞍替えしていたものも少なくなく、外来の王家であったハプスブルク家には、当初はすべての臣民にカトリックを強要するだけの力はなかったし、王位を独占できていたわけでもないのである。しばしばカトリック側とフス派側の対立が起こっていた。

 16世紀の初めにハプスブルク家が完全にチェコの王位をわがものとした後は、チェコ領内のフス派の諸侯も生き残りに苦労していたようで現在のチェコ領の再カトリック化が進むかに見えていた。話をややこしくしたのは、北の隣国で起こったルターの宗教改革で、その結果として成立した新教プロテスタント側の諸侯の動きが、チェコ内のフス派の諸侯に刺激を与え(具体的な結びつきもあったことであろう)、ハプスブルク家の宗教政策に対する反発が高まっていく。
 それが爆発したのが、1620年にプラハ郊外で起こったビーラー・ホラの戦いである。この戦い自体はハプスブルク家の勝利に終わるが、チェコ全土はプロテスタントとカトリックの軍隊の戦いの舞台となってしまう。フス派戦争による壊滅的な打撃から回復途上にあったチェコは、再び壊滅的な被害を受けてしまうのである。特にこのときモラビアを蹂躙したスウェーデン軍は、カトリック側のものであれフス派側のものであれ、数多くの貴重な財産を略奪して持ち帰ったため、チェコにあったはずの文化財の多くがスウェーデンの博物館に収められているのである。フス派が印刷した聖書とかさ。
 とまれ、三十年戦争の結果、チェコはハプスブルク家の領土としてカトリック側に取り入れられ、全土で強制的なカトリック化が行われた。その結果フス派の流れをくむボヘミア兄弟団なんかは弾圧され亡命を余儀なくされてしまう。もしくは解体を余儀なくされ、国外で再結成することになる。地下に潜った隠れキリシタンならぬ、隠れフス派なんてのもいたのかもしれないけどよくわからない。この時点で、チェコからは公式にはフス派のキリスト教はいったん姿を消すのである。

 次にキリスト教が政治的な問題になるのは、1918年のチェコスロバキア第一共和国建国の際である。マサリク大統領はバチカンとの関係を重視して、慎重に外交関係を築き上げたようだが、同時にフス派の流れをくむ(ように思われる)チェコスロバキアのキリスト教会を設立させ、自らそこに所属した。これが、現在のエバンゲリステーとよばれる宗派なのか、フシツカーと呼ばれる宗派なのかは判然としない。とにかくこのときに、ハプスブルク家に強要されたカトリックを離れて、新しい宗派に移った人が多かったという。

 第二次世界大戦後は、共産党が政権を握り、キリスト教は宗派はどうあれ公式には禁止されることになる。実際には細々と活動を続けることが許されており、活動を続ける見返りに、秘密警察の情報提供者になって、信者を売っていたキリスト教関係者も多いのである。今ではなかったことにされているけど、これもまたキリスト教に対する信頼が失われた原因の一つである。もちろん、信者を守るために信を曲げなかった人もいなかったわけでないらしいけれども、熱狂的なカトリックの国であるポーランドあたりと比べると、その数ははるかに少なかったと言われる。
 そして、神を失った左翼のための宗教であった共産主義が、チェコでは1968年の「プラハの春」事件で、完全に馬脚を現し、これもまた信じられるものではないことを示してしまった。その結果、チェコ人に残ったのは、見事なまでのアメリカ的な資本主義へのあこがれだけで、それは1993年のビロード革命直後にチェコを覆った拝金主義として結実する。

