<< 2018年01月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
検索
最新コメント










最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド
リンク集










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2018年01月24日

二格の使い方4(正月廿一日)



 今日はチェコ語の二格の続きである。前回は方向を表す前置詞を説明したが、今回は場所を表す前置詞から始めよう。側、隣などの場所を表す前置詞も、二格を取る。「u(ところに/そばに)」「vedle(となりに)」「blízko(近くに)」などがあって、後に来る動詞によっては、助詞は「で」にしたほうがいい場合もあるだろう。

 すでに「誰々のうちで/に」というのを現すためには、「うちで/に」を表す「doma」に、「u+人の二格」を組み合わせて使うという話は、チェコ語の場所の表しかたの厄介さを嘆いた記事で紹介したとはずだが、「doma」なしで、「u+人の二格」だけで使えば、「誰それのところで/に」という意味になる。「u nás」は、「私たちのところでは」という意味だが、「我が国では」と訳したくなるような使い方もする。その場合は、「u nás v České republice」とか国名と一緒に使うことも多いか。
 それから、同じ名前の町や村が複数ある時に、識別のために近くにある大きな町の名前を後に「u+二格」でつけることがあるのだ。オロモウツの近くだと、プシェロフの近くと、プロスチェヨフの近くにそれぞれブロデクという小さな町があるので、「Brodek u Přerova」「Brodek u Prostějova」と区別するのだ。

 この手の区別のために後ろにつけるものとしては、ほかにも、地方名を使った「na Moravě」「na Hané」「v Čechách」などがあるし、近くの川の名前を使って、「nad Vltavou」「nad Moravou」なんてやりかたもある。チェコの地名ではないけれども、ドイツのケルンは、チェコ語では「Kolín」で、プラハ近郊のトヨタの工場ができたことで日本でも多少知られるようになった「Kolín」と区別するために「nad Rýnem」をつけるのである。チェコのコリーンには何もつける必要はないが、あえてつけるとすれば、「u Prahy」か「nad Labem」かな。
 「vedle」と「blízko」はもともとは副詞なので、後に名詞を二格でつけることなく単独で使うこともできる。特に「vedle」は、単独で使われていると、「ずれている/はずれている」と訳したくなることも多い。「となりにいる」とか、「隣で仕事している」なんてことも言えるんだけどね。


 以前ことわざを紹介したときの「bez práce, nejsou koláče」に出てくる「bez」も二格をとる前置詞である。「〜なしで」とか「〜抜きに」という意味だが、個人的に一番よく使うのは、喫茶店でコーヒーを注文して、「s mlékem?」と聞かれ、「bez mléka」と答えるときである。もちろん、「bez cukru」でもあるんだけど、チェコ風トルココーヒー以外は、ブラックで飲むからさ。
 前置詞扱いになるのか自身はないけれども、「bez mála」で「ほとんど」という意味で使うこともある。「bez mála 20」というと、あとちょっとで二十、二十にちょっと足りないという意味になるはずである。ただし「bezmála」で一語化しているかもしれない。

 もう一つ気を付けたほうがいいのは、名詞の「bez」も存在していることで、これはニワトコの木を指す。ヨーロッパのものなのでセイヨウニワトコになるのかな。白い小さな花がいくつも固まって咲くのが特徴で、実の色によって、「černý bez」「červený bez」と呼び分けられている。小さな粒粒の実は食べられるはず。レモネードとかお茶も、この「bez」から作られているはずなので、目にする機会は少なくない。


 「〜以外は」を表すのもチェコ語では前置詞を使う。その「kromě」は本来「クロムニェ」と読むはずなのだけど、チェコ人の中には発音をはしょって、「クロミェ」とか「クロム」とかで済ませてしまう人がいる。「mě」の正しい発音がわかっていない人が結構いるのには、こちらに来て何度か驚かされたことがある。
 この「kromě」の後に、数を表す言葉と名詞をともに二格で使うという例を挙げておこう。「kromě několika výjimek(いくつかの例外を除いて)」の「několik」は二格、三格、六格、七格では「několika」になる数詞のような副詞のような言葉である。「いくつ」を表す「kolik」に「ně」をつけて「いくつか」にしたものだと説明したほうがわかりやすいかな。チェコ語と日本語が対応するもののひとつに、疑問詞にチェコ語で語頭に「ně」をつけると、日本語では語末に「か」をつけるというのがあるのである。「něco」「někdo」とかいくつも例を上げることができる。

 それから「kromě」が便利なのは、「ten」の二格の「toho」をつけて「それ以外は」という意味で使えるのと、さらに「že」使って、それの内容を表現することができることだ。
  Já umím česky. Kromě toho jsem normální Japonec.
  チェコ語ができます。それ以外は、普通の日本人です。
  Kromě toho, že umím česky, jsem normální Japonec.
  チェコ語ができる以外は、普通の日本人です。

 なんか微妙に変な文のような気もするけれども、それが文法的な問題なのか、内容的な問題なのかがよくわからない。


 もう一つ覚えておいたほうがいい二格をとる前置詞は「během」であろうか。普通は後に名詞を二格でつけて、時間的に「〜の間」という意味で使われるのだが、こちらもちょっと複雑な文を作るのに使いやすい前置詞である。「〜している間に」ってのは、日本語ではよく使うしね。
  Během toho, co jsem pracoval doma, začalo sněžit.
  うちで仕事をしている間に雪が降りだした。

 基本は、「kromě」のときと同じで、後に「ten」の二格の「toho」をつけること。これだけで前の文を受けて単独で「その間」という意味でも使えるし、後ろに説明の文をつけることもできる。ただし、「během」の場合には、「co」もしくは「kdy」を使って何をしている間なのかを示すことになる。

 チェコ語のこの手の一見ややこしい表現というのは、日本語風に工夫して使ってみると意外と問題なく使えることがあるし、だめもとであれこれ試してみることをお勧めする。うまく行くと楽しいものである。もう一つ二格を使うものとして、特殊な動詞を上げるつもりだったのだけど、また次回である。
2018年1月21日23時。








2018年01月23日

永観三年四月の実資〈下〉(正月廿日)



 今月は前半の記事が薄いので二分割にした。途中から寛和元年である。

 廿日はまず、呼び出されて頼忠のもとへ。昨日の夕方、蔵人所の出納が使者としてやってきて、賀茂の斎院が使用する牛を貸すようにという要請を伝えたらしい。現在牛は二頭しかおらず、一頭は治療中で、もう一頭は小さくて使えそうないないという。頼忠としては、もし本当に必要なのであれば、事前に連絡があるはずだから、前もって牛を確保して飼っておいたのにと、要請の突然さに納得できないようである。
 そういうことを、返事として奏上したのに何も言われないので、おまえちょっと確認して来いと言われた実資が、内裏に出向いて蔵人藤原挙直を通じて事情を奏上したところ、藤原元命が、昨日、第一の人の牛を斎院の牛車に使うのが例で、それができない場合には、次に高い地位の公卿の牛を使うと言っていたから、そちらに連絡したんだという返事が返ってきている。なんかいい加減な答えに聞こえてしまうのは、天皇とその近臣たちに対する偏見だろうか。

 廿一日は、参内すると、天皇が清涼殿で馬を見る儀式を行っている。今回は馬に乗る女官に与える褒美としての馬である。左右の馬寮から三頭ずつ出されたようだが、右馬寮の馬が選ばれている。実際に走らせたのかどうかはわからない。行間の補注に「女の騎馬を覧ずるの後、左右の馬寮の十列及び二坊の御馬等を覧ず、臨時の仰事なり」とあるから、女官が馬を走らせるのを見た後に、左右馬寮に競馬をさせるなどしたようだ。これも臨時に思い付きで行われたことのようである。
 賀茂祭の前々日であるからか、天皇の身辺の警備などを厳重にする警固が始まっている。一般には前日から行われることが多かったようである。実資が特に批判していないということは、間違いではないということであろう。

