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2019年07月12日

猿田彦と庚申塔


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サルタヒコノカミ(猿田彦命)は、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が高千穂に降臨する際、道案内を務めたことから行路の安全を守る神、道祖神≠ニして祭られています。


道祖神は路傍の神様で、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀(まつ)られます。村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されています。


延岡市など宮崎県北部では特に、庚申(こうしん)塔に「猿田彦大神」と書いたものが散見されます。


以前、祝子地区の庚申塔を調査した際には、大きく分けて3種類の庚申塔があることが分かりました。一つは碑文に「猿田彦大神」と書かれたもの、もう一つは碑文に「奉待庚申」とあるもの、三つ目が「青面金剛(しょうめんこんごう)」を描いたものでした。


では、この「庚申塔」とはどんな存在なんでしょうか。


陰陽五行説


「庚申塔」は、中国の陰陽五行説に基づく庚申信仰≠ノちなむものです。


五行とは、木(もく)、火(か)、土(ど)、金(ごん)、水(すい)で、その下に十干十二支がきます。


十干は甲(こう、音読み=きのえ)、乙(おつ、音読み=きのと)、丙(へい、音読み=ひのえ)、丁(てい、音読み=ひのと)、戊(ぼ、音読み=つちのえ)、己(き、音読み=つちのと)、庚(こう、音読み=かのえ)、辛(しん、音読み=かのと)、壬(じん、音読み=みずのえ)、癸(き、音読み=みずのと)。


十二支は皆さんご存じの子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)です。


干支の組み合わせには陰と陽があり、十干では音読みの語尾の「え」が陽、「と」が陰になります。


十干の音読みは、五行にくっついたもので、「きのえ」(甲)は「木の陽」、「きのと」(乙)は「木の陰」、「ひのえ」(丙)は「火の陽」、「ひのと」(丁)は「火の陰」という意味です。


昔の人は、これらの組み合わせで年、月、日を表していました。日本史で習った壬申(じんしん)≠フ乱、戊申(ぼしん)$争や、丙午(ひのえ・うま)$カまれ――などがその例です。


干支の組み合わせは「十干×十二支」の120通りある計算になりますが、十干と同じように十二支にも陰と陽があるため、組み合わせは半分の60通りになります。


よく「あなたの干支(えと)は何ですか?」と聞かれ、「亥(いのしし、い)年です」などと答えるのは、正確には誤りです。「己亥(つちのと・い)年の生まれです」というのが本当でしょうが、今日、そんなことを言う人はいませんね。


「庚申」はかのえさる≠ニも読み、十干の7番目の「庚」と十二支の9番目の「申」が重なる日で、60年に1回、60日に1回巡ってきます。


庚申待・お日待ち


庚申の日は、「庚申待」(こうしんまち)とか「宵庚申」(よいこうしん)といい、昔から庚申祭りやお日待ち≠ネどが行われていました。現在も昔ながらのこうした風習を受け継ぎ、守っている地区もあります。


というのも庚申信仰では、人の体内に潜む「三尸」(さんし、三虫)が、庚申の夜に人々が眠りにつくと天に昇り、天帝にその人の行動を報告し、悪事があれば寿命が短くされると信仰されていたからです。


ですから、庚申祭りやお日待ちをして、三尸が体内から天に昇っていかないように、その日は夜通し起きて、神仏に祈りを捧げていました。そのうち、寝ずの番をする人をクジ引きで決めたり、飲み明かしたりするようになりました。「庚申講」(こうしんこう)と呼ばれるもので、無尽、頼母講(たのもしこう)などの原型だと思われます。


私の会社(0982株式会社)が発行していたフリーペーパー「0982」でも、延岡市三須町で昭和62年(1987)まで行われていた庚申講の名簿や、猿田彦命の掛け軸、クジ引きに使うコヨリと竹串が春日神社に奉納されたことを紹介しました。


同市佐野地区は現在も、毎年秋の収穫を終えた後の庚申の日にお祭りを開いているそうです。娯楽の少なかった昔は、庚申の日が楽しみの一つだったのかもしれません。


「庚申塔」も同じで、魔除けや道標として、集落の入口や道の辻、三叉路、街道の分かれ道などに建立され、60年に一度建て替えされていたようです。


仏教系の青面金剛


猿田彦同様に庚申塔に多い「青面金剛」は、もともと伝尸病(肺結核)の治病の祈祷本尊で、病原となる伝尸が三尸虫の一種であったことから、三尸虫を駆除する庚申信仰の本草にされるようになったようです。


一般的には、足元に邪鬼を踏みつけ、六臂(ひ=腕、二・四・八臂の場合もある)で法輪、弓、矢、剣、錫杖・ショケラ(人間)を持つ忿怒相で描かれることが多いそうです。


頭髪の間で蛇がとぐろを巻いていたり、手や足に巻き付いている場合もあります。「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿像とともに青面金剛像が描かれていたり、頭の上に梵字が描かれたりしています。


恥ずかしながら私も、庚申塔のことを学んだのは、50歳代になってからです。私たちが通った小、中、高校でこうしたことを教えてくれる機会はありませんでした。


数百年も前から続いてきた、場所によっては今も引き継がれている類のない貴重な風習の一つだと思います。最近は、道路拡張などで移設された庚申塔が、神社の境内などに集められています。


お祓いをせずに勝手に庚申塔を移設したせいで、その時の責任者らが原因不明の病気に罹ったりした例を聞いたことがあります。ご先祖様達が大切に守ってきたものです。おろそかにはできません。庚申講などの風習はほとんど廃れてしまいましたが、歴史的な文化遺構でもある庚申塔だけでも、後世に残せるよう、守り続けていきたいものです。

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