 以上を簡単にまとめてしまえば、他の旧共産圏では、共産党体制が倒れた後、共産主義からもとのキリスト教に再改宗した人が多かったのに対して、宗教が原因で国が荒れた経験を他の国以上に繰り返してきた上に、改宗させられた回数も多かったチェコでは、今更キリスト教に戻ろうという気持ちになれなかった人が多かったというのが、キリスト教徒が少ない理由であろう。民族の記憶の中に宗教の危険性が刻み込まれているのである、というと大げさすぎるかな。親の世代にキリスト教徒が少なければ、子供たちが宗教に走る理由も少なくなり、信者の割合はビロード革命後も減り続けることになる。
 宗教に蹂躙される機会の少なかったスロバキアは、チェコよりもキリスト教徒がずっと多いという事実も、この推測を裏付けているといえる。また、ドイツなどで猛威を振るっている緑の党が、チェコではほとんど支持が広げられていないのは、その主張に宗教的なファナティズムが感じ取れるからだろう。現在のチェコは日本と似たところがあって、宗教臭の強すぎるものは嫌われる傾向があるのである。
2019年3月12日15時45分。






プラハの異端者たち―中世チェコのフス派にみる宗教改革 (叢書 歴史学への招待)














2019年03月12日

風邪をひいてしまった(三月十日)



 尾籠なってほどでもないけど、あんまりきれいではない話で申し訳ない。きれいな話って書いたことはないか。
 風邪をひいたのは先週のことで、あれこれ予定していたことが滞ってはいるのだが、このブログの更新は奇跡的に続けられたからよしとする。頭がボーッとしてあれこれ考えられないおかげでいつもより書く時間が短かったという怪我の功名みたいな現象も起こったし、さっと書くこと決めてささっと1ページ強の文章を書き上げるというのが理想で、ここ何日かその理想に近づいた気はする。

 問題は、恐らくいつも以上に内容がなく、意味不明で、誤字脱字の山を気付いているのではないかということである。最近、タグというものに手を出してみて、これも体調がよくないときに発作的にやったんだったか、最初の記事からタグ付けと校正とをやり直そうかと思ったことがある。思っただけで、すでに1100を超えた駄文の山にめまいがしてやめたのだけど、機を見て折を見て古い記事にもタグを付けていけば、10年後ぐらいには完成するかもしれない。誤記誤植のほうは……。恥ずかしくて穴があったら入りたいレベルのものもあるから、何とかしたいのだけど……。夏休みにでも集中的にやるかなあ。
 こういう考えが関係のない方向に膨らんでいって収拾がつかなくなりかけるのも風邪をひいたときの文章の特徴で、書き終わって他に書く予定のことがあったんだけどどうしようということも多い。それもすぐに忘れてしまうから、次の文章を書く役にも立たないのが腹だたしい。

 昔は、風邪をひくと、インフルエンザでもいいけど、熱が出ることが多かった。熱が出るから苦しいというのはよくわかるのだけど、最近は熱は出ないのに苦しいことが多い。しかも引き始めが一番つらい。症状が悪化するしないにかかわらず、一番つらいのは風邪をひいたことを自覚した翌日で、ひいた状態に体が慣れるにしたがって、朝起きてから動き出せるようになるまでの時間も短くなるし、症状は同じようなものでも無理もきくようになる。

 最近チェコでひく風邪は、先ず喉に来る。喉が痛くなりそうなそんな気配を感じて、睡眠時間を延ばすなどの対策がうまくいくと、風邪はひかずに終わることも多い。失敗すると、喉と言っても口蓋の後ろの部分でまだ喉に入らない部分が痛くなって、頭痛を伴うことも多い。こうなると、どう頑張っても一週間は風邪とお付き合いである。
 寝ている間に唾を飲み込むのも痛いので頻繁に目が覚めるし、痛みを抑えるためにノド飴を常用してしまうから舌なんかが痛くて痛くて熱いものを飲むとしみてしまう。次に来るのが鼻水で、喉の痛みが少し引くと鼻水が垂れ流しになる。朝など睡眠中の発汗で乾いた体に水分を入れると、しばらくは飲んだものが鼻水になっているんじゃないかと言いたくなるぐらいである。
 喉、というよりは口の奥の痛みが治まると、今度は咳が出始める。ここまでくると先が見えたと言ってもいいのだが、咳と鼻水が長く続くことも多い。で、いまここなのである。四六時中鼻をかんでいるので、鼻の周辺は痛いし唇は荒れるし……。発作的に咳が止まらなくなることもある。マスクなんてものは存在しないし。