 廿二日は、誰から聞いたとも書かれない伝聞で、摂津国に逃げていたはずの正月の傷害犯左兵衛尉藤原斉明が反対方向の近江国で惟文王によって弓で射殺され首を取られたことが記される。素直につかまっておけば、死刑の判決が出ても流刑になっていた平安時代中期だけれども、激しく抵抗すると殺されることになるのである。

 廿三日は、賀茂祭である。実資も頼忠のところに寄った後、出かけているが、憚るところがあるとして境内には入っていない。妻のの出産のことであろうか。未の時というから午後早い時期に帰還しているのは、激しい雨が降ったせいだろうか。
 実資自身は参内していないので伝聞だが、祭使に選ばれた左大臣源雅信の息子の時中が突然霍乱を起こして祭使を務められなくなったというので、平親信が代役となっている。他にも内蔵寮からの祭使も代理が務めているし、以前実資が代理ばかりでどうしちまったんだと嘆いた状況はあまり変わっていない。ただし内蔵寮祭使の右少将藤原信輔の件は事前にわかっていたようである。理由は忌日なので、最初から引き受けるなよという話である。実資は祭使のところに摺袴を送っているが、送り先が誰なのかはよくわからない。

 廿四日は、陸奥守の藤原為長から馬が献上されている、ただしそのことを記した文書には、四頭献上すると書かれていた。陸奥国から都に上る途中の上野国で強盗に遭い二頭は射殺され、一頭は奪われたのだという。
 馬好きの花山天皇は、今日すぐにその馬を見ると言い出したけれども、実資が、警固を行っている間に天皇が馬をみるなんてことは前例がないので、今日見るなら警固の体制を解いてからにしたらどうだと助言をしている。それに対して天皇は、それでも見ると言って強行している。他にも左右の馬寮の馬も見たようである。献上された馬は、天皇の目にいれた後左馬寮のものになっている。
 内裏を退出して、上皇の許に出向くと、平季明が献上してきた銭のうち五十貫を亡くなった典侍頼子の家に持っていくよう命じられている。

 廿五日はまた二日分の休暇願いを出している。休みとは言っても参内しないだけで、頼忠や円融上皇にはあれこれ使われているのだけど。軽い穢れのための物忌で休むときには、参内はしない方がいいようだが、外出して頼忠のところに行くするのは問題ないようである。軽い重いの区別とか境目とかが、当時の人ならぬ我々にはわからないのだ。当時の人でもわかっていなかったり、無視したりしていた人もいそうではある。
 とまれ、頼忠のところであれこれ話すついでに、昨日の陸奥国から献上された馬の話になって、頼忠は、延喜・天暦、つまり醍醐天皇や村上天皇の時代には、陸奥の国司の献上してきた馬は留めることはなかったと語っている。同席していたらしい式部丞の藤原為時が、天皇の意向を読んでそういうことになったと説明し。頼忠は天皇の意向なら仕方がないとなんだか諦め気味である。
 その後、上皇の許に出向いて候宿するのだが、内裏に準じる場所だからか、穢れが丙になったから参入したんだといいわけめいたことを記す。甲の穢れが一番重く、丙が一番軽いと考えていいのかな。

 廿六日は、早朝退出して「堀河に詣づ」とあるのが問題である。『小右記』のこの辺りで「詣づ」が使われているのは圧倒的に「室町に詣づ」が多く、「参る」ではないところに意図があるはずなのだが、よくわからない。五月の記事に堀河に行って小児を見るとかいうのがあったことを考えると、堀河の辺りにも室町と同じで実資の家族、親類にあたるような人が住んでいたのかもしれない。

 廿七日は、参内すると内裏で怪異が起こっている。宜秋門に置かれていた右衛門府の官人の詰所である陣の前の桜の木に水鳥が群がっていたというのである。陰陽師に占わせたところ、「盗・兵・火事・疫病」というろくでもない結果が出ている。そのせいではないだろうけれども本日改元である。永観という年号も短命で、わずか二年ほどで終わり、寛和が始まったのである。代替わりの改元と考えていいのかな。いずれにしても、占いの結果は不吉だけどね。
 伝聞で、大納言の藤原為光と、三位中将の藤原義懐が右近の馬場で競馬を行ったという話が記される。為光はともかく。義懐が改元の日なのにそんなことでいいのかと思わなくもないが、実資の書きぶりもあっさりしたもので、改元の手続き自体はそれほど重要ではなかったのかもしれない。

 廿八日は、早朝内裏を退出しているが、女児が生まれたのは寅の時で、お産には間に合わなかった。急いで向かったけれどももう終わっていたという。生まれそうだという知らせが内裏に届いたのだろうか。お産が行なわれたのは右近少将信輔の家、自邸では出産しないのである。この頃の実資は妻の父の源惟正から伝領したとされる二条第だから、実家であるはずなんだけどね。源遠資の妻とか、左衛門尉の藤原為長の妻とかが手伝いに登場しているが、出産というのは女性が活躍する場なのである。生まれた赤ちゃんの産湯に使われたのは鴨川の水だという。
 この日左大臣が堂を供養したという話も書かれるのだが、これは大日本古記録の頭注によれば仁和寺の西の堂だと言う。それから中宮の遵子から連絡が来ている。お産のことが重要で、この二件に関しては細かいことは記されていない。

 廿九日はまず六日分の休暇申請である。これはお産のことによるのだろうか。頼忠からは、昨日は仏事の初めだったのでお祝いの使者は送らなかったという使者が来ている。「穢気を避けんが為に」という辺り、お産は穢れをもたらすものと考えられていたのだろう。
 この日は村上天皇の中宮で冷泉天皇と円融天皇の生母である藤原安子の忌日なのだが、藤原義懐が官人たちを引き連れて賀茂社に参拝したという。国忌で、つまり仏事が行なわれていて、廃務になっている日に、神社に出かけるというのはどんなものかねというのが実資の感想である。国忌の儀式自体は寺で行われてることが多く必ずしも公卿が参列するというものではないのだけど。

 卅日には、暇を見つけて実頼から伝領した御子小野宮の邸宅に出向いている。中宮遵子の退出先として二条第を明け渡すのでその準備を始めたということであろう。
 藤原義懐からも出産のお祝いの使者が来ている。その後、三日目の夜ということで「産婦の前」の産養いの祝いが行なわれている。奇数日に行なうようで、このあと、五日目、七日目にも繰り返される。この祝いは、男方と女方に分かれて宴の食事などを準備するようである。
2018年1月20日23時。







2018年01月22日

永観三年四月の実資〈上〉(正月十九日)



 処理したものがたまってきたので、チェコ語はちょっとお休み。

 一日は雨の中参内するが、公卿が一人も出てこない。そのことを外記が天皇に奏上して、改めて出てくるように使者を送ったところ、中納言の源保光だけが出てきた。それで天皇も紫宸殿に出御しないことになった。四月一日なので、この日は、旬政大事な政務のはずなのである。天皇の出御がない場合の平座という形式で儀式が行われている。

 二日は雨の中内裏を出て帰宅、夕方に室町に出向いている。この室町も、大日本古記録の頭注にも誰という指摘がないし、ちょっと謎なのだけど、室町尼君と呼ばれるおそらくは実資の親戚筋に当たる人が住んでいたのだろう。実資の子供が預けられていたような節もある。

 三日は、花山天皇の生母藤原懐子の忌日で国忌となっている。懐子は、摂政伊尹の娘で冷泉天皇の女御となっているが、父伊尹に続いて花山天皇の即位前に没している。中納言の藤原顕光以下数人の公卿が参内しているが、大臣、大納言は欠席。このとき女御たちが御膳を提供するという先例を天皇の仰せで止めている。
 円融天皇の代に伊勢の斎宮を務めた規子内親王が、天皇の代替わりによる斎宮の交代で平安京に戻ってきたのである。代わりに伊勢に下向する予定だったのは永観二年十一月に選定された済子女王である。済子女王は、花山天皇の退位とともに伊勢に下向することなく任を解かれている。

 四日は、実の兄である修理大夫の藤原懐遠がやってきて言うには、斎宮を迎えるために使わされた勅使の菅原資忠が、山科から黒牛一頭を送ってきたという。伝聞で斎宮が「河陽の館」に入ったというのだが、これは普通は平安京の西山崎の地に営まれた離宮をさすので、伊勢から山科を通る経路で京に入ったと考えると地理的にそぐわない。「河陽」を「かや」と読んで平安京内の高陽院と考えておく。

 五日は、頼忠と円融上皇のところを経て、中宮遵子のところに候じた以外は特に何もなし。

 六日も、参内しただけである。珍しく平穏な日が二日続いている。

 七日は、恐らく穢れのために三日分の休暇願いを出した上で、円融上皇に呼ばれて出向く。穢れは穢れでも、軽い丙の穢れだから問題ないらしい。

 八日は。お釈迦様の誕生日を祝う潅仏会が行なわれるはずなのだが、杜本神社に祭使を遣わすために中止。仏事と神事を同日に行わないということなのだろう。中宮の遵子のところでも同様に中止。花山天皇ではなく、前代の円融天皇の中宮なのだが、中宮という立場にある以上は天皇と同じようにするということのようだ。ただし、実資が延長四年の日記で確認すると、天皇の仰せで祭使の発遣を一日遅らせて、潅仏会を行なったようである。退位してしがらみの取れた円融上皇のところではもちろん潅仏会は実施されている。実資は物忌で参入していないが、布施として銭を送っている。

 九日は、中宮職の少進正信である藤原正信が来て、円融上皇が穢れに触れたのではないかという情報を寄せている。この穢れは先月十六日に亡くなったことが記される典侍頼子が原因となったものだという。そのため十日に予定されていた平野神社への上皇の祭使の派遣は中止された。占いで中止とでたらしい。それで中宮の使いはどうしましょうということなのだが、実資はとりあえず頼忠の意向を伺うべきだと答えている。頼忠からは明日参入して決めるという返事が帰ってきている。

 十日はまず上皇のところに出向いて、穢れについて詳しい話を聞いている。穢れが院に入ったというのは根拠がないようなのだが、占いでは不浄とでたので、使いを立てなかったという。それを実資は上皇に命じられて天応に奏上している。亡くなった典侍頼子の家族が穢れは院に入っていないと言っているから、実資も穢れていないものとして参内したのである。中宮は結局上皇と同じように祭使を立てていないが、これは頼忠が決めたところだという。
 内裏からの祭使を務めたのは蔵人の藤原惟成。花山天皇の乳母子で重用されたというのだけど、儀式などの際には実資に言わせると結構頓珍漢なことをやらかしているようである。ここは祭使として出かけるだけだか特に問題は起こしていないけどさ。

 十一日は参内して候宿。夕立なのか雷がなり強風が吹いている。検非違使として摂津国に出向いていた源忠良以下の衛門府の官人が、帰郷しその成果を報告している。この時点では追捕された藤原斉明をとらえることはできていないが、その配下の海賊を捕らえ怪我をしたものもいるということで、褒美として絹をもらっている。

 十二日は早朝内裏を出て、夕方室町へ。十三日は参内して候宿。四月は穏やかな月である。

 十四日は早朝内裏を退出して、上皇の元へ。午前中から上皇の体調が悪化し、占いや禊などが行われている。夜になって治まったのかな。実資以外にも左大臣以下の公卿が、お見舞いにか参入している。

 十五日は、二日の休みを願う文書を提出し、ちょっとだけ上皇の許に立ち寄って、頼忠のもとへ。夕方再度上皇の許を訪れてすぐに退出している。上皇の病気は治まっていると見ておこう。

 十六日は、休みなので何もなし。雨が降ったことだけが記される。

 十七日は、時折ぱらつく雨の中参内。天皇が清涼殿で馬を見ている。馬寮の馬はいいのだが、「二坊」の馬というのがよくわからない。夕方退出した実資は、円融上皇の許に出向いて、中宮のところに候じている。ただこの時点で中宮が、上皇と邸宅を同じくしていたかどうかは不明。中宮のところには父の頼忠も参入している。

 十八日は、またまた物忌のために三日の休暇願を出す。今年は賀茂祭がまだ行われていないので、毎月恒例の清水寺参拝は中止である。神事の準備期間中に仏寺に出かけるのはよくないということだろうか。
 それとは別に清水寺で、七日間の読経の儀式を行わせているが、これは陰陽師の賀茂光栄に祓をさせたのと同様、実資の夫人のお産が遅れているからであろう。

 十九日には、また陰陽師に祓をさせているが、今度は安倍晴明である。そろそろ産み月のはずなのにその気配もないということで心配している。
2018年1月19日24時。







2018年01月21日

二格の使い方3(正月十八日)



 普通はこれから書く二つを最初に説明するのかもしれないが、まず一つめは前置詞と一緒に使う場合である。二格をとる前置詞は、チェコ語の勉強を始めてすぐのころから登場するので、初学の人であっても二格に触れる機会は多いはずである。

 最初に勉強するのは、場所の起点を表す「z」だろうか。「Jsem z Japonska(私は日本から来ました/日本の出身です)」というのは、自己紹介の一部にもなるので、名詞は単数一格だけで格変化が説明される前に、登場しているかもしれない。厄介なのは、「日本のどこ?」と追加で質問されたときで、日本の地名を格変化させるのに抵抗があったり、語末がチェコ語の名詞にはありえないものだったりして、格変化のさせ方がよくわからなかったりすることがある。
 東京=Tokioのようにチェコ語化している地名ならいいのだけど、それ以外の地名だと、格変化させた場合に一格の形がわかってもらえるかどうか心配だというのもあって、ついつい語尾をもごもごとあいまいにして済ませてしまう。そんなときには、地名の前に、都道府県や、市町村、場合によっては地方を表す一般名詞を置いて、固有名詞は格変化させないという方法をとる。

  Jsem z Tokia.
  Jsem z prefektury Čiba.(千葉県)
  Jsem z oblasti Kantó.(関東地方)
  Jsem z města Mito.(水戸市)
 なんてところである。これは目的地を示す前置詞の「do」の場合にも同様に使えるので、便利である。場所を表す「v」や「na」にも使えるけど、その場合には、一般的な名詞を六格にする必要があるというのは、大丈夫だろうと思うけど念のため。

 それから数詞と「z」を一緒に使って、例えば「五個のリンゴのうち二つ」なんてことも表現できる。この場合に「数詞(二格)+名詞(複数二格)」という形が現れるのである。多いのは「数詞(一格)+名詞(複数二格)」なんだけどね。

  Jedl jsem dvě z pěti jablek.(リンゴは複数二格)
  Jedl jsem dvě jablka z pěti.(リンゴは複数一格)
 名詞の「リンゴ」をどっちの数詞につけるのが自然なのかは、よくわからないけれども、どちらでも問題ないはずである。多分。