 風邪をひいているときと、ひいていないときで体の機能に違いがあるように感じる部分もある。やたら滅多ら汗をかいて、頻繁に着替えが必要になる。普段なら気にならない程度の汗が気になって、体が冷え込むような感官に襲われるのである。温度の上下に対する耐性が弱くなって、服を着たり脱いだりする回数も増える。その結果、選択の回数も増えて迷惑をかけることになるのだけど、一度汗に濡れた服を着なおすのも、あまり気持ちのいいものじゃないから仕方がない。
 汗をかくせいか喉が常に渇いてしまうのも、その結果水分を摂取する量が増えて、汗をかきやすくなるという点も含めて不快である。でも何よりも不快なのは、お酒もコーヒーも、最高においしいはずのチェコのビールでさえおいしいと思えなくなることである。そして月曜日から知人がオロモウツに来るというタイミングで酒が飲める状態にないというのは、何かの嫌がらせかと言いたくなってしまう。日頃の行いの悪さを象徴しているのかな。またまたしょうもない話になってしまった。
2019年3月11日22時15分。





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2019年03月11日

鬼のいぬ間に(三月九日)



 バビシュ首相がアメリカを訪問している間に、本国チェコでは、ANO二番目の男、副党首のファルティーネク氏に警察の捜査の手が伸びた。現時点では国会議員であるため逮捕拘束はされていないが、自宅と事務所の家宅捜索を受けたようだ。首相が国にいると禁止の命令がでかねないと見ての、警察の、いや警察の一部の行動であろうか。
 ANOとしては、バビシュ首相だけでなく、ファルティーネク氏も容疑をかけられた例の「コウノトリの巣」事件以来の大きなスキャンダルということになるが、これをただ単に警察よくやったと称賛したのでは、チェコを知るものとしては恥ずかしい。ちょっと大げさに言うと、警察内部に二つの派閥があって、互いに後ろ盾となっている政治家のスキャンダルを狙っているのだ。もちろん、政治家の側からのリークもあるわけで、それがチェコで政治家の汚職が、日本よりも摘発されやすい原因になっている。その意味では、「コウノトリの巣」事件も、バビシュ氏の行為が助成金の詐取であるのは間違いないにしても、政策捜査だというバビシュ氏の批判にも一部の理はあるのである。

 今回問題になったのは、ファルティーネク氏と、公正取引委員会の委員長、それにカプシュという会社のやり取りである。カプシュはチェコ国内の高速道路で高速料金徴収のためのシステムを設置し運用している会社で、本体はオーストリアの会社だっただろうか。この会社とチェコ政府との契約が切れる際に、本来は新たに(見方によっては無駄に)入札を行なって次の業者を選定することになっていたのだが、運輸省内の混乱もあって、一度カプシュとの契約を暫定で延長して、その延長期間が切れるのに合わせられるように、入札が行なわれた。
 入札の結果カプシュは敗れて、別の会社が落札したのだが、これに公正取引委員会がいちゃもんをつけて、決定が引き延ばされた。最終的には公正取引委員会が異議を撤回して、入札の結果が有効になった。この一連の公正取引委員会の介入の裏に、カプシュ社の意を受けたファルティーネク氏の公正取引委員会への働きかけがあったのではないかというのが、今回の疑惑である。

 ファルティーネク氏は、カプシュ社との会合も、公正取引委員会との会合も認めたうえで、法律に違反するようなことは何もしていないと主張し、自分の行動のおかげで、この辺なぜかなのかいまいちよくわからなかったのだけど、政府の支出を削減することができたのだと言っている。もちろんカプシュ社も公正取引委員会も容疑を否認している。政府としては、その任に堪えるかどうかもわからない新しい業者よりも、すでに実績のあるカプシュ社に任せたいという意向もあったんじゃないかとは思うんだけどねえ。
 警察は会合を問題にしているのではなく、盗聴した電話での話しの内容を問題にしているようである。具体的な内容は現時点では明らかになっていないが、一部のマスコミによれば、ファルティーネク氏の発言は、完全にカプシュ社の主張を代弁して、それに従うように公正取引委員会に求めたものだというのだけど、相変わらずゆるゆるの情報管理振りで、意図的な情報のリークを感じさせる。