 二格を取る前置詞の二つ目は、さっきも出た「do」と、その反対の「od」である。場所の場合には、「z」と「do」が、「から」「まで」を表す組み合わせだが、時間の場合には、「od」と「do」になる。「do šesti hodin(六時まで)」なんてのは「hodin」を省略することもできて楽なのだけど、「六時半から」とか「一時まで」とかになると、「od půl páté」「do jedné」でいいのか今でも自信がない。後ろは大丈夫だと思うけど、前はどうかなあ。
 時間について言えば、「do dvou hodin」は、「二時まで」でも「二時間以内に」でも使えたはずなので、時々混乱する。数が大きくなれば「以内に」の可能性は減っていくし、時間ではなくて、分とか、日、週なんかなら、「以内に」の意味でしか使えないのははっきりしているからいいんだけど。「do dvou týdnů(二週間以内に)」「do příštího týdne(来週までに)」と使い分けることができるのである。

 厄介なのは、名詞のような副詞のような時間を表す言葉で、「dnes(今日)」「včera(昨日)」あたりは、意識が強いのか、「od」と「do」を付けるために特別な名詞を使うことになる。一格では、いや二格以外ではほとんど使うことのない「dnešek」「včerejšek」に、「od」と「do」をつけて、「ode dneška(今日から)」「do včerejška(昨日まで)」としなければならない。明日とか、月曜日、火曜日なんかもこの手の特別な名詞を使うことがある。
 それに対して、「ráno(朝)」「večer(夕方)」は、そのまま使って、「od rána」「do večera」になるから、よくわからない。まあ「předevčírem(一昨日)」「pozítří(明後日)」になると、正直お手上げなので、それに比べればマシと言えばましである。

 チェコ語に対する大きな不満の一つが、日本語では普通に使える「一年前まで」とか「百年後から」という表現ができないところである。チェコ語では「前」も「まで」も前置詞で処理するため、前置詞を重ねることができない以上、「去年まで」とか「2118年から」という微妙に意味の変わってしまう表現を使うしかないのである。「後までに」は、「以内に」と意味はほぼ同じだから、「do」を使って何とか処理できるけど、「に」のない「後まで」は厄介かな。ちょっと思いつかない。

 前置詞だけでもあと二つ三つ紹介しておきたいので、もう一回続く。次のまで行くと長くなりすぎそうなので、一度ここでお仕舞である。
2018年1月16日22時。








2018年01月20日

センザツェその2(正月十七日)



 デンマークに勝った喜びのあまり、前回の二日前の記事ではセンザツェの意味を説明するのを忘れていた。チェコ語の名詞の語尾の「ザツェ」は、日本語のカタカナ外来語の「ゼーション」に相当する。オーガニゼーションはオルガニザツェになるし、グローバリゼーションはグロバリザツェになる。だから、チェコ語のセンザツェは、センセーションということになるのだけど、日本語での使い方と一致しているかどうかはちょっと確信が持てない。
 チェコではスポーツの世界で、格上の相手を倒したとき、いわば大金星を挙げたときによく使われる表現で、十二月の女子の世界選手権でチェコ代表がルーマニアを破って準々決勝に進出した試合も、チェのスポーツ新聞ではセンザツェと評されていたけれども、衝撃としては、デンマークに勝った男子のほうが大きかった。女子はまだクネドリーコバーとかルズモバーとか、チャンピオンズリーグで活躍できている選手もいるわけだし、チェコのチームもチャンピオンズリーグの一つ下のカップ戦ではそれなりに活躍できているし。

 代表のマネージャーを務めていた元代表のカレル・ノツァルは、デンマークとの試合を、チェコの選手たちが棒切れを持ってデンマークの戦車に挑むような試合だったんだと、それはちょっと言いすぎなんじゃないかと思うようなコメントを残していたが、それぐらい喜びが大きかったのだろう。監督のクベシュも試合の終盤、逆転してからは体が震えっぱなしだったと言っていたし。

 そんなデンマーク戦での勝利を無駄にしないためにも、ハンガリーには勝たなければいけなかった。負けてしまえばグループステージで敗退の可能性が高くなる。デンマークがスペインに負けてくれれば、チェコは負けても次のステージに進める可能性はあるのだが、スペインが勝つ保証はない。しかもデンマーク―スペインの試合はチェコの試合の後に行なわれるのである。
 ハンガリーもハンドボール界では大国のひとつで、チェコよりも格上であることは間違いない。ハンガリーのチームでプレーするカシュパーレクは、ハンガリーの選手たちはチェコの選手を誰一人知らず、ハンガリーにとってチェコは無名のチームだなんてことを言っていた。デンマークに勝ったチェコを過小評価して油断するということはないだろうけれども、改めて大会前にチェコチームの監督たちが言っていた、われわれはアウトサイダーなんだという言葉の意味が理解できた。グループDで脱落するのはチェコしかないと、ヨーロッパ中で思われていたのだろう。

 今回は6時15分からの試合だったので、早めに帰宅してネット中継では見られないことを改めて確認したあと、スコアの推移を確認できるページに移る。試合開始直後だったがすでに0−2で負けていた。スペイン戦とは違って点差はそれ以上広がらなかったが、常に追いかける展開が続いた。これは勝てたとしてもデンマークとの試合と同じように後半逆転するというパターンかと思っていたら、前半の半ば過ぎに逆転に成功し、一時は5点差まで点差を広げ、最終的には4点リードで前半を終了した。またガリアのスーパーセーブが飛び出したに違いない。

 後半に入ると、どうも速攻連発の点の取り合いになったようで、点差が縮まったり広がったり大きく揺れていた。それでも一番縮められたときで2点差、一番広がって6点差だったので、同点になることはあっても負けることはあるまいと安心して経過を追うことができた。会場で見ていたら違っていたのだろうけど、スコアをずっとにらんでいたわけではなく、さっき2点差まで縮まったけど今は4点差とかいう感じだったのだ。
 最終的には33−27と6点差での勝利。勝つとしても大接戦だろうと思っていただけに、思わずまたこんな記事を書いてしまった。テレビで見られないのが悲しすぎる。チェコテレビが次のステージの放映権を獲得して放送してくれないかなあ。録画放送でもいいんだけどさ。SPORT1がネット上で視聴できるようにしてくれてるというのは、有料チャンネルだけに難しいだろうなあ。

 この試合で大活躍だったのが、スイスのサンクトガレンでプレーするベテランのズドラーハラで、一試合でなんと14得点を挙げて、グループステージ終了時点で得点王である。本人は自分ひとりの力ではなく後ろにチームのメンバーたちがいたからこそ、これだけの力を発揮できたのだとか、我々は一人のスーパースターのチームではなく、全員で戦うチームなんだと、だからスペイン戦で残パパいしたあと立て直せたんだと強調していた。
 監督たちも個々の選手たちが、自分の限界を超えるようなプレーを二試合続けてしてくれ、限界を超えられたのはやはりチーム全体で戦っているからなんだと選手たちを手放しで褒めていた。アウトサイダーだと目されていたのが悔しかったのか、ことあるごとに繰り返している。チェコチームには個々の選手を見るとアウトサイダーだけど、チーム全体で見ると侮れない存在を目指してほしいところだ。イーハたちが健在の時代だって決してヨーロッパの強豪国とはみなされていなかったのだから。

 夜のデンマークとスペインの試合は、デンマークが奮起したのか終始リードを保った展開で、25−22の3点差で勝利した。その結果、3チームが勝ち点4で並び、当該3チームの対戦成績、この場合は得失点差で、スペインに17点差でまけ、デンマークに1点差で勝ったチェコ代表は、−16ということになり、3位に沈んだ。しかしそんなことはどうでもいいのである。二次グループへ進出できたことには変わりないのだから。

 さて、次である。ヨーロッパ選手権のフォーマットはちょっと特殊で、第二ラウンドには各グループの上位三チームが進出し、AとB、CとDと二グループごとにまとめて二次グループを作る。一次グループでの対戦成績は持ち越すので(敗退チームとの対戦成績は持ち越されない)、別グループに入っていた3チームと対戦することになる。チェコ代表は、デンマークに勝っているので勝ち点2を持って二次グループに進出した。
 対戦相手は、ドイツ、マケドニア、スロベニアの3チーム。ドイツとは最低でも善戦はできるだろう。ドイツのハンドボールも北欧チーム的なきれいなハンドボールだから、チェコのチームとはかみ合う。あとは中一日でどれだけ疲労が快復し、デンマーク戦、ハンガリー戦の限界ぎりぎりのプレーを再現できるかどうかである。