 今回は、ファルティーネク氏に捜査の手が伸びると同時に、ブルノ市の中央区のANO区会議員も、区の発注する事業に関して賄賂を受け取ったという容疑で、こちらは免逮捕権がないので逮捕拘束されているのかな。全部で9人の政治家、実業家が警察に連行されて、そのうち4人は釈放されたとか何とか。
 政界ではこれでANOへの批判が高まるのだろうけれども、有権者のANO離れは起こるまい。地方政界においてこの手の関係者に便宜を図る汚職はそれこそ日常茶飯事であり、プラハのベーム市長や、南モラビア地方のハシェク知事など疑惑のデパート的な存在が、市民民主党、社会民主党の中心に存在していながら、警察に逮捕されることなくのうのうと政治家を続けている現状を考えると、汚職が発覚したことがANOの支持をやめる理由になるとは思えないのである。
 現在国会に議席を持っている政党で、この手の汚職に、全く手を染めていないと信じられる政党などない。一番信じられそうなのは海賊党だけれども、どこまで信じていいのか。どこまでといえば、日本の政治でもそうだけど、陳情なんてものがあったりすると、どこからが汚職になるのか線引きが難しい問題でもありそうだ。
2019年3月10日22時55分。



















タグ:ANO

2019年03月10日

お米の話(三月八日)



 昔よく質問されて答えに困っていたのが、日本のもので恋しいものはないかという質問だった。1990年代までであれば、日本語と応えたことだろうが、2000年以降チェコでもインターネットの普及が急速に進んだ結果、日本語で書かれた文章を読むことに関しては、恵まれた環境になっていた。日本語での会話に関しては、日本にいる頃から無理して誰かと話す必要性は感じていななかったし、日本語ができるチェコ人の知り合いもいたから、あえて恋しいと言うべきものでもなかった。
 あれこれ考えた末に、公式見解として、この手の質問への答えとしていたのが、お米である。こちらに来たばかりのころのチェコの米の中にはひどいものが多く、美味しいとかおいしくない以前の問題で、小石なんかが混ざっているものもあった。知り合いに最初にお米と言って食べさせてもらったのは、袋に入ったものをそのままお湯で数分ゆでると出来上がりという、半分インスタントのようなもので、ご馳走してもらっている手前口には出せなかったけれども、できれば二度と食べたくない代物だった。

 普通のレストランで米の付けあわせを注文して、美味しいと思えるようなものが出てきたためしはなく、お米と呼べるものを食べようと思ったら、中華風のお店でチャーハンぽいものを頼むしかなかった。同じ中華でも当たり外れが大きくていつでも満足できるとは限らなかったけど。それから、結構高めのお店に連れて行かれて、ここは米の料理も美味しいと言われたときに、もしかしてと期待して米を使ったリゾットを頼んだら、大外れなんてこともあった。チェコの人が考える美味しい米ってのは、基準がぜんぜん違うところにあるのだろう。
 結局、お米のない生活に堪えられなくなって恥を忍んで日本からお米を送ってもらっていた。お米の値段だけならともかく送料が高いのでそれほどひんぱんにお願いできたわけではないけど、スーパーで単独で食べると微妙だけど、焼き飯にして食べるとそこそこ満足できるレベルの米を発見していたから、それで何とかなっていたのだ。

 状況が変わったのは、10年以上前になるかな、外国からの小包はすべて税関で止めて、税金を課すという悪行が始まったせいである。本来は国外のネットショップで購入した商品に消費税分をかけるはずだったのに、贈り物だろうが自分のものであろうが、国外からチェコに届いた荷物はすべて課税されるようになった。無税にする手続きはもちろんのこと、税金を払って通関させる手続きも面倒極まりなく、課される税額もバカにならないので、日本からお米を送ってもらうのはやめてしまった。