 一番いやなのがチェコが苦手のバルカンハンドボールのマケドニアだろう。会場がこれもバルカンの一画クロアチアだということを考えると苦しい試合になりそうである。スロベニアはハンガリーと同じくバルカンの入り口だけど、ハプスブルクの支配下にあった時代も長いし、そこまでバルカンのハンドボールにはならないと信じたい。
 この三試合を二勝一敗でいければ、上位二チームが進出する準決勝にたどり着けないかなあ。このグループ、マケドニアが3、スロベニアが1になっている以外は、4チームが勝ち点2で並んでいるから、何とかならんかなあ。一番いいのは三連勝だろうけど、そこまでの夢は見切れない。いや、当初の予想では一次グループを勝ち抜けるのも無理だろうと言われていたのだから、あと三試合、見られないけれども応援できることを喜ぼう。
2018年1月18日12時。



 今日のドイツ戦は、終盤に逆転されて負けてしまった。残念。1月19日追記。




2018年01月19日

二格の使い方2(正月十六日)



 続いて、後ろから「の」の意味で使うのと似ている二格の使い方から説明をすると、名詞の前に、「たくさん(mnoho)」「少ない(málo)」などの日本語では副詞だったり、形容詞だったりするけれども、チェコ語では量の多少を示す副詞(数詞扱いかも)が来たときに後ろに来る名詞は、原則として複数二格になる。ただし、複数では使えない数えられない名詞に関しては、単数の二格を使うし、格変化させて三格、六格、七格にする場合には、二格にはならない。つまりは一、二、四、五格の場合には、全部二格になるということである。五格は使わないだろうけど。

 なので、「たくさんの学生がいる」という場合には、学生を複数の二格にして「studentů」をつかうのである。一格と四格の場合は次の通りになる。
  Je mnoho studentů.(一格)
  Máme mnoho studentů. (四格)

 気を付けなければならないのは、語順を入れ替えた結果、名詞と副詞が生き別れになって、日本語的には「学生が多い」と主語述語の関係になりそうなものも、動詞が間に挟まるのに複数二格になってしまうことだ。
  Studentů je mnoho.(一格)
  Studentů máme mnoho.(四格)

 もう一つ注意すべきことは、「たくさんの学生」を一格で使うと、単数中性扱いになるということである。これ慣れるまでは大変なので、いや慣れても大変なので、最初のうちから気を付けるようにしておいた方がいい。たくさんだから一つじゃないはずなのに単数扱いで、名詞が女性でも男性でも中性になる。あらゆる場面でこんないい加減さを発揮してくれたら、日本人には使いやすくなるのだけど、なかなかそんなわけにもいかない。

 というわけで、上の一格の例を過去の文にすると、
  Bylo mnoho studentů.
  Studentů bylo mnoho.

 二格で、「たくさんの学生」を使おうと思ったら、前置詞を使うか、二格をとる動詞を使うかするしかないので、後でまとめて説明する。ただ、その場合「mnoho」も二格にして「mnoha」になるというのだけは覚えておこう。「málo」も「mála」ね。

 ちなみに、複数にならない名詞としては、水とかビールなんかが挙げられて、レストランで注文するときには、普通の数詞ではなくて「dvakrát」を使わなければならないなんてことを勉強するわけだけれども、実際には普通に「dvě piva」なんて言い方をするんだよね。それはともかく、「水が少し」と言いたいときには、「málo vody」と単数の二格を使うはずである。

 量の多少を表す言葉の後ろが複数二格になるのと同様に、数詞の後ろも複数二格になって全体としては単数扱いになる。ただし、1の後ろは単数で単数の格変化をし、2、3、4の後ろは複数が来て普通に複数の格変化をさせる。「mnoho」「málo」などと同じ扱いになるのは、5以上の数詞を使う場合である。これからチェコ語では5以上をたくさんとみなすんだなんてことを言ってみたことがあるけれども、それは冗談だということにしておく。

 同様に「五人の友達がいる」なんてのをチェコ語にしてみよう。
  Je pět studentů.(一格)
  Máme pět studentů. (四格)

 語順を入れかえることももちろん可能である。
  Studentů je pět.(一格)
  Studentů máme pět.(四格)

 この5以上の数詞と数量の多少を表す副詞と組み合わせて名詞を使う場合に、直接している場合は問題ない。離れていてもここに挙げた例のように短い単語が入っているだけなら、複数ではなく中性単数扱いになるというのも何とか対応できる。ただ、語順をあれこれいじって、間に長めの連体修飾節が入ったりすると、名詞と数詞、そして動詞の人称変化形がばらばらになってしまうことがある。

 具体的な例を挙げると、「十人の友達がうちに来た」という文を頭の中で考えてチェコ語にする際には、最初に「deset kamarádů」が出てくるので、動詞の過去を三人称単数にするのも問題なくできる。いや、気をつけていればすぐできるようになる。
  Deset kamarádů přišlo ke mně domů.

 これに、時間を表す「昨日」なんかを加えても、日本語では動詞より前に、数詞と名詞が出てくるから対応はできなくはない。
  Včera přišlo ke mně domů deset kamarádů.

 しかし、これを日本語で「昨日うちに来た友達は十人だった」とちょっとややこしい言い方にすると間違えることが増える。人数を意識する前に、「昨日うちに来た友達」の部分をチェコ語にすると、友達が一人ではなかった場合には、複数であることを意識して、
  Kamarádi, kteří přišli včera ke mně domů,

 と文を始めてしまう。そして十人で三人称単数扱いになるからと数を意識した結果、文頭と文末の平仄が合わなくなってしまう。
  Kamarádi, kteří přišli včera ke mně domů, bylo deset.

 正しくは、最初の「kamarád」を複数一格ではなく、二格にしなければならないのである。
  Kamarádů, kteří přišli včera ke mně domů, bylo deset.

 書くときには後でチェックしたりして修正できることも多いのだけど、思いついた順番にしゃべっているときには、途中で数を意識したり、その数を変えたりして、名詞と数詞、動詞の平仄が合わなくなって、それに気づいて混乱してしどろもどろになってしまうことも多い。一番の対処法は、間違いに気づいても気づかないふりで、修正なんぞ考えもしないで話し続けることだと言うと師匠に怒られるかな。

 チェコ語で数を言いたいときには、まず数を決めてから話し始める必要があって、途中でその数を変えてはいけないということを教訓にしておこう。一番いいのは格変化も厄介な数詞は使わないことなんだけど、そうもいかないのである。
2018年1月16日23時。







2018年01月18日

センザツェ(正月十五日)



 どうしてチェコテレビが放送してくれないのだろうと恨み言を言いたくなるのが、クロアチアで開催されている男子ハンドボールのヨーロッパ選手権である。十二月の女子の世界選手権は放送してくれたのだから、期待していたのだけど……。

 昨年の夏に、長年チェコのハンドボールの屋台骨を支えてきたイーハが、代表のみならず選手としてのキャリアを終わらせ、このヨーロッパ選手権に出場する可能性が消えた。10月か11月にはチェコハンドボール協会で内紛が起こり、会長が辞任するとともに、代表チームのマネージャーを勤めていたノツァルも代表から身を引いた。そして、12月にはイーハなきチェコ代表の攻撃の中心、得点源ではなく司令塔として攻撃を指揮するはずだったババークが、ドイツリーグの試合で怪我をして出場が絶望的になった。
 男子代表を巡る状況はあまりいいものではなく、あまり期待はできそうにないという印象を持っていたので、いつもなら始まる前から注目しているところを、今回はいつ始まるかの確認もしておらず始まってから気づくというていたらくだった。しかも、初戦のスペイン戦がまれに見る大惨敗に終わったから、やはり今回のチェコ代表は勝てそうもないと悲観的になってしまった。

 スペインとの試合も、前半はまだましだったのだ。EHFのネット上の中継で、チェコ国内からは視聴できないことに気づいて、賭けの会社がやっている得点経過だけは確認できるページを開いたら、前半の10分過ぎぐらいだったと思うけれども、5点差で負けていた。そこからずるずる点差を開かれることなく、踏みとどまって前半終了時は、9−16と7点差で留めたのだ。
 前半でこれだけ点差が開いたら、後半スペインもペースを落とすだろうし、チェコは後半に追い上げることが多いから(希望的観測だけど)、点差はつまるだろうと考えていたのだが、後半に入ると点差は開く一方で、最終的には、15−32という17点差の大敗を喫してしまった。何よりも問題だったのは、後半30分で7点しか取れないという攻撃力で、実際のプレーを見たわけではないので、この時点では、ババークの穴を埋めるような選手は出てこなかったのだろうと考えていた。

 後で確認したら、久々の2m級のセンタープレーヤー、若手のカシュパーレクが、大きな大会の最初の試合だというのに臆することなくプレーして、チーム全体の三分の一、つまり五得点をあげたのが唯一の救いになっていた。去年から代表に呼ばれるようになったばかりだというのに頼もしい限りである。今後はイーハの後継者を目指してほしい。2m級のセンターとしては、もう一人カサルも今大会に出場しているのだが、若くして国外に出た弊害か、期待に応えるような成績は残せていないのである。この試合も無得点じゃなかったかな。

 そして今日の二試合目、デンマークとの試合を迎えるわけだが、デンマークは一昨年のリオ・オリンピックで優勝したチームである。スペインに大敗したチームが勝つことは期待できそうになく、二試合連続の大敗だけはしてくれるなというのが大方の希望だったはずである。望みがあるとすれば、デンマークなどの北欧チームの端正なハンドボールは、チェコチームのハンドボールとかみ合いやすいことで、スペインとは相性が悪かったと考えれば、デンマーク相手なら試合終盤まで勝利の可能性を感じさてくれるのではないかと密かに期待していた。勝ってほしいととは思っていたけれども、それが可能だとは思えなかった。
 前半は最大で3点さをつけられたけれども、何とか食らいつき一時は逆転に成功する。ゴールキーパーのマルティン・ガリアが、スーパーがつくようなセーブを連発し始めていたようだ。ただ、点差を開くことができずに再度逆転され、15−16の一点差負けで前半が終わった。スペイン戦とは段違いの大健闘である。

 後半に入ってもリードされる展開が続き、再び3点差まで開かれるのだけど、この日のガリアは神がかっていて、速攻からの一対一もとめ、ペナルティもとめ、守備陣とともにデンマークの攻撃を押さえ込むことに成功する。終盤、残り5分ぐらいでチェコが逆転に成功すると、再度の逆転は許さず、最後は二人退場という状態だったのに、ガリアがほぼフリーのシュートをとめて、28−27で勝ってしまった。デンマークの得点を後半は11点に押さえ込んだのだから守備の勝利だと言っていいだろう。
 この試合でガリアは合わせて17本のシュートをセーブし、そのうちの11本の様子が、EHFのネット中継のページで公開されているこの試合のベスト・アクションというビデオに紹介されている。チェコ代表がデンマークのような格上の強豪に勝つためには、キーパーの大活躍が欠かせないのだ。

 この試合でもカシュパーレクが5得点と活躍したのが、将来に向けての楽しみである。攻撃ではズドラーハラ、守備ではホラークという両ベテランが大活躍だったようだし、今のチェコチームは若手から大ベテランまで一つのチームとしてまとまって戦えているのが勝因なんだという選手たちの言葉には説得力がある。イーハの引退後、世界的なスター選手はいないくなり、ドイツあたりのビッグクラブの選手もいない。チェコリーグの若手までいるというチーム構成で、世界的な選手が何人もいるデンマークと互角の試合を展開し、最後に図ってしまうのだから脱帽するしかない。

 フィリップとクベシュが選手を引退してすぐの時期に代表の監督に就任したことを、監督経験のない人間にまかれるなんてと批判する声があちこちから上がっていたけれども、今いる選手たちで、しかもババークを欠いて、これだけのチームを作り上げる手腕を見せられたら、批判できる人はいるまい。将来は指導者の道を歩み始めたらしいイーハにもこのチームに加わって、カシュパーレクをイーハ自身のような強靭なセンタープレーヤーとして育て上げてほしいところである。

 明後日のハンガリー戦の結果次第では、グループステージで敗退という可能性もないわけではないのだが、デンマークに勝ったこのチームなら負けることはないだろうと信じて、得点経過を真面目に追いかけて一喜一憂しようと思う。もし負けてしまったら、EHFでチェコとデンマークの試合の試合を見て感動に浸ることにする。

2018年1月16日10時。


 勝った、勝った、今日も勝った。1月17日追記。





2018年01月17日

名詞の二格の使い方1(正月十四日)



 頂いたコメントを読んでいて、格の説明をちゃんとしていないことに気づいた。日本語の「テニヲハ」のようなものだとは書いた記憶があるけれども、細かい使い方については放置していたなあ。ということで、まずは沙矢香さんが、「格の勉強を始めた時、2格は所属や所有を示す、と説明文がありましたので、私の頭では「英語で言うmy your his her their と似てるかな?」と思っていたのですが、まさかの「můj moje tvůj tvoje」の存在、更にそれらにも格変化がある」と嘆いている二格から。
 説明にあったという名詞の「2格は所属や所有を示す」というのは、確かにその通りで、うまく使えれば便利な機能ではあるのだけど、一般的にどんな名詞でもどんな状況でも使えるというものでもない。所属や所有を表す日本語の助詞「の」をチェコ語で表現するときには、形容詞にしてしまうことが多いのである。例えば日本は、Japonskoだが、「日本の」は、二格のJaponskaではなく、形容詞の「japonský」を使うことのほうが多い。

 人名などの固有名詞からも、特別な所有を示す形容詞のようなものを作ることができる。例えば、「Karlova Univerzita(カレル大学)」、「Karlovy Vary(カルロビ・バリ)」はカレル4世にちなむ名前だが、最初の単語、「Karlova」と「Karlovy」は、「Karel」から作られた形容詞のようなもので、それぞれ女性名詞単数一格、男性名詞複数一格につけるときの形である。
 それから人称代名詞の二格も、「の」を表すのに使われることはない。「můj/moje/tvůj/tvoje」などのこちらも所有を表す形容詞めいた言葉が存在して、形容詞同様に格変化する。言ってみれば「můj」は英語の「my」と同じように考えてもいいけれども、格変化があるとというところなのだ。昔、「誰の」と言おうとして、一生懸命考えた上で、「kdo」の二格、「koho」を使ったら、そういうときには、「čí」を使うんだと言われてげんなりしたことがある。

 ではどんなときに二格を「の」の意味で使わなければならないかと言うと、ひとつは形容詞型の名詞である。特に形容詞型の名字は多く、これから所有を表す形容詞を作ることはできないために、二格が使われる。ここで注意しなければいけないことは、名詞の二格は前ではなく後ろに持っていかなければならないということだ。オロモウツにある大学は、パラツキー大学だが、略称UP、つまり「Univerzita Palackého」となるのである。ただし、古い用法だと形容詞型の名詞の二格を前からかけることもないわけではないらしい。
 もう一つ、二格にして後ろから賭けなければいけないのは、姓名のように二つ以上の名詞、もしくは形容詞+名詞でできている名詞節に「の」を付けたい場合である。日本語に訳すと「の」はつかないけれども、プラハのルジニェにある飛行場は、バーツラフ・ハベル空港という名前が付けられたが、チェコ語では姓名は二格で後からかけて、「Letiště Václava Havla」となるのである。チェコ共和国の首相も、同様に「premiér České republiky」となる。