 幸いなことにそのころにはオロモウツに、日本のではなく、日本のお米風のお米、正確にはイタリアやアメリカで生産された日本のお米を売るお店ができて、しかもうちの近くに移転してきたから、お米を食べる回数は確実に増えていった。もちろん、送ってもらっていた日本のお米ほどではなかったけど、チェコの米に比べればはるかにおいしく、お米だけ炊いて食べても満足できるレベルだった。
 そのお店は、お米だけでなくてインスタントラーメンや冷凍食品のギョウザなんかも置いてあって、重宝していたのだけど、オロモウツでは客に限りがあったのか、お店を畳んでネット上での販売だけに営業規模を縮小してしまった。お米がなくなりそうになったので、その店のネットショップを覗いたところ、品揃えが悪化していてお米なんて1kgのものしか置いていない。お店で買うならともかくネットショップでちまちま買って届けてもらうなんてことはやってられない。

 ということで、ネットショップならオロモウツにこだわることもあるまいと、ブルノの知人にどこか知らないかと聞いてみた。教えてくれたのがここ。本当の日本産のお米も買えるみたいだけど、ちょっと高い。それに例の自称日系人政治家のお店だと言う話を聞いて、ここで買う気をなくしてしまった。主義主張にかかわらず政治家を支援する気はないのである。政治家になっていなくてもこのお店は避けてしまっていたかもしれないけどさ。

 結局、うちのが見つけてくれたお店で買うことにした。「花」で「sushi」である辺りがちょっとステレオタイプであれだけど、お米も10kgものがあるしということで、実際に買ったのは去年の12月のこと。クレジットカードが使えなくて銀行振り込みだったり、送料無料にするために1500コルナ以上購入する必要があったり、厄介なところもなくはなかったが、実際にお金を振り込んでからは、郵便局ではない運送会社と契約していて翌日か、翌々日ぐらいには到着した。事前にこの辺の時間に届くという連絡も来ていたし、予想していたより遙に簡単にお米が手に入ってしまった。

 12月に買ったのに何で今頃こんなことを書いているかというと、お米が減ってきてそろそろ新しいのを買う必要が出てきてお米のチェックをしていたら、お米については書いていないことを思い出したからである。海外だと、日本人は寿司だと思っている人が多いけれども、正直寿司なんてどうでもいい。日本人はお米さえあれば生きていけるのである。
2019年3月9日22時45分。






















posted by olomoučan at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2019年03月09日

バビシュ首相訪米(三月七日)



 サッカーのヨーロッパリーグのスラビアの試合を見ようと思っていたのだが、バビシュ首相が、アメリカのバビシュこと、トランプ大統領にホワイトハウスに招待され、会談直前のバビシュ首相のようすを伝えるニュースを優先してしまった。チェコの首相がホワイトハウスに招待されるのは、1993年のビロード革命以後これが6回目ということで、回数が少ないからどうしてもチェコにとっては大々的な政治的なイベントになってしまう。

 実はゼマン大統領もトランプ大統領側にホワイトハウス訪問を持ちかけているけれども、現在のことを実現しておらず、今後も実現しそうにないと言われている。これは、ゼマン大統領がロシアより中国寄りの立場での発言を繰り返しているのが、トランプ大統領の気に染まないのだろうか。今回トランプ大統領がバビシュ氏と会談を持ったのも、近年チェコやポーランド、ハンガリーなどのチェコで言う中欧諸国の間でロシアと中国の影響力が高まりつつあるのを防ぐ目的もあるらしい。
 バビシュ氏の前か後にはポーランドの大統領とも会談する予定だし、すでにオーストリアの首相とも会談しているはずである。ハンガリーのオルバン首相はどうだったのかな。反政府活動のすべてはハンガリー系アメリカ人の実業家ショロス氏の陰謀だと主張してしまうオルバン氏をアメリががあえて招待するかと考えると疑問ではある。

 バビシュ首相とトランプ大統領の会談、それに続く両国代表団の交渉でどのような話が出され、どのような決定がなされたのかについては、正直あまり関心はない。むしろ、会談が3月7日という日に行われた理由が気になる。この日は、マサリク大統領の誕生日なのだ。つまりこれは、トランプ大統領がチェコの首相にかなりの政治的な配慮を行った結果だと考えていいのだろうか。マサリク大統領もアメリカにわたって、当時のウィルソン大統領との知己を得ることで独立実現に近づいたのだったし。そんなトランプ大統領の配慮に、バビシュ氏がお土産としてチェコから持参したのは、拳銃CZ75のチェコスロバキア独立百周年を記念した特別シリーズのうちの一丁らしい。
 現実にはチェコ側からこの日の会談を要望したと考えるのが正しいか。バビシュ首相はアメリカとチェコの関係を新たに作り直すなんてことを言っているから、自らをマサリクになぞらえているのかもしれない。そんなバビシュ首相とトランプ大統領の関係がどうなるかはわからないけど、ニュースでアメリカの雑誌によればバビシュ首相の資産の方が大きいらしいから、それがトランプ大統領の気に入らないなんてことはありそうな気もする。

 ちなみに、バビシュ首相は、トランプ大統領がホワイトハウスに招待した最初のチェコ人というわけではない。バビシュ首相以前に少なくとも一人のチェコ人がホワイトハウスを訪れ、例の暖炉の前の黄色い椅子に座って二人で握手をしている。それはチェコスロバキアのゴットバルドフ(現ズリーン)出身だった最初の奥さんのお母さんである。
 トランプ大統領はこの最初の奥さんの家族を大事にしていたようで90年代の初めには、父親か祖父の葬式にわざわざチェコまでやってきて、ズリーンで葬式に出た後、近くのスルショビツェにあった山荘に宿泊したらしい。その山荘はすでに営業をやめて取り壊されているという落ちは付くのだけど、このときの縁をつなぎ続けているようだ。ちょっと意外なトランプ大統領の一面である。

 さて、これまでホワイトハウスに招待されてアメリカの大統領と会談を持ったチェコの首相は、90年代のクラウス首相とゼマン首相、2000年代に入ってシュピドラ首相とトポラーネク首相、そして前回2011年にオバマ大統領と会談したネチャス首相ということになる。これまでの5人がいずれも市民民主党か、社会民主党の出身で、バビシュ氏はこの2党以外で初めてアメリカの大統領と会談した首相であると書いて、首相自体が、暫定政権を除けば、この二党以外から出るのが初めてだったことを思い出した。

 逆にアメリカの大統領がチェコを訪問したのは、90年代のクリントン大統領と、オバマ大統領の二人だけだろうか。ハベル大統領と仲がよかったらしいクリントン大統領は、招待されたプラハの飲み屋でジャズの演奏をするなど大はしゃぎで大きな印象を残したし、オバマ大統領もプラハでの美しい演説で世の人の感動を呼んだ。ただ特にオバマ大統領は、言葉の使い方は上手だったし、発言はきれいで非の打ちどころはなかったけれども、実際の行動には疑問符がつくことも多かったし、それがトランプ大統領を生み出す一因となったと言ってもいい。
 そうなると気になるのは、今回のバビシュ首相のホワイトハウス訪問の返礼としてトランプ大統領のチェコ訪問が実現するかどうかである。プラハすっ飛ばして元の奥さんの縁者が住んでいるズリーン直行したりしたら、ちょっと高く評価してしまいそうである。
2019年3月8日22時35分。













2019年03月08日

運輸省の抱える問題(三月六日)



 運輸省は大臣替えてもあまり意味がなそうだという話を昨日書いたけれども、この省の問題は89年のビロード革命後も放置してきた、もしくは先送りしてきた問題が、ここ十年余りの間に顕在化してきて、誰が大臣でも結果は大差ないのに、政治的な取引の結果、首のすげ替えが起こっているという印象を受ける。その中で、今の大臣は頑張っているほうだと思うのだけど。
 とまれ、この国の交通行政における最大の問題は、高速道路網の整備である。プラハとブルノという二大都市を結ぶ高速道路D1、ブルノからスロバキアの首都に向かうD2こそ早い時期に完成していたが、それ以外の部分は計画だけにとどまっていて、プラハから完全に高速道路だけでたどり着ける主要都市は、ブルノを除くとプルゼニュぐらいしかなかった。