 形容詞型でも二つ以上の言葉の組み合わせでもない場合、つまり普通の名詞を二格にして後ろからかけて「の」の意味で使うこともあるけれども、自分で使うのは、「の」を付けたい名詞から作られる形容詞が思いつかない場合、単数と複数を区別する名詞で複数に「の」を付けたい場合ぐらいでいい。後者の例としては、チャンピオンズリーグは、チェコ語では、チャンピオンを表す「mistr」を複数二格にして「Liga Mistrů」というのを挙げておこう。
 それから、何とか省、かんとか庁という役所、役職の名称は、一単語でも後ろから二格でかけることが多いか。「ministerstvo obrany(防衛省)」「úřad práce(労働局)」とかね。それから「mluvčí prezidenta(大統領広報官)」なんてのは、オフチャーチェクって名字と一緒に覚えておいても損はないかも。そして総理大臣は、「premiér」という言葉があるのに、「předseda vlády」、直訳すれば「政府の議長」なんて表現も使われる。

 この名詞を二格にして後ろからかけて、日本語の「の」のように使うのは、形容詞の格変化を覚えていないとき、思い出せないときなんかには重宝するから、使えるようになるのはいいことなのだけど、日本的な「の」の連続する文でこれをやると、チェコ語では日本語以上に意味不明になりそうなので注意が必要である。日本語では単に「の」で済ませるようなものでも、前置詞を使って処理した方がよかったりすることも多いしさ。

 ただ、スポーツやイベントの世界では、チェコ語の伝統的な二格にして後ろからという手法が、英語の順番に並べるという手法に浸食されていて、チェコのサッカーリーグの一部は、長らくスポンサーを務めるピルスナー・ウルクエル社のビールのブランドであるガンブリヌスの名をとって、「Gambrinus liga」と名付けられていた。スパルタの本拠地スタジアムの命名権を日本のトヨタが購入していた時期は、「トヨタ・アレーナ」なんて呼ばれていたし、この手のチェコ語の文法にうるさいチェコ人にとっては許容できないような語法がはびこりつつある。
 一番ひどくて何がなんだかわけがわからなかったのは、アイスホッケーのプレーオフだっただろうか、プレーオフだけのスポンサーがついたため、「スポンサー名(一格)・プレーオフ・スポンサー名(1格)・エクストラリギ(2格)」という並びになっていたかな。スポンサー名は適当に再現してみると、「ジェネラリ・プレーオフ・ティップスポルト・エクストラリギ」とか何とかで、耳を疑ったことがある。途中に「ホケヨベー(ホッケーの形容詞の二格)」も入ったかな。

 この2格、特に日本語の「の」のように使う二格は、便利だけど奥が深いのだよ。とにかく日本語で前に来る名詞が、チェコ語では後ろに行くというのだけは、しっかり覚えておいた方がいい。他の二格の使い方に関しては、また明日。
2018年1月15日16時。


 動詞を名詞化した場合に、後に名詞を二格でつけるという使い方もあったなあ。
  sestavit vládu(組閣する)→ sestavení vlády(組閣)
 動詞とともに四格で使う名詞を二格にすることが多いかな。1月16日追記。








2018年01月16日

大統領選挙開票(正月十三日)



 土曜日は午後二時までが投票時間で、その後即時即刻、その場で、つまり各投票所で開票作業が始まる。開票作業が全て終わった投票所のデータは、統計局の選挙管理の部署に送られ順次集計され得票数と得票率が公表されていく。チェコテレビの選挙速報番組も、午後二時から始まり、統計局の発表するデータを順次紹介しながら、選挙に対してさまざまな分析を加えていくと言うスタイルをとる。
 開票作業がすぐに終わるのは、投票数の少ない投票所なので、最初に集計されるのは田舎の人口の少ない地域の票で、最後に加算されるのが大都市、特にプラハの投票所の開票結果である。ということは、地方ので強いゼマン大統領は、最初に公表される結果から徐々に得票率を減らしていくことになり、プラハで支持を集めそうな、他の候補者達は徐々に得票率が上がっていくことが最初から想定できる。

 当初の予定では、二時からバーツラフ・モラベツが司会をするチェコテレビの選挙特番にチャンネルを合わせるつもりだったのだけど、昼食を食べた直後ぐらいにクロアチアで行なわれるハンドボールのヨーロッパ選手権がいつの間にか開幕していることに気づいてしまい、しかも今日チェコ代表の緒戦が行われるというので、その中継の情報を集め始めて、選挙のことはすっかり忘れてしまった。
 ハンドボールのほうは、チェコではSPORT1というチャンネルで放送するというのだけど、うちでは見ることができず、チェコのハンドボール協会のHPで紹介されていたEHFのネット中継用のページでは、チェコからの視聴は不可になっていた。他の試合は見られるのだけれども、チェコ代表の試合は放映権料を払って中継するテレビ局があるから駄目だということのようで、結局映像は見ることができなかった。優勝候補の一角スペインとの一戦はダブルスコアの大惨敗だったようだから、精神衛生上は見なくて正解だったかもしれない。

 さて、肝心の大統領選挙の結果だけれども、うちのが選挙から返ってきた三時過ぎにチャンネルを合わせることになった。その時点で結果は大方の予想通り、ゼマン大統領が一位、ドラホシュ氏が大差の二位というものだった。ゼマン氏の得票率は40パーセントちょっとで、これから大都市の開票が進むことを考えると、一回目の投票で当選が決まるという可能性はなくなっていた。同時にドラホシュ氏がゼマン氏を逆転するのは、いかにプラハの票が多く、ドラホシュ氏への支持率が高いといっても、ありえないことも明らかだった。この時点で、ゼマン氏とドラホシュ氏が決選投票に進出することが事実上決定していた。

 結局ゼマン大統領の得票率は、38.5パーセントぐらいまで下がり、ドラホシュ氏は26.5パーセントほどまで伸ばした。その差は12パーセント弱で、五年前のゼマン氏とシュバルツェンベルク詩の差が1パーセント弱しかなかったことを考えると、逆転は難しそうな大差である。ただ今回は、前回とは違って、一回目の投票で敗退した候補者達の多くが、ドラホシュ氏を支持することを明言し、ホラーチェク氏にいたっては、自分が大金を出して確保したポスター掲示用の大看板をすべてドラホシュ氏に無償で使ってもらうように提供すると申し出ている。この反ゼマン連合が十分に機能するようであれば、ドラホシュ大統領が誕生する可能性はなくはない。

 一方で、ゼマン大統領側は、一回目の投票を前に、現職の大統領は選挙の結果がどうあれ決選投票に進出できることになっているというデマがかなり広まったために、ゼマン大統領支持者の中には、選挙に行かなかった人たちがかなりの数いるはずだなんてことを主張している。それがなければ50パーセントを越えて一回目の投票で当選が決まっていたはずだとまでは主張していないけれども、二回目に向けて、他の候補者の指示はなくても表の上積みはできるという主張なのかもしれない。

 三位以下の結果で意外だったのは、ホラーチェク氏の得票が伸びなかったことだ。知名度ではゼマン大統領、トポラーネク元首相に次ぐ三番手と言ってもいいような存在だったのだが、賭けの会社のフォルトルナの創設者で大金持ちであるという経歴が、反バビシュでもある反ゼマン派の支持を集めきれない原因になっていたのかもしれない。結局9パーセント強の得票で全体で四位ということになった。