 その後、各地で整備が進められ、また一ランク下のR規格で高速道路のD規格ではなかった道路がDに格上げされたりしたけっか、プラハ、ブルノ、オロモウツ、オストラバが高速道路で結ばれることになったが、本来プラハとオストラバを結ぶはずのD1はまだ完成していない。工事が進まない理由の一つは、近隣のドイツやオーストリアなどの国と比べても高くつく建設費で、十年以上前から問題にされていながら、状況はほとんど変わっていない。高い建設費に政治家の関与があるのかどうかは知らないけど。
 また、入札で値段だけで選んだ場合なのか、一度は完成したものの、手抜き工事で路面が波打ったり、表面が陥没したりするという問題も起こっており工事の発注元の高速道路管理局と施工会社の間で、どちらに責任があるのかをめぐって裁判沙汰になったりもしている。こんな問題が起こると、むやみに工費を節約するのがいいとも言えなくなるから大変である。

 二つ目の理由は、高速道路を建設する用地取得の手続きの問題である。国有化するための法律があったのかなかったのか、土地の所有者にごねられて、工事がなかなか始められないという問題が、一か所ならず起こっていた。一番有名なのはプラハからフラデツ・クラーロベーに向かうD11だろう。とある土地所有者との係争で、一部分の工事が着工できず、長らくその人の土地で分断されていたのである。この問題は、90年代に、幹部が党の息のかかった人ばかりだった省で政権交代に際して、碌に引き継ぎのないまま人員の入れ替えと方針の変更が行われた結果だと見ている。土地の所有者も最後は意固地になってしまっている感じであった。

 三つ目は、古い高速道路の改修工事である。建設されて半世紀以上を経たD1では路面を覆うコンクリートにひび割れが走って振動が酷いなど老朽化が進んでいる。それで少しづつ、いくつもの区間に分けて改修工事が行われているのだが、チェコで最も交通量の多い道路で、部分的に通行制限をしながら改修工事をすると、大渋滞が引き起こされることになる。
 この改修工事に関しても、受注した会社によって当たりはずれがあり、予定の工期でちゃんと完成させるところもあれば、予定の工期で終わらず延長と工費の追加を求めてくるとこもあって、この手の工事は入札で決めればいいというような簡単なものではないことを改めて見せつけている。昨年末も、確かイタリアの会社が受注した工区で工事が予定通りに終わらず、いやそれ以前に候じを行っていない期間が長く、雪が降り始めたために連日大渋滞を引き起こしていた。プラハ駅の改修工事もそうだけどイタリアの建設会社って当てにならんのだよなあ。
 たしか、この工区では片道三車線のうち一番内側の車線を通行止めにして、中央分離帯とその両側の二車線を改修していたのかな。外側の二車線は幅を狭めて制限速度を落としたうえで車を走らせていた。車を運転している人たちを怒らせたのは、渋滞が発生しているのに、道の真ん中の工事現場では仕事をしている人がおらず、工事がまったく進んでいないことだった。

 最終的には、この施工会社に対しては契約を破棄し、高速道路管理局が車線の通行止めを解除することになったのだが、雪の影響で通行止めの車線の外側に置かれていた仕切りを排除して通行できるようにするために時間がかかって、これまた大きな非難を浴びていた。非難されるべきは、運輸省以前に施工会社だし、運輸省が非難されるとしたらそんな会社に落札を許したことだと思うのだけどね。ただEU基準の入札のルールにもとづくとその会社が落札するのは防げなかったなんて話もあるから、この話は厄介なのである。
 あれ、この話なんか続くかも。
2019年3月7日21時15分。



















タグ:高速道路
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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