 三位に入ったのは、選挙期間が始まった頃には予想もされていなかったフィシェル氏で、前回の選挙でもフィシェル氏が三位に入っているけれども、あちらは元暫定首相のヤン・フィシェル氏で、こちらは元駐フランスチェコ大使のパベル・フィシェル氏である。苗字のつづりはどちらもドイツ語風で同じようだけど特に親戚とかいうことはなさそうである。この人の選挙運動もそれほど大々的なものではなく、テレビの討論番組でも、ものすごく目立っていたわけではないけれども、堅実な回答で支持者を増やしたようだ。今後どうする予定なのかは知らないが、次の大統領選挙では有力候補として戦えるような立場を築けたのではないだろうか。

 五位には、当初は全く無名で一般市民からの書名で立候補を目指したものの数を集められず、急遽国会議員の署名を集めて立候補したヒルシュル氏が入った。選挙と特別番組によると、海賊党が支持を表明したわけではないけれども、海賊党支持者が最も多く票を投じたのがヒルシュル氏だったらしい。全くの無名からホラーチェク氏に迫る9パーセント弱の票を獲得するところまで来たのだから、選挙運動は大成功だったと言っていいだろう。

 そして、一時は決選投票に進むのではないかという予測も出たトポラーネク氏は予想以上に伸びず、4パーセント強と、5パーセントにも届かず6位に終わった。首相を務めていた頃も決して人気の高い政治家とはいえなかったのだから、順当な結果だったと言える。むしろ理解できないのは、しばしば見かけたトポラーネク氏を有力候補とみる見解のほうである。

 残りの三人の候補者は、ヒネク氏は1パーセントの壁を越えたものの、ハニク氏とクルハーネク氏はともに0.5パーセント前後に終わった。前回はここまで得票数の少ない候補者は居なかったと思うのだけど……。

 決選投票まで二週間、またゼマン大統領で決まりだろうという諦めは消え、今回は大統領が負けるかも知れないという期待もなくはない。ただドラホシュ氏が勝った場合に、一回目の選挙であんなに差が付いていたのにという選挙の結果を疑問視する声も上がりそうだなあ。
2018年1月14日17時。







2018年01月15日

大統領選挙投票開始(正月十二日)



 大統領選挙の一回目の投票がこの金曜日の午後から始まった。原則として登録されてた現住所に基づいて投票所が決められるので、うちのも実家まで投票しに帰った。事前に住所のある町の役場で手続きをすれば、チェコ国内であればどの投票所ででも投票できる証明書を発行してもらえるようだが、平日の昼間に出かけなければならないことを考えると、金曜の午後から土曜にかけて帰る方が現実的らしい。
 今回の選挙に関しては、どうせ現職のゼマン大統領が再選を果たすだろうと、半ば諦めていたのだが、最近の世論調査の結果によると、一回目の投票でゼマン大統領が一位になるのはほぼ間違いないけれども、得票率が50パーセントを超えず二回目の決選投票が行われた場合、進出するのがドラホシュ氏かホラーチェク氏であれば、ゼマン氏に勝つ可能性もあるらしい。その調査の信憑性はともかくとして、前回のシュバルツェンベルク氏ぐらいは戦える対立候補が二回目に進むといいのだけど。

 ゼマン大統領は、大統領選挙のための選挙運動は行なわないとして、テレビやラジオの候補者たちによる討論番組への出席さえ断っているが、現職の大統領としての公務と称してチェコ国内をあちこち訪問しているので、それが実質的な選挙運動になっているところがある。
 それに、道路わきの広告スペースにゼマン大統領に投票することを呼びかけるような広告が貼られているのをしばしば目にする。これはゼマン氏本人の選挙運動ではなく、ゼマン支持者たちが、恐らくゼマン氏の許可は得ているだろうけれども、独自に自分たちの考えでお金を出して張り出したものだという。これを放置して、もしくは許可しておいて自分は選挙運動はしていないというのは、無理があるような気がする。

 チェコの選挙制度は、大金持ちに有利な制度になっている。それは票の買収が行われるという意味ではなく(買収が行われる場合に応じるような人たちは、100コルナでも応じかねないらしいから特に大金持ちである必要なない)、選挙運動のためのポスターを貼るスペースを自分で確保しなければならないという点においてである。
 今回の大統領選挙でも、有志が手配したとされるゼマン大統領、ドラホシュ氏、ホラーチェク氏という三人の早くから立候補を表明して、資金的にも余裕のあった候補者と、元首相で知名度と集金力はあるトポラーネク氏は、道路沿いのビルボードと呼ばれる大看板に支持を求める巨大なポスターを掲示できていたが、それ以外の候補者の、弱小とみなされる候補者のポスターは、街中のイベントを紹介する掲示板にひっそりと貼られているのを見かけたことしかない。ポスター自体見かけたことのない候補者もいるかもしれない。

 ということで、もともと知名度の低い候補者は、なかなか知名度を上げられないという状況だったのだが、それを救ったのがテレビだった。公共放送のチェコテレビ以外でも、チェコ人の選挙好きを考えれば視聴率が取れると考えたのか、民放でも候補者を呼んで討論番組を放送していた。その手の番組で意外とというと申し訳ないけれども、活躍をして評価を上げたのが、元外交官ではべる大統領の補佐をしていたこともあるというフィシェル氏だった。
 月曜日に、選挙前最後に公表された世論調査の結果でも、当初は十把ひとからげに扱われていた弱小候補のグループから抜け出し、トポラーネク氏を上回り三位のホラーチェク氏に迫る勢いを見せていたのだが、木曜日のチェコテレビで行われた最後の討論番組でも、ちら見、ちら聞きしていた中では、一番説得力のある発言をしていたように感じられた。正直、現時点で二番手と目されているドラホシュ氏よりも、この人が先に立候補を表明して反ゼマン派の支持を集めることができていたら、勝ち目が大きかったのではないかと考えてしまった。

 もう一人、予想外の好印象を残していそうなのが、医師のヒルシュル氏なのだが、こちらは政見に対する評価と言うよりも、現時点では若さと、見た目、言動のさわやかさによって支持を集めている印象である。この人が将来本当の意味で大統領候補になれるかどうかは、知名度がある程度上がったこれからの行動によるのだろう。

 この大統領選挙の一回目の投票に際して、各政党の対応はばらばらである。ゼマン大統領支持を全面的に打ち出したのが、バビシュ党のANO(党員に対して公式に指示を出したかどうかは不明)と、党大会にゼマン大統領を招待したオカムラ党ことSPDで、反ゼマンでドラホシュ支持を表明したのが、キリスト教民主同盟と市長無所属連合の二つである。ただし、ゼマン大統領もドラホシュ氏も、政党に対して支持を求めたわけではないようである。
 他の政党は、政党として候補者を立てたわけではないのだから、党として公式にどの候補者を支持するかを決めることはできないとしているが、共産党はゼマン大統領よりで、市民民主党、TOP09がドラホシュ氏支持なのは、明らかな話である。本当に支持する候補を決めないのではなく、決められないのが社会民主党で、現在の執行部は反ゼマンの色が強いようだが、党員の中には、国会議員も含めてゼマン支持者が一定数いるはずである。

 ということで、第一回目の投票の焦点は、ゼマン大統領が50パーセント以上の得票で当選を決めてしまうかどうかと、誰が二番手で決選投票に進むかという二点に絞られている。二番手としては本命はドラホシュ氏、対抗がホラーチェク氏、穴がフィシェル氏というところだろうか。この記事を載せるころには結果が出ているはずだけれど、それほど予想から外れた結果にはならないと思う。
2018年1月13日15時。










プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]